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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.179 2007/09/09(第179号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在964名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「誰が仕事をしているのか?」

2.写経ニサルガダッタ:【40 真我だけが実在だ】の1

3.いただいたお手紙から:パールさん

4.編集後記:明日は、地域の草刈りです。(^_-)
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■ 1.「誰が仕事をしているのか?」
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台風一過ですね。

今日は青空。

日の光に満ちた庭の緑の上を、紋白蝶がちらちらと舞っています。

わたしが見る風景は、わたしの無知なんだそうですが、なんか、平和な無知を
前にして、比較的平和な非在の世界に浸っています。

いやー、平和っていいもんですね……、とも言いませんが、わたしが自らの必
要で投影している目の前の幻想が、それなりに平和な風景を展開してくれてい
ることは、ありがたいことです。

一昨日は豪雨の中で茶色に膨れあがった濁流も、昨日散歩したときはもうただ
の薄緑色に濁った太い川に戻っていました。

今も蝉の声に混ざって流れの音を響かせながら、普段の倍ほどの川幅でちろち
ろと光を反射しています。

台風はもう北海道を通り過ぎたのでしょうか……。

……現象世界が無くなることはないんですね。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

世界がそれとして消えて無くなるということはない……。

また、世界を変えることができるわけでもない。

アセンションがあろうが、UFOの大量着陸が起ころうが、集合意識が映し出
している映画の一場面であることに変わりはないでしょうから。

やはりそこにも矛盾はあるでしょうし、期待も欲望も存在するのでしょう。

期待も欲望もあるなら、葛藤はふんだんに存在するわけで、葛藤があるなら、
挫折にも恐怖にもこと欠かないわけでしょう。

結局のところ、世界は永遠に続く……。

世界が自ら自己処理し、自己清算して、自ら消えていくことはないわけですか
ら。

そして、むろん、「私は在る」。

「わたし」は唯一の実在として常在しているので、すべては「わたし」在るが
ゆえにある。

じつは「わたし」しか実在しない。

永遠に続く世界が現前しているのは、まさに「わたし」に対してでした。

神なる「わたし」が投影し、見者なる「わたし」がそれを見ているのでしょう
か。

あるいは、無辺無量のわたしたちが自発的に創造しているものを、わたしたち
は神の創造と呼んでいるのでしょうか。

しかし、いずれにしろ世界は永遠に続く……。

世界はひとりでに起こる……と言っても同じことです。

わたしたちはこの映画を楽しむことはできても、この映画を変えることはでき
ないらしい。

むろん、この映画を“救う”ことなど誰にもできません。

それこそニサルガダッタなら言うでしょう。

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 概して世界は助けを必要としない。
                          『私は在る』(p157)
                       http://tinyurl.com/s747u
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と。^^;

ニサルガダッタは「責任」について、こういうことを言っています。

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 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。(p469)
----------------------------------------------------------------------

……わたしに変えられるのは、わたしの態度だけ。(-_-)

いずれにしろ世界は永遠に続く……。

その世界は、わたしに対して起こっています。

ところが、わたしは世界を変えることはできないのだという……。

でも……、なぜできないんだろう? (?_?)

なぜなら、わたしが世界という夢を見ているからだ、って言うんですよねぇ。

そして、「わたし」は実在だけど、わたしが見ている夢はじつは存在しないん
だって。

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 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。(p471)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

こんな頓狂な話、最初は何を言うか、って思っていたけど……、けっこう、は
まってみると、なんだかほんとにそんな気がしてきちゃって。

で、ま、そのこと自体は、いいんだけど……。

そうなってみても、やっぱりわからないのは、でもこの世でも存在しているん
だから、この世の仕事もしなきゃならないでしょってこと。(-_-;)

そりゃ、あなたは夢を見ているんだって言われりゃ、そんな気もします。

それは認めてもいいんだけど、でも夢の中でも生きている以上、夢のなかでも
生計は立てなきゃならないじゃん……。

え、違うの?! (@_@)

だあって、だって、この世の仕事をする以上、この世のルールにしたがって働
かなけりゃならないじゃん。

夢は存在しないんだから、そこでは死んでもいいんだって、そう言いたいわけ
でもないんでしょ。

その辺、いったい、どうなってんの?

そう思うから、この人↓も、こう訊いているわけじゃん。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 すべてが起こるだけなら、どうして心配しなければならないのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 まさしくそのとおりだ。
 自由とは心配からの自由なのだ。
 あなたが結果に影響を与えることはできないと自覚したからには、欲望と恐
 れに注意を払うことはやめなさい。
 それらを来ては去っていかせなさい。
 それらに興味や注意といった栄養を与えて助長してはならない。(p500)
----------------------------------------------------------------------

そりゃわかりますよ。

そりゃそうだけど……。(;_;)

----------------------------------------------------------------------
 質問者 もし私が起こっていることから注意を背けたなら、何によって私は
     生活していけばいいのでしょうか?(p500)
----------------------------------------------------------------------

ほらー、この人だって、こう訊いてるー。

----------------------------------------------------------------------
 マハラジ
 またしてもそれは「もし私が夢を見るのを止めたら、どうすればいいのでし
 ょう?」と尋ねるようなものだ。(p500)
----------------------------------------------------------------------

アチャ。(>_<)

----------------------------------------------------------------------
 止まりなさい。
 そして見るのだ。
 「次は何か?」と心配する必要はないのだ。
 つねに次はやってくる。
 生命ははじまりも終わりもしない。
 不動でありながら、それは動き、一時的でありながら、それは継続していく
 のだ。
 数えきれないほどの画像が投影されたとしても、光が使い尽くされることは
 ない。
 生命もまたあらゆる形態をいっぱいに満たし、その形態が崩壊したとき、そ
 の源に戻っていくのだ。(p500)
----------------------------------------------------------------------

そりゃ、そうだろうけど……、なんか、梯子の段が一段抜けてるよなーって、
思ってました。

まあ、マハラジにその瞬間働いた叡智がそのような言葉を編みだすしかなかっ
のだから、仕方ないけど……。

と思いながら、当面、“夢の中での処世用”と“夢からの脱出用”のダブルス
タンダードで行くより仕方ないか、と思っていたのですが……。

けっこう、気にしていると、出てくるもんで……。

こんどは、ラマナ・マハルシが老婆親切の手を差し伸べてくれました。

----------------------------------------------------------------------
 マハルシ
 真我に注意を払うということは、仕事に注意を払うということである。
 
           『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p238)
                      http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------

おおっ!! (@_@)

> 真我に注意を払うということは、仕事に注意を払うということである。

これって、いいじゃん。

なになに。(@_@)O

----------------------------------------------------------------------
 あなたはあなた自身を身体と同一視しているため、仕事があなたによってな
 されていると考えるのだ。(p238)
----------------------------------------------------------------------

ありゃりゃ、まったく同じことを言ってる。(@_@) (←当たり前でしょ。)

じゃ、仕事はわたしによってなされているわけじゃないんだ……。

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 けれども、身体、そして仕事も含めたその活動性は、真我から離れてあるの
 ではない。
 あなたが仕事に注意を払おうと払うまいとそれが何の役に立とう?
 ある地点からある地点へと歩くとき、あなたが一歩一歩に注意を払わなくて
 も、時間が過ぎればその地点に着いているだろう。
 あなたの注意がなくとも、いかに歩くということがつづけられているかが、
 わかるだろう。
 他の仕事についてもまた同じことである。(p238)
----------------------------------------------------------------------

ふーん。(-_-)

----------------------------------------------------------------------
 質問者 もし真我を心の中に保ち続けていれば、その人の行為はつねに正し
     いものとなるのでしょうか?
 
 マハルシ
 そうあって当然である。
 しかしながら、そのような人は行為が正しいかどうかを心配したりはしない。
 彼の行為は神の行為であり、それゆえ正しいのである。(p238)
----------------------------------------------------------------------

へー……。

このひと、これで満足したのかな?

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 質問者 他の人たちよりも思考を使う仕事をしながら、どうやって心を静か
     に保てるのでしょうか? 私は校長の地位を捨てて隠遁したいので
     す。(p238)
----------------------------------------------------------------------

このひと、学校の校長先生なんだ……。

で、マハルシはなんと答えるのかしら。

----------------------------------------------------------------------
 マハルシ
 いいや。
 今いる場を離れず、仕事をつづけるがいい。
 心に生気を与え、あらゆる仕事をこなすようにさせる何かが底辺に流れてい
 る。
 それは何だろうか?
 真我である。
 真我こそがあなたの活動性の真の源である。
 仕事をしている間も、ただそれに気づいていなさい。
 それを忘れてはならない。
 たとえ仕事をしている間でも、心の奥では真我に瞑想しつづけなさい。
 そうするためにはじゅうぶん時間をとり、急いではならない。
 仕事を続けていようとも、あなたの真の本性を生き生きと心に刻みこみなさ
 い。
 そしてそれを忘れないためにも、あわててはならない。
 落ち着きなさい。
 心を静めるためにも瞑想を修練しなさい。
 瞑想が、仕事と仕事を支えている真我との真の関係に気づくようにさせるだ
 ろう。
 仕事をしているのはあなただなどと想像してはならない。
 底辺に流れているもの、それが仕事をしていると考えなさい。
 その流れと一体となりなさい。
 もし急がず、心を落ち着かせて働けば、仕事は妨げにならないだろう。
 
         『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p238-239)
                      http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-)

> 真我こそがあなたの活動性の真の源である。
> 仕事をしている間も、ただそれに気づいていなさい。

かぁ。

> 仕事をしているのはあなただなどと想像してはならない。

なるほど。

> 底辺に流れているもの、それが仕事をしていると考えなさい。
> その流れと一体となりなさい。
> もし急がず、心を落ち着かせて働けば、仕事は妨げにならないだろう。

……そういうことが、できるかな。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 霊的修行の初期段階では、生活の義務を放棄して孤独を求めること
     は助けとなるのではないでしょうか?
 
 マハルシ
 放棄とは心のなかにあり、義務や責任を捨てて森林や人里離れたところに入
 っていくことではない。
 重要なことは心が外側を向かず、内側へと向かうことである。
 それは本当に、あなたが仕事を放棄するかしないか、この場所へ行くかあの
 場所へ行くかといった問題ではない。
 そういったことはすべて運命にしたがって起こる。
 身体が通り抜けるすべての行動は、それが生まれたときに決定されているの
 である。
 唯一あなたに与えられた自由は、心を内面へと向け、そこで活動を放棄する
 ことだけである。
 
         『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p364-365)
                      http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------

なんと……。(@_@)

> 放棄とは心のなかにあり、義務や責任を捨てて森林や人里離れたところに入
> っていくことではない。

うん、このことは和尚に何度も教わった。

> 重要なことは心が外側を向かず、内側へと向かうことである。

なるほど。

「重要なことは心が外側を向かず、内側へと向かうこと」

> それは本当に、あなたが仕事を放棄するかしないか、この場所へ行くかあの
> 場所へ行くかといった問題ではない。
> そういったことはすべて運命にしたがって起こる。

(@_@)

そういうことは「すべて運命にしたがって起こる」のか。

> 身体が通り抜けるすべての行動は、それが生まれたときに決定されているの
> である。

なんと……。(*_*)

「身体が通り抜けるすべての行動は、それ(=身体)が生まれたときに決定さ
 れている」

> 唯一あなたに与えられた自由は、心を内面へと向け、そこで活動を放棄する
> ことだけである。

だから、それがわたしの「責任」なのか。

----------------------------------------------------------------------
 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。(p469)
 
 https://www.ascensionkan.com/ndic/words4.html#469-18
----------------------------------------------------------------------

そういえば、『神の使者』のなかのどこかで、Jは、あなたがどんなに心配し
たところで、あなたの命を一秒たりとも延ばすことができようか? みたいな
ことを言っていたようだけど。

やっぱり、映画のなかの登場人物に、映画のシナリオを変更することはできな
いのかなぁ。

黒澤明の『姿三四郎』中に入った藤田進に、勝敗を左右する権限はないような
もんか。

セルロイドイリュージョンともなれば、勝敗どころか、一言の科白を変更する
自由もないけど……。

そこは、3Dウルトラリアルのわれわれの夢は、「身体が通り抜けるすべての
行動」は変更できないけど、「態度」だけは変更できるというわけか。(-_-)

……そんなことを思いながら、

> 真我に注意を払うということは、仕事に注意を払うということである。

というマハルシの言葉を思いだしたんですよ。

> 心に生気を与え、あらゆる仕事をこなすようにさせる何かが底辺に流れてい
> る。
> それは何だろうか?
> 真我である。
> 真我こそがあなたの活動性の真の源である。
> 仕事をしている間も、ただそれに気づいていなさい。

って。

> 底辺に流れているもの、それが仕事をしていると考えなさい。

って言うんでしょ。

和尚に似たようなことを言われてもそんなことやったことなかったけど……。

ふっと、その気になって、ちょっとやってみたんですよね、いつもの仕事をし
ながら……。

いつもは、仕事をするときは、生存のためにしょうがなくやるんだ、と思って
いたんだけど。

仕事をするときはエゴとしてやるしかないもんだと思っていたから。

でも、

> 底辺に流れているもの、それが仕事をしていると考えなさい。

とマハルシが言うから、ちょっと、その気になって、いつもと同じ仕事をしな
がら……、

          「誰が仕事をしているのか?」

って、言ってみたんです。

……むろん、「エゴです」って言ってもいいんだけど。

これで、けっこう、プライド高いしね。(^_-)

なにもわざわざ、意図して「エゴ」の振りをしなくてもいいだろうって気もし
たし……。

それで、仕事をしている間、ずっと

          「誰が仕事をしているのか?」

って、言ってたんですよね。

そしたら、そんな内面で、けっこう、ロボットが仕事をやっちゃうのね。(@_@)

かえって、いつもより、ずっと仕事がはかどっちゃって。

          「誰が仕事をしているのか?」

って、言いながら、簡単に仕事が終わっちゃった。

あーあ、笑ちゃった。(^^;)

馬鹿みたい。

あ。(@_@)

もっとも、車を運転したりしながらこんなことをすると、ヤバイのかもしれま
せんよ。

あるいは安全なのかもしれませんが。

そのへんは、どうぞその、なにとぞ……。(^_-)

えへへ。

……。(-_-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【40 真我だけが実在だ】の前半
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ニサルガ師匠の写経というものを始めたとき、ほとんどいちばん最初にとりあ
げた章なんです。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol114.html#2

最初が良太さんに声をかけていただいた113号ですから。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol113.html#2

まさか、こんなに永く写経することになるとも思っていなかったですけど。

でも、この【40 真我だけが実在だ】という章、とっても景気がいいし、気持
ちがいいんですよね。

114号では、ほんの最初の部分だけをとりあげたもんだから、もう一度、全文
を写経します。

あの「世界は華麗にきらめく空虚なショーだ」で始まる、景気のいい章です。

でも、最初のあの頃とはまたひと味違った、単なる言葉だけでとも言えないよ
うな、ある種の“当たり前”という感じがするかもしれません。

もういちど、今度は全文をたどってみましょう。

では、【40 真我だけが実在だ】の前半です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 マハラジ
 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
 それは在り、しかもそれはない。
 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。
 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
 それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
 それは私たちが放心しているときに起こる。
 まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。
 ただその傍観者だけが実在なのだ。
 彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
 真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れられてしまう、
 ただの色鮮やかなショーにすぎない。
 何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、あるいは
 笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと知っている。
 欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。
 
 質問者 世界の中に浸かっている人は、多くの味わいを持っています。彼は
     泣き、笑い、愛し、そして憎み、切望し、また恐れ、苦しみ、そし
     て楽しみます。無欲で恐れのないジニャーニ、彼の人生はどのよう
     なものなのでしょう? 彼は冷淡で無味乾燥とした高みにひとり超
     然としているのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼の境地はそのような寂しいものではない。
 それは純粋で、原因がなく、希釈されない至福なのだ。
 彼は幸福であり、幸福が彼の本質そのものなのだ。
 彼はそれを守るために闘うことも、何をする必要もない。
 幸福は彼にしたがい、身体よりも真実で、マインドよりも身近かなのだ。
 あなたは、原因なしで幸福はありえないと想像している。
 私から見れば、幸福のために何かに依存することはまったく悲惨なことだ。
 快楽と苦痛には原因がある。
 一方、私の境地は私自身のものであり、まったく原因がなく、独立した、疑
 う余地のないものだ。
 
 質問者 舞台上の劇のようにでしょうか?
 
 マハラジ
 劇は作品として書かれ、計画され、稽古されたものだ。
 世界はただ無から存在の中へと立ち現れ、無へと帰っていく。
 
 質問者 創造者はいないのでしょうか? 世界は創造される前には、創造神
     ブラフマーのマインドのなかにあったのではないでしょうか?
 
 マハラジ
 私の境地の外にいるかぎり、あなたは創造神、維持神、破壊神をもつだろう。
 しかし、ひとたび私とともにあるならば、あなたは真我だけを知り、すべて
 のなかにあなた自身を見るだろう。
 
 質問者 それでも、あなたは世界のなかで機能しています。
 
 マハラジ
 めまいがするとき、世界はあなたのまわりで輪を描いているかのように見え
 る。
 手段と目標、仕事と目的という観念に取りつかれて、あなたは私が一見機能
 しているかのように見るだろう。
 実際には、私はただ見ているだけだ。
 何であれ、為されることは舞台上で為されているのだ。
 喜びと悲しみ、生と死、束縛された人にとってそれらはすべて現実だ。
 私にとって、それらはすべてショーだ。
 ショーそのもののように非現実なのだ。
 
 私はあなたのように世界を知覚するかも知れないが、あなたはそのなかにい
 ると信じ切っている。
 ところが、私は世界を広大な意識の広がりのなかの、ひとつの真珠のつぶと
 してしか見ていないのだ。
 
 質問者 私たちは皆年老いていきます。あらゆる痛みや苦痛、弱さ、そして
     死が近づいてきます。老年は快いものではありません。ジニャーニ
     はひとりの老人としてどう感じるのでしょうか? 彼の内なる自己
     は彼自身の老衰をどう見ているのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼は年を追うにしたがって、もっともっと幸せに、そして平安になっていく。
 つまるところ、彼は古巣に戻るのだ。
 目的地に近づいた旅人が、荷物をまとめ、心残りもなく列車を去っていくよ
 うに。
 
 質問者 明らかにそこには矛盾があります。ジニャーニはすべての変化を超
     えていると私たちは聞いています。彼の幸福は強くなることも、衰
     えることもありません。どうして身体的衰弱にもかかわらず、年を
     とるにつれて彼はより幸福になるのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこに矛盾はない。
 運命の一巻は終わりを告げようとしている――マインドは嬉しいのだ。
 身体的存在の霧は晴れようとしている――身体の重荷は日に日に減少してい
 くのだ。
 
 質問者 ジニャーニが病気だとしましょう。彼は風邪をひき、関節のあちこ
     ちが痛み、焼けるようです。彼のマインドの状態はどうなのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 あらゆる感覚は完全な平静さとともに観照される。
 そこには何の欲望も拒絶もない。
 それはあるがままであり、彼はそれを愛情のこもった無執着の微笑みととも
 に見るのだ。
 
 質問者 彼は苦しみに対して超然としているかもしれませんが、それでも、
     それはそこにあるのです。
 
 マハラジ
 それはそこにある。
 だが、それは問題ではない。
 いかなる状態にいようとも、私はそれをあるがままのマインドの状態として
 見るのだ。
 
 質問者 痛みは痛みです。あなたはやはり体験するのです。
 
 マハラジ
 身体を体験する人は、その苦痛と快楽を体験するだろう。
 私は身体でも、身体を体験する人でもないのだ。
 
 質問者 では、あなたが二十五歳の青年だとします。あなたの結婚が準備さ
     れ、行われました。そして家庭生活の義務があなたの上にのしかか
     ってきます。あなたはどう感じるでしょうか?
 
 マハラジ
 たった今、私が感じているようにだ。
 あなたは私の内的状態が、外的出来事によって形づくられると主張しつづけ
 ている。
 それはただそうではないのだ。
 何が起ころうと、私は変わらないままだ。
 私の存在の根底には気づきが、強烈な光の点が在る。
 この点がその本性によって輝き、空間のなかには画像を、時間のなかには出
 来事を、努力することなく自発的につくり出す。
 それを単に気づいているだけならば、問題はない。
 しかし、分別心が存在の中に現れ、区別をつくり出すと、苦痛と快楽が立ち
 現れる。
 眠りの間、マインドは停止しているため、苦痛や快楽も停止している。
 創造の過程は継続するが、注目はされない。
 マインドは意識のひとつの形であり、意識は生命のひとつの相だ。
 生命がすべてをつくり出す。
 しかし、至高なるものはすべてを超えた彼方にあるのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p196-199)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-)

……いやー、やっぱり、いいですねぇ。

> マハラジ
> 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。

この出だしが最高に素敵……。

> それは在り、しかもそれはない。
> 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。
> 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。

ほんとは、こうなんだ。

わたしは“気にかけっぱなし”の状態なわけか。

> それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
> それは私たちが放心しているときに起こる。

わたしは“放心しっぱなし”ということか。

> まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。

「何の深みも意味もない」

あたい、この言葉好きぃ。(←やめろ、涎を垂らすな。(>_<) )

> ただその傍観者だけが実在なのだ。

そうなんだ。

> 彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
> 真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れられてしまう、
> ただの色鮮やかなショーにすぎない。

それが元々の姿か……。

> 何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、あるいは
> 笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと知っている。
> 欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。

うん。

> 質問者 世界の中に浸かっている人は、多くの味わいを持っています。彼は
>     泣き、笑い、愛し、そして憎み、切望し、また恐れ、苦しみ、そし
>     て楽しみます。無欲で恐れのないジニャーニ、彼の人生はどのよう
>     なものなのでしょう? 彼は冷淡で無味乾燥とした高みにひとり超
>     然としているのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 彼の境地はそのような寂しいものではない。

この言い方。

> それは純粋で、原因がなく、希釈されない至福なのだ。
> 彼は幸福であり、幸福が彼の本質そのものなのだ。
> 彼はそれを守るために闘うことも、何をする必要もない。
> 幸福は彼にしたがい、身体よりも真実で、マインドよりも身近かなのだ。

いいよなぁ。

みんなここに戻りたいわけだよなぁ。

> あなたは、原因なしで幸福はありえないと想像している。
> 私から見れば、幸福のために何かに依存することはまったく悲惨なことだ。

うん、そんな気がしてきたよ。

> 快楽と苦痛には原因がある。
> 一方、私の境地は私自身のものであり、まったく原因がなく、独立した、疑
> う余地のないものだ。

そうか。

> 質問者 舞台上の劇のようにでしょうか?
> 
> マハラジ
> 劇は作品として書かれ、計画され、稽古されたものだ。

うん。(@_@)O

> 世界はただ無から存在の中へと立ち現れ、無へと帰っていく。

おお……。

> 質問者 創造者はいないのでしょうか? 世界は創造される前には、創造神
>     ブラフマーのマインドのなかにあったのではないでしょうか?

ヒンドゥの教えなんだろうな。

> マハラジ
> 私の境地の外にいるかぎり、あなたは創造神、維持神、破壊神をもつだろう。

ニサルガダッタは、あらゆるレギュレーション(規範)の外にいる。

> しかし、ひとたび私とともにあるならば、あなたは真我だけを知り、すべて
> のなかにあなた自身を見るだろう。

うーむ。

なんか……、『神の使者』のJの位置と同じみたい。

> 質問者 それでも、あなたは世界のなかで機能しています。

そりゃ、間近にいれば、どうしてもそう見えちゃうんだろうな。

> マハラジ
> めまいがするとき、世界はあなたのまわりで輪を描いているかのように見え
> る。
> 手段と目標、仕事と目的という観念に取りつかれて、あなたは私が一見機能
> しているかのように見るだろう。
> 実際には、私はただ見ているだけだ。

これが、われわれにはわからん。

> 何であれ、為されることは舞台上で為されているのだ。

映画の中で起こっている。

> 喜びと悲しみ、生と死、束縛された人にとってそれらはすべて現実だ。

うん。(;_;)

> 私にとって、それらはすべてショーだ。
> ショーそのもののように非現実なのだ。

そうか……。

> 私はあなたのように世界を知覚するかも知れないが、あなたはそのなかにい
> ると信じ切っている。
> ところが、私は世界を広大な意識の広がりのなかの、ひとつの真珠のつぶと
> してしか見ていないのだ。

そういうことか。

オコツトの言う内面か。

> 質問者 私たちは皆年老いていきます。あらゆる痛みや苦痛、弱さ、そして
>     死が近づいてきます。老年は快いものではありません。ジニャーニ
>     はひとりの老人としてどう感じるのでしょうか? 彼の内なる自己
>     は彼自身の老衰をどう見ているのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 彼は年を追うにしたがって、もっともっと幸せに、そして平安になっていく。
> つまるところ、彼は古巣に戻るのだ。
> 目的地に近づいた旅人が、荷物をまとめ、心残りもなく列車を去っていくよ
> うに。

このいそいそとした言い方。^^;

> 質問者 明らかにそこには矛盾があります。ジニャーニはすべての変化を超
>     えていると私たちは聞いています。彼の幸福は強くなることも、衰
>     えることもありません。どうして身体的衰弱にもかかわらず、年を
>     とるにつれて彼はより幸福になるのでしょうか?

ふふ、理論派だね、このひと。(^_-)

> マハラジ
> そこに矛盾はない。
> 運命の一巻は終わりを告げようとしている――マインドは嬉しいのだ。

そうか、「マインドは嬉しい」のか。

> 身体的存在の霧は晴れようとしている――身体の重荷は日に日に減少してい
> くのだ。

それは、言える。(だろうな。_(._.)_)

> 質問者 ジニャーニが病気だとしましょう。彼は風邪をひき、関節のあちこ
>     ちが痛み、焼けるようです。彼のマインドの状態はどうなのでしょ
>     うか?

ふふ、簡単には引き下がらない。(^_-)

> マハラジ
> あらゆる感覚は完全な平静さとともに観照される。
> そこには何の欲望も拒絶もない。
> それはあるがままであり、彼はそれを愛情のこもった無執着の微笑みととも
> に見るのだ。

そうか。

> 質問者 彼は苦しみに対して超然としているかもしれませんが、それでも、
>     それはそこにあるのです。
> 
> マハラジ
> それはそこにある。
> だが、それは問題ではない。
> いかなる状態にいようとも、私はそれをあるがままのマインドの状態として
> 見るのだ。

「わたし」はマインドではないのだから。

> 質問者 痛みは痛みです。あなたはやはり体験するのです。
> 
> マハラジ
> 身体を体験する人は、その苦痛と快楽を体験するだろう。

そう。

> 私は身体でも、身体を体験する人でもないのだ。

そう。(-_-;)(←偉そうに。(^_-))

> 質問者 では、あなたが二十五歳の青年だとします。あなたの結婚が準備さ
>     れ、行われました。そして家庭生活の義務があなたの上にのしかか
>     ってきます。あなたはどう感じるでしょうか?

はは、こんどは新手で来た。

> マハラジ
> たった今、私が感じているようにだ。

うん。

同じださ、そりゃ。

> あなたは私の内的状態が、外的出来事によって形づくられると主張しつづけ
> ている。

まったく。

> それはただそうではないのだ。
> 何が起ころうと、私は変わらないままだ。

何が起ころうと、変わる必要がない。

> 私の存在の根底には気づきが、強烈な光の点が在る。

うん? (@_@)O

> この点がその本性によって輝き、空間のなかには画像を、時間のなかには出
> 来事を、努力することなく自発的につくり出す。

ほー。

> それを単に気づいているだけならば、問題はない。

うん。

> しかし、分別心が存在の中に現れ、区別をつくり出すと、苦痛と快楽が立ち
> 現れる。

ああ、なるほど。

> 眠りの間、マインドは停止しているため、苦痛や快楽も停止している。

うん。

> 創造の過程は継続するが、注目はされない。

なるほど。

> マインドは意識のひとつの形であり、意識は生命のひとつの相だ。

「意識は生命のひとつの相」、いわれを聞けばありがたや。(-||-)

> 生命がすべてをつくり出す。

「生命がすべてをつくり出す」

> しかし、至高なるものはすべてを超えた彼方にあるのだ。

ああ……。(/_;)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………


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■ 3.いただいたお手紙から:パールさん
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちら↓でも結構ですよ。
parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


        …………○…………○…………○…………


今回は、パールさんからアセンション関連情報をお知らせいただきました。

早速、ご紹介させていただきます。

【件名】: アセンション情報です。
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 今晩は パールです。
 下記のサイトをご覧下さい。
 アセンションが11日にある、とのことです。
 http://suzakunoibuki.blog7.fc2.com/#top
 あと9日しかありません。
 どのようになるのか今の私にはさっぱりわかりませんが、喜びに満ちて新し
 き時を迎えたい。
 待ちに待った、このときです。本当に長いこと待ちました。
 私もアセンションできる仲間であるだろう!!!
 そして志を同じにしたかっての友人たち、そしてPariさんのブログのファン
 の方々も一緒にアセンションへGO!!!
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パールさん、掲載させていただきました。

(ところでこのメール、もしかして先週いただいていたんですかね。(?_?) )

パールさん、いつもポジティヴな情報をありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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【糖尿病 万病の元】

先週の日曜日、9月2日の朝日新聞をご覧になりました?

第一面トップ記事タイトルは「糖尿病 万病の元」というものでした。(@_@)
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 アルツハイマー4.6倍 がん死亡3.1倍 心筋梗塞2.1倍
 九大教授ら15年追跡
----------------------------------------------------
という小見出しが付いています。

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 糖尿病やその「予備群」の人は、そうでない人よりアルツハイマー病になる
 危険性が4.6倍高いことが、九州大の清原裕教授(環境医学)らの研究で
 わかった。福岡県久山町の住民約800人を15年間、追跡して分析した。
 がんや脳梗塞(こうそく)、心臓病も発病しやすいという。糖尿病が、失明
 などの合併症に加え、様々な病気の温床になることが浮かび、その対策の重
 要性が改めて示された。
 
 九大は久山町で1961年から住民健診をして、生活習慣や体質と病気の関
 係を研究。死亡した場合には解剖への協力を求めている。
 ……
 15年間に188人が認知症を発症し、うち93人がアルツハイマー病だっ
 た。画像検査のほか、死亡した145人は9割以上を解剖して確定診断をし
 た。
 ……
 清原さんによると、脳にたまってアルツハイマー病を引き起こすとされる物
 質は、インスリン分解酵素によって分解される。耐糖能異常の人はインスリ
 ンが少ない場合が多く、分解酵素も減るので、アルツハイマー病の危険性が
 高まるという。
 
 解剖などによる確定診断に基づいたアルツハイマー病研究で、これほどの規
 模のものは世界でも例がないという。
 
 また、別に40〜79歳の約2400人を88年から12年間追跡し、糖尿
 病とがん、脳梗塞などとの関係も調べた。その結果、糖尿病の人は、そうで
 ない人よりがん死亡の危険性が3.1倍高く、脳梗塞も1.9倍、心筋梗塞
 など虚血性心疾患も2.1倍高かった。
 
 ホームページ・アドレスは
 http://www.asahi.com/science/update/0901/TKY200709010236.html
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地球人の寿命延長と高齢化社会への最先端を突っ走る日本でこそ、顕在化しつ
つある現象です。

糖尿病というのは血糖値が下がり切らない病気です。

人類のこれまでの闘いはすべて飢餓との闘い、いわば血糖値を上げるための闘
いだったと言っていいでしょう。

ここにきてどうしようもない【栄養の取りすぎ】と【運動不足】が、江戸時代
なら殿様しかなりえない贅沢病を国民病に仕立て上げたというわけです。^^;

しかもそれが【万病の元】であることがわかってきた、と。

        …………○…………○…………○…………

住所をお知らせいただいた方に「デトックス」情報のDVDをお送りします。

返送用の封筒も同封してありますので、見終わったらそれに入れて返信してい
ただいて結構です。登録するかどうかは、取りあえず白紙でお考えください。

▼「デトックス」篇DVD資料請求フォーム
ここをクリック⇒http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P31478903

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■ 4.編集後記:明日は、地域の草刈りです。(^_-)
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明日は、地域の草刈りです。

↑ちょっと、聞いたことがあるような感じでしょ。^^;

去年は、この後、二ヶ月ほど配信が途絶えたのでした。

悪運強く、また舞い戻ってきましたが。

今日は、その先例があるので、とっても早く終えました。

まだ日が落ちていません。

それでは、おやすみなさい。(と言うのかな? (^_-))


<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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