━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.159 2007/04/22(第159号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在833名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.われわれがいちばん欲しがらないもの
2.写経ニサルガダッタ:【67 体験は実在のものではない】の後半
3.編集後記: 何か、殊勝。(*^_^*)
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■ 1.われわれがいちばん欲しがらないもの
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今日は穏やかないい天気ですね。
このところしばらく寒い日が続いてましたが、今日になってやっと晴天が戻っ
てきた。
風はちょっと強いけれど、外に出ても寒くはない。
さっき、昨日いただいた筍の皮を捨てに下に降りたら、我が家の敷地内の西側
の斜面にも筍が顔を出していました。
それも二つ。(^_^)v
いえ、この時期は重なるもので、じつは昨日も二本掘ったんですけどね。
三本ほどわずかに先端が出たのは枯れ草の陰に隠してきたんですが、今朝見つ
けて掘ったのは、それとはまた別のです。
今年はなぜか、イノシシちゃんよりこっちが競り勝ってますね。(^-^)
去年は西側の斜面のトタン塀を竹で補強しましたが、今年はどうもそんな気力
が出ないので、どっちが勝つかなと思ってたんですが。
まわりじゅう白や濃いピンクの花々に囲まれて、いまは一年中でいちばん美し
い季節です。
こころもち、例年より花の量が少ないような気がしますが。
ああ、強い風が吹いて、花を西側に飛ばしている……。
でも夢の繭の中で、独り言メルマガを書くにはちょうどいい頃合いだなぁ。
うん。(-_-;)
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
夢の中でイノシシに競り勝つ……。
いい夢見てるじゃないの、あんた、ってことですよね。^^;
まったく、その通りなんですが……。
……。(-_-;)
……ただ。これまで大分長くニサルガダッタの言葉を読んできました。
というか、他にあまり読んでいない。
まさに、時代からどんどんずれていきます。
マインドが風化していく……、とでもいうのか。
今見てみたら、最初に『私は在る』に触れたのは2005年の10月みたいです。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol088.html#1
それからポチポチ読み始めたのだとすると、1年半くらいは読んでいるのか。
まあ、別に何も変わってもいないのですが、ただ変化の速度が鈍ってはきたの
かもしれない。
いまは、ニサルガダッタの言葉を覚えているところなんだと思います。
だんだん、あることについて、ニサルガダッタがどう言うかが見当が付いてく
るようになってきた。
そりゃそうです。
知的な興味をもっぱらニサルガダッタの言葉だけで満たしているわけですから。
いい加減、“新しもの好き”のわたしのマインドにも、ニサルガダッタが浸透
してきます。
そうしたら、あとは、その言葉が好きかどうかだけだと思います。
それしかないと思う。
その手の言葉が好きだったら、また摂取すればいいわけだし。
好きでなければ、別のものをまた探し始めるだけだろうと思います。
……ところがどうも、けっこう、この手の言葉が好きらしいんですよね。
もう一年半も読んでいるのかと思うんだけど、なかなか飽きてこない。
というか、やっとその意味らしきものが浸透してくる感じです。
……。
昔、若い頃のことですけど、とても不幸な時代がありました。
いえ、不幸になる理由なんか、別に何にもなかったんですけどね。
当時の周囲の時代そのものは、かえって、いまより若々しくて元気な時代だっ
たのかもしれません……。
話が飛ぶばかりで、支離滅裂ですが。
いまアメリカで、32人もの学生を銃で殺し回って自殺した韓国人の学生が、
話題になっていますね。
ずっと、独りで閉じこもっていると、社会性からは逸脱しますよね。
動かない分、自分の中でエネルギーが高まる。
そのエネルギーを内的に爆発させて……、“自分”の内的な枠組みそのものを
爆破するなんてことも、もちろん、あるんでしょうけど。
でも、たいていは、そんなことはできなくて、何らかの形で、小さく物理次元
で爆発させることになります。
それもポジティヴな出口にまでそのエネルギーを誘導できれば、それこそ岡本
太郎さんの「芸術は爆発だ!」の、芸術表現までもっていけるのでしょう。
芸術表現にも形は色々ありますが。
つまりは、サットヴァの優勢のもとで、宇宙を再創造するエネルギーの流れに
合流する、ということだと思います。
でも、それまでのカルマというかDNAの組み合わせによっては、そういう形
でエネルギーを維持するのはなかなか大変、という場合もあるはずです。
その場合は、全体のバランスから言って、その物理次元での小爆発を破壊的な
形で表現することにならざるをえない。
あるいは、タマス優勢のもとで“引きこもり”になるとか、または、それにち
ょっとラジャスが加わって家庭内暴力として表現するとか。
もっともDNAの加減では、近親に対するDVにはならずに、手っ取り早く自
分に対する暴力、自殺として表現されるのかもしれません。
そして、もっとラジャスが優勢になれば、今度の韓国人学生の場合のように、
人殺しとして表現することになったりするんでしょうね。
……連想が流れましたが。
いずれにしろ、社会人として調教される以前に“独りで閉じこもる”というこ
とは、“DNAの純粋培養”みたいなところがあると思います。
しかもその人は、“自分”が住んでいる世界を投影しているのは“自分”だな
んて、そんな高級な話は、通常は聞いたこともありません。
自分が幸福であるか不幸であるかの種は、すべて“自分”の中で培養されてい
るだなんてことは、聞いたこともないわけです。
どうしたって、自分の不幸の原因を、まわりの現象世界のなかに探しますよね。
……。(-_-)
ふ。
昔、こんなことを思ったことがあるんですよ。
自分がもし、針一本の中に地球の質量を封じ込めた存在だったら、いま、この
ままで、畳の中にめり込んでいけるんだろうけど、って。
(-_-)
どう贔屓目に見ても、あまりポジティヴなイメージじゃなさそうですね。
まあ、端的に言えば、消えてしまいたい、ってことだったんだろうけど。
しかし、こうしてみると、昔から大袈裟な表現が好きだったんだなぁ。
三島由起夫さんが、自殺したくなったら、地球を滅ぼしていっしょに心中する
みたいな大袈裟なことを考えろって、言っていたけど。
そういう言葉を知ったのはずっと後のことだったから、知らずに同じ戦略を取
っていたということなのか。
自分に引き寄せた物語の中で、あることないこと勝手に想像して、勝手に落ち
込んだり勝手に舞い上がったりするのが、エゴというものなんでしょうか。
前もってそうと知っていたら、わざわざ自分からこういう次元まで降りてくる
方はいないですかね。
少なくともそうとう勇気がある人ですよね、こんな世界をもし“知っていて”
選んだ人がいるとすれば。
いくらゲームだとは言っても、けっこう、大変でしょ。
もっとも、お遊び上手の方もいらっしゃるんだよなぁ。(-_-;)
……。
やっぱり、しっかり“はまった”方が楽しく遊べるんでしょうか。
もっとも、ラムサさんは、ずいぶん人間を持ち上げていらっしゃいますよね。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol132.html#3
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それゆえ、人間になることによって、あなたは自分を堕落させたわけではな
い。
あなたはこのことを理解しなければならない。
というのも、人間になったことがなければ、けっして天の王国に完全に入る
ということができないからだ。
人生というものに降下したことがないのに、いったいどうやって天国にアセ
ンションすることができるというのか?
人間になることは価値のあることなのだ。
それはなるに値するものである。
全能の神と呼ばれる、自分の内に宿るこの炎を理解するために、人間になる
のは賢明なことである。
すべての生命はこの炎でできている。
そして、物質でできた崇高なる知性、すなわち人間と呼ばれるものを通して
この炎を体験すれば、神とは何なのかについて、完全な視野を与えてくれる
のだ。
そして、あなたが神であるものを完全に理解したとき、つまり、内面の宇宙
や外の宇宙、物質や肉体、愛や喜び、悲しみといったものをすべて理解した
とき、あなたは「父」そのものになるのである。
『ラムサ ホワイトブック』(p188-189)
http://tinyurl.com/o8go3
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ま、そういう言い方もできるんでしょうね。
もっとも、そのラムサさんも、いつまでもこの次元にとどまることは推奨して
いらっしゃらないみたいだけど。(^_-)
なにしろ、ご自分は1回で卒業されているんだから、あまりの長期滞在組には
言葉を選ばなくちゃならないでしょうね。
そう言えば、長崎市の現職市長を射殺なさった方も、とっても傷つきやすい方
ですよね。
自分で作った身勝手な解釈とは言え、その中で、とっても傷ついていらっしゃ
るようじゃないですか。
……ということは、“自分の身勝手な物語の中で、とっても傷つきやすい”と
いうのが、われわれ長期滞在組の共通の特徴なのかしら。(-_-;)
(@_@)
あ、言っちゃった! (←なんてね。(*^_^*))
ところで今ひとつはっきりしないと思っていたのは、ラムサさんみたいな神の
立場と、ニサルガダッタみたいなジニャーニの立場との違いでした。
そう思ってみると、こんなの↓があった。
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神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。
神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。
神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。
ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。
彼は神と自然との間に何の違いも見ない。
神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
わるものの永遠の観照者であることを知っている。
その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。
彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。
それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。
『I AM THAT 私は在る』(p105-106)
http://tinyurl.com/s747u
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なるほど。
これはまた客観的。(-_-;)
> 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。
という言葉は、両者の違いを決定的に識別しているようでもあり、いまいち、
その違いがわからないようでもある。
そう思っていると、こんどは、こんな言葉に出会います。
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私のいる無(パラマカーシュ)の境界には、いかなる言葉も思考も届かない。
マインドにとって、そこはまったくの闇と沈黙だ。
そこに意識が攪拌しはじめ、マインドが目覚めだし(チダカーシュ)、世界
を投影し(マハーダカーシュ)、記憶と想像を構築しはじめる。
ひとたび世界が存在のなかに現れたならば、あなたの言ったとおりとなるだ
ろう。
目標を定め、それに向かって闘い、方法と未知を探し、ヴィジョンとエネル
ギー、そして勇気を示す、それがマインドの本性なのだ。
それは神聖な質であって、私はそれらを否定してはいない。
しかし、何の相違もなく、何も存在せず、それをつくり出したマインドもな
いというのが私の立場だ。
そこが私の居場所なのだ。
何が起ころうと私には影響を与えない。
ものごとがものごとに働きかける。
ただそれだけだ。
記憶と期待から自由なため、私はいつも新鮮で、無垢で、トータルだ。
マインドはたいへんな働き者(マハーカルタ)で、休息が必要だ。
何も必要ない私には、何の恐れもない。
誰を恐れるというのだろう?
そこには分離などない。
私たちは分離し、孤立した自己ではない。
ただ個人と非個人がひとつである真我、至高の実在があるだけだ。
『I AM THAT 私は在る』(p104)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
……。(-_-)
こういうの読むと、いいなぁ、って思っちゃうんです。
たんなるマインドレベルの憧れかもしれないんだけど。-_-;
これから地球はとってもいい世界に向かうらしいので、それを楽しみにして待
っているのも悪くないかもしれないんですけどね。
最近は、インナーアースの世界の様子も、ずいぶん、紹介されているようじゃ
ないですか。
でも、
> 何が起ころうと私には影響を与えない。
> ものごとがものごとに働きかける。
> ただそれだけだ。
こういうのを読んじゃうと、ああ、自分を映画の中の一部だと思うのは、スク
リーンの中の一部を切り取ることができないように、単なる幻なんだよなぁ、
と思ってしまう。
……けっきょく、本当のところ自分が何を望むのか、ですよね。(-_-;)
そうすると、いろいろ素晴らしそうなものがたくさんあるらしい、ということ
は(たとえ夢の中の世界とは言え)事実あると思うんです。
そっちの方が面白いのかもしれない。
その世界全体があなたのものなんだ、って言われても、いや、自分はその中で
何かの役をやって楽しみたいんだ、っていうこともあると思います。
それだったら、もちろん、そうなるわけですよね。
だって、宇宙は欲望を満たす仕組みなんだから。
そうすると、ああ、ジニャーニがわれわれに差し出しているものというのは、
われわれがいちばん欲しがらないものなんだなぁ、ということが、だんだん、
納得されてくるようなんです。
だって、全体って、全体でしょ。
全体になったら、もう「何者か」になることはできないんですよね。
すくなくとも、マジでは。
「何者か」になれなくなったら、そりゃ、寂しいじゃん (@_@)、ってことは、
ありますよ。
勘違いかもしれないけど。
だって、「何者か」になれないってことは、他人がいなくなるってことで、わ
れわれを支えてくれているすべての“現実”がなくなるってことじゃないです
か。
それだったら、オレやめるよ、ってことありますよ。
誤解かもしれないけど。
でも、“誤解としての正解”ってものだって、あるだろうし。
たとえば、売り手はお勧め商品をこんな具合に言ってますよ。(^_-)
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もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方の
パターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。
男や女であるといった観念さえ放棄されるべきなのだ。
生命の大海は人類だけではなく、すべてを包含している。
まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
のをやめなさい。
あらゆる利己主義を放棄しなさい。
物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲求を放棄しなさい。
いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
あなたは今ここで、完璧なのだ。
あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
『I AM THAT 私は在る』(p334-335)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
あはは。\(^o^)/
こんなもの、欲しがる人いる?
いるわきゃ、ないよね。
こんなもの、道路の真ん中に捨てられていたって、拾っていく人なんて誰もい
ないよ。(^_-)
これを人間に欲しがらせるために、賢者の方々、どれほど苦労なさってきたこ
とか。^^;
でも、これは、無理だわ。
これはわれわれ自称人間がいちばん、欲しがらないものだ。
なるほどなぁ。(-_-;)
そういうわけだったんだ……。
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【67 体験は実在のものではない】の後半
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ニサルガダッタの写経を続けていると、だんだん、誤解の余地が少なくなって
いくようです。
だいたい、ニサルガ師匠という方は、メッセージを伝えるのにあまり変化球を
使いません。
すべてがストレート、しかも剛速球です。
毎回写経をするということは、いわば草野球に来てくれたプロのピッチャーの
球を、キャッチャーとして受け取るようなものとも言えます。
しかもピッチャーは誤魔化しなしのストレートだけで勝負を決めることで有名
なニサルガダッタ。
すべて直球。
これでもかこれでもかというように、すべてストライクゾーンに入ってきます。
ミットを構える位置なんて、てんで考える必要がない。
真ん中に構えていれば、球の方から入ってくるに決まっているんですから。
こうなると、どこがストライクゾーンなのか、いやでもわかってしまいます。
ほんのたまーに、あ、外したんだな、とか、あ、ゆる球を抛ったんだ、とわか
ることがあるくらい。
まったくの誤解の余地なし、これがニサルガ師匠の親切なんですね。
では、前回に続いて【67 体験は実在のものではない】の(2)です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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マハラジ
いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
自己実現は獲得されるものではない。
それはもっと理解の本質に近いものだ。
ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
意識とその内容をとどめようとしてはならない。
意識をとどめれば、それは止まる。
洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
ようとするものにとって破壊的になる。
来るものは去らなければならない。
永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
何度も繰り返し試みることだ。
質問者 試みるには信頼が必要です。
マハラジ
まず、熱望がなければならない。
欲望が強力なとき、試みようとする意志が現れるだろう。
欲望が強いとき、あなたは成功への確信も必要ない。
あなたには賭をする用意があるのだ。
質問者 強い欲望、強い信頼――最後にはどちらも同じことです。これらの
人々は彼らの両親も、社会も、自分自身さえ信頼しません。触れる
ものすべてがくずれてしまうのです。彼らに絶対的に真正で、疑う
余地のない、マインドによる議論を超えたひとつの体験を与えてく
ださい。そうすれば彼らは世界の果てまであなたにしたがうでしょ
う。
マハラジ
だが、私はほかでもない、それをしているのだ!
休むことなく、私はひとつの論争の余地のない要因へと彼らを引き寄せてい
る。
存在に証明は必要ない。
それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
私を信じてほしい。
到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
いのだ。
質問者 あなたの言われるとおりです。しかし、これらの人々は自信も忍耐
ももってはいないのです。短期間の努力でさえ彼らを疲れさせてし
まいます。彼らが盲目のうちに手探りをし、しかも救いの手をつか
むことさえできずにいるのを見るのは心痛むことです。彼らは根本
的に本当にすてきな人たちなのですが、完全に道に迷っています。
私は彼らに言うのです。「真理をあなたの要求額で手に入れること
はできない。条件を受け入れなければならないのだ」と。それに対
する彼らの答えはこうです。「何人かは条件を受け入れ、何人かは
受け入れないでしょう。受容や非受容は表面的で偶然のものです。
実在はすべての中にあるのです。すべての人が無条件で歩いていけ
る道がかならずあるはずです」と。
マハラジ
あらゆるレベルで、人生のあらゆる領域において、すべてに対して開かれた
そのような道はあるのだ。
誰もが自分自身に気づいている。
自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
それはすべての人たちのためにある。
誰もそれにとって未熟ではない。
そして誰にも失敗はありえない。
しかし、もちろんただ注意するだけではない。
あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。
『I AM THAT 私は在る』(p341-343)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
ふー、今日も、ニサルガ師匠は親切ですね。
> マハラジ
> いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
(-||-)
「体験は実在のものではない」
こういう言い方を、他の方から聞いたことがありますか?
わたしは、ニサルガ師匠から聞くのがはじめてなんだけど。
大鉈(おおなた)でばっさり、ですよね。
いったん、「体験は実在のものではない」という言葉が聞こえてしまったら、
そしてその意味が少しでも自分の中で響いたら、もう、聞く前の状態とは何か
が違ってしまいますよね。
たぶん、本質的な意味では、もう元の状態には戻れないじゃないでしょうか。
あるいは、着実に「帰還への旅」は始まってしまったとか。
> 体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
何の疑問も湧きませんよね。
> 自己実現は獲得されるものではない。
これいろいろなマスターたちが声を揃えておっしゃること。
> それはもっと理解の本質に近いものだ。
うん、今回のミソはこれ↑ですね。
自己実現というのは体験ではなくて、「もっと理解の本質に近いものだ」とい
うこと。
特に何の体験も起こらないわたしのような者には、これだけが縋る「蜘蛛の糸」
だな……。(-||-)
> ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
(;_;)
> その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
そうか。
> 意識とその内容をとどめようとしてはならない。
うん? どうして?
> 意識をとどめれば、それは止まる。
> 洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
> ようとするものにとって破壊的になる。
ああ、そういう状況のことを言っているのか。
> 来るものは去らなければならない。
うん。来るものはかならず去る。
> 永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
この「彼方」という言葉でいつも突き放されちゃうんだけど、これは要するに、
あらゆる言葉の、またあらゆる表現の、手の届かないところにあるという意味
でもあるんでしょうね。
だから、汚される可能性もない。
> すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
> 無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
すべてあなたのものだ、けっして逃げていくことはない、だから、
> 何度も繰り返し試みることだ。
と。
> 質問者 試みるには信頼が必要です。
>
> マハラジ
> まず、熱望がなければならない。
うん。
言葉ではない、熱望が必要だと。(-_-;)
> 欲望が強力なとき、試みようとする意志が現れるだろう。
そうか……。
> 欲望が強いとき、あなたは成功への確信も必要ない。
> あなたには賭をする用意があるのだ。
そういうことだ。(-_-)
> 質問者 強い欲望、強い信頼――最後にはどちらも同じことです。これらの
> 人々は彼らの両親も、社会も、自分自身さえ信頼しません。触れる
> ものすべてがくずれてしまうのです。彼らに絶対的に真正で、疑う
> 余地のない、マインドによる議論を超えたひとつの体験を与えてく
> ださい。そうすれば彼らは世界の果てまであなたにしたがうでしょ
> う。
ちょっと、ニサルガ師匠の剛速球に耐えかねて、球をそらしましたね。(^_-)
> マハラジ
> だが、私はほかでもない、それをしているのだ!
ところが、ニサルガ師匠の方は、けっしてそらすということがない。
> 休むことなく、私はひとつの論争の余地のない要因へと彼らを引き寄せてい
> る。
でも、じっさいに、そうなんだよね、これ。(@_@)
その気になって聴けば、ニサルガ師匠がつねに、「論争の余地のない要因」へ
と「引き寄せてい」ることは確かですよ。
> 存在に証明は必要ない。
ほんとに、たしかに、その通りなんだ。
> それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
まったく。
よくニサルガ師匠が言うけど、まさに
「あなたの存在を証明できるものは何もないのだ」……、だよね。
「なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならないからだ」
って。
> もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
> さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
> 彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
そうなんだろうなぁ。
> 私を信じてほしい。
これ↑、ニサルガ師匠はときどき言うけど、自然現象から思わず出てくる言葉
なんでしょうね。
> 到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
> いのだ。
これこそ、体験者は語るってやつだよね。
あ、体験って、存在しなかったんだっけ。(^_-)
> 質問者 あなたの言われるとおりです。しかし、これらの人々は自信も忍耐
> ももってはいないのです。短期間の努力でさえ彼らを疲れさせてし
> まいます。彼らが盲目のうちに手探りをし、しかも救いの手をつか
> むことさえできずにいるのを見るのは心痛むことです。彼らは根本
> 的に本当にすてきな人たちなのですが、完全に道に迷っています。
> 私は彼らに言うのです。「真理をあなたの要求額で手に入れること
> はできない。条件を受け入れなければならないのだ」と。それに対
> する彼らの答えはこうです。「何人かは条件を受け入れ、何人かは
> 受け入れないでしょう。受容や非受容は表面的で偶然のものです。
> 実在はすべての中にあるのです。すべての人が無条件で歩いていけ
> る道がかならずあるはずです」と。
あんた、松下さん? (?_?)
あ、ちょっと、オヤジギャグ。(^_-)
> マハラジ
> あらゆるレベルで、人生のあらゆる領域において、すべてに対して開かれた
> そのような道はあるのだ。
はい。
> 誰もが自分自身に気づいている。
たしかに。
> 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
(-||-)
> それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
> それはすべての人たちのためにある。
> 誰もそれにとって未熟ではない。
> そして誰にも失敗はありえない。
(;_;)
> しかし、もちろんただ注意するだけではない。
(@_@)O
> あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
(?_?)
> 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。
(^_^)v
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。
それから、「最強の破壊者からの言葉」というのを置いてみました。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-words.html
どこからもクレームが来なければ、追加および取捨選択していきます。
ときに「最強の破壊者」に疑問をぶつけてみていただければ嬉しいです。
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■ 3.編集後記: 何か、殊勝。(*^_^*)
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今日はお客さんがあって、夕食もご一緒したのに、そんなに遅くもなりません
でしたね。
これからだんだん、そうしていきたいです。
暖かくなってきて、とてもいい季節。
ちょっと、歯茎が痛いのが玉に瑕。
「苦痛と快楽は、至福の海の波の頂と谷間だ。
その底深くには完全な充足があるのだ」
なんて聞いているけど。(*^_^*)
まだ、苦痛の至福を楽しめるほどになっていなくて。(^_-)
ま、いいや。
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。
お陰さまで、独り言を書き続けることもできます。
何か、殊勝。(*^_^*)
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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