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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.128 2006/08/06(第128号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
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また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
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これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
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要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

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◇◇ もくじ ◇◇

1.「構造」内部の“お話”

2.写経ニサルガダッタ: 苦痛と快楽の彼方に至福がある

3.編集後記: 「男はつらいよ ハイビスカスの花」
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■ 1.「構造」内部の“お話”
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夏らしい夏がやってきました。^^;;;

遠く下の方から子どもたちの川遊びの声が聞こえてきます。

夏という季節は、なぜか子供の頃を思い出させますよね。

やっぱり、夏休みの記憶なのでしょうか。

子供の頃の時間と言ったら、その多くは学校の教室で過ごしているはずだけど、
そんなことを思い出すことはまずありません。

普段とはまったく違う新鮮な体験の記憶が甦ってくるのだと思います。

子供の頃そんなに川遊びをしたわけでもないのに、夏の記憶はなぜかやはり水
に関係しているような気がする。

暑い日差し、草いきれ、木陰の暗さ、ひんやりする水辺、冷たい水……。

……月並みだけど、そんな記憶が甦るということ自体が、幸せな子供時代を過
ごしたことの証なのかもしれません。

記憶はすべてを美化するのか、それともまだ本当のマインドの不幸は始まって
いなかったのか……。

中原中也ではありませんが……、

「汚れちまった悲しみに……」なんて思ってしまいますね。^^;

あ、気取りすぎ? (*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

……さて今回、また勝手な筆の勢いに任せて、どんな言いたい放題を書こうか
とも思ったのですが……。^^;

じつは、ハイアーセルフ33さんからちょっとメールをいただいていまして。

前回いただいたメールに関連してわたしが書いたことについて、再度ご質問と
いうか、コメントをいただいたんですよね。^^;

わたしは、いつも勝手な言いたい放題を書いているだけなので、そういうもの
として許していただければ、それでありがたいんですが……。

でも、はるさんは、もう少し詰めておきたいという感じらしいんです。

まあ、お気持ちがわからないこともないんだけど。^^;

でも、わたしはあまり気は進まないんですけどね。

はるさんの考えは間違っている、とでも思っているならともかく、そんなこと
ぜんぜん思っていないわけですから。

それに、議論するとか、説得するというエネルギーがわきません。

基本的に、わたしのエネルギーは、言いたい放題を言う、というだけのことで
すから。

でも、はるさんのご質問を、まったく無視してすっぽかしてしまう、というの
もちょっとねぇ。

それで、ちょっと考えたんですけど、何かご返事をするとしたら、それなりに
意を尽くして書くしかないだろうな、と思いました。

それで時間のこともあるので、今回は最初にそのご返事を書こうと思います。

では早速、ハイアーセルフ33さんのメールからご紹介しますね。

----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 前回の私が投稿した内容にたいして、パリさんからお返事をいただきました。
 それにたいして再返答いたします。とても大切な部分だと思うので。
 
 (HS33)
 > 124号のこのメルマガで「神とひとつになること」をパリさんは引用し
 > ていました。その中で
 > 
 > 「いずれにしても、ひとは人生で起こる出来事や経験の意味を知ろうとす
 > る。だが、じつはどんなものにもまったく意味はない。人生の出会いや経
 > 験に隠された本質的な真実などない。」
 > 
 > とありました。ところで、ここで言っている「すべてのものには意味がな
 > い」とか、「人生の出会いや経験に隠された本質的な真実などない」とい
 > うのは、「個々の状況には、もともと持っている特定の意味(真実)はない」
 > ということであり、「生じる状況がなぜ生じているのかの理由、目的がな
 > い」ということではないですよね? 
 
 >(パリさん)
 > はるさん(HS33)は、
 > ……「生じる状況がなぜ生じているのかの理由、目的がない」ということ
 > ではないですよね? とおっしゃる。
 > 
 > たしかに、“あらゆる状況はニュートラル”だけれども、それはそのとき
 > その状況がその人に生じている聖なる理由、聖なる目的がない、というこ
 > とではないですよね? ということだと思います。

 (HS33)
 はい、私はそういう意味で言っています。それにたいして前回のパリさんの
 ご発言では、
 
 > ただわたしが引用した箇所の文脈(最下の記載)から意味を取るかぎり…
 > …、そこでの意味は、まさに「生じる状況がなぜ生じているのかの理由、
 > 目的がない」という意味だと思います。
 
 ということでした。つまり「神対」の神が
 
 > 「いずれにしても、ひとは人生で起こる出来事や経験の意味を知ろうとす
 > る。だが、じつはどんなものにもまったく意味はない。人生の出会いや経
 > 験に隠された本質的な真実などない。・・・・・(以下省略・最下参照)」
 
 といっている真の意味とは、パリさんの解釈によれば、
 
 > つまり、「生じる状況がなぜ生じているのかの理由、目的」というのは、
 > むろん、あると言えばあるのだと思います。
 > ただ、それはその時点にその状況にいる人が感じているその意味、目的で
 > あり、「それ以外のどんな隠された意味も、聖なる目的もない」
 
 ということでした。
 
 しかしそうすると、これまで多くのチャネリング(ニューエイジ)の主張で
 もあり、当の神対の神もいっているように
 
 ・・・・宇宙や肉体は、魂が叡智を蓄えるといった明確な目的で創造され存
 在しているし、そこにある事象の摂理も、そのための目的にピッタリ合うよ
 うに意図的に設定されている・・・
 
 ということが「ある状況」の「背後にはない」ということになってしまいそ
 うですが、そういう意味と理解しているのですか?
 
 つまり神のいう、「じつはどんなものにもまったく意味はない。人生の出会
 いや経験に隠された本質的な真実などない。」ということは、そこまで言っ
 ているのだということですか?
 
 ラムサや神対の神やニューエイジでいっているのは、状況の背景にある基盤
 となるものがあってこそ、そこから状況が生じてくる(惹起されてくる)、
 そして維持されているということだと考えます。
 
 そしてそれは、魂の叡智のため、本当の自分になるため、という明確な目的
 のために設定されているのだということです。
 
 ただしこれは「ある状況にたいする特定の意味づけ」ではありません。
 しかし、「ある状況が生じる理由、目的」にはなっているのではありません
 か?
 
 バシャールや神対の神などが否定するのは、前者であって後者ではないと考
 えます。
 
 そうするとおのずと「生じる状況」の背後に、そうした「聖なる目的」(神
 対の神のいう)があることになりませんか?
 
 あらためていかがですか?
 
 上のパリさんのお言葉の関連からいえば・・・、
 
 まさに、「その時点に、その状況にいる人が感じている(あるいは定義づけ
 する)その意味、目的」が可能とされるのは、以下で神対の神のいう「真の
 自分を創造し経験するため」であり、ラムサのいう「感情をつうじて魂が叡
 智を獲得するため」ということになります。
 
 ●私は生命だ。生命はわたしだから、生命のすべての面に聖なる目的がある。
 どんなものにも神が理解し肯定した理由がある。(神との対話1巻P86)
 
 ●個々の出来事や冒険は、真の自分を創造し経験するために、あなた自身に
 よって呼び寄せられたものだ。(神との対話1巻P75)
 
 ●物質でできたこの楽園にあるすべては、この驚くべき創造性の旅に参加す
 る者たちの魂の内面に、単に感情を引き起こすためだけの目的で創造され
 たのである。
 なぜなのか?それは生きることにおいて、最も重要な宝物である「叡智」
 というものを獲得するためだ。(ラムサホワイトブックP137改訂新版)
 
 (以下引用・・・「神との対話」シリーズの「神とひとつになること)より)
 **********************
  永遠への旅を続け、<マスター>への道を歩いているとき、あなたは人生
 のさまざまな環境や状況、展開に出会う。そのなかには歓迎したくないもの
 もあるだろう。
  そういうとき、ほとんどのひとはいちばんしてはならないこと、つまり、
 これはどういう意味なのかを知ろうとする。
  何かが起こるには理由があるはずだと考え、理由を探ろうとするひとがい
 る。ものごとは何かの「しるし」だと言うひともいる。そこで、何のしるし
 だろうかと知りたがる。
 いずれにしても、ひとは人生で起こる出来事とや経験の意味を知ろうとする。
 だが、じつはどんなものにもまったく意味はない。人生の出会いや経験に隠
 された本質的な真実などない。
 誰が事実を隠すというのか? なぜ隠すのか?
 もし、あなたがたに真実を見つけさせたいのなら、隠すより明らかにして
 おいたほうが効果的ではないか? もし、神に言いたいことがあるなら、あ
 なたがたに謎解きをさせるより、はっきり言うほうがずっと簡単ではないか?
 (それに、ずっと親切ではないか?)
 じつは、どんなものにも意味はない。あなたが与える意味以外には。
 人生には(life:生命には)意味はない。
 多くの人間は受け入れがたいと思うだろうが、これはわたしの最大の贈り物
 だ。
 人生(life:生命)が無意味だから、あなたがどんな意味でも決定すること
 ができる。
 その決定によって、あなたがたは人生のさまざまなもの、あらゆるものとの
 関係を自分で定義する。
 
                  『神とひとつになること』(P193-195) 
               https://www.ascensionkan.com/books/cwg-5.html
 
 Love and Peace ハイアーセルフ33
 ******************************************
 〜日常に精神世界の情報を生かしてゆくための〜
    スピリチュアル・メッセージ活用研究会
  H P :http://homepage2.nifty.com/haruhi33/
 Eメール:haruhi33@nifty.com
 *******************************************
----------------------------------------------------------------------

ハイアーセルフ33さん、おっしゃることよく分かりました。

そして、どうお答えしようかなぁ、と思ってしまうのも前回と同じです。^^;

というのも、はるさんは「とても大切な部分だと思う」とおっしゃっているし、
わたしは今自分が、自分の現在の意識の位置と気分でどう答えるかなどを、あ
まり大切なことだなどとは思っていないからです。

単なるわたしの現在の連想野での反響にすぎませんから。

それと、はるさんは、どちらか(の解釈)が“正しい”と思っていらっしゃる
うようなのに対して、わたしは例によって、誰のどの解釈も“正しい”と思っ
ているからです。

だから、議論するとか説得するというような気分がまったく起こらないので、
本当は、はるさんが思っていらっしゃる通りでいいんですけど……、というこ
となのですが、たぶん、それでははるさんに失礼かな、という気もします。

それで、前回と同じように、わたしの現在の連想野では、こんな感じがします
けど……、ということをお答えすることになるんですが……。

そうですねぇ。

はるさんのコメントを読んで、たまたま現在わたしが自己同化しているマイン
ドが受ける感じは、「理由」「目的」「意味」というような意識内容の根拠を
“自分”の外に置きたい、といったようなエネルギーです。

別の言い方をすれば、“自分”が知らないような、偉大な、聖なる「構造」の
なかで、“自分”の存在の「理由」や「目的」や「意味」が保証されていると
思いたい、というようなエネルギーです。

まあ、通常「希望」という言葉で代表されるようなエネルギーです。

もちろん、わたしのこの感じ、この解釈は、間違っているかもしれませんよ。

そして、いずれにしろ、誰の解釈も、誰の理解も、“正しい”と思っているん
ですけどね。

わたしがよく使うアナロジーでは、<生>に対する“赤ん坊”の観点、「幼年」
の観点、「少年」の観点、「青年」の観点、「壮年」の観点、「老年」の観点、
“瀕死の老人”の観点の中で、どの観点が“正解”とか“正しい”とかいうも
のではないだろう、ということです。

ただ、年齢による、あるいはこの世での生活時間の長さや肉体の疲労度などに
よる、自ずからなる違いがあるだろう、というだけのことです。

スピリチュアル・メッセージというものの対象、いわゆる「魂」に関して言え
ば、ある“構造”の中では「魂」には“年齢”に相当するものがあるような言
い方もありますし、そういうものはない、というような言い方もあります。

ただ、本質的な意味でいわゆる「魂」に“年齢”はないにしても、それぞれの
「魂」がフォーカスしている観点には、ある“スコープ”のようなものはある
だろうと思います。

つまり、個々の「魂」の観点には、一種の“包含関係”みたいなものがあるだ
ろう、というようなことです。

しかし、“包含関係”は、“正しい”“正しくない”とは別のことです。

ただ……、“包含関係”は、マインドの世界からノーマインドの世界に橋を架
ける場合に、なんか使い道がありそうな気はしていますけどね。

(@_@)

あ、すぐ独り言に入ってしまって……。^^;

それで、はるさんの今回のコメントの主旨は、以下の部分に表明されているか
もしれませんね。

> ……、パリさんの解釈によれば、
> 
> > つまり、「生じる状況がなぜ生じているのかの理由、目的」というのは、
> > むろん、あると言えばあるのだと思います。
> > ただ、それはその時点にその状況にいる人が感じているその意味、目的で
> > あり、「それ以外のどんな隠された意味も、聖なる目的もない」
> 
> ということでした。
> 
> しかしそうすると、これまで多くのチャネリング(ニューエイジ)の主張で
> もあり、当の神対の神もいっているように
> 
> ・・・・宇宙や肉体は、魂が叡智を蓄えるといった明確な目的で創造され存
> 在しているし、そこにある事象の摂理も、そのための目的にピッタリ合うよ
> うに意図的に設定されている・・・
> 
> ということが「ある状況」の「背後にはない」ということになってしまいそ
> うですが、そういう意味と理解しているのですか?

このご質問、いかにも「イエス」か「ノー」で簡単に答えられそうなんですけ
ど、たぶん、「イエス」と答えても「ノー」と答えても、わたしの連想野で起
こっていることを、はるさんの連想野に伝達することは、なかなか難しいこと
だろうと想像します。^^;

なにしろ、お互いに、とうぜん連想野がまったく違うわけですから。

たとえば、はるさんの引用部分に
> 宇宙や肉体は、魂が叡智を蓄えるといった明確な目的で創造され存在してい
> る
という言葉があります。

こういう言葉は、そういうメッセージを聞きたい方、そういうマインドにフォ
ーカスしている方にとっては、じつに“旬”なメッセージだと思います。

やっぱりそうか、人生には、生きる意味があるんだ。

われわれが知っている範囲をはるかに超えた偉大な聖なる秩序があるんだ。

宇宙は「混沌(=カオス)」なんかじゃなくて、コスモスなんだ、と思うこと
ができますし、それはじっさい、そのとおりなわけですから。^^;

赤ん坊が「この世」に“生まれて”きたとき、その子は、その子を待ち受けて
いる「この世」の構造を具体的に“知っている”わけではありません。

だから、その子が小学校に上がろうとするときに、もしお母さんに、

「あなたはまだ知らないけれど、これから行く小学校の先に、中学とか、高校
 とか、大学とか、大人になるまでに、まだいろいろあるのよ。
 だからお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいに、あなたも一生懸命に勉強しなくち
 ゃね」

と、言われたら、たぶん、その子は一生懸命頑張るだろうと思います。^^;

それで、その結果どうなるか?

その路線を一生歩み続けることができるなら、それはそれで何も問題はないと
も言えます。

でも、どうしてもそれだけでは収まらない、という方もいるかもしれない。

そういう方の場合は、どうなるか?

もしかしたら、人生は見かけのこれだけではないはずだ、と思って“精神世界
オタク”になるかもしれません。(*^_^*)

でも、ご存知のように、“精神世界オタク”になったからと言って、話は簡単
にはすみませんよね。

なぜなら、今度は宇宙規模で、“お母さん”のような愛情溢れたエンティティ
たちがたくさん現れるからです。

この世のお母さんが言ったことが、必ずしも、けっして“嘘”とは言えなかっ
たように、ましてや、宇宙的“エンティティ”たちがおっしゃることも、けっ
して“嘘”とは言えないでしょう。

それどころか、お母さんの言ったことに比べれば、はるかに深遠で、包括的で、
かつ具体的な“叡智”に溢れているかもしれません……。

だから、そういう意味では、むろん

> ・・・・宇宙や肉体は、魂が叡智を蓄えるといった明確な目的で創造され存
> 在しているし、そこにある事象の摂理も、そのための目的にピッタリ合うよ
> うに意図的に設定されている・・・

と言ってもいいわけです。

特に、反対するようなことは何もありません。

だから、このメッセージが本当に“自分”にとってピッタリなら、それこそが
求めていたメッセージだと思われるなら、もしそうなら、このメッセージに込
められた愛と真実を全身で受け止められたらいいと思います。

というわけなので……、

> ということが「ある状況」の「背後にはない」ということになってしまいそ
> うですが、そういう意味と理解しているのですか?

と、こう訊かれた場合は、どうお答えしたらいいでしょう?

わたし(がたまたま現在フォーカスしているマインド)も、

> ・・・・宇宙や肉体は、魂が叡智を蓄えるといった明確な目的で創造され存
> 在しているし、そこにある事象の摂理も、そのための目的にピッタリ合うよ
> うに意図的に設定されている・・・

ということを疑っていないので、その意味では、「ある状況」の「背後には」
“摂理”も“意図的な設定”もあると思っています。

……。

ただ……、それはどこまでも「構造」内部の“お話”だ、ということなんです
けどね。^^;

(あるいは、端的に“マインドの中のこと”と言ってもいいですが。)

そして……。

いったん「構造」が出てきたら、もう「構造」の内部には“位置”もあれば、
“文脈”もある、ということになるだろうと思います。

“位置”や“文脈”が出てくれば、必然的に「意味」や「目的」、「原因」や
「理由」が生まれてくるでしょう。

ましてやその「構造」が、“階層構造”とか“次元構造”とかいうことになれ
ば、そこに「進歩」や「進化」が発生して、“欲望”と“挫折”、“快楽”と
“苦痛”の一大パノラマが展開する、ということになるだろうと思います。

「物語」と「歴史」、つまりマインドの「世界」が一族郎党を引き連れて立ち
現れる、ということになるような気がします。

……。

ま、こんなこと↑を言っているのも、マインドなんですけどね。^^;

(「構造」という言葉がわたしの連想野で持っている意味合いについては、よ
 ろしければ「WHAT:何か?」などを見ていただければありがたいです。
 https://www.ascensionkan.com/work/05isos_06WHAT.html )

……つまり、何と言うかなぁ、精神世界に浸るわたしが最初に拘(こだわ)っ
た出発点が、「物語」や「歴史」というような「構造」に“意味”をたらい回
しされるのは嫌だ、ということだったんです。

これは、わたしの個人的な事情と言ってもいいです。

ある程度の、普遍性はあるのかもしれませんが。

で、前にもこんなことを書いたんですが……、^^;

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 わたし、昔、結構“すねていた”ことがあるんです。(*^_^*)
 
 でね、そのときわたしはこう思いました。
 
 昔、お釈迦さんという人が悟って、そのお釈迦さんが悟ったことによって、
 “山川草木、悉皆成仏”したそうだ、と。
 
 なるほど、お釈迦さんは、悟ったかもしれない。
 悟ったことによって、お釈迦さんは、あらゆる“苦”から脱出したのかもし
 れない。
 
 そのとき、お釈迦さんが悟ったことを知って感涙にむせんだ“山川草木”が、
 すべて成仏したということも、ありうるのかもしれない。
 
 しかし、今自分は、悟っていない。(今だって、悟ってないけど。(*^_^*))
 
 今自分が悟っていなくて、悩みに悩んでいるというこのこと、この瞬間を、
 別の誰が、いつ、どうやって、補償できるというのだ。
 
 今自分が体験し、感じている人生を、その不毛を、無意味さを、恐怖を、他
 の誰が、どこで、どうやって、補償できるというのだ。
 
 この今の瞬間の、不毛感、無意味さは、どうやったって、取り返しがつかな
 いじゃないか。
 
 人生の意味とは、自分が、今、ここで、支えている“意味”以外にあるはず
 がない……、と。
 
 https://www.ascensionkan.com/mm/vol003.html
----------------------------------------------------------------------

まあ、わたしの論理性はそういうふうに働いた、ということです。^^;

そして、わたしの感情体もそのような波動に共振していたわけです。

だからこそ、『神対』の神さまの

----------------------------------------------------------------------
 だが、じつはどんなものにもまったく意味はない。人生の出会いや経験に隠
 された本質的な真実などない。
 誰が事実を隠すというのか? なぜ隠すのか?
 もし、あなたがたに真実を見つけさせたいのなら、隠すより明らかにしてお
 いたほうが効果的ではないか? もし、神に言いたいことがあるなら、あな
 たがたに謎解きをさせるより、はっきり言うほうがずっと簡単ではないか?
 (それに、ずっと親切ではないか?)
 じつは、どんなものにも意味はない。あなたが与える意味以外には。
 人生には(life:生命には)意味はない。
 多くの人間は受け入れがたいと思うだろうが、これはわたしの最大の贈り物
 だ。
 人生(life:生命)が無意味だから、あなたがどんな意味でも決定すること
 ができる。
 その決定によって、あなたがたは人生のさまざまなもの、あらゆるものとの
 関係を自分で定義する。
 
                  『神とひとつになること』(P193-195) 
               https://www.ascensionkan.com/books/cwg-5.html
----------------------------------------------------------------------

というようなタイプの言葉が大きな解放感になったのだと思います。

また、だからこそ、ニサルガダッタが

          <時間がかかるものは非存在だ>

というようなことを言うのを聞くと、思わず嬉しくなってしまうわけです。(^O^)

それは、ハイアーセルフ33さんが、

> ●私は生命だ。生命はわたしだから、生命のすべての面に聖なる目的がある。
> どんなものにも神が理解し肯定した理由がある。(神との対話1巻P86)
> 
> ●個々の出来事や冒険は、真の自分を創造し経験するために、あなた自身に
> よって呼び寄せられたものだ。(神との対話1巻P75)

というような言葉に共振するのと同じことだと思います。

伝わったかどうかはともかく、わたしとしては、もうだいたい、自分(が現在
フォーカスしているマインド)の観点はお伝えしたと思います。

上に引用した部分に続いて、ハイアーセルフ33さんは以下のようにコメント
していらっしゃるんだけど……。

> ラムサや神対の神やニューエイジでいっているのは、状況の背景にある基盤
> となるものがあってこそ、そこから状況が生じてくる(惹起されてくる)、
> そして維持されているということだと考えます。
> 
> そしてそれは、魂の叡智のため、本当の自分になるため、という明確な目的
> のために設定されているのだということです。
> 
> ただしこれは「ある状況にたいする特定の意味づけ」ではありません。
> しかし、「ある状況が生じる理由、目的」にはなっているのではありません
> か?
> 
> バシャールや神対の神などが否定するのは、前者であって後者ではないと考
> えます。
> 
> そうするとおのずと「生じる状況」の背後に、そうした「聖なる目的」(神
> 対の神のいう)があることになりませんか?
> 
> あらためていかがですか?

これ、もういいですよね。

どのような解釈も「真実」だということだと思います。

“宇宙”は顕現の世界ですから、さまざまな波動から成り立っていて、その中
には、「理由」や「目的」に共振する波動帯もあれば、「理由」や「目的」に
はあまり共振しない波動帯もある、というとだと思います。

そして、どこでも同じ<愛(=アの意)>が鳴り響いているのだと思います。

今日は、こんなところで。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ: 苦痛と快楽の彼方に至福がある
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて、ニサルガダッタ師匠からの写経です。

今日の質問者は、われわれのマインドを代表して、マインドがいちばん言いた
いことをしっかり言ってくれています。

自分ではちょっとそこまではっきり言う度胸はなかった…… (*^_^*)、という
ところをしっかり言ってくれています。

さて、それに対して、ニサルガ師匠はどう鳴り響いたか、その辺りを聴いてみ
ましょう。

今回も、写経の箇所をすべて通しで最初に掲載しておきますね。

例によって、本文だけ書いてもらえば充分という方は、そこだけを読んであと
は飛ばしてください。

では、【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】からです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 ……結局、意識は苦痛をともなったときに問題となるのです。永遠
     の至福の状態では、質問は起こりません。すべての意識は快楽と苦
     痛の混合なのです。なぜでしょうか?
 
 マハラジ
 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。
 対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本性なのだ。 
 
 質問者 これらすべてが私にとって何だというのでしょうか? それは私を
     満足させてはくれません。
 
 マハラジ
 あなたは誰だろうか? 誰が不満なのだろうか?
 
 質問者 私は苦痛と快楽の人間です。
 
 マハラジ
 苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。
 私は今、こうしてあなたの前に座り、直接の不変の体験から話している。
 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂きと谷間だ。
 その底深くには完全な充足があるのだ。
 
 質問者 あなたの体験は本当に不断のものでしょうか?
 
 マハラジ
 それは時を超えた、不変のものだ。
 
 質問者 私の知っているのは欲望と苦痛への恐れだけなのです。
 
 マハラジ
 それはあなたが自分自身についてそう考えるだけだ。
 やめなさい。
 あなたが習慣をただちに打ち破れないなら、あなたが慣れ親しんできた考え
 方に注目し、その偽りを見破りなさい。
 習慣を問いただすことはマインドの義務だ。
 マインドがつくり出したことは、マインドが破壊しなければならない。
 あるいはマインドの外側に欲望はないと認識しなさい。
 そして外側にとどまりなさい。
 
 質問者 正直なところ、私にはすべてがマインドによってつくられたという
     説明が信頼できません。目が手段であるように、マインドもまた手
     段にすぎません。あなたには知覚されたものが創造されたものだと
     言えますか? 私は窓のなかにではなく、窓を通して世界を見ます。
     私たちに共通の基盤があるために、あなたの言うことはすべて筋が
     通って聞こえますが、あなたの基盤が実在のなかにあるのか、マイ
     ンドのなかにだけあるのか私にはわかりません。ただマインドに映
     るものとしてとらえることはできます。それがあたにとってどんな
     意味をもつのか私にはわかりません。
 
 マハラジ
 あなたがマインドのなかに立場を置くかぎり、あなたは私をマインドのなか
 に見るだろう。
 
 質問者 言葉は理解するために何と不適切なのでしょう!
 
 マハラジ
 言葉なしでは、理解する何がそこにあるというのだろうか?
 理解する必要は誤解から起こるのだ。
 私の言うことは真実でも、あなたにとっては、それはただの理論となってし
 まう。
 どうすれば、あなたはそれが真実だと知るようになるだろうか? 
 聞きなさい、覚え、熟考し、視覚化し、体験しなさい。
 あなたの日々の生活においてそれを生かしなさい。
 私に対して忍耐強くありなさい。
 特に自分自身に対して忍耐強くありなさい。
 なぜなら、あなたがあなたのただひとつの障害だからだ。
 道はあなたを通ってあなたを超えていく。
 特定のものだけを真実、意識、そして幸福だと信じているかぎり、そして非
 二元性の実在を何か想像上の抽象的理念として拒否するかぎり、あなたは私
 が観念と抽象的理念を与えていると見なすだろう。
 しかし、ひとたびあなたが自己の存在の真実に触れたなら、私が言い表して
 きたことが、あなたにとってもっとも身近で、もっとも親愛なるものだとい
 うことがわかるだろう。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p182-184)
 http://tinyurl.com/s747u
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さて、最初にも言いましたが、

> 質問者 ……結局、意識は苦痛をともなったときに問題となるのです。永遠
>     の至福の状態では、質問は起こりません。すべての意識は快楽と苦
>     痛の混合なのです。なぜでしょうか?

この「結局、意識は苦痛をともなったときに問題となるのです。永遠の至福の
状態では、質問は起こりません」という質問者のコメント、これ、じつに、い
いとこ突いていると思いません?

マインドが、いかにも言いそうなことじゃないですか。(^_-)

「じつは、ぼくは、“永遠の至福”という意識でありたいんだ」なんて。

でも、たぶんこの質問者は、これまでにニサルガ師匠の言葉をたっぷり聴いて
いるのでしょう。それがありえないことを知っています。

だから、「すべての意識は快楽と苦痛の混合なのです。なぜでしょうか?」と
訊いているんでしょうね。

さて、自然現象ニサルガ師匠は、この質問に対してどんな音色を出すか?

> マハラジ
> 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。

やっぱり。(-_-;)

われわれマインドの期待は、はかなくも打ち破られましたね。

マインドの世界にとどまるかぎり、“苦痛と快楽は避けられない”そうです。

> 対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本性なのだ。

これ、なかなか意味深なメッセージだと思うんですが、初めて耳にする言い回
しです。

「対極のものと自己同一化すること」……。

「快楽」に自己同化したら、「苦痛」にも自己同化せざるをえない、というこ
とですかね?

“意識の”と断って、それを“「私は在る」の”と言い換えています。

ニサルガダッタの用法では、「意識」という言葉は、コンテンツを含んだ<意
識>の働きを表しているようです。

つまり、“大空”と“雲”の喩えで言うと、ニサルガ師匠の「意識」は“雲”
に当たるようです。

ニサルガ師匠の(翻訳者の福間巌さんの訳語上での)用語で、“大空”を表す
のは、「気づき」という言葉です。

とすると……

> 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。

という言葉は、まさに“マインドの世界にとどまるかぎり、苦痛と快楽は避け
られない”という意味に取っても大過ないでしょうね。

> 質問者 これらすべてが私にとって何だというのでしょうか? それは私を
>     満足させてはくれません。

マインドである自分としては、そんなことを保証されても、ちっとも嬉しくな
い、と。(^_-)

まことに、もっともです。(^^;)

> マハラジ
> あなたは誰だろうか? 誰が不満なのだろうか?

間髪を入れずに、ストレートに迫ります。

“あなたは誰なのか?”“不満を訴えているのは誰なのか?”と。

> 質問者 私は苦痛と快楽の人間です。

ちょっと悔しいけど、そう答えざるをえない。

> マハラジ
> 苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。

悟った方は、よくこういうことを言いますよね。

和田先生の「悦び」という日めくりの言葉に、

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 悦 苦 楽 い
 び し し の
 が み み ち
 あ の の の
 る 中 中 世
   に に 界
   も も で
       は
------------------

というのがあります。

目に見える世界での現れはどのような色彩になるにせよ、光源はすべて同じ光
だ、というようなことでしょうか。

> 私は今、こうしてあなたの前に座り、直接の不変の体験から話している。

これは、マハラジには自明のこと。

しかし、質問者、つまりわれわれには信頼するしかないことで……。

> 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂きと谷間だ。

これは、わかりやすい喩えですね。

> その底深くには完全な充足があるのだ。

これも、よく聞く言い方です。

> 質問者 あなたの体験は本当に不断のものでしょうか?

やっぱり、いちど訊いてみたくなりますよね。

> マハラジ
> それは時を超えた、不変のものだ。

はい。

そうでなくっちゃ……。

> 質問者 私の知っているのは欲望と苦痛への恐れだけなのです。

まったく。

ご同様でし。(;_;)

欲望と苦痛への恐れだけでし。

> マハラジ
> それはあなたが自分自身についてそう考えるだけだ。

あなたは、あなたが自分と考えている者ではないのだ、と。

> やめなさい。

そんな。(/_;)

> あなたが習慣をただちに打ち破れないなら、あなたが慣れ親しんできた考え
> 方に注目し、その偽りを見破りなさい。

どうやって?

> 習慣を問いただすことはマインドの義務だ。

やっぱ、“義務”ですか。(>_<)

> マインドがつくり出したことは、マインドが破壊しなければならない。

ああ……。

……そうか。(-_-;)

それしかないんだろうなぁ。

いくら楽な道を望んだって、自分が蒔いた種は自ら刈らねばならない。

> あるいはマインドの外側に欲望はないと認識しなさい。

(@_@)

……ああ、そういうことか。(-_-;)

> そして外側にとどまりなさい。

それだけのことなのか……。

> 質問者 正直なところ、私にはすべてがマインドによってつくられたという
>     説明が信頼できません。目が手段であるように、マインドもまた手
>     段にすぎません。あなたには知覚されたものが創造されたものだと
>     言えますか? 私は窓のなかにではなく、窓を通して世界を見ます。
>     私たちに共通の基盤があるために、あなたの言うことはすべて筋が
>     通って聞こえますが、あなたの基盤が実在のなかにあるのか、マイ
>     ンドのなかにだけあるのか私にはわかりません。ただマインドに映
>     るものとしてとらえることはできます。それがあたにとってどんな
>     意味をもつのか私にはわかりません。

「すべてがマインドによってつくられたという説明」に関するかぎり、それは
わたしには何となく信じられるんだよなぁ。(-_-;)

> マハラジ
> あなたがマインドのなかに立場を置くかぎり、あなたは私をマインドのなか
> に見るだろう。

うん。

> 質問者 言葉は理解するために何と不適切なのでしょう!

まあ、それはそう。

> マハラジ
> 言葉なしでは、理解する何がそこにあるというのだろうか?

おお! (@_@)

そうか、理解とか誤解とか、そういうものはすべてマインドの中での話か。

> 理解する必要は誤解から起こるのだ。

最初に誤解するから、理解しなければならなくなるわけか。

<実在>をマインドの鏡に映し取ろうとするから、“正しく”映し出す必要が
でてくるわけか。

> 私の言うことは真実でも、あなたにとっては、それはただの理論となってし
> まう。

確かに。

> どうすれば、あなたはそれが真実だと知るようになるだろうか? 

(@_@)O

> 聞きなさい、覚え、熟考し、視覚化し、体験しなさい。

ニサルガダッタの言葉を聞くことも、覚えることも、視覚化することも、すべ
て意味があって、それが体験にまでつながるんだ……。(-_-;)

いまはまず「聞いて」いるから、今度は「覚え」よっと。

> あなたの日々の生活においてそれを生かしなさい。

なるほど。

> 私に対して忍耐強くありなさい。

(^^;)

> 特に自分自身に対して忍耐強くありなさい。

うん。

> なぜなら、あなたがあなたのただひとつの障害だからだ。

あちゃ。(>_<)

> 道はあなたを通ってあなたを超えていく。

そうか。

> 特定のものだけを真実、意識、そして幸福だと信じているかぎり、そして非
> 二元性の実在を何か想像上の抽象的理念として拒否するかぎり、あなたは私
> が観念と抽象的理念を与えていると見なすだろう。

「特定のものだけを真実、意識、そして幸福だと信じているかぎり」……。

難しい言い方。

特定のものだけが真実でも、意識でも、幸福でもないわけか。

「非二元性の実在を何か想像上の抽象的理念として拒否するかぎり」……。

いや、わたしは“非二元性の実在”は“想像上の抽象的理念”だとは思わない
なぁ。

岩盤としての<実在>として、そういうものは在ると思っている。

> しかし、ひとたびあなたが自己の存在の真実に触れたなら、私が言い表して
> きたことが、あなたにとってもっとも身近で、もっとも親愛なるものだとい
> うことがわかるだろう。

そのためには、

> ……マインドの外側に欲望はないと認識しなさい。
> そして外側にとどまりなさい。

ということだったよなぁ。

他に誰も邪魔する者はいないけれど、マインドに自己同化している「わたし」
が邪魔するんだよなぁ。(/_;)

マインドの外側にとどまる……、こればっかりは誤魔化しようがないし。

(-_-;)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。


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■ 3.編集後記: 「男はつらいよ ハイビスカスの花」
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また、空が白んでしまいました。

昨日はわれらが集落で田舎の盆踊りがあって、ちょっと出店のテントを張る手
伝いに出かけたりしました。

すぐにバトンタッチして、あとは交替してもらったんだけど。

夜は、ちょっとBSでやっている寅さんを見たりして。(^^;)

「男はつらいよ ハイビスカスの花」というのだったけど、脚本と言い、役者
といい、すばらしい出来の映画でした。

そしていつもながら、じつに見事なエンディングでしたね。

寅さんとリリーの掛け合いが見事で、じつに大したもんだなぁと思いました。

寅さんは、まだまだ元気なときで……。(;_;)

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

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17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
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<(_ _)>

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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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