home > 通信 > 『アセンション館通信』第135(シャーラ配信)



『アセンション館通信』の一時休刊をお知らせします。


突然本人が入院加療が必要な状態になり、『アセンション館通信』を一時休刊
といたします。メールなどいただきましても当人がおりませんのでご返信もで
きません、その辺ご推察お願いいたします。
以下にパリトーショの連れ合いである私のつたない日記を掲載して入院から今
までの報告をさせていただきます(今回限り)。

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2006.9.17

パリトーショはこの日、明け方3時まで「アセンション館通信」を書いて4時
間睡眠、午前9時少し前から地域の草刈りをした。草刈り機を使ってまわりを
きれいにすること2時間半。11時半ころから懇親会のバーベキュー。
今年は組長ということで私はバーベキュー準備係。男性陣は午後2時くらいま
で食べて飲む。パリトーショは皆とあまり語らない分、いつもは食べることの
少ない油濃いものを食べて、飲めない缶ビールを3本ほど飲んだ。
家に帰り、頭痛と吐き気が始まる。


2006.9.18

私は前々から約束していたので、朝早くにまだ寝ているパリトーショをおいて
友人宅に出かけた。
友人宅には、すでに昨晩からオーストラリア人のお客様ビルとシェーンが滞在
していた。「英語ができなくても、いてくれるだけでいい」との友人からの誘
いに面白そうだからと前々から行く約束をしてあった。


2006.9.19

友人宅で楽しく時を過ごし、今日も泊まるつもりだったが、午後なって家に電
話するとパリトーショの頭痛とおう吐はまだ続いているという。
これは普通ではないと思いすぐに帰ることにする。
帰宅は夜遅くになった。頭痛は酷いらしく顔の表情もいつもと違っている。右
目が自分の力では開かないようだ。自分ではパソコン画面の見過ぎによるメヌ
エル氏病をとうとうやっちゃったようだ、と言っていた。


2006.9.20

駅前の脳神経内科に行く。CTを撮る。先生が写真をみて、「脳の中心に何か
ある、下垂体腫瘍か動脈瘤、いづれにせよ、日赤に紹介状を書くのですぐに行
ってください」ということなので、そのまま日赤に行く。日赤には待たれてい
る状態で、すぐにまたCT、続いてMRIと検査を続ける。「動脈瘤ではなく
脳腫瘍」と診断され、そのまま入院となる。
パリトーショは「間違いなく自分で呼び寄せたものだと思う」と言っていた。


2006.9.21

入院に必要なものを揃え11時に日赤に行く、昨日と同じ緊急用の大部屋にいた。
点滴をしている。仕事の引継に関することをいろいろメモ書きしてきた、電話
で伝えてくれるようにとのこと。
一度2時に家に帰り、床掃除とお風呂掃除、そしておばあちゃんの食事を作る。
5時過ぎにまた家を出て、6時に病院に着くと、今度は個室に移っていた。私は
よほどの緊急なのかと心臓がドキッ!「どうしてここなの?」と訊くと、大部
屋の空きがないそうで、一泊9000円の個室にタダで入れてもらっているとの事。
冷蔵庫、液晶テレビ、ミニクローゼットや小物入れ、きれいなトイレに洗面所、
それに電話まで付いている。そうして本人は照れくさそうに「まったくどうし
ちゃったんだろう」と笑っている。
また私が「パリトーショがあんなにマインドを外したいって言ってたから、マ
インドの方でそんなに嫌うなら外科手術でとってくれていいよって固まっちゃ
ったんだよ、取ってもらって一挙にエンライトメントだね」と言うと、パリト
ーショは「何も心配していない、身近な感じで言えば『これもまた過ぎる』、
遠大に言えば『私は在る』だよ」と言っていた。


2006.9.22

何だか、片目(右)が完全に下がってしまって自分で開けることができないので、
もう片方の目もつぶっていることが多い。「ニサルガダッタ」の本を持ってい
ってあるがまるで読書はしていない。
「退屈じゃない?」と訊けば「退屈ってのは心が空白であることに耐えられな
いってこと、自分は空白になろうとしているのだから退屈はないね」なんてパ
リトーショ節で答える。
そして今は映画のようなものを楽しんでいるという。目をつぶっていると次々、
いろいろな映像がやってくるそうだ。内容に超常的な感じは何もないけど回路
が開く練習なのかな? と楽しそう。
それはいくつかのシリーズになっているそうだ。
1.壁シリーズ――これは哲学的な感じ。
2.絵画シリーズ――木彫を積み上げた絵画でとてもリアルで絵がきれい。
3.水墨、映画シリーズ――筆で書いた文字、読めないけれど漢字風、文字が
どんどん変化していって、それが船になって、戦いになって、と、別の時代の
別の空間のようでまるでモノクロの映画の感じ。
4.緞帳シリーズ――中世の絵、戦いかお祭か? 馬がいる。緞帳がどんどん
変化する。ものすごく大きな絵で、上下左右にいくらでも広がる。 
行ったことのない星のチャンネルからの連想シリーズのようだ。機械化した文
明ではない。これを見ながら、その画面の下にずっと『私は在る』と筆で書き
続けている「余計なことを考えさせないためにこのチャンネルが機能している
のかなぁ、少しずつ静かになるための練習だね、これがなかなか面白いんだ」
と言っていた。


2006.9.23

私が病院に行くとすぐに、昨夜消灯後に始まったことを話す。それは消灯して
からすぐに始まったそうだ。
『一つの映画の初期画面のような(映画のポスターのような)絵が何枚も重な
って、次から次へとどんどんタイトル文字が変わっていく。どれも日本映画で、
モノクロ、時代劇、やくざ物といった感じで、初めは暗くそれから闘争場面な
どがあってどんどん明るくなっていく。タイトルは変わっても、中身は同じよ
うなもので,やくざ、色町――淫乱と残酷が画面いっぱいに広がっている。
すると、それを見ている人たちがたくさんいて、その中から「面白いだろう」
と言う人がこちらに顔を向けて横に並ぼうとする。私が「あなたは誰?」と言
ってそっちを向くと消える。そしてまた「一緒に見よう」と来た者の顔を見る
と、表情が異様で目がつぶれていて恨みがましい表情をしている。
「私があなたを傷つけたのかな?」と言って「感謝しているよ、ありがとう」
と言うと、その者は揺れながら消えていく。似たようなことが何回か続いた後
今度は、ケモノが出てくる。黒い毛むくじゃら.....熊かな? と思う。
と、二年前に死んだモモだ! 「虐めたかも知れないけれど好きだったよ」と
言う。 「許してほしい、ありがとう、ありがとう」
今度はアトかな?「アトも虐めたかなぁ、楽しかったね、辻堂の海を毎日散歩
したね、感謝しているから、何かの思いがあったら捨てて楽になってほしいん
だ、ありがとう、ありがとう」
「君はサムかな?」――サムにもお礼を言う。
「じゃあ、君はトムなの? トムのことは尊敬してたよ。もう楽になってね、
ありがとう、ありがとう」
するとそれぞれは、前後に揺れてふたりで一緒に顔を動かすと、それらは消え
て行った。
自分の中にそういう思いがあったということ、自分の内面の映画館を一つ持っ
た感じ。
流れる映画のパターンが私のハイアセルフが設定しているプログラムなのかど
うかは分からないけれど、とにかく目を閉じたら始まる。
心理に直接関係することが真っ暗になると私の映画館で上映されて、ここで浄
化が始まっているのだと思う』

この日、二人で先生から検査報告をきく。
下垂体腫瘍、通常これはほとんどが良性、縦2センチ、横2センチほどの腫瘍、
これは下垂体腫瘍としては中程度の大きさ。少し腫瘍内で出血があった。
下垂体はホルモンを作る場所――下垂体ホルモン、成長ホルモン、甲状腺ホル
モン、排卵ホルモン、内分泌ホルモンなどなど。
手術が必要――術後ホルモン関する治療が必要になるかもしれない、術後の管
理が大事。ホルモン異常になると身体のバランスが崩れるので注意しなければ
ならない。
腫瘍が動脈に接しているので、手術のとき接触するといろいろな異常が起こる
可能性がある。
それと、鼻がだいぶ悪い、これがいちばんのネック(18歳で蓄膿手術、42歳で
鼻茸の手術をしている)――細菌が多いので感染しないように、耳鼻科の検査
をしてからの手術となる。

来週(9.25――9.30)、カテーテルの検査
再来週(10.2――10.7)、手術の予定


2006.9.24

友人が昨夜、千葉からビルとシェーンを連れてやってくる。駅で待ち合わせて
夕食。夜9時に我が家に帰りつき、3人が泊まる。
今日はうちの小さな車に大きなビルとシェーンを乗せて、4人で朝早くに家を
出た。
箱根神社、成川美術館、仙石原と箱根をドライブして小田原に戻って12時半。
ランチはおそば屋さん。それから小田原城。漆屋さんと伊勢治の文具売場でオ
ーストラリアへのお土産ショッピング、これで3時半。
そばがどんな植物か知りたいと言うので近くのそば畑を見せながら駅まで送る。
今日は地元の祭りがあり、夜店が並んでいるので私は彼らを祭り会場近くまで
送りとどけそこで別れた。
そしてそれからパリトーショの待つ病院に行く。
今まで毎日二度通っていたので、今日は一人での時間が長かった。
パリトーショの賑やかな映画は一段落して、今日はとても静かな気分で「私は
在る」の状態のなかにいたとのこと。
私の今日一日のおかしな英語ガイドの話をして笑っていると、お祭りの最終の
花火が始まった。
病院の個室の窓からは花火が真正面に見える。最後に打ち上げた花火はそれは
それは大きく、金色に光り輝いて空全体、窓いっぱいに降ってきた。こんな見
事な花火を私は初めて見た。


2006.9.25

今日は午後3時ころ先生からカテーテル検査についての話がある。12時に爪切
り、リンゴ、置き時計を持って病室を訪れる。少し赤い顔をしている。熱は平
熱、血圧が少し上がったという。
「どう?」と訊くと、下がった瞼を手で上げて、本のページを開きながら、
「左目は細明朝で見えるけど、右目は文字が太明朝でいくつも重なって見える
ね」と言う。
「映画はどうなった?」「今は石膏ミニチュアみたいなのが出てきてるけど、
意識してもしなくても、おとなしい感じで動いてるね」
「アセンションのための新しいフェーズに入った気がする。シャーラ、これは
本当にプレゼントだよ....志を純に保つのが仕事だと思う....ある意味で一つ
の回路が開いたとは言えると思うよ」
「ニサルガヨーガってすごくいいんだよね。これって資格なし、アカデミズム
感がまるでなくて、本気になれば誰にでも開かれてる道で、理解、納得、理解、
納得、理解、納得....その繰り返しなんだ。それがどのくらい本気かでビック
リするようなギフトがやってくるんだよね。どのくらい誠実で本気かだけ....」
そう言って、ニサルガダッタの本『私は在る』から、巻末についている彼を世
界に紹介したモーリス・フリードマンの書いた部分を読んでくれる。
読み疲れたようなので、私が代わって読むと、ある箇所で急に涙を流した。
多分 P562 とP563 にわたるニサルガダッタの言葉 
「実際にはグルも弟子もなく、理論も修練もない。
 無知も真我実現もまたないのだ。
 すべてはあなたが自己を何と見なすかにかかってくる。
 あなた自身を正しく知りなさい。
 自己認識に代わるものはないのだ」という箇所だったと思う。

3時になって看護師さんが呼びに来られたので、面談室に行く。
先生からのお話「明日カテーテル検査をします。この検査は、ボールペンの先
くらいの太さの1メートルくらいの管を右腕の動脈に入れて、そこから首を通
ってそれを頭の中に到達させます。頭の中に薬が流れて頭の血管が映ります。
検査時間は50分位、腕に麻酔をします。これは歯医者さんで使う麻酔と同じで
す。痛みはそれを注射するときだけです。造影のときに頭の中が熱くなります
が、たまにそれを痛みと感じる人もいます。
アレルギーで薬が身体に合わない場合は、ジンマシンや痒みがでることがあり
ます。
それから飛行機事故と同じくらいの確率で異物反応を起こす人がいて、これで
血栓ができる人がいます。これによって本当にまれに脳梗塞になることがあり
ます。
そしてこの結果を見て、今週の金曜日に手術についてお話しします」と、おお
よそこんな説明だった。


2006.9.26

「『私は在る』の感じが今までと違ってきている。
これがまた「私は在る」としか言えないんだということが素晴らしいことで、
分かれば分かるほど楽になる。
われわれは自分が何かを証明するために生きている、そして私はこの身体だ、
と思いこんでいる。その身体に行為が捕捉してくる。でもそれは幻。
「私は在る」としか言えなくて、その「在る」は強力な「在る」で、私がこの
世界を存在させているのだから、実際は自分が至高の存在なのだ、自分が与え
たことによって世界は現前してるんだ。
何かになろうと頑張ったり、名誉を求めたりすると、そこからは出られない。
私は何かだとは絶対に言えない。私の世界を存在せしめている、顕現せしめて
いるのはすべて私なのだ。
世界に現れるものを細かく区分けして「私のもの」というのを持ち込むと、そ
れはうまくいかない。名誉とか一等賞……など現実ではないから、存在しない
架空のものを求めることになる。私は「何か」ではあり得ないのだ。
世界すべては幻なのだから。微少なもので全体をコントロールする事はできな
い。私は肉体だというのが根本的な誤解で、どの時点でそれが取れるか。
一切がんばる必要はない、がんばることはできないんだよ。
あなたはいない、私について言える最大のことは「在る」だけ、あれでもない
これでもない....「私は在る」の感覚が強まってきているよ」
と、こういった話をたくさんたくさん私はここで聴いている。

今日は11:50から耳鼻科の検査があり、これは手術に問題ないとのこと。
午後2:30からカテーテル検査。麻酔の注射を打つときだけの痛み、まったく言
われたとおりで、薬が入ると頭が熱くなった。


2006.9.27

パリトーショは仕事のメルマガ、それに「アセンション館通信」が出せないこ
とが気にかかっている。今日の病室は初めから終わりまでコンピュータ講座で
私の頭の中にはもうこれ以上入らん!
何とか土曜日までに「アセンション館通信」を送信できるまでにいければいい
と思っているのだが、途中でどうにも先に進めなくなってしまう。
明日もコンピュータ講座かなぁ? これがキツイ!

今日の言葉:ニサルガダッタの言葉は金剛不壊だね。
結局は自分をどう見なすかだけ、
最終権限はその人にあるってことだものね、
「私は在る」「あなたは至高の存在なのだ」に尽きるね。
今日で入院も一週間となったが、相変わらずパリトーショは無料の個室で快適
にテレビなども一切観ることなく「私は在る」で呼吸をしているようです。


2006.9.28

虎ノ門病院の山田正三先生に電話をしてみた。紹介状と写真を持って火曜日の
外来に来れば見てくれる、と言ってくださった。
パリトーショに話すと、じゃあ明日の先生との面談のときそのままを言ってみ
たらいいね、と言う。
ニサルガダッタの本を出して、「ここを読んでくれる?」と言うので、ゆっく
り読む。「記憶の反応」という章。
読み終えると「これも好きなんだ。こういう途方もない話が好きなんだよなぁ、
信用できるのはそういう話ばかりなんだ」と言っている。
そしてまた次の1章を読む。私には分かるような分からんような、だけど...


2006.9.29

そう言えばパリトーショ、まだ映画館はやってるの? と訊くと「いや、もう
やってないね、今は『私は在る』を呼吸にしていってる」とのこと。
私は今日の先生との面談で、転院を伝えることを決めてきたとパリトーショの
話すと、パリトーショも「そうだね、2009年のアセンションまで何とかこの肉
体で行きたいからね」と言っていた。私は2012年12月って聞いていたような気
もするがまぁ、そんなことはどうでもいい、ようするにパリトーショに生きよ
うという気力があるということなのだから、よかった。

10月4日を手術の予定としてあって、神奈川県で下垂体腫瘍手術の経験の多い
医師一人に手伝いを頼んである、とのことであったが、それをキャンセルさせ
ていただいた。この私がこれほどの意志決定を自分で人に伝えたのは初めてか
もしれない。いつも流れのままに、なんて言ってパリトーショにくっついてき
たものだから...私にとっては結構なストレスでもあったが、これで10月3日
に、紹介状と写真を持って虎ノ門病院外来に私が行けばよいわけだ。パリトー
ショはそちらの受け入れが決まるまで今のまま、例の個室にいてよいとのこと
なのでホッとする。



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ここまでが昨日までの様子です。
これからの『アセンション館通信』は、パリトーショが無事退院してきて落ち着
いたら、またどういう形でか再開すると思います。これが彼の生き甲斐ですから。
これからもよろしくお願いします。
配信 シャーラ