home > 通信 > 『アセンション館通信』第129



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.129 2006/08/13(第129号)
☆☆  ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 購読者10,000人:に向けて驀進中、現在 725名 (^^)/
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
ファーストコンタクトに向けて国勢調査を開始されました。
https://www.ascensionkan.com/demae/ET_message.html
ここ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

----------------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.「わたし」が存在させている

2.旧稿再掲:〔比較と競争〕の1――「比較」、不幸になるための秘訣

3.写経ニサルガダッタ: 【46 存在の意識は至福だ】より

4.編集後記: もう少し自分の内心に訊いてみるつもり
----------------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.「わたし」が存在させている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

じつは、今日はちょっと元気がありません。

いろいろ、ありまして。(;_;)

ときどき、励ましてくれるように山の向こうやこちらで雷が鳴るんだけど。

せっかく、自然現象が景気をつけてくれているのに、こっちがいまひとつ、弾
みがつかなくて。

まあ、そういうときは、そういうときでいいんだけれど……。

それこそニサルガダッタなら、「それはとても示唆に富んだいい状態だ」なん
て言うかも。(*^_^*)

まあ、自分では、どういうことが原因なのかは、だいたい見当がついているん
ですけどね。

単に、外的状況の変化によって、正直に影響されているだけです。

まあ、そんなこともあったということで……。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

……このところ、楽しい“アセンション噺”という看板を降ろさなくてはなら
ないのではないか、という感じもあります。^^;

このメルマガを発信し始めたときは、たしかに、そのようなエネルギーだった
んですよね。

ひたすら読み漁ってきた情報が、どれもこれもアセンションの一点を指してい
ると思われたし……。

いや、今でもそれを疑っているわけじゃないんですけど。

ただ、誰に頼まれてもいないとは言え、自からそういう情報の「広告塔」を買
って出ておきながら、いまの自分でそのエネルギーを継続、維持できるのかど
うか……。

前回のハイアーセルフ33さんとのやりとりにしても、じっさいは、はるさん
の方がエネルギー的に“アセンション噺”の正統派ですよね。

このところ、自分のエネルギーが少し、このメルマガを書き始めた頃とずれて
きているような感じなんですよね。

やっぱり、“ニサルガ効果”だと思います。

だから、アセンションという話題はますます“旬”になってくるはずなのに、
かえってこのメルマガでは、賑やかで、楽しくて、元気が出るような情報が、
段々手薄になってくるような感じで。

看板に偽りありで、ちょっと申し訳ないような……。

元々、新しい物好きでいつまでも元気なマインドのはずなんだけど。(;_;)

将来の地球経済に向けての中継ぎのヴィジョンを探りたくて、アルビン・トフ
ラーとハイジ・トフラーさんの『富の未来』なんて本も買って読んだりしたん
ですが。

面白いことは、面白いんですよね。

それなりに知的な刺激を受けるんですけど……。

(@_@)

ああ、そうか。

わかった。

ニサルガ効果だけでもないんだな。(-_-;)

……やっぱり、自分で自分の現実を創造しているのは間違いないですね。

ただその際、とても細心でなくてはならないんだ。

今回、他動的に宇宙的状況から押し寄せてきているらしい“アセンション”に
向けての大いなるプレッシャー……、という話題を別にして、自分のマインド
が確実に「知っている」と言えることが何かあるかなぁ。

……。(-_-;)

……うん。

わたしがはっきり知っていると言ったら、たぶん、マインドの中に住まうとい
うことの「大変さ」でしょうかね。

それだけは“確実に知っている”と言っていいんじゃないか。

ここのところ、内面の上下動が激しくなっていて。

要するに、“自分”がフォーカスしているエゴが乱気流に巻き込まれて、いっ
たい何処を本当の住処(すまい)とするつもりなのか、まさに“実力”が問わ
れている、というところでしょう。^^;

言葉の上では“自分は肉体ではない”と(それ自体は間違っているとも思えな
い)空念仏を唱え続けながら、じっさいには、時々刻々に“自分は肉体である”
を深刻に演じ続けているわけですものね。

「理屈」はもう、本当に満腹するほどに“たらふく”食べたはずですが、いか
んせん、“食べた”当人がマインドだから、言葉は“真の受け手”を求めてマ
インドの中をグルグル「たらい回し」されているだけなのかもしれないし。

……「たらい回し」って言葉、ご存知でしょ。(^_-)

江戸落語に「歳暮回し」なんてのがありますね。

同じものが、グルグル回っているだけ。

これ、いったいどういう言い回しなんだろうと思って、辞書を調べてみたら、
元々は、曲芸の「盥回(たらしまわし)」からきているですね。

それが、政党政治の陰謀的政権引継や、新規参入者を排除して仲間内で仕事を
落札する「談合」的ニュアンスで使われるようになったものらしいです。

とすると、上で使った用法では、マインド内部で“談合”していて、なかなか
本来のメッセージの受け手まで届かない……、という意味になるのかな。^^;

そういうふうにも考えられる。

いやいや、マインドこそが理解すべき本来の受け手だ、とも考えられる。

というか、じっさいには、マインドが納得する以外に、ここからの抜け道はな
いんじゃないのかしら。

自分の地歩を確認するという意味でも、もう一度「理屈」を確認してみるかな
ぁ。(-_-;)

……たとえば、いま「わたし」は心配しています。

で、右往左往するマインドとしてのわたしは、その“心配”をどうにかしたい
わけです。

ここまで↑は、まあ間違いなく実力で言えることです。(^^;)

(はは、大したことも言っていないか。(*^_^*) )

さて、ここから出発するとして……。

わたしに自然に起きる対応は、大雑把に二つに分類できると思います。

1.ひとつめの反応:

三次元で“生きる”(肉体−マインドの)わたしとして、当然、その“心配”
を何とかしようと、外的環境を動かすべく右往左往します。

マインド(思考、感情)と、言葉と、行為で、状況に対応しようとする。

ここには秘密めいたことは何もないので、わかりやすい話です。

ところで、これまで“精神世界オタク”をやり続けてきた者として、「現実」
の創造についていろいろな話を聞かされているので、上の対応とはまた別の、
もうひとつの“振る舞い”が発生するのも事実です。

それが「瞑想」とでも言うのなら、ちょっと様(さま)になるのですが、残念
ながらまだそうはならなくて、じつは「理屈」が勝手に動き出すのです。

ハズカシ。(-_-;)

2.ふたつめの反応:

「理屈」の出発点は、この現状から“逃げたい”ということです。

しかし、何とか外的環境に働きかけて、この現状からの“逃亡・回避”を計っ
ても、それはとめどのないプロセスだろうという判断は自動的に起こります。

その努力をどれほど懸命にやっみても、結局それは、どこまで行っても状況
(時間-空間)に捕らえられた“身体-マインド”にフォーカスすることであっ
て、せいぜいいっときの安堵に辿り着けるだけだ、ということです。

この“心配”というマインドの状態は、間違いなく“自分”に起こっている。

このマインド状態は「わたし」を根拠にして起こっている。

このマインド状態を可能にしているのは「わたし」だ。

この“心配”は「わたし」ゆえに顕現できている。

「わたし」の存在がなければ、このマインド状態は“自分”に起こらない。

しかし、“自分”の肉体を滅ぼしても、「わたし」が存在しなくなるわけでは
ない。

もし肉体の誕生によって「わたし」が突如として空無の中から誕生したのなら、
同じく、肉体の死によって「わたし」は空無の中に消失するだろう。

それならそれで結構なことだけれども、たぶん、そういうことにはならないだ
ろう。

なぜなら、「わたし」は、わたしの肉体の誕生によって誕生したのではないか
ら……。

「わたし」は、わたしの肉体とともに両親によって創造されたわけではない。

ありがたいことにか、残念なことにかはともかく、「わたし」は死ぬことはで
きない。

「わたし」は非存在になることはできない。

たとえ非存在になることができたとしても、「わたし」にはそれを知るすべは
ないのだから。

「私は在る」……。

わたしが心配な状況に遭遇しているのではなく、明らかに「わたし」が“心配”
というマインド状態を顕現させている。

どのようにして?

明らかに、「わたし」が、心配な状況に身を置く“わたし”にフォーカスする
ことによって。

明らかに、「わたし」が、心配な状況に身を置く“わたし”に仮に力を委託す
ることによって。

明らかに、「わたし」が、心配に取りつかれた“わたし”の物語を現実にする
ことによって。

「應無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」

まさにじゅうするところのうして、しかもそのこころをしょうずべし

何処からとも知れずマインドが沸き上がってくる……、という言葉がある。

しかし、その「應無所住而生其心」は「わたし」ゆえに顕現している。

その「應無所住而生其心」は「わたし」ゆえに可能になっている。

「わたし」がその「應無所住而生其心」を顕現させている。

「わたし」が存在せずに、誰が、あるいは、何が、その「應無所住而生其心」
を確証するというのか。

「私は在る」……。

わたしにとってのすべての現象は、明らかに「わたし」ゆえに在りえている。

わたしにとってのすべての現象は、明らかに「わたし」が存在させている。

わたしにとってのすべての現象は、明らかに「わたし」が自らの実在性を与え
て存在させている。

「わたし」なくして、誰が、あるいは、何が、そのすべての現象を確証すると
いうのか。

「私は在る」……。

マインドは、何の根拠もなく、独自に存在できるわけではない。

雲が浮かぶには大空が必要なように、重力波が伝わるには真空が必要なように、
意識が伝わるにはクォークが必要なように、マインドも、何の根拠もなく単独
で存在できるわけではない。

この“心配”というちっぽけなマインドも、何の根拠もなく、独自に存在でき
るわけではない。

この“心配”というちっぽけなマインドですら、顕現するためには「わたし」
からの実在性の分与を必要としている。

このささやかな波動ですら、存在するためには「わたし」から権限を委譲され
なくてはならない。

なぜなら、実在するのは「わたし」だけだから。

「私は在る」……。

(-_-;)

……。

(@_@)

あ。

……、こりゃ、切羽詰まって、思わず、腹立ち紛れに演説しちゃった。(>_<)

分不相応な演説しなさんなや、って言われとったのに……。(;_;)

何ともはや……。

今日は、こんなところで。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.旧稿再掲:〔比較と競争〕の1――「比較」、不幸になるための秘訣
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

アセンションということを考えると、なぜかいつも地球の未来の経済のあり方
が連想されました。

だから、昔書いた『21世紀への指導原理 OSHO』という本にも、よくも
知らない経済のことを扱った章があります。

---------------------------------------------------
	第八章  競争原理の射程距離

				−−比較と競争−−
---------------------------------------------------
という章です。

書いている人間が人間ですから、中身はおおよそ経済など関係がない哲学話と
も言えるのですが、要するに、一言で言うと、今の地上の経済を覆っている
「競争原理」というものの根拠を考えてみたかったということです。^^;

そこで考えた内容に固有の価値があるかないか、そんなことは書いた当人には
わかりません。

ただ、自分が考えると、「競争原理」というのはこんなふうに見えるという、
いわば自分なりの風景を描写したものです。

最近サイトに掲載したばかりなので、まずは、どなたの目にもまだ触れていな
いだろうと思います。

それで、ちょっとおこがましいのですが、ここでお披露目させていただこうか
なと思いました。(*^_^*)

いっぺんに「競争原理」まで突っ込むわけにもいかないので、いちおう、最初
から順を追って論理の流れをご紹介させていただくことにします。

ちょっと、今時流行らない“お堅い文章”なので、例によって、詰まった文は
お断り、という方は飛ばしてくださいね。
(言われるまでもないでしょうけど。^^;; )

では、「第八章 競争原理の射程距離――比較と競争――」より

今回はその一回目 “「比較」、不幸になるための秘訣”

です。

----------------------------------------------------------------------
 『21世紀への指導原理 OSHO』より
 
 「比較」、不幸になるための秘訣
 
 私たちがこれまでの世界を卒業して二一世紀からの新しい世界に入って行く
 には、どうしても卒業しなければならないものがある。
 それは、「比較」と呼ばれる大きな<ソフト>だ。
 どういうわけか私たちはこの「比較」という詐術に深く絡め取られてしまっ
 た。
 これまでの地球では、私たちはこの「比較」によって分裂させられ、次の段
 階に進むためにどうしても必要な「欲望」の昇華を妨害されてきた。
 この<ソフト>は人間を幸せにするために機能したことはけっしてなかった。
 逆にひたすら、“自分”以外の者が不幸になることを願う無惨な<ソフト>
 を産むためにしか機能してこなかったとさえいえる。

 人間が他人の不幸を喜ぶ生き物であることを文学的に辛辣に描いたのはドス
 トエフスキーだったが、この「比較」という大きな<ソフト>は、私たちの
 生から喜びを奪うことでエゴを養ってきたのかもしれない。
 人間は“自分”というエゴを通して成長して行くしかない。
 その成長の駆動力が「欲望」と呼ばれるものだったが、それは“自分”とい
 うエゴの幸福を願う駆動力でしかなかった。
 これに「比較」という反転のギアを噛み合わせると、「欲望」は“自分”で
 光の方へ上昇する困難な道を選ぶ駆動力となるよりは、“自分”の現状で疑
 似的な幸福を作り出すために、他人が“自分” よりも惨めであることを願う
 <ソフト>に転化してしまう可能性が常に存在していた。

 「あら、この算数のテスト、あなた六〇点じゃない」
 「だけど、僕の隣の子なんか四〇点だよ」
 「比較」という<ソフト>は、大なり小なり、このようにしか機能しなかっ
 た。

 スポーツの祭典といわれるオリンピックも、内部に仕込まれてあった「比較」
 という<ソフト>が肥大すれば、祭典など絵空事にすぎなくなるだろう。
 若さと健康を祝うはずの当の若者たちが、虚構の栄光を餌に思考力を奪われ、
 自らの肉体を疲弊させてまで過酷な競争に駆り立てられているのだとしたら、
 誰が何のためにオリンピックを仕組んでいるのかを、じっくり考えてみる必
 要があるというものだ。
 昨今のこのただ事でないスポーツ流行り。
 いったいどんな力が働いているというのだろうか。
 私たちはなぜこれほど愚劣な「競争」と、架空の「比較」に走らなければな
 らないのか。
 おそらく、私たちはただ人間としての尊厳と責任を手放すための口実を必要
 としているだけなのではないだろうか。
 そして、その求めに応じて、その口実を提供してくれる者を地上に出現させ
 ているのかもしれない……。

 「比較」とは、一人ひとり質的にまったく異なった独自な存在である人間を、
 虚構の同じトラックに並べて序列を決めようとする試みに他ならない。
 こんなことが人間を幸福にするはずはないが、私たちはなぜか深くこの「比
 較」というソフトに絡め取られてしまった。
 あまりにも深くこの<ソフト>に条件づけられているために、私たちは「比
 較」に汚染される以前の、生がすべてが喜びであった幼年の日の自分を思い
 出すことすらできなくなっている。
 私たちは、ゴールを目指しての苦闘という幻想の中で、人生の大部分をひた
 すら浮き足立った焦りと苦渋に満ちた「競争」で塗りつぶしてしまう。
 不幸があまりにも当たり前になれば、理由もなく幸福である『虔十【けんじ
 ゅう】公園林』の虔十のような者は「お目出たい」という敬称を奉られるだ
 けだ。
 「目出たい」とは、本来、そして今でも、祝うべき状況を表す言葉だ。
 だが、それをあまりにも日常からかけ離れた状況と見る“真面目な”大人た
 ちは、この言葉を「愚か者」を表す言葉にしてしまった。
 
 けれども、本当に理由もなく幸福であることは“愚か”なことなのだろうか。
 そして、理由もなく不幸であれば、それは“賢い”のだろうか……。
 幸福であるにはマインドが納得する理由がなければならないという“合理性”
 こそが、実は私たちの“眠り”の深さを表していたのかもしれない。
 それが私たちが観てきた“夢”だったのかもしれない。
 私たちの地球は今その深い靄の中から出ようとしているのかもしれない。
 
 理由もなく不幸であることが正常なはずがない。
 逆に、あらゆる瞬間に「比較」に身をさいなみ、深刻で、不機嫌で、“真面
 目”に人生を苦闘で満たすことの方がどれほど病的な異常事態であることか。
 もし、理由もなく不幸であるなどという不思議な選択さえ可能であったのな
 ら、私たちが何の理由もなく幸福になることに、どんな困難があるというの
 だろう。
 いみじくもOSHOは教える。
 「人生には、存在の歓喜に酔っぱらうか、心配で気も狂わんばかりになるか
 の、どちらかの酔っぱらいしかいない」と。 (p320-322)
 
 https://www.ascensionkan.com/work/08hika_01hikaku.html
----------------------------------------------------------------------

^^;;

この頃は、滅多にこんな口は聞かないのですが……。

まあ、ご勘弁ください。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.写経ニサルガダッタ: 【46 存在の意識は至福だ】より
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて、今日のニサルガダッタ師匠からの写経です。

対話の流れは、質問者の「私は実在を見いだしたいのです」という言葉から、
大きく転回します。

そこから、「あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなる
ほど増大させ、拡大させなさい」というニサルガ師匠の言葉が導かれます。

その話題が、いつか耽溺と禁欲という欲望の形のテーマにつながり、そこから
「耽溺も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもっている。耽溺は愚
かな方法であり、禁欲は賢い方法だ」という言葉が出てくるという流れです。

以下の引用部分は、その続きです。

例によって、写経の箇所をすべて通しで最初に掲載しておきますので、本文だ
け書いてもらえば充分という方は、そこだけ読んであとは飛ばしてください。

では、【46 存在の意識は至福だ】からです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 禁欲とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが禁
 欲だ。
 不必要なことを避けることが禁欲だ。
 つねにものごとを制御することが禁欲だ。
 欲望自体は何も悪いものではない。
 それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。
 
 間違いはあなたの選択にある。
 食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
 と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
 あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
 に幸福にするのだ。
 
 質問者 自己愛の表現としての欲望が何も基本的に間違ったものではないと
     すれば、どのように欲望を扱えばよいのでしょうか?
 
 マハラジ
 つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
 結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか? 
 完璧ではない。
 あなたはすでに完璧なのだ。
 あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
 のだ。
 このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
 それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。
 
 質問者 ここで操作をする人は誰でしょうか? 誰が身体とマインドを手に
     しているのでしょうか?
 
 マハラジ
 浄められたマインドが自己の誠実な奉仕者なのだ。
 それが内面と外面の道具を監督し、それらを目的のために仕えさせるのだ。
 
 質問者 それらの目的とは何でしょう?
 
 マハラジ
 自己は普遍のものだ。
 そしてその目的も普遍のものだ。
 自己には個人的なものは何もない。
 秩序ある生を生きなさい。
 だが、それ自体を目的にしてはならない。
 それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。
 
 質問者 あなたは私がインドを繰り返し訪れることを勧めますか?
 
 マハラジ
 もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
 どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
 そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
 移動や交通は解放を与えはしない。
 あなたは身体ではないのだ。
 身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
 はしない。
 あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
 それを最大限に利用するがいい。
 
 質問者 もし私が自由ならば、なぜ身体のなかにいるのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたは身体のなかにはいない。
 身体があなたのなかにあるのだ! 
 マインドはあなたのなかにある。
 身体とマインドはあなたに起こるのだ。
 それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。
 あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
 いっぱいの情熱と愛情をもっている。
 それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
 れるものはない。
 あなたの本性は悪も醜さも知らない。
 それは期待し、信頼し、愛する。
 あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
 を知らないのだ。
 あなたは身体でもマインドでもない。
 燃料でも火でもない。
 それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。
 
 あなたであるそれ、あなたの本来の自己、あなたはそれを愛している。
 そして何であれあなたのすることは、あなた自身の幸福のためにするのだ。
 それを探し、それを知り、慈しむのはあなたの基本的な衝動なのだ。
 遙かなる昔から、あなたはあなた自身を愛してきた。
 だが、けっして賢明なやり方ではなかったのだ。
 自己に仕えるために、あなたの身体とマインドを賢く使いなさい。
 それだけだ。
 あなた自身の自己に真実でありなさい。
 あなた自身を絶対的に愛しなさい。
 
 他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
 彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
 はできない。
 あなたではないもののふりをしてはならない。
 あなたであることを拒んではならない。
 あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
 真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
 すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
 いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
 あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
 の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
 を知るだろう。
 しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
 ない。
 なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
 疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
 それは悪循環だ。
 真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
 固い決意でそれに向かいなさい。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p182-184)
 http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ、今回も重厚ですねぇ……。(-_-;)

引用部分に入る直前に、ニサルガ師匠は

  「耽溺も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもっている」

と述べて、それから

      「耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ」

と断定するわけです。

こう言われては、質問者ならずとも思わず訊かずにはいられないでしょう。

> 質問者 禁欲とは何でしょうか?

次にマハラジが答える禁欲の定義は、じつに見事です。

> マハラジ
> ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが禁
> 欲だ。

え? (@_@)

> 不必要なことを避けることが禁欲だ。

なるほど。(-_-;)

そういうことだったのか。

我ながら、自分が……。(;_;)

> つねにものごとを制御することが禁欲だ。

む。

> 欲望自体は何も悪いものではない。

(@_@)

でしょ、でしょ。

> それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。

そうなのよ。(^O^)

> 間違いはあなたの選択にある。

あちゃ。(>_<)

> 食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
> と想像するのは、自分自身を欺くことだ。

……。

……そういうことよく言うよ。(;_;)

しっかし、きついなぁ。(-_-;)

> 食べ物、セックス、権力、名声といったささいなこと……

「食べ物」、「セックス」、「権力」、「名声」

ぜ、ぜんぶ、はいっちゃうじゃん。(>_<)

逃げ道ないじゃん。(T_T)

そういうこと、言うかねぇ……。

しっかし、よくもこれだけの短い言葉で、これだけ“壺”を押さえたもんだ。

この関門を通り抜けた強者なら、そりゃ、三年で透過するわけだわ。

> あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
> に幸福にするのだ。

そんなこと言われたって……。

……でも、たぶん、それが事実なんだわ。(-_-;)

たぶん、それ以下のものでは、きっと間に合わないんだ。

> 質問者 自己愛の表現としての欲望が何も基本的に間違ったものではないと
>     すれば、どのように欲望を扱えばよいのでしょうか?

そう、少しは希望の光も見たい。

> マハラジ
> つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。

結局、そういうことか。

> 結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか? 

“本当に欲しいのは何なのか?”……、誤魔化しは利かないよなぁ。

> 完璧ではない。
> あなたはすでに完璧なのだ。

うん。

> あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
> のだ。

(@_@)

そうなんだ。

> このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。

そういうことなのか……。(-_-)

> それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。

主人にならなくちゃ、ならないんだ。

> 質問者 ここで操作をする人は誰でしょうか? 誰が身体とマインドを手に
>     しているのでしょうか?

なるほど。

> マハラジ
> 浄められたマインドが自己の誠実な奉仕者なのだ。

“浄められたマインド”かぁ。

> それが内面と外面の道具を監督し、それらを目的のために仕えさせるのだ。

“浄められたマインド”が“内面と外面の道具”を監督するわけか。

話の筋は見えてきたけど……、こりゃぁ。(-_-;)

> 質問者 それらの目的とは何でしょう?

“内面と外面の道具”の目的とは?

> マハラジ
> 自己は普遍のものだ。

(?_?)

> そしてその目的も普遍のものだ。

(?_?)

> 自己には個人的なものは何もない。

うん、それはわかるけど。

> 秩序ある生を生きなさい。

ああ、そういうこと?

> だが、それ自体を目的にしてはならない。

(?_?)

> それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。

ふう。

> 質問者 あなたは私がインドを繰り返し訪れることを勧めますか?

この人、ちょっと気になってきたんだね。

> マハラジ
> もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。

ああ、それはわかる。

> どこにいようと、あなたはあなた自身だ。

うん。

> そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。

そう。

> 移動や交通は解放を与えはしない。

うん。

> あなたは身体ではないのだ。

ま、それはそう。

> 身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
> はしない。

うん。

> あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
> それを最大限に利用するがいい。

へー、そういう言い方ね。

> 質問者 もし私が自由ならば、なぜ身体のなかにいるのでしょうか?

“マインドは三界を思いのままに行き来するのも自由”なんだったら、そう訊
いてみたくなるよね。

> マハラジ
> あなたは身体のなかにはいない。

あ、そうか。

> 身体があなたのなかにあるのだ! 

そういう言い方をしていた。

> マインドはあなたのなかにある。

身体もマインドも「わたし」のなかにある。

> 身体とマインドはあなたに起こるのだ。

うん。

> それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。

(@_@)

そういうことか。

> あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
> いっぱいの情熱と愛情をもっている。

珍しい言い方。

> それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
> れるものはない。

「わたし」の本性は愛に溢れている。

> あなたの本性は悪も醜さも知らない。
> それは期待し、信頼し、愛する。

赤ん坊だ。

> あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
> を知らないのだ。

うん。

> あなたは身体でもマインドでもない。

う。

> 燃料でも火でもない。

燃料が身体で、火がマインドで、熱さが「実在(=わたし)」だった。

> それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。

うん。

> あなたであるそれ、あなたの本来の自己、あなたはそれを愛している。
> そして何であれあなたのすることは、あなた自身の幸福のためにするのだ。

うん、それはわかる。

> それを探し、それを知り、慈しむのはあなたの基本的な衝動なのだ。

うん。

> 遙かなる昔から、あなたはあなた自身を愛してきた。

そうなんだ。

> だが、けっして賢明なやり方ではなかったのだ。

(@_@)

> 自己に仕えるために、あなたの身体とマインドを賢く使いなさい。
> それだけだ。

それだけなんだ。

> あなた自身の自己に真実でありなさい。
> あなた自身を絶対的に愛しなさい。

わかる感じはするけど。

> 他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。

あ、それはわかる。

> 彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
> はできない。

うん。

> あなたではないもののふりをしてはならない。

うん、わかるよ。

> あなたであることを拒んではならない。

これは……、どういう意味かなぁ。

> あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。

うん、それは、わかる。

> 真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。

それも、いかにもという感じ。

> すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
> いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。

なるほど。

> あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
> の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
> を知るだろう。

ああ、なるほどね。

言われてみると、何となくわかるような気がするけど。

> しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
> ない。

たしかに。

> なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。

そういうことか。

> 疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。

なるほど。

> それは悪循環だ。

(>_<)

> 真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。

そうか。

> 固い決意でそれに向かいなさい。

……。

今回はまた、いつもとは少し違ったニサルガ師匠の音色を聴いた。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.編集後記: もう少し自分の内心に訊いてみるつもりです
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ご覧のように、今日はちょっと落ち込んでいます。^^;

でも、それくらいがちょうど頃合いなんだ、というような意見もあるかもしれ
ないし、“舞い上がっている”よりは“落ち込んでいる”方が、役にたつのか
もしれません。

でも、お陰で、いろいろ自得するところはありますよ。

もっとも、恥ずかしいから人には言わないけどね。(^_-)

ニサルガ師匠の「禁欲」の定義には、じっさい参った。(>_<)

そりゃないっしょ、っていうくらい的確ね。

だいたい、こういうものを書くこと自体、わたしにとっていいことなのか、ど
うなのか。(-_-;)

気の利いたお化けなら、とおに消えているところなのか。

もう少し自分の内心に訊いてみるつもりです。

できれば、地球さんにとってもいいことなら嬉しいし。

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

------------------------------------------------------------------
17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
------------------------------------------------------------------

<(_ _)>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
----------------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセンション館通信』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
----------------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と『melma』 http://www.melma.com/
を利用させていただいて発行しています。
「まぐまぐ」からの配信中止は:http://www.mag2.com/m/0000126287.htm
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2006 paritosho
コピーレフト↑の概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
----------------------------------------------------------------------