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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.142 2006/12/24(第142号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称したある「個人」に虜になった
観照者が覗き見た風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*))

内容は人畜無害、でも、こんな理屈は言葉で言ってもしかたがないかなぁ。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自己同化の中継地点

2.写経ニサルガダッタ:【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】2

3.いただいたお手紙から:i am さん

4.編集後記: 比較的暖かい穏やかな一日。
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■ 1.自己同化の中継地点
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一週間の間にいろんな気分の山谷を通り抜けてきながら、土曜日が来るとこう
してちゃんと穏やかな気持ちになって、硝子戸の中で久しぶりの暖かい初冬の
日差しを浴びながら、いそいそと何かしら書き出そうとしているんですから、
習慣というのはなかなかありがたいものですね。^^;

この現実が夢だっていうんです。

嬉しいじゃないですか。

夢は夢なんですから、夢の中で「一定の成果」を上げる必要なんてない、って
いうんですよね。

言われてみりゃ、そりゃそうだ。(^-^)

夢は幻で実在じゃないんですから、その夢の中で成果を上げてみてもしょうが
ありませんわな。

とはいえ、夢の中の物語の登場人物に自己同化しているわたしにとっては、こ
の現実はちゃんと“実際に在る”んですから“実在”とも言えます。

とすると、どういうことになるんかなぁ……。(-_-;)

(*^_^*)

相変わらず、しょうもないことを考えています。^^;

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

しかし、マインドはマインド自体の努力では、マインドを超えることはできな
いと教わってはいますが、ここんとこは、やっぱり、いろいろ考えちゃいます
よね。

マインドで作ったゴム鉄砲に“自分”という弾を込めて、ギューっと引いて、
ヒョウと放てば、その“自分”はマインドの雲間を突き抜けて、彼方の空まで
飛んで行くんじゃないか、なんてね。(^_-)

まあ、そうもいかないのかもしれませんが、ただ、ニサルガダッタ師匠も保証
しているように、マインドにいろいろ考えさせるのが最短距離、って気もしま
す。

この“いろいろ考えるマインド”を「インテリジェンス」っていうみたいです
よ。

マインドのエリートを養成して、マインドに自家中毒を起こさせようってわけ
でしょう。

なにしろ、“自分”が賢いつもりでいるマインドは“おだて”には弱い。(^_-)

あら、マインドちゃん、賢いわねぇ。

どんどん、どんどん考えたら、もっともっと賢くなるわよ。

空に向けて梯子を掛けて、それをどんどん登っていきなさいな。

もしかしたら、神さまより高いところまで行けるわよ。

たとえ、どこかから落っこったところで、どうってことないわよ。

だって、どうせマインドの中なんですもの。

なーんて言われると、その気になって「豚も木に登る」。(^_-)

いや、ここは是非とも、“豚”に木に登ってもらわなくてはなりません。

さて、“豚”が木に登るための方法ですが、これこそが俗に言う「自己同化」
です。

空中に架けた梯子のどこでも好きなところに“引っ付く”ことができます。

この「自己同化」という方法があまりにも天才的だったので、いまや豚さん、
“マインド梯子”の一箇所に引っ付いてしまって、動くに動けない。

“自分”で作った罠にはまってしまったみたいなものです。

下を見たら、あれ、恐ろしい。

上を見たら、気が遠くなる。

どおしたらいいの? (>_<)

さあ、くまった、くまった。

“自己同化の中継地点”って、たくさんあるんですよねぇ。

まずは、物理次元のこの「身体」。

だいたいこの肉体って、「自己同化」実現のために洗練に洗練を重ねた結果、
生みだされた凝縮エッセンスなんでしょうから、どうしようもないほどの完璧
な“最先端自己同化ツール”です。

もちろん、この「身体」は、われわれの五感とセットになっているわけです。

そして毎朝、鏡に向かって顔を洗って歯を磨き、日常的に視覚、聴覚、嗅覚、
味覚、触覚で再三、再確認させられているわけですから、これはもう、どうし
ようもないほど堅固です。(>_<)

これを称して、「宇宙最悪の制限服」なんておっしゃる方もいますよね。

ま、というわけで、われわれの場合は、この「肉体」が自己同化の中核なんで
しょう。

創造過程から言えば、“最先端自己同化ツール”の「肉体」は、最終かつ最後
の“自己同化中継地点”なんでしょうけど、これをなんとかキャンセルしよう
とする「インテリジェンス」の側から言えば、最初で最大のバリアということ
なのかもしれません。

ただ、ニサルガダッタ師匠は、“自分は身体だ”というこの自己同化は、別の
「自分は身体ではない」という観念によってキャンセルできる、って言うんで
すよね。

たしかに、論理的に考えると、ニサルガダッタの言い分はもっともです。

だって、この「身体」に「わたし」がいるから、こうして「世界」といういろ
いろな体験が「わたし」に起こっているので、「身体」あるが故に「わたし」
が存在しているわけじゃありませんものね。

これは、自明だと思います。

(@_@)

え、よくその理屈わからん?

わたしは、間違いなく、自分の身体に自己同化していますが、この理屈ばかり
は自明です。^^;

それは、「身体」在るがゆえに「わたし」が在るんじゃない、という理屈。

「身体」は「わたし」を作ることができない、という理屈です。

以前にも、ご紹介したことがありますけど、まだ読まれてない方もいるかもし
れないので……。^^;

すでに聞き飽きたという方は、飛ばしてくださいね。

昔書いた、文章です。
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 痛みを感じるロボット
 
 例えば今、あるロボット工学者がひとつのロボットを作っていると想像して
 みよう。
 街を歩けるロボットだ。
 そのロボットはたくさんのものを見て、たくさんの判断を下さなければなら
 ない。
 そして今、最も単純化した形態で、足の動作と目の動作をコントロールする
 制御部分が完成したとしよう。
 これから完成させなければならないのは判断部分だ。
 まず工学者は、そのロボットが絶対に安全な道路部分を歩いていると前提し
 て、四つ角で止まる判断を設定する。つまり四つ角で前方の信号を確認し、
 その信号が赤であればそこで止まり、青であれば前進する判断をセットする
 わけだ。
 これが現在の地球上のロボット工学が達成しているパターン認識の水準で可
 能かどうかはともかく、原理的に可能であることは確かだろう。
 
 馬鹿げた想定だが、例えばそれが完成したとロボット工学者が考えた時点で、
 大胆にも彼が実験に乗り出したとする。
 そのロボットは街頭に乗り出し、街を歩く。
 ところが不幸にもたまたま信号を渡っている最中に暴走車が現れてそのロボ
 ットを跳ね飛ばしたとしよう。
 そのロボットには通常の人間の姿をさせていたのだが、うんともすんとも言
 わずに跳ね飛ばされた。
 その結果を見て、これも馬鹿げた想定だが、そのロボット工学者が、そのロ
 ボットが跳ねられた瞬間に人間並の悲鳴を上げなかったことをいたく恥じた
 とする。
 そしてそれ以来、彼はロボットに痛みを訴えさせる研究に入ったとしよう。
 無論、いつかその工学者の研究は実って、そのロボットにある種の衝撃を加
 えると、その衝撃の度合いに応じてそれなりの反応を起こすようなロボット
 を作ることに成功するだろう。
 
 しかしその完成したロボットが「痛いっ!」と発声するのを聞いて、そこに
 本当の“痛み”という内実が存在すると思う者がいるだろうか。
 少なくともそのロボット工学者だけは、その悲鳴が自分が仕組んだ電子回路
 による演算結果の出力表現にすぎないことを知っているはずだ。
 つまり赤信号を見て止まり、青信号を見て進むロボットを制作できたという
 ことは、そのこと自体ではけっして、私たちが信号を見ている時の、その
 “見えているという内面”を作ったことにはならないということだ。
 
 コンピュータで人間のマインドの判断を代行する部分を作れるということと、
 そのような判断が起こっている人間の<内面>を作るということとは、まっ
 たく別のことだというにすぎない。
 さっきの赤い信号を見て止まったロボットは、全視野の中の信号機というパ
 ターンを認識し、その信号機が赤を表示していることを受信して、歩行を止
 めることはできる。
 しかしこのことで確認されるのは、そこに外界の刺激という“入力”と、歩
 みを止めるという“出力”の存在だけで、人間の判断の場合における“見え
 ているというその内面”の存在が確認されたわけではないことを理解しなけ
 ればならない。
 
 では、その“見ているという内面”そのものはどう作ればいいのか。
 もし本気で人間の“心”を機械で作ろうと思う者がいれば、それを考えなけ
 ればならないはずだが、おそらくそれを考える者は、それを作ろうとは思わ
 ないだろう。
 なぜなら、それは人間が作成できるものではないからだ。
 その見えているというそのこと、自動車にはねられたときに起こる痛みその
 もの、あるいは難しい判断を迫られているときの悩ましげなその内面そのも
 の、それが起こっている場所が<意識>だ。
 
 その<意識>は、作ることができない。
 コンピュータの中にもし<意識>が前提されるとしたら、それはもともとの
 シリコンチップの中に存在している鉱物の<意識>だろう。東洋では、この
 鉱物の<意識>を「眠れる<意識>」と言い習わしてきた。 

             『21世紀への指導原理 OSHO』(p142-144) 
              https://www.ascensionkan.com/work/robot-2.html
----------------------------------------------------------------------

ここで、

> ……つまり四つ角で前方の信号を確認し、その信号が赤であればそこで止ま
> り、青であれば前進する判断をセットするわけだ。
> これが現在の地球上のロボット工学が達成しているパターン認識の水準で可
> 能かどうかはともかく、原理的に可能であることは確かだろう。

なんて書いてますけど(1993年時点)、2006年の現在、とっくのとおに実現し
ている技術段階ですよね。

なにしろ、今年のロボット大賞の「ビルの清掃ロボット」は、エレベーターを
使ってビルの中の別の階に移動するみたいですから。

> つまり赤信号を見て止まり、青信号を見て進むロボットを制作できたという
> ことは、そのこと自体ではけっして、私たちが信号を見ている時の、その
> “見えているという内面”を作ったことにはならないということだ。

これ↑が、「身体」は「わたし」を作ることができない、に当たる理屈です。

つまり、「ビルの清掃ロボット」には何も起こっていない、ということ。

> では、その“見ているという内面”そのものはどう作ればいいのか。
> もし本気で人間の“心”を機械で作ろうと思う者がいれば、それを考えなけ
> ればならないはずだが、おそらくそれを考える者は、それを作ろうとは思わ
> ないだろう。

↑上手いこと言うよね。(^_^)v

> なぜなら、それは人間が作成できるものではないからだ。
> その見えているというそのこと、自動車にはねられたときに起こる痛みその
> もの、あるいは難しい判断を迫られているときの悩ましげなその内面そのも
> の、それが起こっている場所が<意識>だ。

このメルマガの最近の用語法では……、

それが起こっている場所が「わたし」だ。

その「観照者」を可能にしているものこそ「実在」。

「不動の背景」だ。

> その<意識>は、作ることができない。

「実在」を作ることはできない。(*^_^*)

アホラシ。

非実在が、実在を作ることはできませんわな。

わたしは「わたし」を作れません、ちゅうことで。

……というわけで、この「身体」に「わたし」がいるから、こうして「世界」
という体験が「わたし」に起こっています。

これは自明と言って、いいですよね。

「身体」と「わたし」がどう違うのかと言ったら……、

「身体」は“変化の相”、つまり“非実在”なので滅びます。

しかし、「わたし」は“不変の相”、つまり「不動の背景」なので滅びようが
ない、ということです。

だから、ニサルガダッタ師匠が言う「自分は身体だ」は偽りの観念だ、という
のはとても論理的に納得のできる話です。

そして、ニサルガダッタは、これは「自分は身体ではない」という反対の観念
によって無効化できる、っておっしゃっている。

うーむ。(-_-;)

これは、小林秀雄さんじゃないけど、よく見て、よく考えて、よく納得したら、
今度は、“そう見えるように”なるしかない、ということだよなぁ。

だって、それ以上の得心材料って言ったって……。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 理解で充分なのでしょうか? もっと明確な証拠が必要なのではな
     いでしょうか?
 
 マハラジ
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p495)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

(-_-)

……結局、われわれの心配って言ったって、“自分の身体”に自己同化して、
“「身体」が死なないように頑張る”ってことだと思うけど、それって、誰が
考えるまでもなく、絶対的な不可能事なんだよなぁ。

どう頑張ったって、肉体は滅ぶんだし。

それとも、ラムサさんみたいに、肉体を伴ったアセンションを狙う? (^_-)

> 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
> だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?

まったく。

> あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
> あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。

(-||-)

自己同化の中継地点はいくらでもあるけど、右目もしかめ始めてきたことだし。

今日は、これくらいで。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
      【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(その2)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて、退院後しばらくここばかり読んでいた章です。

【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】の続き。

何がいいって、それでなくても切れ味のいいニサルガ師匠、とにかく、普通は
言えないことまで、言い切ってくれます。

こういう言葉を読むチャンスをわれわれに与えてくれたモーリス・フリードマ
ンさん、そして日本に紹介してくださった福間巌さんには、本当に感謝です。

では、【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】からの2回目です。

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私は生きることが苦痛に満ちた状態だと知っています。
 
 マハラジ
 あなたに生きることはできない。
 なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。
 あなたが苦しむのではない。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。
 気づきのなかでそれを消し去りなさい。
 それは記憶と習慣の束でしかないのだ。
 偽りに対する気づきからあなたの真の本性に対する気づきに至る間には深い
 淵がある。
 ひとたびあなたが純粋な気づきの技を習得すれば、それはたやすく越せるだ
 ろう。
 
 質問者 私の知っていることは、私自身を知らないということだけです。
 
 マハラジ
 自己を知らないということをどうして知るのだろう
 あなたの直接の洞察が、何よりもあなた自身を知っていると告げているのだ。
 なぜなら、ものの存在を体験するあなたがそこにいないかぎり、何も存在す
 ることはできないからだ。
 あなたは自己を描写できないために、自己を知らないと想像しているのだ。
 あなたはつねに、「私は在るということを知っている」と言うことができる。
 そして「私はいない」という表明を偽りとして退けることだろう。
 だが、何であれ描写できるものはあなた自身ではありえない。
 そしてあなたであるものを描写することはできないのだ。
 あなたは自己定義や自己描写を試みることなしに、あなた自身で在ることに
 よってだけ、自己を知ることができるのだ。
 あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であ
 れ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より
 深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだ
 ろう。
 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットのように進歩
 するのだ。
 あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもその両方に気
 づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。
 
 質問者 もし私が身体でもマインドでもないのなら、どうやってそれらに気
     づくのでしょうか? どうやって私自身にとってまったく異質な何
     かを知覚することができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、あなたはあるがままの非二元性のあなたと
 して残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は自己に関する偽りの観念によって妨げられているのだ。
 
 質問者 なるほど、私は在る、私は在った、私は在るだろう、ということは
     認めましょう。少なくとも誕生から死に至るまでは、今ここにおけ
     る私の存在は疑う余地もありません。しかし、それだけでは充分で
     ないと思うのです。私の人生は、内面と外面との調和から生まれた
     喜びを欠いているのです。もし私ひとりしか存在せず、世界が単な
     る投影にすぎないのならどうして不調和はあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。
 欲望をもち恐れるとき、そして感情と自己同一化するとき、あなたは不幸と
 束縛を生みだす。
 あなたが愛と智慧とともに創造し、そして創造したものに執着しないとき、
 結果は調和と平和となるのだ。
 だが、マインドの状態がいかなるものであれ、それはどのようにあなたに影
 響を及ぼすのだろう?
 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。
 
 質問者 もし私が好き勝手にするなら、私は苦しむことでしょう。
 
 マハラジ
 それにもかかわらずあなたは自由なのだ。
 あなたの行為の結果はあなたの住む社会とその慣習に依存するのだ。
 
 質問者 私は無謀になるかもしれません。
 
 マハラジ
 勇気とともに智慧と慈愛、そして行為における能力も現れるだろう。
 あなたは何を為すべきかを知るだろう。
 そして何であれ、あなたがすることは皆にとって良いこととなるだろう。
 
 質問者 私自身のなかにはさまざまな相の自分がいて、争いあっています。
     私の中に平和がないのです。どこに自由と勇気が、智慧と慈愛があ
     るのでしょうか? 私の行動は、私が住む深淵をより深めるばかり
     なのです。
 
 マハラジ
 それはあなたがあなた自身を何か、あるいは誰かだと見なしているからだ。
 やめなさい。
 見なさい。
 調べなさい。
 正しい質問を尋ね、正しい結論を得なさい。
 そしてそれにしたがって行為する勇気を持ち、何が起こるか見てみなさい。
 はじめの段階では、頭の上に屋根が落ちてくるかもしれない。
 だが、すぐに混乱は晴れ、平和と喜びが現れるだろう。
 あなたはあなた自身に関して非常に多くのことを知っている。
 だが、その知っている人をあなたは知らないのだ。
 知られるものを知る者であるあなたとは誰かを見いだしなさい。
 たゆむことなく内面を見守りなさい。
 知覚されたものは知覚者ではありえない、と覚えておくことを覚えておきな
 さい。
 あなたが何を見ようと、聞こうと、考えようと、覚えようと――起こること
 があなたなのではない。
 あなたはそれが起こる当人なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く潜っていきなさい。
 そうすれば、かならず知覚の中心が、世界を照らす光のように普遍的である
 ことを発見することだろう。
 宇宙のなかで起こることはすべて、沈黙の観照者であるあなたに起こる。
 その反対に、何であれ為されたことは、普遍的で無尽蔵のエネルギーである
 あなたによって為されるのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p534-541)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

……。

ところどころ、自分に響いたところだけ、ちょっと……。

> 質問者 私は生きることが苦痛に満ちた状態だと知っています。

このことは、わたしも自分の言葉として言えるなぁ。

> マハラジ
> あなたに生きることはできない。

え。(@_@)

> なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。

へー、そう言うんだ。

> あなたが苦しむのではない。
> あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。

これは、そうだ。(-_-)

「あなた」が苦しむのではない。

自己同化の最先端の「個人」が苦しむのだ。

> 気づきのなかでそれを消し去りなさい。

そうしたい。(;_;)

> それは記憶と習慣の束でしかないのだ。

うん。

そうだと思うんだけど。

> 偽りに対する気づきからあなたの真の本性に対する気づきに至る間には深い
> 淵がある。

わってる。

マインドの雲間。

でも、道は始まった……。

> ひとたびあなたが純粋な気づきの技を習得すれば、それはたやすく越せるだ
> ろう。

(-||-)

> 質問者 私の知っていることは、私自身を知らないということだけです。
> 
> マハラジ
> 自己を知らないということをどうして知るのだろう
> あなたの直接の洞察が、何よりもあなた自身を知っていると告げているのだ。
> なぜなら、ものの存在を体験するあなたがそこにいないかぎり、何も存在す
> ることはできないからだ。

\(^-^)/

「私は在る」は非依存なんだじょ。

> あなたは自己を描写できないために、自己を知らないと想像しているのだ。

それそれ、それはホントだよ。

> あなたはつねに、「私は在るということを知っている」と言うことができる。

そう。

> そして「私はいない」という表明を偽りとして退けることだろう。

そうだよ。

> だが、何であれ描写できるものはあなた自身ではありえない。

ってー。(>_<)

ここだよなぁ。

「何であれ描写できるものはあなた自身ではありえない」

これさえ、ハラに入れば。

> そしてあなたであるものを描写することはできないのだ。

そうなんだよ。

あなたであるものを描写することはできないのらど。(←与太郎ふう)

> あなたは自己定義や自己描写を試みることなしに、あなた自身で在ることに
> よってだけ、自己を知ることができるのだ。

うん。(;_;)

> あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であ
> れ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より
> 深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだ
> ろう。

ここ。☆★☆※   ⌒★?

「ひとたび理解したなら……」

まだ理解していない、ってことだよなぁ。(-_-;)

少しは理解し始めたかなぁ。

> 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットのように進歩
> するのだ。

ここが狙い目。(←知ったふうに。(^_-))

> あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもその両方に気
> づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。

そうか。(-_-)

(少しは慣性で進みたいなぁ。)

> 質問者 もし私が身体でもマインドでもないのなら、どうやってそれらに気
>     づくのでしょうか? どうやって私自身にとってまったく異質な何
>     かを知覚することができるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 「何も私ではない」が第一段階だ。

うん。

> 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。

なるほど。

> そのどちらも「そこに世界が存在する」という観念にかかっている。

そうか。

> この観念もまた放棄されたとき、あなたはあるがままの非二元性のあなたと
> して残る。

なるほど。

あらゆる自作自演の自己同化が剥がれるのか。(-_-)

> 今ここで、あなたはそれなのだ。

う。(;_;)

> だが、あなたの視野は自己に関する偽りの観念によって妨げられているのだ。

わかっています。(←ホントに? (^_-))

> 質問者 なるほど、私は在る、私は在った、私は在るだろう、ということは
>     認めましょう。少なくとも誕生から死に至るまでは、今ここにおけ
>     る私の存在は疑う余地もありません。しかし、それだけでは充分で
>     ないと思うのです。私の人生は、内面と外面との調和から生まれた
>     喜びを欠いているのです。もし私ひとりしか存在せず、世界が単な
>     る投影にすぎないのならどうして不調和はあるのでしょうか?

「もし私ひとりしか存在せず、世界が単なる投影にすぎないのなら
 どうして不調和はあるのでしょうか?」

うん。

> マハラジ
> あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。

(@_@)

やっぱり……。(-_-;)

「宇宙最悪の制限服」に至るまで執着したとも言えるわけか。

> 欲望をもち恐れるとき、そして感情と自己同一化するとき、あなたは不幸と
> 束縛を生みだす。

ああ……。(/_;)

> あなたが愛と智慧とともに創造し、そして創造したものに執着しないとき、
> 結果は調和と平和となるのだ。

そうなんだぁ。

↑こういうの、憶えていたいなぁ。

(“憶える”のは、無理か。いや、無意味か。)

> だが、マインドの状態はいかなるものであれ、それはどのようにあなたに影
> 響を及ぼすのだろう?
> マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
> 不幸にするのだ。

(-_-)

マインドとの自己同一化、ただこれだけが、幸福と不幸を生みだす……。

> マインドへの隷属に反抗しなさい。

はい。

> あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。

はい。

> そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。

「執着」と「反感」……、同じものなんだ。

> あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
> 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
> にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。

(-||-)

> 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。

(@_@)

> あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。

(-_-) (←聞こえてるの?)

> 質問者 もし私が好き勝手にするなら、私は苦しむことでしょう。

(;_;)

わかるよ。

> マハラジ
> それにもかかわらずあなたは自由なのだ。
> あなたの行為の結果はあなたの住む社会とその慣習に依存するのだ。

このひと、じつに客観的な当たり前のことしか言わないなぁ。

> 質問者 私は無謀になるかもしれません。

プッ。(>_<)

> マハラジ
> 勇気とともに智慧と慈愛、そして行為における能力も現れるだろう。

おお!

> あなたは何を為すべきかを知るだろう。

なるほど。

> そして何であれ、あなたがすることは皆にとって良いこととなるだろう。

そうなんだ。(-_-)

> 質問者 私自身のなかにはさまざまな相の自分がいて、争いあっています。
>     私の中に平和がないのです。どこに自由と勇気が、智慧と慈愛があ
>     るのでしょうか? 私の行動は、私が住む深遠をより深めるばかり
>     なのです。

真面目な人だ。

> マハラジ
> それはあなたがあなた自身を何か、あるいは誰かだと見なしているからだ。

おおー。(@_@)

そういうことだよなぁ。

> やめなさい。
> 見なさい。
> 調べなさい。

(-_-)

> 正しい質問を尋ね、正しい結論を得なさい。

そんな。(;_;)

> そしてそれにしたがって行為する勇気を持ち、何が起こるか見てみなさい。

(-_-)

> はじめの段階では、頭の上に屋根が落ちてくるかもしれない。

ほらー。(^_-)

> だが、すぐに混乱は晴れ、平和と喜びが現れるだろう。

う。

> あなたはあなた自身に関して非常に多くのことを知っている。

(^_^)v

> だが、その知っている人をあなたは知らないのだ。

(*^_^*)

> 知られるものを知る者であるあなたとは誰かを見いだしなさい。
> たゆむことなく内面を見守りなさい。

うん。

> 知覚されたものは知覚者ではありえない、と覚えておくことを覚えておきな
> さい。

「知覚されたものは知覚者ではありえない……、知覚されたものは知覚者では
 ありえない……、知覚されたものは知覚者ではありえない……」

> あなたが何を見ようと、聞こうと、考えようと、覚えようと――起こること
> があなたなのではない。

“起こること”が「わたし」なのではない。

> あなたはそれが起こる当人なのだ。

「わたし」はそれが起こる当人なのだ。

> 「私は在る」という感覚のなかに深く潜っていきなさい。

まずは、ここだなぁ。(-_-;)

> そうすれば、かならず知覚の中心が、世界を照らす光のように普遍的である
> ことを発見することだろう。

うん。

> 宇宙のなかで起こることはすべて、沈黙の観照者であるあなたに起こる。

すべては沈黙の観照者である「わたし」に起こる。

> その反対に、何であれ為されたことは、普遍的で無尽蔵のエネルギーである
> あなたによって為されるのだ。

すべて為されたことは、普遍的で無尽蔵のエネルギーである「わたし」によっ
て為されるのだ。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。


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■ 3.いただいたお手紙から:i am さん
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


       …………○…………○…………○…………


今回もメールいただきましたので、ご紹介させていただきます。

相変わらず無精を決め込んで掲載のご了解を得ておりませんが、多分ご迷惑に
もならないと思うので無断のままで。

(i am さんからは掲載許可をいただいてあります。)

[件名]:「アイアムザット」を読んで
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 pari さん、2回目の感想メールです。
 たびたび、すみません。
 
 今日も「アイアムザット」を読んでました。
 そして、メルマガのpari さんの言葉と共に。
 このマハラジさんの世界観は、やっぱり、とっても、らくになります。
 
 私は今まで、いろいろな紆余曲折という長い道のりを(笑)
 経てきていまして、たとえば、ポジティブシンキングしてみたり、
 瞑想してみたり、価値や意味の考察をしてみたり、
 いろいろ試行錯誤していたんです。
 
 それで、そういう時にpari さんのメルマガにも出会い、
 pari さんのメルマガの中に、同じ視点というか、
 同じ次元のようなものを感じて、
 バックナンバーを読み続けていました。
 
 このマハラジさんの「アイアムザット」に出会う一寸まえに、
 確か2ヶ月ほどまえでしたが、
 かなり「目からウロコ」だった本との出会いがありました。
 
 それはドン・ミゲル・ルイスさんという著者の、
 「恐怖を超えて」と「パラダイス・リゲイン」という本でした。
 
 「恐怖を超えて」192ページより引用なんですが、
 「祝福に到達するには、私たちは死の天使に降伏し、
  私たちが自分だと考えている幻想を放棄しなければならない。
  私たちの幻想が私たちの地獄をつくっている。」
 
 こういう教えで、どこか深いところで、マハラジさんの「アイアムザット」
 との共通性を感じました。
 
 でも、やっぱり、マハラジさんの「アイアムザット」は、
 「無為」という点で、そこに私は救われました。
 「救われた」というのは、とても、らくになれたんです。
 
 まだまだ私は、マインドにドップリなんですが、
 でも、この、らくな世界観に一時でも触れることができたのは、
 いろいろ(ポジティブシンキングとか、意味や価値への考察とか)
 をしたあげく、結局は一言で言うと、「疲れた」からに他ならない
 と思います。
 
 疲れてしまって(笑)、もうこれ以上、真理の追究に根を上げて
 しまったんですよ。
 今でも、時間や体力、気力がある時などは、やはり、
 また、以前の癖でマインドが踊りまくり(笑)、
 無為で居られず、何か「作為」をしようとしてしまいますが、
 また結局、それにも疲れて、マハラジさんの「アイアムザット」
 の本を開いて、そして、らくになっていまいます(笑)。
 
 何か、とてもメルマガに流れている世界に共感し、
 どうしても伝えて置きたくなり、こんな長文で、失礼いたしました。
 「アイアムザット」を読み解くpari さんのメルマガに救われました。
 これからも、メルマガ、楽しみにしています。

 i am
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i am さん、ありがとうございました。m(_ _)m

> pari さん、2回目の感想メールです。
> たびたび、すみません。

いえ、何度でもどうぞ。(^^)/

> 今日も「アイアムザット」を読んでました。
> そして、メルマガのpari さんの言葉と共に。
> このマハラジさんの世界観は、やっぱり、とっても、らくになります。

やっぱり、そうですよね。

> 私は今まで、いろいろな紆余曲折という長い道のりを(笑)
> 経てきていまして、たとえば、ポジティブシンキングしてみたり、
> 瞑想してみたり、価値や意味の考察をしてみたり、
> いろいろ試行錯誤していたんです。

はい。

> それで、そういう時にpari さんのメルマガにも出会い、
> pari さんのメルマガの中に、同じ視点というか、
> 同じ次元のようなものを感じて、
> バックナンバーを読み続けていました。

ありがとうございます。

> このマハラジさんの「アイアムザット」に出会う一寸まえに、
> 確か2ヶ月ほどまえでしたが、
> かなり「目からウロコ」だった本との出会いがありました。

ほう。

> それはドン・ミゲル・ルイスさんという著者の、
> 「恐怖を超えて」と「パラダイス・リゲイン」という本でした。

そうでしたか。

> 「恐怖を超えて」192ページより引用なんですが、
> 「祝福に到達するには、私たちは死の天使に降伏し、
>  私たちが自分だと考えている幻想を放棄しなければならない。
>  私たちの幻想が私たちの地獄をつくっている。」
> 
> こういう教えで、どこか深いところで、マハラジさんの「アイアムザット」
> との共通性を感じました。

はい、わかります。

> でも、やっぱり、マハラジさんの「アイアムザット」は、
> 「無為」という点で、そこに私は救われました。
> 「救われた」というのは、とても、らくになれたんです。

なるほど。

> まだまだ私は、マインドにドップリなんですが、
> でも、この、らくな世界観に一時でも触れることができたのは、
> いろいろ(ポジティブシンキングとか、意味や価値への考察とか)
> をしたあげく、結局は一言で言うと、「疲れた」からに他ならない
> と思います。

(*^_^*)

> 疲れてしまって(笑)、もうこれ以上、真理の追究に根を上げて
> しまったんですよ。
> 今でも、時間や体力、気力がある時などは、やはり、
> また、以前の癖でマインドが踊りまくり(笑)、
> 無為で居られず、何か「作為」をしようとしてしまいますが、
> また結局、それにも疲れて、マハラジさんの「アイアムザット」
> の本を開いて、そして、らくになっていまいます(笑)。

いいですねぇ。(^^)/

マハラジ菌に感染ですね。

> 何か、とてもメルマガに流れている世界に共感し、
> どうしても伝えて置きたくなり、こんな長文で、失礼いたしました。

いえ、ありがたいです。

> 「アイアムザット」を読み解くpari さんのメルマガに救われました。

「読み解く」なんて、そんな。(←としっかり復唱して。(^_-))

(*^_^*) (←じつは、味わっている。)

> これからも、メルマガ、楽しみにしています。

m(_ _)m


       …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記: 比較的暖かい穏やかな一日。
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比較的暖かい穏やかな一日。

今日も書いた。

いい日だった。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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