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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.161 2007/05/06(第161号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在835名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.苦痛への闘いと快楽の追求は

2.写経ニサルガダッタ:【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】の2

3.編集後記:だんだん、お祭の機会が増えてくるかもしれません。^^;
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■ 1.苦痛への闘いと快楽の追求は
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素晴らしい天気ですね。

ハレーションを起こしたような明るい空。

朝からずっと遠い太鼓の音が聞こえています。

お祭の音です。

箱庭の風景のように奥まっていく緑のいちばん遠いあたりで、たくさんの鯉の
ぼりが一列に並んで泳いでいるのが見えます。

お祭の音はあのあたりから聞こえてきているんだと思います。

あの中に入っていけば、もちろんお祭をその中から楽しむこともできます。

でも、これまであまり中に入っていったことはないんですけどね。^^;

去年、初めて行ってきました。

内気というか、根暗というか、自意識過剰とでも言うのか……。^^;;

まあ、現象世界のなかにはいろいろな偏った意識の位置が存在しますよね。

“偏って”いないことには、現象世界のなかに姿を現すことはできないので。

……と思って、いま窓を開けてみたら……!! (*_*)

……。

ふーむ。(-_-)

驚きました……。

お祭の太鼓なんて鳴っていなかったんです。

川の音と小鳥の声が聞こえるだけです。

なんと……、お祭の音はわたしの頭の中で鳴っているだけだったとは。(-_-;)

でもこの感じ、誰だって間違えるよ……。(これも耳鳴りの一部なの? )

ま、いっか。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

どうやら、ほんとうに“わたし”は“わたし”が投影した“繭の世界”の中で
生きているらしいですね。

驚きました。

五感の世界に存在しない祭りの太鼓を聞いていたとは。(-_-;)

こんなこともあるんですね。

……。

「私は在る」は、究極の安心を保証してくれています。

いずれにしろ、「私は在る」。

「私は在る」という想念は仮現の現象にすぎないにせよ、その想念自体が「わ
たし」が存在しなくてはありえない。

これだけは、間違いない。

だから、いずれにしろ、間違いなく「私は在る」わけです。

(あ、これ↑は、あくまでも理屈ですよ。(*^_^*)

 ……もっとも、理屈だから不確かだという意味じゃなくて、論理的に確かだ
 という意味ですが。)

……と思って、今また、窓を開けて外に出てみたら、なんとなんと。(@_@)

今度は、本当に遠くでお祭の太鼓がなっている……。

うーむ。(-_-;)

まるで、化かされたようです。

太鼓の音は実在したのか、しなかったのか?

まあ、さっきは実在しなかったけど今度は実在した、というのが実情でしょう
けどね。^^;

で、いずれにしろ「私は在る」、という話の流れに戻りますが……。

問題は、われわれが本当にその「私は在る」になりきってしまいたいのかどう
かです。

その「実在するもの」に本家返りして安心したいのかどうかです。

というのは、けっこう、われわれはその“究極の安心の上で心配がしたい”の
かもしれないからです。

いや、多分、それに間違いないでしょう。

“心配”というのは“自分”(という全体から切り離された「個人」)が存在
するという前提の上でしかありえないわけですが、われわれがそう簡単にこの
「個人」の役柄を降りたがるとも思えないからです。

たしかに、もうほんとうに安心してしまいたい、もう心配なんかしたくない、
と思っているらしいのも事実です。

でも、それなら、もう欲望することはいっさいお断りなのか?

断固お断りなのか?

ここが難しいところです。(-_-;)

いや、むろん、他人事(ひとごと)として言っているわけじゃありません。

いずれにしろ、間違いなく「私は在る」わけです。

ここで、ちょっとゆるむ、というのが人情なんじゃないでしょうか。

だって、ずっと「人間」をやってきているわけですから。

だから、いずれにしろ「私は在る」というその“究極の安心の上で心配がした
い……”というのも、けっして単なるレトリックとは思えない。

となると、いつかラムサが言っていた言葉。

----------------------------------------------------------------------
 体を持ってここに生まれてくることは、罠としてつくられたわけではない。
 それは永遠に続くものとしてあるのでもない。
 それは、創造性と生命の探求の中にある、参加するためのゲーム、新しい冒
 険にすぎなかったのだ。
 だが、あなたはすぐに化身の持つ五感の中で自分を見失ってしまい、自分の
 体が完全に自分のアイデンティティとなってしまったのだ。
 あまりにもこの天界の物質の中に浸かりきってしまったために、あなたは不
 安な人間、恐がる人間、傷つきやすい人間、死にゆく要素である人間という
 ものになってしまった。
 それは、あなたが自分の内面のパワフルな本質を忘れ去ってしまったからな
 のだ。
                『ラムサ ホワイトブック』(p294-295)
                       http://tinyurl.com/o8go3
----------------------------------------------------------------------

(-_-;)

これ……、ほんとですよ。(-_-)

あ。(@_@)

わたしってバカよね〜、おバカさんよね〜♪ (*^_^*)

ラムサが言っていることを、誰もわたしに保証してくれなんて言ってないのに。

いや、ある意味で(ということは理屈として)、「これはほんとだな」といま
思ったのね。(^^;)

たしかに、

> 体を持ってここに生まれてくることは、罠としてつくられたわけではない

んでしょう。

だからまた、

> それは永遠に続くものとしてあるのでもない

んでしょうね。

> それは、創造性と生命の探求の中にある、参加するためのゲーム、新しい冒
> 険にすぎなかった

ほんとにやめたければ何時でもやめられるわけだし、これまでだって、そうだ
ったんでしょうね。

> だが、あなたはすぐに化身の持つ五感の中で自分を見失ってしまい、自分の
> 体が完全に自分のアイデンティティとなってしまったのだ。

なるほど。(-_-)

> あまりにもこの天界の物質の中に浸かりきってしまったために、あなたは不
> 安な人間、恐がる人間、傷つきやすい人間、死にゆく要素である人間という
> ものになってしまった。

(>_<)

> それは、あなたが自分の内面のパワフルな本質を忘れ去ってしまったからな
> のだ。

(;_;)

これをニサルガダッタなら、こんなふうにも言うわけでしょうね。(-_-;)

----------------------------------------------------------------------
 結局、あなたの唯一の問題とは、何であれあなたが知覚するものと、熱心に
 自己同一化することなのだ。
 この習慣を捨てなさい。
 あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
 注意深く、超然と離れて在る力を使いなさい。
 あなた自身を生きているものすべてのなかに見なさい。
 そうすれば、あなたのふるまいはあなたの見解を表現するだろう。
 ひとたびこの世界にあなた自身のものと呼べるものは何もないと悟れば、あ
 なたはそれをステージ上の劇やスクリーン上の画像を見るように外側から見
 る。
 賞賛し、楽しみながら、しかも実際には動じることのないままに。
 あなたがあなた自身を何か現実の実体のあるもののひとつとして、時間と空
 間のなかに実際に存在し、短命で壊れやすいものだと想像するならば、当然、
 あなたは存続し、拡大していくことを切望するようになるだろう。
 だが、あなたが時間と空間を超え、今ここの点においてのみ接触し、そうで
 なければすべてに遍在し、すべてを抱擁する、到達不可能、難攻不落、不滅
 なるものだと知るとき、もはや恐れることは何もなくなるのだ。
 あるがままのあなたを知りなさい。
 ほかに恐れに対する治療法はない。
  
                『I AM THAT 私は在る』(p503)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-_-)

言葉は顕現に属するので、どうしても二元的な表情を帯びざるをえません。

だから強いて言うなら、ラムサの表現は“陽子風”な表情をまとい、ニサルガ
ダッタの表現は“中性子風”な表情をまとっている、ということになるのかも
しれません。

ラムサはあくまでも神として表現を楽しもうとし、ニサルガダッタはジニャー
ニとしてどこまでも超越的な「実在」に寄り添おうとするのでしょうか。

そしてわれわれが欲望するのを見るとき、そして欲望して“やましさ”に苛ま
れ、恐怖におののくのを見るとき、たとえば、神であるラムサは次のように言
うのでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 私がここに戻ってきたのは、それよりも良い道があることを伝えるだけのた
 めだ。
 また、あなたはすでに神なのだと伝えるためだ。
 そして、あなたはけっして失敗などしていないことを。
 間違ったことなど何ひとつしていないことを。
 あなたはみじめな卑しい存在ではないということを。
 あなたは罪人ではないということを。
 そして、悪魔というすばらしくもばかげた存在もないのだということを。
 こういったことがわかれば、こんどは幸せでいることに集中できる。
 それこそ神の姿なのだ。
 父なるものは、怒りと哀しみにあふれた、瞑想的で信心深い存在ではない。
 完璧なよろこび、限りないよろこびがその本質なのである。
 
                  『ラムサ ホワイトブック』(p297)
                       http://tinyurl.com/o8go3
----------------------------------------------------------------------

ふー。

> あなたはすでに神なのだと伝えるためだ。
> そして、あなたはけっして失敗などしていないことを。
> 間違ったことなど何ひとつしていないことを。

(;_;)

同じことを、ニサルガダッタならこう言うんでしょうね。

----------------------------------------------------------------------
 自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。
 あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱
 く愛のしるしなのだ。
 私があなたに願うことは、あなた自身への愛を完全なものにしなさい、とい
 うことだ。
 あなた自身のなかの何ひとつ、否定してはならない。
 あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
 そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。
 あなたはその彼方にあるのだ。
                『I AM THAT 私は在る』(p431-432)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ああ……。

> 自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。

(;_;)

> あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱
> く愛のしるしなのだ。

(/_;)

> 私があなたに願うことは、あなた自身への愛を完全なものにしなさい、とい
> うことだ。

(T_T)

> あなた自身のなかの何ひとつ、否定してはならない。
> あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。

うん。

> そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。

おー。

> あなたはその彼方にあるのだ。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の写経部分の中で、質問者はかなりしつこく“死後の意識状態”について
訊いています。

つまり、“死後の意識状態”と想定されているものについて、それをわれわれ
普通の人間にもわかる言葉で説明してくれと迫るのです。

むろん、質問者の頭のなかには「転生」という観念があります。

さて、ニサルガダッタという個性を通して、質問者の音色に合わせて「実在」
は今回どんな音色を響かせるのか?

では、【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】の(2)です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

その後はただ、ああとか、ううとか言って、言われた言葉を復唱しているだけ
ですから。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私は人の死後の状態についての質問から話をはじめたのです。彼の
     身体が滅んだとき、意識には何が起こるのでしょうか? 彼は見た
     り、聞いたりといった感覚を彼とともに連れていくのでしょうか?
     それともそれらは後に残されるのでしょうか? そして、彼が感覚
     を失うのならば、何が彼の意識となるのでしょうか?
 
 マハラジ
 感覚とは単なる知覚の様式にすぎない。
 粗雑な様式が消えるとともに、繊細な意識の状態が出現する。
 
 質問者 死後において気づきへの移行といったものはないのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識から気づきへの変化はありえないのだ。
 なぜなら、気づきとは意識の一形態ではないからだ。
 意識をより繊細に、より洗練させることはできる。
 そしてそれが死後に起こることなのだ。
 人の多様な媒介物が死に絶えると、それらによって生じた意識の様式もまた
 姿を消す。
 
 質問者 最後に無意識だけが残るまででしょうか?
 
 マハラジ
 無意識を去来する何かのように語るあなた自身を見てみなさい!
 無意識を意識する誰がそこにいるというのだろうか?
 窓が開いているかぎり、日の光は部屋のなかにある。
 窓が閉じられても、太陽はそのままだ。
 だが、それは部屋のなかの暗闇を見るだろうか?
 無意識などというものはないのだ。
 なぜなら無意識は体験不可能だからだ。
 私たちは記憶を喪失したとき、あるいは伝達が不可能なとき、それを無意識
 であると推定する。
 もし私が反応しなくなったら、あなたは私のことを無意識だと言うだろう。
 現実には、記憶や伝達が不可能なだけで、私は鋭敏に意識しているかもしれ
 ないのだ。
 
 質問者 私は単純な質問をしているのです。現在、世界には40億人ほどの
     人々がいます。そして、彼らはみな死を免れることができません。
     彼らの死後の状態はどのようなものなのでしょうか――身体的にで
     はなく、心理的に。彼らの意識は継続していくのでしょうか? そ
     して、もしそうならどのような形態をとるのでしょうか? どうか、
     私が正しい質問をしていないとは言わないでください。あるいはあ
     なたが答えを知らないとか、私の質問は無意味だなどと言わないで
     ください。あなたが、私の世界とあなたの世界が異なり、相容れな
     いものだと話はじめた途端、あなたは私たちの間に壁をつくってし
     まうのです。私たちが同じ世界に住んでいるか、そうでなければ、
     あなたの体験は私たちにとって何の役にも立ちません。
 
 マハラジ
 もちろん、私たちはひとつの世界に住んでいる。
 ただ私だけがあるがままに見ていて、あなたはそう見てはいないのだ。
 あなたは世界のなかにあなた自身を見ている。
 私は私自身のなかに世界を見ているのだ。
 あなたにとっては、あなたは生まれ、そして死んでいく。
 片や、私にとっては、世界が現れては消えていくのだ。
 私たちの世界は実在のものだ。
 だが、あなたの見方がそうではないのだ。
 あなたが築いた壁以外に、私たちの間に壁は存在しない。
 感覚には何の誤りもない。
 あなたの想像があなたを惑わせるのだ。
 それはあるがままの世界を、あなたが想像したように――あなたから独立し
 て存在し、しかもあなたが受け継ぎ、習得してきたパターンにしたがってで
 きた世界として覆い尽くしてしまう。
 あなたの態度には、あなたが理解していない苦しみの原因である深い矛盾が
 ある。
 あなたは苦痛と苦しみの世界のなかに生まれたという考えにしがみついてい
 るのだ。
 私は世界が愛の子供であり、それにははじまりがあり、成長し、愛の成就を
 遂げることを知っている。
 
 質問者 もしあなたが世界を愛からつくり出したのなら、なぜこんなに苦痛
     に満ちているのでしょうか?
 
 マハラジ
 身体の視点に立てば、あなたの言うとおりだ。
 しかし、あなたは身体ではないのだ。
 真実ではないものを真実として決めつけてはならない。
 そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。
 苦痛と快楽、善と悪、正と邪。
 これらはみな相対的な言語であって、絶対的なものと見なしてはならない。
 それらは限定され、一時的なものなのだ。
 
 質問者 仏教の伝統ではニルヴァーニ、悟りを得た仏陀は、宇宙の自由を司
     っていると言われています。彼は存在するすべてを知り、体験する
     ことができます。彼は因果的連鎖によって自然界を制し、調停し、
     出来事の結果を変え、過去を取り消すことさえできるのです! そ
     れでも世界は彼とともに在り、しかもそのなかで彼は自由なのです。
 
 マハラジ
 あなたが描写しているのは神だ。
 もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
 う。
 しかし、私はそのどちらも超えているのだ。
 ある王国が王を探していた。
 彼らはふさわしい人を見つけだし、彼を王にした。
 だが、彼はけっして変わっていない。
 彼は王位の称号と権利、そして職務を与えられただけだ。
 変わったのはただ彼の行動だけで、彼の本性は影響を受けてはいないのだ。
 同様に、悟りを得た人も彼の意識の内容は根本的な変容を遂げる。
 しかし、彼は惑わされない。
 彼は不変なるものを知っているのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p282-284)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-)

> 質問者 私は人の死後の状態についての質問から話をはじめたのです。彼の
>     身体が滅んだとき、意識には何が起こるのでしょうか? 彼は見た
>     り、聞いたりといった感覚を彼とともに連れていくのでしょうか?
>     それともそれらは後に残されるのでしょうか? そして、彼が感覚
>     を失うのならば、何が彼の意識となるのでしょうか?

とにかく、われわれ“自分が死ぬ”と思っている人間としては、誰でも一度は
訊いてみたいようなことを代表して質問してくれています。

> マハラジ
> 感覚とは単なる知覚の様式にすぎない。

ああ、なるほど。

それは、わかるような気がします。

> 粗雑な様式が消えるとともに、繊細な意識の状態が出現する。

うん。

> 質問者 死後において気づきへの移行といったものはないのでしょうか?

(いやー、それは起こらないんじゃないかなぁ。(-_-;) )

> マハラジ
> 意識から気づきへの変化はありえないのだ。

うん。

> なぜなら、気づきとは意識の一形態ではないからだ。

非常に明晰。

> 意識をより繊細に、より洗練させることはできる。
> そしてそれが死後に起こることなのだ。

なるほど。

> 人の多様な媒介物が死に絶えると、それらによって生じた意識の様式もまた
> 姿を消す。

そういうことか。

> 質問者 最後に無意識だけが残るまででしょうか?

うん? (?_?)

ちょっと不思議な言い方だけど……。

ああ、つまり、死んだら何もなくなるのか? というような意味か……。

> マハラジ
> 無意識を去来する何かのように語るあなた自身を見てみなさい!

これは翻訳の感じかな?、ちょっときつく聞こえる感じ。

> 無意識を意識する誰がそこにいるというのだろうか?
> 窓が開いているかぎり、日の光は部屋のなかにある。
> 窓が閉じられても、太陽はそのままだ。
> だが、それは部屋のなかの暗闇を見るだろうか?
> 無意識などというものはないのだ。
> なぜなら無意識は体験不可能だからだ。

これまたじつに明晰な陳述。

「無意識」が存在できないのは、「無意識は体験不可能だからだ」。

だから「無意識」などというものは存在しない、と。

> 私たちは記憶を喪失したとき、あるいは伝達が不可能なとき、それを無意識
> であると推定する。

ああ、それが“無意識(=意識がない)”という言葉が発生した状況か。

> もし私が反応しなくなったら、あなたは私のことを無意識だと言うだろう。

うん。

> 現実には、記憶や伝達が不可能なだけで、私は鋭敏に意識しているかもしれ
> ないのだ。

了解です。

> 質問者 私は単純な質問をしているのです。現在、世界には40億人ほどの
>     人々がいます。そして、彼らはみな死を免れることができません。
>     彼らの死後の状態はどのようなものなのでしょうか――身体的にで
>     はなく、心理的に。彼らの意識は継続していくのでしょうか? そ
>     して、もしそうならどのような形態をとるのでしょうか? どうか、
>     私が正しい質問をしていないとは言わないでください。あるいはあ
>     なたが答えを知らないとか、私の質問は無意味だなどと言わないで
>     ください。あなたが、私の世界とあなたの世界が異なり、相容れな
>     いものだと話はじめた途端、あなたは私たちの間に壁をつくってし
>     まうのです。私たちが同じ世界に住んでいるか、そうでなければ、
>     あなたの体験は私たちにとって何の役にも立ちません。

“質問者の逆襲”。(*^_^*)

思いの丈をぶちまけた、という感じね。^^;

ここまで細かく出口を塞がれて、ニサルガダッタ実在はどう反響するか? ^^;

> マハラジ
> もちろん、私たちはひとつの世界に住んでいる。

おお。

質問者もひとまず安心、われわれもほっと安堵というところだけど……。

> ただ私だけがあるがままに見ていて、あなたはそう見てはいないのだ。

あちゃ。(>_<)

> あなたは世界のなかにあなた自身を見ている。

はい。

> 私は私自身のなかに世界を見ているのだ。

やっぱり。

> あなたにとっては、あなたは生まれ、そして死んでいく。

はい。

> 片や、私にとっては、世界が現れては消えていくのだ。

ああ。

> 私たちの世界は実在のものだ。

お。(@_@)O (こういう↑言い方もするのね。)

> だが、あなたの見方がそうではないのだ。

そうか……。

> あなたが築いた壁以外に、私たちの間に壁は存在しない。

賢者がたはよくこういう言い方をするよなぁ。

われわれは、自分の“夢”という“繭宇宙”のなかで生きているらしい。

> 感覚には何の誤りもない。

そういう言い方もあるのか……。

> あなたの想像があなたを惑わせるのだ。

なるほど。

> それはあるがままの世界を、あなたが想像したように――あなたから独立し
> て存在し、しかもあなたが受け継ぎ、習得してきたパターンにしたがってで
> きた世界として覆い尽くしてしまう。

これは的確な言い方だなぁ。

われわれは、自分が受け継いで習得したパターンにしたがう世界を、あたかも
自分から独立して存在するかのように想像しているわけか。

> あなたの態度には、あなたが理解していない苦しみの原因である深い矛盾が
> ある。

わたしの態度のなかには深い矛盾がある……。

その矛盾がわたしの苦しみの原因になっているのに、わたしはそのことを理解
していない? 

それは、どんな矛盾なのかな? (@_@)O

> あなたは苦痛と苦しみの世界のなかに生まれたという考えにしがみついてい
> るのだ。

あ。(*_*)

たしかに、そうだけど……。

それはわたしの想像なの?

> 私は世界が愛の子供であり、それにははじまりがあり、成長し、愛の成就を
> 遂げることを知っている。

そんな……。

> 質問者 もしあなたが世界を愛からつくり出したのなら、なぜこんなに苦痛
>     に満ちているのでしょうか?

そうそう……。

> マハラジ
> 身体の視点に立てば、あなたの言うとおりだ。

やっぱり。

> しかし、あなたは身体ではないのだ。

ああ。(>_<)

そうくるか……。

> 真実ではないものを真実として決めつけてはならない。

そんな。

> そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。

(;_;)

> 苦痛と快楽、善と悪、正と邪。
> これらはみな相対的な言語であって、絶対的なものと見なしてはならない。
> それらは限定され、一時的なものなのだ。

わかるけど……。

> 質問者 仏教の伝統ではニルヴァーニ、悟りを得た仏陀は、宇宙の自由を司
>     っていると言われています。彼は存在するすべてを知り、体験する
>     ことができます。彼は因果的連鎖によって自然界を制し、調停し、
>     出来事の結果を変え、過去を取り消すことさえできるのです! そ
>     れでも世界は彼とともに在り、しかもそのなかで彼は自由なのです。

これは、なんかちょっと変。(?_?)

> マハラジ
> あなたが描写しているのは神だ。

やっぱり。

> もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
> う。

これ↑、いい科白。(^_-) 

> しかし、私はそのどちらも超えているのだ。

わった。

> ある王国が王を探していた。

(?_?)

> 彼らはふさわしい人を見つけだし、彼を王にした。
> だが、彼はけっして変わっていない。
> 彼は王位の称号と権利、そして職務を与えられただけだ。
> 変わったのはただ彼の行動だけで、彼の本性は影響を受けてはいないのだ。

うん。

> 同様に、悟りを得た人も彼の意識の内容は根本的な変容を遂げる。
> しかし、彼は惑わされない。
> 彼は不変なるものを知っているのだ。

ああ、なるほど。

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。

それから、「最強の破壊者からの言葉」というのを置いてみました。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-words.html

どこからもクレームが来なければ、追加および取捨選択していきます。

ときに「最強の破壊者」に疑問をぶつけてみていただければ嬉しいです。


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:だんだん、お祭の機会が増えてくるかもしれません。^^;
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日はお祭でした。

だんだん、お祭の機会が増えてくるかもしれません。^^;

このメルマガを読んでくださっている方が全員、お金の心配がなくなるといい
な。^^;

So be it! (*^_^*)

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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