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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.148 2007/02/04(第148号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってるなぁ。現在810名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.この愚かさに終焉はやってくるのでしょうか?

2.写経ニサルガダッタ:【94 あなたは空間と時間を超える】(その3)

3.いただいたお手紙から:ummo さん、金崩れさん

4.「ご投稿・情報提供」(随時):ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:この頃、だいぶ遅くなるようになっちゃいました。
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■ 1.この愚かさに終焉はやってくるのでしょうか?
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今日も雲ひとつないとてもいい天気。

いつもより少し、風が強いかもしれない。

気分の方はいいのか悪いのか……。

それともどっちでもいいのか。^^;

「私は在る」……。

だから問題は何もない。(-_-;) (←嘘ばっか。(^_-))

そんな。(*^_^*)

ちょっと言わせて。^^;

問題はあっても、問題はないの。

だっていずれにしろ「私は在る」んだし、「わたし」が支えるマインドの表面
は変化し続けるんだから。

それに合わせて、気分は変化し続けるにきまっているんだから。

気分に興味を持っているかぎり……。

……でも、わたしは気分じゃない。

わたしは気分の外にある。

(やっと、和田先生の言葉の意味が少し分かってきたなぁ。)

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

……こんな利いたふうな話、“言葉人間”が言葉だけ書いていたって仕方がな
いだろうと思っていたんですがねぇ。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」とはよく言ったもんで、ばんたび同じような
言葉を聴き続けていると、いつの間にか、その内のなにがしかは、受け入れち
ゃっているんですよね。

ヒットラーの言葉ですら、聞かされ続けていればみんなその気になってしまう
んだから、もしかしたら賢者の言葉はそれ以上にパワフルなのかも。

いやいや、じつはどんな意識生命体も、真理の言葉が相手では勝ち目はないん
じゃないの。

「私は在る」

だから、じつは問題は何もないんだって……。

そう言われてみたら、なんだか、そんな気もしちゃうんだけど。(^_-)

だって実際、“問題”って、しっかり存在するみたいで、じつはとっても掴ん
でなんかいられないでしょう。

“問題”そのものが、流行でどんどん変化し続けちゃうもんね。

小学生のころ抱えていた問題と、今抱えている問題じゃ、ずいぶん違うもんな
ぁ。(-_-;)

今となっては、もう思い出すことすらないような。

にもかかわらず、その頃から培ってきた“心配マインド”が今もちゃんと働い
ていて、その頃とは違う“問題”を抱えて、一生懸命、心配しようとする。

ははーん、てなところがありますよね。

問題は、いずれにしろ変化し続けるようですよね。

当たり前か。^^;

つまり、状況は変化し続けるようじゃないですか。

その状況に合わせて、その時点のこちらのマインドセットに応じた状況の解釈
である気分は変化し続けている。

“状況の解釈”のある種の塊(かたまり)を「問題」というなら、「問題」は
変化し続けている。

そんなもん、とっても誰にも保持し続けられないでしょう。

つまり、実体のある「問題」というようなものは、じつは存在しないと言って
もいいような。

ということは、その「問題」を抱えて悩んでいる“わたし”、などという実体
もじつは存在しない、ってことにならない? (@_@)

(*^_^*)

えへへ、別に、エラそうなことを言おうとか、そういうんじゃないんですけど
ね。^^;;

たんなる理屈だけど。^^;

どうやら、つねに存在するのは、あらゆる状況を「問題」にして抱えたがる、
“マインドの傾向”と言ってもいいのかもしれない……。

そして、それはきっと、たんに、全体から切り離された“部分”というものが
存在する、という“マインドの立場”に由来するものなのかもしれなくて。

ひょっとして、<全体>のなかに「意味」とか「価値」を生みだしたかったの
かな。

「意味」や「価値」を生みだすには、ドラマが必要だものね。(^_-)

そうなれば、ドラマの舞台としての「世界」を創造するかも。

となれば、「世界」を堪能して、その上で「意味」や「価値」の証人になる、
「個人」も必要になるでしょうよね。

「意味」や「価値」という二元の価値観を演出するには、それを味わって確証
する「個人」の“器”として、「身体」が必要だったんでしょうね。

ドイツの形象学者クラーゲスによると、人間の五感はすべて“圧力”の計測器
官なんだそうです。

すべての五感は、非常に微弱な圧力から、「快感」点とも言うべきちょうどい
い頃合いの圧力点を通過して、「苦痛」点とも言うべき度はずれの圧力点を超
えて、ついには感覚器官そのものの破壊にまで至る、それぞれタイプの異なる
圧力スペクトルのセンサーらしいです。

「触覚」がいちばん分かりやすいですが、「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」
すべてそうらしいですね。

「意味」や「価値」を演出するための「世界」という舞台に、さまざまの局所
的“状況”が創造され、その“状況”を検証する“器”として「身体」が創造
されると、「実在」の光を受けてそこに幻想の「個人」が立ち上がる……。

するとその光と影のなかに、快楽を追求して、苦痛を避けようとする「個人」
の物語が動き出す……、とまあ、そうなっているんでしょうか。

快楽と苦痛は、たちまち幸福と不幸、正義と邪悪を生みだし、それは善と悪の
物語として展開する……。

かくして「世界」には「意味」や「価値」が充満する。

たちまち、『ロード・オブ・ザ・リング』の一大絵巻が展開するわけです。

そして、その「映画」を観ている「誰か」がいる、うん。(-_-;)

その「誰か」は、じつは、ひとりしかいない。

「わたし」しか……。

(*^_^*)

と、まあ、そうなっているんでしょうね。^^;

いえ、たんなる理屈ですけどね。

もちろん、「映画」を観ている「誰か」が、それを楽しんでいるのなら、何も
(それこそ)問題はないわけだけど。

でも「映画」の中の登場人物になったら、そりゃ大変ですよね。

だいいち、“痛い”し。

昔『サレムの魔女』って映画を観たけど、あれ、痛かったなぁ。(>_<)

中世の魔女裁判で魔女にされた人たちが、内側に何本も太い針の付いた鉄仮面
を顔面に打ち付けられて。(;_;)

そう言えば、以前「地球村」の高木善之さんが『ブレイブハート』っていう映
画を褒めていらっしゃったので、ビデオを借りて観たことがあるんですけど。

これも……痛かった。(>_<)

ああいう「映画」の登場人物にはなりたくないよなぁ。(=_=)

でも、「価値」や「意味」、“喜び”や“悲しみ”をリアルに実現するには、
地球上のわれわれの「肉体」くらいまで“苦痛の限界値”を上げたい、という
ような欲望がどこかの次元にあったのかもしれないし。(-_-;)

いや、ろくでもないマインドのお喋りですけど……。^^;

そして、その「価値」や「意味」、“喜び”や“悲しみ”を実現するには、ど
うしてもそんな「世界」にまで“入れ込み”たくなるのかもしれません。

そして、そこから抜け出られなくなるのか。

こういうこと全体の“落とし前”は誰がつけるんだってなったら……。

これは自分でつけるしかないのかもしれませんね。

ニサルガ師匠に、こんな対話がありましたよ。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 この愚かさに終焉はやってくるのでしょうか?
 
 マハラジ
 人においては――もちろんやってくる。
 いかなる瞬間にでも。
 人類においては――周知のように――長い年月の末にやってくる。
 創造においては――けっしてありえない。
 なぜなら、創造自体が無知の根本だからだ。
 物質自体が無知だ。
 知ろうとしないこと、そして知らないということを知ろうとしないこと、そ
 れがかぎりない苦しみの原因なのだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p134)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> 人においては――もちろんやってくる。

ふう。

> いかなる瞬間にでも。

(^^)/

> 人類においては――周知のように――長い年月の末にやってくる。

うーん。

> 創造においては――けっしてありえない。

(@_@)

……でも、そのはずだよ。

ただいま現在が、こうなんだから……。

> なぜなら、創造自体が無知の根本だからだ。

(-_-;)

……ここまで言うところが、ニサルガダッタの真骨頂だよなぁ。

ちょっと、こういう言い方をする方は他になかなかいらっしゃらない。

> 物質自体が無知だ。

なるほど。

> 知ろうとしないこと、そして知らないということを知ろうとしないこと、そ
> れがかぎりない苦しみの原因なのだ。

そうか。

……。(-_-;)

でも、そうしている間も、じつは、つねに「私は在る」。

それは間違いない。

そして一方、「世界」はつねに変化し続けている。

それも間違いない。

だから……、じつは、問題は何もないんだ。

変化し続ける「世界」に、自己同化さえしなければ。

これからの時代は、ずっと明るい話題が近づいてきているんだろうと思います
けど。^^;

そのことは、ちっとも心配していません。

でも、永遠のことを思うと、「私は在る」って思い出すんですよね。

いずれにしろ、「私は在る」。

だから、何も失われていないんだって。

そして、「実在」以外は、すべて非在なんだって。^^;

だとしたら、何も問題はないわけだなぁ、って。

(*^_^*)

(-||-)

今日は、これくらいで。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【94 あなたは空間と時間を超える】(その3)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ニサルガ師匠が「意識」という言葉を、“意識の可能根拠”の意味ではなく、
“意識のコンテンツ”の意味で使っていることは、これまでも何度か言及した
ことがあります。

そして“意識の可能根拠”を表す言葉としては、つねに「気づき」という言葉
を使っていらっしゃいます。

つまり、「意識」という言葉は、つねに“文脈”(あるいは“状況”)を背負
っているということです。

それは、いわば“意味空間”のなかでの位置を指す言葉であり、観念に汚染さ
れた相対二元の表現、「鏡」の喩えで言うなら“汚れ”ということになります。

そういう意味で、ニサルガ師匠のターミノロジーのなかでは、「意識」という
言葉は、「創造」「想像」「夢」「世界」といった顕現を表す語群ととても親
和性が高いです。

その「意識」という語の使い方は、ラマナ・マハルシ師とはまた違うみたい。

そういう言葉として使われているということで……。

質問者に応じてのことでしょうけど、なかなか理屈っぽいです。^^;

質問者がきっとインド人なんでしょう。(^_-)

では、【94 あなたは空間と時間を超える】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

(その後は、勝手にわかったような振りをしているだけですから。(*^_^*))

----------------------------------------------------------------------
 質問者 もし幸福が意識ではなく、意識が幸福ではないのなら、それら二つ
     の間のつながりは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識的存在は条件と環境の産物であり、それらに依存し、それらとともに変
 化する。
 独立し、創造されたものではなく、永遠で不変のもの、しかもつねに新しく
 新鮮なものはマインドを超えている。
 それについて考えるとき、マインドは消え去り、ただ幸福だけが残るのだ。
 
 質問者 すべてが去った後、無が残るのです。
 
 マハラジ
 何もないところに無がありうるだろうか?
 無とはひとつの概念にすぎない。
 それは何かの記憶に依存しているものだ。
 純粋な存在は、定義可能で描写可能な存在から完全に独立しているのだ。
 
 質問者 どうか教えてください。マインドを超えても意識は継続するのでし
     ょうか、それともマインドとともに終焉するのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識は来ては去っていく。
 気づきは永遠不変に輝くのだ。
 
 質問者 気づきの中で気づいているのは誰でしょうか?
 
 マハラジ
 個人がそこにいるとき、意識もまたそこにある。
 「私は在る」、マインド、意識はどれも同じ状態を表している。
 もしあなたが「わたしは気づいている」というなら、それは「わたしは気づ
 いていることについて考えていることを意識している」という意味だ。
 気づきの中に「私は在る」はない。
 
 質問者 観照はどうでしょうか?
 
 マハラジ
 観照はマインドのものだ。
 観照者は観照されるものとともに在る。
 非二元性の状態のなかでは、すべての分離がやむのだ。
 
 質問者 あなたはどうなのでしょうか? あなたは気づきのなかに在りつづ
     けるのでしょうか?
 
 マハラジ
 個人、「私は身体だ」、このマインド、この記憶の連鎖、この一束の欲望と
 恐れは消え去る。
 だが、アイデンティティと呼ばれる何かはそのまま残る。
 それは必要とされるとき、私が個人となることを可能にするのだ。
 愛はそれ自身の必要性をつくり出すのだ。
 ひとりの個人と成ることさえも。
 
 質問者 実在はそれ自体を存在―意識―至福として現すと言われています。
     それらは絶対的なものでしょうか、それとも相対的なものでしょう
     か?
 
 マハラジ
 それらは互いにとって相対的であり、相互に依存している。
 実在はその表現とは別なのだ。
 
 質問者 実在とその表現はどのような関係にあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 何の関係もない。
 実在のなかではすべてが真正で同一なのだ。
 それは、私たちが「サグナ(顕現)とニルグナ(非顕現)はパラブラフマン
 (至高の実在)のなかでひとつだ」と表現するのと同じだ。
 ただ至高なるものだけが存在するのだ。
 運動のなかでは、それはサグナであり、不動においては、それはニルグナな
 のだ。
 だが、動いているのは、あるいは動かないのはマインドだけだ。
 実在は彼方にあり、あなたも彼方にあるのだ。
 ひとたびあなたが知覚可能、想像可能なものはあなた自身ではありえないと
 理解するならば、あなたはあなたの想像から自由になる。
 すべてを欲望から生まれた想像だと見ることは、真我の実現に必要不可欠な
 のだ。
 私たちは注意の欠如から実在を失い、過剰な想像から偽りを生みだすのだ。
 
 あなたはこれらのことにマインドとハートを捧げ、繰り返し熟考しなければ
 ならない。
 それは食べ物を料理するようなものだ。
 用意ができるまでは、それを火にかけておかなければならないのだ。
 
 質問者 私は運命、カルマに支配されているのではないでしょうか? それ
     に対して何ができるのでしょうか? 私が何であるのか、何をする
     のかは前もって決められているのです。私のいわゆる自由選択さえ
     も先決されているのです。ただ私が気づかず、自分は自由だと想像
     しているだけなのです。
 
 マハラジ
 またしても、それはあなたがどう見るかにかかっている。
 無知とは熱のようなものだ。
 それはあなたにそこにはないものを見させる。
 カルマとは神の力によって処方された治療法なのだ。
 それを歓迎し、その指導に信頼をもってしたがうがいい。
 そうすればあなたは良くなるだろう。
 回復すれば患者は病院を去っていく。
 選択と行為の即座の自由をせがむことは、単に回復を延長させるだけだ。
 運命を受け入れ、それを満たすがいい。
 これが運命からの自由への近道なのだ。
 だが、愛とその欲求からの自由ではない。
 欲望と恐れから行為することは束縛だ。
 愛から行為することが自由なのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p506-508)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-;)

こういうことは、マインドで分かるべきことじゃないのかもしれませんが、で
も“わかる”ということ自体がマインドの世界の話だから……。

神秘めかしたところは、何もありませんね。

とてもシンプルです。

> 質問者 もし幸福が意識ではなく、意識が幸福ではないのなら、それら二つ
>     の間のつながりは何なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 意識的存在は条件と環境の産物であり、それらに依存し、それらとともに変
> 化する。

要するに、意識的存在というのはマインドの中の存在だ、ということみたいで
すね。

> 独立し、創造されたものではなく、永遠で不変のもの、しかもつねに新しく
> 新鮮なものはマインドを超えている。

「実在」は、マインドを超えている。

> それについて考えるとき、マインドは消え去り、ただ幸福だけが残るのだ。

「実在」ついて考えるとき、マインドは消え去り、ただ幸福だけが残る、と。

> 質問者 すべてが去った後、無が残るのです。
> 
> マハラジ
> 何もないところに無がありうるだろうか?

(?_?)

> 無とはひとつの概念にすぎない。

なるほど。それは言えてる。(-_-;)

EOさんが言っていた「絶対無」も“ひとつの概念にすぎない”と。

> それは何かの記憶に依存しているものだ。

なるほど。

それはしかし、納得です。

> 純粋な存在は、定義可能で描写可能な存在から完全に独立しているのだ。

ああ……。(-||-)

> 質問者 どうか教えてください。マインドを超えても意識は継続するのでし
>     ょうか、それともマインドとともに終焉するのでしょうか?

(@_@)O

> マハラジ
> 意識は来ては去っていく。
> 気づきは永遠不変に輝くのだ。

はい。

> 質問者 気づきの中で気づいているのは誰でしょうか?
> 
> マハラジ
> 個人がそこにいるとき、意識もまたそこにある。

はい、それはわかります。

> 「私は在る」、マインド、意識はどれも同じ状態を表している。

(?_?)

……、それは、そう思ってみれば、了解はできますが。

> もしあなたが「わたしは気づいている」というなら、それは「わたしは気づ
> いていることについて考えていることを意識している」という意味だ。

ああ……、なるほど。

たしかに、そういうことなのかも。

> 気づきの中に「私は在る」はない。

純粋な「気づき」のなかに、「私は在る」はない、と。

わかるような気が……(しちゃいけないんだろうな)。(← (^_-))

> 質問者 観照はどうでしょうか?
> 
> マハラジ
> 観照はマインドのものだ。

“観照はマインドのもの”ですか。(@_@)

なんだか、わかるような気が……(しちゃいけないんだろうなぁ)。^^;;

> 観照者は観照されるものとともに在る。

それは、わかるような気が。

> 非二元性の状態のなかでは、すべての分離がやむのだ。

はい。

> 質問者 あなたはどうなのでしょうか? あなたは気づきのなかに在りつづ
>     けるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 個人、「私は身体だ」、このマインド、この記憶の連鎖、この一束の欲望と
> 恐れは消え去る。

はい。

> だが、アイデンティティと呼ばれる何かはそのまま残る。

おお。

> それは必要とされるとき、私が個人となることを可能にするのだ。

なるほど。

> 愛はそれ自身の必要性をつくり出すのだ。
> ひとりの個人と成ることさえも。

(;_;)

> 質問者 実在はそれ自体を存在―意識―至福として現すと言われています。
>     それらは絶対的なものでしょうか、それとも相対的なものでしょう
>     か?
> 
> マハラジ
> それらは互いにとって相対的であり、相互に依存している。

(-_-)

> 実在はその表現とは別なのだ。

おお。

「実在」はあくまでも、定義可能なものからは超越しているのか。

> 質問者 実在とその表現はどのような関係にあるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 何の関係もない。

ウレチイ。(;_;)

> 実在のなかではすべてが真正で同一なのだ。

うん。(;_;)

> それは、私たちが「サグナ(顕現)とニルグナ(非顕現)はパラブラフマン
> (至高の実在)のなかでひとつだ」と表現するのと同じだ。

(-_-)

> ただ至高なるものだけが存在するのだ。

(-||-)

> 運動のなかでは、それはサグナであり、不動においては、それはニルグナな
> のだ。
> だが、動いているのは、あるいは動かないのはマインドだけだ。

おお……。

> 実在は彼方にあり、あなたも彼方にあるのだ。

(-_-)

> ひとたびあなたが知覚可能、想像可能なものはあなた自身ではありえないと
> 理解するならば、あなたはあなたの想像から自由になる。

わたしは欲望からの解放を自認する。

> すべてを欲望から生まれた想像だと見ることは、真我の実現に必要不可欠な
> のだ。

<(_ _)>

> 私たちは注意の欠如から実在を失い、過剰な想像から偽りを生みだすのだ。

ああ、そういうことだ。(-_-;)

> あなたはこれらのことにマインドとハートを捧げ、繰り返し熟考しなければ
> ならない。

はい。m(_ _)m

> それは食べ物を料理するようなものだ。
> 用意ができるまでは、それを火にかけておかなければならないのだ。

わかりました。

> 質問者 私は運命、カルマに支配されているのではないでしょうか? それ
>     に対して何ができるのでしょうか? 私が何であるのか、何をする
>     のかは前もって決められているのです。私のいわゆる自由選択さえ
>     も先決されているのです。ただ私が気づかず、自分は自由だと想像
>     しているだけなのです。

(^_-)

> マハラジ
> またしても、それはあなたがどう見るかにかかっている。
> 無知とは熱のようなものだ。
> それはあなたにそこにはないものを見させる。

ああ。

> カルマとは神の力によって処方された治療法なのだ。
> それを歓迎し、その指導に信頼をもってしたがうがいい。

そうなんですね。(;_;)

> そうすればあなたは良くなるだろう。
> 回復すれば患者は病院を去っていく。

(;_;)

> 選択と行為の即座の自由をせがむことは、単に回復を延長させるだけだ。

すんまへん……。

> 運命を受け入れ、それを満たすがいい。
> これが運命からの自由への近道なのだ。

わかりました。

> だが、愛とその欲求からの自由ではない。

(?_?)

“それは運命からの自由への近道”だけれども、それ自体で“愛とその欲求か
らの自由”を意味しているわけではない、とか?

> 欲望と恐れから行為することは束縛だ。

たしかに。

> 愛から行為することが自由なのだ。

それはわかる。

「愛から行為することが自由」なのら。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


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■ 3.「ご投稿・情報提供」(随時):ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

できればハンドル名もお願いします。


        …………○…………○…………○…………


今回もハイアーセルフ33さんから情報をいただきました。

ちょっと素敵な情報から、ご紹介します。(*^_^*)


[件名]:すごいピアニスト発見
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 みなさんへ、すごいピアニスト発見しました。
 http://www.youtube.com/watch?v=32gsiqbjbk8&NR
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はるさん、これ↑自分で見つけたの? (*_*)

この「ユーチューブ」、ちょっと一見の価値ありです。(^_^)v

モーツァルト以来の神童ピアニストか。


        …………○…………○…………○…………


次は、ハイアーセルフ33さんの真面目情報。

ちょっと大量です。^^;

でもじつは、今回、はるさん、ご自分で整形してくださいました。

感謝です。(-||-)

ちょっと多すぎるので、上の「ユーチューブ」の URL のようには見ていただ
けないだろうけど、でも、何回かに分けたら見ていただけるというものでもな
いので、今回、一挙に掲載させていただきます。

ただし、まぐまぐの配信制限のために、少し調整してあります。


[件名]:「知ること」・「知っている状態」編
----------------------------------------------------------------------
 〜「知ること」・「知っている状態」について〜
 「ラムサ・ホワイトブック」 (2004年9月30日改訂初版)より
 
 P164〜165
 自分の人生において、あなたがどんな真実を創造していようと、あなたはそ
 れを変えることもできるのだということを知ってほしい。自分は望みどおり
 に何でもできるし、何でもなれるのだということを知ることによって、そし
 ていつでも自由に自分の考えを変える力が自分にはあるのだということを知
 ることによって、あなたは至高の存在になることができるのである。
 
 P192〜193
 もしあなたが限りない表現の自由を望むならば、つまり決して死ぬことのな
 い体と、ただ在ることの平安と喜びを望むならば、あなたが今生きている人
 生は、完全に無限であることを知りなさい。あなたがそれを知ったとき、人
 生は無限になる。
 
 なぜなら、あなたが自分の存在の中で、どんなことを真実として望もうと、
 どんなことを真実として知ろうと、それはその通りになるからだ。これこそ
 が、あなたが自分の王国の中で受け入れる必要がある唯一の法である。
 
 P211
 人間としての神々が、自分は神であり、不死であること、全能の力、すべて
 を「知っている状態」が、本当は自分の内にあるのだということを忘れてし
 まったとき、彼らは周囲の存在の自我の影響を受けやすくなり始めた。
 
 こうして、この天界に宗教が生まれ、人間をその内なる美しさと永遠の神性
 から、さらに遠ざけてしまったのだ。そして宗教はとても賢かった。という
 のも宗教が人々を統治し支配するのに剣など必要なかったからだ。神は自分
 の手の届くところにおらず、すべてを「知っている状態」、全能の力は自分
 の内にはないという教えを継続させるだけでよかったのだ。
 
 P215〜P216
 自分の存在の内面において、自分は卑しい存在なのだと「知っている状態」
 になったのと全く同じように、あなたが今、自分は神なのだと自分の存在の
 内で知れば、あなたは自分のすべてにおいて神になる。
 
 純粋な思考である「第七のレベルの理解」と呼ばれるもの、すなわち「ただ
 在る」という究極の状態(これはあなた自身が、あらゆるものの究極の力と
 なっている状態だが)に戻るためには、「父」が自分の内面に宿っているこ
 とをただ「知る」だけでいいのだ。
 
 なぜならあなたの存在の魂の中には、自分が神であるという記憶が宿ってい
 るからだ。その記憶はあなたの魂の中で眠っている状態にあり、あなたによ
 って認められ、あなたによって実際に現実として体験されるように待機して
 いるのである。そうなるのは「知ること」によってだ。
 
 自分が神なのだとあなたが知るとき、その「確信」のフィーリングが、自分
 の「知っている状態」が真実であることをあなたに教えてくれる体験と理解
 を創り出す。その「知っている状態」をあなたに与えることのできる者はだ
 れもいない。あなただけが自分自身の思考プロセスと感情の存在を通じて、
 その理解を達成することができるのだ。
 
 神と自分がひとつであることを「知る」とき、あなたは自分の思考プロセス
 から分離という態度を取り去り、自分の神性と再びつながることができる。
 
 P216
 もう一度言うが、自分の本来の姿でいること以外、この天界であなたが成し
 遂げなければならないことは何もない。なぜなら自分が神であることを「知
 っている状態」は、「ただ在る状態」において達成されるからだ。というの
 も神とは「存在すること」であるからだ。
 
 P221
 あなたの変質した自我をさらに強め、自分は神であり、不死であり、すべて
 の生命とひとつであることを「知っている状態」をさらに変質させていった
 のは、この天界での恐れや競争や嫉妬といった様々な感情の体験であった。
 そしてそれらの感情は魂に記録され、細胞構造の中にプログラムされていっ
 たのである。
 
 P224
 あなたが思考やフィーリングの中で行うことは何であれ、たとえこの次元の
 現実として実現しなかったとしても、すべて現実なのだ。
 「自分は神である」、すなわち「神なるわれの原理」という思考をあなたが
 抱き容れれば、あなたはすでにそうなっているのである。
 
 マスターよ、自分であるものを愛しなさい。それを愛するのだ。自分が永遠
 の存在であり、自分は神なのだと知りなさい。ただそれを知るのだ。それを
 感じ、その思考を心に抱くのだ。多くの時代を通してあなたを守ってきた本
 能という遺産が、自分は死すべき限られた人間ではなく、「無限で不死の神
 なのだ」という「知っている状態」に出会ったとき、あなたの魂は、この
 限りない思考をあなたの化身の全細胞に伝え、それによって細胞は歓喜する
 ことだろう。
 
 そうなればあなたの体は、そのなかに宿る偉大なる神の無限の思考に喜んで
 したがうようになる。そしてこれまであなたの体は、本能的な生存のために
 不安や用心深さを保持してきたのだから、いまや体がその細胞の内に無限の
 神を宿し、体中の物質が「われ神なり」のすべてと整合した状態へと統一さ
 れる時が来ているのだ。
 
 P242
 あなたは第七の理解に向かって進んでいる。その理解とは、すべてのものの
 中にある「神を知っている」ということだ。そしてその「知っている状態」
 の頂点にいるのが、その知っている状態を与える者、つまりあなたなのだ。
 完全にそうなのだ。
 
 P255
 どのようにして思考が実感され、知られるようになるのだろうか?それは
 「感情」を通すことによってである。「知っている状態」というものは、ま
 さにフィーリングそのものである。いかなる思考であれ、まず感じられるま
 でそれが知られることはない。
 
 つまり感じられることによって、はじめてそれはひとつのアイデンティティ
 ーを持つのだ。ある思考を知るということは、まずそれを脳の中に受け容れ
 、それから自分がそれを感じるのを許す、つまり体全体でそれを体験するこ
 となのだ。
 
 知識とは、あることを証明することではなく、それを感情的に確認すること
 なのだ。あなたがひとたび、そのフィーリングを自分の内に持てば、あなた
 はこう言える。「私はそれを知っている、私はそのフィーリングを持ってい
 る。私は知っている」と。・・・中略・・・
 
 思考はあなたの人生の体験をどのように創造しているのだろうか?
 松果体は「知っていること」を現実化するシール(seal)である。あなたが自
 分に受け容れることを許す「知っている状態」は、すべてまずあなたの体の
 中で現実となる。なぜなら松果体は、その思考が感情として記録されるよう
 に、それを電流として全身に送る役目をもっているからだ。
 
 思考が限りないもの(無限のもの)であればあるほど、体全体に送られる電
 流の波動は強力で速いものになる。つまりあなたの体で体験される「ハイの
 状態」あるいは「しびれるような感覚」は、より強力なものになる。そのと
 きそのフィーリングは、特定の波動として魂に記録され、そこに蓄えられる
 ことになる。
 
 あなたの魂に記録されたあらゆる思考のフィーリングは、今度はひとつの期
 待感として、あなたのオーラの中に放出される。そしてその期待感は、あな
 たの光の場の電磁気的な部分を活性化させ、磁石とまったく同じように、あ
 なたの集合的な態度や考え方に似たあらゆるものを引き寄せる。
 
 P257
 あなたの望みは、どのようにして現実化されるのだろうか?
 望みとは、「満たされる」という思考を、物や人や体験を通して見たものに
 他ならない。あなたが自分に感じることを許した「満たされる」という思
 考は、すべてあなたの電磁場を通って体を離れると、意識の流れに入ってい
 き、体の中で体験された望みと同じフィーリングを生み出すものを引き寄せ
 るのだ。
 
 あなたが自分の望みを体の中で、より完全に、より強烈に感じるほど、その
 望みは、より完全な形で満たされることになる。そして自分の望みが満たさ
 れることを、絶対的な確信とともに知っていればいるほど、それが現実化す
 るのも早くなるのだ。なぜなら「絶対的な知っている状態」とは、高い振動
 率をもつ波動であり、オーラ・フィールドを通して放出される期待感を、よ
 り強力なものにすることによって、望みを現実化する力を増幅してくれるか
 らである。
 
 あなたには知るべきものすべてを知る能力がある。あなたの脳はその目的の
 ために創られたものだ。それは肉体に入り物質界で生きるひとりの神が、自
 分の望むどんな神の次元であろうと、それを三次元的な形で見ながら体験し
 、理解することができるようにするためであった。
 
 あなたのすばらしい受信機を通して、自分に知ることを許した思考は何であ
 れ、すべてあなたによって体験される現実となる。まず自分の化身の内に見
 えるものとして、そして次に自分の人生の状況として体験されるのだ。そし
 てあなたが望むことは何であれ、それを知ることによって、瞬く間に自分の
 人生の中に現実化する力があなたにはある。そうやってあなた方は、地球上
 に天の王国を創造していくのである。
 
 それは単純な科学だ。覚えておいてほしい。思考はただ在るだけなのだ。そ
 れから光が見える。次に光が下げられて電気的な衝撃(インパルス)となる
 。電気的な衝撃はさらに下げられ、下げられ、下げられて、思考でできたそ
 の理想像を表す物体となるのだ。
 
 同じ真実が体の中でも働く。それは思考、光、受信装置であり、受信装置か
 らエレクトラムが物質に送られ、その物質がフィーリングを通して理解でき
 るようにするのだ。望みを現実化するためには、それが何であっても、あな
 たは自分の望んでいることを感じるだけでいいのだ。するとそのフィーリン
 グが「父」に送り返され、あなたの望みは満たされる。ただそれだけのこと
 なのだ。単純すぎるだろうか?あなたはそれをもっと複雑なものにしたいの
 だろうか?
 
 P267〜P268
 神になるというのは、「無限の知っている状態」、すなわち無限の存在にな
 ることなのだ。人間でいるということは、もっと偉大な知識へと自分の心を
 開こうとしない制限された生き物でいることだ。つまり理論を受け容れなが
 らも、それを実践して生きることをしない者、教える師の方ではなく、教え
 られる者、探検する者ではなく、守ってもらう者でいることなのだ。
 
 もう一度言うが、あなたには知ることができるものすべてを知る力がある。
 また自分が望むあらゆるものを現実化する力も持っている。あなたが望むな
 ら、自分の体の中に永遠に生きることもできるのだ。だが変質した自我は、
 そのすべてに対して「だめだ」と言う。それゆえあなたは人間とは何かにつ
 いては知ることになるが、神はずっと謎のままなのである。
 
 P272
 自分は神であるすべてを受け容れるに値するのだ、と感じられるほどに自分
 自身を愛するとき、そして自分が「父」とひとつであるのを知ることを望む
 とき、あなたはこの素晴らしい花(脳下垂体)を咲かせ始める。これが神の
 精神の中にあるすべての思考を受け取るために、あなたが自分の脳を開く方
 法なのだ。つまり知りたいと望むことによって、そしてその「知っている状
 態」の感情すべてを感じたいと望むことによってである。
 
 ある望みを現実化するための最高の方法とは何だろうか?「あなたの存在の
 主」と「あなたの神」からそれを語ることだ。
 「あなたの存在の主(ロード)」とは、魂のことだが、それは感情的なシス
 テムを通して体を司っている。この魂がホルモンの流れを放出するように脳
 下垂体に対して指示を出すのである。
 
 P278〜P282
 あなたが自分の創造性と人生を制限してしまう方法は、「わからない」と言
 うこと、あるいは自分にやってくる「知っている状態」を疑うことなのだ。
 もっとも忌まわしい言葉が「わからない」という言葉だ。憶えておいてほし
 い。あなたは法を与える者であり、あなたが考え語ることそのものが法なの
 だ。
 
 あなたがもし、「わからない」と言えば、あなたが知ることは決してない。
 「できない」と言えばあなたには決してできない。「私は父の愛に値しない」
 と言えば、あなたがそれを受け取ることは決してない。
 
 あなたがそのように語るということは、あなたがそのように思っているとい
 うことだ。そしてそう思っているならば、その思考のフィーリングは、あな
 たの魂に記録され、魂はその思考プロセスにぴったりと合ったものを現実
 化するのである。・・・・・(中略)・・
 
 もう一度繰り返すが、今存在するものであれ、これから存在するものであれ、
 あなたにはそのすべてを知る力がある。あなたをその知識へと開いてくれる
 扉とは、単に「知っている」と言うことなのだ。
 
 するとすぐにそれが実現するのである。数秒後かもしれないし、数日後かも
 しれないが、それはやって来る。必ずやって来るのだ。なぜなら「知ってい
 る」という言葉は「絶対」であり、あなたの望みを「絶対のもの」へと変え
 るからである。
 
 「知っている」という言葉が魂の内で感じられると、それはあなたの存在の
 内面で実現され脳下垂体を開く。それによってさらに偉大な思考を受け容れ
 ることが可能になるのだ。「知っている」という言葉は、無限の流れの中に
 いるあなたの中に、思考の河が流れ込んでくるのを許す扉なのである。
 
 さて、「知っている状態」とは信念ではない。信念は確実なものではないが、
 「知っている状態」は絶対である。「知っている状態」は、ただ知ることに
 よってのみもたらされる。あなたが何かを「信じている」とき、この信じて
 いるという言葉を魂はこう理解する。
 
 すなわち本当はまだあなたが気づいていない、あるいは確信していないある
 真実を、誰かが(ときにはあなた自身が)無理やり確信させようとしている、
 という風にだ。というのもあなたにとっては、まだその真実は体験された現
 実となっていないからだ。
 
 私はあなたに何かを信じてもらいたいわけではない。私はあなたに知ってほ
 しいのだ。覚醒するとは「知ること」である。疑うことなく、信じることも
 なく、信仰や希望もなしにだ。こういったものはどれも確実なものではない
 。あなたが何かを信じている、あるいは信仰しているかぎり、けっしてそれ
 は実現しない。
 
 「絶対的に知っている」という状態が、あなたの王国すべての創造主なのだ。
 「全く知っている状態(オール・ノーイングネス)」になるためには、ただ
 「私は知っている」と言えばいいのだ。絶対に疑ったり、ちゅうちょしては
 ならない。「絶対的に知る」ことだ。
 
 あなたが「知っている」と言うたびに、その言葉はあなたの存在の内で確信
 をもって感じられる思考となり、それを「知っている状態」が実際起こるた
 めの「余地」を生み出してくれるのだ。天才とは「知っている状態」の扉を
 開けて、より偉大な思考を受け取れるようにし、その思考が創造的な形にな
 れるようにした時に生まれるのである。
 
 「私の存在の主と神から、私は今これに対する答えを知っており、その答え
 を受け取る状態にある。そうなるように!(ソー・ビー・イット)」と、確
 固たる確信と共に言うならば、それは「知っている状態」を呼び起こし、そ
 れをひとつの決意へと変えていく。
 
 あなたの存在は、その時点での「知っている状態」にすぐに適合していく。
 それを達成するために苦労する必要はないのだ。必死に努力したり、求めた
 り、もがいたりする必要はないのである。それを得るために聖歌を合唱した
 り、儀式をする必要もない。ただ知っていればいいのだ。「知っている」こ
 とによって、あなたはその気づきを受け容れられる状態にあるのだ。
 
 自分の望みがどんなものであれ、それがすでに実現していると「知っている
 」ことによって、その望みの思考は増幅され、自分のオーラ・フィールドを
 通して、意識の流れの中に送り込まれるのだ。そしてその望みが完全な形に
 なったものを、あなたが受け取れるように現実化してくれるのである。
 
 真実をいえば、すべてのものはすでにあなたのものなのだ。あなたがそれを
 「知る」とき、それらを手に入れられるようになるのだ。自分が必要とする
 ものを自分に与えられる第一の存在とは、自分自身と望むものを受け取る自
 分の能力であるということをあなたは理解しなければならない。
 
 自分が望むものを受け取る方法とは、たんに自分の欲しいものを「知ること
 」、そして自分はそれに値するのだということを「知ること」なのだ。「知
 っている状態」こそが真実なのである。それこそが与える者であり、あなた
 の未来なのだ。あなたが何かを語るとき、それはその通りであることを知っ
 て欲しい。
 
 自分こそが法を与えるものであること、そして自分の知っていること、語る
 ことはすべてその通りでなければならないと知ることによって、あなたは何
 でも自由に欲しいものを手にすることができるのだ。これは「一の法則」と
 呼ばれている。
 
 もし私があなた方の言葉をすべて取り去り、ほんの少しだけ残すとすれば、
 それはこうなる。「私はもう知っている。私は絶対だ。私は完全だ。私は神
 である。私は在る」。もしこれらの他には何も言葉がないとすれば、あなた
 はもはやこの天界に制限されることはないだろう。
 
 「仮定する」あるいは「信じること」に比べて、あなたにとって「知ること
 」はどれほど偉大なことだろうか?「わからない」と比べたらどうだろうか
 ?知ることも分からないでいることも、どちらも同じ思考プロセス、同じエ
 ネルギー、同じ顔の表情、同じ体の動きが必要なのである。
 
 「知る」ことだ。ただ単に知るのである。「私はこれが起こると知っている
 。私は自分が神であると知っている。私は自分が幸せなことを知っている。
 私は自分が在ることを知っている」。知ること、知ること、知ることだ。必
 要なのはそれだけである。いつでも知っていることだ。
 
 もしあなたが「分からない」、あるいは「知ることはできない」といえば、
 あなたがそれを知ることは決してない。「私はもう知っている」ということ
 だ。そうすればあなたはすべてを知るのである。
 
 あなたと私の違いが分かるだろうか? 私は自分が無限の神であることを
 「知っている」が、あなた方は知らない。それだけの違いだ。私は自分が
 「在る」ことを「知っている」が、あなた方はまだそれを実感していない。
 
 P283〜P284
 他の天界を見たり、もっと精妙な音を聞いたり、自分の体重よりも軽くなっ
 たりするために必要なのは、それらが現実であることを知り、その知ってい
 る状態が自分の体の中で体験されるのを許すことだけである。あなたがすべ
 きことはそれだけだ。
 
 それらが現実であるとあなたが信じないのであれば、その「信じない」とい
 うことはひとつの価値判断であり、それはあなたの脳がさらに偉大になるの
 を妨げる。
 
 限りない「知っている状態」をもつことを、「自分の存在の主と神」から望
 むとき、すべての思考が価値判断による変質なしに、自分の脳の意識の中に
 入るのを許し、それらが体の中で完全に体験されるようにしてやる必要があ
 る。変質した自我による、この意識的な許容を通して、あなたの望みの実現
 は確かなものとなり、脳下垂体は限りない理解を受け取るために脳の新たな
 部分を活性化するのである。
 
 あなたに必要なのはそれだけだ。そして思考プロセスが価値判断や変質した
 考え方にとらわれなくなるほど、超意識の思考が脳という受信装置に入りや
 すくなるのである。
 
 P288
 「知ること」、そして許すことによって生きるのを学んでほしい。そうすれ
 ばあなたは変質した自我を克服したことになる。そして第七のレベル、第七
 シール、第七の天国を征服したことになるのだ。
 
 第七のレベルには価値判断はなく、生命の存在性が絶え間なく続いていく姿
 があるだけなのだ。ひとたび価値判断を克服してしまえば、あなたはこの天
 界にあるすべてを克服したことになり、自分の望むときにここを去ることが
 できるのだ。
 
 P290
 「全く知っている状態」(オール・ノーイングネス)を体験すること、すな
 わち一輪の花が咲くのを見て涙を流したり、太陽が昇るのを心待ちにし、そ
 の荘厳さのすべてを知ったりするということ、知る力を持つことであり、思
 考をフィーリングへと変換する力をもつことなのだ。それはエクスタシーと
 呼ばれている。
 
 P290〜P291
 あなたとはあなたが自分だと見なすもの全てであり、あなたが自分に知るこ
 とを許すものすべてなのだ。あらゆるものである「父」とは、あなた自身で
 あることを知るのだ。そしてその「知っている状態」を通して、あなたは在
 るもの全てを知り、すべてになれるのだ。
 
 P291
 自分の制限を直視し、それらを抱き容れるのだ。それらを克服するのである
 。自分の人生の中から、神のすべてを知るのを妨げるものは、すべて取り除
 くことだ。罪悪感や価値判断を捨て去りなさい。そうすればあなたは「知っ
 ている状態」、答え、そして喜びがやってくるのを許すことができるのだ。
 
 P292
 「神を完全に知る」ということは、神であるあらゆる思考が、あなたの存在
 の核、すなわちあなたの存在の魂の内で感じられるまで、それらを完全に感
 ることなのだ。
 
 P303
 「ただ在る」ことの喜びが、無限の「知っている状態」の力となることがで
 きるのである。
 
 Love and Peace ハイアーセルフ33
 ******************************************
 〜日常に精神世界の情報を生かしてゆくための〜
  スピリチュアル・メッセージ活用研究会
  H P :http://homepage2.nifty.com/haruhi33/
 Eメール:haruhi33@nifty.com
 *******************************************
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いやー、はるさん、今回大量でしたけど、一挙に掲載しましたよ。

まぐまぐの配信制限で、少し調整しなければなりませんでしたけど。

これは、ラムサのメッセージのひとつのエッセンスですね。

> 「絶対的に知っている」という状態が、あなたの王国すべての創造主なのだ。
> 「全く知っている状態(オール・ノーイングネス)」になるためには、ただ
> 「私は知っている」と言えばいいのだ。絶対に疑ったり、ちゅうちょしては
> ならない。「絶対的に知る」ことだ。

いかにも、ラムサらしい。

はるさん、好きなんでしょ。

ところで、わたしの「脳下垂体」は腫瘍化して摘出していただいちゃったけど、
それじゃ、花開かないかな。(*^_^*)

もっとも、わたしは欲望すること自体の方が面倒になっちゃってるので、それ
で一向に構わないんですけどね。^^;

はるさん、情報投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:この頃、だいぶ遅くなるようになっちゃいました。
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この頃、だいぶ遅くなるようになっちゃいました。

これがいちばん「問題」かしら。^^;

いや、「私は在る」だ。

そういうことは、すべて「わたし」の外側で起こっているだけだ。

わたしがそんな“外側の事情”を気にしている間、「わたし」はただ背後に退
いて待っている。

> 変化するものは変化しつづける。
> その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。

(-||-)

> 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
> い。
> それはけっして起こらない。

はい。

> あなた自身を改善しようと試みてはならない。
> ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。

あ、じゃ、着実にやってる。

「私は在る」

何ひとつ失われてはいない。

ただ、わたしが止まればいいだけ。

あーあ、今日も書いた。

いい日だった。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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