home > 通信 > 『アセンション館通信』第143:ナンダンの思い出



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.143 2006/12/31(第143号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じて営まれる仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってます。 現在799名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ナンダンの思い出

2.写経ニサルガダッタ:【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】3

3.いただいたお手紙から:i am さん

4.「ご投稿・情報提供」(随時): 未来予知・新刊本のご紹介

5.編集後記: 皆さま、よい年をお迎えください。
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■ 1.ナンダンの思い出
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また穏やかな土曜の朝。

雲ひとつない初冬の空の下で、いつもより増水した川が少し幅広の銀竜となっ
て縦に蛇行しています。

右手にはいつもの“イノシシがうずくまったような”形で右上がりに視界を限
る前方の山。

下の草地で焚き火でもしているのか、ゆっくりと立ち昇る薄青い煙。

たくさんの小さな葉で陽の光を照り返している眼前の柊。

……。

わたしはこの風景に属していない。

ただ、この風景を投影して眺めているだけ。

わたしはこの世界に属していない……。

ああ、いつもこんな気分でいられたらいいなぁ。

でも、気分は必ず変化する。

そして、気分はわたしではない。

わたしは気分の外にある。

和田先生の言葉が、何の違和感もなく口から出てくる感じ。

^^;

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ナンダンがボディを離れてもう8ヶ月くらいになるんですかねぇ。

小さなメモ帳みたいのを遺していたみたいで、それを打ち込んで冊子にしてく
ださるという方がいました。

それで、冊子にするには分量が足りないので、少し何か思い出のようなものを
書いてくれないか、と言われていたんです。

なかなかその時間を見つけられなかったのですが、休みに入って、やっと昨日
書きました。

そしたら……、一種不思議な悲しさに襲われて……。(;_;)

いえ、ただ、昔のことを思い出した……、というだけのことなんですが。

悲しさも、嬉しさも、すべて“執着の味わい”ということなんでしょうけど。

私的な回想とも言えますが、どのみちこのメルマガ自体“私的な回想”を書い
ているだけのようなものですから、ナンダンの思い出をここにも載せましょう
かね。

ナンダンにとっては、もうどうでもいい夢の彼方の話だろうし。

ナンダンは、もう自己同化の対象である身体を持っていませんから、たとえ、
「私は在る」にしたところで、楽なもんでしょうね。

(まだ、「私」抜きのただ「在る」にはなっていないのかしら……? ^^; )

そこへ行くと、われわれはまだ生真面目に“身体を持っている”と思いこんで
いますから、気苦労が絶えませんよね。(^_-)

その“身体を持っている”という思い込み自体が幻想だっていうんですから、
話はややこしいです。

でも確かに、自分は“身体を持っていない”と思えたら、あるいは“わかった
ら”、こんなに楽なことはないかもしれない。

もっとも、もうすでに身体を持っていないのに、身体を持っていると思って悩
み続けている“地縛霊”なんて方々もいらっしゃるとかいうんだから、われら
が幻想「世界」も広いです。

そこに“変化するもの(=現象しているもの)”に対する執着があるかぎり、
どこまで続くぬかるみぞ、ってことになるんでしょうね。

ま、それか、あらぬか、昨日はちょっと悲しかったです。

ナンダンがボディを離れた年の年の瀬に、もう一度、ナンダンとのことを思い
出してみるのもいいかもしれない。(-_-;)

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 ナンダンの思い出
 
 
 初めてナンダンと会ったのはインドのプーナ、一九八〇年の一月のことです。
 
 正確に時期を憶えているのは、それがわたしの短いプーナ滞在の時期だった
 からです。
 
 最初どんなことで口を利きはじめたのだったか……。
 
 もしかしたら、アシュラムのメインの通りの道脇に座っていたナンダンの隣
 に、わたしが腰を下ろしたのかもしれません。
 
 いまふっと当時の情景が蘇ったのですが、そのときまだサニヤシンになって
 いなかったわたしは、当時すでに二回目のプーナ滞在を楽しんでいた先輩サ
 ニヤシンのナンダンとは、対等な話し方はしていなかったことを思い出しま
 す。
 
 軍隊とは違うでしょうが、でも当時のサニヤシン世界にも、先輩後輩という
 なにか動かしがたい暗黙の区別があったような気がします。
 
 人間が集まるところはどこでもそんなものなのか、あるいは単に、自分がそ
 ういうタイプの人間だったというだけのことかもしれませんが。
 
 当時のナンダンは、まだ癖髪(くせがみ)を長く伸ばしていて、おかっぱの
 先が肩の辺りで外側に跳ねたような頭でした。
 
 そのナンダンが首にかけていたマラは、当時われわれがもらうことになって
 いた新しい標準のペンダントとは違う、初期の古い型のペンダントでしたか
 ら、いわれを聞けば何とやらで、とても年季の入った古参のサニヤシンとい
 う印象でした。
 
 口の効き方は、例によって、じつにぶっきらぼうで、それが時に皮肉な雰囲
 気を醸し、なかなか気位の高い印象を受けたものです。
 
 いずれにしろ、当時古いサニヤシンの間で「土方のナンダン」として知られ
 ていたらしい彼が、一種、風格のあるサニヤシンだったのは確かです。
 
 しかし、お互いどこか馬が合ったのか、狭いアシュラムの中で二、三度顔を
 合わせると、すぐに親しくなったことを憶えています。
 
 鮮明に憶えているのは、二人で初めてアシュラムから外に出て、ナンダンが
 毎日朝食を摂るという近くの店で、いっしょにダル(豆のスープ)をすすっ
 たときの情景です。
 
 通りから少し引っ込んだその店の外には木陰に二、三卓の席があって、ダル
 を注文してから、ぼんやりとまわりのインドの朝を眺めていました。
 
 通勤時間なのか、まだ低い陽光を浴びた朝靄の通りを、けたたましい音を立
 ててたくさんのタクシーや力車やバイクが駆け抜けていきます。
 
 その間を縫うようにしてぞろぞろと先を急ぐインド人たち。
 
 しかしそれは、たとえ眼前にあっても遠い異国の光景であって、われわれが
 属している世界ではありませんでした。
 
 自分たちは、まったくそこに属さない者として眼前の光景を眺めている……。
 
 言葉は大袈裟ですが、先輩サニヤシン、ナンダンと過ごしたその瞬間は、わ
 たしにはまさに「悠久の時」の体験でもあるかのように記憶されたのでした。
 
 それはわたしが一回目のプーナで体験した夢のような時間の中でも、特別に
 貴重な記憶として残り、後で何度も、インドを思うたびに蘇ってきた光景で
 あり、時間でした。
 
 インドに行けばまたあの時間に出会えるのか、そんな気がしたものです。
 
 しかし、実際のナンダンとの交友は日本に帰ってきてからでした。
 
 わたしが渡した電話番号と住所をつてに、当時の藤沢の我が家をナンダンが
 訪れてくれたのはその年の初夏だったと思います。
 
 それはそれ以降の長い交友の始まりになりました。
 
 それからほとんど、ひと月に一度くらいの頻度でナンダンは我が家に姿を現
 すようになりました。
 
 階段を登ってくるナンダンの音を聞きつけて、嬉しさの余り悲鳴を上げなが
 ら扉に跳びかかっていた犬のサムが思い出されます。
 
 まず家に立ち寄り、それからナンダンがサムを引いてみんなで海岸まで散歩
 し、帰り道にナンダンが酒屋によってその日飲む酒を手に入れる、というの
 がお決まりのコースでした。
 
 我が家に落ち着くと、ナンダンはいつものお決まりの揺り椅子に腰掛け、足
 許に横たわったサムを片手でゆっくり撫でていた姿が目に浮かびます。
 
 ナンダンはいつも何かしら手土産を持ってきてくれました。
 
 たいてい何冊かの本でしたが、布のカバンを開けて、これはパリトショにや
 る本、これは貸す本と、手渡してくれました。
 
 ナンダンが来るのはいつも土曜で、シャーラの手作りの料理で機嫌良く酔っ
 ぱらうまで飲みました。
 
 いろいろな話を聞きました。
 
 神童と言われていた子供の頃の話、そのころ臨済禅の鬼叢林と言われていた
 深草の平林寺に出家した頃の話。
 
 タイで電気工事の現場監督をしていた頃のエピソード。
 家に招待されて、自分が出された料理を大半食べるのを、家族の全員が眺め
 ているのに気がついて、参った話。
 (タイでは、まずお客さんにご馳走して、その“おこぼれ”を、家の主人、
 子どもたち、奥さん、と順ぐりに食べる習慣なんだそうです。)
 
 何かバグワンの本を訳してみたい、と打ち明けたわたしに、それなら信心銘
 を訳してほしい、と教えてくれたのも、本は自分が持っているからそれを使
 ってくれ、と言ってくれたのもナンダンでした。
 
 いろいろ家族いっしょの体験もしました。
 
 いっしょに温泉に行ったり、江ノ島の灯台に行ったり、ついにはヨジャンも
 まじえて家族全員で富士山登山に挑戦したり……。
 
 当時近くに住んでいたヨジャン(そのときはまだサニヤシンになっていませ
 んでしたが)とは、三人でお寺の境内の卓球台でよく卓球をしたものです。
 
 一九九〇年十一月、ボディを離れた和尚のサマーディに参りたい、というわ
 たしにナンダンが同行を申し出、今度は二人でプーナを訪れました。
 
 このプーナ滞在での一夜、同室のナンダンに、じつは『OSHOとは何か』
 という本を書こうと思っているんだ、と初めて自分の思いを口外したときの
 ことを思い出します。
 
 出版の目当てなどまったくなしに書き始めた原稿でしたが、そのとき志した
 ことが、後に『21世紀への指導原理 OSHO』となって陽の目を見るこ
 とができました。
 
 その後、ナンダンは葛飾の飯場から自転車に乗って藤沢の家に来るようにな
 りました。
 
 あの頃のナンダンは、じつに、颯爽としていましたね。
 
 そのあと、スワループの誘いで秦野に引っ越してからはすばらしい仲間を得
 て日常がずいぶんと楽しくなった様子でした。
 
 身体の不調を訴えるようになったのは、いつの頃からだったか……。
 一九九三年の春頃からだったでしょうか?
 
 飯場の仕事はきついので、古墳の採掘の仕事を始めたと言っていました。
 
 しかしわれわれは、その頃シャーラの友人から「あの身障者のかた」という
 言葉を聞いても、それがナンダンのことだとは気がつかない程度でした。
 
 誰のことを言っているんだろうと思っていましたから。
 
 しかし、ナンダンの身体の中では着実に事態は進行していたんですね……。
 
 ナンダンが秦野に移り住んでからは、もう昔のように頻繁にナンダンが我が
 家を訪れることはありませんでした。
 
 ……ここまで書いてきて、いま、ちょっと名状しがたい感懐が溢れてきてい
 ます。
 
 あ、そうだ……。
 
 ナンダンは、じつにたくさんのいわゆる精神世界本を買った人です。
 
 わたしにはいつも「おれは買うだけだ」と言っていましたけど。
 
 いわば同病のわたしは、たくさんの本をナンダンからもらいました。
 
 まだ元気なナンダンを最後に秦野の家に訪ねたとき、わたしがもらった何冊
 かの本の中に入っていたのが、ニサルガダッタの『I AM THAT 私は
 在る』という本でした。
 
 いまわたしがもっともはまっている本です。
 
 この本の奥書を見ると、「2005年6月8日 初版発行」とあります。
 
 わたしは遅くとも二〇〇五年一〇月にはこの本をもらっていることは間違い
 ないので、ナンダンはこれを、たぶん、発行後間もない時点で購入したのだ
 ろうと思います。
 
 この本は、現在のわたしにとって一番大事な本です。
 
 この一年間、本と言えばほとんどこれしか読んでいないような気がするほど
 です。
 
 それが、ナンダンからもらい受けた本だとは……。
 
 ナンダン自身は、クリシュナムルティが一番好きだったんじゃないかなぁ。
 
 いまはもうナンダンは、ナンダンなどという人格を手放して、楽になってい
 るんでしょうけど……。
 
 いろいろお世話になりました。
 
 ナンダン、ありがとう。
 
 合掌。
 
 二〇〇六年、十二月二九日
 
 パリトーショ
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……。(-_-;)

インドに行けばまたあの時間に出会えるのか……と後から何度か思った、朝靄
の中のあのダルの店の木陰の席。

しかし、あそこに流れていた時間が、あの店の主人に流れていた時間と違うこ
とは確かでしょう。

あれは、新着早々のサニヤシン候補生が、古参の先輩サニヤシンとの同席に投
影した「悠久の時間」とも言えます。

しかし、何よりも、その眼前の世界に“自分が帰属していない”という、その
「距離感」、その圧倒的「余裕」が創り出した贈り物だったのではないか。

「世界」の中に生まれてきたと思いこんでいるわれわれは、常に“ここに属す
る者”として眼前の光景を眺めている。

それが“そこに属さない者”の視点で眺めたとたんに、「世界」はあのような
「悠久の時間」を現出するのかもしれません。

久しぶりにナンダンのことを思い出しました。

そうしたら、あの“木陰の席”から見た光景が蘇ってきた……。(-_-;)

あの“朝靄の中のダルの店”に連れて行ってくれたのもナンダンだった。

ありがとう、ナンダン。(-||-)

今日は、これくらいで。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
      【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】より(その3)
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さて、退院後しばらくここばかり読んでいた章です。

【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】の3回目。

じつは、この章の掲載は、今回の箇所を是非ともご紹介したかったからだとも
言えます。

ほんとに、今回の内容をはっきり言ってくれる方というのはあまりいません。

同様のことをおっしゃりそうな方となるとラマナ・マハリシが思い浮かびます
が、ただ、マハリシ師は穏やかな言い方をなさる方だから、ニサルガ師匠のよ
うなこういう表現は出てこないんじゃないでしょうか。^^;

もう、誤解の余地がない明瞭な表現です。

では、【99 知覚されたものは知覚者ではありえない】からのの最終回です。

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 人が沈黙の観照者であり、また普遍的エネルギーでもあると聞かさ
     れることは、言うまでもなく喜ばしいことです。しかし、どうやっ
     て言語上の表明から直接の知識へと超えていけばいいのでしょうか?
     聞くことは知ることではありません。
 
 マハラジ
 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知るものでも
 在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。
 
 質問者 私にはマインドによってマインドを調べることができるだけです。
 
 マハラジ
 もちろん、マインドを知るためにマインドを使うがいい。
 それは完全に正当であり、またマインドを超えていくには最善の準備でもあ
 る。
 在ること、知ること、そして楽しむことはあなた自身のものだ。
 まず、あなた自身の存在を認識しなさい。
 それはやさしいことだ。
 なぜなら「私は在る」という感覚はつねにあなたとともにあるからだ。
 それから、知られるものから離れた、知る者としてのあなた自身と出会いな
 さい。
 ひとたび純粋な存在としてのあなたを知れば、自由の歓喜はあなたのものだ。
 
 質問者 これはどのヨーガなのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜ気にするのか?
 あなたをここへ来させたのは、あなたの知る身体とマインドの人生が満たさ
 れないものだからだ。
 あなたはコントロールを通して、また理想に合わせてそれを屈服させようと
 するかもしれない。
 あるいはすべての自己同一の結び目を断ち切り、身体とマインドを、あなた
 とは何の関わりもなく起こる何かとして見るかもしれない。
 
 質問者 コントロールと戒律の道をラージャ・ヨーガ、無執着の道をジニャ
     ーナ・ヨーガと呼び、偶像礼拝をバクティ・ヨーガと呼んでいいの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 もしそれに満足ならば、あなたの好きにするがいい。
 言葉は差し示すが、説明はしない。
 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。
 あなたのマインドを理解しなさい。
 そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。
 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
 正しい理解が唯一の治療法だ。
 あなたがそれをどう呼ぼうとも。
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。
 
 何をしようとあなたが変わることはないだろう。
 なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。
 あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
 だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。
 いったいどうして変わることを気にするのか?
 身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
 しなさい。
 そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。
 明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
 う。
 あなたの誤解を明らかにし、それを捨て去りなさい。
 ただそれだけだ。
 そこには探したり、見いだしたりするものは何もない。
 なぜなら、何も失われてはいないからだ。
 リラックスしなさい。
 そして「私は在る」を見守りなさい。
 実在はその背後にあるのだ。
 静かにしなさい。
 沈黙しなさい。
 それは現れるだろう。
 あるいはむしろ、それがあなたをそのなかへと連れていくだろう。
 
 質問者 私は身体とマインドから自由になるべきではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたにはできない。
 なぜなら、その考え自体があなたを身体とマインドに拘束させるからだ。
 ただ理解し、無視すればいい。
 
 質問者 私には無視することができません。私は統合されていないのです。
 
 マハラジ
 あなたが完全に統合され、思考と行動が完全に協調されていると想像してみ
 たところで、それがどのようにあなたを助けるというのだろうか?
 それがあなたは身体とマインドだという誤解を解くことはないだろう。
 身体とマインドを「あなたではないもの」として正しく見なさい。
 ただそれだけだ。
 
 質問者 あなたは私に忘れるために覚えておきなさいと言われるのですか?
 
 マハラジ
 そうだ。
 それはそう見える。
 だが絶望的ではない。
 あなたにはできる。
 ただ誠実にはじめなさい。
 あなたの盲目の手探りは前途にあふれている。
 あなたの探求そのものが発見なのだ。
 失敗はありえない。
 
 質問者 統合されていないために、私たちは苦しむのです。
 
 マハラジ
 私たちの思考と行為が欲望と恐れに誘発されているかぎり、苦しみは続くだ
 ろう。
 その不毛さと危険性を見なさい。
 そうすれば、混沌は鎮まるだろう。
 あなた自身を改善しようと試みてはならない。
 ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。
 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
 い。
 それはけっして起こらない。
 変化という観念自体が偽りとし見られ、放棄されたときにのみ、不変なるも
 のがおのずと現れるのだ。
 
 質問者 私がどこへ行こうと、実在を見ることができるようになる前に、私
     は深く変わらなければならないと言われてきました。この意図的な、
     自ら強要した変化がヨーガと呼ばれるものなのです。
 
 マハラジ
 すべての変化はただマインドに影響を与えるだけだ。
 あなたであるもので在るには、マインドを超え、自己の存在のなかへと行か
 なければならない。
 マインドが何なのかということは重要でない。
 もしあなたがマインドを永遠に捨て去るならばだが。
 これもまた、真我の実現なしには不可能だ。
 
 質問者 マインドを放棄することと真我の実現、どちらが先に来るのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 真我の実現がかならず先に来る。
 マインドはマインドによってそれ自体を超えることはできないのだ。
 それは爆発しなければならない。
 
 質問者 爆発の前に探求はないのでしょうか?
 
 マハラジ
 爆発力は実在からやってくるのだ。
 だが、あなたはマインドをそのときに備えておくように充分教えられている。
 次の機会がやってくるまで恐れはつねにそれを遅らせることができる。
 
 質問者 私はチャンスがいつもあるものだと思っていました。
 
 マハラジ
 論理的にはそのとおりだ。
 実際は、真我実現のためにすべての必要要因が揃った状況が生じなければな
 らないのだ。
 このことで落胆することはない。
 「私は在る」という事実にとどまることが、別のチャンスをすぐにつくり出
 すだろう。
 なぜなら、態度が好機を引き寄せるからだ。
 あなたの知っていることはすべて間接的な知識だ。
 ただ、「私は在る」だけが直接の、そして証明を必要としないものなのだ。
 それとともにとどまりなさい。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p539-541)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。

いつもながら、ありがたい……。(-||-)

もう、この先は読んでいただかなくてもいいんですが。

> 質問者 人が沈黙の観照者であり、また普遍的エネルギーでもあると聞かさ
>     れることは、言うまでもなく喜ばしいことです。しかし、どうやっ
>     て言語上の表明から直接の知識へと超えていけばいいのでしょうか?
>     聞くことは知ることではありません。

まったく。

> マハラジ
> あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
> ならないのだ。

やっぱり、そうだよなぁ。(-_-;)

> 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。

はい。

> だが、そうではないのだ。

(-_-)

> マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
> それは記憶に傷跡を残すのだ。

なるほど。

> あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。

そうです。(;_;)

> 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
> それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。

(-_-)

> あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知るものでも
> 在る。

(?_?)

わたしが「実在」を知るとき、わたしはまたわたしが知る「世界」でも在る。

> 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。

「知ること」は、すなわち「在ること」でもある。

たしかに、「知ること」以外に「在ること」を確認する方法はないかも。(-_-;)

「知ること」ができない「在ること」なんて、意味をなさないから。

> 質問者 私にはマインドによってマインドを調べることができるだけです。

はいです。(;_;)

> マハラジ
> もちろん、マインドを知るためにマインドを使うがいい。

(@_@)

> それは完全に正当であり、またマインドを超えていくには最善の準備でもあ
> る。

ヤッター!! \(^O^)/

ニサルガダッタのお墨付きをもらったぞー! (^_^)v

(*^_^*) (←調子に乗るなって。)

> 在ること、知ること、そして楽しむことはあなた自身のものだ。

そうなんだ。(@_@)

> まず、あなた自身の存在を認識しなさい。

はい。

> それはやさしいことだ。

え。(?_?)

> なぜなら「私は在る」という感覚はつねにあなたとともにあるからだ。

ああ、そのこと。

それなら、大丈夫。(^-^)

> それから、知られるものから離れた、知る者としてのあなた自身と出会いな
> さい。

(;_;)

それが大変。

> ひとたび純粋な存在としてのあなたを知れば、自由の歓喜はあなたのものだ。

わかってます。

> 質問者 これはどのヨーガなのでしょうか?
> 
> マハラジ
> なぜ気にするのか?

^^;

> あなたをここへ来させたのは、あなたの知る身体とマインドの人生が満たさ
> れないものだからだ。

そう。

> あなたはコントロールを通して、また理想に合わせてそれを屈服させようと
> するかもしれない。

うん。

> あるいはすべての自己同一の結び目を断ち切り、身体とマインドを、あなた
> とは何の関わりもなく起こる何かとして見るかもしれない。

おおー、そこか。

> 質問者 コントロールと戒律の道をラージャ・ヨーガ、無執着の道をジニャ
>     ーナ・ヨーガと呼び、偶像礼拝をバクティ・ヨーガと呼んでいいの
>     でしょうか?
> 
> マハラジ
> もしそれに満足ならば、あなたの好きにするがいい。

はは、いかにもニサルガダッタ。^^;

> 言葉は差し示すが、説明はしない。

なる。

> 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。

そうなんだ。

> あなたのマインドを理解しなさい。

はい。

> そうすればマインドはあなたをつかんでいる手をぱっと放すだろう。

なかなか……。(-_-;)

> マインドとは誤解するものだ。
> 誤解がその本性そのものなのだ。

わかります。

> 正しい理解が唯一の治療法だ。

それを聞けて、嬉しいです。

> あなたがそれをどう呼ぼうとも。
> 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。

ありがたい。(-||-)

> なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。

ああ。

> 何をしようとあなたが変わることはないだろう。

すばらしい!! \(^O^)/

これを言ってくださる方は、なかなかいない。

> なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。

そらこい!

> あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
> だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。

おおー!! 

これ、これ。

「あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
 だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ」

> いったいどうして変わることを気にするのか?

うん。

> 身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
> しなさい。

ここまで言うか! (;_;)

「身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
 しなさい」

ジーン。(-_-)

> そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。

……。(-_-)

> 明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
> う。

そう……。

マインドながらに、そう思う……。(-_-;)

> あなたの誤解を明らかにし、それを捨て去りなさい。
> ただそれだけだ。

そうか。

……、なんか、簡単なような気もするんだよなぁ。

> そこには探したり、見いだしたりするものは何もない。

(@_@)

> なぜなら、何も失われてはいないからだ。

……いや、ほんとに、そうだよ。

> リラックスしなさい。

うん。

> そして「私は在る」を見守りなさい。

はい。

> 実在はその背後にあるのだ。

たしかに。

> 静かにしなさい。
> 沈黙しなさい。
> それは現れるだろう。
> あるいはむしろ、それがあなたをそのなかへと連れていくだろう。

おお……。(-||-)

> 質問者 私は身体とマインドから自由になるべきではないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> あなたにはできない。
> なぜなら、その考え自体があなたを身体とマインドに拘束させるからだ。

かーっこいいー! (^_-)

> ただ理解し、無視すればいい。

はい。

> 質問者 私には無視することができません。私は統合されていないのです。

いや、ほんま。

ありがとな。あんさんには、感謝しとります。m(_ _)m

あんさんのお陰で、こんなすばらしい回答をもろて……。

> マハラジ
> あなたが完全に統合され、思考と行動が完全に協調されていると想像してみ
> たところで、それがどのようにあなたを助けるというのだろうか?

カー、こう言うかねぇ。(>_<)

> それがあなたは身体とマインドだという誤解を解くことはないだろう。

“思考と行動が完全に協調”したところで、「それがあなたは身体とマインド
だという誤解を解くことはないだろう」

> 身体とマインドを「あなたではないもの」として正しく見なさい。
> ただそれだけだ。

(-||-)

> 質問者 あなたは私に忘れるために覚えておきなさいと言われるのですか?

なかなか、すごいレトリックを使うね、この人。

> マハラジ
> そうだ。
> それはそう見える。

へー、そう言うんだ。(-_-)

> だが絶望的ではない。
> あなたにはできる。

ああ、優しい……。

> ただ誠実にはじめなさい。

はい。

> あなたの盲目の手探りは前途にあふれている。

(;_;)

> あなたの探求そのものが発見なのだ。

(T_T)

> 失敗はありえない。

_(_^_)_

> 質問者 統合されていないために、私たちは苦しむのです。

そう……。

> マハラジ
> 私たちの思考と行為が欲望と恐れに誘発されているかぎり、苦しみは続くだ
> ろう。

そうかぁ。

> その不毛さと危険性を見なさい。

なるほど。

> そうすれば、混沌は鎮まるだろう。

(-_-)

> あなた自身を改善しようと試みてはならない。

(*_*)

おおーっ!

オガアチャーン!

このしと、こんなこと言うてくれとるよぉ!

こんなこと、わい言うてほしかったのー。(;_;)

> ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。

オガアチャーン!

このしと、こんなほんまのこと言うてくれとるよぉ!

ほんまのほんまやー!

> 変化するものは変化しつづける。

きまってるさぁ。

> その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。

おおぉ……。(-||-)

> 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
> い。

ああ……。(;_;)

> それはけっして起こらない。

「それはけっして起こらない」 (-_-)

> 変化という観念自体が偽りとし見られ、放棄されたときにのみ、不変なるも
> のがおのずと現れるのだ。

(-||-)

> 質問者 私がどこへ行こうと、実在を見ることができるようになる前に、私
>     は深く変わらなければならないと言われてきました。この意図的な、
>     自ら強要した変化がヨーガと呼ばれるものなのです。

ああ、この人はそう言われてきたんだぁ。

> マハラジ
> すべての変化はただマインドに影響を与えるだけだ。

そうだよ。(←受け売りだけど。^^; )

> あなたであるもので在るには、マインドを超え、自己の存在のなかへと行か
> なければならない。

はい。

> マインドが何なのかということは重要でない。
> もしあなたがマインドを永遠に捨て去るならばだが。

なるほど。

> これもまた、真我の実現なしには不可能だ。

そうか。

そうだろなぁ。(-_-;)

> 質問者 マインドを放棄することと真我の実現、どちらが先に来るのでしょ
>     うか?

(@_@)O

> マハラジ
> 真我の実現がかならず先に来る。

やっぱり。

> マインドはマインドによってそれ自体を超えることはできないのだ。

はい。(-_-;)

> それは爆発しなければならない。

おおー。(@_@)

そうなんだ……。

> 質問者 爆発の前に探求はないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 爆発力は実在からやってくるのだ。

ああ、サットグル……。(-||-)

> だが、あなたはマインドをそのときに備えておくように充分教えられている。

なるほど。

だから、爆発できるのか……。

> 次の機会がやってくるまで恐れはつねにそれを遅らせることができる。

ああ……、そういう具合になっているのか。(-_-)

これまで恐れが遅らせてきているわけか……。

> 質問者 私はチャンスがいつもあるものだと思っていました。

この人の質問は、いつも先を行っているなぁ。

> マハラジ
> 論理的にはそのとおりだ。

ほー、こう言うのか。

> 実際は、真我実現のためにすべての必要要因が揃った状況が生じなければな
> らないのだ。

やっぱり……。(-_-;)

> このことで落胆することはない。

(?_?)

> 「私は在る」という事実にとどまることが、別のチャンスをすぐにつくり出
> すだろう。

おお。

> なぜなら、態度が好機を引き寄せるからだ。

なるほど。

> あなたの知っていることはすべて間接的な知識だ。

(>_<)

……はい。

> ただ、「私は在る」だけが直接の、そして証明を必要としないものなのだ。

わかりました。

> それとともにとどまりなさい。

ありがとうございました。m(_ _)m

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。


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■ 3.いただいたお手紙から:i am さん
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


       …………○…………○…………○…………


今回もメールいただきましたので、ご紹介させていただきます。

相変わらず無精を決め込んで掲載のご了解を得ておりませんが、多分ご迷惑に
もならないと思うので無断のままで。

じつは i am さんからはメールをいただくことが多く、今回掲載させていただ
くのはだいぶ前のメールになってしまいました。

全部は掲載できないかもしれません、悪しからず。m(_ _)m >>i am さん

[件名]:メルマガ掲載ありがとうございます
----------------------------------------------------------------------
 pari さん、こんにちは。
 i am です。
 
 昨日のメルマガに、メールが掲載されて、
 pari さんからのコメントも付けてくださって、うれしかったです!
 どうもありがとうございました。
 
 さて、今日は、いろいろな気づきが在り、
 ご報告したいと思い、キーボードに向かいました。
 
 pari さんのメルマガの『134号』を読んでいたら、
 『傍系マインド』と『体制派マインド』
 という言葉が出てきていました。
 
 そして、私が最近、ときおり経験している『私は在る』状態は、
 傍系マインドのおかげで体験できている体験なんだと、
 そう思ったんです。
 マインドを超える体験も、マインドのおかげ、と思ったんです。
 
 つまり『私は在る』状態に在る時、
 そこには、裏方としての「傍系マインド」の存在があるからこそ、
 という気がしています。
 
 上手に説明できないのですが、
 古い映画のチャップリンの「街の灯」に出てくる、
 最後のシーンのチャップリンのように、
 傍系マインドは、いつも影で支えてくれている?
 ような気がしてなりません。
 
 ほとんどの本に、マインドが悪者のように書かれていて、
 私も、そう思っていたけど、
 pari さんが、マインドを「体制派」と「傍系」に分けた記述を
 読んでいて、何か、腑に落ちた気がしたんです。
 
 他の方は、これを、どう思うかは分からないけど、
 私は、これが私なりの至高の(思考の、ではありません・笑)
 『私は在る』状態のような気がしました。
 
 前回のメールにも書いた、ドン・ミゲル・ルイスさんの
 「恐怖を超えて」159ページから引用なんですが、
 
 『真の祝福は、子供時代の無垢なしに、
 この世界が正しい世界であることを知ることである。
 
 もしも私たちが、子供のような無垢にとどまっているなら、
 その悪夢を取り除くことはできないだろう。
 
 無邪気すぎる子供たちは、子羊のようなものである。
 私たちは、彼らを地獄へと招き入れなければならない。
 彼らが、できるだけ早く地獄から脱出できるようになるために。』
 
 という教えがあるんです。
 私が、もしマインドだったら(傍系でも、体制派でも)、
 自分自身の存在が消えて行くのは、とても耐えられない
 と思います。
 もしかしたら、ときおり、感じた虚しさや寂しさは、
 消されようとするマインド(傍系でも、体制派でも)の、
 悲しみだったのかも知れません。
 
 自分の仕事は、主婦なんですが、
 もし、毎日の仕事が無くなってしまったら、
 とても寂しくなるように思うんです。
 これと同じく、きっとマインド(傍系でも、体制派でも)も、
 寂しいのではないか、と思いました。
 
 私の解釈は、間違った解釈をしているのかも知れませんが、
 自分なりの悟りとは、このような形が自分には合っている、
 というようなことを思いました。
 
 個人的な悟りについての内容で、申し訳ないのですが、
 私の体験も、何らかの形で、皆さんのためになれば、
 と思い、メールしました。
 
 メルマガの「気刊」という、pari さんらしいユーモアに満ちた表現が、
 とても素適だと思いました。
 これからも、pari さんのマイペースなメルマガを楽しみにしています。
 
 i am
----------------------------------------------------------------------

i am さん、ありがとうございました。m(_ _)m

> 昨日のメルマガに、メールが掲載されて、
> pari さんからのコメントも付けてくださって、うれしかったです!
> どうもありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございます。

> さて、今日は、いろいろな気づきが在り、
> ご報告したいと思い、キーボードに向かいました。

(^^)/

> pari さんのメルマガの『134号』を読んでいたら、
> 『傍系マインド』と『体制派マインド』
> という言葉が出てきていました。

https://www.ascensionkan.com/mm/vol134.html
これ↑ですね。

> そして、私が最近、ときおり経験している『私は在る』状態は、
> 傍系マインドのおかげで体験できている体験なんだと、
> そう思ったんです。
> マインドを超える体験も、マインドのおかげ、と思ったんです。

なるほど。

> つまり『私は在る』状態に在る時、
> そこには、裏方としての「傍系マインド」の存在があるからこそ、
> という気がしています。

ほー。

> 上手に説明できないのですが、
> 古い映画のチャップリンの「街の灯」に出てくる、
> 最後のシーンのチャップリンのように、
> 傍系マインドは、いつも影で支えてくれている?
> ような気がしてなりません。

アジズだったでしょうか、「インテリジェンス」を育てているみたいな言い方
があるようですね。

> ほとんどの本に、マインドが悪者のように書かれていて、
> 私も、そう思っていたけど、
> pari さんが、マインドを「体制派」と「傍系」に分けた記述を
> 読んでいて、何か、腑に落ちた気がしたんです。

いや、わたしのはホントに単なる“口から出任せ”なんですけどね。^^;

そう言われると、ちょっとはず……「私は在る」です。(*^_^*)

> 他の方は、これを、どう思うかは分からないけど、
> 私は、これが私なりの至高の(思考の、ではありません・笑)
> 『私は在る』状態のような気がしました。

(^^)/

> 前回のメールにも書いた、ドン・ミゲル・ルイスさんの
> 「恐怖を超えて」159ページから引用なんですが、
> 
> 『真の祝福は、子供時代の無垢なしに、
> この世界が正しい世界であることを知ることである。
> 
> もしも私たちが、子供のような無垢にとどまっているなら、
> その悪夢を取り除くことはできないだろう。
> 
> 無邪気すぎる子供たちは、子羊のようなものである。
> 私たちは、彼らを地獄へと招き入れなければならない。
> 彼らが、できるだけ早く地獄から脱出できるようになるために。』
> 
> という教えがあるんです。

なるほど。

> 私が、もしマインドだったら(傍系でも、体制派でも)、
> 自分自身の存在が消えて行くのは、とても耐えられない
> と思います。

そうですよねぇ。(-_-;)

というか、そうなんでしょうかねぇ……。

消えていけるんなら、こんなにすばらしいことはない、なんて気がすることも
あるようなんですが。(*^_^*)

もちろん、“自分自身の存在が消えて行く”なんてことはありえないわけでし
ょうけど。

> もしかしたら、ときおり、感じた虚しさや寂しさは、
> 消されようとするマインド(傍系でも、体制派でも)の、
> 悲しみだったのかも知れません。

マインドの中の“気分”ですよね。

> 自分の仕事は、主婦なんですが、
> もし、毎日の仕事が無くなってしまったら、
> とても寂しくなるように思うんです。

はい、わかります。

> これと同じく、きっとマインド(傍系でも、体制派でも)も、
> 寂しいのではないか、と思いました。

^^;

> 私の解釈は、間違った解釈をしているのかも知れませんが、
> 自分なりの悟りとは、このような形が自分には合っている、
> というようなことを思いました。

寂しい気分、ということですか。

> 個人的な悟りについての内容で、申し訳ないのですが、
> 私の体験も、何らかの形で、皆さんのためになれば、
> と思い、メールしました。

はい。

> メルマガの「気刊」という、pari さんらしいユーモアに満ちた表現が、
> とても素適だと思いました。
> これからも、pari さんのマイペースなメルマガを楽しみにしています。

ありがとうございます。

m(_ _)m


       …………○…………○…………○…………


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■ 4.「ご投稿・情報提供」(随時): 未来予知・新刊本のご紹介
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com

できればハンドル名もお願いします。


        …………○…………○…………○…………


今回も、ハイアーセルフ33さんから情報をいただきました。

[件名]:未来予知・新刊本のご紹介。
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 毎回そうなのですが、先日もTVでやっていた「FBI超能力捜査官」の番
 組に、千里眼を持つ男・ジョー・マクモニーグルが出演していました。
 番組から彼の新刊本の紹介がありましたのでお知らせいたします。
 
 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31823549
 
 ■内容
 ・2015年までに東京の外国大使館がテログループに襲撃される!
 ・2025年には一週間の平均勤務日数は4日になる!
 ・2041年日本とハワイをむすぶ太平洋上に、新たな列島が現れる!
 ・2050年には火星行き宇宙船が建造され、所要時間はわずか4か月となる!
 
 ……その他、災害、戦争、犯罪、医療等、マクモニーグルが透視した未来と
 は!?
 初公開!
 日本とアジアの未来についての「書き下ろし」を約50ページ追加!
 
 Love and Peace ハイアーセルフ33
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 〜日常に精神世界の情報を生かしてゆくための〜
  スピリチュアル・メッセージ活用研究会
 H P :http://homepage2.nifty.com/haruhi33/
 Eメール:haruhi33@nifty.com
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はるさん、いつも情報提供ありがとうございます。

m(_ _)m


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■ 5.編集後記: 皆さま、よい年をお迎えください。
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はからずも今年最後のメルマガでナンダンのことを回想できたのは良かったと
いう気がしています。

今年は色々ありました。

皆さま、よい年をお迎えください。

今日も書いた。

いい日だった。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
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