━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.153 2007/03/11(第153号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってます。現在818名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.あなたに責任があるのは
2.MLM概論:「生活費環流システム構築」の試み(生活物語 (*^_^*) )
3.「ご投稿・情報提供」(随時): 軽やかな心・光になる
4.編集後記:現在のわたしの一面ですので、許してください。
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■ 1.あなたに責任があるのは
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このところしばらく落ち込むということがなかったのですが……。
最近、ちょっと落ち込みましたよ。(^^)/
でも、お陰で少し理解したこともあります。
じつは……、などと断るまでもないかもしれませんが ^^;、わたしはかなりの
おっちょこちょいで、その当然の報いとして、とても落ち込むことの多い人間
です。
まあ、望むらくは、そう言えるなら、とても落ち込むことの多い人間でした、
と過去形で言いたいところなのですが……。
で、これまでも、じつに何度も何度も、落ち込んできたものです。
でも、そうやっていると、「“落ち込み”というのは一種の“一瞥”のような
もので、とても有益な体験です」などとおだてられても、やっぱり本人はつら
いですから、かなり用心深くはなってきます。
用心に用心を重ねるようになると、まあ、その分、落ち込む頻度は、そりゃ、
年の功で、ある程度は減少してきます。
……でも、一種のバイオリズムみたいなのが、あるのかなぁ。
あまり落ち込むことがないと変化がなくてつまらない、というわけでもないん
でしょうが、その“エゴの形”なりのバランスがあるのか……、どっかで、挑
戦してみるんですよねぇ。うん。(-_-;)
ちょっと、範囲を逸脱してみる……。
そしたら、見事に“落っこちました”。(*^_^*)
いやー、久しぶりに、メッキが剥がれて、地金が出て痛かったです。(>_<)
しばらくぶりに、お勉強しちゃいました。
おー、イテテ。(/_;)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
いえ、それでね、何がわかったかというと、わたしが住んでいる世界は、わた
しが創造しているという、それこそ、精神世界オタクの世界では言い古されて
来た話が、あれは本当だったという変わり映えのしない理解です。^^;
今回、かなり久しぶりに落ち込んでみて、その“落ち込み”が、ほかの誰によ
るものでもなく、完全に“自分”ひとりの創造物であることがわかりました。
つまり、差しだされた状況によって、わたしが落ち込む、わたしが不幸になる
ということ、これはないんですね。
わたしが落ち込むのは、ただただ、ひたすら、わたしがどう応対したか、にの
みよるんだ、ってことがわかったということです。
なるほどなぁ、って感じでした。
わたしが幸福であるか、不幸であるかは、映画として差しだされた“外的状況”
によるものではないらしいです。
まあ、映画が“外的状況”なのか“内的状況”なのかは、ひとまず、措いてお
くとして……、ですが。^^;
わたしが幸福であるか、不幸であるかは、わたしが“何を自分と思っているか”
には、当然、関係していると思います。
エゴとしてのわたしは、<全体>を自分と思っているわけではないので、当然、
現象世界の中に“自分の範囲”があるはずです。
そして、<全体>という状況のなかで、その“自分の範囲”の幸不幸に心を悩
ませるのがエゴとしてのわたしの仕事なわけですが……。^^;
そのとき、その“自分の範囲”の幸不幸が、わたしの解釈によって左右される
ことは間違いないでしょうね。
で、それじゃ、その“わたしの解釈”は何によって決定されるかです……。
その“わたしの解釈”は、わたしが考える自分の“責任範囲”によって決定さ
れると思うんです。
たとえば、受験した大学に合格した人は、自分が立派に責任を果たしたことが
客観的に認められて嬉しくなるでしょう。
同じく、受験に失敗した人は、じつは自分がやるべきことをやらなかった、あ
まり自分の“責任範囲”を果たさなかった、と思って落ち込む。
でも、その受験が、最初から当人が考える自分の“責任範囲”を超えているも
のだったら、落ちても別に何とも思わないかもしれない。
あるいは、その受験で本人が、自分の“責任範囲”を完全に履行したことを知
っていたら、たとえ結果が不合格であっても、そのことではまったく不幸には
ならないかもしれない。
それどころか、それが当人が自覚する“責任範囲”に見合うものでなければ、
たとえ受験に合格しても、それで本人が少しも幸福にはなれないことだってあ
るかもしれない。
受験は、ある意味で、当人が自ら意図的に創造していく状況とも言えます。
逆に、向こうから襲ってくるような状況もあります。
たとえば、(比喩ではない本当の)「映画」にもなった豪華客船タイタニック
号の沈没。^^;
この船の沈没は、大なり小なり、関係する人たちを襲ってきた状況でしょう。
関係者のなかに、意図的にタイタニック号の沈没を画策した者はいない。
その辺は、「911」とは違うかも。(^_-)
http://tinyurl.com/2o5aw7
でも、その襲ってきた状況の中で、それぞれの登場人物が創造した不幸には、
ずいぶんと違いがあるのかもしれません。
乗組員と乗客たちの間でも、その不幸には違いがあるでしょう。
同じ乗組員でも、船長と甲板員では、それぞれ創造する不幸には大きな違いが
あるのではないか。
なにしろ、自覚する“責任範囲”がまったく違うでしょうから。
それから……、船の設計者の不幸、船会社の社長の不幸。
当人が自覚する“責任範囲”によって、それぞれの関係者が(状況の解釈によ
って)創造する不幸は、たぶん、かなり違うのだろうと推測されます。
まあ、あまり幸福になった人はいないかも知れないけれど、それだって、わか
りません。
じつは、間近に迫る自分の死期を知りながら乗船してきた乗客がいて、思わぬ
豪華な“死出の旅路”に思わず不幸が薄らいだ、なんてことがないとも限らな
い。(^_-)
あるいは、遠くニューヨークの空の下には、タイタニック号の沈没を知って、
秘かに祝杯を挙げる者がいた、なんてことはいかにもありそうな話です。
そしてまた、冷たい海に沈んでいく船のなかに、特に幸福でも不幸でもない生
まれたばかりの赤ん坊がいた、ということも、おそらく、実際に、あったこと
ではないか。
たぶん、その赤ん坊は、まだこの地上での自分の“責任範囲”を稼いでいなか
ったでしょうから、冷たくはあったかもしれないけれど、“落ち込む”理由は
まだなかったでしょう。
まだ最初の“落ち込み”も完了していなかったので。(^_-)
いえ、連想に任せて、とんだ長談義になりました……。
要するに、最近久しぶりに“落ち込んで”わかったことは、自分の幸不幸とい
うのは、完全に自分ひとりの創造物だということでした。
それは、ひとえに“状況に対する自分の応答”の果実らしいです。
創造するのも自分なら、結果を評価するのも自分らしいです。
そして、その評価は、当人が意識的に自覚していようといまいと、自分が稼い
で、自ら背負っている自分の“責任範囲”によるものらしいんです。
「映画」にどれくらい誑(たぶら)かされたかで、ある種の状況で自分が知っ
ている(らしい)“責任範囲”に対応しない“演技”をすると、後で自分がチ
ェックを出して、自ら“落ち込む”ということが起こるらしい。
いやー、“独り芝居”と言えば、じつに、これは独り芝居です。
ひとりで演技して、ひとりで勝手に恥ずかしがっている。
ニサルガダッタは、「責任」についてこんなことを言っています。
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マハラジ
あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
そこにあなたの責任があるのだ。
『I AM THAT 私は在る』(p469)
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アチャ。(>_<)
> あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
まったくです。
わたしに変えようがないことに対して、わたしに責任があるはずがない。
> あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
あいやー、そうか。
……しっかし、的確だなぁ、この人は。
もしかして、あんた、ニサルガさん? (?_?)
> そこにあなたの責任があるのだ。
まったく……。
そして、これが大責任なんだわ……。(-_-;)
(-_-)
とすると……、わたしが不幸になるのを避けるには、っと。
原則その1:自分に責任のないことに、責任があるような振りをしない。
原則その2:自分に責任のあることには、その責任を態度で示す。
てなことかなぁ。
ふーむ。
ニサルガダッタは、どこかで、幸福とは、内側と外側が調和していることだ、
みたいなことを言っていたよなぁ。
内側で知っていることを態度で表現できていれば、あまり不幸にならなくてす
むわけだよなぁ。
自分が自覚している“責任範囲”と、「映画」のなかの自分の“演技”が調和
していれば、自分の“評価”で不幸にはならないってわけかなぁ。
この基準で行けば、赤ん坊も悟った人も、あまり不幸になりそうもないなぁ。
その途中は、けっこう、大変そう。(^_-)
そして、自覚している“責任範囲”と「映画」のなかの“演技”のズレを知っ
ているのはサットグル(「内なるグル」)だから、そのズレを“評価”として
戻してくるわけか……。
すると、ときとして……“落ち込む”わけかぁ。(*^_^*)
あはは、こりゃ、まいった。
どうすりゃ、うまくできるのか。(-_-;)
あ。(@_@)
(*^_^*)
いやいや、そんな“うまく”なんて下品なことは言わない。^^;
どういう態度が、“正しい”のか?
知りたいのは、そういうことだよ。
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質問者 何が正しく何が間違いなのでしょうか?
マハラジ
一般的には、苦しみを生じさせることが間違いで、苦しみを取り除くことが
正しい。
身体とマインドには限界があり、それゆえ傷つきやすい。
それらが保護を必要とすることが恐れを生みだすのだ。
それらと自己同一化するかぎり、あなたが苦しむのは避けられない。
あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
あなたに言おう。
これが幸福の秘密なのだ。
あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
性に関するあなたの無知によるものなのだ。
自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
智慧なのだ。
『I AM THAT 私は在る』(p523)
http://tinyurl.com/s747u
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うん。
> 一般的には、苦しみを生じさせることが間違いで、苦しみを取り除くことが
> 正しい。
それは、納得、異存なし。
> 身体とマインドには限界があり、それゆえ傷つきやすい。
うん。
> それらが保護を必要とすることが恐れを生みだすのだ。
はい、わかります。
> それらと自己同一化するかぎり、あなたが苦しむのは避けられない。
やっぱり。(;_;)
> あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
おー。
> あなたに言おう。
> これが幸福の秘密なのだ。
(@_@)O
> あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
> 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
なるほど。
……そうなんですか。
なんだか……、同じことでも、ニサルガダッタに言われると納得しちゃう。
> 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
> 智慧なのだ。
そうか……。(-_-)
……。
(-||-)
……。
m(_ _)m
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■ 2.MLM概論:「生活費環流システム構築」の試み(生活物語 ^^; )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(*^_^*)
> 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
> 智慧なのだ。
と、どこやらからの声を聴いたばかりなのですが、なかなかそこまで煮詰まら
なくて……。^^;
まだ地球上ではお金が必要じゃ、なんて声も自分のなかで反響しています。
2月の初めにちょっとお伝えした“儲け話”でその後いろいろ自分なりの発見
があったものですから、それをちょっとシェアさせてください。
もちろん、嫌な方は飛ばしてくださいね。^^;
…………○…………○…………○…………
MLM(マルチ・レベル・マーケティング)って、とかく評判が悪いです。
でも、今のような過渡期の時代におけるある種の必然性があるのも確か、とい
う感じをずっと前から持っていました。
(1) なぜ評判が悪いのか?
(2) そして、なぜ必然性があると思うのか?
そのあたりを、ちょっとわたしなりに考えてみたいと思います。
(1) まず、なぜ評判が悪いのか? です。
それは「お金」というのはまさにわれわれのリアルな「現実」、つまり、地上
の現実の“逆鱗”だから、だと思うのです。
アセンションだの何だの言っても、この経済的な現実がゆるまないことには、
地上の現実は本格的には新しい波動で安定しないでしょう。
アセンションは意識の問題だからそれは個人に起きるのだ、という言い方もわ
かります。
しかし、一方、シェルダン・ナイドルさん経由の『宇宙船天空に満つ』のよう
なイメージもあるかも、とも思います。
たとえば、こんな感じ。↓「宇宙船による大量着陸」
http://www.geocities.jp/spiritron2005/a2.html
でも、どんなものが来たとしても、結果として、この地上の経済的現実が変容
しないことには、ガイア・アセンションとは言えないだろうと思うのです。
と同時に、現在地球に住んでいるわれわれ人類の意識をただスッポかして、新
しい経済制度が地上に降り立つ、というのもちょっと変なものです。
わたしは、“レッスン話”はあまり好みじゃないんですが、それでも、ある種
のレッスンはあるだろうな、という感触を持っています。
つまり、われわれの集合意識が、現在の地上の経済的現実を、一度そのまま、
受け容れ、許容して、卒業していく儀式が必要なんじゃないかと、ま、ちょっ
と、そんなエラそうなことを思うんですよね。(*^_^*)
じゃ、その「受け容れ、許容して、卒業していく」仕事が、いま誰の肩にかか
って来ているか、と言えば、それは……。
(*^_^*)
わたしの仮説ですからね。^^;
それは、わたしのように、現在あまり金回りの良くない人間の肩に来ているん
じゃないか、とまあ、そんなふうに思うわけです。
こんなことを言うのもなんですが、わたしは子供の頃から、これまでずっと、
経済的にはきわめて恵まれてきました。(*^_^*)
でも、あまりお金に感謝しても来なかったし、自分が金銭的に豊かだという気
もしていなかったし、ほんとにお金が欲しいという気持ちを態度で示したこと
もありませんでした。^^;
イヤー、しかし、よくここまで生きてこられましたね。(-_-;)
わがことながら……というか、他人事のようにというか……、つくづくそう思
います。
つまり、何を言いたいかというと、わたしはどうも、自分が生きるこの地上の
経済社会を、ありのままの姿で認識してきたことも、受け容れてきたこともな
かったような気がする、ということです。
そして、認識したことも受け容れたこともないものを、卒業することはできな
いだろう、とも思います。
そういう自分が、いけないとは思いません。
そのまま、ニサルガダッタの道を突っ走ることができれば、それでかまわない
わけですから。
しかし、自分によく聴いてみると、どうもそういうんでもなさそうなんですよ
ね。
現状の地上の経済社会のなかで、通常の範囲の経済的自由を持ちながら、あら
ゆる執着を手放していければと、ま、そんな贅沢なような気分を持っているの
です。^^;
そう望んだら、直(ちょく)そうなるというものでもないかもしれませんが、
でも、今すぐ完全にあらゆる執着を手放すこともできない以上、そんなところ
が正直なところかなぁという感じです。
そんな感じで、2月初めにご紹介したMLMにも参加しました。
…………○…………○…………○…………
(1) MLMは、なぜ評判が悪いのか?
ちょっと、脱線したかもしれません。^^;
で、一般にMLMというのがなぜ評判がよくないのか、ということでした。
それは、単純に言えば、MLMは身近な人を“被害者”にしてしまう可能性が
ある、と思われているからだと思います。
あるいは、人間関係を壊してしまう可能性がある、と。
人間のどんな活動分野にも、それぞれ固有の努力や能力や才能が関係している
わけですから、経済分野にだって有能な人と無能な人がいて当然なんですが、
ご存知のように、そうは単純に割り切れない面があります。^^;
なぜかと言えば、一口に“経済的能力”と言っても、それは他の個々の興味分
野での能力とは違う意味があるからです。
“経済”というのは、誰もが無関係ではいられないある種の“包括的な括り”
なんですよね。
たとえばの話……、
「自分が好きなのは音楽で、野球には興味も能力もない」とは平気で言えても、
「自分が好きなのは音楽で、経済には興味も能力もない」とは、ちょっと言え
ない。^^;
それが平気で言える人がいたら、それはきっと、その人に代わって経済に対す
る興味と能力を持ってくれる人が、その人の身近にいたからだと思います。
たいていは、「親」と呼ばれる人ですが。^^;
というわけで、“経済分野”でも、他のあらゆる人間活動の“分野”と同じく、
個々人で能力や関心度に大きな違いがあります。
にもかかわらず、経済活動でつながるとなると、ある程度は、同等という建前
でつながらなくてはならない。
それが極端に現れるのが、いわゆるMLMだというわけです。
よく、ネットワークビジネスで収益になっているのは、わずか、5%の人間だ
けだ、とか、いや、じつは0.3%だとか、色々なことが言われます。
あるいは、アメリカではネットワークビジネスに取り組んでいる人間の25%
が収益を上げているが、日本にはそれが5%もいないとか、そんなことを聞く
こともあります。
どうも、経済的な意味での“精神年齢”では、日本人とアメリカ人との間には
ちょっとした差があるのかもしれない。
マッカーサーは「日本人の精神年齢は十二歳」と言ったそうですが、これを、
“経済的な自立度”という意味に取るなら、結構、いい線を言っていたのかも
しれませんね。^^;
ところで、MLMの成功者は5%しかいない、というような言い方に関して、
わたしはある種の「仮説」を持っています。(*^_^*)
むろん、それにはこれまでのMLMのプランの問題も関係があると思います。
従来のプランでは、どうも“仕掛けた側”の人間しか儲けられないようになっ
ていた、というようなこともある程度はあるでしょう。
でも、わたしがある種の「仮説」として感じているのは、こういうことです。
それは、DNAの問題です。
江戸時代には、儒教の「士農工商」にならって「四民」がありました。
少なくとも、「士」(=侍)、「農民」、「工商」(=職人、商人)の職能は
三百年間もおおよそ固定されていたわけで、ある程度は「四民」のDNAパタ
ーンが分化してきてもおかしくはない。
人口比まではわからないにしても、従来のネットワークビジネスで成功できた
人というのは、だいたいそのための素質(遺伝子)を持っていた人なんじゃな
いか、というのが「仮説」の骨子です。^^;
どういうことかというと、「流通」が経済的価値を生むということに対する、
「理解」と「違和感」の問題なんです。
ある土地の産品を別の土地へ持っていくことによってその「商品」の希少性を
一挙に変化させ、それによって莫大な経済価値を“生む”というのは、商人の
DNAを持っている人には理解しやすいことです。
そしてまた、「流通」が生む“経済価値”を理解できる人間は、当然「流通」
にも“リスク”がともなうことを“知っている”と考えることができる。
たとえ、それまでは、単に「主婦」であり「サラリーマン」であっても、いっ
たんビジネスとしてのMLMに関わったときには、「流通」の“経済機能”を
すぐに理解することができる。
それをけっして“やましい”こととしてではなく、最初から、経済行為として
理解できるわけです。
ところが、誰もがそういうDNAを持っているわけではない。
“こっち”のものを“あっち”に持って行っただけで、元の値段と違う値段を
つける、というような行為に対して胡散臭い目を向ける人もいるわけです。
少なくとも日本人の大部分を占めていたであろう「農民」は、「流通」が経済
価値を生むということを喜んで認めたとは思えない。
自分たちが大変な手間暇をかけて“作った”産品を、ただ別のところへ“持っ
ていく”だけで、飛んでもない高値で売りさばく「商人」を、心安からずとい
うか、憎しみさえ感じて眺めていたに違いありません。
そういうDNAを担った人が、「流通」が生みだす“経済価値”を理解できな
いだけでなく、本当は理解したくなかったとしても、それはわかる話です。
ところが、もしかしたら、日本ではMLMに参加する大多数の人が本来はこの
タイプの人なのではないかと推測されるんです。^^;
もしそういう推測が可能だとすると、もしかしたら、このタイプの人にはもう
ひとつ別な特徴もあるかもしれない。
それは、「お金」を“出すこと”に対する恐怖心です。
「お金」は、もともと一年の間に何度も手に入れる機会のあるものではなかっ
たからです。
このことから、どういうことが推測されるか?
それは、他人に「お金」を“出させる”ことにたいする罪悪感です。
つまり「商人」のDNAを持つ人なら、当然、相手が必要とする「商品」を、
“売った”代金、と理解する「お金」の流れが、この人の内面では、相手から
「お金」を“奪う”ことと理解されてしまう可能性がある。
われわれは、自分の内心で相手から「お金」を“奪う”ことと理解しながら、
相手にものを勧めることはできませんから、この人がMLMという形の流通業
で収益を上げることは、もともと不可能なわけです。
ネットワークビジネスでは、収益になっているのは5%しかいない、とよく言
われます。
自分もこうしてビジネスになるのだから、と思って、何の“やましさ”もなく
人にものを薦められる人の割合を求めたら、今の日本には、実際、それくらい
の割合の人しかいないのかもしれません。^^;
そうすると、その結果は必ず、収益を上げられない人に商品を買わせる、とい
うことになり、場合によっては“被害者”を出す、ということになります。
結局、経済的なDNAも、ある意味では“精神年齢”も、それぞれ異なる人た
ちが同格で参加するMLMという流通形態は“いかがわしい”、という評判が
固定することになります。
それを集約した表現が、「ネズミ講まがい」という言葉でしょう。
…………○…………○…………○…………
では、そういう現状にも関わらず、わたしがなおかつ
「しかし、MLMには時代的必然性がある」と考える理由です。
(2) なぜMLMに必然性があると思うのか?
その理由については、じつは、これまでも何度か婉曲に言及しています。^^;
それは、人間がいわゆる「生産“労働”」から解放されるためには、「生産」
という“経済活動”に携わらない人に“生活資金”を環流するシステムを作る
必要があるからです。
人間の「生産活動」を、「消費活動」と切り離す必要があるのです。
先に、
「自分が好きなのは音楽で、野球には興味も能力もない」とは平気で言えても、
「自分が好きなのは音楽で、経済には興味も能力もない」とは、ちょっと言え
ない、と書きました。
大昔の元々の意味の「生産活動」とは違いますが、ある意味では、上の言葉の
“音楽”も“野球”も、新しい「生産活動」には入るかもしれません。
同じような感じで、上の言葉の“経済”の意味合いは、本来は「消費活動」の
ことなのです。
つまり、今のところ、まだ人間は、
「自分が好きなのは音楽で、生存には興味も能力もない」とは、ちょっと言え
ない、ということです。
ガイア・アセンションが起こったら、だんだん、人間はものを食べなくなる、
という話は聞きますけどね。^^;
そして、それもたぶん、本当なんだろうと思いますけど。
でも、その前に、まず、誰もが、当然、“生きられる”ようになることが必要
だと思います。
旧ソ連が崩壊した時点で、もし、アメリカが不要になった武器を放棄していた
ら、そういう時代はずっと早く来たかもしれません。
でも、アメリカはそうしなかったし、既得権益者たちの“思い込み”と利益を
護って、いまはこういう時代になっています。
その時代のなかでは……、
地球人類の(潜在的)「生産力」は、「消費力」を超えてしまいました。
ただし、必ずしも“食料生産力”の見通しまで含めて言っているわけではあり
ません。
ここで、言っているのは、あくまでも“労働機会”の意味での「生産」です。
つまり、「生産力」が「消費力」を超えたとは、作れば必ず売れる時代は終わ
った、ということです。
言い換えると、誰もが「生産活動」に携われる時代は終わったわけです。
でも、「生産者」をやめることはできても「消費者」をやめることはできない。
少なくとも、まだね。(^_-)
となると、経済活動を大雑把に「生産」「流通」「消費」に分けたとすると、
「生産活動」からあぶれた人間は、「商品」が「生産者」から「消費者」に渡
るその経路に立って、「お金」の流れに関わる必要があるということです。
なぜなら、人間はまだ、「生産」「流通」の生みだす“経済価値”は認めてい
ても、「消費」が生みだす“経済価値”は認めていないからです。
誰も、「消費」することに対して、給料を払ってくれない。
あはは。(^^;)
ま、こんな区別をすること自体、馬鹿らしいんですけど。
「吸う息」は人間の生存に役立っているけど、「吐く息」は果たして役立って
いるかどうか、いま調査委員会を作って、作業部会が検討を始めたところだ、
みたいな話ですけどね。^^;
ま、いいです。
それで、現状でも、「流通」の生みだす“経済価値”は認められているんです
よね。
「商品」の種類にもよりますが、価格の構成割合で言うと、数パーセントから
数十パーセントが「流通」コストです。
この「流通」コストは、広報・宣伝分野の「生産」活動と、「運搬」という本
来の「流通」活動のコストでしょうか。
あるいは、現在では「輸送コスト」は「経費」に含まれるのかもしれません。
で、もちろん、お分かりのことを思いますが、MLMの参加者が担う経済活動
は、広報・宣伝分野の「生産」活動を代替するものです。
そのMLMがリピート商品を対象としているなら、主流商品は化粧品やサプリ
メントでしょうが、商品価格の50%くらいが「流通」コストだそうです。
広報・宣伝分野のコストで、それだけの価格部分を占めているということです。
従来の広報・宣伝分野の「生産」活動だけで、充分に「商品」を消費者の手ま
で送り届けられるのなら、いわゆる「口コミ」というかMLMの出る幕はなか
ったでしょう。
しかし、時代は、それこそアセンションを迎えようとしているのです。
旧社会の崩壊です。
それこそ、船井さんがおっしゃる『断末魔の資本主義』です。
旧来の仕事は、どんどん消滅していきます。
だんだん、従来の広報・宣伝分野の「生産」活動では、コストばかりかかって
実際の消費者のところまで届かない、という事態が起こってきた。
なにしろ、競合商品はいくらでもあるので、「消費者」は好きなだけ目移りす
るわけですから。
現人類史で初めて「生産活動」への雇用機会が構造的に減少する傾向に入って
きたのに、まだ人間は「生産活動」にしか給料を払う用意がありません。
先日の『朝日新聞』(2007年2月16日)の13面(オピニオン欄)の「三者三論」
で“生活保護”というテーマが扱われていました。
記事の中でふと目についたのは、真ん中に小さく入っていた「生活保護」とい
う解説文の文章でした。
その中に
----------------------------------------------------------------------
……保護費の総額は、92年度は1兆3千億円だったが、05年度は2兆6千億
円に。……
----------------------------------------------------------------------
という文章がありました。
それと対比して目についたのが、同じ日の『朝日新聞』の9面(経済面)にあっ
た「GDP年率4.8%増」という記事の中にあった数字です。
その記事の中に「国民総生産」(GDPの推移)という表があって、そこには
次のような数字が並んでいました。(一部だけ拾うと……)
■■■■■■■■■■「国民総生産」(GDPの推移)■■■■■■■■■■
----------------------------------------------------------------------
2006暦年 2006年
----------------------------------------------------------------------
名目 実質 7〜9月期 10〜12月期
----------------------------------------------------------------------
国民総生産 507兆5597 548兆1245 547兆8231 554兆3387
民間最終消費支出 288兆2803 303兆8148 302兆4098 305兆6931
(個人消費)
民 間 住 宅 18兆8119 18兆5540 18兆3643 18兆7903
(住宅投資)
民間企業設備 79兆3863 87兆0033 87兆7330 89兆6882
(設備投資)
政府最終消費支出 90兆8751 95兆2560 95兆7473 95兆7651
公的固定資本形成 22兆3836 22兆3449 21兆2387 21兆8126
(公共投資)
----------------------------------------------------------------------
わたしには、こういう数字↑の具体的な意味合いはわかりませんが、数字の規
模だけは、なんとなくわかりますよね。^^;
で、何を思ったかというと、「生活保護費総額」というのが何十兆になったら
「経済政策」としての意味を持つんだろうな、ということでした。
数字の規模を対比すると……、
---------------------------------------
生活保護費総額 2兆6000(05年度)
---------------------------------------
と
---------------------------------------
国民総生産 507兆5597
民間最終消費支出 288兆2803(個人消費)
民 間 住 宅 18兆8119(住宅投資)
民間企業設備 79兆3863(設備投資)
政府最終消費支出 90兆8751
公的固定資本形成 22兆3836(公共投資)
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こんな感じです。
今の世の中の常識では、「生活保護費」というのは“国民経済”という車を走
らせる場合の“必要経費”みたいな感覚だろうと思います。
あるいは、“必要悪経費”とか。^^;
“経費”だから、できるだけ圧縮したい。
“ランニングコスト”をできるだけ圧縮して、なるべくスリムな経済運営をし
たい……、とか。
そして、生活レベル向上という目的に向ける軍資金、国際生産力競争に投入す
る“競争資金”をできるだけ最大化したい、と考えるんだろうと思います。
わたしは、上の数字の中で実質的に人間の幸福といちばん相関が高い数字は、
たぶん「生活保護費」(という言葉が妥当かどうかは別として)だろうと思っ
ている変人なので、これを“必要経費”としてはまったく考えません。
むしろ、“国民経済”運営上の「目的」と考えます。
だから、
「経済政策としての貧困対策」
として「生活費環流システム構築費総額(仮称)」(現「生活保護費総額」)
というのが何十兆円規模になれば、内需拡大のための純経済政策として効果を
発揮し始めるだろう、と思ったわけです。
だって、これほど、百発百中の“内需拡大策”は理論的にありえないでしょう
から。(*^_^*)
世界の宝である「憲法第九条」を変えて、時代遅れの軍備拡大にお金をかけた
いという方の気が知れませんけどね。^^;
ま、ちょっと、話が流れました。
とにかく今のところ、まだブッシュさんの“攪乱剤”「911」の効果が持続
していて、すぐには政府に「経済政策としての貧困対策」をお願いするわけに
もいかないようです。
なので、取りあえず、民間から個々に「生活費環流システム構築」の試みを始
めてみるのはどうか、という感じです。
個々に、まだ、金銭的不安から解放されていない個々人から……。^^;
すると、いろいろな意味で、どうしても学習課題としてMLMが浮上してくる
んですよね。
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【「ライフストーリー」の利益分配型会員プラン】
先日ご紹介した“儲け話”というのがどういうものか、その後だんだん、わか
ってきました。
前回ご紹介したときも、自分なりに理解した従来のMLMとの違いをいくつか
ご説明したんですが、今回、それに加える何があるのか? ^^;
ま、ひとつには、この「株式会社ライフストーリー」の社長の話を聞いてきた、
ということです。
この方、吉永雅彦社長とおっしゃる方なんですが、とても実行力もヴィジョン
もあるすてきな方です。
前回このプランを説明したときに、わたしがはっきり分かっていなかったのは、
この【利益分配型会員プラン】というMLMが、「通販」と「MLM」の両建
て展開だということことでした。
MLMというと、よく「毎月、会員の人だけが褒める高い商品を買わされる」
というふうに連想する方がいます。^^;
じっさい、それもありうることでしょうから。
でも、「通販」ならどうでしょう?
「通販」で売られている商品で高いと思うなら、買わなければいいだけです。
でも、それがけっこう気に入ったので、割安の定期購入にした、ということも
ありうることです。
たとえば、有名どころで「や○や」の何とかという栄養補助食品(サプリメン
ト)が気に入っていたとします。
この「通販」会社が、たとえば、1600円の商品を売るために、どれぐらい
のお金をかけていると思われますか?
受け売りですけど、1600円の商品を売るために4800円くらいのコスト
がかかるそうです。(@_@)
それで成り立つはずがないだろう、ということになりますが、まあ、4回以上
継続購入しているお客さんから利益を得る構造になっているわけでしょう。
そう聞いて、これまで「や○○」のサプリメントを何度か購入した経験がある
ので、納得しました。
それ以来、何度も立派な冊子を送ってきてくれますから。^^;
商品の価格には、良かれ悪しかれ、そういうコストが含まれている、というこ
とです。
でも、「や○○」は通販会社ではあっても、MLMはやっていません。
あくまでも、この形態で買ってください、ということです。
では、たとえば、自分がいつも購入している化粧品の通販会社が、MLMも始
めたとしたらどうでしょう?
たとえば、これまで何度か購入したことのある化粧品が12,000円だったとしま
す。
それが、この通販会社が、たとえば、毎月購入してくれるなら、商品代金、
11,000円でMLM会員として登録します、と発表したら?
むろん、いや、他の人に紹介なんて自分にはできないから、ほしいときに買う
だけでいい、という人がいるのは当然です。
この方は、純然たる「愛用者」です。
でも、それと同時に、それなら会員になるか、という選択肢もありうることだ
というのは理解できます。
こういう人は、ビジネス指向の人です。
なぜなら、会社は、通販会社が広告宣伝に振り向けている商品価格の半分のコ
ストをMLMの会員に還元すると約束しているからです。
商品は、特別に高いわけでも何でもない、現に、通販会社「ララ・ポワール」
が、広告・宣伝によって販売しており、1997年の発売開始以来3年間で愛用者
13万人を獲得し、現在20万人の愛用者を抱えているヒット商品です。
MLMプラン(利益配当)については、その単純さがいちばん大きな特徴でし
ょう。
目安から言うと、自分が2人のビジネス指向会員を紹介することができれば、
そして自分が紹介した会員も、それぞれ2人のビジネス指向会員を紹介してい
ければ、自分の下4段が埋まった時点で、毎月のリピート代金を超える利益配
当が受けられる、という感じです。
それ以降は、自分が機縁となって生まれた「流通」の12段まで流通量に対し
ての利益配当が、権利収入として受けられます。
もし、12段が埋まれば、毎月の生活費を心配するような必要はなくなるでし
ょうが、この利益配当が、自分が機縁を作って発生した「流通」に対する報奨
金であることを理解することが必要です。
金額イメージを書くなら、
自分で2人を紹介した会員の場合、最高月収 1,940,041円 から
:
自分で12人以上を紹介した会員の、最高月収 8,516,989円 まで
の利益分配金が受けられる可能性があります。
たしかに、驚くほどわずかの労力によって得られた権利収入かもしれませんが、
自分がいなければ発生しなかった「流通」から会社が得た利益からの配当であ
ることは確かなわけです。
これがビジネスであることが理解できなければ、やっぱり、そういうことは起
こらない、と理解する必要がありますよね、きっと。^^;
思いがけなく、長い話になってしまいました。
最後になりましたが、ボードメンバー(創業会員)の募集は今年2007年3月末
までで、それ以降のボードメンバー募集はありません。
ボードメンバーとは、2007年末までの会社からの広告によって参入してきた
ビジネス会員を、自分の組織内に優先的に割り付けてもらえる会員です。
現在がひとつのチャンスであることも事実だと思います。
ご興味のある方、ご連絡ください。
pari@jk2.so-net.ne.jp
「無料レポート」も置いてあります。
http://my.formman.com/form/pc/oS7M1D2G4UqbJ27o/
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
m(_ _)m
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■ 3.「ご投稿・情報提供」(随時): 軽やかな心・光になる
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)
こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com
できればハンドル名もお願いします。
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今回も、ハイアーセルフ33さんから情報をいただきました。
はるさんのいちばん好きなマスター、ラムサとバシャールのご両人が、ともに
「軽やかな心」について語っていらっしゃいます。
[件名]:軽やかな心・光になる
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みなさんこんにちは。ハイアーセルフ33です。ラムサとバシャールの書籍
から共通する部分を見つけました。お楽しみください。
軽やかな心・光になる
(ラムサ・ガンダルフの戦い〜マスターについて書かれた真実〜P30)
●最も偉大なことは、軽やかな心(light heart)によって達成される。
(以下ラムサ・ガンダルフの戦い〜マスターについて書かれた真実〜P32)
●晴れの日が最高の日であるわけではない。毎日が最高の日なのだ。その日
の一部になり、そのエネルギーとともに活力にあふれ、喜びに満ちた状態に
なること、それこそが何よりも重要なことである。夜明けに深い眠りから覚
めて笑うことができたとき、われわれは長寿の秘密を見つけたことになる。
●そのときわれわれは、毎日を軽やかな気持ちで生きるようになり、人生の
あらゆる状況は、もはや大したものではなくなる。つまりわれわれは、軽や
かさと笑いとともに、あらゆる物事に取り組むことができるのだ。緊張感を
軽やかさに置き換えれば、われわれは病のない体を持つことができるのであ
る。
●さて、軽やかな気持ちが万病の治療薬だとすれば、「あらゆる病を癒すこと
ができる唯一の存在は神だ」ということになる。ということは、「われわれの
神は、喜びに満ちた軽やかな存在でなければならない」ということでもある。
神は完全なる笑いであり、幸せであり、喜びである。神は最高の道化師だ。
(BASHAR2006 P275)
●「軽い(light)」という言葉には、光という意味もあります。身軽に、そ
して光として旅をしてください。光のエネルギーとして旅をしていくと、時
間や空間はどんどん幻想になっていきます。時間や空間を自分が思うような
形に簡単に形作っていくことができるようになります。
(BASHAR 新書版4巻P77〜79)
●・・・。もう一度自分自身を光そのものと思ってみてください。光には重
さがありません。光自体には質量がないのです。重さがありません。どちら
にしても、光がすべてのものを創りあげています。光が粒子となるとき、重
さをもつことができます。原子になると、重さをもつことができるのです。
このすべての現実が創りあげられている一番もとの基本的な単位を「光」と
みたとき、何があっても重くなる必要はありません。すべての存在の背景に
その軽さがあります。そして何かと比較しないと「重い」という観念は出て
きません。根本的な光になって、重さがなくなるとき、何ものとも比較する
ことができなくなります。
ですから自分のイメージの中で、すべてのものを創りあげている根本的な光
になってください。そこから派生する、原子や他のものは重さをもつことが
できますが、その一番もとには重さはないのです。
* ***************************
以下、お楽しみの「おまけ」です。(*^_^*)セロのマジック
http://www.youtube.com/watch?v=MldKVqX_Mjo&mode=related&search=
すし
http://www.youtube.com/watch?v=4r0ks2An2F8&mode=related&search=
セロバウアー
http://www.youtube.com/watch?v=wvMKZP0ta_s&mode=related&search=
セロゴルフ
http://www.youtube.com/watch?v=_ywccWSxQVw&mode=related&search=
ケーキ
http://www.youtube.com/watch?v=g2GXiYTOBoI&mode=related&search=
スパイダーマン
http://www.youtube.com/watch?v=Qnov8MwJNqQ&NR
携帯電話
http://www.youtube.com/watch?v=XBpNyqdO6dw&NR
ベスト3
http://www.youtube.com/watch?v=93MpJAUDUB4
茶道教室
http://www.youtube.com/watch?v=H41_I0oLloU&mode=user&search=
セロ出現
http://www.youtube.com/watch?v=ge220r5G4RU&mode=related&search=
コイン
**********************************
Love and Peace ハイアーセルフ33
******************************************
〜日常に精神世界の情報を生かしてゆくための〜
スピリチュアル・メッセージ活用研究会
H P :http://homepage2.nifty.com/haruhi33/
Eメール:haruhi33@nifty.com
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ハイアーセルフ33さん、今回も情報提供ありがとうございました。
わたしもハイアーセルフ33さんに勧められてラムサの『ガンダルフの戦い』
を読んだんですが、さすが、はるさんが勧めるだけあってこの本はいいですよ
ぉ。(@_@)
http://tinyurl.com/2ps4m7
ラムサの瞑想に関する一種の方法論みたいなものかな、なんて思いました。
いつか、ご紹介するかもしれません。
m(_ _)m
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■ 4.編集後記:現在のわたしの一面ですので、許してください。
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今回は時間のこともありますが、量的に超過して、「写経ニサルガダッタ」は
お休みしました。(*^_^*)
「写経ニサルガダッタ」を楽しみにしてくださった方、ご免なさい。<(_ _)>
この次は、ちゃんと、掲載します。
それにじっさい、ずっと“金儲け”の話を書いてきて、急にニサルガダッタに
戻るのは、たとえ紙幅が許しても、ちょっと厳しかったでしょう。(*^_^*)
でも、どちらも、現在のわたしの一面ですので許してください。
わたし自身は、とおに、自分を許しています。^^;
でも、ほんとのところは、「私は在る」だと思っています。
(縄は縒り続けているつもりです。(*^_^*) )
ただ、まだ、ピシっと、決まっていないだけです。
あーあ、今日もずいぶん遅くなるまで書いた。
まあまあ、いい日だった。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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