━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2025/05/04(第1098号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.実在は「存在―意識」(真我12)
2.編集後記
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■1.実在は「存在―意識」(真我12)
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昨夜は日テレの金曜ロードショーで
宮崎駿さんの2年前の最新作
『君たちはどう生きるか』を観ました。
https://kinro.ntv.co.jp/lineup/20250502
そのときはもちろん
地上波の日テレで観たわけですが、
なぜか昨夜テレビを消すときに
地上波の1チャンネルに戻せませんでした。
もちろん、そんなことはすべて忘れて
今日は雨上がりのすばらしい天気だったので
今年初めての蕗を採ったりしました。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
ところが夕食の前になって
シャーラがテレビを点けると
昨日のままの地上波の日テレから
リモコンで他のチャンネルに切り替えられない
というのです。
リモコンの電池が切れているというので
電池を入れ替えても……日テレから動かない。
電源のオン/オフはできるけれど
さて、チャンネルを変えられない……。
ここでうっかり、
「これでテレビを見なくても済むか」(*^_^*)
などと口走ってしまったものだから、
すっかりシャーラの機嫌を損ねてしまいました。
「テレビを新しくしなければならないね」
という感じで、怪しい雲行きになってきた。
これはまずい。(>_<)
そこで、テレビのマニュアルを引っ張り出して
何ができそうかをいろいろ調べました。
マニュアルで探してみた項目の中で
関係がありそうなのは機器設定メニューでした。
HDML接続などを一通りやり直してみるか。
電源をすべてソケットから抜いて、
HDMLをひとつ一つやり直してみることに。
そうこうするうちに
マニュアルのシステム設定のなかの
「B−CAS情報」という項目が気になって
テレビと一緒に送られてきた資料を出してみると
「B−CASカードのご利用方法」という書類があった。
中に一枚のICカードを挿入した書類があって
そこに赤い背景で白抜きに
【デジタル放送の受信には
このICカード(B-CASカード)が必要です。
お買い求めの受信機に装着してご使用ください。】
と書いてある。
このテレビはちょっと不調があって
何度かメーカーに問い合わせているうちに
ありがたくもメーカーが交換用として
送ってくれた代替品なのです。
そのときこのカードは使わずに
以前のテレビのをそのまま使っていました。
ところが今よく読んでみると中に太字で
こう書かれていました。
──────────────────
≪受信機を買い替えられた方へ≫
受信機に同梱されている新しいB-CASカードを
装着してご使用ください。
古いカードを使い続けると、
放送の受信ができなくなる場合があります。……
──────────────────
もしかして、これかも。(@_@) ⌒★?
そして三番目のHDML端子の片隅に挿入されている
旧カードを引き抜いて新しいのと入れ替えてみました。
そしてテレビの画面をきれいに拭いて、
電源を挿入し、やおらモニターで点灯する。
まず映ったのは日テレ、
地上波1チャンネルにしてみると……
なんとNHKが映った!\(^O^)/
「シャーラ!映ったよ」(*^_^*)
というわけで、
夢の中でしっかり生きています。(^_-)
やっと土曜日のマインド無礼講まで
たどり着いたので、
今日はラマナ・マハルシの『真我』のなかの
を開いてみました。
【実在は「存在―意識」】
という一節を写経ししたいと思います。
(相変わらず長すぎる引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
──────────────────
【実在は「存在―意識」】
実在は常に真実でなければなりません。
無名無形でありながら、
名前と形の根底に在るもの、
それが実在です。
限定されたものの根底にありながら、
それ自体は無限で束縛されません。
実在ではないものの根底にありながら、
それ自体は実在として在ります。
「存在するもの」、
それが実在です。
それはただ「あるがまま」に在り、
言葉による表現を超えています。
それは「存在、非存在」などといった表現の
彼方に在るのです。
「存在一意識」だけが唯一の実在です。
常に存在する唯一の実在である真我を見いだせば、
「すべては真我に他ならない」
という知識だけを残して、
実在でないものはすべて消え去ります。
真我は「今ここ」に存在しています。
「それ」は唯一の実在であり、
それ以外は何も存在しないのです。
意識とは常に真の自己意識を意味しています。
もしあなたが何かを意識しているなら、
それは本質的にあなた自身を意識しているのです。
自己のない意識の存在など言葉の矛盾でしかなく、
存在などではまったくありません。
それは単なる属性的な存在です。
真の存在は属性ではなく本質そのものであり、
それが実在です。
それゆえ、
実在は「存在−意識」として知られ、
けっして単に一方を除いたものではありません。
世界はそれ自身では存在せず、
またそれ自身の存在を意識してもいません。
だとすれば、
どうしてそのような世界を実在と呼べるでしょう?
さらに、
世界の本性とは何でしょうか?
それは尽きることのない変化であり、
絶え間なく、
果てしない流転です。
依存し、
自己意識がなく、
永遠に変化し続ける世界は、
実在ではありえないのです。
自己の中に没入することで
真我を知るに至った賢者にとって、
真我以外に知られるべきものは何一つ存在しません。
それはなぜでしょうか?
「私」としての身体と自己同一化する
自我が死に絶えたからです。
彼は無形の「存在−意識」なのです。
ただ一つの状態だけが存在します。
それが「意識、気づき、存在」の状態です。
目覚め、夢見、深い眠りの
三つの状態は実在ではありません。
それらは単に来ては去って行くものです。
実在は常に存在し続けます。
三つの状態すべての中に存在し続ける
「私」あるいは「存在」だけが実在であり、
三つの状態は実在ではありません。
それゆえ、
「それらにはいくらかの実在性の段階がある」
と言うことさえできないのです。
ただ、
このように言うことはできるでしょう。
「存在あるいは意識だけが唯一の実在である」と。
究極の真理はとてもシンプルです。
それは純粋無垢な状態の中に「在る」ことです。
これは語られるべきすべてです。
実在として在りながら、
私たちは実在を獲得しようと探求しています。
これ以上の不思議はないでしょう。
私たちは実在を隠している何かがそこにあり、
実在が獲得される前にそれが
破壊されなければならないと思っているのです。
それはばかげています。
あなた自身があなたの過去の努力を
笑う日がやって来るでしょう。
あなたが笑うだろうその日もまた、
今、この瞬間なのです。
『真我』(p19-22)
──────────────────
(-||-)
> 実在は常に真実でなければなりません。
> 無名無形でありながら、
> 名前と形の根底に在るもの、
> それが実在です。
> 限定されたものの根底にありながら、
> それ自体は無限で束縛されません。
> 実在ではないものの根底にありながら、
> それ自体は実在として在ります。
現象世界という「名前と形」の根底、
そのような限定されたものの根底にあって、
それ自体は無名無形で
束縛されない無限のもの。
それが実在です。
現れるためには何ものかでなければなりません。
現れるとは定義(=限定)を担うことです。
しかし現れるためには
不動であることはできません。
不動であるものは現れることはできませんから。
ですから現れは不可避的に
絶えざる変化でなければならないのです。
しかしその絶えざる変化は
ただそれだけでは現れることはできません。
絶えざる変化は
その背景にある不動の実在に
照らされなければ現れることができないのです。
限定されたものが現れるには
その根底に不動の実在が必要なのです。
> 「存在するもの」、
> それが実在です。
> それはただ「あるがまま」に在り、
> 言葉による表現を超えています。
> それは「存在、非存在」などといった表現の
> 彼方に在るのです。
実在とは
「存在するもの」のことだと
ラマナ・マハルシは言います。
それはただ「あるがまま」に在り、
それのことを「存在」とか
あるいは「非存在」とかいう言葉で
言い表すことはできないのだと。
なぜラマナ・マハルシが
あえて
実在は言葉による表現を超えており、
言葉による表現の彼方に在る、
という言い方をするのかは
実際は、言葉(つまり人間)にはわかりません。
> 「存在一意識」だけが唯一の実在です。
> 常に存在する唯一の実在である真我を見いだせば、
> 「すべては真我に他ならない」
> という知識だけを残して、
> 実在でないものはすべて消え去ります。
> 真我は「今ここ」に存在しています。
> 「それ」は唯一の実在であり、
> それ以外は何も存在しないのです。
「存在する」ということは
「(自分が)『存在すること』に気づいている」
ということです。
言い換えるなら、
「存在する」ということは
「気づいている」というのと同じことなのです。
つまり
「存在一意識」だけが唯一、実在するのです。
この「存在一意識」は
現れに先立って常に実在しており、
この「存在一意識」以外には
実際は何も存在していないのです。
> 意識とは常に真の自己意識を意味しています。
> もしあなたが何かを意識しているなら、
> それは本質的にあなた自身を意識しているのです。
> 自己のない意識の存在など言葉の矛盾でしかなく、
> 存在などではまったくありません。
> それは単なる属性的な存在です。
「意識」とは
常に「自らの存在に気づいている」ということです。
実際に存在するのは
「自らの存在に気づいている者」だけです。
自らの存在に気づいてもいないものが
存在するなどというのは語義矛盾でしかありません。
実際は
自らの存在に気づいているその意識しか
実在していないのです。
ですから、
何かを意識しているというのは
本質的に自分自身を意識しているのです。
他には何ひとつ実在していないのですから。
自己のない意識の存在というようなものは
単なる一時的な形態や意味としての
属性的な現れにすぎません。
> 真の存在は属性ではなく本質そのものであり、
> それが実在です。
真実存在しているのは
そのような定義や属性を担った一時的表現ではなく
常に<いま・ここ>に実在する
永遠不動の<気づいている>という本質です。
> それゆえ、
> 実在は「存在−意識」として知られ、
> けっして単に一方を除いたものではありません。
> 世界はそれ自身では存在せず、
> またそれ自身の存在を意識してもいません。
> だとすれば、
> どうしてそのような世界を実在と呼べるでしょう?
だからこそ、
実在は「存在−意識」として知られるのです。
それは存在するということが、
「『(自らの)存在』に気づいている」ことだからです。
形や名前という定義を担うために
一時的に現れる“世界”は
それ自身では存在していません。
そもそも“世界”は自らの存在を意識してもいません。
そのような“世界”を
どうして実在と言えるでしょうか?
それは「存在−意識」という実在する源から流れ出す
つかの間の想像の中に姿を現すだけなのです。
> さらに、
> 世界の本性とは何でしょうか?
> それは尽きることのない変化であり、
> 絶え間なく、
> 果てしない流転です。
> 依存し、
> 自己意識がなく、
> 永遠に変化し続ける世界は、
> 実在ではありえないのです。
そして、
姿を現す働きである“世界”は
その本姓上不動であることはできず、
絶えざる変化でしかありえません。
自らの存在を意識しておらず、
絶えざる変化としてしか現れられない“世界”は
実在ではありえないのです。
> 自己の中に没入することで
> 真我を知るに至った賢者にとって、
> 真我以外に知られるべきものは何一つ存在しません。
> それはなぜでしょうか?
> 「私」としての身体と自己同一化する
> 自我が死に絶えたからです。
> 彼は無形の「存在−意識」なのです。
しかしその一方で、
けっして実在ではありえない
絶えざる変化として姿を現すその“世界”は、
中毒性をもった永久的娯楽になりかねない
危険を伴ってもいます。
中毒性の永久的娯楽になった“世界”の中で
迷子になった「存在−意識」が、
自分が本当は誰であるかを忘れて、
自らの本質をその永久的娯楽の中で探し求めるのが
“苦しみ”という彷徨体験なのです。
賢者とは
自己の中に没入することで
真我を知るに至った在り方のことです。
その賢者の視野の中には
真我以外には何一つ存在しません。
それは
身体と自己同一化する観点である
自我が死に絶えたからです。
賢者は本来の「あるがまま」の在り方、
無形の「存在−意識」に還ったからです。
> ただ一つの状態だけが存在します。
> それが「意識、気づき、存在」の状態です。
> 目覚め、夢見、深い眠りの
> 三つの状態は実在ではありません。
> それらは単に来ては去って行くものです。
> 実在は常に存在し続けます。
> 三つの状態すべての中に存在し続ける
> 「私」あるいは「存在」だけが実在であり、
> 三つの状態は実在ではありません。
> それゆえ、
> 「それらにはいくらかの実在性の段階がある」
> と言うことさえできないのです。
> ただ、
> このように言うことはできるでしょう。
> 「存在あるいは意識だけが唯一の実在である」と。
実在するのはただ一つの状態だけです。
それは「意識、気づき、存在」の状態です。
「自らが『存在する』ことに気づいている」状態、
自らの存在の充実に
満たされ、満足し、安らいでいる状態です。
そして流れ出す想像の幻影の中に
いかなる真実も認めない状態です。
賢者は
目覚め、夢見、深い眠りの三つの状態が
実在ではないこと、
それらは単に来ては去って行くものであること、
自らが「『存在する』ことに気づいている者」
であることに常に気づいているからです。
常に<いま・ここ>に存在し続けるのは
実在だけであることを知っているからです。
> 究極の真理はとてもシンプルです。
> それは純粋無垢な状態の中に「在る」ことです。
> これは語られるべきすべてです。
純粋無垢な状態の中にただ「在る」こと。
それが究極の真理、
語られるべきすべてです。
> 実在として在りながら、
> 私たちは実在を獲得しようと探求しています。
> これ以上の不思議はないでしょう。
> 私たちは実在を隠している何かがそこにあり、
> 実在が獲得される前にそれが
> 破壊されなければならないと思っているのです。
> それはばかげています。
> あなた自身があなたの過去の努力を
> 笑う日がやって来るでしょう。
> あなたが笑うだろうその日もまた、
> 今、この瞬間なのです。
実際は、
その実在以外には何一つ存在しないのに、
われわれは現れという幻影のなかで
実在を獲得しようと探求しています。
われわれは
実在を隠している何かがそこにあり、
実在を獲得するためには
それを破壊しなければならないと思っている。
なんというばかげた幻想でしょう。
しかしわれわれの頭は
すでに虎の口の中にあります。
いつかは自分自身の過去の努力を
笑う日がやって来ることでしょう。
「私」が笑うだろうその日もまた、
今、この瞬間なのです。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
アマゾンに入って
【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。
読み物として面白ければと思っています。
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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あーあ、
気持ちよかった。
マインド無礼講バンザイ!
今日も遅くなりました。
おやすみなさい。
(-||-)
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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