━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2025/02/16(第1087号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇
1.本源的な目撃者(フランシス・ルシール)
2.編集後記
──────────────────
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■1.本源的な目撃者(フランシス・ルシール)
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今という時代はかなり特別ですね。
われわれが生きている地上世界の現実が
これまで見えていた姿とは
かなり異なる様相を顕してゆくようです。
とはいえ、別にそうとも感じなければ
それはそれでごく普通の日常が
流れてゆくだけと見えるでしょうが。
誰もが別の世界を見ているのですよね。
特に
トランプさんがアメリカ大統領になってからは
地上の現実のスピリチュアル化の速度は
半端ではありません。
その影響はpariの現実にも及んでいて、
今日も下の畑で笹の根の抜根に
大童(おおわらわ)でした。
でも、意外とこれが面白い。(*^_^*)
体力がついていかない側面がありますが、
気持ちは至って元気です。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
あなたはいかがお過ごしでしすか?
現在このメルマガが【趣旨】として掲げているのは
【あなたがしなければならないことは、
真我でない他の物事に注意を払うのを
やめることだけです。】
という Ramana Maharshi の言葉です。
現在地上世界ではスピリチュアルが
大流行ですし、
アドヴァイタ(非二元論)自体も
精神世界内ではそれなりに広く認知された
重要かつ中核的な領域ではあります。
ただそのアドヴァイタを
マハルシの歯に衣着せぬ言い方
【あなたがしなければならないことは、
真我でない他の物事に注意を払うのを
やめることだけです。】
という端的な意味合いに絞るなら、
これはどうしたって地上で流行るわけがない
テーマであることも自明です。
エゴが真の意味で“好きになれる”テーマでは
ありえませんから。
とはいえ、
いわゆる地上世界の“現実”に
たえず焦点を合わせているわれわれが、
つねに何かを求めていることは
否定できない事実です。
では、われわれは何を求めているのでしょうか?
覚者たちに保証していただくまでもなく
求めているのが「幸福」「安らぎ」であることを
われわれも否定しないでしょう。
では、このわれわれのやり方、
いわゆる「エゴ」の求め方で
その「幸福」「安らぎ」は手に入るものなのか?
いつかは「エゴ」は、
その「幸福」「安らぎ」を求めなくても
よくなるのでしょうか?
いいえ、そんなはずはありません。
だって、
われわれはその「幸福」「安らぎ」を
今もこうして求め続けているわけですから。(^_-)
現象世界が現す仮幻の姿に一喜一憂しながら、
それが自らの好みに合った姿を現すことを求めて、
模索し・画策するという戦略は
遠の昔に賞味期限切れが暴露されているのです。
それにもかかわらずこうして、
新たな思考に助けを求めるこの習性を
断ち切れずにいるからこその
「寄らば大樹の陰」ならぬ、
拠らば賢者の言葉であります。(*^_^*)
というわけで、
今回は、ルパート・スパイラの
師であり友達でもあるという
フランシス・ルシールの著書
『今、永遠であること』から
「幸福」「安らぎ」を
現象世界に求める探求者の質問に
答えていただきましょう。
フランシス・ルシールのここでの語り口は、
(ルパート・スパイラの
綿密な表現に慣れ親しんだわれわれに)
改めてシンプルとも聞こえるほどの自明性で
語りかけてくれるでしょうか。
──────────────────
Q:
完全な幸せとはどういうことか、
教えていただけますか?
私は幸せだと思っていません。
私がまだ
人間の発明したゲームをしている大きな理由が、
これなのです。
このゲームでは、
ひとつの客体から他の客体に常に動いていて、
動いている理由は、
幸せになるためです。
このゲームには
やすらぎや幸せがないと思います。
A:
わたしたちはみんな、
幸せを知っています。
これを説明することはできませんが、
これを探しているという事実が、
わたしたちはこれを知っているということを
証明しています。
欲しがっていた客体が得られると、
しばらくの間、
幸せを体験します。
幸せは客体にあるという信念が
わたしたちの犯している間違いで、
実際には、
わたしたちはすでにこの幸せなのです。
ある客体が手に入ると、
しばらくの間、
願望が止み、
願望がないことからくる幸せ、
ほんとうの自分を体験します。
そのうちに無知から新しい願望が生まれ、
深く
わたしたちのものであるこの幸せを
再び覆い隠すのです。
あなたがおっしゃったように、
ある時点で客体から客体への
終わりなき活動に気がつきます。
人生の中でこれは非常に重要な時です。
これによって神聖な霊的探求、
終わりなき幸せの探求への道が拓けるからです。
『今、永遠であること』(p178-179)
──────────────────
> 完全な幸せとはどういうことか、
> 教えていただけますか?
> 私は幸せだと思っていません。
> 私がまだ
> 人間の発明したゲームをしている大きな理由が、
> これなのです。
> このゲームでは、
> ひとつの客体から他の客体に常に動いていて、
> 動いている理由は、
> 幸せになるためです。
> このゲームには
> やすらぎや幸せがないと思います。
この方は、
もう十分に熟した探求者ですね。
> A:
> わたしたちはみんな、
> 幸せを知っています。
> これを説明することはできませんが、
> これを探しているという事実が、
> わたしたちはこれを知っているということを
> 証明しています。
【これを探しているという事実が、
わたしたちはこれを知っているということを
証明しています。】
ルパート・スパイラは
幸福への探求とは
幸福の不在を示しているのではなく、
幸福の現存の歪んだ反映なのだ
というような意味のことを仰っていましたね。
> 欲しがっていた客体が得られると、
> しばらくの間、
> 幸せを体験します。
しかしその瞬間は長くは続かないことを
われわれ全員がよく知っています。
> 幸せは客体にあるという信念が
> わたしたちの犯している間違いで、
> 実際には、
> わたしたちはすでにこの幸せなのです。
この言葉の意味が
本当に腑に落ちるまでが探求ですよね。
> ある客体が手に入ると、
> しばらくの間、
> 願望が止み、
> 願望がないことからくる幸せ、
> ほんとうの自分を体験します。
これもわれわれ全員が
体験的に知っていることです。
> そのうちに無知から新しい願望が生まれ、
> 深く
> わたしたちのものであるこの幸せを
> 再び覆い隠すのです。
間違いありません。
> あなたがおっしゃったように、
> ある時点で客体から客体への
> 終わりなき活動に気がつきます。
これがわれわれの(あるいはpariの)
現在地でしょうか。
> 人生の中でこれは非常に重要な時です。
> これによって神聖な霊的探求、
> 終わりなき幸せの探求への道が拓けるからです。
(-_-)
続いて以下の質問が問われます。
──────────────────
Q:
気づきとはどういうことか、
ご説明いただけますか?
わたしの体験では、
わたしは(体、心(マインド)として実在し、
あるものを欲しがり、
あなたやほかの人たちもまた、
わたしと同じです。
わたしはほかの人たちとは無関係に
実在することができると感じています。
わたし、から、
わたしたち、になることもできます。
これはただの信念だとおっしゃいますか?
気づきとは
見たり、聞いたり、
感じたりするためのものではなく、
もっとそれ以上のものなのでしょうか?
A;
あなたの体、あなたの心(マインド)、
あなたの願望、フランシス、ほかの人たちは
誰に対して現れているのでしょうか?
間違いなく、
あなたに対してですね。
あなたは自分の体、
心(マインド)、願望の目撃者です。
それなので、
あなたはこれら特定の客体のどれでもありません。
あなたは純粋な気づきであり、
これは意識ても呼ばれますが、
あなたの考え、感情、知覚の
本源的な目撃者です。
自分は他人と関係なく実在することができる
という感覚は、
実に正しいものです。
他人は
いつもあなたの意識にあるわけではありませんが、
気づきとしてあなたはいつもあるという事実から、
これは引き出されています。
これを深く考えてみると、
自分の体がいつもあるわけではない
という結論にも至ります。
例えば、
考えているとき、
熟睡中、
ふたつの考えの間などです。
なので、
自分の体、
これは感覚認識から成るものですが、
これとは無関係に
あなたは気づきとしてあります。
このように調べ続けていくと、
自分は考えでもないということが明らかになります。
なぜなら、
考えとは行ったり来たりしますが、
あなたは、
気づきは、
そのままだからです。
なので、
あなたは自分の心(マインド)、
少なくとも自分の心(マインド)の客観的な部分、
考えではありません。
この時点で、
自分は客体ではないということ、
考えとして概念化されたり、
感覚を通して知覚されるものではない
ということが明らかになるはずです。
これが理解するのに必要なすべてです。
ですが、
この理解は完全なものでなくてはならず、
これに沿って生き、
行動しなくてはなりません。
あなたであるものは、
信念や知覚ではありませんが、
一方、
自分であると信じているものは
間違いなく知覚です。
気づきのうちで
見る、聞く、考えるが現れ、
気づきに消えていきます。
なので、
これらは気づきから成るのです。
ですが、
気づきは、
あなたの素顔は、
六感以上のものであり、
個人の心(マインド)以上のものであり、
毎瞬、
意識に浮かんでは消えるこの森羅万象よりも
ずっと大きなものです。
意識ある存在物すべてが共有する土台であり、
起こりえるすべての世界を
その過去と未来とともに、
完璧な同時性のうちに内包する
時間を超えた現存(プレゼンス)なのです。
『今、永遠であること』(p179-180)
──────────────────
> Q:
> 気づきとはどういうことか、
> ご説明いただけますか?
> わたしの体験では、
> わたしは(体、心(マインド)として実在し、
> あるものを欲しがり、
> あなたやほかの人たちもまた、
> わたしと同じです。
> わたしはほかの人たちとは無関係に
> 実在することができると感じています。
> わたし、から、
> わたしたち、になることもできます。
> これはただの信念だとおっしゃいますか?
> 気づきとは
> 見たり、聞いたり、
> 感じたりするためのものではなく、
> もっとそれ以上のものなのでしょうか?
質問者は、
真の「自己」とは見かけ上の身体や
あらゆる瞬間に浮上してくる想念のことではなく
それらを見ている「気づき」なのだ
ということを聞き知っていて、
それを前提に
この「気づき」というものの説明を
フランシス・ルシールに求めています。
> A;
> あなたの体、あなたの心(マインド)、
> あなたの願望、フランシス、ほかの人たちは
> 誰に対して現れているのでしょうか?
> 間違いなく、
> あなたに対してですね。
> あなたは自分の体、
> 心(マインド)、願望の目撃者です。
フランシス・ルシールはここで、
あなたは見られる「対象物(客体)」なのか
それともその「対象物」を見ているほうなのか
という観点に直入します。
> それなので、
> あなたはこれら特定の客体のどれでもありません。
> あなたは純粋な気づきであり、
> これは意識ても呼ばれますが、
> あなたの考え、感情、知覚の
> 本源的な目撃者です。
自分は見られる「対象物」ではない
ということがはっきりしているのなら、
われわれがいわゆる自分の
「考え、感情、知覚」などでないことは明らかで、
われわれはそれらの
「考え、感情、知覚」などを見ている
「純粋な気づき」であり、
「本源的な目撃者」なのだと言います。
これもまたじつにシンプルな話です。
> 自分は他人と関係なく実在することができる
> という感覚は、
> 実に正しいものです。
> 他人は
> いつもあなたの意識にあるわけではありませんが、
> 気づきとしてあなたはいつもあるという事実から、
> これは引き出されています。
この「対象物」と
それを見ている「純粋な気づき」には
本質的な違いがある。
それは「対象物」が“いつもある”わけではない、
のに対して、
見ている「純粋な気づき」は“いつもある”
ということだと。
> これを深く考えてみると、
> 自分の体がいつもあるわけではない
> という結論にも至ります。
> 例えば、
> 考えているとき、
> 熟睡中、
> ふたつの考えの間などです。
> なので、
> 自分の体、
> これは感覚認識から成るものですが、
> これとは無関係に
> あなたは気づきとしてあります。
その観点から
われわれの身体も見られる「対象物」であって
われわれ自身ではないことがわかる。
> このように調べ続けていくと、
> 自分は考えでもないということが明らかになります。
> なぜなら、
> 考えとは行ったり来たりしますが、
> あなたは、
> 気づきは、
> そのままだからです。
> なので、
> あなたは自分の心(マインド)、
> 少なくとも自分の心(マインド)の客観的な部分、
> 考えではありません。
そういう観点で詳細に調べてゆくと、
自分の「考え」も
じつは自分ではないことがわかる。
> この時点で、
> 自分は客体ではないということ、
> 考えとして概念化されたり、
> 感覚を通して知覚されるものではない
> ということが明らかになるはずです。
> これが理解するのに必要なすべてです。
こういうことが了解された時点で、
自分というのは「客体」ではないこと、
思考として概念化されたり、
感覚的に知覚されるものではない、
ということが明らかになる。
そして、
理解すべきことはそれだけだ、というのです。
> ですが、
> この理解は完全なものでなくてはならず、
> これに沿って生き、
> 行動しなくてはなりません。
ただし、
その「理解」は完全でなくてはならず、
その「理解」に沿って
生き、行動しなくてはならない。
> あなたであるものは、
> 信念や知覚ではありませんが、
> 一方、
> 自分であると信じているものは
> 間違いなく知覚です。
> 気づきのうちで
> 見る、聞く、考えるが現れ、
> 気づきに消えていきます。
> なので、
> これらは気づきから成るのです。
> ですが、
> 気づきは、
> あなたの素顔は、
> 六感以上のものであり、
> 個人の心(マインド)以上のものであり、
> 毎瞬、
> 意識に浮かんでは消えるこの森羅万象よりも
> ずっと大きなものです。
そうすると、
普段自分が「自分だと信じているもの」は、
すべて知覚されたものだとわかってくる。
それがわかってくると、
知覚されたものはすべて
「気づき」の中に消えてゆく。
つまり、
知覚されたものはすべて
実際は「気づき」から成っていたのだと
了解されてくる。
本来のわれわれというのは
六感以上のものであり、
個人の心(マインド)以上のものであり、
意識に浮かんでは消えるこの森羅万象よりも
ずっと大きなものだったとわかってくる、と。
> 意識ある存在物すべてが共有する土台であり、
> 起こりえるすべての世界を
> その過去と未来とともに、
> 完璧な同時性のうちに内包する
> 時間を超えた現存(プレゼンス)なのです。
われわれとは
あらゆる顕現の可能性を包含し、
その過去と未来を完璧な同時性のうちに内包する
時間を超えた現存なのだ、と。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
アマゾンに入って
【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。
読み物として面白ければと思っています。
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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だんだん土曜日のこの気分が
その外側にも広がってゆきます。
(^_-)
今日も遅くなりました。
おやすみなさい。
(-||-)
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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