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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.162 2007/05/13(第162号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在840名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.無欲が最大の至福なのだ

2.写経ニサルガダッタ:【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】の3

3.「ご投稿・情報提供」:『地球交響曲 第六番』上映会のお知らせ

4.編集後記:夢のような“朧な気分”になっていくようです
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■ 1.無欲が最大の至福なのだ
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今日も素晴らしい天気ですね。

眼前の花桃の木からは、わずかに残っていた花のピンクの色がすっかり消えて
若葉の色だけになっています。

まわりの世界も、芽吹き始めたころのあの色とりどりの新芽の色ではなくて、
厚みを加えた若葉の色になって力強さを蓄えつつあるようです。

なにごとにも時節があるんでしょうね。

意味とか言葉とか、顕現の世界に関わる意識内実はすべて、時節の問題にすぎ
ないのかなというふうにも思われます……。

……。(-_-;)

独り言ですね。^^;

そう言えば、子供のころ……年寄りは意味不明のことを言っていました。

間違って、年寄りは賢いのかななんて思っていたけれど……。(*^_^*)

あれはただ、そのときの自分の思いを語っていたにすぎなかったんだ。

肉体の加齢が別に賢いことでも何でもない自然過程であるように、自分が肉体
を引きずって生きている時代にだんだん“入れ込む”ことができなくなること
も、マインドの自然過程なのかもしれませんね。

すべての意志内実は、時間イメージで言うなら時節の反映、空間イメージで言
うなら位置の反映にすぎないのでしょう。(-_-)

あ。(@_@)

相変わらず、当たり前のことを言ってるなぁ。^^;

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

子供の頃、祖父が「いちばんいい掃除の方法は、散らかさないことだ」と言う
のを聞いたことがありました。

どんな状況で出てきた言葉だったのか……、あれはおじいちゃんが子供の遊び
に業を煮やしたのかもしれないなぁ。(-_-)

いまだに覚えているのは、幼いわたしにとってそれがよほど新鮮な表現だった
のでしょう。

今思うに、あれは年寄りの表現ですね。

後片づけを考えながら遊んだのでは、子供にとっては遊びになりません。

まあ、年寄りの観点からするなら、賢い生き方は最小限に生きることなのかも
しれないけれど。

でも、無駄な感情エネルギーの発露を最小限に絞って、効率よく機能的に生き
たら、それこそゼータレクチル星人みたいに、種族全体として生きる意欲その
ものを失ってしまうのかもしれません。

するとそれがリバウンドして、こんどは感情エネルギーの馬鹿馬鹿しいほどの
無駄遣いを試みているわれわれ地球人類みたいな種族とのDNAハイブリッド
を願うことになったりして。(^_-)

まあ、その結果、バシャールさんたちみたいになるのなら、それもいいのかも
しれませんね。

というか、いいも悪いもなく、必然的な自然過程なのでしょう。

いずれにしろ、感情的に“大きな体験”をするには、若々しいマインドが必要
なのだと思います。(そして、おそらく、“体験”というものには、それ以上
の意味はないでしょう。(^_-))

若々しいマインドは感動も失望も極大化することができます。

甲子園でのあの若者たちの感動と興奮。

勝って喜び、負けて涙するあのエネルギーが、全部“自給自足”なんだとわか
るのは、その感情エネルギーを供給する若々しいマインドが枯渇してしまった
年寄りたちの“ひが目”なんでしょうか。

あはは。

初っぱなから、身も蓋もないですね。^^;

でも、こういう言葉が“身も蓋もない”とわかる方は、すでにそうとう老けて
ますよ。(^_-)

(-_-)

……「勝って喜び、負けて涙するあのエネルギーが、全部“自給自足”なんだ
とわかる……」と書きました。

ところで、本当に、“自給自足”なんでしょうかね? (@_@)

甲子園の野球に興奮するのは別に高校生にはかぎりませんが、しかし高校生が
すべて興奮するわけでもない。

だいたい、甲子園の出場校の生徒と、全然“かすり”もしなかったような高校
の生徒では、同じ高校生と言っても、自ずから感動・興奮の度合いが違うでし
ょうね。

同じ高校生であっても、外国人学校の高校生ではまた感じが違うだろうし、ま
してや外国の高校生だったら、日本の甲子園のことなんかなんとも思うはずが
ありません。

イラクで自爆テロを決意した高校生となったら……、もう考えるのもアホらし
いような話です。

つまり、「勝って喜び、負けて涙するあのエネルギーが、全部“自給自足”」
だと言っても、若いマインドを持っていれば誰でもその感動のエネルギーを供
給できるというわけでもなさそうです。

では、何がその感動のエネルギーを供給しているのか?

結局それは、その当人の“自分(の肉体)”が置かれた状況によって左右され
ざるをえない。

となると、その感情エネルギーを供給しているのは、「自分」と言うよりは、
むしろ「状況」とか「環境」とか言った方がいいのか……。

“自給エネルギー”じゃなくて、“状況供給エネルギー”とか“環境給エネル
ギー”とか。(^_-)

ははー、つまり「勝って喜び、負けて涙するあのエネルギー」ってのは全部、
若い自分(マインド)が自律的に供給しているんじゃなくて、若い自分(マイ
ンド)が状況や環境に自己同化して供給するエネルギーということですね。

その意味では“自給自足”って言うのもまんざら嘘でもないか。

とは言え、「状況や環境に自己同化している自己」が“自分”ってことになる
と、そんなの“自分”がやっているとも言えないような話だけど……。

うーん、なんか、ごちゃごちゃしてきた、わからん。//(>_<)\\

自分が感動しているのに、自分とは言えないとはこれいかに?

あ、ニサルガ師匠なら、どう言うんだろう? (@_@)

----------------------------------------------------------------------
 質問者 どうして私には何もできないということを受け入れるのに、これほ
     ど途方もない抵抗が私のなかにあるのでしょう?
 
 マハラジ
 だが、あなたに何ができるというのかね?
 あなたは手術を行う外科医の手にかかり、麻酔薬の影響下にある患者と同じ
 だ。
 目覚めたとき、あなたは手術が終わったことを知るのだ。
 それでもあなたが何かをしたと言えるだろうか?
 
             『I AM THAT 私は在る』(p256-258)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(@_@)

そ、そりゃ、「麻酔薬の影響下にある患者」ならそうだけど……。

でも、それとこれとは、ちょっと違うんじゃないの? (?_?)

----------------------------------------------------------------------
 質問者 しかし、手術を受けることを選択したのは私なのです。
 
 マハラジ
 もちろんそうではない。
 あなたに決定をさせたのは、一方ではあなたの病気であり、もう一方では医
 師と家族からの強要なのだ。
 あなたに選択はない。
 ただ選択権があるという幻想だけだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p256-258)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> しかし、手術を受けることを選択したのは私なのです。

そうそう、そうだよね。(@_@)

> もちろんそうではない。

あちゃ。(>_<)

> あなたに決定をさせたのは、一方ではあなたの病気であり、もう一方では医
> 師と家族からの強要なのだ。

ありゃ。

そう言われれば……、そうだけど。(;_;)

“他人”のことならわかるんだけどなぁ。

甲子園で高校生が感動するのは、彼または彼女の学校が出場しているからにす
ぎない、とかさ。

> あなたに選択はない。

やっぱり、自分の学校のチームが決勝戦に勝ち残ったら、いやでも力瘤が入っ
ちゃうよなぁ。

> ただ選択権があるという幻想だけだ。

それが優勝したら、それまで応援していた高校生の自分は、カーっと全身が熱
くなって感動しちゃうだろうなぁ。

たとえ、その瞬間“白けて”いたとしても、それもまた別の何かに自己同化し
て別の物語を紡いでいる過去を手放せないからにすぎないだろうし……。

いわば、予測可能な軌道上を歩んでいるにすぎないとも言える。(-_-;)

> ただ選択権があるという幻想だけだ。

まったく。(/_;)

……。(-_-)

……でも、そうやって生真面目にエゴの軌道から外れないように頑張っても、
そのご褒美は……、自己同化した肉体から離れるとなったときは、やっぱり、
それなりにつらいんだろうしなぁ。(-_-;)

いや、それどころか、真面目に自己同化勤続年数を延長すればするほど、最後
に肉体から引き剥がされるときは、かえってつらかったりして。

ふーむ……。(-_-;)

それに、真面目に映画の中の役柄にはまって、自己同化勤続年数を延長すれば
するほど、“自分”は至らない“いけない子”だと思われてくるかもしれない。

“自分”が“いけない子”だと思えば思うほど、自己同化を真面目に勤め上げ
ることになって、緊縛を強めるのだろうし……。

そう言えば、ついせんだっても、ニサルガ師匠こんなことを言っていたっけ。

----------------------------------------------------------------------
 自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。
 あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱
 く愛のしるしなのだ。
 私があなたに願うことは、あなた自身への愛を完全なものにしなさい、とい
 うことだ。
 あなた自身のなかの何ひとつ、否定してはならない。
 あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
 そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。
 あなたはその彼方にあるのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p431-432)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱
> く愛のしるしなのだ。

そうなんだ。(@_@)

ものは言いようとも言えるけど。

いや、言われてみれば、たしかにそうだという気もする。

> あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
> そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。

ああ。(;_;)

生真面目に自己同化の道を進んで、自分を責めることは、「悲惨な過ち」。

「わたしの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、わたしがわたし自身に抱く
 愛のしるし」なんだ……。

でも、生真面目な肉体への自己同化の中で、絶え間なく苦痛と闘い、快楽を追求
している自分を責めることは、「悲惨な過ち」なんだ。

それは生真面目ではあっても、誠実さではない。

そう……最近見つけた、ニサルガダッタの「誠実さ」の定義。

----------------------------------------------------------------------
 誠実さとは、努力の結果を熱望することではない。
 それは偽り、非本質的、個人的なものから興味をそらし、内なる移行をする
 ことの表現なのだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(pp474)
----------------------------------------------------------------------

へー……。

「誠実さ」をこんなふうに定義することもできるんだ。

“わたしの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、わたしがわたし自身に抱
く愛のしるし”だとしても、それは自分を肉体だと思う誤解から発生した不毛
な努力にすぎない、ということか……。

「生きることが苦痛に満ちた状態」だという理解そのものが、誤解に基づいた
ものらしいから。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私は生きることが苦痛に満ちた状態だと知っています。
 
 マハラジ
 あなたに生きることはできない。
 なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。
 あなたが苦しむのではない。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。
 気づきのなかでそれを消し去りなさい。
 それは記憶と習慣の束でしかないのだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p474)
----------------------------------------------------------------------

> あなたに生きることはできない。

(?_?)

> なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。

(@_@)

……レトリックかと思っていたけれど。

生命は……、世界は……、気づきのなかにあるんだ。(-_-;)

> あなたが苦しむのではない。
> あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。

そうか……。

> 気づきのなかでそれを消し去りなさい。

それは、気づきのなかで消し去ることができるのか。

> それは記憶と習慣の束でしかないのだ。

そうか……。

「個人」は記憶と習慣の束でしかないのか。

じゃ、いったい、わたしはどっちを向いて行ったらいいんだろう?

いったい、何を求めたら?

いったい、求めるに値するものが何かあるのかしら?

----------------------------------------------------------------------
 質問者 それでは、求める価値のあるものとは何でしょうか?
 
 マハラジ
 最上のものを求めなさい。
 最高の幸福、もっとも偉大な自由を。
 無欲が最大の至福なのだ。
 
               『I AM THAT 私は在る』(p69)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(*_*)

……。(-_-;)

……。(;_;)

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】3
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この今回の写経部分の中で質問者は、死後の意識状態も含めて、このわれわれ
の人生がどのよう構造で決定されているのかを、何とか把握しようとします。

何かそこに、決定論的な構造を発見したいわけです。

しかし、ニサルガ師匠の解答のなかに立ち現れてくるのは、けっきょく、われ
われの態度がわれわれの世界を、人生を形づくる宇宙の姿だとしか言えないよ
うです。

では、【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】の最終(3)です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 不変なるものは意識することができないはずです。意識はつねに変
     化するものだからです。不変なるものは意識のなかに何の影響も与
     えません。
 
 マハラジ
 そうだとも、そうでないとも言える。
 紙は書いてあることではないが、それは書いてあることを伝える。
 インクがメッセージではなく、また読む人のマインドがメッセージなのでも
 ない。
 しかし、それらすべてがメッセージを可能にするのだ。
 
 質問者 意識は実在から降りてくるのでしょうか、それとも、それは物質の
     属性なのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
 不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
 調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
 ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
 いだろう。
 どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
 意識は自発的に現れる。
 有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
 
 質問者 それでは、何が残るのでしょうか?
 
 マハラジ
 けっして生まれることも死ぬこともなく、そのなかでは物質も意識も単なる
 相にすぎない、あれが残るのだ。
 
 質問者 もし物質も意識も超えているのならば、どのようにしてそれを体験
     することができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それはその影響が物質と意識の両方に及ぼす効果によって知ることができる。
 美と至福のなかにそれを探してみるがいい。
 だが、その両方を超えていかないかぎり、あなたは身体も意識も理解するこ
 とはないだろう。
 
 質問者 どうか、私たちにはっきりと言ってください。あなたは意識してい
     るのでしょうか、それとも無意識なのでしょうか?
 
 マハラジ
 悟りを得た人(ジニャーニ)はそのどちらでもない。
 だが、彼の悟り(ジニャーナ)のなかにすべては包括されている。
 気づきはすべての体験を含んでいる。
 しかし、気づいているその人はあらゆる体験を超えているのだ。
 彼は気づき自体をも超えている。
 
 質問者 体験の背後に物質と呼ばれるものがあります。そして体験者である
     マインドがあります。何がそれら二つの間に橋を架けるのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 その間にある隙間そのものが橋なのだ。
 その一端からは物質として見え、反対側の一端からはマインドとして見える
 それ、それ自体が橋なのだ。
 実在をマインドと身体に分けてはならない。
 そうすれば、橋の必要はなくなる。
 
 意識が現れるとともに、世界が現れる。
 世界の美と智慧について考えるとき、あなたはそれを神と呼ぶのだ。
 あなた自身のなかにある、そのすべての源を知りなさい。
 そうすれば、あなたはすべての質問の答えを見いだすだろう。
 
 質問者 見る者と見られるもの、それらはひとつなのでしょうか、それとも
     二つなのでしょうか?
 
 マハラジ
 ただ、見ることだけが在る。
 そのなかに見る者も、見られるものも含まれるのだ。
 区別のないところに区別をつくり出してはならない。
 
 質問者 わたしは死を迎えた人について質問をはじめました。あなたは彼の
     体験が彼の期待と信念にしたがって形づくられると言いました。
 
 マハラジ
 生まれる前に、あなたはあなた自身が立てた計画にしたがって生きることを
 期待していたのだ。
 あなた自身の意志が、あなたの運命の支柱だったのだ。
 
 質問者 間違いなく、カルマが干渉したはずです。
 
 マハラジ
 カルマは環境を形づくる。
 態度はあなた自身のものだ。
 結局は、あなたの人格があなたの人生を作り出し、人格を形づくるのはあな
 ただけなのだ。
 
 質問者 どのようにして人は人格を形づくるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それをあるがままに見ることによって、そして誠実に心から感じることによ
 ってだ。
 この見ることと感じることの統合が奇跡的な働きをする。
 それはブロンズの像を鋳造するようなものだ。
 金属だけでも、火だけでも無理だし、鋳型だけでも役に立たない。
 あなたは金属を火で熱し、溶解して、鋳型へ流し込まなければならないのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p284-285)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-)

> 質問者 不変なるものは意識することができないはずです。意識はつねに変
>     化するものだからです。不変なるものは意識のなかに何の影響も与
>     えません。
> 
> マハラジ
> そうだとも、そうでないとも言える。
> 紙は書いてあることではないが、それは書いてあることを伝える。
> インクがメッセージではなく、また読む人のマインドがメッセージなのでも
> ない。
> しかし、それらすべてがメッセージを可能にするのだ。

じつに明晰。

たしかに、問いによって解答が引き寄せられてくる感じだなぁ。

> 質問者 意識は実在から降りてくるのでしょうか、それとも、それは物質の
>     属性なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。

マインドの両端なんだ。

> 不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
> 調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。

こういう言い方、はじめて聞いたけど。

> ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
> いだろう。
> どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
> 意識は自発的に現れる。

へー。(@_@)

足立育朗さんの『波動の法則』とつながるようなイメージ。

> 有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。

なるほど。

> 質問者 それでは、何が残るのでしょうか?
> 
> マハラジ
> けっして生まれることも死ぬこともなく、そのなかでは物質も意識も単なる
> 相にすぎない、あれが残るのだ。

ああ、一挙にそこまで見晴らしたなかでの話か。

> 質問者 もし物質も意識も超えているのならば、どのようにしてそれを体験
>     することができるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> それはその影響が物質と意識の両方に及ぼす効果によって知ることができる。

ああ、ここでも同じ言い方になるのか。

> 美と至福のなかにそれを探してみるがいい。
> だが、その両方を超えていかないかぎり、あなたは身体も意識も理解するこ
> とはないだろう。

これは、マインドが届かない世界。

> 質問者 どうか、私たちにはっきりと言ってください。あなたは意識してい
>     るのでしょうか、それとも無意識なのでしょうか?

ぷ。(>_<)

辛抱切らしたね、この人。

> マハラジ
> 悟りを得た人(ジニャーニ)はそのどちらでもない。
> だが、彼の悟り(ジニャーナ)のなかにすべては包括されている。
> 気づきはすべての体験を含んでいる。
> しかし、気づいているその人はあらゆる体験を超えているのだ。
> 彼は気づき自体をも超えている。

「気づきはすべての体験を含んでいる」

しかし、「存在」はあらゆる体験と定義を超えているのか。

存在は「気づき自体をも超えている」。

> 質問者 体験の背後に物質と呼ばれるものがあります。そして体験者である
>     マインドがあります。何がそれら二つの間に橋を架けるのでしょう
>     か?
> 
> マハラジ
> その間にある隙間そのものが橋なのだ。

(?_?)

> その一端からは物質として見え、反対側の一端からはマインドとして見える
> それ、それ自体が橋なのだ。

波動宇宙「それ自体が橋」と言えば橋。

> 実在をマインドと身体に分けてはならない。
> そうすれば、橋の必要はなくなる。

なるほど。

なんとなく……。

> 意識が現れるとともに、世界が現れる。

ああ……。

> 世界の美と智慧について考えるとき、あなたはそれを神と呼ぶのだ。

なるほど。

> あなた自身のなかにある、そのすべての源を知りなさい。
> そうすれば、あなたはすべての質問の答えを見いだすだろう。

すべてはわたし在るがゆえに在る。

> 質問者 見る者と見られるもの、それらはひとつなのでしょうか、それとも
>     二つなのでしょうか?
> 
> マハラジ
> ただ、見ることだけが在る。

はい。

> そのなかに見る者も、見られるものも含まれるのだ。
> 区別のないところに区別をつくり出してはならない。

わかりました。

> 質問者 わたしは死を迎えた人について質問をはじめました。あなたは彼の
>     体験が彼の期待と信念にしたがって形づくられると言いました。
> 
> マハラジ
> 生まれる前に、あなたはあなた自身が立てた計画にしたがって生きることを
> 期待していたのだ。

はい。

> あなた自身の意志が、あなたの運命の支柱だったのだ。

やっぱり。

> 質問者 間違いなく、カルマが干渉したはずです。
> 
> マハラジ
> カルマは環境を形づくる。

うん。

> 態度はあなた自身のものだ。

(@_@)

……すると、いまも?

> 結局は、あなたの人格があなたの人生を作り出し、人格を形づくるのはあな
> ただけなのだ。

やっぱり、そうなんだ。

この欲望実現宇宙に“犠牲者”と呼ばれる者は存在しないんだ……。

> 質問者 どのようにして人は人格を形づくるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> それをあるがままに見ることによって、そして誠実に心から感じることによ
> ってだ。

(@_@)

……不思議な言い方。

> この見ることと感じることの統合が奇跡的な働きをする。

そうか。

> それはブロンズの像を鋳造するようなものだ。

うん?

> 金属だけでも、火だけでも無理だし、鋳型だけでも役に立たない。

うん。

> あなたは金属を火で熱し、溶解して、鋳型へ流し込まなければならないのだ。

ああ、なるほど。

「あるがままに見ることによって」、そして「誠実に心から感じることによっ
て」、わたしはわたしの人格を形づくる。

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。

それから、「最強の破壊者からの言葉」というのを置いてみました。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-words.html

どこからもクレームが来なければ、追加および取捨選択していきます。

ときに「最強の破壊者」に疑問をぶつけてみていただければ嬉しいです。


        …………○…………○…………○…………


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■ 3.「ご投稿・情報提供」:『地球交響曲 第六番』上映会のお知らせ
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

できればハンドル名もお願いします。


        …………○…………○…………○…………


今回、Mさんから『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』上映会情報を送って
いただきましたのでご紹介します。

【件名】:『地球交響曲』最新作第六番
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 ちょっとした宣伝にお付き合い下さい(笑)

 『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』という映画はご存知でしょうか?

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 【ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋】

 地球交響曲とは、ドキュメンタリー映画の作品名で、
 「ガイアシンフォニー(Gaia Symphony)」とも読まれる。 

 全編、龍村仁氏が監督しており…
 
 各編の出演者たちが
 「地球の中の私、私の中の地球」というテーマで
 語るインタビューを、美しい景色と共に
 1本の映画に納めた、映像の傑作でもある。

 「ガイアの声が聞こえますか」

 ガイアとは、ギリシア神話に登場する
 地球の女神の名前。

 またこの映画では
 「一つの生命体としての地球」と言う意味である。 

 「今生きている我々ひとりひとりが、
 "心”にどんな未来を描くかに依って、
 現実の地球(ガイア)の未来が決まる。」

 これがこのシリーズのテーマであると言える。

 -------------------------------------------------

 この『地球交響曲』の最新作である第六番が
 現在、東京・恵比寿にて公開されています。

 ちなみに、私自身は未見でございます(笑)

 しかし、既に見に行った知人に話を聞いたところ…

 自然の美しく重厚な映像が印象に残り
 見て損はない、との事。

 そして、今回は音楽がテーマだから
 おそらく寝ることはないだろう
 とも言っておりました(笑)

 2時間を超える映画なので、もしかしたら
 少しお尻が痛くなるかもしれない…
 との断り書きもありましたが(爆)

 上映時間等、詳しい情報は以下のサイトを
 参照して頂ければよろしいかと思います。 

 -------------------------------------------------

 ・公式サイト
 (127分の映画で、
  5/13の上映時間は 10:30/13:15/16:00/18:40 です。)
   ↓
  http://www.gaiasymphony.com/g6roadshow_tokyo.html

 ・上映会場(恵比寿にある東京都写真美術館)
   ↓
  http://syabi.com/
 
 ・チケットは現在、当日券しか扱っていないとの事。
  各種割引情報が載っています。
   ↓
  http://syabi.com/details/mo_earth.html

 ・YAHOO路線情報
   ↓ 
   http://transit.yahoo.co.jp/

  ※横浜から、会場の恵比寿までは、
   場所にも寄りますが、大ざっぱに言って
   片道50分前後(?)の時間がかかると思われます。

 ・龍村仁監督 ラジオでのインタビュー内容掲載
   ↓
  http://www.flintstone.co.jp/20070408.html
 
 -------------------------------------------------

 長文メールになってしまい、大変恐縮です。
  
 ありがとうございました。
----------------------------------------------------------------------

Mさん、情報提供メールとして掲載させていただきましたよ。

> 『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』という映画はご存知でしょうか?

もう六番になったんですねぇ。

三番までは観ていると思うんですが、その後は出不精になってしまって。

上映会の後の龍村仁さんの講演はとてもすばらしいですね。

Mさん、情報提供メール、ありがとうございました。

このメールを観て、思いだして行かれる方もいるかもしれません。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:夢のような“朧な気分”になっていくようです。
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重要なことがあるような、ないような。

なんだかだんだん夢のような“朧な気分”になっていくようです。

この世に対する生真面目さを失っていくとでもいうのか。

これから、いろいろあるみたいですしね。

そんなことがどうでもいいようでもあり……。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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