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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.116 2006,05/14(第116号)
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つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


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要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.道を求める者は少ない

2.写経ニサルガダッタ:「すべての知識は無知なるものだ」より(2)

3.編集後記:雨ですねぇ。
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■ 1.道を求める者は少ない
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少し遅めですが田植えに備えて棚田をちょっと耕し始めました。

それで今朝も下に降りて、傾いた物置から鍬を取り出そうとしたんですが……、
ふと異物が目に入りました。

きれいな縞模様の紐みたいので……、その先を辿ると……、なんと先端は蛇の
頭だった。

尻尾の方が板戸の隙間に隠れていて、まだ半身が物置の中に残っています。

こっちが黙って見ていると、向こうもしばらくじっと動かなかった。

でも、こちらが何もする様子がないのを見極めたか、おもむろに急ぐでもなく
物置の中に戻っていきました。

こっちももう一つの方の木戸を開けて、鍬を取り出し、固まった土を少し耕し
ました。

小さな一区画を耕したらくたびれたので、じきに鍬を戻しに行きました。

物置まで来たら蛇のことを思い出して、そちらの木戸を開けてみると、ちゃん
と中で休んでいました。

ふーん。

わたしの世界にも、いろんな生き物たちが棲んでいるようです。

世界はすべて自分の思いの反映として現象するものみたいだから、物理次元の
片割れのマインド状態を確認するために、わたしのハイアーセルフが出現させ
たということにでもなるんでしょうか……。(-_-;)

なんちゃって。^^;

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

このところニサルガダッタを読んでいて、こんなことを思うようになりました。

精神世界情報のきまった言い方に

        「準備のできた者のところに導師は現れる」

というのがあるのはご存知だと思います。

イエスさんの言葉では、それは

           「求めよ、さらば開かれん」

ということになるのでしょうか。

あるいは、言い方を少し変えるとこんなふうになるかもしれません。

つまり、

     「道を伝える者は常にいるが、道を求める者は少ない」

と。

『神秘の次元』という和尚の本の「第三章」は、

          「道は多く、旅する者は少ない」

と題されていました。

……つまり、祖師方が異口同音に言っていることは、

(1)本気で求める者には、自動的に道は開かれる

ということ、しかし

(2)いつの世にも、本気で道を求める者は少ない

という、この二つのことではないかと思います。

このこと……、あるいはこのことを語る祖師たちの口調には、どこか“残念な
がら”というような響きがあるような気がしますよね。

あるいは、むろん非難ではないにしても“本当はそうあるべきじゃないのに”
といった雰囲気を、少なくともわたしはこれまで感じていました。

でも……、こんな気がしてきた。

(1)本気で求める者には、自動的に道は開かれる

ということについては、これは波動宇宙のありかたそのものなんでしょうね。

それで、

(2)いつの世にも、本気で道を求める者は少ない

ということについてですが……。

一言で言うと、それは当然のことなんだ、という気がしてきました。^^;

“残念ながら”とか“本当はそうあるべきじゃないのに”ということじゃなく
て、まさに“本来そうあるべきこと”なんだ、って。

なぜか?

だって、普通、“この世は、瀕死の老人ばかりであるべきだ”なんて、言わな
いじゃん。^^;

「(2)いつの世にも、本気で道を求める者は少ない」というのは、じつは、いつ
の世にも“瀕死の老人”は少ない、ということと同じことではないのかしら。

そして、“瀕死の老人”ばかりの世界なら、いくら政府が「少子化対策」を講
じて何とかしようと頑張っても、結局はどうにもならずに、早晩、衰滅するで
しょうね。(^_-)

それが、俗に言う“アセンション”ってことじゃないのかなぁ。(-_-;)

なんちゃって。^^;

(*^_^*)

通じてます? 

いえね、“瀕死の老人”って、別に比喩でも何でもなくて、“生きているのが
つらい人”って意味です。

ほら、吉本隆明さんがどこかで「老人になるというのは、面白いことが何もな
くなることだ」って、上手いことおっしゃっていたけど、これはそういうこと
ですよ。(^_-)

“瀕死の老人”は、どう足掻いても早晩死にますわね。

だって、どう頑張ったって、もう肉体の中で(=肉体に自己同化して)生きて
いることが、つらくてつらくて堪らないわけですから。

この世の“瀕死の老人”は、肉体の寿命がすでに尽きていますから、どうやっ
てももう肉体にはとどまっていられません。

だから、肉体から解放されて、やれ嬉しや、なんて思わず腰を抜かす。^^;
(あ、志ん生の「火焔太鼓」じゃないから、それはないか。(*^_^*) )

精神世界の“瀕死の老人”は、もうマインドの中で(=マインドに自己同化し
て)生きていることが、つらくてつらくて堪らないわけ。

冗談抜きで、息も絶え絶えなわけです。はは。\(^o^)/

そうなったら、こりゃもう、誰だって、必死で「道」を求めますよ。

「道」って、なんだと思います?

ふふ……、ぶっちゃけた話、“出口”のことです。(^_-)

その“出口”の外に広がっている、マインドなしで生きられる“跡なき道”な
んて洒落た言い方もあるけど。

……。

(-_-)

……でも、世間での“瀕死の老人”の人口比率なんてそんなに高いわけないで
すよね。

精神世間、もとへ、精神世界だって同じこと、“瀕死の老人”の人口比率なん
てそんなに高いはずがないのです。

だから、偉そうな人に、「(2)いつの世にも、本気で道を求める者は少ない」
なんて言われても、別に、ビビることはないです。(^_-)

そういうものなんですから。

そして、「道を伝える者は常にいる」なんて言葉にも、別にそんなに恐れ入る
必要もないわけです。

だって、どんな時代にも“瀕死の老人”はいて、無常の煙を上げては、この世
から姿を消していっているわけですから。

同じ理屈で、スピリチュアル・ワールドにも、いつの時代にも“瀕死の老人”
はいるんだと思ってもいいわけです。

そういう方たちが、マインドへの自己同化から外れて、枯死寸前の老桜が最後
の満開の花から香りを放つように、“悟り”の芳香をあたりに放って物理次元
から消えていくのだろうと思います。

幻想の他者との“差”を維持したサムボディであることに疲れ果てて。

でも、物理次元そのものは、そんな“瀕死の老人”の戯言なんか気にもしない
若者と壮者のエネルギーで、まったく何の問題もなく回転して行くんです。

若い元気な方々の野望と恐れのエネルギーで、つつがなく「世界」は創造され、
維持され、破壊され続けていくのだと思います。

だって、そこには、オリンピックもあればワールド・カップもあり、グローバ
ル・コンペティションがあれば“勝ち組”“負け組”もありで、その上、年末
には紅白歌合戦まであるとなれば、こりゃもう、そう簡単に止められるもんじ
ゃありません。

こんなに面白いもの、そんなに簡単に止められるわけないっしょ。(^^;)

そんなに簡単に“差”取ったりできますかいな。

懸命になって肉体に自己同化し、マインドに自己同化して、他者との“差”の
獲得に明け暮れ、サムボディたらんと意識エネルギーを“恐れ”と“欲望”に
変換し続けるわけだと思います。

はは、自分のこと棚に上げての言いたい放題も、気持ちがいいや。(^^)/

というわけで、みなしゃま、「空腹は、最上のソースでございます」。^^;

(@_@)

シーン……。

(-_-)

あー、あー、本日は雨天なり、本日は雨天なり。

ふう……。(-_-;)

……というわけでしてですねぇ、わたしを含めて、誰もなかなか本気で道を求
めてなどおらんのです。クシュン。(;_;)

本気で静かになりたいなどと、思うとらんのですわ。

ところが、ニサルガダッタを含めあらゆる祖師たちの道というのは、結局は、
マインドの雲間から脱出する道ですからねぇ。

よほど、マインドの中での居心地が悪うならんと。

だから、お釈迦様は、「ドゥッカ」、苦諦(くたい)ということをおっしゃっ
たとでしょうねぇ。

肉体に自己同化し、“野望”と“心配”に共振して生きることが、正真正銘の
「苦」であることが自明になっていないと、求道は始まらないのだと、おっし
ゃったわけだと思います。

夢を見てうなされている人間を、外から強引に揺すって起こしたりするのは、
よほどの条件が整わないと、通常はしてはいけないことみたいですね。

だから、通常は、悪夢にうなされている人間が自分から飛び起きるように仕向
けなければならない、というわけなんでしょう。

だから、ご苦労なことに、祖師方は自ら悪夢の中に入って、悪夢の中で目覚め、
まわりの人たちに「あんた、夢を見とるよ」ということを伝えようとしたんだ
と思います。

でも、いかんせん、そんなのてんで伝わりっこないよね。^^;

で、祖師方が思わず漏らした言葉が……、

     「道を伝える者は常にいるが、道を求める者は少ない」

って言葉なわけです。

映画『奇跡の輝き』のロビン・ウィリアムズみたいに、苦労をものともせずに
悪夢の中に戻って来たはいいものの、誰も本気で出口を求めていないどころか、
どうかすると逆恨みされかねない、というわけです。

たしかになぁ。(-_-;)

わが身を省みても、本気でマインドから出たいのかどうかとなったら、ちょっ
と待って (@_@)、てなもんだよなぁ。(-_-;)

そして、もしも本気でマインドから出たいとなったら、それが本当に本音の願
いだったら、それは当然……、実現するわけだと思います。

何が何でもマインドの“心配”の世界から脱出したいとなったら、自分が平和
になるために四の五の条件は付けないはずだもの。

          「道は多く、旅する者は少ない」

かぁ、なるほどなぁ……。

ほんとに、このマインドの世界から消えてしまいたい人間なんて、そんなにい
るわけないよなぁ。(-_-;)

自分のことを考えたら、よく分かるよ。

もうマインドは嫌だ、“心配”も“気遣い”もほとほと嫌気が差したと言った
って、嫌だと言ったからマインドを卒業できるというわけでもないし。

激しくこの世を嫌悪するくらいは、誰でもできるもんなぁ。

それこそが、この世レストランの“メインディッシュ”のひとつなんだから。

断食と飽食の振り子みたいなもんかな。

何も願わず、何も嫌わず……。

そう言えば、『信心銘』の最初で和尚はこんなことを言っていたなぁ。

----------------------------------------------------------------------
 僧サンは禅の三祖だ。
 その人については、決して多くのことは知れていない。
 それはそうあるべきことだ。
 なぜなら歴史は、暴力だけを記録するからだ。
 歴史は沈黙を記録しない。
 それを記録することはできない。
 すべての記録は騒動についてのものだ。
 いつであれ、誰かが本当に静かになれば、その人はすべての記録から姿を消
 す。
 彼はもはや、我々の狂気の一部ではない。
 だから、それはまさにかくあるべきことなのだ。
                          『信心銘』(p3-4)
 http://tinyurl.com/hm54a
----------------------------------------------------------------------

> いつであれ、誰かが本当に静かになれば、その人はすべての記録から姿を消
> す。

それはまさにかくあるべきことなのか。

静かになる、平和になるってこと、つくづく、考えちゃう。

でも、もうだんだん理屈がいらなくなりつつあるような。

ただ、静かになれるのなら……。(-_-;)

あ。(@_@)

なんちゃって。^^;;;

(*^_^*)

なんか今日は、地味な話題で。^^;

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:「すべての知識は無知なるものだ」から(2)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日の写経は、前回の「すべての知識は無知なるものだ」からの続きです。

ニサルガダッタは、彼のグルから

> 「私を信じなさい。
>  あなたは至高の実在なのだ。
>  私の言葉を疑ってはならない。
>  不信感をもってはならない。
>  私は真実を伝えているのだ。
>  それに基づいて行動しなさい」

と告げられ、その言葉を深く信頼したと。

すると、それ以降のことは、彼の側からは何ひとつ願わず、求めずに、ひとり
でに起こったのだというのです。

では、具体的に、何が、どんなふうに起こったのか?

----------------------------------------------------------------------
 質問者
 そして、何があなたに起こったのでしょうか?
 どのようにしてあなたが至高なるものだと知るに至ったのでしょうか?
 
 マハラジ
 誰かがそれを伝えにきたわけではない。
 内面でそう言われたのを聞いたわけでもない。
 事実、努力したのは、ほんのはじめのころだけだ。
 私は光を見たり、声を聞いたり、神々に出会ったり、彼らと話をしたりとい
 う奇妙な体験を通り抜けてきた。
 ひとたびグルが私に「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、幻想や超
 越状態を体験することはなくなり、とても静かに、そしてシンプルになった。
 私は欲望をもつことや知ろうとすることがだんだんなくなっていき、最後に
 はまったくの驚きとともに、「私は何も知らない。私は何も欲しくない」と
 言うまでに至ったのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p409-411)
 http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> ひとたびグルが私に「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、幻想や超
> 越状態を体験することはなくなり、とても静かに、そしてシンプルになった。

ということは、それまでは、頻繁に“幻想や超越状態を体験”していたのでし
ょうね。

> 私は欲望をもつことや知ろうとすることがだんだんなくなっていき、最後に
> はまったくの驚きとともに、「私は何も知らない。私は何も欲しくない」と
> 言うまでに至ったのだ。

(;_;)

そういうことかぁ。(-_-;)

> 私は欲望をもつことや知ろうとすることがだんだんなくなっていき……

それしかないなぁ。

(-||-)

----------------------------------------------------------------------
 質問者
 あなたは本当に欲望と知識から解放されたのでしょうか、それともグルによ
 って与えられたイメージにしたがってジニャーニ(賢者)を人格化したので
 しょうか?
 
 マハラジ
 いかなるイメージも与えられなかったし、わたし自身ももっていなかった。
 グルは何かを期待するようにとは一切言わなかったのだ。
 
 質問者
 今以上のことがあなたに起こるかもしれないのでしょうか?
 あなたの旅は終焉したのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこにはけっしていかなる旅もなかったのだ。
 私は、常に私であったままの私なのだ。
 
 質問者
 あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?
 
 マハラジ
 私はもはや騙されない。それだけだ。
 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた――もはやそうすることはないの
 だ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p409-410)
 http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> 質問者
> 今以上のことがあなたに起こるかもしれないのでしょうか?
> あなたの旅は終焉したのでしょうか?

(@_@)O

> マハラジ
> そこにはけっしていかなる旅もなかった。
> 私は、常に私であったままの私なのだ。

……そうでなくっちゃ。(;_;)

だからこそ、今のままのこのわたしで……。

> 質問者
> あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?

そうそう、そのこと、そのこと。

(@_@)O

> マハラジ
> 私はもはや騙されない。それだけだ。

ク。(;_;)

> 私はもはや騙されない。それだけだ。

そう、……それだけだ、わたしが欲しいのも。

> 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた――もはやそうすることはないの
> だ。

(@_@)

> 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた……

うん。

> ――もはやそうすることはないのだ。

そうか……。(-_-;)

大歓喜自在童子……。

----------------------------------------------------------------------
 質問者
 それでは、あなたはどこに住んでいるというのでしょうか?
 
 マハラジ
 存在と非存在を超えた、意識を超えた空の中だ。
 この空はまた充満してもいるのだ。
 私を憐れんではいけない。
 それは、「私は私の仕事を終えた。もう何もするべきことはない」と言う人
 のようなものだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p410)
 http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> それでは、あなたはどこに住んでいるというのでしょうか?

うん。

それを訊きたいよね。

> マハラジ
> 存在と非存在を超えた、意識を超えた空の中だ。

カー。(>_<)

言うねぇ、よくそういうことを。

> 存在と非存在を超えた、意識を超えた空の中だ。

こういうことを言ってみたい。

> この空はまた充満してもいるのだ。

よくそういう表現を聞くけど……。

> 私を憐れんではいけない。

そうそう。

マインドが想像すると、寂しげに聞こえるんだよね。

> それは、「私は私の仕事を終えた。もう何もするべきことはない」と言う人
> のようなものだ。

うん、うん。

----------------------------------------------------------------------
 質問者
 あなたは真我の実現の確かな日時を伝えています。
 それはつまりその日に何かが起こったということでしょうか?
 何が起こったのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドが出来事をつくり出すのをやめたのだ。
 遙かなる昔からの絶え間ない探求が終焉したのだ。
 私は何も望まず、何も期待せず、何ひとつ私のものとして受け取らなかった。
 そこに闘おうとする「私」は残っていなかった。
 もうひとつ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。
 以前、私は多くのことに確信を持っていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。
 私が知らないと言うこと自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
 知識なのだ。
 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。
 「私は生まれた」という考えを例にとってみなさい。
 あなたはそれを真実だと受け取っているかもしれない。
 そうではないのだ。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という観念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。
 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつの光が現れる。小さな点は急速に
 動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、観念を描きだす。
 その描きだすインクが記憶だ。
 あなたはその小さな点であり、あなたの動きによって世界は常に再創造され
 ていくのだ。動くのを止めなさい。すると世界はなくなるだろう。
 内側を見なさい。
 すると身体の中の広大な光の反映は、「私は在る」という感覚としての小さ
 な光の点だと見いだすだろう。
 ただ光だけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p410-411)
 http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> 質問者
> あなたは真我の実現の確かな日時を伝えています。
> それはつまりその日に何かが起こったということでしょうか?
> 何が起こったのでしょうか?

この人、ちゃんと訊きたいことを訊いてるねぇ。エライ!!

> マハラジ
> マインドが出来事をつくり出すのをやめたのだ。

なるほど。

マインドの振り子が止まったんだ。

> 遙かなる昔からの絶え間ない探求が終焉したのだ。

魂の解体とでもいうのかしら。

> 私は何も望まず、何も期待せず……

うん。

> 何ひとつ私のものとして受け取らなかった。

ふーん。

どういうことなんだろうねぇ。(?_?)

> そこに闘おうとする「私」は残っていなかった。

ああ、“「私」のようなもの”は何も残っていなかったということかな。

> もうひとつ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。

オー! (@_@)

> 以前、私は多くのことに確信を持っていた。

うん。

> 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。

そうか……。

だから、もう誰に騙されることもないのか……。

あらゆる答えが、あらゆる確信が、マインドにすぎないことを知っているとい
うわけか。

そして、どんなマインドに対する自己同化も存在しないということか。

> だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。

うん。

> なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。

(;_;)

嬉しい……。

> 私が知らないと言うこと自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
> 知識なのだ。

何という確信!! 何という逆説!!

> 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。

(-||-)

> 「私は生まれた」という考えを例にとってみなさい。

うん。

> あなたはそれを真実だと受け取っているかもしれない。
> そうではないのだ。

(-_-)

> あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。

(-_-)

> 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。

(@_@)

> あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
> をまぬがれない者となる。

そういうわけだよ。(@_@)

> 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。

ふーん。

> よく見てみなさい。
> すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
> 在するのだ。

すべてマインドは、意識の大海のはかない波にすぎず……。(-_-)

> 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつの光が現れる。

うん? (@_@)

> 小さな点は急速に動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、
> 観念を描きだす。

その“小さな点”って、何?

> その描きだすインクが記憶だ。

ふーん。

> あなたはその小さな点であり、あなたの動きによって世界は常に再創造され
> ていくのだ。

ああ、そういうことか。

そう言えば昔、「自照点」ってことを考えたことがあったっけ……。(-_-;)

> 動くのを止めなさい。
> すると世界はなくなるだろう。

そうなんだ。

> 内側を見なさい。

(-_-)

> すると身体の中の広大な光の反映は、「私は在る」という感覚としての小さ
> な光の点だと見いだすだろう。

(-_-)

> ただ光だけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。

ふーん。

……。

今日は、こういう言葉を聴いたなぁ。

> 質問者
> あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?
>
> マハラジ
> 私はもはや騙されない。それだけだ。

わたしはマインドを超越しているということだ。

わたしが意識を支えているのであり、その意識がマインドを支えている。

そしてそのマインドが世界を支えている。

その逆ではない。

わたしはわたしが支える玩具箱の中の何ものも望まない。

わたしはわたしが支えるマインドの中のどんな知識も必要とはしない。

わたしはわたしが支えるマインドの中のどんな意味も必要とはしない。

(-_-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いいたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。


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■ 3.編集後記:雨ですねぇ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

雨ですねぇ。

まわりじゅうが雨に煙っている。

今日はもうじきこの山里から出かけるので、珍しく昼にこれを書いています。

だんだん、欲も得もなくなっていくのかしら。

それならそれで自然現象なのかもしれないし、結構なことだけど。

アセンションかぁ。

……そのまま、そのまま。

わたしの世界の意味は、わたしのなかにある。

地球さま、お世話になっています。

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
------------------------------------------------------------------

<(_ _)>

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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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