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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.156 2007/04/01(第156号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってます。現在815名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.意味の微分と積分

2.「生活資金環流システム」構築の試み:「生活物語」篇(その1)

3.写経ニサルガダッタ:【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】

4.編集後記:すべてが自分の中の独り言のような気がして
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■ 1.意味の微分と積分
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花曇りとでもいうんでしょうか……。

暑くもなく、寒くもない……。

目の前に広がっているのはとても曖昧な静止画です。

春霞に覆われて薄いベールがかかったような空間でもなく、かといって台風の
後のあの張りつめたような透明性でもありません。

いかにも普通の顔をした隠里のたたずまい。

庭の正面にわずかに綻び始めた黄色の点はレンギョウです。

その向こう下の方に白い点を付けているのは花モモです。

いま遠くの方を鳥が一羽、画面を横切って移動していっただけで、また視界の
なかに動くものはなにもありません。

これからこの辺りではいちばん美しい季節がやってきます。

いま、少し日差しが出てきた。

明るく照らされると、鹿とイノシシのせいですっかり見る影もない庭の地面が
現れるんですけどね。

でも、形も思いもわたしではありません。

わたしを満たす調度であり、感傷ですから……。(-_-;)

(*^_^*)

ね、決まってるでしょ。(^_-)

ときどき、こんなふうに気取ってみるのって素敵ですね。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

形が動かざるをえないように、思いもいろいろ動くものですね。

構造的に深まったり……、またその構造全体を平板に見せる視点が現れたり。

波のように動いています。

あるいは、むしろ、子供が粘土をこねるみたいなものと言うべきか……。

ある形を思いついて、その形を造形していきます。

団子だった粘土から、ある構造体が現れてくる。

意識の焦点が赴くところにしたがって、細部がどんどん緻密になってくる。

一定のレベルができあがってみると、もうそのレベルではその形を動かすこと
はできないようにも見える。

それを、“作品”とか“思想”とか“世界観”などと称して、どこかの棚の上
に飾っておくこともできます。

どこかの土産物屋さんが目をつけて、そこの棚に置いてくれるかもしれません。

あるいは、もっと高級になって、どこかのミュージアムが高額で引き取ってく
れて、隣国の記念行事に貸し出すほどの栄誉を与えてくれるかもしれません。

でも、それは老化現象を起こし、自由に動き流れることを拒否したくなって、
何かの形に執着したくなった病的な“大人のマインド”が考え出すこと。

粘土遊びをしている子供なら、かならずまた粘土をこね直します。

自分が創った美しさ、深さ、壮麗さのすべてを刺し貫いて、その全体をふたた
びひとつの平板さとして積分できる<全知>を維持しているからです。

いや、もっと単純に、自分が創ったもともと何の意味もない形よりも、粘土そ
のものの可塑性、遊び道具としての可能性の方が面白いからだ、と言った方が
いいかもしれませんが。^^;

意味は、あると言えばある。

「意味」を創造するのは“こだわり”ですから。執着ですから。

“こだわり”はいいものです。(*^_^*) (←あ、ずるい! (^_-) )

昔、「違いがわかる男」というインスタント・コーヒーのコマーシャルがあり
ました。

インスタント・コーヒーのなかにすら、“違い”を生みだすことはできるわけ
です。

お陰で、それ以来、インスタント・コーヒーはどんどん美味しくなりました。

(たぶん……、と、推測します。^^; )

つまり、“おいしい”という言葉の「意味」を、どんどん実体化していくこと
が可能になるわけです。

インスタント・コーヒーの味のなかにすら、どんどん微妙な味の違い、ニュア
ンスの差を生みだし、それを識別し、そこに「意味」を創造していく……。

あ、もし、これを読んでくださっている方の中に、インスタント・コーヒーの
製造販売に関わる方がいたら、ご免なさいね。

悪意は、ぜんぜんありません。^^;;

現象世界のなかでは、万事がそうですから。

要するに、この現象宇宙のなかでは、“こだわり”が、“執着”が、多様性を
生み、「構造」とそれを裏付ける「意味」を実体化し、創造していくんだと思
います。

みんなで一生懸命こだわりましょうね! (^_-)

そうすれば、この現象宇宙は安泰ですから。

あはは。(^^)/

いつだったか、何かの精神世界本で、地球のみなさんがもっとプリミティブだ
ったころは、その人たちを取り囲む風景もいまのように立体的ではなかった、
みたいな話を聞いたことがあるんですよね。(@_@)

え (?_?)、っと、一瞬、意味がわかりませんでした。

それって、どういうこと? って、思うでしょ。

それじゃ、まるで、古代エジプトの平板な壁画は、立体的自然環境をそのよう
に表現できなかった人たちの稚拙な表現なのではなく、その人たちを取り巻い
ていた自然そのものが、学芸会の書き割りみたいな平板な風景だったから、み
たいな話じゃありませんか。

え、まさか、ほんとなの? (@_@)、って思うでしょ。

いくら信じやすいわたしだって、そう何もかも、チャネリング本の言うとおり
に信じるってわけにもいきませんからね。うん。(^-^)

いや、別に威張るほどのことでもないんだけど。^^;

そうかと思えば、また、もし地球のみなさんが全員いっせいに息を止めたら、
地球というみなさんの世界は消失してしまうでしょう、なんて言うんですよね
ぇ。(-_-;)

もう、言いたい放題です。

そりゃ、自分が住んでいるところでなかったら、わたしだってそれくらいのこ
とは言ってやりますよ。

あんたら、その映画の中で、いかにも自分は真剣に生きてますってつもりだろ
うけどな、裏から見たら、あんたらの世界は、ぺらぺらのスクリーンに映っと
るだけのもんやでー、って。(^_-)

他人(ひと)の住んどる世界を、そないに虚仮(コケ)にしよってからに、ほ
んまに、いけ好かんやっちゃ。

(@_@)

……ほしたら、わいがこの世界に住んどらなんだら、どないなんやろ?

ほしてからに、もしも、わいがどこにも住んどらなんだら……。

ほしたら、誰にもコケにされんともいいのとちゃうか。

なにしろ、わいはわいはどこにも住んどらんのやさけ……。

わ、こら、「王将」隠して、将棋指すようなもんやないか。(@_@)

こらいい、こらいいわ! !(^^)!

……そやけど、ほしたらわいはどっから将棋指したら、ええのやろ? (?_?)

うーん。

(-_-;)

わー、いかんいかん、この頭はろくなこと考えへん。/(>_<)\

頭がグシャグシャになってもうたが。(/_;)

(*^_^*)

形がひとつところで止まっていられないように、思いも止まってはいられない
という話でした。

でもそれは、話が逆なのかもしれない。

思いが止まっていられないから、形態も止まっていられないのかもしれない。

あ、どっちにしても、同じことか……。(-_-;)

そして、動けばかならず構造を生みだす。

構造的に深まって、進化する。

パターンの深化や進化は、ニュアンスの微分のように現れるから。

でも、パターンが構造的に深まって進化するからと言って、だからといって、
そのパターンの深化のなかに意味があるというわけじゃないんだな。

いつかまた、その深化したパターンを平板なものとして積分するような視点が
現れる……。

すべての変化は海の波のように、あるいは誰かの呼吸のように、構造パターン
の微分と積分を繰り返すのかもしれない。

その永遠の動きのなかでは、意味はあるようでもあり、ないようでもあり。

生まれたパターンが微分され深化して、そこに確かな意味が誕生するようでも
あり、すべてあまりにも複雑になり微妙になって、再びすべてを積分する視点
を生みだすようでもあり。

そんな海の波のような変化に、どんな意味があるのか……。(-_-;)

究極などというものが、あるのかどうか。

あ、そうだ、変化が止まることはありえないんだ。

だけど、その変化する現象の一部への自己同化は外れることがあるんだ。

それが、何かの終わりであり、何かの始まりなんだ。

なんだか、寝言みたいだなぁ。

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.:「生活資金環流システム」構築の試み:「生活物語」篇(その1)
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これから何回かに分けて、新しい世界へ向けての、経済的実践論を書いてみよ
うかと思います。^^;

題して、

    《「生活資金環流システム」構築の試み:「生活物語」篇》

(*^_^*)

ね、もしかすると、ちょっと、いいかもでしょ。(^_-)

というか、どういう展開なのか、ぜんぜん見当がつかないですよね。^^;

いえね、じつはちょっときっかけがあって、あることを思いついたんですよ。

自然に自分の頭がそっちの方へ流れるものだから、時期がそうなんだろうし、
それはそれで、ま、いっか、と思いました。

『アセ通』なんて、いかにもマイナーなメルマガですが、それでも読んでくだ
さっている方には、いろんな方々がいらっしゃると思います。

普段、お金のことなんて全然考えていない、という方々もいらっしゃるかもし
れないし、じつはもう、にっちもさっちも、というような方々もいらっしゃる
かもしれません。

それで、これまで、こういう話題を書くときは、「こういう(=お金の)話題
がお好きでない方は、飛ばしてくださいね」というスタンスで、書いてきまし
た。

ところがですね、今回は、というか今回からは、お金に余裕のある方もない方
も、是非、みなさんに読んでいただけたら、と思っているんです。

というのは、以前から、つまり「経済身体正常化プロジェクト」というような
ことを考えていた頃から、「お金」の問題というのは、貧血気味の細胞と充血
気味の細胞の間に流れを作って、全部を正常細胞にすることなんだよなぁ、と
いう感じを持っていたからです。

「お金」の仕組み自体が、いいものか悪いものかというような議論は、この際、
措いておきます。

われわれ現に「お金」がある世界に生きているんで、「お金の世界」の善悪を
いま語っても、当座の間には合わないので。

もちろん、ニサルガダッタ的な意味では、充分、間に合うわけですけどね。

ただ、それには、こっちの実力が追っつかない。^^;

というわけで、ここで問題にするのは、どうやって、じっさいに“お金が必要
ないリアリティ”を自前のものにして、“お金が必要ない世界”を呼び出すか
です。

平たく言えば、どうやって新しい世界まで生き延びるか、ね。(*^_^*)

いえ、もちろん、“(自分の幻想の世界を)生き延びるか”、ですよ。

……どうも、ニサルガダッタの言葉が反響すると、うるさいね。(>_<)

シッ、シッ! ちょっと、あっちへ行ってて。

(*^_^*)

あっちへ、行きましたから。(^_-)

ちょっと、地上言葉で話しますね。(←意味はわかかるでしょ。^^; )

で、個々人の体験という意味では、われわれが育ってくる過程で条件付けられ
ているのは、すべて“お金が足りない”という体験です。

もともと、そういうはっきりした意図のもとに導入されたのが「お金」ですか
ら。

(↑知りもしないことを、よくもこう自信ありげに言えるねぇ。(-_-))

ま、それはともかく ^^;、「金(キン)」というのは稀少金属の代表ですから、
滅多にない、簡単には代替できない、つまり、“足りない”という想念を創造
して、人類の集合意識に刷り込みするためには、最適の物質だったわけです。

交換のための通貨が「石」とか「貝」とか稀少金属を通って、最後には「金」
になったわけですよね。

そして、ニクソンさんの時代に、それは株式会社FRBが刷った「紙」でいい
ということになった。

それまでに、“人間、生存するためには絶対に「お金」が必要だ”という条件
付けは、地球規模で完了していたからです。

だから、その条件付けの“お陰(=効果)”がユーロに流れる、なんてことを
許せるはずがありません。

そりゃ、どんな理屈だって発明して、不届きなイラク(フセインさん)を叩き
つぶすわけです。

日本が“アジア通貨圏”を創る、なんて生意気なことを言い出したら、お前、
一人前のつもりか、と容赦はありません。^^;

ま、話が流れましたが、「経済身体正常化プロジェクト」ということを考えた
頃にイメージしたことは、“経済身体”の上下間の流れにわずかでも正常化で
も起これば、それによって左右の正常化が起こらないか、ということでした。

「心臓(=実体経済)」から「頭(=マネー経済)」へという従来の上下間の
一方通行の流れに逆流が起これば……、なんて思ったんですよね。

でも、それは、なかなか起こらないことのようです。

じっさいは、その逆がますます完成に近づいているわけですから、中丸薫さん
との近刊『いま二人が一番伝えたい大切なこと』(3月31日刊)に書かれて
いる内容として、船井さんのサイトに掲載されているように、いまや、
----------------------------------------------------------------------
 去る12月6日のCNN/ロイターの報道によると、総額125兆ドルに達
 する世界の「富」の約85%を世界の成人人口のうち、たった2%が保有し
 ているといいます。
 http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=200703005
----------------------------------------------------------------------
という事態になっているわけです。

なので、「経済身体正常化プロジェクト」はちょっと大袈裟すぎです。^^;

そう言えば、『火水伝文』の神さまも、それはこの方に任せておけよ、みたい
なことをおっしゃっていましたね。

それで仕切直しというわけでもないのですが、今回、あるきっかけをいただい
て、思いついたのは、もっとずっと“小さな正常化”です。

なにしろ、「生活資金環流システム」というんですから。^^;

新しい世界への過渡期の試みのひとつに、「地域通貨」というのがあるのは、
みなさん、ご存知のことと思います。

ひところ、2000年8月の「いのちの祭り」の頃には盛り上がったものです。

「いのちの祭り2000・地域通貨と共生のコミュニティ」などというところで、
少し話をさせていただいたりしたこともありました。
https://www.ascensionkan.com/work/inochinomatsuri.html

でも、この「地域通貨」というのは、今のところ、なかなか給料の代わりにな
らないようです。

つまり、現体制によって支援・応援されにくいわけです。

これは、偶然的なことではなくて、はっきりした権力の意図(的介入)による
ものです。

「地域通貨」というのは、19世紀の忘れられた思想家シルビオ・ゲゼルとい
う方の「自由貨幣(=老化するお金)」という理論を、民間で実践したものと
言えます。

シルビオ・ゲゼルという思想家については、『ウィキペディア(Wikipedia)』
の記述を見ていただくとして、
http://tinyurl.com/2ryc8z
近代経済論のケインズがその著『雇用、利子および貨幣の一般理論』のなかで、
----------------------------------------------------------------------
 ……われわれは将来の人間がマルクスの思想よりはゲゼルの思想からいっそ
 う多くのものを学ぶであろうと考えている。『自然的経済秩序』の序文を読
 む読者は、ゲゼルの持つ道徳的価値を評価できるであろう。われわれの見解
 では、この序文のなかにこそ、マルクス主義に対する回答が見いだされるべ
 きである。
                 『エンデの遺言』(p86-87)より孫引き
----------------------------------------------------------------------
と書かれている方です。

これは単に今になっての“後智慧”ですけど、シオニスト・ユダヤが支援した
思想家マルクスと、劣化しない“お金のからくり”を見破った思想家ゲゼルと
では、その機能する方向性が百八十度逆転するのは当然なのでしょう。

というわけで、本来「地域通貨」というのは、通用範囲が一定地域に限られた
通貨というよりは、流通を“加速させる”ために“強制的に減価させられる”
通貨の意味です。

単純化して言えば、「お金」は、それが流通対価となる物財(=商品)と同じ
ように、“劣化=老化”すべきだというのがゲゼルの理論です。

時間が経つにしたがって、「お金」は“減価”すべきだというのです。

これは地上の既得権益者にとっては、とても許容できない考え方ですよね。^^;

だから、シオニスト・ユダヤ資本が育てた“御用学者”似非反資本主義思想家
マルクスの思想は世界中に大流行して、二十世紀の鼻面を引き回すわけですが、
ゲゼルの思想だけは、どうしても抹殺されなくてはならないわけです。

しかし、ちゃんとした“霊的後ろ盾”があった時代のスーパーパワーと、その
“霊的後ろ盾”をなくした時代のスーパーパワーとでは、ずいぶん違う感じも
しますよね。^^;

マルクスの「共産主義」を使って東西冷戦を演出した時代と、ブッシュさんを
使ってツインタワーを爆破した時代とでは、同じスーパーパワーといっても、
まるで雲泥の差があるような気がします。

マルクスの時代にその背景を見破る者はほとんど皆無だったでしょうが、すで
に命脈の尽きているブッシュさんの時代ともなれば、すでにニューヨーク市民
の60%がブッシュさんの自作自演を疑っているというのですから。

ちょっと脱線しました。^^;

話は「地域通貨」でした。

ゲゼルの「自由貨幣」の理論を使って大成功した“ヴェルグルの実験”という
のがあります。

1932年、スイス国境に近いオーストリアのヴェルグルという人口4300人ほどの
町で、深刻な不況の対策として、ゲゼル理論の信奉者が町独自の労働証明書と
いう地域通貨を発行したのです。

そして、町自体が支払いをマルクとこの労働証明書の半々で支払ったのです。

この労働証明書は“スタンプ通貨”で、毎月1%ずつ劣化していきます。

つまり、毎月100円を支払ってスタンプをもらわないと10000円として使えなく
なる1万円紙幣のようなものです。

いや、これは流通を加速しましたね。(^_-)

いつまでとっておいても大丈夫な1万円紙幣と、ひと月に百円減価する紙幣を
持っていたら、誰だって正直です、減価する紙幣の方を使いますよね。

あはは。(^^)/

来月に持ち越して百円の“税金”を払うくらいなら、いまのうちに使ってしま
えというわけで、この労働証明書は猛烈な勢いで循環しはじめ、循環するたび
に新たな取引を成立させていきました。

結果は大成功です。

このスタンプ通貨の流通速度(回転率)は、月に12回ほどだったそうです。

つまり、1枚の1万円札が月に12万円の経済効果を生んだということです。

ということは、ひとりがタンス預金をしていたら、たったの1万円のお金だっ
たものが、この月、12人の人に1万円を手渡す結果になったわけです。

ね、これ、すごいことでしょ。(@_@)

これは、作り話じゃなくて、実際に起こったことですよ。

このスタンプ紙幣が流通を大加速してくれたお陰で、ヴェルグルの町はその後
どうなったか?

わたしがこうして略述しているネタ本『エンデの遺言』の中で、ゲゼル研究者
の森野栄一さんはこう書かれています。
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 町の税収は労働証明書の発行前の8倍にも増え、失業はみるみる解消してい
 きました。商店は繁盛し、ヴェルグルだけが、大不況のなかで繁栄する事態
 になりました。
 当然、大きな評判となります。ヴェルグルの奇跡です。評判は一国にとどま
 らず、まるで巡礼地のように世界中から多くの経済学者たちが足を運んだと
 いいます。
                       『エンデの遺言』(p146)
----------------------------------------------------------------------

すごいですよねぇ。

マルクスがぶち上げた共産主義とは、実践結果がだいぶ違うようで。(^_-)

さて、この“ヴェルグルの奇跡”のそれ以降の展開はどうなったか?

おわかりですよね。(^_-)

この奇跡がそのまま続いていたら、われわれの地球はもうとっくに地上天国を
実現しているでしょう。

そんな勝手なことをされてはどうしても困る(と信じている)方がいるわけで
す。

オーストリアの中央銀行が、オーストリアにおける紙券発行の独占を侵害した
として訴訟を起こします。

(ほら、ちゃんと出てくるからエライね。(^_-) )

そして、裁判は(当然)政府側が勝利して、“ヴェルグルの奇跡”は始まって
から1年ほどで息の根を止められます。

フー、何とか間に合ってよかった。結構、ヤバイとこだった。(-_-;)

(@_@)

あ、やだー、立場、間違えちゃった。(*^_^*)

というわけで、いったん物々交換が時代遅れとして退けられた以上、「お金」
というのは、まずは流通のための専用の手段なんです。

それがどなたの都合か、「お金」は“足りない”という観念を集合意識に固定
するためのシンボルにされてしまった。

そして、いつの間にか人間は、その“足りない”ものを手に入れるために働か
なくてはならないことにされてしまった。

みんな、「お金」を手にいるために働いているもんね。(^^)/

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  汝等<働かぬ者食ろうべからず>とのたもうが、それ誰の決めた事ぞ。誰
 ののたまいし事ぞ。神、申してないぞ。汝等まんまと操られ、ワナにはまり
 ただけぞ。そは『あやま知』に《囚われ》たるがゆえなるぞ。
 
                『火水伝文(ひみつつたえふみ)』(p13)
              https://www.ascensionkan.com/mm/vol092.html#1
----------------------------------------------------------------------

え、まさか。(@_@)

えーっ、そうなのぉ、ほんとー?

だって、みんな言っているよ、「働かぬ者食うべからず」って。

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 汝等働かずば食らう事出来なくなりたるは、汝等働かずば困る者の図りし事
 ぞ。そは『あやま知』操りし者どもの、成せしが悪しき業なるぞ。
 
              『火水伝文(ひみつつたえふみ)』(p16-17)
             https://www.ascensionkan.com/books/himitsu.html
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

(*^_^*)

というわけで、取りあえず不労所得を“やましく”思う必要はないみたいじゃ
ないですか。(^^)/

神さまも保証していることだし。

ただね、「地域通貨」は、まだちょっと難しいみたいですよ。

「地域通貨」というのは地方自治体が発行するのでないと、“趣味の集まり”
程度では、給料の代わりにはならないんですよ。

ここで言う意味の「生活資金環流システム」には、まだならないんです。

ところで、今の段階で、地方自治体が本格的な「地域通貨」を発行できるか?

もし、いま財政難に苦しんでいる夕張市が「夕張市労働証明書」(ユーバリ)
を発行して、勝手に給料の半分をそのスタンプ紙幣で払ったらどうなるか?

もし、それが上手く行ったら、どうなるでしょう? ^^;

よく自前で財政再建したねと言って、国が諸手をあげて褒めてくれると思いま
すか? (^_-)

いやー、そうなったら、ちゃんと(オーストリアの中央銀行ならぬ)日本銀行
が出てきて、日本における発券銀行の権利侵害だといって、その試みをぶっ潰
すと思いますよ。

日銀が一声かけたら、夕張市は黙って引き下がって、訴訟を起こすにも及ばな
いかもしれないけど。

とにかく、日銀が「夕張市労働証明書」(ユーバリ)の成功を黙って見逃すこ
とはありえないでしょう。

株式会社日本銀行は民間銀行なんだし、すでに4割以上の株券が外国人によっ
て所有されているんだから。

でもね、「生活資金環流システム」は、別にゲゼルの「自由貨幣=減価貨幣」
でなくても実現できるんですよ。(@_@)

大雑把に言うと、ゲゼルの「自由貨幣」の主機能は次のふたつです。

(1)「お金」を減価させる。

(2)「お金」の循環を加速させる。

今のところ、この(1)の機能を狙って、“減価するスタンプ貨幣”を実質的な
規模で流通させることはまず難しいでしょう。

しかし上の(2)の機能を狙って、「お金」の循環を加速させることは可能です。

それに対して、権力は何もできないでしょう。

だって、それは資本主義そのものの中から生まれてきた正当な方法だから。

ある“意識の水準”が必要なだけです。

それを、この次に書きますね。

今日のところは、ここまでで。

m(_ _)m


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■ 3.写経ニサルガダッタ:
       【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】の(2)
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頭がだいぶ別世界に飛びましたが、ちょっと“元の位置”に戻ります。^^;

舞い上がった分だけは、舞い落ちなければなりませんから。

いつもながら、今日の写経部分はとても論理的です。

じつに、じつに、論理的で、一度これを聴いておけば、いつかは、皮肉骨髄ま
で浸透して行くのではないか、と思われるほどです。

では、【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】の(2)です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 私はただ世界を助けられるようになりたいだけです。
 
 マハラジ
 あなたが助けられないと誰が言っただろうか?
 助けるとはどういう意味で、何が必要なのかということをあなたが自分で決
 めておいて、何をすべきで何ができるのかという必要性と能力の間で自分自
 身を葛藤(かっとう)に追いやったのだ。
 
 質問者 しかし、なぜ私たちはそうしてしまうのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたのマインドがある構造を投影し、それと自己同一化するからだ。
 欲望の本性とは、それを満たすためにマインドが世界をつくり出すよう促す
 ことだ。
 小さな欲望さえ、長い行動の連鎖を生みだすのだ。
 強い欲望ならばどうだろう?
 欲望は宇宙をも生みだす。
 その力は奇跡的なものだ。
 小さなマッチ棒が巨大な森林に火をつけることができるように、欲望も現象
 の現れに火をつける。
 想像の目的自体が欲望を満たすことなのだ。
 欲望は高尚なものかも、卑しいものかもしれない。
 空間(アーカーシュ)は中立的なものだ
 人はそれを何でも好きなように満たすことができる。
 何を望むのか、人はとても注意しなければならない。
 そしてあなたが助けたい人々だが、彼らもまた欲望を満たすために、それぞ
 れの世界のなかにいる。
 彼らの欲望を通して以外、彼らを助けることはできない。
 あなたには、彼らが正しい欲望をもつように教えることができるだけだ。
 そうすれば彼らは現状を超え、快楽と苦痛の住処(すみか)である欲望の世
 界を創造し、再創造しようという衝動から自由になれるかもしれない。
 
 質問者 ショーが終わって人が命を終え、宇宙の終局を迎える日がかならず
     訪れます。
 
 マハラジ
 眠っていた人がすべてを忘れ、新たな日に目覚めるように、あるいは死んで
 から新しい命を授かるように、欲望と恐れの世界も溶解し、消え去る。
 しかし、普遍の観照者、至高の真我は眠りも死にもしない。
 偉大な心臓の鼓動は永遠に鳴りやまず、あなたの鼓動のたびに新しい宇宙が
 誕生するのだ。
 
 質問者 至高の真我には意識があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼はマインドが考えることのできるすべてを超えている。
 彼は存在と非存在をも超えている。
 彼はすべてに対してイエスであり、ノーである。
 内側であり、彼方でもある。
 創造し、破壊する想像しがたい実在なのだ。
 
 質問者 神とマハートマはひとつでしょうか?
 
 マハラジ
 彼らはひとつだ。
 
 質問者 何らかの違いがあるはずです。
 
 マハラジ
 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。
 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。
 神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。
 ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。
 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。
 神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
 わるものの永遠の観照者であることを知っている。
 その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。
 彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。
 それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。
 
 質問者 あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられる
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 無としてあることで、私はすべてなのだ。
 すべては私であり、すべては私のものだ。
 私の身体が、動かそうと考えるだけで動くように、私が思うだけでものごと
 は起こる。
 言っておくが、私は何もするわけではない。
 ただものごとが起こるのを見るだけだ。
 
 質問者 あなたが起こるように望んでからものごとが起こるのでしょうか?
     それともそれらが起こってから、あなたはそう起こることを望まれ
     るのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは両方だ。
 私は受け容れ、そして受け容れられるのだ。
 私がすべてであり、すべては私なのだ。
 世界であるゆえに、私は世界を恐れない。
 すべてとしてありながら、何を恐れるというのだろう?
 水は水を恐れず、火は火を恐れない。
 私は恐れない、なぜなら私は無であり、恐れや危険を体験しようがないから
 だ。
 私には名前も形もない。
 名前と形に固執することが恐れを生むのだ。
 私には執着がない。
 私は無だ。
 そして無は無を恐れない。
 反対に、すべてが無を恐れている。
 なぜなら、何かが無に触れたとき、それは無となるからだ。
 底なしの井戸のように、何であれそこに落ちたものは消え去るのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p104-106)
                       http://tinyurl.com/s747u
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うーむ。

恐ろしいような、気持ちよさそうな……。(-_-;)

しかし、いつもながら、ニサルガダッタは論理的だなぁ。

> 質問者 私はただ世界を助けられるようになりたいだけです。
> 
> マハラジ
> あなたが助けられないと誰が言っただろうか?

プ。^^;

> 助けるとはどういう意味で、何が必要なのかということをあなたが自分で決
> めておいて、何をすべきで何ができるのかという必要性と能力の間で自分自
> 身を葛藤(かっとう)に追いやったのだ。

なるほど。

そういうことだったか。

> 質問者 しかし、なぜ私たちはそうしてしまうのでしょうか?

うん。(@_@)O

> マハラジ
> あなたのマインドがある構造を投影し、それと自己同一化するからだ。

そうか……、たしかに。

それは両方とも、かならずしも必要なことじゃなかったんだ。(-_-;)

> 欲望の本性とは、それを満たすためにマインドが世界をつくり出すよう促す
> ことだ。

ガーン!! (*_*)

 .: * .: * ☆☆ 彡⌒★?

……そうだったのね。(;_;)

つまり……、理想的ってことじゃない。

> 小さな欲望さえ、長い行動の連鎖を生みだすのだ。

はい、わかります。

> 強い欲望ならばどうだろう?
> 欲望は宇宙をも生みだす。

はい。

> その力は奇跡的なものだ。

ああ……。

> 小さなマッチ棒が巨大な森林に火をつけることができるように、欲望も現象
> の現れに火をつける。

そうか。

> 想像の目的自体が欲望を満たすことなのだ。

(@_@)

そういうことなのか。

……、たしかに。

> 欲望は高尚なものかも、卑しいものかもしれない。

はい。

> 空間(アーカーシュ)は中立的なものだ
> 人はそれを何でも好きなように満たすことができる。

なるほど。(-_-)

> 何を望むのか、人はとても注意しなければならない。

そういうことだ。

> そしてあなたが助けたい人々だが、彼らもまた欲望を満たすために、それぞ
> れの世界のなかにいる。

うん。たしかに。

> 彼らの欲望を通して以外、彼らを助けることはできない。

そうか……。

> あなたには、彼らが正しい欲望をもつように教えることができるだけだ。

わかります。

和田先生も、『欲望の教育』ということをおっしゃっていました。

> そうすれば彼らは現状を超え、快楽と苦痛の住処(すみか)である欲望の世
> 界を創造し、再創造しようという衝動から自由になれるかもしれない。

「快楽と苦痛の住処である欲望の世界」を、

「創造し、再創造しようという衝動から自由になれるかもしれない」 (-_-;)

> 質問者 ショーが終わって人が命を終え、宇宙の終局を迎える日がかならず
>     訪れます。
> 
> マハラジ
> 眠っていた人がすべてを忘れ、新たな日に目覚めるように、あるいは死んで
> から新しい命を授かるように、欲望と恐れの世界も溶解し、消え去る。

「欲望と恐れの世界も溶解し、消え去る」

> しかし、普遍の観照者、至高の真我は眠りも死にもしない。

(-_-)

> 偉大な心臓の鼓動は永遠に鳴りやまず、あなたの鼓動のたびに新しい宇宙が
> 誕生するのだ。

「あなたの鼓動のたびに新しい宇宙が誕生するのだ」(-_-)

> 質問者 至高の真我には意識があるのでしょうか?

うん? (@_@)O

> マハラジ
> 彼はマインドが考えることのできるすべてを超えている。
> 彼は存在と非存在をも超えている。
> 彼はすべてに対してイエスであり、ノーである。
> 内側であり、彼方でもある。
> 創造し、破壊する想像しがたい実在なのだ。

(-_-)

> 質問者 神とマハートマはひとつでしょうか?
> 
> マハラジ
> 彼らはひとつだ。
> 
> 質問者 何らかの違いがあるはずです。
> 
> マハラジ
> 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。

おお……。

> 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。

はい。

> 神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。

なるほど。

> ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。

へー。そうなんですか。

> 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。

ジニャーニにとっては、神と自然は同じものなんだ……。

> 神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
> わるものの永遠の観照者であることを知っている。

はい。

神もジニャーニもともに、自らが絶対者であることを知っている……。

> その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。

これは、同じものなのか……。

> 彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。

ああ。

神もジニャーニもともに、自ら絶対者であり無であることを知っている……。

> それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。

はい。(-_-)

> 質問者 あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられる
>     のでしょうか?

うん。いいこと訊いた。

> マハラジ
> 無としてあることで、私はすべてなのだ。

おお。

> すべては私であり、すべては私のものだ。

(-_-)

> 私の身体が、動かそうと考えるだけで動くように、私が思うだけでものごと
> は起こる。

ああ……。

> 言っておくが、私は何もするわけではない。
> ただものごとが起こるのを見るだけだ。

ああ。(;_;)

> 質問者 あなたが起こるように望んでからものごとが起こるのでしょうか?
>     それともそれらが起こってから、あなたはそう起こることを望まれ
>     るのでしょうか?

うまい! 座布団一枚!

> マハラジ
> それは両方だ。

(-_-)

> 私は受け容れ、そして受け容れられるのだ。

(-_-)

> 私がすべてであり、すべては私なのだ。

そうか……。そうなんだよな。(-_-)

> 世界であるゆえに、私は世界を恐れない。
> すべてとしてありながら、何を恐れるというのだろう?

(;_;)

> 水は水を恐れず、火は火を恐れない。

うん。(-_-)

> 私は恐れない、なぜなら私は無であり、恐れや危険を体験しようがないから
> だ。

(;_;)

> 私には名前も形もない。

はい。

> 名前と形に固執することが恐れを生むのだ。

あ。(@_@)

名前と形に固執することが恐れを生むのか……。(-_-)

> 私には執着がない。
> 私は無だ。
> そして無は無を恐れない。

(-_-)

> 反対に、すべてが無を恐れている。
> なぜなら、何かが無に触れたとき、それは無となるからだ。
> 底なしの井戸のように、何であれそこに落ちたものは消え去るのだ。

……。

ワタシガムニフレルコトサエデキレバ、ワタシハムニナレルノカ。

ワタシガソレヲノゾムコトサエデキレバ……。(-_-)

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。

それから、「最強の破壊者からの言葉」というのを置いてみました。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-words.html

どこからもクレームが来なければ、追加および取捨選択していきます。

ときに「最強の破壊者」に疑問をぶつけてみていただければ嬉しいです。


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記:すべてが自分の中の独り言のような気がして。
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今日は、楽しかったですよ。

わたしが“楽しかった”のではなく、“楽しい気分”がわたしを通過していっ
たのだと思いますが。

大袈裟な話が好きなので、今日みたいな“大袈裟風”の話を書くのはいいです。

『エンデの遺言』を開いて、引用するのは楽しかった。

何だか、すべてが自分の中の独り言のような気がして。(*^_^*)

さあ、もう寝なきゃ。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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