━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2025/04/13(第1095号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.あなたの想像以外は
2.編集後記
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■1.あなたの想像以外は
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すべては「私」から流れ出した
想像にすぎないのですね。
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ひとたびあなたの想像以外は
何も困難をもたらすことができない、
と絶対の確信を持って知るなら、
あなたは欲望や恐れ、
概念や見解に注意を払わず、
真実とともにのみ生きるだろう。
『私は在る』(p131)
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(-||-)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
この一週間はわれながらよく身体が動いています。
これでわが家の敷地の畦畔下の圃場に
菌ちゃん農法の畝が合わせて6本、
長さにして20メートルくらいできたでしょうか。
今年のはじめにはもう始めていたのに、
途中でいろいろ他のことが起こって
そのたびに脇道に逸れるものだから、
まあこの体たらくです……。
しかし、それでもわれながらよくやっている。
誰に対してもどんな文句もなくなりました。
毎日夢のなかで次の場面を手繰り寄せながら
けっこうワクワクしてやっています。
自分が決断して物事を進めていると
いつの間にか身体はそれに対応してくれています。
ありがたいことです。(-||-)
自分の口にいれるものの半分でも、
その創造過程に密接に関わったと言えるなら
それはそれですごいことです。
いまメルマガの先頭で最初に引用した
ニサルガダッタの言葉は、
『私は在る』の
【29 生きることが生命の唯一の目的だ】
という章の中に出てくる言葉です。
最初から写経するとこんな感じです。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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29 生きることが生命の唯一の目的だ
質問者
ヨーガにおける失敗とはどういう意味でしょうか?
ヨーガにおける敗北者(ヨーガブラシュタ)とは
誰のことでしょうか?
マハラジ
それはただ未完成という問題だ。
彼自身のヨーガを完成できなかった人が
ヨーガにおいて失敗したと言えるだろう。
そのような失敗は一時的なものだ。
なぜならヨーガにおいて、
敗北というものはないからだ。
この闘いはつねに勝利する。
なぜなら、
それは真実と偽りの間の闘いだからだ。
偽りにチャンスはない。
質問者
誰が失敗するのでしょうか?
個人(ヴィアクティ)でしょうか、
それとも自己(ヴィアクタ)でしょうか?
マハラジ
質問自体が間違っている。
失敗という問題はあてはまらないのだ。
長期であっても、短期であっても。
それは見知らぬ異国の長く険しい道を
旅するようなものだ。
数知れない一歩一歩のなかでも、
あなたを目的地に到着させるのは最後の一歩だけだ。
それでも、
あなたはそれ以前に歩んできた一歩一歩のすべてを
失敗とは思わないだろう。
障害を避けるために脇道にそれたときでさえ、
そのそれぞれがあなたを目的地へと導いたのだ。
実際には、
各一歩があなたをゴールへと導いてきた。
なぜならいつも進み、学び、発見し、
明らかにしていくことがあなたの永遠の運命だからだ。
生きることが生命の唯一の目的だ。
自己は成功や失敗と同一化しない。
あれやこれになろうとすることなど問題外だ。
自己は、
成功と失敗が相対的に関係し合う人生の
縦糸と横糸にすぎないと理解しているからだ。
その両方から学ぶがいい。
もし学んでいないのなら、
くり返すがいい。
質問者
何を学ぶべきなのでしょうか?
マハラジ
利己的な関心なしに生きることだ。
そのためには真我(スワルーパ)が屈服せず、
恐れを知らず、
つねに勝利するものだと知らねばならない。
ひとたびあなたの想像以外は
何も困難をもたらすことができない、
と絶対の確信を持って知るなら、
あなたは欲望や恐れ、
概念や見解に注意を払わず、
真実とともにのみ生きるだろう。
『私は在る』(p130-131)
──────────────────
はじめてこの言葉に触れてから、
記憶で繋ぎ合わされるわが人生という夢のなかで
30年近くの時間がすぎてゆきました。
今になって読み返してみると、
どういうことが語られていたのかが
やっと理解できるようになった気がします。
生命の唯一の目的は「生きること」であって、
人生(生命)にそれ以外の別の目的があるわけではない。
では「生きること」には
何か実現すべき目的のようなものがあるのでしょうか?
インド六派哲学ヨーガ学派の開祖である
パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』は
「ヨーガとは心の働きの止滅(ニローダ)である」
という定義から始まっているそうです。
ちなみに、ウィキペディアの記述による
「ヨーガ・スートラ」の一部を引用しておくと
こんな感じです。
──────────────────
古代インドでは、
この世や人間を苦とする見方は主流ではなかったが、
ヨーガ学派や仏教は、
人間の存在を苦とみて、
ヨーガによって生ずる智慧によって
そこから離脱することを目指した。
ヨーガ学派の悟りの状態とは
プルシャ(純粋精神、神我)と
プラクリティ(根本物質、自性)という
世界を構成する二つの原理の関係が断たれ、
別々になって安定した状態に戻ることである。
両者を混同させる力となる心の動揺をなくすため、
ヨーガの実修が必要とされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨーガ・スートラ
──────────────────
『私は在る』のこの章で交わされている対話は、
この意味の「ヨーガ」を前提にしているのだと思います。
> 質問者
> ヨーガにおける失敗とはどういう意味でしょうか?
> ヨーガにおける敗北者(ヨーガブラシュタ)とは
> 誰のことでしょうか?
ちょっと変な質問とも聞こえますが、
この質問者は自分が失敗者なのかどうかを
マハラジの言葉で確認したかったのでしょうか?
> マハラジ
> それはただ未完成という問題だ。
> 彼自身のヨーガを完成できなかった人が
> ヨーガにおいて失敗したと言えるだろう。
> そのような失敗は一時的なものだ。
> なぜならヨーガにおいて、
> 敗北というものはないからだ。
> この闘いはつねに勝利する。
> なぜなら、
> それは真実と偽りの間の闘いだからだ。
> 偽りにチャンスはない。
マハラジの返答は永遠からの回答です。
【ヨーガにおいて、敗北というものはない】
それは真実と偽りの間の闘いなのだから。
> 質問者
> 誰が失敗するのでしょうか?
> 個人(ヴィアクティ)でしょうか、
> それとも自己(ヴィアクタ)でしょうか?
質問者はそれでもまだ
「失敗」が気になっているようです。(*^_^*)
> マハラジ
> 質問自体が間違っている。
> 失敗という問題はあてはまらないのだ。
> 長期であっても、短期であっても。
> それは見知らぬ異国の長く険しい道を
> 旅するようなものだ。
誰にとっても、人生とは
「見知らぬ異国の長く険しい道を旅するようなもの」
であるようです。
> 数知れない一歩一歩のなかでも、
> あなたを目的地に到着させるのは最後の一歩だけだ。
> それでも、
> あなたはそれ以前に歩んできた一歩一歩のすべてを
> 失敗とは思わないだろう。
最後についに目的地にたどり着いたとき、
来し方を振り返って
それまで歩んできた一歩一歩のすべてを
失敗とは思わないだろう、と。
> 障害を避けるために脇道にそれたときでさえ、
> そのそれぞれがあなたを目的地へと導いたのだ。
> 実際には、
> 各一歩があなたをゴールへと導いてきた。
これはもう……間違いないでしょう。
> なぜならいつも進み、学び、発見し、
> 明らかにしていくことがあなたの永遠の運命だからだ。
いつも進み、学び、発見し、
明らかにしていく……。
「生きること」の
それが永遠の運命なのですね。(-_-)
> 生きることが生命の唯一の目的だ。
生命にもし目的があるとすれば、
それは「生きること」それ自体のみ。
> 自己は成功や失敗と同一化しない。
> あれやこれになろうとすることなど問題外だ。
「自己」には成功もなければ失敗もない。
> 自己は、
> 成功と失敗が相対的に関係し合う人生の
> 縦糸と横糸にすぎないと理解しているからだ。
「自己」は
成功も失敗もともに
関係性からなる人生という織物の
模様にすぎないことを知っているのだから。
> その両方から学ぶがいい。
> もし学んでいないのなら、
> くり返すがいい。
「生きること」とは
その成功と失敗の両方から学ぶこと。
もしまだ学んでいないのなら
繰り返すしかない。
まだ学ぶべきことが残っているからです。
> 質問者
> 何を学ぶべきなのでしょうか?
こう聞かされたら
質問者も
「何を学ぶべきなのでしょうか?」
と訊くことになるでしょうね。
ここで決定的かつ超絶的な言葉が語られます。
> マハラジ
> 利己的な感心なしに生きることだ。
学ぶべきなのは
【利己的な関心なしに生きること】だと。(>_<)
まだ学び終わっていないので、
pariはこうして菌ちゃん農法などを
頑張って学んでいるわけです。(*^_^*)
> そのためには真我(スワルーパ)が屈服せず、
> 恐れを知らず、
> つねに勝利するものだと知らねばならない。
つまり、
pariはまだ
【真我(スワルーパ)が屈服せず、
恐れを知らず、
つねに勝利するものだ】
とは知るに至っていないわけです。
そしてひとたびそれを知ったなら、
どういうことが起こるか?
それが最初に引用した、
【ひとたびあなたの想像以外は
何も困難をもたらすことができない、
と絶対の確信を持って知るなら、
あなたは欲望や恐れ、
概念や見解に注意を払わず、
真実とともにのみ生きるだろう。】
という言葉なのです。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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読み物として面白ければと思っています。
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■ 2.編集後記:
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存在は幸福と同じであり、
幸福は存在と同じである。
ムクティ(解脱)という言葉は非常に魅惑的だ。
人はなぜ探求するのだろうか?
そこに束縛があると信じるために
解脱を探し求めるのである。
だが事実は、
そこに束縛はなく、ただ解脱だけがある。
なぜそれを解脱と名づけておいて、
それから探しに出かけるのだろうか?
『あるがままに』(p37)
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覚者の言葉はつねに超絶的ですね。
(*^_^*)
今日も遅くなりました。
おやすみなさい。
(-||-)
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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