home > 通信 >三つの徳(「静寂」25):『アセンション館通信』第1132号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2025/12/28(第1132号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

アセンション館主人pariとの一体化が緩んできた意識に
相変わらず起こりつづけている想念を報告しています。

 あなたは気づきです。あなたが気づきなのだから、
 それを得たり、培ったりする必要はありません。
 あなたがしなければならないことは、真我でない他の物事に
 注意を払うのをやめることだけです。(Ramana Maharshi)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。

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◇◇ もくじ ◇◇

1.三つの徳(「静寂」25)

2.編集後記
──────────────────

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■1.三つの徳(「静寂」25)
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先日始まったと思っていたこの一年が

あっという間にもう終わりに近づき、

もう今年最後の配信になってしまいました。

さて、またまた一週間が過ぎて、

“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariこと

酔生夢死太郎です。(*^_^*)

この永遠の<今>を

いかがお過ごしでしょうか?

ロバート・アダムスという方は

アドヴァイタ・ヴェーダーンタの聖者ですが、

その超絶的な立ち位置とは裏腹に

とても道徳的な観点からの言葉を語る方でもあります。

「ハートの静寂」という言葉は

言語を絶する絶対の覚醒を意味する言葉ですが、

そこを始源として流れ出す現れという夢想世界は

あくまでもカルマが織りなす

因果応報の世界でもあるのでしょう。

ゆえにこの因果応報の苦海の夢を生きる者に

そこからの空想上の“脱出”を説く言葉は

きわめて道徳的な言葉にならざるを

得ないのかもしれません。

ロバート・アダムスの『ハートの静寂』には

「三つの徳」という章があります。

この章は次のような言葉で始まっています。

──────────────────
 
 
 15章 三つの徳 
 
 
 あなたが解放されるために、
 獲得しなければならない三つの主な徳があります。
 
 悟りの前に、あなたが達成しなければならない
 もっとも重要なものです。
 
 この地上に存在したあらゆる悟った人、
 解放されたあらゆる人はこれらの徳をもっていました。
 
 あなたはそれらなしでは、
 解放されることはできません。
 
 最初の徳は、慈悲です。
 
 二番目の徳は、謙虚さです。
 
 そして三つ目の徳は、奉仕です。
 
 『ハートの静寂』(p337)
──────────────────

> あなたはそれらなしでは、
> 解放されることはできません。

というのですから逃げ道はありません。(*^_^*)

でも、

> 最初の徳は、慈悲です。

とか、

> 二番目の徳は、謙虚さです。

とか、

> そして三つ目の徳は、奉仕です。

などと聞かされると、

こりゃもうダメだと思ってしまいますよね。

ところがですね、

これがその理由を聴いてみると

なんというか、

ちょっと想像とは感じが違って、

とても論理的な理由なのです。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長すぎる引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 
 *最初の徳は慈悲です
 
 
 慈悲とは何でしょうか? 
 実際、慈悲とは、
 あなたがこの全世界と調和するときにあるものです。
 この全世界の中で
 あなたと対立することは何もありません。
 それについて考えてみてください。
 慈悲とは、
 すべての生命に対する敬意を意味しています。
 あらゆるものが生きています。
 死んだ物質などというものはありません。
 あらゆるものはそれ自身の生命をもっています。
 あなたが生命に対して敬意をもつとき、
 あらゆるものを尊敬し、
 あなたは誰にもどんなものにも悪意をもちません。
 私はただ人間についてだけ
 語っているのではありません。
 私は鉱物界、植物界、動物界、
 人間界について語っています。
 この世界の中の
 何かと争っている賢者とか解放された人について、
 あなたは聞いたことがありますか? 
 ですからまず、
 あなたは自分自身と和解しなければなりません。
 
 非常にたくさんのアドヴァイタ・ベーダーンタ、
 非二元論の教えの信者たちが、
 「私はこれと一つだ、
  あれと一つだ、
  あらゆることは絶対的現実である」
 と叫びまわっています。
 それにもかかわらず、
 彼らは非常に多くの悪癖をかかえています。
 それはある種、逆説的です。
 私は何度も何度も、
 あらゆることはカルマ的である、
 あらゆることはあらかじめ決まっている、
 あなたに起こるあらゆることは
 あらかじめ決まっている、
 あなたは自分がするように定められていないことは、
 指一本動かすことはできない、
 と皆さんに言います。
 それにもかかわらず、
 同時に私は、
 ある種の物事を手放し、
 高い徳を育てるようにとも、
 皆さんに言います。
 そして、それは正しいことです。
 というのは、
 「もしあらゆることがあらかじめ決まっているなら、
  自分が何をするか、
  どう振舞うか、
  どう生きるかなんて、
  私は気にするべきだろうか? 
  いずれにせよ、
  あらゆることは起こることになっているのだから」
 と、あなたは自分自身に言うからです。
 これはあるレベルでは真実ですが、
 再び言えば、
 あなたは内側を向いて、
 人生の状況に反応しないという
 完全なる自由があります。
 あなたにはその自由があります。
 ですから、
 あらゆることはあらかじめ決まっていますが、
 同時にあなたは内側を向き、
 より高い意識状態の中に入り、
 自由になることで、
 その運命が誰のところへやって来るのか
 発見する自由があります。
 それゆえ、
 慈悲は非常に重要です。
 
 『ハートの静寂』(p337-338)
──────────────────

> あらゆることはカルマ的である、
> あらゆることはあらかじめ決まっている、
> あなたに起こるあらゆることは
> あらかじめ決まっている、
> あなたは自分がするように定められていないことは、
> 指一本動かすことはできない、

起こることはカルマ的に

すべてあらかじめ決まっているのです。

だから、実際は

起こることになっていることを避ける方法もなければ、

起こらないことになっていることを

起こらせる方法もないわけです。

でもですよ、

過去に夢想の迷妄を雲散させて

本来の自分の真我を(いわゆる)“達成”した方々は

ことごとく慈悲の徳を顕していらっしゃるわけです。

では、“わたし”だけが慈悲の徳を迂回して

真我の覚醒だけを実現することができると思いますか?

ありえませんよね。(*^_^*)

ゆえに、

起こるあらゆることはあらかじめ決まっていて、

自分がするように定められていないことは、

指一本動かすことはできないにもかかわらず、

しかもなおそのカルマの状況のなかで

“わたし”も内側を向いて、

より高い意識状態の中に入り、自由になって、

慈悲の徳を身につける道を通って、

本来の自分に覚醒するしかないのです。

他に逃げ道など存在しないわけです。(^_-)

これ、じつに論理的だと思いませんか?

──────────────────
 
 *二番目の徳は謙虚さです
 
 
 次は、謙虚さです。
 謙虚さは非常に非常に重要です。
 誰もが何かでいい点を取りたいと思い、
 議論で勝ちたいと思い、
 戦いに勝利したいと思っています。
 それにもかかわらず、
 もしあなたに謙虚さがあれば、
 勝ちたいとか仕返しをしたいとか、
 そういったことがけっして
 マインドにやって来ないのです。
 謙虚さはカルマ的です。
 カルマは熊手を踏んで、
 それが自分の頭に当たるようなものです
 ──原因と結果です。
 原因はあなたが熊手を踏んだことで、
 結果は、
 そのハンドルが自分の頭を打つということです。
 これが私たちのカルマです。
 出て行ったあらゆることは戻って来るのです。
 あなたが熊手を踏んでも、
 ハンドルはすぐにあなたに当たるわけではなく、
 長年経ったあとで、
 あるいは別の人生で、
 当たるかもしれませんが、
 いずれにせよ、
 あなたは自分の頭を叩かれるのです。
 ですから、
 緊急のカルマと未来のカルマがあります。
 カルマを取り除く唯一の方法は、
 巨大な謙虚さをもつことだけです。
 たとえば、
 誰かが私たちを平手打ちしたとします。
 私たちのエゴが最初に自分に言うことは、
 相手をぶん殴れ、打ち返せ、撃て、殺せ、
 仕返ししろ、ということです。
 しかし、
 もし私たちが賢明なら、
 自分が顔を殴られた理由を理解することでしょう。
 もちろん、どこかでどういうわけか、
 これはカルマが自分のところへ戻って来たのです。
 もし私たちが復讐すれば、
 新しいカルマを動かすことになり、
 それはまたあとで自分のところへ戻って来ます。
 
 『ハートの静寂』(p342-343)
──────────────────

> 謙虚さはカルマ的です。
> カルマは熊手を踏んで、
> それが自分の頭に当たるようなものです
> ──原因と結果です。
> 原因はあなたが熊手を踏んだことで、
> 結果は、
> そのハンドルが自分の頭を打つということです。

この「謙虚さ」という徳は

じつにカルマを理解することが

決定的に重要な徳であることを知りました。

カルマというのは

【熊手(刃先)を踏むと、
 
 その熊手の柄が自分の頭に当たるようなもの】

だというのです!(@_@) ⌒★?

なんというイメージ豊かな比喩でしょうか。

熊手の柄が自分の頭に当ったのは

明らかに自分の足がその熊手(刃先)を踏んだからです。

他の誰を恨むこともできません。

明らかに悪いのは“自分”の足です。(*^_^*)

“自分”の足とか“自分”の頭というものが

あるとしてですが。

でも、われわれが苦しんでいるこのカルマの世界は、

その“自分”の足とか“自分”の頭というものが

在るという前提の世界であることも確かです。

その“自分”と“他人”で苦しんでいる、

つまり、

舞い上がったり落ち込んだりしているわけですから。

じつは、

わたしにこの比喩がこれほどヒットしたのは、

菌ちゃん農法を始めた今年になって

本当に熊手(刃先)を踏んで、
 
その熊手の柄が頭に当たったことがあるからです!

びっくりしました。(@_@)

まあ、熊手の刃先を踏んだ右の足を

もういっぽうの左の足で踏んづけて

痛めつけてやったりはしませんでしたが。(*^_^*)

だって、さすがにわたしでも

右の足も左の足も

両方とも自分の足であることくらいわかりますから。

ただし、

一言でカルマ(原因と結果)と言っても、

即時の「緊急のカルマ」と、

時を隔てて現象する「未来のカルマ」があるらしいですね。

でも、一つ確かなことは、

それがいつか自分がやった行為の結果だということです。

“自分の行為”という意識がそこにあったのなら、

その“自分の行為”の結果が起こるわけです。

> カルマを取り除く唯一の方法は、
> 巨大な謙虚さをもつことだけです。

他に方法はないのです。

──────────────────
 
 
 *自分のカルマを超越する方法 
 
 
 それゆえ、
 自分の人生のどんな領域でも、
 自分に起こるどんなこと、
 それがどのように見えるにしても、
 あなたは自分にふさわしい場所にいるのです。
 誰もあなたをいじめているわけでも、
 あなたに何かしようとしているわけでも、
 傷つけようとしているわけでもないのです。
 もしあなたが協力して、
 反応しないで、復讐しないで、
 愛と平和のメッセージを送り出せば、
 そのときあなたはそのカルマを超えたのであり、
 それは二度と再び
 あなたのところへ戻って来ることはありません。
 しかし、
 あなたが復讐し、戦いに勝とうとすれば、
 その瞬間あなたが戦いに勝っているように見えても、
 あなたが目的を達成するように見えても、
 あなたの行為の果実は、
 遅かれ早かれ、戻って来ざるをえません。
 ですから、
 あなたは自分自身とゲームをしていることになり、
 結局どこへも行き着かないことでしょう。
 あなたは同じ状況を何度も何度も何度も、
 相手を変えて繰り返すのです。
 あなたは他の州へ行って、
 別の状況と関わるかもしれませんが、
 また同じ問題を発見します。
 
 『ハートの静寂』(p342-343)
──────────────────

> 自分の人生のどんな領域でも、
> 自分に起こるどんなこと、
> それがどのように見えるにしても、
> あなたは自分にふさわしい場所にいるのです。

われわれが

いつどこでどのような状況にいようとも

それは“自分が信じている”カルマ的に

まさに自分にふさわしい場所にいるのです。

われわれは

【自分自身とゲームをしている】わけです。

──────────────────
 
 
 *三番目の徳は奉仕です
 
 
 三番目の徳は奉仕です。
 この地上での私たちの使命は人類への奉仕です。
 解放されるために、
 完全に自由になるために、
 あなたが成長しようとするとき、
 自分自身をより高い状態へ引き上げようとするとき、
 できるかぎり何の見返りも求めず、
 奉仕してください。
 自分が出会うあらゆる人に奉仕してください。
 彼らの人生をより幸福に明るくするために、
 あなたが彼らのためにできることがないか、
 人々に尋ねてください。
 あらゆる人に完全に奉仕してください。
 最初の者が最後にされ、
 最後の者が最初にされるだろうと
 (聖書に)書かれています。
 もしあなたが自分のエゴを前面に出して、
 名声と評判と賞賛を求めるならば、
 いつも打ちのめされることでしょうし、
 名声と評判を達成することに伴ってやって来る、
 あらゆる種類の問題をもつことでしょう。
 
 真実はと言えば、
 あなたは行為者でも、
 肉体でもマインドでもなく、
 完全なる自由です。
 あなたはすでに解放されているのです。
 でも、
 私たちの一部の人たちにとっては、
 このことは知的な物事に留まっています。
 
 
    ですから、これらの三つの徳を練習してください。
    
    そうすれば、自分がどれだけ早く自由になるか、
    驚くことでしょう。
 
 
 『ハートの静寂』(p345)
──────────────────

> 三番目の徳は奉仕です。
> この地上での私たちの使命は人類への奉仕です。

このことに関しては

わたしのマインドはあまり反応しません。

なんか自分には関係のない話というようにしか

聞こえません。

だから、この「奉仕」は

わたしにはまだ手の届かない徳なのだろうと

思っています。

今回いちばん響いた徳は「謙虚さ」でした。

熊手の柄が頭に当たったら、

それは自分が熊手の刃先を踏んだことがあるからだ!

という理解でした。

そのことを喜んで受け容れるしかないのでしょう。

「喜んで」はまだ無理かな。(*^_^*)

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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読み物として面白ければと思っています。

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■ 2.編集後記:
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今年も終わりですね。

また来年が来るのでしょう。

でも、それは目覚めという夢の中の話です。

まだまだ余裕綽々の思考の断末魔です。

楽しんで書いています。

良かれ悪しかれ、

ひたすら自分の道を進むよりほかありません。

あるがままの自分に感謝します。

お休みなさい。

(-||-)


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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