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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.126 2006/07/23(第126号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
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また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
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要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.変化するものは「実在」ではない

2.写経ニサルガダッタ: 実在とは表現不可能なもの

3.編集後記: 我が家のトムがボディを離れました。
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■ 1.変化するものは「実在」ではない
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遠景の靄の中に消えるように、いつものウルトラリアルの幻想世界が現前に広
がっています。

もうずいぶん見慣れた光景とも言えますが、こんな光景をいつか夢の中で思い
出すことがあるのでしょうか。

その時、懐かしさに胸締めつけられるようない思いを経験するのでしょうか。

それとも……あるいは、今こそがまさにその“夢の中で思い出している”瞬間
なのでしょうか。

……眼前に見えているこの世界が幻想世界なのだというアイディアには、ずい
ぶん慣れてきたような気もします。

慣れたからといって、だからどうなのだ、ということもありますが……。^^;

ただ、単なる言葉にもせよ、いったんそういうアイディアを知ってしまうと、
いわゆる“現実”は、その想念に応じた新しい“柔らかさ”を紡ぎ出すようで
もあります。

眼前に展開するこの世界がウルトラリアルの幻想世界、というアイディアに
単に思いを馳せるというのではない、ある意識の位相が微かに“にじみ出し”
てくるようでもあります。

この世界が虚偽だというのでもない、さりとて真実だというのでもない、ある
つかの間の“現実”なのだという、言葉にすればあまりにも当然の……。(-_-;)

(@_@)

おお。^^;

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

マインドは変化するもの、いつまでも同じ位置ではいられません。

変化そのものは、ごくごくわずかなんでしょうけど。

馬鹿のひとつ憶えのように「私は在る」を思い続けていると、この物理次元の
現実が、わずかに柔らかさを帯びてくるようでもあります。

アラン・ポーの「渦」ではありませんが、同じところをぐるぐる回っているよ
うでいながら、少しずつ、少しずつ、周辺から渦の中心に向かって引き寄せら
れているのかもしれません。

そうだと、いいけど。(^_-)

いわゆる物理次元、自分の眼前に展開するこの目に見える世界がウルトラリア
ルの幻想世界だという、精神世界オタクなら誰もが知っているこのアイディア
は、なかなか奥深い楽しみを我々に提供してくれるようです。

変転きわまりないこの“幻想世界”の中での唯一の「実在」は、この幻想世界
を存在させている<根拠>です。

それはこの千変万化する森羅万象の中にあってけっして変化することなく、そ
の“変化を映し出しているもの”です。

ところで、いま思い出したんですが、変化するものは「実在」ではないという
物言いには、はじめちょっと違和感がありました。

変化したって“実際に存在する”んだから、それは「実在」じゃないか、って
思ったんですよね。

でも今は、これはひとつの試金石みたいなもんじゃないか、って思っています。

“変化したって「実際に存在する」んだから、それは「実在」じゃないか”と
いうのは、別に“論理的”に破綻しているというわけじゃないんで、それでも
いいと思います。

それで、よければです。

だから、わたしは理屈人間なので、なんだかんだ理屈っぽいことを言いいます
が、これ、やっぱり「論理」じゃないんだろうな、とも思えてきました。^^;

物理次元の“現実”はわれわれの五感情報からして間違いなく「実際に現象」
してますから、その意味では「現実」だと思います。

別にそんなこと、わたしが今さら力瘤入れて騒がなくても、誰も問題にしてい
ないけどね。^^;

だから、物理次元の“現実”に対応して生きるのはごく“まとも”で“正常”
なことです。

それで、特に問題がなければ……。

物理次元の“現実”の真実性を疑いたくなるのは、物理次元の“現実”だけで
はどうにも収まらなくなるからなんですよね。

どうしても、それでは「嫌や!」だと思ってしまう。

物理次元の「世界」が提供できるどんなものも、自分が“本当に欲しい”状態
とは違うと思えてしまう。

そういう状態の人間にとってはじめて、物理次元の“現実”はじつは「幻想」
なんだ、というような情報が意味を持ち始めるんだろうと思います。

もう理屈じゃなく、それはそうでなくちゃならないし、そうに決まっていると
ア・プリオリ(先験的)に思えてしまうんですよね。

だから、これは、“論理的”な経緯ではなくて、きわめて“感情的”な経緯だ
と思います。

自分にとっては確固としたものに見えている物理次元の“現実”の真実性を、
真っ向から否定してくれる情報があるなら、なんであれ、とにかく手に入れた
くなっちゃうわけです。(*^_^*)

そうなって初めて、物理次元というのはいわばウルトラリアルの“映画”みた
いな幻想で、「実在」はその幻想を映し出している“スクリーン”の方なんだ
というような比喩が、それなりの意味を持って持ってくるんですよね。

もっと洗練された比喩もあるでしょうけど。

いつかご紹介したBASHARの「現実創造回路」なんかも、そんな比喩のひ
とつとも言えるかもしれません。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol112.html#1

いったん、そういう“比喩”をひとつの可能性として受け入れてみると、今度
はそれだけで、なにか新しい風景が開けてくるわけです。

変化するもの、現象するものはすべて「幻影」であり、その幻影の中に安住の
地など見つかりっこないのだ……、ということが、なんだかそれまでとは違っ
たリアルなメッセージとして聞こえてくる。(-_-;)

なるほど、そりゃそうだわ……、と思われてくる。

現象世界のうちの何が正しくて、何が間違っているということじゃないわけで
すよね。

多次元の大宇宙の中には、それこそ無限の“意識の位置”があるわけでしょう。

そのどれが正しくて、どれが間違っているなんて、そんな中途半端なことを言
ってみても始まらない。

それらはすべて、千変万化する森羅万象の中の“意識の位置”にすぎない。

そうだとしたら、宇宙の中に存在を許されているそれらの“意識の位置”は、
すべて、この「わたしと同じように」“正しい”わけでしょう。(^_-)

森羅万象すべてが、必然性があって大宇宙の中に存在しているように、それら
森羅万象のそれぞれの一隅に対応している“意識の位置”は、それぞれ申し分
のない“正しさ”を担って存在しているはずです。

だから“正しさ”は、存在する万人、万物に保証されている。

しかし、千変万化する森羅万象の中で申し分のない“正当性”が保証されてい
るからと言って、だからといってその個々の“意識の位置”が、千変万化する
森羅万象の中に絶対の安住の地を得られるわけではない。

だって個々の“意識の位置”は、あくまでも千変万化する森羅万象の中での、
変転きわまりない状況に対応する“意識の位置”であるわけですから。

そう思ってみると初めて、“現象世界は幻影”だという言葉のリアリティがに
じみ出してくる。(-_-;)

「世界」は“幻影”、つまり“頼むに当たらない”ということです。

それが“仮の姿”であろうがなかろうが、“顕現”しているということ自体が
それが変化の相である証であり、変化の相であるかぎり“頼むに足りない”と
いうわけです。

じっさい考えてみれば、こんなにわかりやすいことはありません。

しかし、だからといって、このことは「論理」でないでしょう。

「世界」が自分に提供してくれるどんなものも、自分が本当に“欲しいもの”
とは違う、ということが感情的に納得がいってからでなければ、意味を持って
こない「論理」だと思います。

“変化の相”の中に安らぐことはできないのです。

“変化の相”の中で安らぐことができたとしたら、それはその“変化の相”に
まったく依拠していない、ということにほかなりません。

つまり、その“変化の相”の背景にある“まったく変化しないもの”に依拠し
ているか、あるいは自分がそれであることを知っているからでしょう。

目に見える「世界」が“幻”であるとは、そういう意味ではないかと思われて
きました。

そして、そう思ってみると、これは、不思議でも何でもない、なんともあっけ
らかんとした、当たり前のことだと思えます。

眼前に展開するこの目に見える「世界」は“幻”です。

頼むには足りません。

頼みにはならないわけです。

なぜか?

単純です、変化するから。(*^_^*)

「世界」はつねにつかの間の、仮の姿でしかないから。

あはは、こんな簡単な話ってないでしょ。(^^)/

じゃ、この変化する「現象世界」の中で、その「現象世界」が提供できないも
のを求める「わたし」とは何者か?

たぶん、これも単純で、その者は、この「現象世界」の中から生まれた者では
ないでしょう。

だって、この「現象世界」の中から生まれた者が、この「現象世界」が提供で
きないものを求めるなんてことを思いつけるはずがないから。(*^_^*)

つねに一時的な姿でしかない「現象世界」の中で、“つかの間”ではない安心
を求めるなんて、自身が“つかの間”ではない永遠の存在しかありえないから。

あはは、この「論理」はちょっと気取りすぎ? ^^;

その者は、この「現象世界」という幻影の中に彷徨い込んで、そこで目覚める
というゲームを意図したゲームプレーヤでしょう。

そのゲームはあまりにもうまくできていて、多次元構造を内蔵した永遠の自動
機械。

應無所住而生其心

オウムショジュウニショウゴシン

まさにじゅうするところのうして、しかもそのこころをしょうずべし

何に依拠することもなく、誰が意図するのでもなく、しかも永遠に止まること
はない。

だからその舞台から降りても、誰も困らない……。

「世界」は永遠の回転木馬。

今日は、こんなところで。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ: 実在とは表現不可能なもの
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて、ニサルガダッタ師匠からの写経です。

気持ちが良くて、憧れるに足る、絶対的な自己存在の姿をちょっと覗いてみた
いですよね。

とにかく、滅茶苦茶に気持ちがいい、想像しうるかぎり最高に望ましい状態。

つまり、本来はそれこそが自分の姿だと自分が知っている状態。

そんな状態をニサルガ師匠の言葉で語って欲しいです。

あんまり気持ちがいい状態なので、わたしが途中で茶々を入れたりしたらみな
さんじつは気分を害されるだろうと思うんです。

だから今回は、写経の箇所をすべて通しで最初に掲載しておきます。

それで充分でしょうから、もう満腹という方は、そこだけを読んであとは飛ば
してください。

もう充分だけど、まあ、pariちゃんが何を言うのか聴いてやってもいいよ、と
いう方は、そのあとを読んでくださってもいいけど、別に何も書いてないかも
です。^^;

写経してみて、なんだかわからんなりに、すべてわかるような気もするから、
それも不思議ですね。

「自己」ってそれくらい絶対的な、盤石の存在みたい。

ウレチイ。(←なんちゃって。(*^_^*) )

では、【42 実在とは表現不可能なもの】からです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 どのようにして高次の純粋な観照状態のなかに確立するのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 意識はそれ自体では輝かない。
 それは背後にある光によって輝くのだ。
 意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
 の光を見いだしなさい。
 そこには意識の内容とその気づきがある。
 
 質問者 私は知っています。そして知っているということを知っています。
 
 マハラジ
 二つ目の知識が無条件で永遠のものなら、そのとおりだ。
 知られるものは忘れてしまいなさい。
 しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。
 いつまでも体験に浸っていてはいけない。
 あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
 きなさい。
 それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
 するだろう。
 
 質問者 人はどの時点で実在を体験するのでしょうか?
 
 マハラジ
 体験とは変化するものだ。
 それは来ては去っていく。
 実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。
 それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。
 もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
 ないだろう。
 なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。
 それは期待されることではなく、気づくことだ。
 予想して準備することではない。
 だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。
 あなたにできることは、核心を理解することだ。
 実在は出来事ではなく、起こることでもない。
 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体
 験として見なさい。
 そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。
 そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
 出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
 ない。
 しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
 下ろしたことになるのだ。
 
 質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
     ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?
 
 マハラジ
 行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
 実在の表現といったものはない。
 あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
 実在だけが在る。
 ほかには何もない。
 目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらの中にはい
 ない。
 私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
 しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
 グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
 食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
 くように、すべては起こる。
 すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
 それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
 それは私の場合も同様だ。
 すべては必要にしたがって起こる。
 しかも、何も起こってはいないのだ。
 私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
 自体は架空のものだと知っているのだ。
 
 質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
     来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
     けるのでしょう?
 
 マハラジ
 何ひとつ私によっては為されない。
 すべてはただ起こるのだ。
 私は期待しないし、計画も立てない。
 ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
 それらが非現実だと知りながら――。
 
 質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 いつものように三つの状態は交替する。
 そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
 それらはただ起こる。
 私には何も起こらないのだ。
 そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在――意識――至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。
 いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
 いのだ。
 
 質問者 それでも、あなたは意識しています!
 
 マハラジ
 そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
 そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
 できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
 私はほとんど気がつかないほどだ。
 
 質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うこと
     ではこの状態はやってきません。
 
 マハラジ
 やってくるということはない。
 それはつねにそうだったのだ。
 発見はあった。
 そして、それは突然のものだった。
 誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
 発見したのだ。
 
 質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らし
     たのでしょうか? あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的
     なものでしょうか?
 
 マハラジ
 絶対的に揺るぎのないものだ。
 私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
 ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
 子供は子宮のなかに戻りはしない! 
 それはシンプルな状態だ。
 極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
 それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
 
 質問者 それへの道はあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
 ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
 壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
 何も私を煩わさない。
 問題が起こっても私は抵抗しない。
 それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
 あなたの側には、とても多くの問題がある。
 私の側にはまったく問題がない。
 私の側に来なさい。
 あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
 何であれ起こることは起こるだろう。
 必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
 誠実さが要なのだ。
 
 質問者 私にできるでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなたには彼岸に渡る充分な能力がある。ただ、誠実でありなさい。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p208-210)
 http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-)

もう充分だと思うけど、二番煎じまで飲もうという趣味の方はどうぞ。

> 質問者 どのようにして高次の純粋な観照状態のなかに確立するのでしょう
>     か?

この質問は、とってもいいですね。

> マハラジ
> 意識はそれ自体では輝かない。
> それは背後にある光によって輝くのだ。

マハラジの言葉遣いでは、「意識」というのはマインドのコンテンツをいうみ
たいでしたよね。

そしてそれを浮かび上がらせるのが「光」でした。

水蒸気(「意識」)がそこにあって、それに太陽の「光」が注ぐと、その水蒸
気が虹(「世界」)として浮かび上がるみたいな感じでしょうか。

> 意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
> の光を見いだしなさい。
> そこには意識の内容とその気づきがある。

何が「世界」を浮かび上がらせているのか……?

> 質問者 私は知っています。そして知っているということを知っています。

知る者が、「世界」を浮かび上がらせているということかな?

> マハラジ
> 二つ目の知識が無条件で永遠のものなら、そのとおりだ。

もし、そうなら“純粋な観照状態のなかに確立”しているということ?

> 知られるものは忘れてしまいなさい。

はい。

> しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。

うん。

> いつまでも体験に浸っていてはいけない。

^^;;;

> あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
> きなさい。

ああ、それでいいわけか……。

> それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
> するだろう。

なるほど。

> 質問者 人はどの時点で実在を体験するのでしょうか?

そういうこと、訊きたくなる、たしかに。

> マハラジ
> 体験とは変化するものだ。
> それは来ては去っていく。

うん。

> 実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。

そう。

> それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。

そうかぁ。

> もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
> ないだろう。

あ、なるほど。(@_@)

そういう理屈だわ。

> なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。

わった。

> それは期待されることではなく、気づくことだ。

そういうわけだ。

> 予想して準備することではない。

ああ……。

> だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。

なるほど。

探求者と、探求される者は同じだということ。

自ら幻影の「世界」に彷徨い込んだ目覚めのゲームのプレイヤー。

> あなたにできることは、核心を理解することだ。

はい。

> 実在は出来事ではなく、起こることでもない。

わってる。

> 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。

ああ……。

> 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体
> 験として見なさい。

(-_-;)

> そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。

そうか。

> そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。

そうか。

> 出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
> ない。

うん。(-_-)

> しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
> 下ろしたことになるのだ。

ああ、なるほど。

親切だなぁ……。

> 質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
>     ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?

この人、訊き方上手いよ。

> マハラジ
> 行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。

ほら、こういう明確な言葉を引きだした。

> 実在の表現といったものはない。

単純明快。

> あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。

うん。

> 実在だけが在る。

そうかぁ。(-_-)

> ほかには何もない。

(;_;)

> 目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらの中にはい
> ない。

これは不思議な言い方。(-_-;)

> 私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
> しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。

ふーん。

> グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
> 食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
> くように、すべては起こる。
> すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。

うん。

> それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。

ああ。

> それは私の場合も同様だ。

なるほど。

> すべては必要にしたがって起こる。

うん。

> しかも、何も起こってはいないのだ。

(;_;)

> 私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
> 自体は架空のものだと知っているのだ。

やっぱり、安心ってそのことだよね。うん。(-_-;)

> 質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
>     来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
>     けるのでしょう?

おお。

> マハラジ
> 何ひとつ私によっては為されない。
> すべてはただ起こるのだ。

ここが、マインドの手の届かないところだよな。

> 私は期待しないし、計画も立てない。
> ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
> それらが非現実だと知りながら――。

なるほど。その位置、そのスタンスか。

> 質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
>     でしょうか?

それも、訊いておきたい。

> マハラジ
> いつものように三つの状態は交替する。
> そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。

うん。ここが狙い目だな。

> それらはただ起こる。
> 私には何も起こらないのだ。

その位置。

> そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊(かたまり)
> の純粋な存在―意識―至福がある。

うん。

> 私はつねにそのなかに在る。

そこ。

> いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
> いのだ。

そうか。

> 質問者 それでも、あなたは意識しています!

うん。

> マハラジ
> そうとも言えるし、またそうでないとも言える。

(@_@)

へー。

> そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。

(;_;)

> できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。

ああ、なるほど。

> 私はほとんど気がつかないほどだ。

そうか……、問題にする必要がないんだ。

> 質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うこと
>     ではこの状態はやってきません。

たしかに。

> マハラジ
> やってくるということはない。

そう。

> それはつねにそうだったのだ。

そうだ。それが「私は在る」だもの。(←なんちゃって。(*^_^*) )

> 発見はあった。

うん。

> そして、それは突然のものだった。

これが、シフト。

> 誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
> 発見したのだ。

そうか。

> 質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らし
>     たのでしょうか? あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的
>     なものでしょうか?

駄目押しだよね。

> マハラジ
> 絶対的に揺るぎのないものだ。

(;_;)

> 私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。

ウレチイ。

> ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
> 子供は子宮のなかに戻りはしない! 

おお!

> それはシンプルな状態だ。

そうなんだ。

> 極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。

『信心銘』の僧サンもこういう言い方をしたよなぁ。

なにか、そういう表現が出てくる必然性があるんだろう。

> それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。

こういう言い方も共通している。

> 質問者 それへの道はあるのでしょうか?

うん、訊きたいところ。

> マハラジ
> もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。

(;_;)

> ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
> 壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。

おお!! (@_@)

これ、これ!!

下根のマインド人間には、これっきゃない。

> 何も私を煩わさない。

うん。

> 問題が起こっても私は抵抗しない。

(@_@)

> それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。

……なるほど。(-_-;)

> あなたの側には、とても多くの問題がある。

うん。

> 私の側にはまったく問題がない。

そう。

> 私の側に来なさい。

行く。

> あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。

なるほど。

> 何であれ起こることは起こるだろう。

うん。

> 必要なのは、誠実な関心を持つことだ。

う。

> 誠実さが要なのだ。

(;_;)

> 質問者 私にできるでしょうか?

そう。

> マハラジ
> もちろんだ。

そう。

> あなたには彼岸に渡る充分な能力がある。

(;_;)

> ただ、誠実でありなさい。

<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いいたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。


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■ 3.編集後記: 我が家のトムがボディを離れました。
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我が家のトムがボディを離れました。

享年十七歳くらいだったか……、とにかく驚くほど賢い猫でした。

犬はその間に二交替したけど、その二匹の犬とつかず離れずの関係を維持して
いました。

我が家の犬はみんななりが大きくてバカっぽかったので、いつも大きな子供に
小さな大人というふうでした。

我が家で瞑想家は彼ひとりでした。

いつもサンデッキの片隅で、じっとまわりの風景を眺めていました。

家に入りたくなると、ガラス戸に近づいてきて、居ずまいを正して黙って待っ
ていました。

待っていてもこちらが気が付かないと、外からガラス戸をノックしました。

いえ、ほんとなの。(^^;)

右手を震わせるようにして、ブルルルという感じでノックするんです。

われわれの食事の時も、興味があるとベンチ椅子の横に来て座って、自分の存
在をアピールする意味で食卓を右手でノックしました。

我が家にお客さんがあって話し込んでいると、たいていいつの間にかその方の
膝の上にきて座っていました。

人間のなかに溶け込むのが絶妙に上手い猫でした。

昔、藤沢に住んでいた頃は、近所に我々が秘かに“トムの妾宅”(失礼<(_ _)>)
と呼んでいた家があって、そこでは我が家以上に可愛がられていたようです。

そこの奥様から「トムちゃんは慶應ボーイだから」言われるくらいの美男の
アビシニアンでした。^^;

とても猫好きの奥様で、どうやら一度ネズミを捕って我が家で顰蹙を買って以
来、それ以降はすべて褒めていただける妾宅様のところへ持っていっていたら
しいです。

晩年のあり方も、じつになんというか自分の居場所をよく心得ていて。(;_;)

最期は本当に人間みたいな形で、ゆっくりと息を引き取りました。

亡骸は地球さんの懐の中、二匹の犬のアトとモモの間に戻してやりました。

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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