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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.163 2007/05/20(第163号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在846名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ニサルガダッタさんの話がどうもピンときません

2.写経ニサルガダッタ:【33 すべてはひとりでに起こる】の1

3.編集後記:何をしようとあなたが変わることはないだろう。
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■ 1.ニサルガダッタさんの話がどうもピンときません
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雨が上がって辺りが明るくなり、山の頂上にはまだ霧がかかっている。

そんな、本当に頃合いの、お好みの天気です。

楓の葉先がわずかに揺れていて、極端な静寂ではないけれど、静かで落ち着い
た光景です。

この季節は、あちこちに白いミズキの花が見えて、山が慎ましくお化粧をして
います。

雲に覆われた薄明るい水槽のなかの世界。

雲の上にはつねに変わらず太陽が輝いているのでしょう。

楓の葉が風に大きく揺らいだ。

あ、一瞬、あたりが日の光に照らし出されました。

そして、また消えた。

懐かしい。

……いいですねぇ。

(-_-)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

じつは、ぎんさんという方から、とてももっともな感じのメールをいただきま
した。

わたしの連絡メールに対する返信だったのですが、まさに我が意を得たりとい
う感じだったものですから、ご本人の了解を得て、ここでそのメールを紹介さ
せていただきます。

【件名】:資料とメールありがとうございました
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 pariさん、さっそくお返事いただいたのにお返事遅くなり申し訳ありません
 でした、、、。
 今日のコンベンションも行かれず失礼しています
 pariさんにはお会いできる機会だったのに残念です。
 
 今頃はホットなお話で盛り上がっているのでしょうね!
 また「アセンション館通信」で報告していただけるのを楽しみにしています
 DVD資料も楽しみにしています、pariさんお疲れが残らないように
 お願いしますね♪
 
 いつも読ませていただいていて何ですが、、、
 私はニサルガダッタさんの話がどうもピンときません
 まだ私の理解の範囲ではないのかも、、、もっと修行が必要かも知れません
 
 バシャールやラムサはすんなり入ってきます
 ラメッシ・s・バルセカールさんの本は捉えかたや感覚が面白いと思ったら
 ニサルガダッタさんのお弟子さんと知りびっくりです
 
 また最近読んだ「あなたが宇宙のパワーを手に入れる瞬間」はすごい!です
 私の中ですべての疑問が解けた思いがしています
 ディーパック・チョプラさんは本屋さんで時々のぞいてみましたが、今まで
 の本はわたしにはそんなにインパクトがなかったのに不思議です
 
 そのうちニサルガダッタさんの話に共鳴できるタイミングを楽しみに
 待ちます
 
 ではpariさんお体たいせつに、、、
 
 ぎんより
----------------------------------------------------------------------

ぎんさん、ここでご紹介させていただきましたからね。

> DVD資料も楽しみにしています、pariさんお疲れが残らないように
> お願いしますね♪

ありがとうございます。

DVD資料は、やっとお送りできました。

もう、お手元に届いていると思います。お楽しみください。

さて、ところで、このぎんさんのメール、どこがまさに我が意を得たりという
感じだったのか?

むろん、以下の箇所です。^^;

> いつも読ませていただいていて何ですが、、、
> 私はニサルガダッタさんの話がどうもピンときません
> まだ私の理解の範囲ではないのかも、、、もっと修行が必要かも知れません
> 
> バシャールやラムサはすんなり入ってきます

↑ここです。(*^_^*)

こういうこと、なかなかこういうふうに素直にストレートに言っていただける
ことってないものらしいんですね。

このメルマガを読んでくださっている方のなかでは、こう思っていらっしゃる
方のほうがずっと多いはずなんですが。

じつは、わたしはいつも不思議でした。

自分が書いているこんな話題が、そんなに面白いはずはないのだが……って。

そうは思いながら、でもいいや、別に誰に頼まれて書いているわけでもないん
だから、自分の勝手な思い入れで書きたいことを書けばいいって、自分に言い
聞かせていたというわけです。

だから、ぎんさんの

> いつも読ませていただいていて何ですが、、、
> 私はニサルガダッタさんの話がどうもピンときません

という言葉を読んで、やっと読者の方の本音を聞かせていただいた、という気
がしたわけです。^^;

どう考えたって、せっかく『アセンション館通信』なるものを読んでいるのに、
ニサルガダッタの話ばかりで、面白いはずがないんです。^^;;

わたしはニサルガダッタを読むようになってから、それまでにも既にいい加減
少なくなっていた読書量が、極端に少なくなってしまいました。

ときどき、人に薦められたり自ら思い立って新しい本を読んでも、それをメル
マガで吹聴するというエネルギーにまでなかなかいたりません。

ときどき、船井幸雄さんのホームページを覗いたりして、あの方の衰えない読
書量と新しいものに対する関心には、ほとほと感心させられます。

ほんとうは、『アセンション館通信』を名乗るからにはあれくらい読まなくち
ゃならないんだろうけど……、なんて思うこともあるんですが。

『いま二人が一番伝えたい大切なこと』(徳間書店刊、船井幸雄+中丸薫著)
http://tinyurl.com/2swly8
という本を読んだり、みおさんにご紹介いただいた
『未来からの警告』(たま出版刊、マリオ・エンジオ著、山川 栄一訳) 
http://tinyurl.com/3xfbkb
を読んだりもするのですが、メルマガでご紹介するまでのエネルギーにいたら
ないうちに時間を過ごしてしまうようです。

いや、それぞれなかなか興味深いことが書かれているですよ。

『いま二人が一番伝えたい大切なこと』には、「極小から極大を貫くプラズマ
宇宙論」だとか、「地底世界(地球内空洞世界)からのメッセージ」などが紹
介されていて、ああ、こういう話もここまでリアリティを帯びてきたんだな、
という感想も湧きます。

また『未来からの警告』では、三次元地球世界は、これから天変地異が大変だ
なぁ、とか、信じやすいわたしなどはその警告予言が既定の事実でもあるかの
ような感想を持ったりもします。

ただ……。

「メルマガの趣旨」に「仮現の現象世界に興味を失うための努力です」なんて
唱ったことが、当人の想像以上の言霊パワーを発揮しているのか、この世の行
く末に以前ほどの興味を維持できないんですよね。

なんだか、どうでもいいことのように思われちゃって。(*^_^*)

“いずれにしろ「私は在る」”という事実の圧倒的リアリティに少しずつ降参
していく感じです。

そのうち、この「世界」の中に“自分”が存在しているんじゃなくて、今この
瞬間、「自分」がこの“宇宙”を支え、創造しているんだ、なんて話のほうが
本当と思えてきたりして。^^;

ま、しかし、それはそれとして……、

> いつも読ませていただいていて何ですが、、、
> 私はニサルガダッタさんの話がどうもピンときません

というぎんさんの感想は、まことにもって、もっともだと思います。

そうでないはずがないんです。

だって、通常、われわれ人間のあらゆる思考活動は、“生きる”ための情報を
求めることにベクトルが合っているはずですから。

“生き延びる”ために、そして“よりよく生きる”ために働いているのが、わ
れわれの思考活動のはずですから。

だって、そうでなければ、考えること自体、必要ないでしようし。

そしてこの“よりよく生きる”というのは、“より安全に生きる”とか、“よ
り美しく生きる”とか、“より豊かに生きる”とか、“より自由自在に生きる”
というようなことになるだろうと思います。

どこもおかしいところはないし、誰が考えても“まともな話”です。

そういう思考の延長上にある(あるいは、少なくとも位置づけ可能な)世界が、
バシャールやラムサの世界だと思います。

だから、ぎんさんの

> バシャールやラムサはすんなり入ってきます

という言葉は、ほんとうに至極もっともな感想なんです。

いつか、ハイアーセルフ33さんが、度を超してニサルガダッタにのめり込む
わたしをサポートする意味で、ニサルガダッタの言葉を理解する“メリット”
という観点に言及されたことがありますが、それも同じような、そういう思考
の延長上にある観点だと思います。

あなたの思考の枠組みを広げなさい、もっと大きな可能性を受け入れなさい、
そうすれば、あなたは神にもなれるのだ、なぜなら、あなたは実際は、神なの
だから……、という観点はわれわれに大きな勇気を与えてくれます。

そういう言葉を信頼することには大きな“メリット”があるようです。

それで何がいけないの (?_?)、ってことになりますが……。(^^;)

むろん、何もいけなくなんかないわけです。^^;

ニサルガダッタはグルに出逢い、グルが言う「あなたは至高の実在なのだ」と
いう言葉を即座に信頼し、その言葉にフォーカスし続けて、三年という短い時
間の後に、実在を実現(自覚)したそうです。

いろいろ……、相性ってあると思うんですよね。(-_-;)

ぎんさんは、メールで

> まだ私の理解の範囲ではないのかも、、、もっと修行が必要かも知れません

とおっしゃってますが、いや、“もっと修行が必要”とか、そういうことじゃ
ないんじゃないでしょうか。

わたしの好みの言葉で言うなら、それこそ“好み”だと思います。

前に、勝手な造語で、“ジニャーニ系”と“神系”とか、“中性子系”と“陽
子系”とかいう言葉で表現しようとしたことがあります。

それぞれ言葉の包含とか、ニュアンスが違うと思いますが。

あるいは、ちょっと語弊があるかもしれませんが、“全能系”と“無欲系”と
言ってもいいのかもしれません。

あるいはまた、仏教的に“往相的”とか“還相(げんそう)的”とか言っても
いいのかもしれませんし。

現代地球人の肉体の人生の一種のピークを四十歳くらいとして見るなら、生ま
れてから四十歳までの人生と、四十歳から肉体を離れるまでの人生とでは、自
ずからその観点、物の見方が異なるのが当然だと思います。

肉体の人生で喩えるなら、若々しい前途有為の青年の人生を歩んでいる人に、
人生の締め括りに向かっている老年の方の観点が“どうもピンと”こないのは
当然で、それを“もっと修行が必要”とは言わないんじゃないでしょうか。^^;

青年が“もっと修行して無欲になることが必要”なのだとしたら、老人も若者
に負けずに“頑張ってもっと多くを目指す”必要があったりして。(^_-)

同じように、いわゆる霊的な人生みたいなものにも、能力を“獲得し”自由度
を“高めて”、より多くの自分の生命を多次元に展開する、という話の方が好
ましく、納得がいくという時節があるのだと思います。

当然、その逆に、その“獲得”の中心核である「自分」に関わるすべてを手放
して、「自分」から解放されたい、という意識の位置もあるわけでしょう。

若者は自分の人生を構築する内容物を見繕って“集める”時期にいるわけです
し、老人は自分の人生の内容物を“手放して”空っぽにする時期にいるわけで
すから、その観点は自ずから異なると思います。

これは、吸う息が正しい息で吐く息が間違った息だとか、いやそれは逆で、
吸う息が間違った息で吐く息が正しい息なんだとか、そんなことが言えない
ようなものだと思います。

生命は、正しいも間違っているも関係なしに、ただ、あるがままに、呼吸して
いるだけですから。
(↑なんか、これじゃまるで悟っている人みたい。あはは。(^^)/)

でも、そうすると、今度はそういう、吸う息になったり、吐く息になったり、
人生の構築物を集めたり、今度は手放したりする努力全体を、

       「別に、そういう努力はしなくてもいいのだ」

と評する声がどこやらから聞こえてくるわけです。

     「あなたは、その努力している当人ではないのだから」

と。

こうなると、そういう声が聞こえた者は、

ん? (?_?)

て、ことになるわけです。

だって、不思議ですからね。

こうなると、同じ「あなたは神なのだ」という言葉も、バシャールやラムサか
ら聞こえてくるときとは、少し雰囲気が違いますよね。

言ってみれば、バシャールの言葉もラムサの言葉も、われわれ、つまり肉体に
自己同化したエゴが聞いても、嬉しい言葉なんですよね。

それは、彼らがわれわれ地球人のために案配してくれているせいかどうかは知
りませんが、とにかくそれは、われわれの「エゴ」の卒業であり、拡張である
ようで、アセンションはとてもいいことのようです。

いや、もちろん、それが悪いことのはずはないんで、お祭の季節が来たらみん
なといっしょに楽しめばいいんですが……。

プレアデスの方々も、この“ナノセカンド”と呼ばれる瞬間は、われわれ登場
人物の“思い(込み)”がすべて実現して、これまでの三次元世界が一挙にそ
のまま五次元の夢の世界に突入する宇宙でもめったにないタイミングなんだ、
と保証されています。

そう言われたら、何だかそれだけで悪くない気もしますよね。(^_-)

やったー。\(^O^)/

てなもんです。

でもそうすると、理屈屋のどなたさんだかがちょっと顔を出します。

待てよ……、でも、この同じ<いま>という瞬間のなかに、あの耐え難い不安
を抱えていた自分もいるわけだよなぁ、と。(-_-;)

宇宙は幸福も不幸も、善も悪も、正も邪も、全部を呑み込んで、呼吸している
んだっていうし……。

こっち側で、分離と支配の時代から統合と調和の時節に入っていくお祭を祝っ
ている意識の位置があるなら、反対側には当然、すべて無事な統合と調和の時
代にほとほと飽きて、ちょっと分離と支配の冒険を演出してみようや、という
意識の位置があってもいいわけだよなぁ、なんてマインドも働きます。

地球上で上演された中世の暗黒時代もなにもかも、この<永遠の今>のなかに
あるわけですから。

そう思ってみたときはじめて、

    「あなたは、その奮闘している映画の登場人物ではないのだ」

      「あなたは、その映画を投影している当人なのだ」

   「いや、それどころか、知覚できるものはすべてあなたではない」

              「私は在る」

という言葉が聞こえてきます……。

うーむ。(-_-;)

そうなると、やっぱり立ち止まって、考え込んじゃいますよね。

> ラメッシ・s・バルセカールさんの本は捉えかたや感覚が面白いと思ったら
> ニサルガダッタさんのお弟子さんと知りびっくりです

そうなんですか。

わたしはこのところ、とんと本を読まなくなっちゃって、ラメッシ・s・バル
セカールさんを知りませんでした。
 
> また最近読んだ「あなたが宇宙のパワーを手に入れる瞬間」はすごい!です
> 私の中ですべての疑問が解けた思いがしています

そうですか。(^^)/

> ディーパック・チョプラさんは本屋さんで時々のぞいてみましたが、今まで
> の本はわたしにはそんなにインパクトがなかったのに不思議です

なるほど。

> そのうちニサルガダッタさんの話に共鳴できるタイミングを楽しみに
> 待ちます

(^^)/

> ではpariさんお体たいせつに、、、

m(_ _)m

ぎんさん、お陰さまで、またよしなしごとを書くことができました。

ありがとうございました。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【33 すべてはひとりでに起こる】の1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の写経は、「すべてはひとりでに起こる」という直感的にはとても理解し
がたい内容です。

わたしは、何度か読んでも、ほとんど引っかかることがありませんでした。

別に、ニサルガダッタの言葉が文字面で理解できないというわけではないので
すが、心に響かないわけです。

最近、目次を眺めていて、「すべてはひとりでに起こる」……、ふと、あれ、
ここではどんなことを言っていたんだっけ、と思いました。

もし「すべてはひとりでに起こる」ことに納得が行けば、ニサルガダッタが語
っている言葉の意味に、もう一寸でも近づくことができるかもしれない。

そう思って読み進めるのですが、これが“渋い”。(>_<)

いままで、ピンともカンとも来なかったのもわかります。

……ところが、あとから寝起きに、ふと、こんなイメージが湧いてきました。

それは、高いビルの一角から紙が一枚、風に吹かれてひらひらと舞い落ちて行
く情景でした。

それがどこに落ちるのかは、誰にもわからない。

そして、あてどもなく落ちていく紙は、身も世もなく行く末を心配しています。

しかし、その当人の心配に関係なく、無数の原因による無数の条件のなかで、
紙はその瞬間に差し出される無数の風に揉まれながら、あたかも既定の軌道を
辿るかのごとく、定められた着地点に向かって舞い落ちていくのです。

では、【33 すべてはひとりでに起こる】、今回はその1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 ジニャーニ(賢者)は死ぬのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼は生と死を超えている。
 私たちが避けることができない生まれ、そして死ぬということは、彼にとっ
 ては不動のなかの動、不変のなかの変化、永遠のなかの終焉(しゅうえん)
 という表現として見なされる。
 ジニャーニにとっては何も生まれず、何も死なず、何も続かず、何も変わら
 ない。
 すべては時を超えて、あるがままだということが明らかなのだ。
 
 質問者 あなたは、ジニャーニは超越していると言いますが、何を超えてい
     るのでしょうか? 知識を超えているのでしょうか?
 
 マハラジ
 知識は現れては消える。
 意識は存在のなかに立ち現れ、存在から立ち去る。
 それは日々起こる出来事であり、観察されることだ。
 私たちはみな、ときどき意識的であり、ときどきそうではない。
 私たちが意識のないとき、それは暗黒、または空白として現れる。
 だが、ジニャーニは彼自身が意識的でも無意識的でもなく、ただ純粋に気づ
 いていて、マインドの三つの状態*とその内容の観照者だと知っているのだ。
 
   ( *訳注 「マインドの三つの状態」:目覚め、夢見、眠りの状態。)
 
 質問者 この観照はいつはじまるのでしょうか?
 
 マハラジ
 ジニャーニにとっては、はじまりも終わりもない。
 塩が水に溶けるように、すべては純粋な存在のなかに溶けていく。
 智慧とは永遠に非実在を否定していくことだ。
 非実在を見ることが智慧なのだ。
 その彼方には表現不可能なものがある。
 
 質問者 私のなかには、「わたしは身体だ」という確信があります。もちろ
     ん、私は智慧から語ってはいません。しかし、自分自身を身体、
     「身体―精神」、あるいは純粋なマインドと感じる状態はいつはじ
     まるのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識のはじまりに関して語ることはできない。
 時間とはじまりという観念は意識のなかに在るのだ。
 何であっても、そのはじまりに関して語るには、そこから外に足を踏みださ
 なければならない。
 そしてひとたび外に出れば、そのようなものはけっして存在していなかった
 ことがわかる。
 ただ実在だけが在り、そのなかにそれ自身として独立した存在を持つものは
 ない。
 波が海から分離することができないように、生きるものすべても存在に根づ
 いているのだ。
 
 質問者 今ここで私が尋ねているのは事実です。「私は身体だ」という感覚
     はいつ起こるのでしょう? 誕生時に起こるのでしょうか? ある
     いは今朝起こったのでしょうか?
 
 マハラジ
 今だ。
 
 質問者 しかし、昨日もそれがあったのを私は覚えていますよ!
 
 マハラジ
 昨日の記憶も今にしかない。
 
 質問者 しかし、確かに私は時間のなかに存在しています。私には過去と未
     来があります。
 
 マハラジ
 あなたがそう想像するだけだ、今。
 
 質問者 はじまりがあったはずです。
 
 マハラジ
 今がある。
 
 質問者 では、終わりは?
 
 マハラジ
 はじまりのないところに終わりはない。
 
 質問者 しかし、私は自分の質問を意識しています。
 
 マハラジ
 偽りの質問には答えられない。
 それはただ偽りとして見られるだけだ。
 
 質問者 私にとってそれは実在です。
 
 マハラジ
 あなたにとって、いつそれが実在として現れたのか。
 今だ。
 
 質問者 ええ。それは私にとって、まったく実在です、今。
 
 マハラジ
 あなたの質問のどこが実在なのだろうか?
 それはマインドの状態だ。
 どんなマインドの状態も、マインドと同様実在ではありえない。
 マインドは実在だろうか?
 それはそれぞれが一時的な状態の集まりにすぎない。
 一時的状態の連続をどうして実在として考えられるだろうか?
 
 質問者 糸に通した数珠玉のように、出来事は出来事の後に続いていきます。
     永遠に。
 
 マハラジ
 それらはみな、「私は身体だ」という基本的観念の糸に連なっているのだ。
 しかし、これもまた精神的状態で永続せず、ほかのすべての状態のように来
 ては去っていく。
 「身体―精神」の存在という幻想がそこにあるのは、ただ、よく調査しなか
 ったからだ。
 未調査という糸にすべてのマインドの状態は連なっている。
 それは暗室の暗闇のようなものだ。
 一見、それはそこにあるように見える。
 だが、ひとたび扉が開かれたら、暗闇はどこへ行くだろうか?
 どこへも行きはしない。
 なぜなら、それはそこにはなかったのだ。
 すべてのマインドの状態、すべての名前と形のある存在は、未探求と未調査、
 想像と軽信のなかにその根を下ろしている。
 「私は在る」と言うことは正しいが、「私はこれだ、私はあれだ」と言うこ
 とは、探求せず、確かめずにいたこと、精神的弱さ、無関心の現れだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p151-152)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-)

> 質問者 ジニャーニ(賢者)は死ぬのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 彼は生と死を超えている。

これは、何となくわかる話ですよね。

> 私たちが避けることができない生まれ、そして死ぬということは、彼にとっ
> ては不動のなかの動、不変のなかの変化、永遠のなかの終焉(しゅうえん)
> という表現として見なされる。

「生まれ、そして死ぬということは」わたしたちにとっては、「避けることが
できない」ことなんだ……。

> ジニャーニにとっては何も生まれず、何も死なず、何も続かず、何も変わら
> ない。

その同じことを、ジニャーニは「何も生まれず、何も死なず、何も続かず、何
も変わらない」と知っているということだろうか。

> すべては時を超えて、あるがままだということが明らかなのだ。

なんとなく、すこし響いてきた感じ。

> 質問者 あなたは、ジニャーニは超越していると言いますが、何を超えてい
>     るのでしょうか? 知識を超えているのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 知識は現れては消える。
> 意識は存在のなかに立ち現れ、存在から立ち去る。
> それは日々起こる出来事であり、観察されることだ。

うん。

> 私たちはみな、ときどき意識的であり、ときどきそうではない。
> 私たちが意識のないとき、それは暗黒、または空白として現れる。

それはわかるけど。

> だが、ジニャーニは彼自身が意識的でも無意識的でもなく、ただ純粋に気づ
> いていて、マインドの三つの状態*とその内容の観照者だと知っているのだ。
> 
>   ( *訳注 「マインドの三つの状態」:目覚め、夢見、眠りの状態。)

うん。

> 質問者 この観照はいつはじまるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> ジニャーニにとっては、はじまりも終わりもない。

うん。

> 塩が水に溶けるように、すべては純粋な存在のなかに溶けていく。

変わった喩え方。

> 智慧とは永遠に非実在を否定していくことだ。

うん?

> 非実在を見ることが智慧なのだ。

ああ、そうなのか。(-_-;)

> その彼方には表現不可能なものがある。

うん。
 
> 質問者 私のなかには、「わたしは身体だ」という確信があります。もちろ
>     ん、私は智慧から語ってはいません。しかし、自分自身を身体、
>     「身体―精神」、あるいは純粋なマインドと感じる状態はいつはじ
>     まるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 意識のはじまりに関して語ることはできない。

うん?

> 時間とはじまりという観念は意識のなかに在るのだ。

あ、それはわかる。

観念は意識のなかに在るのだから。

> 何であっても、そのはじまりに関して語るには、そこから外に足を踏みださ
> なければならない。

あ、なるほど。

> そしてひとたび外に出れば、そのようなものはけっして存在していなかった
> ことがわかる。

ああ、そういうことか。

「ひとたび外に出れば」……、ひとたび意識の騒音の外に出たら……。

> ただ実在だけが在り、そのなかにそれ自身として独立した存在を持つものは
> ない。

なるほど。

> 波が海から分離することができないように、生きるものすべても存在に根づ
> いているのだ。

「生きるものすべて」の根拠が、実在なんだ。

> 質問者 今ここで私が尋ねているのは事実です。「私は身体だ」という感覚
>     はいつ起こるのでしょう? 誕生時に起こるのでしょうか? ある
>     いは今朝起こったのでしょうか?

ふふ。

> マハラジ
> 今だ。

うん。いま想像(=創造)している。

> 質問者 しかし、昨日もそれがあったのを私は覚えていますよ!
> 
> マハラジ
> 昨日の記憶も今にしかない。

うん。

> 質問者 しかし、確かに私は時間のなかに存在しています。私には過去と未
>     来があります。
> 
> マハラジ
> あなたがそう想像するだけだ、今。

そうか。

> 質問者 はじまりがあったはずです。
> 
> マハラジ
> 今がある。

ああ……、想像ではないというのは、そういうものか。

> 質問者 では、終わりは?
> 
> マハラジ
> はじまりのないところに終わりはない。

うん。

> 質問者 しかし、私は自分の質問を意識しています。
> 
> マハラジ
> 偽りの質問には答えられない。
> それはただ偽りとして見られるだけだ。

なるほど。

想念としての質問に、想念としての解答を対抗させることはない。

> 質問者 私にとってそれは実在です。
> 
> マハラジ
> あなたにとって、いつそれが実在として現れたのか。
> 今だ。

なるほど。

そういうことを言ってもいいわけだ。

> 質問者 ええ。それは私にとって、まったく実在です、今。
> 
> マハラジ
> あなたの質問のどこが実在なのだろうか?

ふふ。

> それはマインドの状態だ。
> どんなマインドの状態も、マインドと同様実在ではありえない。

はい。

> マインドは実在だろうか?
> それはそれぞれが一時的な状態の集まりにすぎない。
> 一時的状態の連続をどうして実在として考えられるだろうか?

こんなことを言ってもいいんだ、ということを知らなかったんだよなぁ。

> 質問者 糸に通した数珠玉のように、出来事は出来事の後に続いていきます。
>     永遠に。
> 
> マハラジ
> それらはみな、「私は身体だ」という基本的観念の糸に連なっているのだ。

理解できます。

> しかし、これもまた精神的状態で永続せず、ほかのすべての状態のように来
> ては去っていく。

まったく。

> 「身体―精神」の存在という幻想がそこにあるのは、ただ、よく調査しなか
> ったからだ。

そんなこと、誰からも聞いたことがなかったものなぁ。

> 未調査という糸にすべてのマインドの状態は連なっている。

こういうことを言ってもいい、ということだったんだ。

> それは暗室の暗闇のようなものだ。
> 一見、それはそこにあるように見える。
> だが、ひとたび扉が開かれたら、暗闇はどこへ行くだろうか?
> どこへも行きはしない。
> なぜなら、それはそこにはなかったのだ。

わかります。

> すべてのマインドの状態、すべての名前と形のある存在は、未探求と未調査、
> 想像と軽信のなかにその根を下ろしている。

今回の写経のキモはここだなぁ。

> 「私は在る」と言うことは正しいが、「私はこれだ、私はあれだ」と言うこ
> とは、探求せず、確かめずにいたこと、精神的弱さ、無関心の現れだ。

「探求せず、確かめずにいたこと、精神的弱さ、無関心の現れ」

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

よろしければ、気が向いたときにお付き合いください。

それから、「最強の破壊者からの言葉」というのを置いてみました。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-words.html

どこからもクレームが来なければ、追加および取捨選択していきます。

ときに「最強の破壊者」に疑問をぶつけてみていただければ嬉しいです。


        …………○…………○…………○…………


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■ 3.編集後記:何をしようとあなたが変わることはないだろう。
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ニサルガダッタは、いいです。

> 何をしようとあなたが変わることはないだろう。
> なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。
> あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
> だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。

こういうことを、これまで聞いたことがなかったなぁ。(-_-;)

単に、聞こえなかっただけかもしれないけど……。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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