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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.184 2007/10/14(第184号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在980名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.<すべては今この瞬間に起きている>

2.写経ニサルガダッタ:
        【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】の1

3.ネットワークビジネス・ミニ講座:【「流通人」への受け皿】

4.「ご投稿・情報提供」:パールさん、ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:「運命と恩寵は絶対的に同じものだ」と言うのなら
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■ 1.<すべては今この瞬間に起きている>
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つくずく……このメルマガは少し変わっているな、という気がします。

書いている当人が何かがわかっていて、そのことを伝えたいがために書いてい
るというわけでもない……。

当人が何もわかっていない……。

……というか、それが“当人”だという誤解から抜けだしたいものだ……とい
う思考がそこにあるだけ……とか。^^;

あるいは、これからどんな時代が来るよ!、と知ったかぶりで宣伝しよう、と
いうのでもない……。

当人が何も知らない……。

……というか、どんな時代が来たところで風景は永遠に変わりつづけるだけ、
その風景のなかに何かの実質があるわけではないのだ……と理解したいものだ
という思考がそこにあるだけ……とか。

あるいはまた、何か具体的に獲得できる“効用”みたいなものがあって、これ
はいいよ!、と宣伝しているわけでもない……。

当人が何ももっていない……。

……というか、ありうる可能性のすべてを、現状ですでにもっているのだとい
うことを、現状で何ひとつ欠けたものはないのだということを……理解したい
ものだという思考がそこにあるだけ……とか。

だって……“誰にしろ”「私は在る」を獲得することはできませんからね。

なにしろ、それは“誰にとっても”すでに現状なので。

だから……、ちょっと変なんですよねぇ。(-_-;)

なんで書いているんだろう……? (-_-)

……でも、やっぱり……、幸せを求めて書いているんだろうなぁ。

これ以上「幸せ」になるための条件をかき集めよう……というんじゃなくて、
可能なかぎり、いや、マインドの想像を絶して、すでに幸せなんだ……という
ことを理解したいと……思っているんだろうかなぁ。(-_-;)

ふ。^^;

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

もうじきこの次元の耐用年数が尽きて、いわば骨粗鬆症になって実質が消えて
いくのだとかいう噂がありますが、この次元の“実質”というのはなんだろう
と思うと……、それはやっぱり、ひとつには「時間」だろうと思います。

精神世界情報に少しでも触れると、どこかで必ず“「時間」は幻想だ”という
言葉を耳にすると思います。

そして、もしかしたら、そのとき同時に、“現在は「時間」の一部ではない”
という表現も聞かされるかもしれません。

過去から未来に向かって一直線に連なっている時間……。

われわれこの次元の住人にはこれほど実体的に感じられる「時間」が、じつは
たんなるひとつの偽りの観念にすぎない、というわけです。

たしかに、夢のなかには時間の感覚がないような気もしますね。

それは、夢のなかでは“思い”と“現象”の間に“ズレ”がないからかもしれ
ません。

“思い”と、それに対応する“現象”の顕現との間に場面の“ズレ”がなけれ
ば、その二つをつなぐためのインデックスとして「時間」が発明される必要が
ないとも言えます。

「記憶」の必要がないわけでしょうから。

現象化を望む“思い”が満たされずに残って“欲望”となり、その“欲望”を
維持するための“記憶”が必要になる。

すると今度は、その“記憶”を整理する装置として“時間”というインデック
スが構想される……。

その必要が緻密になればなるほど、“記憶”を整理・保管する“時間”という
インデックスも精緻な構造をもたざるをえない。

もともと、“時間”のなかに「秒」とか「ナノセカンド」とかいう構造が存在
していて、われわれ人間の叡智がその真理に分け入っている……というわけで
はなく、たんに“必要”に応じて新たな細分化を想像(=創造)しているだけ、
というわけです。

(@_@)

しかし、考えてみたら、いかにもありそうな話ですね。

じっさい、一日の長さが“ワカッタ”のは、いつの頃だったか……。(-_-;)

わたしの場合は、おくてだったのか、一日の長さをはじめて意識したのは、た
しか、小学校の四年生頃だったような気がします。

一日の長さが“ワカッタ”からと言って、別に、その分、幸福になったという
わけじゃありませんが。(^_-)

むしろ、二度と再び、それまでの幸福を回復することはできなかった……、と
でも言った方がいいのか。(-_-)

一日の長さが“ワカッタ”というのは、考えようによっては、わたしの人生が
“欲望”のシステムに組み込まれた……、というのとパラレルなのかもしれま
せんね。

ちゃんとしたエゴになったということでしょうか……。(;_;)

それから……、精神世界情報で最近(というか2000年以降)とみに聞かれるよ
うになってきた言葉に、われわれは真理を発見しているわけではなく、世界を
創造しているのだ、というのがあると思います。

われわれ地球人類も「ここいらで大人になりなさい」というわけでしょうか、
だいぶ“足場”を取り外されてきているみたいですね。(^_-)

そんなこんなで、ここでずいぶん暴露されてきているのは、けっきょく、既成
の“真実”があってそれがあなたの発見を待っている……、という図式の終焉
が始まったということでしょうか。

そうじゃなくて、あなたの“意図”が、というか、より端的に言うなら、あな
たの“欲望”がすべてを決定している、ということがますます明白になりつつ
ある海域にわれわれは突き進んでいるような気がする。

もしも、万が一、わたしの“欲望”がすべてを決定している……、のだとした
ら、いったい、どういうことになるのか……。(-_-;)

もしも、万が一、わたしの“欲望”がすべてを決定していることがはっきりし
てしまったら、わたしは、いったい、何を“欲望”すべきなのか……。

そういうことが自明になってくる海域では、われわれが、じつは同じ“世界”
を生きてはいないことが自明になってくるでしょうね。

これまでだって、少なくとも、われわれが同じ“欲望”を持っていないことは
自明だったわけですから。

でも、われわれは共通して、“欲望”を持たなければならないことには、同意
していました。

といか、むしろ、その“欲望”が“自分”なんだと思ってきた。

“欲望”が何かというなら、まあ、端的には、この目に見える肉体に自己同化
して、エゴとして生き延びたい、自己表現したい、ということでしょうね。

この“欲望”の正当性はこれまで疑われる必要がなかったし、実際に、例外的
にしか、疑われることもなかった。

ところが、いまやもはや高校生だってその“欲望”を担うことを重荷と感じ、
その“欲望”の正当性を疑っているわけです。

規制しても規制しても、雨後の竹の子のように「自殺サイト」が誕生するわけ
でしょ。

だいたい、持つことが重荷と思われるような“欲望”を、まともに“欲望”と
呼べるでしょうか……。

そして、“欲望”こそが“時間”という構造体の膠(にかわ)です。

つまり……、“時間”という構造体がバラケはじめて、“時間”の拘束力がゆ
るんできているのです。

過去にあったこと、歴史上存在したこと、人の身の上に起こったことが、未来
に、自分の身の上に起こるかもしれない、過去に、自分の身の上に起こったか
もしれない……。

そういうことが、薄いベールの向こうに透けて見えるような気がし始めている
のかもしれません。

……つまり、過去に起こったこと、未来に起こるかもしれないこと、というの
は、われわれが生存しているこの世界を叙述する言葉として無意味ではない、
という直感的な洞察がそこに起こっているわけでしょう。

それが西洋的、進化論的、直線的世界観から、東洋的、輪廻転生的、円環的、
世界観へのシフトというものだろうと思います。

そうしたら……、そこから、じつは、すべてはこの一瞬に起きている……、と
いう衝撃的洞察への距離は、想像するほど遠くはないのかもしれません。

そして、たとえ、単なる思考実験としてであれ、

         <すべては今この瞬間に起きている>

という前提を許容した瞬間、開けてくる論理的風景は、それまでとは、かなり
違ったものになってくるでしょう。

たとえば、いま地球で戦争というものが存在するのなら、それは、必ずしも、
われわれ地球人が未開で、地球が劣等星だから、まだ戦争を卒業できないでい
るからだ……ということではなく、宇宙がそのようなところだからだ……とい
うことになる、と。

たしかに、ニサルガダッタはそういう言い方をします。

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 ある場所、または他の場所で、ある形で、あるいは他の形で戦争は常に起こ
 っている。
 戦争の起こらなかったときがかつてあっただろうか?
 ある人はそれは神の意志だという。
 ある人は、それを神の戯れだと言う。
 それは戦争とは不可避であり、誰の責任でもないということの別の言い方に
 すぎない。
                          『私は在る』(p432)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

しかし、だからと言って、それは必ずしも“われわれ地球人が未開で、地球が
劣等星だから、まだ戦争を卒業できないでいるからだ”といった見解を否定・
排除しようというのではありません。

それはただ、そのような多様な見解を包含するだけでしょう。

なぜと言って、それが知覚の対象となりうるかぎり、宇宙はすべてを包含でき
るわけですから。

つまり、こういうことです。

過去から未来に向かって一直線に進む“時間”を信仰する進化論的宇宙観は、
<じつは、すべては今この瞬間に起きている>という理解(=事実)をシステ
ム内に取り込むことはできない、と。

しかし、<じつは、すべては今この瞬間に起きている>という理解は、たやす
く、過去から未来に向かって一直線に進む“時間”を信ずる進化論的宇宙観を
包摂できる、ということです。

そのような進化論的宇宙観も、いまこの瞬間に起こっているわけですから。

現象世界のなかに排他的に“正しい”理解というものはありえないでしょう。

存在(現象)する理解、存在(現象)する風景は、すべて“正しい”と思いま
す。

ただし、波動世界のなかに“正しい”波動と“間違った”波動の区別は存在で
きないにしても、波動間の包含関係は存在するでしょう。

つまり、絶対優位や絶対劣位の波動は存在できないのかもしれませんが、一瞬
一瞬に、相対“優位”の波動や、相対“劣位”の波動は存在するだろうと思い
ます。

ま、それかあらぬか、

         <すべては今この瞬間に起きている>

という理解は、知覚可能なあらゆる理解のなかでは、かぎりなく絶対優位に近
い波動なのかもしれません。

なんと言っても、あらゆる理解、あらゆる幻想の“外皮”をなしているようで
すから。

その意味では、それは

          <じつは、すべてはひとつである>

という理解と似たようなものかもしれません。

一瞬、意図的に想像(創造)されたわれわれの窮屈な幻想世界では、相対劣位
の波動(理解)となってはいても、総体的に見るなら、圧倒的な優位波動なの
かもしれません。

仮にそのように想像してみた場合、もし、

         <すべては今この瞬間に起きている>

のだとしたら……。

そこには、夢のような天国のお話があると同時に、カリバニズムも魔女狩りも、
イラク戦争も、そして……あの頃の悪夢も……、すべては今この瞬間に起きて
いるわけです。

しかも、そのすべてを今の今投影しているのが自分だと言うのなら……。

----------------------------------------------------------------------
 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
                          『私は在る』(p398)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-;)

見晴らし自体は、ずいぶんすっきりします。

考えることはそんなにない。

欲望すべきことも、そんなにあるとは思えない。

ただ“時間”という魔法が、すべてを複雑に見せているだけです。

ただ執着と、その結果の恐怖が、すべてを遅らせているだけ。

いろんな口実を設けて、マインドが必死に延命を画策しているだけ。

それだけだと……思います。

……。(-_-)

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
        【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】の1
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いやー、なかなか面白いんですよ。

今回の部分は、メチャクチャ論理的です。^^;

スートラ(経文)がメチャクチャ論理的だから、写経しているこっちも、後半
思いっきり、(日和ったんじゃなくて)比喩っちゃいました。(*^_^*)

でも、だんだん、ニサルガダッタの言葉の色合いが感じられるような気がして
きました。

今回のところじゃないですけど、ニサルガダッタは、

> 注意を過小評価してはならない。
> それは関心であり、愛なのだ。(p143)

とおっしゃっています。

> 分割されない注意を、あなたの人生のなかのもっとも重要なもの、あなた自
> 身に与えなさい。(p143)

と。

では、【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 マハラジ
 世界を知覚する者は、世界以前に存在するのだろうか、あるいは、彼は世界
 とともに存在を現すのだろうか?
 
 質問者 何と奇妙な質問でしょうか? なぜあなたはそんな質問をされるの
     ですか?
 
 マハラジ
 あなたがその正しい解答を知らないかぎり、平和を見いだすことはできない
 からだ。
 
 質問者 私が朝目覚めるとき、世界はすでにそこにあって私を待っています。
     もちろん、世界が先に存在の中に現れ、私はずっと後になって、も
     っとも早くて私が誕生したときに現れます。世界と私の間では、身
     体が媒介となります。身体なしでは私も世界も存在しないでしょう。
 
 マハラジ
 身体はあなたのマインドのなかに現れ、マインドはあなたの意識の内容なの
 だ。
 あなたはあなたを変えることなしに永遠に変化しつづける意識の流れの不動
 の観照者だ。
 あなたの不変性があまりにも明白なため、それに気づかないだけだ。
 あなた自身をよく見てみなさい。
 そうすれば、それらすべての誤解や誤った観念は溶け去るだろう。
 魚が水のなかに生き、水なしでは生きられないように、全宇宙もあなたのな
 かに在り、あなたなしでは在りえないのだ。
 
 質問者 それは私たちが神とよぶものです。
 
 マハラジ
 神はあなたのマインドのなかの概念にすぎない。
 あなたは事実だ。
 あなたが知っているたったひとつ確かなことは、「ここに今、私は在る」と
 いうことだ。
 「ここと今」を取り除きなさい。
 「私は在る」が確固として残る。
 世界は記憶のなかに存在する。
 記憶は意識のなかに現れる。
 意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。
 
 質問者 それでも、まだ私にとってはその反対の、「私は世界のなかに在る」
     ということがあまりにも明白であり、どうして世界が私のなかにあ
     るのか理解できません。
 
 マハラジ
 「私は世界であり、世界は私だ」と言うことさえ無知のしるしだ。
 しかし、人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
 るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
 だ。
 
 質問者 無知の観照者は、無知から分離しているのでしょうか? 「私は無
     知だ」ということは無知の一部分ではないでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。
 それ以外はすべて推測だ。
 しかし、推測が習慣になってしまったのだ。
 考えることと見ることというすべての習慣を打ち破りなさい。
 「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
 それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
 「私は在る」は世界のなかにある。
 しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
 水面に踊る月は、水のなかに見られる。
 だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。
 
 質問者 それでも、まだ私は要点を逃しているようです。私がそのなかで生
     き、動き、存在する世界が私自身の創造、私自身の投影、私の想像
     だということは認めます。未知の世界、あるがままの世界、「絶対
     的物質」の世界、その物質が何であれ。映画のスクリーンがその上
     に投影された画像とはまったく似ていないように、私自身が創造し
     た世界は究極の、実在の世界とはまったく似ていないものかもしれ
     ません。それにもかかわらず、絶対の世界は私にまったく依存せず
     存在しているのです。
 
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたのマインドがその上に相対的な非実在の世界を投影してきた絶対的実
 在の世界は、あなたに依存していない。
 その単純な理由とは、それがあなた自身だからだ。
 
 質問者 そこに言葉の矛盾はありませんか? どうして非依存性が自己同一
     性を証明できるのでしょうか?
 
 マハラジ
 変化の動きを調べてみなさい。
 そうすればわかるだろう。
 あなたが不動である間、変わることのできるものはあなたに依存しないと言
 える。
 だが不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
 なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
 言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
 なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
 うことだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p216-218)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ、しっかし、論理的ですねぇ。(-_-;)

> マハラジ
> 世界を知覚する者は、世界以前に存在するのだろうか、あるいは、彼は世界
> とともに存在を現すのだろうか?

最初から大上段、真っ向から竹割、と言った構えですね。^^;

> 質問者 何と奇妙な質問でしょうか? なぜあなたはそんな質問をされるの
>     ですか?

まったくですよね。

> マハラジ
> あなたがその正しい解答を知らないかぎり、平和を見いだすことはできない
> からだ。

わたしも初めてこのマハラジの言葉を読んだときは、ちょっとビビッたことを
思い出します。^^;

エエーっ!(@_@) と思いましたよ。

> 質問者 私が朝目覚めるとき、世界はすでにそこにあって私を待っています。
>     もちろん、世界が先に存在の中に現れ、私はずっと後になって、も
>     っとも早くて私が誕生したときに現れます。世界と私の間では、身
>     体が媒介となります。身体なしでは私も世界も存在しないでしょう。

で、この人の解答を読んで、少し落ち着いたけど。

> マハラジ
> 身体はあなたのマインドのなかに現れ、マインドはあなたの意識の内容なの
> だ。

こう聞くことで、ここでマハラジが使っている“マインド”という言葉が、ほ
かで通常よく耳にするマインドの意味とは包含が違うらしいな、ということが
わかります。

> あなたはあなたを変えることなしに永遠に変化しつづける意識の流れの不動
> の観照者だ。

これも、はじめて聞くと、意味のとらえにくい表現ですね。

「永遠に変化しつづける意識の流れ」とは「應無所住而生其心(おうむしょじ
ゅうにしょうごしん)」のこと、要するに“マインド”のことです。

この不断の変化であるマインドに対して、「あなた」はその変化によっていっ
さい影響を受けることなく、その変化に立ち会っている「不動の観照者」だ、
というわけです。

もちろん、本来の「あなた」はそのような存在だ、という意味でしょうけど。

> あなたの不変性があまりにも明白なため、それに気づかないだけだ。

ところが、自分の「不変性があまりにも明白なため」、わたしはそれに気づか
ない、と。

絶対の不変性である「わたし」は、変化するものにしか気づけない。

> あなた自身をよく見てみなさい。

これは、ニサルガダッタはそう言うだろうけど、聞いている者にとっては、ま
ず、まったく意味を持たない言葉ですよね。

> そうすれば、それらすべての誤解や誤った観念は溶け去るだろう。

だから、通常は、そういうこと↑にはならないわけです。(^_-)

「あなた自身をよく見てみなさい」と言ったって、それは目を凝らしてよく見
てみろ、というようなことじゃないわけですから。

「あなた自身をよく見てみなさい」というのは、むしろ、ニサルガダッタの言
葉に沿って、よく考えてみなさい、と理解した方がいいと思います。

> 魚が水のなかに生き、水なしでは生きられないように、全宇宙もあなたのな
> かに在り、あなたなしでは在りえないのだ。

(*_*)

これは、まことに見事な表現ですね。

わたしふうの方言に翻訳すれば、全宇宙は「わたし」という真空のなかに在り、
真空なしに意識と物質として顕現する全宇宙は存在しえないのだ、ということ
になります。

> 質問者 それは私たちが神とよぶものです。

うん。

> マハラジ
> 神はあなたのマインドのなかの概念にすぎない。

まったく。

> あなたは事実だ。

そう。

これだけは、誰にも否定できない。

否定することに意味がない。

わたしの存在を否定するためにすら、まずわたしがいなければならない。

わたしは、否定しようのない事実です。

このことを……、ニサルガダッタに教わりました。

> あなたが知っているたったひとつ確かなことは、「ここに今、私は在る」と
> いうことだ。

そう。

どうにも否定しようのないこのことが、われわれの出発点になります。

> 「ここと今」を取り除きなさい。
> 「私は在る」が確固として残る。

はい。(-||-)

そして、この後がまたスゴイ……。

> 世界は記憶のなかに存在する。

たしかに。

> 記憶は意識のなかに現れる。

そのとおりです。

記憶は、あれやこれやの意識の内容物を構成要素とせざるをえない。

> 意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。

あれやこれやの意識の内容物は気づきが在ってこそ存在できるもの。

そして、その気づき自体は、存在を知覚可能にするその境界面のようなもの。

> 質問者 それでも、まだ私にとってはその反対の、「私は世界のなかに在る」
>     ということがあまりにも明白であり、どうして世界が私のなかにあ
>     るのか理解できません。

いやー、その言い方も、わかるんだけど……。(-_-)

そして、事実、それが普段の意識状態(=無意識状態)なのだけれど……。

> マハラジ
> 「私は世界であり、世界は私だ」と言うことさえ無知のしるしだ。

「私は世界であり、世界は私だ」と言うことさえ無用な自己同化のしるしだ。

> しかし、人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
> るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
> だ。

ああ……、そうありたいものだ。(-||-)

> 質問者 無知の観照者は、無知から分離しているのでしょうか? 「私は無
>     知だ」ということは無知の一部分ではないでしょうか?

なるほど。

「私は無知だ」ということも、無用な「無知」との自己同化ではないか、と。

「恥ずかしい」ということが無知の一部分であることは、確か。(^_-)

> マハラジ
> もちろん、私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。

はい。

> それ以外はすべて推測だ。

そうか……。

「それ以外はすべて推測」か。

たしかに。(-_-;)

> しかし、推測が習慣になってしまったのだ。

まったく……。

> 考えることと見ることというすべての習慣を打ち破りなさい。

これが、簡単ではない。

なにしろ「考えることと見ること」には耽溺してしまっているのだから。

> 「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。

そうなのか……。

これは、はじめて聞こえた表現。

「『私は在る』という感覚が顕現の根本的な原因」なのか……。

> それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。

なるほど。

> 「私は在る」は世界のなかにある。

ほー、まずそう言ってみて、

> しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。

と言うわけか。

二つの言明を合わせると……、

「『私は在る』は、世界のなかにある世界の外に出るための扉を開く鍵」

> 水面に踊る月は、水のなかに見られる。
> だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。

カー、こうきたか。(>_<)

「私は在る」は世界のなかに見られる。

だが、それは世界によってではなく、実在によって生じたのだ。

> 質問者 それでも、まだ私は要点を逃しているようです。私がそのなかで生
>     き、動き、存在する世界が私自身の創造、私自身の投影、私の想像
>     だということは認めます。未知の世界、あるがままの世界、「絶対
>     的物質」の世界、その物質が何であれ。映画のスクリーンがその上
>     に投影された画像とはまったく似ていないように、私自身が創造し
>     た世界は究極の、実在の世界とはまったく似ていないものかもしれ
>     ません。それにもかかわらず、絶対の世界は私にまったく依存せず
>     存在しているのです。

おおっ! (@_@)

この人、急にこんなこと言いだした。

マハラジの何かが飛んで、ロウソクに火でも点いちゃったかな?

> マハラジ
> まったくそのとおりだ。

ほらー。

> あなたのマインドがその上に相対的な非実在の世界を投影してきた絶対的実
> 在の世界は、あなたに依存していない。

あなたが現象世界を浮かばせている真空は、あなたに依存していない。

> その単純な理由とは、それがあなた自身だからだ。

その単純な理由とは、その真空があなた自身だからだ。

> 質問者 そこに言葉の矛盾はありませんか? どうして非依存性が自己同一
>     性を証明できるのでしょうか?

依存していないことが、どうして同じものであることの証明になるのでしょう
か?

依存していないからと言って、どうしてそれが同じものだと言えるのでしょう
か?

この人、インド人かしら。

ウェスタンにしては、言葉の運びがあまりにも論理的。

ウェスタンなら、もう少し感覚的・体験的な話し方をするような気がするけど。

> マハラジ
> 変化の動きを調べてみなさい。
> そうすればわかるだろう。

こっちは、さらにその上を行く筋金入りの論理派。(^_-)

> あなたが不動である間、変わることのできるものはあなたに依存しないと言
> える。

おお……。

多彩な変化を紡ぎ出す映画の画面は、不動のスクリーンには依存しない、とい
うようなことかな?

> だが不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。

なになに……、ここの論理の飛躍は大きいな。

だがその不変のスクリーンは、それと等しく不変であるもの、たとえば、その
スクリーンに映し出される映画を見ている不変の「あなた」とひとつなのだ、
というようなことかな。

> なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。

「二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味する」……。

そのことはわかる。

顕現するためには二元性が必要であり、二元性は相互作用を暗示し、相互作用
は変化を意味するから、顕現世界は変化せざるをえないということ。

要するに、現象世界は永遠に変化せざるをえない。

> 言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
> なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
> うことだ。

それに対して「絶対的に物質的なもの」とは、その永遠の変化である物理次元
を存立させている基底のこと、つまりは「完全に客観的なもの」、要するに、
絶対的不動の「真空」。

そして「絶対的に霊的なもの」とは、その永遠の変化である現象世界を確証し
ている証人、観照者、つまりは、「完全に主観的なもの」、一言で言えば、
「わたし」。

この「真空」と「わたし」は、「実体においても本質においても等しいという
ことだ」……と、マハラジは言っている。

……そう言っていいのかな。(-_-;)

いや、むろん、誰にも訊くことじゃなくて、それでいいんだけど。(^_-)

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.ネットワークビジネス・ミニ講座:【「流通人」への受け皿】
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ここで急にトーンが変わって……、

「誰が仕事をしているのか?」の時間です。(*^_^*)

これまで、地上の“国際金融システム”をまっとうな有機体と比較した場合、
そこには“上下の歪み”と“左右の分離”という二つの異常がある、という話
をしたのでした。

「経済身体」にある“上下の歪み”とは、この“擬似有機体”のなかでは血液
(オカネ)は、必要なところにまんべんなく供給されるのではなく、自己増殖
の可能性のあるところにしか行けないのだ、と。

そして、その矛盾が極大化するのは、「経済身体」の“左右の分離”の矛盾が
顕在化する局面でだろう、と。

「経済身体」の“左右の分離”とは、この身体の細胞である人間が、擬似的に
「生産人」(右手細胞)と「消費人」(左手細胞)に分離されている、という
ことです。

人間は、実際は「消費する人」であってはじめて「生産する人」でありえてい
るわけですが、しかし、「消費する人」は「経済身体」内で正式な地位を認め
られていない。

それを表す端的なシンボルが、「働かぬ者、食うべからず」という非常にもっ
ともらしい人為的な標語です。

もしこの標語が、意図的に作られたヤラセではなく、本来の自然であるなら、
その標語を例外なく厳密に適用しても、まったく問題はないはずです。

ところが、この標語を厳密に適用すれば、むろん、人類は現在まで生き長らえ
てきてはいないでしょう。

ひとりとして生存できる赤ん坊はいなかったでしょうから。

もともと「生産」とは「消費」のために存在している活動で、「生産」自体に
固有の独立的価値があるわけではありません。

しかも、じつは「生産人」でない人間は存在しうるけれど、「消費人」でない
人間は存在しないわけです。

だから「経済身体」がまっとうな有機体なら、その血液であるオカネは、本来
「生産人」ではなく「消費人」に供給されるべきものです。

つまり、給料は本来、働き手に支払われるべきものではなく、家庭内の人数に
対して支払われるべきものだ、ということです。

「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」

イルミナティの御用学者マルクスが唱道した共産主義は、じつは最初からこの
ことの真理性を知っている時代から隔絶した知性体から流れだしていた、とい
うことになります。

このような言葉で化粧された唯物論共産主義に、地球上のあらゆる知性が巻き
込まれてしまったのは、まことに無理からぬこととも言えます。

しかし、時代は唯物論共産主義の虚偽を暴露しましたが、むろん、いまだに、
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」の真理は、われわれが住む世界
の常識にはなっていません。

まだ時代は、「消費人」に給料を払ってはくれない。^^;

「経済身体」の右手のなかでは、「生産人」の熾烈な生存競争が、ときには、
容赦ない淘汰さえ発生しています。

つまり「経済身体」の右手では、実質的な“退縮”が起こっているということ
です。

現在の「経済身体」の在り方では、左手の「消費人」細胞の淘汰が起こりかね
ない……、というか、すでに起こりはじめているわけです。

時代が「消費人」に給料を払ってくれのを、ただ待っているというわけにもい
きません。^^;

そこで、「生産人」細胞としてあぶれた者は、ここは取りあえず「経済身体」
の右手から左手への“商品の流れ”のなかに身を置くしかないだろう、という
のが、以前、書いたことでした。

「流通人」なら、「経済身体」の正規細胞として認知されているからです。

【生産・サービス・流通・消費】の諸活動のなかで、「流通」は従来からすで
に、立派に生産活動としての地位を認められているわけです。

しかし、その「流通」部門にも、「生産」部門に劣らぬ大きな構造的変化の波
が押し寄せています。

ところが、その「流通」部門に現れた大きな構造的変化の主潮流と考えられる
「ネットワークビジネス」こそが、この「流通人」への大挙移動の受け皿にな
れるのではないかと推測されるのです。

ここに『ザ・バイブル』(菊池英晃著、総合法令刊)という本があります。
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これは、「ネットワークビジネス」をフィクション仕立てで描いた、じつに読
みやすくてわかりやすい、すばらしい本です。

「ネットワークビジネス」がどうしても好きになれない方、この本を読まれる
と、良くも悪くも、「ネットワークビジネス」というものがどういうものか、
かなりのところが見当がつくのではないかと思います。

じつは、この本の中に「セルシューマー」という造語が出てきます。^^;

これこそが、上で述べてきた意味での「流通人」です。

次回は、この本についても、少し触れられればと思います。

まあ、ゆっくり行きましょう。(*^_^*)

今日も時間切れなので、ここまでにして置きます。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.「ご投稿・情報提供」:パールさん、ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com

できればハンドル名もお願いします。


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前回に続いて、パールさんから情報提供メールの続報をいただきました。

【件名】: 成功への道 再び
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 おはようございます パールです。
 昨夜URLをお送りしましたが、PDFを知らせても良いということなので下記に
 コピーします。
 
 http://www.drmaltz.jp/pdf/psycho.pdf
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パールさん、この「セルフイメージ」を説明した pdf ファイルは、すばらし
い内容ですね。

以前なら、この内容で無料ファイルということはありえなかったような気がし
ますが、いまは、最先端のビジネスツールは、こういう親切を提供するところ
まできたんですね。

いつも情報をありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回、久しぶりに、ハイアーセルフ33さんから、情報紹介メールをいただき
ましたので、早速、掲載させていただきます。

【件名】: 書籍「神へ帰る」の紹介
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 お久しぶりです。特に伝えたくなるようなものがなかったので
 発信しませんでした。
 
 先日「神との対話」シリーズの最後の一冊とされる本、「神へ帰る」
 が書店に立ち寄った際、平積みされていたので買ってきました。
 
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/12871441
 
 「はじめに」の中で、・・・・・
 
 「神との対話」は10年以上かけて行なわれ、人生/生命のあらゆる事柄
 について語り合ってきたが、本書が九冊におよぶ並外れた対話シリーズの
 最後の一冊となる。
 
 今回の対話では、人間の経験の様々な領域をこれまで以上に深く突っ込んで
 取り上げているが、特に中心的なテーマがひとつある。
 死と死の過程、そして死後の生命だ。
 
 と、ありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 この本の中で、私の気に入ったところを紹介しておきますね。
 
 P152
 希望は信じることへの入り口であり、信じることは知ることへの入り口であ
 り、知ることは創造することへの入り口であり、創造することは経験への入
 り口である。
 
 経験は表現への入り口であり、表現は「なること」への入り口であり、
 「なること」はすべての生命活動の入り口であり、神の唯一の機能だ。
 
 あなたは希望することをやがては信じ、信じることをやがては知り、
 知ることをやがては創造し、創造することをやがては経験し、経験する
 ことをやがては表現し、そしてやがてはその表現することになる。
 
 これがすべての人生/生命の公式だよ。実にシンプルなことだ。
----------------------------------------------------------------------

はるさん、いつも独自の抽出情報のご投稿、ありがとうございます。

希望する ⇒ 信じる ⇒ 知る ⇒ 創造する ⇒ 経験する ⇒ 表現する

のポジティヴサイクル、いかにもはるさんらしい着眼と選択ですね。

ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 5.編集後記:「運命と恩寵は絶対的に同じものだ」と言うのなら
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牛のように進め。

お釈迦さんのそんなような言葉を思い出します。

わたしの場合、必ずしも希望を持っているというわけでもないのですが。

ただ、

> 運命と恩寵は絶対的に同じものだ。
> 人生を起こるがままに受け入れなさい。
> そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。(p509)

そんなことを言う方もいるので。

なんかわかりませんが、「運命と恩寵は絶対的に同じものだ」と言うのなら、
受け入れていくより仕方ありませんね。

そして……、なぜかまだ生きている、ならば……、などとも思います。^^;

(-||-)

それでは、おやすみなさい。


<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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