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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.160 2007/04/29(第160号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在839名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.どんな世界に行ったって

2.写経ニサルガダッタ:【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】の1

3.編集後記: これから配信します。
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■ 1.どんな世界に行ったって
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今日は暖かないい日和ですね。

庭には温かい春の日差しが降り注いでいます。

正面に見える花モモのピンクの花びらが、先ほどから盛んに風に散ってこちら
の方へ飛んできています。

もう今では、花びらのピンクより若葉の緑の方が多くなって。

今日の午前中は、集落の仲間といっしょに外に出てちょっと身体を動かしまし
た。

ある場所の掃除をして、その区域に竹の柵をしたりして遊んだんです。

この小さな集落も、我が家が越してきた頃と比べると今ではすっかり代替わり
してしまって、当時の住人の大半が姿を消してしまいました。

亡くなられたり、余所に越してしまわれたり。

隣のおじさんは今では家にこもりっぱなしで、すっかり外に出なくなってしま
いました。

だから、集落の仲間と言っても、以前のメンバーではなく、新しく仲間になっ
たメンバーです。

この小さないちばん身近な集落では、だんだん元々の地元の住人が少なくなっ
て、新しく入ってきた人間の比率が高くなってきました。
(比率というほどの人数でもないけど。^^;; )

だから、特に一目置くべき人がいないので、外の作業と言ってもみんな気楽で
遊びの感じです。

移って行かれた住人から管理を譲られた場所を、勝手に“秘密の花園”などと
称して、結構楽しんでいます。

こうして何も問題ないようなんですが……。

そして、たしかに、何も問題がないようでもあるのですが……。

……マインドは無事に耐えられないのか。

何か問題を作ろうとしているようでもあります。

厄介なものですね。

心の動きって……、マインドって。

とにかく変化せざるをえない。

変化に意味があろうがなかろうが……。(-_-;)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

無事の中で、ただ超然と離れて「在る」って、半端な力ではないのかもしれま
せん。

ときどき、いかにもそんな気分になることもあるけど、ときどき、及びもつか
ないこと、って気がすることもあります。

そうして物欲しげにうろうろしては、また生きているのが恥ずかしくなって。

でも、問題が「“自分”のなか」にしかないってこと、これだけは、とてもわ
かる気がします。

身につまされる感じです。

……いま、遠くで雷が鳴っています。

そして、黄色っぽい薄明かりの中を、突然の雨が降ってきた。

むろん、いつだって独り言には違いないんだけれど、そして、誰に頼まれても、
誰に強制されてもいないんだけれど……。

このごろ、子供の頃考えていたことが、あれは全部、本当のことだったんだ、
って気がすることがあります。

あれは、全部、根拠のあることだったんだって。

むろん、マインドの世界そのものに、何の根拠もないことは確かなんでしょう
けど。

子供の頃の方が、生きている世界の文脈の“お荷物”が少ないですよね。

それだけ、変な“方言”を、つまりは“地方の事情”とか“条件付け”を背負
っていない分、純な感性や思考があるわけでしょうね。

ところが、どんな“子供”も、いつかいっぱしの“大人”になって、たくさん
の“地方の事情”を背負うことになります。

『死霊』でだったか、埴谷雄高さんが親が一生かかって稼いだ智慧を子供にバ
トンタッチできない人間の宿命について触れていました。

誰もがまたゼロから始めなくてはならない、と。

なるほどそうだなぁ、と思いました。

あとで精神世界情報に触れるようになって、今度は、“死”というのは人生を
新たに経験できるようにするための単なる仕切直し”です、というようなレト
リックを知りました。

これまた、なるほどそうか、と思いましたね。

埴谷雄高さんの言葉を読んだときは、世代の交代とか死というのはそういうこ
となんだ、と理解したし、あとで精神世界本を読んだときは、ああ、“死”と
いうのはそういう機能を果たすためのものだったんだ、と知った……。

そしてあるときから、どっちもたしかに“正しい”んだなぁ、と思うようにな
りました。

意見というのは、すべてそれぞれの意識の位置からの風景の報告なんだから、
と思われるようになったんですよね。

そう思うようになったのには、今思うと、もしかしたら、半田広宣さんが1997
年に出された『2013:人類が神を見る日』という本に書かれていたことが
関係しているのかもしれません。

この本で半田広宣さんは、冥王星のオコツトから知らされたシリウスの幾何学
的な宇宙論を伝えていらっしゃいましたから。

(あ、今見てみたら、この本にはまだ「私評」を書いていないんだな。)

宇宙内のどんな意見も観点も、その意識の位置から見えた風景の報告だし、ま
たその履歴によってできあがっているものだ、みたいなイメージですよね。

ま、そういう観点にたどり着くために、自分の世界を創造・投影してきたんだ、
という言い方もできるでしょうけどね。

もし、なんでそんな世界を“創造・投影”したんだ、と訊かれるなら……。

昔から、「意味」とか「意味」を保証する「客観性」の検証に“取り憑かれ”
ているようなところがあったんですよね。

「なにゆえに世界は始まってしまったか」という、妙にひねこびた疑問に取り
憑かれていましたから……。

でも、そんなふうに「意味」を保証する根拠を探し求めたらどうなるか?

そしたら、どうしたって、「人生には固有の意味というものはない」と保証し
てくれる情報に出会わざるをえないわけです。

あとになって、そういうことを保証してくれる何冊かの精神世界本に出会いま
した。

最初は、和尚がとても美的しいソフトな表現で伝えてくれましたね。

だから、人によっては和尚からそういうメッセージは受け取らないだろうと思
います。

ついで、EOさんから、とてもとげとげしい表現で。

次に、『神との対話』の神さまから。
https://www.ascensionkan.com/books/cwg-5.html

おそらく、そんな情報を“求めて”いなければ、そんな言葉を自分の現実に引
き寄せたりもしないだろうと思います。

どうしても「人生には意味がある」ことを発見したければ、とうぜん、いつか
は“人生には意味がある”んだ、という発見が訪れるわけでしょう。

生きていて良かった、と思いたければ、“生きていて良かった”瞬間が訪れる
ことになるはずです。

“自分”が求めて、“自分”が投影するんですから、こんなに確かなことはあ
りませんよね。

もしそうでなくて、“自分”が求めて、“自分以外の誰か”が客観的解答を与
えてくれるんだとしたら……?

でも、そうなると今度は、“誰”がそれを“客観的解答”として受け入れたの
か、ということが出てくるでしょうね。

そういう「問い」に対しても、それこそ百人百様の解釈とか態度とかがありう
るのだと思います。

でも、大きく二つに分けるなら……。

けっきょく、「グルに明け渡す」道か、どこまでも自分で自分なりに、考え、
体験して、模索する道か、ということになるんだろうと思います。

たとえば、どこかの次元からこんな声をかけてくれる方がいたとします。

----------------------------------------------------------------------
 万物の本質についての集合レベルでの誤解が、羞恥心、罪悪感、悲哀、諦念、
 絶望で充満した人間をつくりあげてしまいました。
 そうした資質は生命エネルギーの流れを塞(せ)き止め、宇宙意識とのつな
 がりを否定するものばかりです。
 未解決の問題が蓄積し、転生から転生へと持ち越されてしまった場合、持ち
 越された先では、過去と同じ課題を演じきるための新たなシナリオが用意さ
 れ、展開されます。
 それが新たな認識の達成にいたるまで、何度でもくり返されるのです。
 
                  『アセンションの時代』(p140-141)
                       http://tinyurl.com/fuj47
----------------------------------------------------------------------

こういうことを言われると、まさに自分のことを言われていることは間違いな
いらしいので、何だか申し訳なくて恐縮してしまったりもします。

と同時に、そんな偉そうなことを言うあんたは誰? わたしよりわたしのこと
をよく知っているみたいだけど、って反応する方もあるのかもしれない。

むろん、素直にいろいろ教えを請う方には、いろいろ教えてくださることは確
かでしょう。

そういう出来事も“正しい”んでしょうね。

でも、どんなことにも、いろいろの立場とか状況からの異なる解釈があるのは
避けられません。

その意味では、どんなに正しそうな言葉にも“賞味期限”はある、という言い
方ができるのかもしれません。

じゃ、“賞味期限”のない言葉は?

“賞味期限”のない言葉……。(-_-;)

(-_-)

“賞味期限”のないものは、やはり言葉にはならないのでしょうね。(*^_^*)

ニサルガダッタがよく言う、「言葉を超えている」というやつだと思います。

プレアデスの方々は、またこんなふうにもおっしゃっています。

----------------------------------------------------------------------
 わたしたちは、あなたが思考を拡大するのを助ける目的で、今の時代の概観
 を宇宙レベルの視点に立って提示しています。
 それを理解することで、人生で明らかになりつつある目的のパターンを求め
 て差し出した手に、それらを受け取れるようになります。
 人生にエンパワーメントをもたらすチャンスはどの瞬間にも存在しています。
 それは加速されたエネルギーが、すべての参加者に無制限の可能性を差し出
 しているからです。
                    『アセンションの時代』(p142)
                       http://tinyurl.com/fuj47
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-;)

われながら、どうしてこういう言葉が自分のなかに以前のような感動を呼び起
こさなくなったのだろう、とも思います。

過去これほど長い期間こういう言葉に接していれば、そうなって当然だよ、と
いう気もします。

それとも、ニサルガダッタの言葉に触れた影響が大きいのか……。

やはり、それが決定的なんでしょうか。

自分の気分だって、そんなに“恣意的に”選択できるものではないようですね。

ほんとは、こういう(めったにない)時代なんだから、アセンションで舞い上
がって堪能したらいいのに、という気もするのだけれど。-_-;

長いこと、アセンション、アセンション、宇宙人との出会い、って思ってきた
のに……。

いや、そうでもないかな。

わたしって、これで対人的な関係は不器用だからなぁ。(-_-;)

急に地球内空洞世界の背の高い方と出会ったりしたらドギマギするだろうし。

さて、アセンションした世界に行きたいのかどうか?

それともすべてが空なる非在と知って、超然としていられるのがいいか?

うーむ、それが問題だ。(-_-;)

(@_@)

あ、やだー、あたしって問題つくっちゃった。(*^_^*)

あはは。

かんちん、かんちん。

両方のよさげなところをもらったらいいじゃん。(^^)/

アセンションした世界の中で、その世界が非在だと知っていたらいいじゃん。

おー、やったね、おぬし。(*_*)

それいいじゃん。

はやく、それだけの力をつけな。(←なんちゃって。(^_-))

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 欲望の本性とは、それを満たすためにマインドが世界をつくり出すよう促す
 ことだ。
 小さな欲望さえ、長い行動の連鎖を生みだすのだ。
 強い欲望ならばどうだろう?
 欲望は宇宙をも生みだす。
 その力は奇跡的なものだ。
 小さなマッチ棒が巨大な森林に火をつけることができるように、欲望も現象
 の現れに火をつける。
 創造の目的自体が欲望を満たすことなのだ。
 欲望は高尚なものかも、卑しいものかもしれない。
 空間(アーカーシュ)は中立的なものだ
 人はそれを何でも好きなように満たすことができる。
 何を望むのか、人はとても注意しなければならない。
  
                『I AM THAT 私は在る』(p105)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-_-)

……どんな世界に行ったって、自分が存在すると信じているかぎり、いずれに
しろ、人は苦しんだり、楽しんだりしなくてはならない。

これは、間違いなさそう。

自分が存在しないことを知っていれば、苦しむ必要も、楽しむ必要もないでし
ょうけど。

知覚できるものすべてが、自分のものでなどありえないことを知っていれば、
ただ、映画として楽しんで、超然としていられるのかも。

自分が何物にも依存しない実在であることを知っていれば……。

あ、そうか、アセンションって、エゴを持たなくていいということだった。

なるほど、それなら、また別な風景が展開するわけだ。

エゴの世界から、あれこれ先走った心配をすることもないか。(-_-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ニサルガダッタの写経を続けていると、だんだん、ニサルガ流の言葉遣いには
慣れてきます。

一方に、「意識」「世界」「宇宙」「思い」「夢」「体験」「顕現」といった
言葉、そして、そういうものの総体として「神」という言葉があり……、

もう一方に、「実在」「気づき」「非顕現」といったような言葉があるようで
す。

今回の写経の内容は、そういったニサルガ用語のお勉強のようなところもあり
ます。

では、【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】の(1)です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

その後はただ、ああ、とか、うう、とか言って、言われた言葉を復唱している
だけですから。

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 質問者 普通の人が死ぬとき、彼には何が起こるのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼が信じるところにしたがって、それは起こる。
 死以前の生が単なる想像にすぎなかったように、死後もまたそうなのだ。
 夢は続いていく。
 
 質問者 では、ジニャーニ(賢者)においてはどうなのでしょうか?
 
 マハラジ
 ジニャーニは死なない。
 なぜなら、彼はけっして生まれてこなかったからだ。
 
 質問者 他者にとっては、彼はそのように見えません。
 
 マハラジ
 しかし、彼自身にとってではない。
 彼自身のなかでは、物理的にも精神的にも自由なのだ。
 
 質問者 それでも、あなたは死んだ人の状態を知っているはずです。少なく
     とも、あなた自身の過去生から。
 
 マハラジ
 私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
 今、私は何ひとつ知らない。
 なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
 からだ。
 私は自己を知っている。
 そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
 なく、ただ在ることだけがある。
 しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
 空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。
 現在の誕生でさえ知らない私が、どうして過去生を知っているというのだろ
 う?
 それ自身が動きのなかにあるマインドは、すべてを動いていると見てしまう。
 そうして時間をつくり出しておいてから、過去や未来について心配するのだ。
 全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。
 それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。
 すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
 きのなかにあるのだ。
 それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。
 あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。
 そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
 あなたは何も求めなくてもいいのだ。
 すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。
 五つの感覚と四つのマインドの機能である記憶、思考、理解、自我。
 五大元素である地、水、火、空、エーテル。
 創造の二つの相である物質と魂――すべては気づきのなかに包括されている
 のだ。
 
 質問者 しかし、それでもあなたは以前に生きていたことを信じているに違
     いありません。
 
 マハラジ
 聖典はそう述べている。
 しかし、私はそのことについて何も知らない。
 私は私が在ることを知っている。
 私がこのように現れたことや、現れるだろうことは私の体験のなかにはない。
 私が覚えていないというのではないのだ。
 事実、覚えておくことなど何もない。
 転生とは自分の生まれ変わりを意味する。
 そのようなものはないのだ。
 「私」と呼ばれるひと塊(かたまり)の記憶と期待が、それ自体を永遠に存
 在すると想像し、その偽りの永遠性につじつまを合わせるために時間をつく
 り出すのだ。
 在るためには、過去も未来も必要ない。
 すべての体験は想像から生まれてくる。
 私は想像しない。
 だから、誕生も死も私には起こらないのだ。
 生まれたと考える人だけが、生まれ変わると考える。
 あなたは生まれたということで私を告発しているが、私は無罪を主張する!
 
 すべては気づきのなかに存在している。
 そして、気づきは死にもしなければ、生まれ変わりもしない。
 それは不変の実在そのものなのだ。
 
 すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
 そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
 しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。
 もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
 はっきりと見るだろう。
 そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。
 それは、燃えている線香を見つめるようなものだ。
 最初は、線香と煙を見ている。
 あなたが火の付いた点に注目するとき、それが線香の山を焼き尽くす力をも
 ち、宇宙を煙で覆(おお)い尽くすことを認識するだろう。
 自己はその永遠の可能性を使い尽くすことなく、永遠にそれ自身を具象化し
 ていく。
 線香の直喩では、線香が身体を表し、煙がマインドを表している。
 マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
 ない。
 グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。
 マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。
 それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
 がある。
 源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
 はじまりなのだ。
 気づきは意識のなかに立ち現れる。
 意識のなかには、意識している「私」が存在している。
 一方、気づきは分割されることがない。
 気づきはそれ自身に気づいているのだ。
 「私は在る」はひとつの想いだ。
 一方、気づきはひとつの想いではない。
 気づきのなかに「私は気づいている」という想いはない。
 意識は属性だ。
 一方、気づきはそうではない。
 人は意識していることに気づくことができる。
 だが、気づきを意識することはできないのだ。
 神は意識の全体性だ。
 だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p280-282)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

(-||-)

……だんだん、言えることがなくなってくる感じですね。

> 質問者 普通の人が死ぬとき、彼には何が起こるのでしょうか?

賢者に対する代表的な質問のひとつですね。

> マハラジ
> 彼が信じるところにしたがって、それは起こる。

ああ。

> 死以前の生が単なる想像にすぎなかったように、死後もまたそうなのだ。
> 夢は続いていく。

そうか……。

> 質問者 では、ジニャーニ(賢者)においてはどうなのでしょうか?

ジニャーニ(賢者)がボディを離れることを、いちおう“死ぬ”と表現してみ
ましが、さて……。

> マハラジ
> ジニャーニは死なない。
> なぜなら、彼はけっして生まれてこなかったからだ。

と答えることは、当然、予想されます。

> 質問者 他者にとっては、彼はそのように見えません。

(^_-)

> マハラジ
> しかし、彼自身にとってではない。

はは。

> 彼自身のなかでは、物理的にも精神的にも自由なのだ。

はい。

> 質問者 それでも、あなたは死んだ人の状態を知っているはずです。少なく
>     とも、あなた自身の過去生から。

いちおう、こういう質問はありですよね。

> マハラジ
> 私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
> 今、私は何ひとつ知らない。

うん。(-_-)

> なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
> からだ。

「すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない」

こういう科白が、本当らしく聞こえるようになってきてしまったなぁ。

> 私は自己を知っている。
> そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
> なく、ただ在ることだけがある。

うん。(-_-)

> しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
> 空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。

ああ、そういうことだ。

> 現在の誕生でさえ知らない私が、どうして過去生を知っているというのだろ
> う?

「知っている」と言う当の者ではない、と。

> それ自身が動きのなかにあるマインドは、すべてを動いていると見てしまう。

なるほど。

> そうして時間をつくり出しておいてから、過去や未来について心配するのだ。

うん。

> 全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。

「全宇宙は意識の揺りかごに揺られている」

> それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。

これはどういう意味だろう……? (-_-)

> すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
> きのなかにあるのだ。

「すべての物質的、精神的なものは気づきのなかにある」

> それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。

そういう言い方か。

> あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。

あなた自身を知りなさい……、ということかな。

> そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
> あなたは何も求めなくてもいいのだ。

(;_;)

> すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。
> 五つの感覚と四つのマインドの機能である記憶、思考、理解、自我。
> 五大元素である地、水、火、空、エーテル。
> 創造の二つの相である物質と魂――すべては気づきのなかに包括されている
> のだ。

「すべては気づきのなかに包括されている」

> 質問者 しかし、それでもあなたは以前に生きていたことを信じているに違
>     いありません。

このひと、粘った。

> マハラジ
> 聖典はそう述べている。
> しかし、私はそのことについて何も知らない。

おお。

> 私は私が在ることを知っている。

私は私が在ることだけを知っている。

> 私がこのように現れたことや、現れるだろうことは私の体験のなかにはない。

私は記憶や想像とは無縁だ、ということかしら……。

> 私が覚えていないというのではないのだ。
> 事実、覚えておくことなど何もない。

これは、どういう感じの言葉かなぁ。

> 転生とは自分の生まれ変わりを意味する。
> そのようなものはないのだ。

やった……。(-_-)

和尚もそう言っていたな。

> 「私」と呼ばれるひと塊(かたまり)の記憶と期待が、それ自体を永遠に存
> 在すると想像し、その偽りの永遠性につじつまを合わせるために時間をつく
> り出すのだ。

そういうことか。

そういうことだろうなぁ。

> 在るためには、過去も未来も必要ない。

あ、これが的確な表現か。(@_@)

> すべての体験は想像から生まれてくる。

なるほど。

「すべての体験は想像から生まれてくる」……、覚えておこう。(-_-)

> 私は想像しない。
> だから、誕生も死も私には起こらないのだ。

なるほど。

> 生まれたと考える人だけが、生まれ変わると考える。

そう。

> あなたは生まれたということで私を告発しているが、私は無罪を主張する!

あはは。

こういう科白、いちど言ってみたいなぁ。

> すべては気づきのなかに存在している。

はい。

> そして、気づきは死にもしなければ、生まれ変わりもしない。
> それは不変の実在そのものなのだ。

(-_-)

> すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。

おお。

「すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ」

……ということは、身体への自己同化がなければ、体験の宇宙は存在しない、
ということか。

> そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。

すべての体験の宇宙の「はじまりと終わりは気づきのなかにある」

> しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。

うん。

> もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
> はっきりと見るだろう。

「時間をかけて慎重に熟考すれば……」

> そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。

(-_-)

> それは、燃えている線香を見つめるようなものだ。

(@_@)

> 最初は、線香と煙を見ている。
> あなたが火の付いた点に注目するとき、それが線香の山を焼き尽くす力をも
> ち、宇宙を煙で覆(おお)い尽くすことを認識するだろう。

なるほど。

> 自己はその永遠の可能性を使い尽くすことなく、永遠にそれ自身を具象化し
> ていく。

うん?

> 線香の直喩では、線香が身体を表し、煙がマインドを表している。

なるほど。

> マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
> ない。

「應無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」というわけか。

> グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。

それがグルの働きか。

> マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。

ああ。

> それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
> がある。

そういうことか。(-_-)

> 源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
> はじまりなのだ。

たしかに。

> 気づきは意識のなかに立ち現れる。

(?_?)

ああ、そういうひとつの言い方か。

> 意識のなかには、意識している「私」が存在している。

うん。

> 一方、気づきは分割されることがない。
> 気づきはそれ自身に気づいているのだ。

「気づきはそれ自身に気づいている」

> 「私は在る」はひとつの想いだ。

それはわかります。

> 一方、気づきはひとつの想いではない。

はい。

> 気づきのなかに「私は気づいている」という想いはない。

論理的な意味はわかります。

> 意識は属性だ。

“意識はコンテンツ(内容物)だ”、というのと同じようなことかしら。

> 一方、気づきはそうではない。

はい。

> 人は意識していることに気づくことができる。

わかります。

> だが、気づきを意識することはできないのだ。

なるほど。

雲は太陽の光で目に見えるものになるが、雲が太陽を見ることができるわけで
はない、というようなことかしら。

> 神は意識の全体性だ。

ああ、ニサルガ師匠のこの「神」と「意識」に対する言葉遣いはわかるような
気がします。

> だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。

この表現でニサルガ師匠がどのような内実を伝えようとしているのかは、見当
がつかない。

……当然か。

今日は、言葉のお勉強をしちゃった……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。

それから、「最強の破壊者からの言葉」というのを置いてみました。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-words.html

どこからもクレームが来なければ、追加および取捨選択していきます。

ときに「最強の破壊者」に疑問をぶつけてみていただければ嬉しいです。


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記: これから配信します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

じつは、昨日土曜日は寝不足だったので、早く寝てしまいました。

それで、今日日曜日の朝は、とっても素晴らしい晴天。

これから配信します。


<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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