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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.145 2006/01/14(第145号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってるなぁ。現在802名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.再論「映画館の中の自己同化」

2.いただいたお手紙から: あさきゆめみし さん

3.「ご投稿・情報提供」(随時): マハラジの言葉とラムサの言葉

4.編集後記:まだ、“現役”だもな。
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■ 1.再論「映画館の中の自己同化」
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今日はとってもいい天気ですよ。

あったかいし、明るいし。(^^)/

ついつい、気持ちまで明るくなってしまうなぁ。

明るく晴れ上がった広い空を、ぼやけた飛行機雲が何本か幅広の帯になって、
大きく東西に横切っている……。

あれは、ケムトレイルなんていうのかな。

まあ、どうでもいいか。^^;

それこそ、ニサルガダッタ流に、「世界を認めていないのに、どうしてケムト
レイルだけ認めるのかね」と言ってもいいしね。(*^_^*)

いずれにしろ、どう迷ってみたって、「私は在る」……。

ふふ。^^;

なんか、今日はハイテンション。(^_-)

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

どう足掻いてみても、どう魘(うな)されてみても、自殺しようが、人を殺そ
うが、どうしたってやっぱり……、「私は在る」。

そして、この「私は在る」以外は、どう頑張ってみても、どんなに健気に純真
に、真心込めて願ってみても、祈ってみても……、やっぱり奪われる。(^_-)

あはは。(^^)/

だって、これ、ホントでしょ。

理屈は理屈だけど、嘘じゃない。

だって世界を止められる人はいないもの。

この世はマーヤだって理屈、世界は幻だって理解は、とっても自分には手の届
かないような高級な境地なのかと思っていた。

でも、ニサルガダッタに教えてもらったら、なんだ、そんなこと、当たり前じ
ゃん、って気がしてきたから不思議だよねぇ。(-_-;)

変化するモノは幻なんだって理屈は、とっても筋が通っていると思うようにな
った。

これ、複雑なところも、難しいところも、なんにもないわけだよね。

要するに、“変化するもの”は実在じゃない、頼むに足りない、という単純な
ことなんだ。

単なる“言葉の定義”と言ってもいいくらい。

“変化するもの”を相手にして、なんとか“自分”の思うような形、“自分”
の都合のいい状態にとどめておきたいなんて言っても、世界の方にすれば、そ
んな無理を言いなさんな、って言わざるをえないわけだ。

でもわれわれは、そこを何とか、とか、“自分”だけはなんとかしてほしい、
と思わざるをえない……。

ふーむ。(-_-;)

状況が少しわかってきたけど、こりゃ、難しいわけだわ。

無理難題を言っているのは、誰かってことだろうけど……。

(@_@)

……それで、「誰が」無理難題を言ってるのか、ってことになるわけだ。

なるほどなぁ。

ここで「誰が」ってのが出てくるわけか……。

(-_-;)

……前に、「映画館の中の自己同化」って話をしたことがありました。

----------------------------------------------------------------------
 で、この“映画館の中の自己同化”(「自己同化」の第0層)では、ドラマ
 は館内前方のスクリーンに投影されています。
 
 わたしはこちら側の客席に座っていて、自分が望む程度に、画面の中で起こ
 っているドラマの登場人物に「自己同化」します。
 
 しかし、上映の途中でもその「自己同化」を外すことは可能だし、映画が終
 われば、その「自己同化」は自動的に終了します。
 
 ドラマは“向こう側”のスクリーン上で演じられており、ドラマを“観てい
 るわたし”は“こちら側”の客席にいるという事実が、マインドのある層で
 絶えず意識されているからです。
 
 https://www.ascensionkan.com/mm/vol138.html
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まあ、これは単純な状況ですから、何も問題はありません。

……で、このところ本なんか買ったことがなかったんですが、最近ついつい、
『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(ナチュラルスピリット刊)
http://tinyurl.com/yzbe26
という本を衝動買いしてしまいました。^^;

『I AM THAT 私は在る』の翻訳者の福間巌さんが翻訳しているし、な
んとなくラマナ・マハルシの言葉に触れたくなったんですよね。

そしたらやっぱり、とってもいい本でした。

それはそれとして、この本の中に次のようなくだりがあったんですよ。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 理論的には理解できるのですが、それでも想念は依然としてそこに
     あるのです。
 
 マハルシ
 そうだ。
 それは映画のようなものだ。
 スクリーン上には光があり、その上を去来する影が、何かのドラマが演じら
 れているような印象を観客に与えるのである。
 もし同じ映画のなかで、観客もまたドラマの一部としてスクリーン上に見ら
 れたとしたら、見る者と見られるものがともにスクリーンの上にあることに
 なる。
 それをあなた自身に当てはめてみなさい。
 あなたはスクリーンだ。
 真我が自我をつくり出した。
 そして自我とはあなたが尋ねている世界や、植物や、樹木として現れた想念
 の総体なのである。
 実際には、それらはみな真我以外の何ものでもない。
 もしあなたが真我を見るなら、いつでもどこでもすべてが真我として現れる
 だろう。
 真我以外の何ものも存在しないのである。
 
           『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p50)
                      http://tinyurl.com/yzbe26
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最後の方はともかく……、途中のこの↓くだり。

> もし同じ映画のなかで、観客もまたドラマの一部としてスクリーン上に見ら
> れたとしたら、見る者と見られるものがともにスクリーンの上にあることに
> なる。

ね、ちょっと刺激的な表現でしょ。(^_-)

これは、マインドが元気になりますよ。

悪い癖で寝床でこれを読んだんだけど、ここを読んだ後、しばらく興奮して眠
れなくなりました。

マインドは、それだから困る……。(-_-;) (←なんちゃって。(*^_^*))

> それをあなた自身に当てはめてみなさい。
> あなたはスクリーンだ。
> 真我が自我をつくり出した。
> そして自我とはあなたが尋ねている世界や、植物や、樹木として現れた想念
> の総体なのである。

マハルシはこう↑言っています。

それはそれとして、前に書いた「映画館の中の自己同化」の文脈で、この

> もし同じ映画のなかで、観客もまたドラマの一部としてスクリーン上に見ら
> れたとしたら、見る者と見られるものがともにスクリーンの上にあることに
> なる。

という状況に迫ってみたいんですよね。

----------------------------------------------------------------------
 第0層:「あなたは映画の中の配役ではない。映画を観ている客だ」
 
 「自己同化」の第0層を、“映画館の中の自己同化”と呼ぶことにします。
 
 この「自己同化」の第0層では、“誰”が“何”に自己同化するのか?
 
 むろん、観客である「わたし」が、スクリーンに投影された映画の“ドラマ
 の主人公”に自己同化するわけでしょう。
 
 https://www.ascensionkan.com/mm/vol138.html
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さて、この文脈を踏襲して、そこからまっすぐに「同じ映画のなかで、観客も
またドラマの一部としてスクリーン上に見られたとしたら、見る者と見られる
ものがともにスクリーンの上にあることになる……」という状況に突っ込むこ
とにします。(^^)/

映画館の中では、ドラマは“向こう側”のスクリーン上で演じられており、ド
ラマを“観ているわたし”は“こちら側”の客席にいます。

さて、わたしが観ているその映画のなかに、観ている当人のわたしが出てきた
ら、そりゃエライことですよね。(>_<)

『粗忽長屋』の“落ち”じゃないけど、「この土左衛門はたしかにあたいだけ
ど、じゃ、見ているこのあたいは、いったい、誰なんだろう? (?_?)」って
わけです。^^;

(*^_^*)

ちょっと立て込んできたので、話を整理しますね。^^;

まずは、簡単な落語の『粗忽長屋』から。

せっかくの仲間の好意で、「論より証拠」だからって、水死人が出た河原まで
連れてきてもらったとはいえ、“この土左衛門”が「あたい」ってことはない
でしょうよね。

だって、「あたい」が“この土左衛門”を見ているんだから。

【知覚されたものは知覚者ではありえない】ってわけです。(^_-)

かんちん、かんちん。(^^)/

では、次に、わたしが観ているその映画のなかに、観ている当人のわたしが出
てきた場合です。

こりゃー、実際、困りますよねぇ。(>_<)

なにしろ、映画のなかに自分がいるんだから。

しかし、気を落ち着けて考えてみると……、いくらなんでも“自分”が二人い
るわけがない。

映画の中にいるのは“登場人物のわたし”だし、こっちにいるのは“観ている
わたし”です。

どっちが本当の「わたし」なんだろう……、と言ったら。

……。(-_-;)

やっぱり、“観ている方の「わたし」”なんじゃないでしょうか。(^_^)v

       【知覚されたものは知覚者ではありえない】

って原則に照らしたって。

本物の「わたし」は、やっぱり、“こっち側”にいますよ。(^^)/

“向こう側”の映画の中にいる“登場人物”がわたしだなんて、どう考えたっ
てありえない。

“登場人物のわたし”っていうのは、“わたし”の偽者か、幻でしょう。

「この土左衛門はたしかにあたいだけど、じゃ、見ているこのあたいは、いっ
 たい、誰なんだろう? (?_?)」って考えたって、それくらいはわかります。

さて、予行演習を終えて、ここからが本番。

行きますよ。

ホップ、ステップ、ジャンプ!!

こう見えても、時代はえらく進んでいます。

いま、わたしが映画館のなかで映画を観ていたら、なんと (@_@)、館内前方に
収まっていたクリーンがむくむくと揺らいでいたかと思うと、見る見る上下・
左右、前方・後方に拡大して、アッという間に、3D、ウルトラリアルのスク
リーンとなって館内全体を覆ってしまいました。(>_<)

キャー!! (*_*)

なんと、今まで「観客」のつもりで安心して映画を観ていたわたしが、いつの
間にか“登場人物”として映画のなかに取り込まれてしまっていたんです。

さて、お立ち会い。

この映画の中には、『ふたりのロッテ』ならぬ“二人のわたし”はもう見えま
せん。

スクリーン上の“登場人物のわたし”と、こっちで観ている“観客のわたし”
なんてありがたい牧歌的な区別は、このドルビー付き超高精細3Dハイヴィジ
ョン映像となった悪夢の世界では完全に抹消されています。(>_<)

ここにいるのは、ただひとり、中で青ざめている“登場人物のわたし”だけ。

さて、この3Dウルトラリアルの映画からどうやって抜け出たらいいのか。

なにしろ、“登場人物のわたし”しかいない。(-_-;)

映画の“登場人物”が映画から飛び出すには、『カイロの紫のバラ』を観たっ
てわかるように、少なくとも、映画の外にいる人が何らかの形で呼んでくれな
いことには無理ですよ。(^_-)
http://tinyurl.com/ymo3w2

映画の中の“登場人物のわたし”しかいなかったら、映画の中から抜け出しよ
うがないじゃない。

どうやってこの悪夢の世界から抜け出せるのか。(-_-;)

……。

(*^_^*)

ちょっと、恐い?

そうでもない? ^^;

これが『眠りの森の美女』のお姫様かなんかだったら、待っていれば、いつか
王子様が助けに来てくれるのかもしれないけど。

なにしろ、“登場人物のわたし”しかいないもんなぁ。

それが問題だ。(-_-;)(←なんちゃって。(*^_^*))

いやいや、この3Dウルトラリアルの映画にも“登場人物のわたし”だけじゃ
なくて“観ている「わたし」”がいるんだ、っていうのがご存知、正義の味方
「月光仮面」のおじさんが持ってきてくれた正真正銘のグッド・ニュース。

もっとも、そういうグッド・ニュースを持ってきてくれるのは、たいていは、
おじいちゃんたちだけどね。(^_-)

まあ、それは、こっちも『眠りの森の美女』のお姫様じゃないから、あまり贅
沢も言えない。

そのおじいちゃんたちの言葉を信じるなら、この「世界」という3Dウルトラ
リアルの映画にも“登場人物のわたし”だけじゃなくて“観ている「わたし」”
がいるらしい。

なにしろ、“観ている「わたし」”がいなくては、“登場人物のわたし”を含
めて「世界」(という3Dウルトラリアルの映画)そのものが存在できない、
っていうんだよなぁ。(-_-;)

え、だって、そんな“観ている「わたし」”なんてどこにいるよ? (?_?)、っ
てキョロキョロ辺りを見まわさないでね。

ご安心くだされ。

“わたし”が何人もいるわけがない。(^_-)

わたしはひとり、ただひとり♪

わたしのニシパはどこにいる? (>_<)\ゴン

ッテー。(/_;)

“観ている「わたし」”と“登場人物のわたし”なんて、そんな二重人格みた
いなものは存在しない……ってんでしょ。(;_;)

いるのは、“登場人物のわたし”か“観ている「わたし」”か、どちらか一方
だけだって。(;_;)

そいでもって、実在するのは……、実在するのは……。(;_;)

“観ている「わたし」”だけだって……。(;_;)

ワーン。(>_<)

――泣くな、お前。

  わかってんじゃん。

  それで、いいんだよ。

  泣くことねーじゃんよ。

(/_;)

でも、そんな“観ている「わたし」”なんてどこにいるよ? (?_?)

――なに言ってんの、お前。(\_/)

  知ってんだろーが。

  こいつ、知らねー振りすると、どつかれんぞ。

  オラオラ。

  言え、言え。

  やさしく言っているうちに言わねーと……。

  それはいったい、どこのどいつのことだ? (\_/)

(;_;)

「わたし」のこと……、でしょ。(;_;)

ワーン。(>_<)

おー、よしよし。

(*^_^*)

というわけで、この3Dウルトラリアルの映画の中には“登場人物のわたし”
しかいないようで、じつは“観ている「わたし」”が背後に隠れている。

その「わたし」なくしては、「世界」そのものがありえないのだから。

だって、その「わたし」が「世界」を観ているのだから……。

存在しているのは、「わたし」だけでございます。

「私は在る」……。

(-_-;)

……。

(*^_^*)

えー、そうするってーと、心配ってのは、どうやら“登場人物のわたし”とし
て“映画の中で死にたくない”ってだけのことらしいですね。(^_-)

どうも、とんだ“恥かき小僧”でございます。^^;;;

あ、これ↑も、単なる自己同化で。(*^_^*)

喜びも悲しみも、すべては自己同化ゆえの夢幻でございます。

「私は在る」……。

本日は、再論「映画館の中の自己同化」の一席でお騒がせしました。<(_ _)>

おやかましゅうございました。

今日は、これくらいで。

m(_ _)m


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■ 2.いただいたお手紙から: あさきゆめみし さん
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


       …………○…………○…………○…………


今回、久しぶりに あさきゆめみしさん からメールをいただきましたので、
ご紹介します。

[件名]:たまめーる
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 ご無沙汰しております。あさきゆめみしです。
 いつも味わって読んでいます。パリさん、生還されて安心しました。
 自分の本質が肉体でないと、知的には理解できますが、いざ自分が三次元か
 らサヨナラするときは、どんな気持ちになるのか、いまのところわかりませ
 ん。
 ぼくのからだは、自家製酵素ジュースを飲んだりして、まだまだ病気知らず
 です。
 いま飲んでいるのは、秋の酵素で、秋に収穫した30種類ほどの野菜と果物を
 砂糖でまぶして、抽出した液体を水で割って飲みます。
 春は、雑草をやはり30種類以上採取して同じようにします。
 自然からじかにパワーをもらう方法として、これは最適です。
 ミトコンドリアが元気になることが、健康のカギで、酵素はミトコンドリア
 にとっては、必須アイテムなようです。
 ところで、アセンション通信の「私はある」の文章を、読みやすい文体で自
 分なりにまとめて、読み返しています。
 その中で気になる文章を色づけしたりしました。
 ぼくが気になったのは、たとえば以下のようなフレーズです。
 
 「もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろ
  う。」
 「行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
  実在の表現といったものはない。
  あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
  実在だけが在る。
  ほかには何もない。」
 「実在は主観的でも客観的でもなく、マインドでも物質でもなく、時間でも
  空間でもない。」
 「あなた自身の自己に真実でありなさい。
  あなた自身を絶対的に愛しなさい。
  他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
  彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛するこ
  とはできない。
  あなたではないもののふりをしてはならない。」
 「解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という実体から
  解放されることなのだ。」
 「そこに探求すべき第二の、あるいは高次の自己というものはない。
  あなたが最高位の自己なのだ。」
 「偽物を捨て去りなさい。
  そうすれば真実はそれ自体で現れるだろう。」
 
 どのフレーズをとっても鋭い洞察で、ごもっとも、と感心しています。
 そして、どの切り口もすべて共通しています。
 ぼくの場合、マハラジの本の中の質問者のように、「どうやって」、とか
 「なぜ」というマインドにはまならいようにしながら、じっと実在が自分に
 開示してくるのを待っているという感じです。
 「ある」という実体が、時間、空間、五感、考え、そして体験をも超えてい
 るとなると、じたばたしてもどうしようもない、という感じです。
 じたばたせず、じっとすると言えば、信州の我が家は、ここ数日の雪ですっ
 かり雪景色になりました。
 この季節は薪ストーブの暖かさがありがたいです。
 薪さえ十分あれば、冬の寒さが楽しいとさえ思うほどです。
 それでも、春の訪れをじっと待っているわけです。
 「必要でないものを求めなければ、必要なものがやってくる」というフレー
 ズは、響きましたね。
 これ、逆だと、文明社会の多くの人々は、不必要なことを求めることで、な
 おさら忙しい日々を送っているわけですね。
 脱文明を目指していなかに移り住んだぼくとしては、何が本当に必要なのか、
 自問自答する日々が続いています。
 マハラジ流に言えば、実在以外はガラクタなんて極論されそうですね。
 今回のシェアは、このへんで。また、メールさせてください。
 あさきゆめみしより
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あさきゆめみしさん、シェアリングをありがとうございます。m(_ _)m

> ご無沙汰しております。あさきゆめみしです。

お久しぶりです。(^^)/

> いつも味わって読んでいます。パリさん、生還されて安心しました。

ありがとうございます。

> 自分の本質が肉体でないと、知的には理解できますが、いざ自分が三次元か
> らサヨナラするときは、どんな気持ちになるのか、いまのところわかりませ
> ん。

まったくです。

“知的には理解でき”るんですよね。

> ぼくのからだは、自家製酵素ジュースを飲んだりして、まだまだ病気知らず
> です。

なによりです。(^^)/

> いま飲んでいるのは、秋の酵素で、秋に収穫した30種類ほどの野菜と果物を
> 砂糖でまぶして、抽出した液体を水で割って飲みます。
> 春は、雑草をやはり30種類以上採取して同じようにします。

なんか、聞くだけでもすばらしい感じですね。

> 自然からじかにパワーをもらう方法として、これは最適です。

なるほど。

> ミトコンドリアが元気になることが、健康のカギで、酵素はミトコンドリア
> にとっては、必須アイテムなようです。

そうなんですか。

> ところで、アセンション通信の「私はある」の文章を、読みやすい文体で自
> 分なりにまとめて、読み返しています。

そうなんですか。書いてみるのはいいですよね。

> その中で気になる文章を色づけしたりしました。
> ぼくが気になったのは、たとえば以下のようなフレーズです。

はい。

> 「もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろ
>  う。」

ああ、これはなぜか、いかにもあさきゆめみしさんらしい選択という感じがし
ますね。

> 「そこに探求すべき第二の、あるいは高次の自己というものはない。
>  あなたが最高位の自己なのだ。」

これ↑、わたしも好きですねぇ。(^-^)

> どのフレーズをとっても鋭い洞察で、ごもっとも、と感心しています。
> そして、どの切り口もすべて共通しています。

はい。

> ぼくの場合、マハラジの本の中の質問者のように、「どうやって」、とか
> 「なぜ」というマインドにはまならいようにしながら、じっと実在が自分に
> 開示してくるのを待っているという感じです。

なるほど。

> 「ある」という実体が、時間、空間、五感、考え、そして体験をも超えてい
> るとなると、じたばたしてもどうしようもない、という感じです。

まったく。

> じたばたせず、じっとすると言えば、信州の我が家は、ここ数日の雪ですっ
> かり雪景色になりました。
> この季節は薪ストーブの暖かさがありがたいです。
> 薪さえ十分あれば、冬の寒さが楽しいとさえ思うほどです。

おお、いいですねぇ。

> それでも、春の訪れをじっと待っているわけです。
> 「必要でないものを求めなければ、必要なものがやってくる」というフレー
> ズは、響きましたね。

いかにも。

> これ、逆だと、文明社会の多くの人々は、不必要なことを求めることで、な
> おさら忙しい日々を送っているわけですね。
> 脱文明を目指していなかに移り住んだぼくとしては、何が本当に必要なのか、
> 自問自答する日々が続いています。

(-_-)

> マハラジ流に言えば、実在以外はガラクタなんて極論されそうですね。

ええ、知覚できるものはすべて鏡に付着した“汚れ”だそうですからね。^^;

> 今回のシェアは、このへんで。また、メールさせてください。
> あさきゆめみしより

また、シェアリングしてくださね。

m(_ _)m


       …………○…………○…………○…………


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■ 3.「ご投稿・情報提供」(随時):マハラジの言葉とラムサの言葉
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com

できればハンドル名もお願いします。


        …………○…………○…………○…………


今回も、ハイアーセルフ33さんからご投稿いただきました。^^;

[件名]:マハラジの言葉とラムサの言葉について
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 みなさんこんにちは、ハイアーセルフ33です。
 
 前回のこのメルマガで、私はマハラジのいう「私は在る」という自覚は、
 「ただ在る」という意識状態になってゆく入り口(第一歩)であるといいま
 した。ですが、まったく同じものの別な表現とも理解できます。
 
 つまり「ただ在る」という状態を、「私」の側面から見た言い方として、
 「私は在る」という表現になっているということです。
 
 実際は「両方の意味を併せ持った言葉」というのが、「私は在る」のもっと
 も妥当な理解と思われます。
 
 いずれにしても、「私は在る」という自覚や存在状態は、ラムサのいう「た
 だ在ること」と同じ重要性とメリットをもち、真我実現という意味で、本質
 的かつきわめて効果的なあり方であることにちがいありません。
 
 マハラジの言葉のほとんどは、単に「私は在る」という純粋な自覚へもって
 ゆくための手段として、「私ではないもの」と「私であるもの」、そしてそ
 の「自己認識がもたらす結果」をはっきり理解させることに費しているよう
 です。
 
 今回私は、マハラジの言葉とラムサの言葉との関係についてコメントします。
 それよってマハラジの言葉の意味が、より分かりやすくなり、したがい活用
 できるものとなることを目的としました。
 
 前々回パリさんが「写経」されていたマハラジの言葉に下記がありました。
  
 > 真我実現のためにすべての必要要因が揃った状況が
 > 生じなければならないのだ。このことで落胆することはない。
 > 「私は在る」という事実にとどまることが、
 > 「別のチャンス」をすぐにつくり出すだろう。
 > なぜなら、態度が好機を引き寄せるからだ。
 
 まずこの中で「別のチャンス」とは、「真我実現のための別のチャンス」と
 理解していいものです。
 
 では、「私は在るという事実にとどまること」とは具体的にどういう意味で
 しょうか。
 
 マハラジは「私は在るという事実にとどまること」が、真我実現の別なチャ
 ンスを「創造する原因」となる「態度(在り方)」であるということを述べ
 ています。
 
 ここでラムサの言葉を思い出してみましょう。
 
 ●「絶対的に知っている」という状態が、あなたの王国すべての創造主である。
  (ラムサホワイトブックP280 2004.9.30改訂初版版より)
 
 ●「知っている」という状態こそが、それを絶対のものとするのであり、そ
  の状態がその知っている内容を現実化するのである。
  (ラムサホワイトブックP279 2004.9.30改訂初版版より)
 
 つまり「(何かを)絶対的に知っている」という私たちの意識状態が、その
 知っている内容をなんであれ現実化する「創造の原因」(=創造主)である、
 といっているわけです。それが原理(法則)であると。
 
 マハラジは、「真我実現の別なチャンスを創造する原因」は、「私は在ると
 いう事実にとどまること」であるといっています。
 
 ということは、「私は在るという事実にとどまること」で意味しているもの
 とは、「私は在るということを絶対的に知っている状態」と、それが「体現
 されたあり方(表現)」にとどまることと理解できます。
 
 そうでなければ、「私は在るという事実にとどまること」が、「真我実現の
 別なチャンスを創造する原因」にはなり得ません。
 
 次のようなラムサの言葉があります。
 
 ●自分が神であることを知っている状態は、「ただ在る状態」において達成
  される。
  (ラムサホワイトブックP216 2004.9.30改訂初版版より)
 
 さて、「自分が神であることを知っている状態」から何がもたらされるので
 しょうか。 
 
 前述したラムサの言葉、
 
 ●「絶対的に知っている」という状態が、あなたの王国すべての創造主であ
  る。
  (ラムサホワイトブックP280 2004.9.30改訂初版版より)
 
 ●「知っている」という状態こそが、それを絶対のものとするのであり、そ
  の状態がその知っている内容を現実化するのである。
  (ラムサホワイトブックP279 2004.9.30改訂初版版より)
 
 といった原理からすれば、「自分が神であることを知っている状態」からも
 たらされるものとは「自分が神である状態(真我実現)」に他なりません。
 
 マハラジへの質問者も私たちも「自分が神である状態(真我実現)」を目的
 としています。
 ですから「自分が神である状態の実現(真我実現)」のためには、
 
 「自分が神であることを知っている状態」になればいいわけです。
 そしてどうすれば、そうなれるのかといえば、
 
 ●自分が神であることを知っている状態は、「ただ在る状態」において達成
  される。
  (ラムサホワイトブックP216 2004.9.30改訂初版版より)
 
 のですから、「ただ在る状態」の自覚(実感=「知っている状態」)を深め
 てゆけばよいと理解できます。それこそが「自分が神である状態の実現(真
 我実現)」のために本質的なことです。
 
 「ただ在る」ことの自覚の深まりによって、「自分が神である」ことを
 「(絶対的に)知っている状態」が生み出され強まってゆき、
 
 それが原因で、結果は「自分自身が神になる」(=「真我実現」という状態
 が創造される)ということです。
 「知っている状態」がもたらす「創造の原理」からそうなります。
 
 以上のことから言えることは、マハラジのいう「私は在る」という言葉は、
 前回ご紹介したラムサの説く「ただ在る」の効果、メリットから考えてみて
 も、その本質は別なものではなく「ひとつのもの」と理解する必要がありま
 す。
 
 ですから「私は在る」という言葉を、「私は在る」という「自覚」と理解し、
 そしてそれは「ただ在る」という意識状態になってゆく「第一歩(入り口)」
 であると同時に、
 
 「ただ在る」という存在状態「そのもの」の別な表現であると理解すれば、
 すべてにつじつまが合った解釈ができます。
 
 こうしたことを前提に、前回の私の投稿では、ラムサの言葉・・「ただ在る」
 ことがもたらすメリット(効果・効能)情報をたっぷり紹介しておきました。
 
 マハラジの言葉を活かすためにそれが必要だと思ったからです。
 
 Love and Peace ハイアーセルフ33
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 〜日常に精神世界の情報を生かしてゆくための〜
  スピリチュアル・メッセージ活用研究会
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 Eメール:haruhi33@nifty.com
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同じ「私は在る」という言葉に触れても、いろいろな観点があるものですね。

ハイアーセルフ33さん、独自の観点のシェアリング、ありがとうございまし
た。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:まだ、“現役”だもな。
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もうどうにでもなってくれ、と思ったり。

いや、とは言っても、やはりまだお金はいるっしょう、と思ったり。^^;

まだまだ、サバイバルの泥濘(ぬかるみ)を漕ぎ続けるつもりらしいです。

まだ、“現役”だもな。

あーあ、今日も書いた。

いい日だった。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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