━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
☆☆ ☆☆
☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2025/08/10(第1112号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
-☆☆────-☆☆─────────────────────
☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。
あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
それを得たり、培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇
1.教えを自分に望む(「静寂」11)
2.編集後記
──────────────────
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1.教えを自分に望む(「静寂」11)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ライオンズゲートの満月ですね。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
憶えておくべき肝心なことは
さほど多くありません。
たしかに間違いなく確実なのは
ただ「私は在る」ということだけでした。
これだけが確実なことで
「私は何で在る」ということはもう
幻想であるというわけでした。
「私」は何なのか?をあえて言うなら、
「私は『私は在る』で在る」です。
ならば、
ただ、在ればいいわけです。
ニサルガダッタ・マハラジが
言っていたのはそういうことだったのですね。
ということで、
今週もロバート・アダムスの邦訳本
『ハートの静寂』からの一節をご紹介しますね。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
──────────────────
*あなたは純粋な存在になります
つまり、
この世界のすべての教えも
すべてのスピリチュアルな修行も、
今まで自分がやって来たすべてのヨーガの練習も
すべての訓練も、
あなたをほんのわずかでも目覚めさせることはない、
と理解することです。
あなたは自分の時間を無駄にしてきました。
何もあなたを
目覚めさせることはできないからです*1。
あなたは自分を目覚めさせてくれるだろう何かを、
私が語るのを待っています。
しかし、
何もあなたを
「目覚めさせる」ことはできないのです。
もし「何か」があなたを目覚めさせるとすれば、
それは目覚めではないことでしょう。
もしあなたが自分を目覚めさせるために、
「何か」に頼るとしたら、
それは本当の目覚めではありません。
起こることは、
あなたが単に見始めることです。
あなたは純粋な存在になります。
でも、
何もそれを起こすことはできませんでした。
あなたが今までやってきたすべての大変な修行が、
「自分をより速く目覚めさせる」
だろうと思ってはいけません。
私はあなた自身の恩恵のために、
こういった偉大な真実をあなたに話しています。
なぜなら、
皆さんのほとんどの人たちが
長い間ここにいるからです。
『ハートの静寂』(p149-150)
──────────────────
【この世界のすべての教えも
すべてのスピリチュアルな修行も、
今まで自分がやって来たすべてのヨーガの練習も
すべての訓練も、
あなたをほんのわずかでも目覚めさせることはない】
この現象世界という幻影の中には
自分が自分に目座めるための
いかなる根拠も存在しない。
もしその幻影の何かのせいで
自分が目覚めたとするなら、
そんなものは本当の目覚めではない。
この幻影の中に
われわれを目覚めさせることができるようなものは
何も存在しない。
(-||-)
──────────────────
この世界の何もあなたを目覚めさせません。
あなたを目覚めさせることができるものは、
何もありません。
なぜなら、
あなたは何か他のものに頼っているからです。
こういったすべての物事は、
ただあなたをマーヤーの中へ
ますます引きずり込むだけです。
皆さんも私も、
長年スピリチュアルな修行をやっている
多くの人たちを知っています。
彼らは聖書を前からも後ろからも
暗誦することができます。
彼らは美しい四行詩やスピリチュアルな本を
暗記することができます。
彼らは、
アドヴァイタ・ヴェーダーンタや
他の教えのポイントについてのすぐれた論者です。
彼らは世界中をめぐって多くの先生を訪れ、
多くの場所へ出かけます。
しかし、
彼らは以前と同じままです。
彼らがしたことはただ、
彼らの無知を増しただけでした。
彼らはあらゆる異なった教えを加え、
加え、加え続けます。
彼らは自分自身を教えで満たし続けています。
こういうことはけっしてあなたを目覚めさせません。
あなたが自分自身を
完全に全面的に空っぽにするとき、
何かを学ぶべき者が誰も残されていないとき、
そのときこそ、
あなたは単純に
自分を肉体ではないと見なすのです。
あなたは自分自身を眺め、
自分の本当の姿に覚醒します。
でも、
どんなことも、
これをあなたに起こすことはできません。
『ハートの静寂』(p149-150)
──────────────────
幻影の中の教えや知識をいくら集めたところで
それがわれわれを目覚めさせることはできない。
自分が自分自身を
完全に全面的に空っぽにするとき、
もう何かを学びたい誰も残っていないとき、
そのときはじめて
われわれは自分を肉体ではないと見なす。
そして自分自身を眺め、
自分の本当の姿に覚醒する。
しかし、
これを自分に起こせる
いかなるものもこの幻影の中には存在しない。
(-||-)
──────────────────
では、
いったいどんな態度をとればいいのでしょうか?
どんな態度もとらないことです。
あなたは何をすべきでしょうか?
するべきことは「何も」ありません。
あなたは何を勉強すべきでしょうか?
あなたは何を学ぶべきでしょうか?
「何も」ありません。
あなたはどこへ行くべきでしょうか?
行くべきところはどこもありません。
あなたは誰と付き合うべきでしょうか?
付き合うべき人は「誰も」いません。
こういった地点へ来ることができれば、
あなたはすでに目覚めているのです。
というのは、
目覚めなければいけない人がいたことも、
スピリチュアルな教えを
実践「しなければいけない」人がいたことも
一度もなかったからです。
肉体をもった人がいたことも、
存在していた「人」がいたことも、
一度もありませんでした。
皆さんの一部の人たちには、
このことはとても奇妙に聞こえることを
私は承知しています。
それにもかかわらず、
これは真実です。
これが全真実であり、
真実以外の何ものでもありません。
あなたがこれを学ぶ唯一の方法は、
「何も」学ばないことによって、
です。
静寂を守ることによって、
です。
自分のマインドが今何を考えているか見てください。
皆さんの中には、
「この男は正気ではない」と
マインドの中で言っている人たちもいます。
そのとおりです。
『ハートの静寂』(p150)
──────────────────
では目覚めたい者、
自分が誰かを知りたい者は
いったいどうすればいいのか?
するべきことは何もない。
勉強すべきことは何もない。
行くべきところはどこもない。
付き合うべき人も誰もいない。
こういう地点へ来ることができれば、
われわれはすでに目覚めている。
なぜなら、
目覚めなければいけない人がいたことも、
スピリチュアルな教えを
実践「しなければいけない」人がいたことも
一度もなかったから。
肉体をもった人がいたことも、
「人」が存在していたことも、
一度もなかったから。
(-||-)
──────────────────
また中には、
明日の昼食、
自分がこれから着る服装、
仕事に行くことを考えている人たちもいます。
あなたのマインドはすぐに考え始めます。
あなたが学ばなければならない教科は、
いかにして考えることをやめるか、
ということです。
でも本当のところ、
誰もこれをあなたに
教えることができる人はいません。
なぜなら、
あなたに
考えることを適切にやめさせることができる、
どんな教えもないからです。
あなたはそれを自分に望まないといけません。
言い換えるなら、
私を見る代わりに
──私は先生ではないですし、
あなたが目覚めることができるように、
聖なるマントラを与えたり、
何かの秘密を語ったりする人でもありません。
そんなことは忘れてください
──内側に向き、
真理を見、
真理になってください。
他人にアドバイスを求めたり、
何をすべきか、
いかに生きるべきかを訊いたりしないでください。
仏陀が言ったように、
自分自身の灯りとなってください。
すべての答えはあなたの中にあります。
『ハートの静寂』(p151)
──────────────────
われわれが学ばなければならないのは、
いかにして考えることをやめるか、
それだけ。
ところが本当のところ、
これをわれわれに教えることができる人は
誰もいない。
なぜなら、
われわれに考えることを
適切にやめさせることができるような
どんな教えも存在しないから。
われわれその教えを自分に望まないといけない。
別の言い方をするなら、
われわれは自分本来の
静寂であることを自分が望まないといけない。
ね、
単純でしょ。(^_-)
(*^_^*)
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
キンドル本の『地球世界はかなり特殊』
手にとっていただけました?(^^;)
アマゾンに入って
【地球世界はかなり特殊】と検索してくださいね。
読み物として面白ければと思っています。
………○…………○…………○………
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──────────────────
あなたは気づきです。
気づきとはあなたのもう一つの名前なのです。
あなたが気づきなのだから、
それを得たり、
培ったりする必要はありません。
あなたがしなければならないことは、
真我でない他の物事に注意を払うのを
やめることだけです。
もしそれらに気づくのをやめれば、
純粋な気づきだけが残ります。
それが真我です。
『真我』(p83)
──────────────────
マインドの投影物など
気にしないことですよね。
実際は、気づきだけが、
私だけが存在しているのですから。
(-||-)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2025 paritosho
──────────────────
|