━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2025/1/5(第1081号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.欲望の終わりを望む(R.S1)
2.編集後記
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■1.欲望の終わりを望む(R.S1)
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明けましておめでとうございます。
令和七年「乙巳(きのと・み)」の年、
「巳」は蛇のイメージから
「再生と変化」を意味するのだとか。
まあ、各方面でいろいろ言及されてきた年です。
このいくつもの周期が重なった年の変わり目は
pariにとってもとても珍しい体験となりました。
じつは『アセ通』先週号が配信された2024/12/29は
布団のなかでぐったりしていました。
最近吉田俊道さんが提唱する「菌ちゃん農法」の
畝作りにハマっているとお伝えしていましたが、
敷地の西側に積まれた大量の杉の枯れ枝から
枯れ葉の大量抜き取りをやって身体を冷やしたらしい。
これも風邪気味のシャーラが外から帰ったときには
布団から立ち上がることもできませんでした。
熱を測ると40.2度とかで翌朝救急車を頼みました。
しばらく受け入れ先が見つからずにいましたが、
午後になってやっと受け入れ病院に入れました。
コロナではなくてインフルエンザA型でした。
皆さまにとても親切にしていただきました。
まわりの皆さまに助けられて生き延びています。(-||-)
ありがたいことです。
結婚以来初めて二人で体験した完全な寝正月でした。
お陰さまで、
これまで捨てかねて積み残していた諸々のエネルギーを
ここで一挙にリセットさせてもらったと感じています。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>をいかがお過ごしでしょうか?
ルバート・スパイラの『プレゼンス―第1巻』に
【欲望の終わりを望む】
という一節があります。
今回はこの一節をご紹介します。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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【欲望の終わりを望む】
幸福と愛について、
心(マインド)は何も知りません。
心(マインド)が消え去ってはじめて、
時々雲に覆われたように見えながらも
いつもそこにある幸福と愛は、
時間を超えて、
私たちの体験に輝きだします。
雲の切れ間だけに太陽が輝くのではないのと同じで、
幸福も愛もまた、
その「一瞬」にだけ輝くのではありません。
太陽は常に輝いているのと同じで、
幸福と愛も常に輝いています。
この幸福と愛の体験は、
いつも時間を超えています。
いつも?
時間がないのですから、
「いつも」もありません。
今?
時間がないのですから、
「今」もありません。
心(マインド)は時間のない世界を泳いでいますが、
時間のない世界にたどり着くことはできません。
時間を超えた幸福と愛の体験に思考はありませんが、
思考が、
それらを時間と空間の言葉に翻訳してくれます。
私たちの真の性質である時間のなさを
心(マインド)が表現するとしたら、
「一瞬が精いっぱいなのかもしれません。
心(マインド)がそこになければ、
体験が、
分離した内側にある自己と、
分離した外側にある対象物、
他者、世界に見かけ上分割され、
体験の真の性質を曇らせることはなくなります。
このように、
幸福と愛は、
内側にある自己が対象物、他者、世界を知り、
愛し、知覚する体験ではありません。
幸福と愛は、
時間を超えて、
いつもここにあります。
幸福と愛は、
分離した自己がすることのできる
体験ではありません。
私たちが、
それが自己だと信じ、感じている
分離した実体が死に、
溶けてなくなることが愛であり、幸福です。
だからこそ、
私たちは幸福と愛が大好きで、
それらは体と心(マインド)に
深い影響を与えるのです。
言い換えるなら、
私たちが真に愛し求めているのは、
物でも人でもありません。
もし物や人が幸福と愛の源であるならば、
それらをひとたび手に入れれば、
幸福と愛は提供され続けるはずです。
そして、
それ以上求める必要もないはずです。
けれど、
かつて幸福と愛をもたらすように見えた人や物が
いとも簡単に不幸の源になってしまうことを、
私たちはよく知っています。
私たちが真に求めているのは、
長い間体と心(マインド)に浸透し、
私たちの内にいつもある幸福と愛を
覆い隠してきたように見える緊張状態から
自由になることです。
言い換えるなら、
私たちは渇望の終わりを欲しています。
欲望の終わりを望んでいます。
つまり、
私たちの本質である平安、
幸福、愛だけを求めているのです。
これまで遠く離れていたように見える
自己に還ることこそが、
私たちが求めるすべてです。
∞
『プレゼンス―第1巻』(p137-138)
──────────────────
> 幸福と愛について、
> 心(マインド)は何も知りません。
そうか……。
改めて言われてみると、そうなんですねぇ。
そもそも、
心(マインド)として現象する想念は
その想念をあらわす表現媒体なのだから
もともと何かを知りうるはずもないわけですが。
> 心(マインド)が消え去ってはじめて、
> 時々雲に覆われたように見えながらも
> いつもそこにある幸福と愛は、
> 時間を超えて、
> 私たちの体験に輝きだします。
そうだった。(-||-)
> 雲の切れ間だけに太陽が輝くのではないのと同じで、
> 幸福も愛もまた、
> その「一瞬」にだけ輝くのではありません。
「気づき」である「私」は永遠に「在る」。
> 太陽は常に輝いているのと同じで、
> 幸福と愛も常に輝いています。
時々思考の雲に覆われたように見えながらも、
「気づき」である「私」は永遠に「在る」。
すべてのあらわれは
永遠に現存する「気づき」に愛されて現れる。
> 心(マインド)は時間のない世界を泳いでいますが、
> 時間のない世界にたどり着くことはできません。
心(マインド)は時間のない世界に湧いてくる
時間を紡ぎ出す思考の群として。
> 時間を超えた幸福と愛の体験に思考はありませんが、
> 思考が、
> それらを時間と空間の言葉に翻訳してくれます。
思考には
幸福と愛の体験を時間と空間の言葉に翻訳する
という役割があった……。
そのような理解の仕方もありうるわけですね。
> 私たちの真の性質である時間のなさを
> 心(マインド)が表現するとしたら、
> 「一瞬が精いっぱいなのかもしれません。
思考は
幸福と愛の真の性質である時間のなさを
表現できる手段ではありません。
> 心(マインド)がそこになければ、
> 体験が、
> 分離した内側にある自己と、
> 分離した外側にある対象物、
> 他者、世界に見かけ上分割され、
> 体験の真の性質を曇らせることはなくなります。
逆に、思考は
実際の体験を分離した内側にある自己と、
分離した外側にある対象物、他者、世界に
見かけ上分割して、
体験の真の性質を曇らせる役割を負っている。
> このように、
> 幸福と愛は、
> 内側にある自己が対象物、他者、世界を知り、
> 愛し、知覚する体験ではありません。
> 幸福と愛は、
> 時間を超えて、
> いつもここにあります。
つまり、
幸福と愛は、
思考が紡ぎ出す物語の中に
捉えられる体験ではないのです。
逆に、幸福と愛は、
時間を超えて、
いつもここにあります。
> 幸福と愛は、
> 分離した自己がすることのできる
> 体験ではありません。
> 私たちが、
> それが自己だと信じ、感じている
> 分離した実体が死に、
> 溶けてなくなることが愛であり、幸福です。
幸福と愛とは
思考が紡ぎ出す物語のなかで
分離した自己が実現できる体験ではありません。
逆に、
思考が信じている分離した実体が
死に、溶けてなくなることが
愛であり、幸福なのです。
> だからこそ、
> 私たちは幸福と愛が大好きで、
> それらは体と心(マインド)に
> 深い影響を与えるのです。
思考の紡ぎ出す物語のなかで
体験を苦しんでいる私たちは
だからこそ
幸福と愛が大好きなのです。
> 言い換えるなら、
> 私たちが真に愛し求めているのは、
> 物でも人でもありません。
私たちが本当に求めているのは、
物でも人でもありません。
> もし物や人が幸福と愛の源であるならば、
> それらをひとたび手に入れれば、
> 幸福と愛は提供され続けるはずです。
> そして、
> それ以上求める必要もないはずです。
> けれど、
> かつて幸福と愛をもたらすように見えた人や物が
> いとも簡単に不幸の源になってしまうことを、
> 私たちはよく知っています。
思考の紡ぎ出す物語のなかで獲得できる
人や物が簡単に不幸の源になってしまうことは
私たち全員がよく知っています。
> 私たちが真に求めているのは、
> 長い間体と心(マインド)に浸透し、
> 私たちの内にいつもある幸福と愛を
> 覆い隠してきたように見える緊張状態から
> 自由になることです。
私たちが真に求めているのは、
私たちの内にいつもある幸福と愛を
覆い隠してきた緊張状態から自由になることです。
> 言い換えるなら、
> 私たちは渇望の終わりを欲しています。
> 欲望の終わりを望んでいます。
私たちは
欲望の終わりを望んでいるのです。
> つまり、
> 私たちの本質である平安、
> 幸福、愛だけを求めているのです。
>
> これまで遠く離れていたように見える
> 自己に還ることこそが、
> 私たちが求めるすべてです。
私たちは
自らの永遠の本質である
平安、幸福、愛だけを求めている。
つまり、
思考の紡ぎ出す物語を畳んで
永遠の安らぎと幸福である
自己に還ることこそが私たちが求めるすべて。
(-||-)
──────────────────
∞
では、
自己から離れていたのはいったい誰なのでしょう?
それは私たちの真の自己ではありません。
気づいている現存(プレゼンス)は
「いつも」その本質である平安のうちにあります。
「遠くの国」に出かけてしまうように見え、
故郷に戻ろうとするのは架空の自己です。
けれど、
架空の自己は、
架空の自己の視点から見た場合にのみ
実在する自己です。
唯一の真の視点
(結局は、それは視点ですらありませんが)
から見れば、
架空の自己は存在しません。
そこには愛と、
愛が隠された状態があるだけで、
愛がなくなることは決してありません。
幸福と愛が覆い隠され、
架空の外側の世界にそれを求めるものの、
その模索が崩れ去り、
そして最後には雲が晴れる。
この仕組みがはっきり理解されると、
人生には深遠な変化が起こります。
対象物、他者、世界に
要求や、期待を持って近づくことはなくなり、
私たちの思考、感情、活動、関係性は、
その大きすぎる重荷から解き放たれます。
しかし、
すべての欲望が
分離という信念と感情の表れである
と考えるのは間違いです。
欲望には二種類あります。
ひとつ目は、
分離した内側にある自己の思考から生じる欲望で、
物、状況、人を通じて、
幸福と愛を見つけようとします。
ふたつ目は、
私たちの存在(ビーイング)から直接生じるもので、
分離の感覚によって変形することなく、
形ある世界、
つまり対象物、活動、関係性などを通じて
それ自身を表現し、
分かち合い、祝福しようとする欲望です。
言い換えるなら、
ひとつ目は幸福と愛へ向けて放たれ、
ふたつ目は幸福と愛から放たれています。
究極的には、
欲望はすべて、
私たちの自己である平安、幸福、愛の表現です。
しかし、
このことがしっかりと理解されないと、
幸福と愛は私たちの活動や関係性の源ではなく、
その目標であるかのように見えてしまうのです。
『プレゼンス―第1巻』(p139-140)
──────────────────
> では、
> 自己から離れていたのはいったい誰なのでしょう?
ではこれまで思考の紡ぎ出す物語のなかで
自己から離れていたのはいったい誰なのか?
> それは私たちの真の自己ではありません。
> 気づいている現存(プレゼンス)は
> 「いつも」その本質である平安のうちにあります。
> 「遠くの国」に出かけてしまうように見え、
> 故郷に戻ろうとするのは架空の自己です。
それは私たちの真の自己ではありません。
「気づき」である永遠の自己は
つねに安らぎのうちにあります。
思考の紡ぎ出す物語のなかで
「遠くの国」に出かけてしまうように見えたのは、
架空の自己です。
> けれど、
> 架空の自己は、
> 架空の自己の視点から見た場合にのみ
> 実在する自己です。
> 唯一の真の視点
> (結局は、それは視点ですらありませんが)
> から見れば、
> 架空の自己は存在しません。
しかし
架空の自己は、
架空の自己の視点から見た場合にしか
存在しません。
実際に現存する「気づき」の目から見れば、
架空の自己は存在しません。
> そこには愛と、
> 愛が隠された状態があるだけで、
> 愛がなくなることは決してありません。
実際は、
そこには愛があったか、
愛が隠されているように見えた状態が
あっただけなのです。
愛がなくなることは決してありません。
> 幸福と愛が覆い隠され、
> 架空の外側の世界にそれを求めるものの、
> その模索が崩れ去り、
> そして最後には雲が晴れる。
> この仕組みがはっきり理解されると、
> 人生には深遠な変化が起こります。
そのことが了解されたとき、
架空の外側の世界に
幸福と愛を求める模索が崩れ去り、
最後には雲が晴れます。
この仕組みがはっきり理解されると、
人生には深遠な変化が起こります。
> 対象物、他者、世界に
> 要求や、期待を持って近づくことはなくなり、
> 私たちの思考、感情、活動、関係性は、
> その大きすぎる重荷から解き放たれます。
私たちは
対象物、他者、世界にはもう
何も期待しなくなります。
> しかし、
> すべての欲望が
> 分離という信念と感情の表れである
> と考えるのは間違いです。
しかし、
すべての欲望が
分離という信念と感情の表れである
わけではありません。
> 欲望には二種類あります。
> ひとつ目は、
> 分離した内側にある自己の思考から生じる欲望で、
> 物、状況、人を通じて、
> 幸福と愛を見つけようとします。
欲望には二種類あります。
ひとつ目は、
思考の紡ぎ出す物語のなかで
物、状況、人を通じて、
幸福と愛を見つけようとする欲望。
> ふたつ目は、
> 私たちの存在(ビーイング)から直接生じるもので、
> 分離の感覚によって変形することなく、
> 形ある世界、
> つまり対象物、活動、関係性などを通じて
> それ自身を表現し、
> 分かち合い、祝福しようとする欲望です。
ふたつ目は、
私たちの存在から直接生じる
変形することのない形ある世界を通じ、
その対象物、活動、関係性などを通じて
それ自身を表現し、
分かち合い、祝福しようとする欲望です。
> 言い換えるなら、
> ひとつ目は幸福と愛へ向けて放たれ、
> ふたつ目は幸福と愛から放たれています。
ひとつ目は幸福と愛へ向けて放たれ、
ふたつ目は幸福と愛から放たれています。
> 究極的には、
> 欲望はすべて、
> 私たちの自己である平安、幸福、愛の表現です。
究極的には、
欲望はすべて、
私たちの自己である平安、幸福、愛の表現です。
> しかし、
> このことがしっかりと理解されないと、
> 幸福と愛は私たちの活動や関係性の源ではなく、
> その目標であるかのように見えてしまうのです。
それが明確に理解されていないと、
私たちの活動は
活動や関係性の源ではなく、
その目標であるかのように見えてしまう。
ラマナ・マハルシ的表現とは
とても違うアングルですね。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
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▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
アマゾンに入って
【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。
読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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あらわれの中に
幸福を求めなくてもいい。
唯一の実在する自己、
絶対的主体である永遠の「気づき」が
愛そのものなのだから。
(-||-)
今日も遅くなりました。
おやすみなさい。
(-||-)
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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