home > 通信 > 『アセンション館通信』第134



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.134 2006/9/17(第134号)
☆☆  ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 購読者10,000人:に向けて驀進中、現在 772名 (^^)/
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは“アセンション情報の広告塔メルマガ”です。

つまり、“アセンション”という言葉の流通拡大を手段として、
地球住民の“集合意識”の基盤を“ゆるめ・ひろげ”ることによって、
地球が向かう新しい光り輝く世界への次元移動を、できるだけ自然で、
スムーズなものにすることを目的に週刊で発行されています。(^_-)


◇◇ このメルマガが想定する“アセンション”◇◇

“アセンション”という言葉を聞いたことがない方は、発信サイトで
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension.html
このページ↑をご覧ください。

また、特にこのメルマガが想定している“アセンション”という言葉の意味合
いについては
https://www.ascensionkan.com/demae/ascension_m.html
このページ↑をご覧ください。

これまで地球の次元上昇サポートを背後支援に絞ってこられたETの方々が、
ファーストコンタクトに向けて国勢調査を開始されました。
https://www.ascensionkan.com/demae/ET_message.html
ここ↑をご覧ください。

要するに、グレゴリオ歴2012年12月22日をひとつの仕切として、これからわず
か7年ほどの間に、前後のつながりを辿れなくなるほどの大激変を通過して、
われわれは光り輝く圏域に移行するという、なんともはや嬉しいような、恐ろ
しいようなお話に“悪乗り”して行こう、という楽しい話題を振りまいていま
す。(^^)/

----------------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.<あなたは至高の実在なのだ>

2.旧稿再掲:〔比較と競争〕の6――“成功”と“失敗”

3.写経ラムサ:【第15章 輪廻転生】より(その後半)

4.写経ニサルガダッタ:
  【71 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶ】から(続き)

5.いただいたお手紙から:在る丸さん

6.編集後記: 明日は、集落の共同草刈りがあります。
----------------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.<あなたは至高の実在なのだ>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なんだかこのごろ、気楽になったというのか、どうでもよくなったというのか、
パフォーマンスの“生意気”が少し身に付いてきたとでもいうのか……。

もしかして、これから、これまであまり楽しんでこなかった地球世界の人生を
楽しめるようになったりして……、なんて思っちゃいます。^^;

少し、空気が抜けてきたのかもしれません。

いやね、やっぱり、“底が抜けちゃった”方々の言葉というのは、聞いている
だけでも、何らかの波及効果というのがあるんじゃないでしょうかね。

ほら、「門前の小僧、習わぬ経を読む」っていうでしょ。

「田舎の学問より、京の昼寝」なんて言葉もあるみたいだし……。

じょじょに、じょじょに、ニサルガダッタの言葉が身体の細胞や、骨の組織に
まで染み込んで来てるのかも……なんて、そんなこと、思いますよね。

だって、困る理由がだんだん、なくなってきちゃうんだも。(*^_^*)

いいじゃん、いいじゃん、それでなにも困ることないじゃん。(^^)/

そうなのよ……、それで何も困ることないんだけど。

これで、ちゃんと、お金さえ回ってくれてたらね。(^_-)

相変わらず調子のいいことを言っております。^^;;

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”にお付き
合いいただく時間がやってまいりました。(^^)/

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

なんかこう、毎日少しずつニサルガダッタの言葉をマインドに摂取していたら、
心配の“芯”を解かされちゃうんじゃないか、という気がしますよ。

いや、これ、別に、悪いことじゃないですよね。(^-^)

だってこれは、いわばすぐに“心配決起集会”を召集しようとする“体制派”
マインドに対して、それを傍でいつでもニヤニヤ笑って見ている“傍系”マイ
ンドが発生したみたいな状態でしょ。

“体制派”マインドも、いまいちエネルギーを統率しにくいですよ。

どうも、この頃は少しやりにくい、ってぼやいています。^^;

この“わたし”の連想野に近頃発生した“傍系”マインドのメインメッセージ
が何かと言えば……、

それは、ニサルガダッタが彼のグルから告げられたという

          <あなたは至高の実在なのだ>

という、ちょっと取り付く島もないような超越的なメッセージです。(^^)/

これ、いろいろ美味しい話を聞かせてくれるスピリチュアル・メッセージの中
でも、ダントツの“美味しすぎる話”ですよね。(^_-)

もう、ここまでくると、バカに付ける薬はない、というか、勝手にしろ、とい
うか。

……。(-_-;)

でもねぇ……、これ、一度聞いてしまったら、もう聞かなかった元には戻らな
いのね。(@_@)

どんな“ありがたそうな話”を聞いても、

          <あなたは至高の実在なのだ>

って、言葉が“自分”のマインドの連想野の一隅に存在していることが意識さ
れちゃうわけ。

どんな“ありがたい話”を聞かされても、

          <あなたは至高の実在なのだ>

比べたら、そりゃ、見劣りしますわな。(^_-)

「至高の実在」がそれぐらいの“ありがたい話”で、そんなにおどおどしたり、
ありがたががったりすることもないか、なんて、急に、柄にもなく肩を怒らせ
ちゃう。(*^_^*)

いや、ほんま。

いやいや、ほんとよ。

そりゃ、わたしなんか、言葉に関しては“すれてる”から、若き日のニサルガ
ダッタさんみたいに、

「私を信じなさい。
 あなたは至高の実在なのだ。
 私の言葉を疑ってはならない。
 不信感をもってはならない。
 私は真実を伝えているのだ。
 それに基づいて行動しなさい」

と告げられ、その言葉を深く信頼した、と、そう短兵急にもいかないんだけど。

……特に、

 それに基づいて行動しなさい

なんてねぇ。(-_-;) (←ここでちょっと反省機能が働く。(^_-))

いや、でもね。(@_@) (←ここで盛り返す。(^^)/)

「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」とまではいかなくても、
一度、キャッチした言葉は、そりゃ、残りますよ。

ニサルガダッタの場合は、イノセントというか、じつにマインドの夾雑物が少
なくて、よっぽど通りが良かったんでしょうね。

----------------------------------------------------------------------
 質問者
 そして、何があなたに起こったのでしょうか?
 どのようにしてあなたが至高なるものだと知るに至ったのでしょうか?
 
 マハラジ
 誰かがそれを伝えにきたわけではない。
 内面でそう言われたのを聞いたわけでもない。
 事実、努力したのは、ほんのはじめのころだけだ。
 私は光を見たり、声を聞いたり、神々に出会ったり、彼らと話をしたりとい
 う奇妙な体験を通り抜けてきた。
 ひとたびグルが私に「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、幻想や超
 越状態を体験することはなくなり、とても静かに、そしてシンプルになった。
 私は欲望をもつことや知ろうとすることがだんだんなくなっていき、最後に
 はまったくの驚きとともに、「私は何も知らない。私は何も欲しくない」と
 言うまでに至ったのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p409-411)
 http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

……ニサルガダッタのグルも、この逸材を無駄にしないために、まさに決定的
な言葉を告げる時を計っていたんでしょうね。

ただ、すでにそのときは、ご自分が肉体にとどまっていられる時間も残り少な
くなっていた、というご事情もあったのでしょう。

そして、完全とはいかぬまでも十分に豆乳の準備ができあがったのを見極めて、
最後の一滴の「ニガリ」を投じたのだと思います。

          <あなたは至高の実在なのだ>

と。

この原液のメッセージをどれくらい薄めて受け取るかは、それこそ“受け手”
次第なんだと思います。

ニサルガダッタは、まず原液のメッセージをそのまま、まったく薄めずに受け
取った。

そして、三年かけて、本来の純然たる「豆腐」を実現したのだと思います。

(-_-;)

……。

(@_@)

とまあ、それはそれとして。(*^_^*)

なんや真意はわからんにしても、

          <あなたは至高の実在なのだ>

という言葉は、われわれも漏れ聞いてしまったわけです。

これはもう、聞く前には戻りようがありませんよ。

だって、なにしろ「至高の実在」ですからねぇ。^^;

――「至高の実在」って、何よ?

え。(@_@)

し、「至高の実在」って、あれですよ。

ほら、あれ。

――何?

あんたねぇ、そうせっつくように言うけど、こう言うことは、急いたらあかん
よ。

ほら、言うじゃない。

急いては、ことをし損じる、って。

――で、何や?

「至高の実在」って言えば、そりゃ、立派なものですよ。

それより上はないわけでしょ。

一番エライわけよ。

――で、けっきょく、何な?

はら、すべての「根拠」とか……。(^^)/

「あなた」あるがゆえに、すべてがある……、とか。

すべては「あなた」の中にある……、とか。

あるいは、もっとドラスティックに、「あなた」しかいない……、とかさ。

――で、あんたがそれなわけ?

ま、まあ、そういうわけやね。^^;;

――へー、そうとも見えへんけどね。

  いつも、人のこと気にしとるやん。(^_-)

そういう、人の足許見るようなこと言うたら、あんたいかんわ。

そら、いかん。

それは、単にやね、「わたし」がマインドの世界の仮現の“わたし”に囚われ
とるさかいに、そこの周波数に囚われて、騒音から抜け出られないだけであっ
てやね……。

――へー、そんなら、勝手に抜け出たらいいやん。

  誰も、文句言わへんで。

(T_T)

グヤジイ。

おかあちゃん、この人が虐(いじ)める。

(*^_^*)

つい、本音が出てもうて……。^^;

今日は、こんなところで。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.旧稿再掲:〔比較と競争〕の6――“成功”と“失敗”
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

前回に続いて、『21世紀への指導原理 OSHO』から新しくHP掲載した
-------------------------------------------------
第八章  競争原理の射程距離 −−比較と競争−−
-------------------------------------------------
の内容のご紹介です。

“成功”と“失敗”という言葉にどうも違和感がありました。

というか、最初に“成功”と“失敗”なんて言葉に敏感になったのは、ご推察
に違わず、受験生の時代でした。(^^;)

その頃、「国語」の試験問題が配られた直後と、「数学」の試験問題が配られ
た直後の自分の気持ちに、大きな差があるのを意識したことがあります。

結果的には、そこそこ似たような点が取れるのに、なぜか、問題用紙が配られ
た直後の心境がひどく違うのです。

比較的「国語」に自信があったわたしは、「国語」の試験問題が配られたとき
は、その問題での自分の得点はすでに決まっているような気がしました。

あとはただ解答欄を“埋めて”その得点を実証するだけ、みたいな感じです。

ところが、「数学」の試験問題が配られたときは、まだ自分の得点は0点だと
いう気がしたんです。^^;

これから1時間で0点から稼ぎ出さなければならない、みたいな感じです。

それである時、「数学」の試験問題が配られたとき、もしいま神さまがいて
この問題でのお前の得点は何点だ、って言って決めてくれたら楽なのになぁ、
なんて思ったことを憶えています。

ね、なかなか健気でしょ。(*^_^*)

その頃です、自分は“成功”と“失敗”の無い世界に行きたいと思ったのは。

では、「第八章 競争原理の射程距離――比較と競争――」より

その五回目 “■“成功”と“失敗”” です。

----------------------------------------------------------------------
 『21世紀への指導原理 OSHO』より
 
 ■“成功”と“失敗”

 例えば、ここにひとりの優秀な企業戦士がいて、その企業内での彼の部署の
 利潤の最大化のためにまっしぐらに戦ったとしよう。
 彼の論理は企業の論理そのものとなり、彼の思考は状況に応じて的確に利得
 を計算してあやまたず、どこまでも冷静に自らが担当する部署の利益の最大
 化を願って無機的なまでの冷静な判断を下し続け、出世した。
 そしてあるところで、例えば過労死によって生の終わりを迎えたとしよう。
 彼は“成功”を目指し、“失敗”を避けようとしたのだった。
 さてところで、彼が一身を挺して実現した価値は、実はほんの二、三十年ほ
 ど後にはひとつの小さなコンピュータ・ソフトウェアが実現できる程度のも
 のだったかもしれない。
 そしてたった一度だけ取った休暇で、彼が一瞬腑抜けのように眺めた空だけ
 は、何万年の後にもどんなコンピュータにも支ええないある内面だったかも
 しれないのだ。
 
 「競争原理」とは、また何と、闘いそのものが日々の生活であった世界を暗
 示していることだろう。
 生きるために、競争相手を打倒することがどうしても必要だった時代の名残
 なのだろう。
 けれども、ダーウィンの自然淘汰論がきわめて主観的な“時代の理論”だっ
 たことが明らかになってきているように、今西錦司の「棲み分け理論」が大
 きく見直されてきているように、闘いそのものさえも“時代の<ソフト>”
 として卒業されて行くのかもしれない。
 それはその時代を覆う恐怖の深さ、“夢”の深さを思わせこそすれ、生きる
 手段として必須のものではなかったのかもしれない。
 
 “成功”も“失敗”も、「死」によって区切られた「時間」の中でしか意味
 を持ちえない“夢”にすぎない。
 その“夢”の中では、自分の“成功”の達成には相対的な他者の“失敗”が
 必要であるように思われ、他者の“成功”は自分の“成功”を妨害するよう
 に見える。
 この“成功”と“失敗”の排除律は、もともと狩の対象が同一の標的になっ
 てしまった場合の「競争」から連想されているのだろう。
 そして複数の勝者を許さない「競争」概念は、同一空間を複数の“物”が占
 拠できない「剛体」概念と同根の、時代の産物なのかもしれない。
 
 自分の“成功”のために他者の“失敗”が必要であると潜在意識が信じてい
 れば、その他者の潜在意識も同じことを信じているのだから、その“成功”
 が自然に実現することはありえない。
 そんな想念世界の中でもし“成功”が達成されたら、それは他者の羨望と嫉
 妬を根拠にしてしか可能ではないだろう。
 “成功”とは、もともと自分の中に実存として内在する幸福ではなく、他者
 の想念の中に確証を見いだす、“夢”の弁証法のようなものなのかもしれな
 い。
 幸福とは、自分の内面の在り方に他ならない。
 それは内的なゲシュタルト、内面の調和の問題でしかありえない。
 他者に保証してもらうことなど、必要でもなければ可能でもない。大きさの
 決まっているパイの奪い合いではないのだ。
 “成功”も“失敗”も、そして「競争」そのものが“夢”にすぎない。
 
 「競争原理」を信じて、その場の“自分”の物質的利得の最大化を追求する
 ことは、自明な幸福を保証しているように見えても、実はその時の状況とい
 う全体の中でのバランスの中に、一瞬存在するように見える“利得”という
 名の“夢”に過ぎない。
 もともと幸福とは、他者から奪うことができるような“物”ではない。
 それは、自分の在り方が全体に受け容れられているという確信に他ならない。
 そしてそれなら、「競争原理」の奴隷になどならなくても、落ち着いて<意
 識>として状況に対応し、当たり前の合理的な判断を下せば済むことなのだ。
 何も、「競争原理」などという言葉の呪縛にかかることはない。
 
 では、「競争原理」という“原理”が、物理法則のように存在すると信じた
 場合に起こることとは何か。
 多分そこで起こることは、一人ひとりの個人が<意識>として状況に対応す
 る責任の回避ではないだろうか。
 自分を「競争原理」で縛られた存在とイメージすれば、生の内実は「競争」
 ゲームの歯車の一齣【こま】となり、<意識>として状況に対応する責任は
 なくなるからだ。
 一瞬一瞬の生はそれ自体として生きられず、ひたすら未来の一点の目標に向
 けての手段と化すことだろう。
 その目標が達成できなかったら、そのための手段として捧げた<生>がすべ
 て“無駄”であり“失敗”であったというように。
 私たちは、リアルな<生>である「今、ここ」を“未来”という幻のための
 手段として捧げることだろう。
 そのように私たちは、“成功”と“失敗”が存在する人生を生きてきたのだ
 った。 (p336-339)  
 
 https://www.ascensionkan.com/work/08hika_06seikou-shippai.html
----------------------------------------------------------------------

もし読んでいただけたのなら、ありがとうございます。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.写経ラムサ:【第15章 輪廻転生】より(その後半)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

           『ラムサ ホワイトブック』
            http://tinyurl.com/o8go3

からの情報を引用してご紹介しています。

いつも言うことですが、“無断引用”であり“無料宣伝”です。^^;

どこかからお叱りを受けたら、即座に消滅するコーナーですので、ご承知おき
ください。

今回は、前回に続いて「第15章 輪廻転生」からの続きです。

ラムサの話は、いつも、なるほどなぁ、と思っちゃうんですよねぇ。

どうも、この次元に生きている人で、そのことに文句を言う資格を持っている
人はいないみたいですね。

ここでの生を本当に生きたことがなかったからなのかも。

そう言えば、和尚もこんなことを言っていたよな。

> 一つ覚えておきなさい。
> 完了していないものは何でも、マインドによっていつまでもいつまでも持ち
> 運ばれる。
> 完了したものは何でも、捨てられる。
> なぜなら、いつかそれを完了する機会があるかも知れないと思うばかりに、
> 完了していないものを持っていたがる傾向が、マインドにはあるからだ。
> 
>                          『信心銘』(p386)

あ、関係あるかどうか、ちょっとわからないけど。(*^_^*)

じゃ、ラムサの「輪廻転生」の最後の部分です。

----------------------------------------------------------------------
 ラムサ
 ここで生きることは、あなた方人類の歴史において多くのことが起こってき
 たにせよ、本当にたとえようもないほど、すばらしいものなのだ。
 残念なことに、都市に住み、社会意識という濃密なよどみの真っ直中にいる
 人々は、ここはみじめで、悲惨な場所だと思っている。
 だが、もしあなたが内面の勇気とともに、社会の理想像や脅迫、そして人間
 の制限された意識から離れ、自然の中で自分の内面の神とひとつになって生
 きたならば、生きるということは、まさに言い表せないほどすばらしいもの
 であり、絶え間なく続いていく限りないもの、美しいものであることに気づ
 くだろう。
 
 マスターよ、あなたがここに戻ってきたのは、生きるためだ。
 だが、あなたはまだこの天界に自分を縛り付けているものから離れていない
 ため、神と生命の荘厳さを体験することができないのだ。
 あなたはまだ、氷河の上を歩いたり、橋の形をした岩の下に隠れたりしたこ
 とがない。
 また、冬に窓から外をのぞき、雪を背景に鮮やかな色の赤鳥が止まっている
 のを見たこともなければ、深い洞窟の中に足を踏み入れたりしたこともなく、
 砂漠を歩いて、蛇が餌を探し求めているのを見つめたりしたこともない。
 さらに、巨大なピラミッドの中でたったひとりで眠ったこともなければ、ま
 だ誰も行ったことのないようなところを体験したこともない。
 そういった場所はまだまだたくさんあるのだ。
 大洋に船を出し、大きな魚が飛び跳ねるのを見たこともなければ、鹿の後を
 追っていき、ところどころに日が射し込んでいる森の中に入っていったこと
 もないのである。
 
 あなたはまだ、自分の存在にとってぞくぞくするような、スリルのある、す
 ばらしいことをあまりたくさんやっていない。
 そして、それらはみな、あなたの仕事や学歴や地位や自動車の年式などとは、
 まったく関係のないことなのだ。
 
 それらはあなたがこれから体験すべき生の側面である。
 だが、あなたがそういったことを実行すれば、それらはあなたの神経症や恐
 怖や策略や疑いを吹き飛ばしてしまうだろう。
 そして喜びのあまり、自分が爆発しているように感じる瞬間がやってくる。
 あなたは自分が爆発しているところを誰かに見せたいと思うかもしれないが、
 もし誰かがそばにいたなら、あなたはとたんに縮こまってしまうだろう。
 それがあなたの性質だが、それは別にいけないことではない。
 あなたはただ、ここでのさまざまな選択肢のすべてを、自分が体験すること
 を許してこなかっただけなのだ。
 というのも、あなたはこれまで、生命の喜びや自由とはまったくかけ離れた、
 つかみどころのない理想像になるように追い詰められてきたからだ。
 
 さて、もしあなたがここに戻って来たくないのなら、戻ってきてはならない。
 あなたは戻ってこなくてもいいのだ。
 私はけっして戻ってこなかった。
 なぜなら、私は風とともにアセンションし、自分であるものすべてを持って
 いったからだ。
 それによって、私は自由な存在となった。
 自由な存在となったのだ!
 それは、私がここでの人生でしたことすべてを超越したからだ。
 私は自分自身を許し、ここでの生を抱き容れ、神になるというここでの仕事
 に取りかかったのだ。
 そして、もしそれが無知で惨めな野蛮人にできたなら、マスターよ、あなた
 にもできることは間違いないのだ。
 
 ここでの生を終える道とは、それを生き、それを愛し、単純なものの一部に
 なることだ。
 そして、生きることの自由を脅かしたり、制限したり、限定してしまうよう
 な、もろもろの理想像を自分自身から取り除くことだ。
 そして、自分自身の自由の中に生き、自分自身を愛し、自分を何かと比べる
 のをやめることだ。
 
 社会のもつイメージのために生きるのをやめ、あなたが自分自身の理想と真
 実のために生きるとき、つまり、自分の存在の内にある理想や真実がどのよ
 うなものであったとしても、そのために生き、自分という永遠の存在を愛す
 るとき、あなたは植物や魚、そしてまさにすべての生命とひとつになるのだ。
 そのとき、あなたはこう言える。
 「私はもうこの体験を終えた。私はここにあるすべての生命を愛した。
  だから、私は新しい冒険へと進む準備ができているのだ。
  遙か彼方にある王国や新しい理解、そしてこれまでとはまったく違う在り
  方へと進む準備ができているのだ」
 マスターよ、あなたがこういったことをすれば、あなたはすばらしい栄光と
 ともにこの天界から去ることができる。
 私はそのようにして去ったのだ。
 ……
 あなたやほかの誰もがここで表現しているのは、そうしたいからである。
 それが輪廻転生だ。
 
                『ラムサ ホワイトブック』(p317-319)
                       http://tinyurl.com/o8go3
----------------------------------------------------------------------

そういうわけなんですって。(^_-)

どこか別のところで、ラムサは、われわれは全員、幸福なんだって言ってまし
たね。

みんな“自分の思い通りの人生”を生きているからだって。

> 残念なことに、都市に住み、社会意識という濃密なよどみの真っ直中にいる
> 人々は、ここはみじめで、悲惨な場所だと思っている。

“社会意識という濃密なよどみの真っ直中にいる人々”かぁ。(-_-;)

そういう“濃密なよどみの真っ直中”で生きれば、ここは“悲惨な場所”にな
らざるをえないわけか。

それが、“社会の理想像や脅迫、そして人間の制限された意識”のなかで生き
るということか。

それが、言い換えると……、

“この天界に自分を縛り付けているものから離れていない”ということなのか。

> 大洋に船を出し、大きな魚が飛び跳ねるのを見たこともなければ、鹿の後を
> 追っていき、ところどころに日が射し込んでいる森の中に入っていったこと
> もないのである。

なんだか星野道夫さんを連想するなぁ。

星野さんは、そういう生き方をわれわれに見せてくれたんだ。

> あなたはまだ、自分の存在にとってぞくぞくするような、スリルのある、す
> ばらしいことをあまりたくさんやっていない。

たしかに。(-_-;)

死なない心配をしてきただけです。(>_<)

いくらそんな心配をしたって、どう足掻いてみたって、そのときが来たらどの
みち肉体から離れざるをえないのに。(;_;)

> それらはあなたがこれから体験すべき生の側面である。
> だが、あなたがそういったことを実行すれば、それらはあなたの神経症や恐
> 怖や策略や疑いを吹き飛ばしてしまうだろう。

なるほど。

聞いたからできるってもんじゃないけど。(-_-;)

> さて、もしあなたがここに戻って来たくないのなら、戻ってきてはならない。

断固たる言い方。

> あなたは戻ってこなくてもいいのだ。

(-_-;)

> 私はけっして戻ってこなかった。
> なぜなら、私は風とともにアセンションし、自分であるものすべてを持って
> いったからだ。

そう。

> それによって、私は自由な存在となった。
> 自由な存在となったのだ!
> それは、私がここでの人生でしたことすべてを超越したからだ。

(@_@)

> 私は自分自身を許し、ここでの生を抱き容れ、神になるというここでの仕事
> に取りかかったのだ。

ああ、そういうことか。

> ここでの生を終える道とは、それを生き、それを愛し、単純なものの一部に
> なることだ。

(-_-)

> そして、生きることの自由を脅かしたり、制限したり、限定してしまうよう
> な、もろもろの理想像を自分自身から取り除くことだ。

うん。

> そして、自分自身の自由の中に生き、自分自身を愛し、自分を何かと比べる
> のをやめることだ。

うん。

> 社会のもつイメージのために生きるのをやめ、あなたが自分自身の理想と真
> 実のために生きるとき、つまり、自分の存在の内にある理想や真実がどのよ
> うなものであったとしても、そのために生き、自分という永遠の存在を愛す
> るとき、あなたは植物や魚、そしてまさにすべての生命とひとつになるのだ。

なるほど。(-_-;)

> そのとき、あなたはこう言える。
> 「私はもうこの体験を終えた。私はここにあるすべての生命を愛した。
>  だから、私は新しい冒険へと進む準備ができているのだ。
>  遙か彼方にある王国や新しい理解、そしてこれまでとはまったく違う在り
>  方へと進む準備ができているのだ」
> マスターよ、あなたがこういったことをすれば、あなたはすばらしい栄光と
> ともにこの天界から去ることができる。
> 私はそのようにして去ったのだ。

(-_-;)

> あなたやほかの誰もがここで表現しているのは、そうしたいからである。
> それが輪廻転生だ。

わかった。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はここまでです。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.写経ニサルガダッタ:
   【71 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶ】からの続き
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて、今日のニサルガダッタ師匠からの写経です。

今回は、前回の写経部分の直後から写経します。

どのあたりにわれわれの“勘違い”があって、どのあたりが“狙い目”なのか
のヒントがあるような気がして。

例によって、写経の箇所をすべて通しで最初に掲載しておきます。

本文だけ書いてもらえば充分という方は、あとは飛ばしてくださいね。

もともとコメントできるような言葉なんかないので。

では、【71 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶ】からの続き
です。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 もしすべてのものごとに終わりが来るならば、いったい、どうして
     はじめからそれらは現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 創造は意識の本性そのものなのだ。
 意識が現れを起こす原因なのだ。
 実在は意識を超えた彼方にある。
 
 質問者 私たちが現れを意識している間、どうして私たちは、それらがただ
     の現れにすぎないと意識しないのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドはそれとは知らないうちに、実在を覆い隠してしまう。
 マインドの本性を知るには、沈黙と冷静な気づきのなかで、マインドを見る
 能力である知性が必要なのだ。
 
 質問者 もし私がすべてに遍在する意識の本質であるなら、どうして私に無
     知と幻想が起こったのでしょうか?
 
 マハラジ
 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。
 あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。
 そうすればあなたの質問は答えられるだろう。
 あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺
 り動かされているかのように見ている。
 だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。
 気づきなさい。
 これがあなたを自己へと連れていくだろう。
 そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。
 それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。
 どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」
 という意識の影のなかには、無知と幻想が必ず現れるのだ。
 
 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?
 
 マハラジ
 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。
 それ自身を創造と自己同一化することは、創造的想像の本性なのだ。
 あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
 れを止めることができる。
 
 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。
 彼はそれを為し、彼方へと超えていくのだ。
 
 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは彼には起こらなかった。
 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。
 
 質問者 それで充分だったのですか?
 
 マハラジ
 それは充分だった。
 
 質問者 なぜ、それは私の場合そう起こらないのでしょう?
 
 マハラジ
 あなたが私を信頼しないからだ。
 
 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?
 
 マハラジ
 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。
 それには洗い落としが必要だ。
 
 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?
 
 マハラジ
 容赦なく、それを見守ることによってだ。
 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。
 
 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?
 
 マハラジ
 ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
 のだ。
 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。
 悪をなさないことが善をはじめることに先立つ。
 それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。
 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらがみな偽りであることを見
 て、あらゆる悪のマインドを正常にし、その上でようやく自分の明白な義務
 から仕事を再開するのだ。
 もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。
 それも敏速にしなさい。
 あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。
 だが、善行を職業にしてはいけない。
 
 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 あなたはより知的に成長するのだ。
 気づきのなかであなたは学ぶ。
 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。
 もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。
 あなたが何であるかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければなら
 ない。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p361-363)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

なんだか、あまりにも重要なヒントが目白押しで、そのひとつひとつを充分に
意識することすらおぼつかない感じ。

> 質問者 もしすべてのものごとに終わりが来るならば、いったい、どうして
>     はじめからそれらは現れるのでしょうか?

こういうことは、訊けそうで、実際はなかなか訊けない。^^;

この人、エライよ。

> マハラジ
> 創造は意識の本性そのものなのだ。

ふーん。

> 意識が現れを起こす原因なのだ。

「意識」が「現象」を起こす原因なのか。

それが、「應無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」か。

> 実在は意識を超えた彼方にある。

うん。

「実在」という言葉を「意識」という言葉と区別する言い方は、ニサルガ師匠
から初めて聞いた。

なんか、「実在」が「空」で、「意識」が「夢」の根拠みたいな雰囲気かな。

連想ゲームで言うなら、「実在」が「真空」で、「意識」が「素粒子」とか。

あ、単なる言葉、言葉。(*^_^*)

> 質問者 私たちが現れを意識している間、どうして私たちは、それらがただ
>     の現れにすぎないと意識しないのでしょうか?

うん、もうこの人、断固として質問しようと決心しているみたいね。

> マハラジ
> マインドはそれとは知らないうちに、実在を覆い隠してしまう。

うーむ。

どうも、この辺り↑がクサイね。

> マインドの本性を知るには、沈黙と冷静な気づきのなかで、マインドを見る
> 能力である知性が必要なのだ。

あちゃ。(>_<)

“沈黙と冷静な気づきのなかで、マインドを見る”能力。

こりゃ、いかん。

ヒントも何も、これはもうモロ。

> 質問者 もし私がすべてに遍在する意識の本質であるなら、どうして私に無
>     知と幻想が起こったのでしょうか?

うん。

(それにしても、このひと、よくこういうこと訊けるよ。)

> マハラジ
> 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。

(@_@)

あ、そうか。なるほど。

> あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。

そういうことか。

> そうすればあなたの質問は答えられるだろう。

うん。

> あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺
> り動かされているかのように見ている。

(>_<)

まったく。(-_-)

> だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。

そういうことだ。

“あなた”は<自己>を知らず、“己”の無知にも気づいていない。

> 気づきなさい。

“あなた”は<自己>ではないのだ。

> これがあなたを自己へと連れていくだろう。

これが“あなた”の目を<自己>へと向けるだろう。

> そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。

無知も妄想も“あなた”という非実在が見た夢にすぎなかったことがわかるだ
ろう。

> それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。

それは、“沈黙あるところ、いかにして騒音あらん”というようなものだ。

> どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」
> という意識の影のなかには、無知と幻想が必ず現れるのだ。

「私は身体だ」という観念のプリズムを通せば、光は無明の闇を現ずるのだ。

> 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?

おお、しっかり訊くなあ、この人。

> マハラジ
> 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。

(@_@)

> それ自身を創造と自己同一化することは、創造的想像の本性なのだ。

ははぁ……。

イマジネーションは、自分の創造物を「創造」と区別できないんだ。

だから、ホラー映画は現実になるのか。

> あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
> れを止めることができる。

なるほど。

たしかに、ホラー映画を観ないことはできるし、あんなのは“作り話”だと見
破ることもできる。

> 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?

これは不思議な質問だけど、いずれにしろ解答者のまともな解答を引き出す。

> マハラジ
> はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。

なるほど。

> それから、「私は在る」が個人となる。

そうか。

はじめに「自分」が世界を作っておいて、それから自らその「世界」の中に入
って、その“囚われ人”になるのか。

> 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。

それは、わかる。

エゴを演ずるのは、大変な苦役だから。

> 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。

うん。

> そしてグルは彼に言うのだ。
> 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。

おお!

> 彼はそれを為し、彼方へと超えていくのだ。

そうか。

> 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?

まったくねぇ。(^_-)

> マハラジ
> それは彼には起こらなかった。
> 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。

うん。(-_-;)

> 質問者 それで充分だったのですか?
> 
> マハラジ
> それは充分だった。

(-_-)

> 質問者 なぜ、それは私の場合そう起こらないのでしょう?

うん、そう。(-_-;)

> マハラジ
> あなたが私を信頼しないからだ。

(>_<)

> 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?

おお、頑張る。

> マハラジ
> 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。

(;_;)

> それには洗い落としが必要だ。

う。

> 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?

けっぱれ。

> マハラジ
> 容赦なく、それを見守ることによってだ。

(-_-;)

> 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。

とにかく……、注意を向ける。

> 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?

ああ、なるほど。

注意が必要なのにね。

> マハラジ
> ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
> のだ。

ああ。

> 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。

そうか。

> 悪をなさないことが善をはじめることに先立つ。
> それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。

なるほど。

> 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらがみな偽りであることを見
> て、あらゆる悪のマインドを正常にし、その上でようやく自分の明白な義務
> から仕事を再開するのだ。

(>_<)

そうか。(-_-)

> もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。
> それも敏速にしなさい。

う。

> あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。

まったく。

> だが、善行を職業にしてはいけない。

(@_@)

何か意味がありそう。

自分から目をそらせてしまうからかな。

> 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?

なるほどね。

> マハラジ
> あなたはより知的に成長するのだ。

じつに、明確。

あなたはより“知的に成長する”か。

> 気づきのなかであなたは学ぶ。
> 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。

はい。

> もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。

(@_@)

この言い方。

> あなたが何であるかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければなら
> ない。

ああ。

そこには、学ぶべきようなことは何もない。

獲得するようなものは何もないのだから。(^^)/

捨てるべきものは、山ほどあるかも。(-_-;)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.いただいたお手紙から:在る丸さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari@jk2.so−net.ne.jp
まで、お願いします。(↑コピペできないアドレスでご免なさい。)

こちらなら↓コピペできます。
E-mail:parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


       …………○…………○…………○…………


今回、在る丸さんから、初めてのメールをいただきました。(^^)/

というか、だいぶ前にいただいていたのですが、parichan@gmail.com の方だっ
たものですから、じつは、今日初めて見たような次第です。

在る丸さん、失礼しました。m(_ _)m

というわけで、時間が足りなくて掲載のご許可はまだいただけていないのです
が、ご迷惑をかける感じでもないと思うので、紹介させていただきます。

(別に、ご迷惑じゃないですよね? (@_@)O )

在る丸さん、事後承諾になりますけどご勘弁を。m(_ _)m

[件名]:リンクを貼らせてもらいました。
----------------------------------------------------------------------
 こんにちは。
 
 メルマガにあった「ご投稿・情報提供」フォームのリンクをクリックしたら
 『ページが見つかりません。』というエラーメッセージが出たので、ホーム
 ページ上の【連絡】欄からこのメールを出しています。
 
 ついさっき、自分のホームページにリンク集を作ったのですが、そのページ
 の一番最初に【アセンション資料館】を置きました。
 
 http://homepage2.nifty.com/satou_takesi/
 
 リンク集を作った理由は、私のホームページの中身が寂しすぎるような感じ
 がする為です。
 
 しかし、正直な所はアクセスアップを計る為です。
 
 私のホームページは『道の向こう』と題する文章を【投げ銭興行】の形で
 〔販売〕する為のものです。
 
 この『道の向こう』は10年前にパソコン通信の掲示板に発表した事があり
 ました。
 
 その時のハンドル名は〔蔦丸〕でしたが、蔦丸は私以外にもいるらしい事が
 判ったので【在る丸】と変えました。
 
 自分で言うのも何ですが、『道の向こう』は素晴らしい内容です。
 
 投げ銭興行である為、無料でも読む事ができますから、ぜひ読む事をお勧め
 します。
 
 しかし、世の中には、このような形での販売を好まない人もいるようです。
 
 もし、リンクを貼られた事に対して迷惑に思うようでしたら、お手数をおか
 けしますが『ご遠慮下さい』と書いたメールを下さい。すぐに削除します。
 
 しかし、削除したとしても、pariさんを嫌うような事はありません。
 
 リンク集には14のリンクが貼ってありますが、そのうちの4つはpariさん
 のメルマガで知りました。
 
 ありがとうございます。
 
 メルマガの写経をいつも楽しみにしています。
 
 まずは、お知らせまで。
 
 http://homepage2.nifty.com/satou_takesi/
 
 在る丸
----------------------------------------------------------------------

在る丸さん、メール、ありがとうございました。m(_ _)m

> メルマガにあった「ご投稿・情報提供」フォームのリンクをクリックしたら
> 『ページが見つかりません。』というエラーメッセージが出たので、

あちゃ。(>_<)

これは直しておかなくちゃ。

> ホームページ上の【連絡】欄からこのメールを出しています。

それも、あんまり見てないとは、不届きですね。

ご免なさい。m(_ _)m

これから、これ↓をお使いください。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

> ついさっき、自分のホームページにリンク集を作ったのですが、そのページ
> の一番最初に【アセンション資料館】を置きました。
> 
> http://homepage2.nifty.com/satou_takesi/

おおっ!! (*_*)

いやー、驚きました。

> リンク集を作った理由は、私のホームページの中身が寂しすぎるような感じ
> がする為です。
> 
> しかし、正直な所はアクセスアップを計る為です。

はい、当然です。

> 私のホームページは『道の向こう』と題する文章を【投げ銭興行】の形で
> 〔販売〕する為のものです。

“投げ銭興行”って、言うんですか? (?_?)

シェアウェアみたいなもの?

ああそうか、街道芸人みたいに、まず自分のパフォーマンスを見せて、気に入
ったら“投げ銭”してください、って意味ですか。

なるほど。

初めて聞きました。

> この『道の向こう』は10年前にパソコン通信の掲示板に発表した事があり
> ました。
> 
> その時のハンドル名は〔蔦丸〕でしたが、蔦丸は私以外にもいるらしい事が
> 判ったので【在る丸】と変えました。
> 
> 自分で言うのも何ですが、『道の向こう』は素晴らしい内容です。

(^^)/

わかりました。

後で読ませていただきます。

> 投げ銭興行である為、無料でも読む事ができますから、ぜひ読む事をお勧め
> します。

わかりました。

> しかし、世の中には、このような形での販売を好まない人もいるようです。

ええ、いろんな人がいます。^^;

気にすることないです、みんないい人ですから。

> もし、リンクを貼られた事に対して迷惑に思うようでしたら、お手数をおか
> けしますが『ご遠慮下さい』と書いたメールを下さい。すぐに削除します。

とんでもない、すぐに相互リンクさせていただきますからね。

> しかし、削除したとしても、pariさんを嫌うような事はありません。

ありがとうございます。m(_ _)m

> リンク集には14のリンクが貼ってありますが、そのうちの4つはpariさん
> のメルマガで知りました。

そうでしたか。

わたしなどもいちいち断ってありませんが、とにかくたいていは、どこかで、
どなたかから教わったものです。

> ありがとうございます。

こちらこそ。

> メルマガの写経をいつも楽しみにしています。

このメッセージ↑、とてもとても、嬉しかったです。(^^)/

この一行を掲載したくて、在る丸さんのご許可がいただけないうちに、掲載し
てしまいました。(*^_^*)

> まずは、お知らせまで。
> 
> http://homepage2.nifty.com/satou_takesi/
> 
> 在る丸

在る丸さん、相互リンクありがとうございました。

みなさん、よろしければ、在る丸さんの【投げ銭興行】、ご覧になって見てく
ださい。


       …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 6.編集後記: 明日は、集落の共同草刈りがあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

明日は、集落の共同草刈りがあります。

そんなこともあって、じょじょに夜を早く切り上げるようにしようと思ってい
ます。

今日は、けっこう、優秀。^^;

でも、耳鳴りはかなりひどい。

電磁波ばかり浴びて、沈黙とも、静けさとも、あんまり関係ないけど、まあい
いや。(*^_^*)

というわけで今回も……。

前号に続いて、著者のご了解を得ている「祈願文」という内容の文章を掲載さ
せていただきます。

------------------------------------------------------------------
17.2001.7.7 地球さんへ

            【 祈 願 文 】 

56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、
本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら
大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、
元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの
癒しの光をお送り下さい。

           海よ山よ空よ森よ川よ    よみがえれ

         生きとし生けるもの全て  よみがえれ

            地球よ         よみがえれ
------------------------------------------------------------------

<(_ _)>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
----------------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセンション館通信』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
----------------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と『melma』 http://www.melma.com/
を利用させていただいて発行しています。
「まぐまぐ」からの配信中止は:http://www.mag2.com/m/0000126287.htm
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2006 paritosho
コピーレフト↑の概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
----------------------------------------------------------------------