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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.193 2007/12/16(第193号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在998名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.瓦礫(がれき)の街での彷徨

2.写経ニサルガダッタ:【98 自己同一化からの自由】の1回目

3.編集後記:それを、いつも覚えていられたらいいな。
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■ 1.瓦礫(がれき)の街での彷徨
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なんとなく、“言葉の力”って想像以上に大きなものなのかもしれないな、っ
て思うようになりました。

もし、もともと“事実”などというものが存在しないのなら、あるのは“想像”
だけってことになりますよね。

そうすると、その“想像”を作るのは、“言葉”、“概念”、“解釈”……、
といったようなことでしょうから、そうすると……。(-_-;)

……。

(@_@)

もしかして、「初めに言葉ありき」ってそう言う意味なんじゃ……?

別に何の根拠も意味もなくたって、「アセンションだ、アセンションだ、お祭
だ、お祭だ、ワッショイ、ワッショイ」ってやっていれば、何となく賑やかな
楽しいような気分になるじゃありませんか。(^_-)

なんかこれから、いいことありそうだぜ、ってわけです。(^-^)

それを、『不都合な真実』だ、地球温暖化だ、地球生態系の破壊だ、生物種の
絶滅だ、終わりだ、しまいだ、もう駄目だ、ってやってると、なんかこう、し
ょげちゃうもんね。(/_;)

はは、それだけのこととちゃう? (*^_^*)

そして、ワッショイ、ワッショイも、終わりだ、しまいだ、もう駄目だも、ど
っちも単なる気分で、気分は「わたし」じゃないわけだ。

美空ひばりが歌う祭囃子だって、景気のいい場面だけじゃないもんなぁ。(-_-)

かならずその後には、“宴(うたげ)の後”があって、しんみりしたり、悲し
くなったり、うらびれたりするわけです。

それが振幅を持つ振動によってしか表現できない、意識ってものの本性なんで
しょうね。

その振動サイクルが、いわゆる“ナノセカンド”の瞬時だったり、何十億年と
いう超長期周期だったとしても……。

そして、そういう気分の交替という「非在」をまったく超絶したものとして、
永遠の不動である「実在」がつねにそれに立ち会っている……。

なんや、おまえ、わかっとるやん。(@_@)

さいでんがな、わかっとりまんがな。(^-^)

ったく、口ばっか発達してからに、しょうもないやっちゃな……。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

誰もが“好きで”そこにいるのだということは、どうやら動かし難いことのよ
うです。

“当人”が「ここがオレの場所だ」、「ここがワタシの居所よ」と主張してい
るから、いまここにいるだけのことのようじゃありませんか。(^_-)

ここにいて、しかもここにいないことはできるのだ、というのが覚者方がこぞ
って指摘しておられることのようです。

ところが、われわれはそんなことは断固として許容できませんから、ちゃんと
真面目に心身ともに“そこ”で振動する、というわけですよね。(^_-)

精神世界本の言い方のひとつに、“現在皆さんがいる場所が皆さんにふさわし
くなかったら、一瞬のうちに皆さんはその場所から消えているでしょう……”
みたいなのがありましたよね。

考えてみたら、そこに誤りはありえないわけです。

物理次元を含め、すべての幻想は波動によって構成されているでしょうから、
その“場所”(つまり“波動帯”)には、“ふさわしくない意識(波動)”は
絶対に、ありえないわけですよね。^^;

つまり、われわれは、どう言ってみても、“ちょうどいいところ”にいるわけ
です。

すると、結局、われわれは“すったもんだ”が好きだから、“すったもんだ”
があるところにいる……というわけですねぇ。(-_-;)

まったく、身も蓋もない話ですけど……。

しかし、こりゃまた、数学的に確実なことだわ。(-_-*;)

われわれが、“自分”が対応している“現実”を否定されたら、侮辱を感じた
り、あるいは、何を言われているのか理解できなかったりするのは、当然なん
だと思いました。

“幻想宇宙劇場”とは、そういうところなんですね。

誰も、他の人が見ている夢の批評なんか、しないわけです。

そして、なによりも、たとえ、もっともらしく批評しても、相手には聞こえな
いわけです。

そして、どんな“夢”も、つまりどんな“知識”も“お話”も、「根拠の確か
なものではない」というわけですねぇ。

なるほどなぁ。(-_-)

ただ……、どんな“夢”にも、空間的な比喩で言うと、通用する“範囲”みた
いなものがあるわけでしょうね。

あるいは、時間的な比喩で言うと、“賞味期限”みたいなものがあるんだと思
います。

すると、その別々の“夢”(いわゆる“異次元”みたいなもの)の境界領域に、
ときとして、次元間の等高線が極端に密集した、喩えて言うなら、「台風」み
たいなものが局所的に発生することがあるのかもしれませんね。

そういう局所場では、次元間の境界が“揺らいだり”、“ぼやけたり”して、
別の夢の“現実”が漏れてきたりするんじゃないでしょうか。

ただ、同じ“夢”とはいっても、そこは波動の世界ですから、包含関係は、あ
る意味、厳然としてあるわけでしょう。

つまり、吸収合併する“夢”と、合併吸収される“夢”、みたいなものかもし
れません。

とは言っても、そこには吸収されることを拒否する“夢”もあって、そこはお
なじみの離合集散の世界だと思いますが……。

そんな“夢”と“夢”との出会いが起こったとき、どんなことが起こるのか。

『孫子』の「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」ではありませんが、相
手の存在をまったく知らなかった“夢”と、相手のことを何から何まで、それ
こそ“おむつ”の頃から知っている“夢”とでは、まるで勝負にならないでし
ょうね。(*^_^*)

もちろん、大勢としては、“おむつ”側の“夢”は、百戦錬磨の“夢”に吸収
されるでしょうね。

それだけは間違いないでしょうが、そのとき、その“おむつ”側の“夢”のな
かではどんなことが起こるでしょう。

まずは、その漏れ聞こえてきた別の夢の“現実”を、最初は認知できないんじ
ゃないでしょうか。

次に相手が認知範囲に入ってきたら、とりあえず無視するでしょうね。
(わたしだったら、そうします。^^;)

次に、どうしても無視できなくなったら、侮辱を感じて腹を立てますかね。

あるいは、そっちの“夢”のほうがずっといいや、と言って大歓迎に回るメン
バーも出てくるかもしれません。

どうしても、新しい“夢”では居心地が悪いメンバーは、その“夢”から離脱
するのかもしれません。

誰だって、自分の“夢”が奪われるとなったら、多少なりとも抵抗します。

それまで信じてきた“現実”が大幅に切り替わるわけですから、もっとも穏や
かな場合でも、多少の居心地の悪さや気恥ずかしさは感じますよね。(^_-)

旧い“夢”をあまりにもしっかり掴んでいたら、それを手放すには恐怖を感じ
るでしょうし、どうかしたら、気を失うより他はないかもしれません。

でも、考えてみたら、そう無闇に恥ずかしがることもないわけですよね。

たかだか、映画のシリーズが変わるだけのようなもの、とも言えます。

すべては、“現実”の“掴み方”しだいなんでしょうね。

ニサルガ師匠のお陰で、なんだかとても単純な風景になってきたような、気も
しています。

いわゆる「現実」にいろいろ問題を感じたり、あるいは、少し大袈裟に、成長
だの、進化だのと言ってみても……。

あるいは、もっと大袈裟に、アセンションできるのかできないのかとか、予言
された大災害は起こるのか起こらないのか、とか言ってみても……。

なんだか、そんなに無闇に心配したり、右往左往することもないのかもなぁ、
という感じもするんですよね。(-_-)

われながらちょっと、不思議なんですが……。

選択と言っても、結局は、マインドのなかで活動していたいのか、マインドか
ら出たいのか、というだけのことかもなぁ、と思って。

いえね、最近、比較的早く一度目が醒めたものですから、いつものことながら、
ケチって、また寝たんですよね。^^;

そしたら、そのあと観た夢を、起きたときよく覚えていて……。

いや、われながら、ひどい夢を観ているんですわ。(*^_^*)

よく覚えているタイプの夢というと、どことも知れぬ暗い学校の廊下を彷徨っ
ている夢とか、温泉地の暗い大浴場のなかで、トイレを探し求めて彷徨ってい
るとか、そういうタイプの夢が多いんですけどね。^^;

あはは。

わたしって、だいたいそういうところで、右往左往しているみたい。

ま、別に宣伝することでもないですが。

で、そのとき、浅い眠りのなかで観ていた夢なんですが、なんか、言ってみる
なら、昔自分が知っていたインドみたいな雰囲気の空間でしたね。

なんか、埃っぽくて、乾いていて、それでいて、あまり暑い感じはない。

東南アジアかインド人かといったふうの、貧相な身なりの色黒で小柄な人たち
がたくさん急ぎ足で歩いています。

こっちもどこかへ向かって急いでいるらしいんですが、どこに向かっているか
はわからない。

それでも、けっこう慌てて、列車の停留所みたいなところに急いだり、列車に
乗って先を急いだりしているわけです。

で、いつの間にか列車を降りて、瓦礫(がれき)の街みたいなところを歩いて
いるんですが、ふと、自分が致命的な間違いを犯していることに気づくんです
よね。

つまり、自分は今そこにいるべきじゃない、ってことが突然はっきりするんで
す。(@_@)

どこかの、学校のクラスに出席しているべきなんです。

そこでは、ある芝居の稽古をやっているはずで、自分もその芝居に参加してい
て、当然この時間にはそこにいなくちゃならないはずなんです。

みんなが待っているはずなのに、自分はこんな何処とも知れぬところで、うろ
うろしている……。

近くの夜の市場の女の人に、どこそこへ行くにはどうしたらいいのか、みたい
なことを訊くんですが、はかばかしい答えがもらえたとも思えない。

決定的な違約をしたやましさに苛まれながら、当てもなくやみくもに先を急い
でいるんですよねぇ……、うん。(-_-;)

目が覚めて、そんな致命的な窮地に立っているわけでもないと知って、ホッと
したくらいです。(^^;)

まあ、わたしの連想野では、“マインドのなかで活動”するっていうのは、そ
ういうイメージですね。

事実、自分がそういう世界で振動しているってことです。

潜在意識だとか何だとか、いろいろうるさい議論もあるんでしょうが、なんだ
かんだ言って、わたしのなかではそれが“マインドの圏内で生きる”ってこと
なんですよね。

でも、少なくとも(身体のなかに)生きている間は、どうしたって四六時中、
対応しなければならないことがあって、あれよあれよという間に押しまくられ
てしまって……。(;_;)

ついつい、生きるための仕事で手いっぱいで……。

だから寝ていても、夢のなかでまでああして彷徨って……。(;_;)

……と、思っていたんですけどね。(@_@)

ところが、じつは、ニサルガダッタは、「仕事」という言葉と、「活動」とい
う言葉を区別しているみたいなんですよね。

「仕事は全体による全体のためのもの」、「活動は自分による自分のためのも
 の」だって。

こりゃ、わたしが仕事だと思っていたものは、じつは、活動だったってわけで
しょう。

そう聞いたら、誰だって思いますよね。

どうやったら、「活動」をやめられるのか?、って。

ニサルガダッタの処方箋はこんな感じです。

----------------------------------------------------------------------
 あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
 在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
 い。
 欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
 現れることはできない。
 それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
 存在を指し示す。
 指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
 それはとても簡単だが、実行されなければならない。
 重要なことは、あなた自身に戻り続けるという持続性なのだ。
 
                          『私は在る』(p237)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
> 在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
> い。

そりゃ、確かにそうです。

わたしは自分が束縛のなかにいることを認めています。

何であれ、わたしに起こることは、わたしの身体的存在に対して起こっている
ことだということも認めます。

ただ、“あらゆる機会を使って自分に思い起こさせ”ることまではしていない
けど……。

> 欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
> 現れることはできない。

それは、絶対にそうです。

わかります。

> それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
> 存在を指し示す。

なるほど。

そうきますか。(-_-;)

> 指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。

「指し示すものは無視」しちゃってもいいんですか? (@_@)

「それらが何を示しているのかに気づ」かないといけないのか……。

> それはとても簡単だが、実行されなければならない。

たしかに理屈は簡単に理解できるけど、「実行されなければならない」のか。

> 重要なことは、あなた自身に戻り続けるという持続性なのだ。

そうか……。

ただ、マインドのなかで振動していることの嫌悪感に浸っていたって、仕方が
ないもんなぁ。

そうか……、“自分自身に戻り続けるという持続性”が重要なのか。

……。(-_-)

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【98 自己同一化からの自由】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なんだか、少しずつ、実質的な言葉が聞こえてくるようなんですよね。

渦の中心を遠くに見ながら、遠巻きに遠巻きに回転しているみたいなつもりで
いたんだろうけど……。

どうしてももう絶対引き返せない脱出不能圏内まで引き込まれたんならいいな。

> あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
> していなければならないのだ。

そう……。

それは思いますよね。

嫌悪感に浸ればいいってものでもないだろうけど。

ただ、いま流行りの希望は、あまり自分向きじゃないような気はしていて……。

要は、知覚の対象となるものへの自己同化こそが問題なんですよね。

そこから、自分を解放してやりたいです。

自分なんてものがあるとしてですが。

では、【98 自己同一化からの自由】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 マハラジ
 あなたは床に座っても大丈夫かね?
 クッションは必要ないかね?
 何か尋ねたいことはないだろうか?
 尋ねる必要があるというわけではない。
 静かにしているだけでもいいのだ。
 在るためには、ただ在ることが重要だ。
 何を尋ねる必要も、する必要もない。
 そのような、一見怠惰な時間の過ごし方はインドでは高く評価されているの
 だ。
 つまりしばらくの間、あなたは「つぎは何か?」という考えに取りつかれる
 ことから解放されるのだ。
 あなたが急がず不安から自由なとき、マインドは静かになり、沈黙のなかで
 ふだん認識するには微妙で繊細すぎるほどの何かが聞こえてくるかもしれな
 い。
 マインドは見るために開いていて静かでなければならない。
 私たちがここで試みていることは、何が実在なのかを理解するために、マイ
 ンドを正しい状態にもたらすことなのだ。
 
 質問者 どのようにして心配を断ち切ればいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 心配について心配する必要はない。
 ただ在りなさい。
 静かにしようとしなくてもいいのだ。
 「静かに在る」ということを成し遂げるべき仕事にしてはいけない。
 「静かに在る」ことについて落ち着きを失ってはいけない。
 「幸福である」ことについて惨めになってはいけない。
 ただ、あなたが在るということに気づいていなさい。
 そして気づきつづけなさい。
 「はい。私は気づいています。つぎは何でしょうか?」と言ってはならない。
 「私は在る」のなかに「つぎ」はない。
 それは時間を超えた状態なのだ。
 
 質問者 それが時間を超えた状態なら、いずれにせよ、それは自らを明らか
     にするでしょう。
 
 マハラジ
 あなたは永遠に、あなたであるものだ。
 だがそれを知り、それにしたがって行為しないかぎり、あなたにとって何の
 役に立つだろう?
 あなたの乞食(こつじき)の鉢は純金でできているかもしれない。
 それでも、それを知らないかぎりあなたは貧者なのだ。
 あなたは自分の内なる価値を知り、信頼し、欲望と恐れを日々捨て去ってい
 くことで、それを表現していかなければならないのだ。
 
 質問者 もし私が私自身を知れば、欲望や恐れはなくなるのでしょうか?
 
 マハラジ
 新たな視野にもかかわらず、しばらく間は既知なる過去への切望と未知なる
 未来への恐れという精神的習慣が続くことだろう。
 それらがただのマインドにすぎないと知ったとき、あなたはそれらを超えて
 いくことができる。
 あなた自身に関してあらゆる類の観念を持っているかぎり、あなたはあなた
 自身をそれらの観念を通して知るのだ。
 あなたをあるがままに知るには、すべての観念を捨て去らなければならない。
 純粋な水の味を想像することはできない。
 すべての味を放棄することによってのみ、それを発見することができるのだ。
 
 現在の生き方に興味を持っているかぎり、あなたはそれを放棄しないだろう。
 なじみのあることにしがみついているかぎり、発見は訪れないだろう。
 人生の計り知れない悲しみを完全に自覚し、それに対して抵抗するときにの
 み、出口は見いだされるのだ。
 
 質問者 今こそ私には、インドの永遠なる生命の秘密がこの存在の次元にあ
     ると理解できます。インドはつねにその保管者であったのです。
 
 マハラジ
 それは開かれた秘密であり、そこにはつねにそれを分かちあう用意のある人
 びとがいたのだ。
 教師は数多くいるが、恐れのない弟子はまれだ。
 
 質問者 私には学ぶ用意があります。
 
 マハラジ
 言葉を学ぶだけでは充分ではない。
 あなたは理論を知っているかもしれない。
 だが非個人として、存在の無条件の中心、愛と至福としてのあなた自身によ
 る実際の体験なしには、単なる言語上の知識は不毛なのだ。
 
 質問者 それでは、どうすればいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日のなかで、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺(たんでき)や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みなさい。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。
 
 結局、人生のあらゆる瞬間においてあなたはあるがままのあなたなのだ。
 だが、けっしてそれを意識したことがなかった。
 おそらく眠りから目覚める瞬間を除いては。
 あなたに必要なことは存在に気づくことだけなのだ。
 言葉としての表明ではなく、ひとつの常在の事実として。
 本来のあなたである気づきが、あるがままのあなたへと目を開かせるだろう。
 それはとてもシンプルなことだ。
 最初にあなた自身との絶え間ない接触を確立しなさい。
 すべての祝福は自己覚醒のなかへと注がれる。
 観察の中心として在ることからはじめなさい。
 あなたの認識範囲を熟考し、そして行為における愛の中心へと成長していき
 なさい。
 「私は在る」はまったく自然に、努力の跡もなく偉大な樹へと生長する小さ
 な種子なのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p527-529)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> マハラジ
> あなたは床に座っても大丈夫かね?
> クッションは必要ないかね?

この質問者の方、身体障害者かなにかなのかな。

> 何か尋ねたいことはないだろうか?
> 尋ねる必要があるというわけではない。
> 静かにしているだけでもいいのだ。
> 在るためには、ただ在ることが重要だ。
> 何を尋ねる必要も、する必要もない。
> そのような、一見怠惰な時間の過ごし方はインドでは高く評価されているの
> だ。

親切だよなぁ。

> つまりしばらくの間、あなたは「つぎは何か?」という考えに取りつかれる
> ことから解放されるのだ。

これが、すばらしい。(;_;)

> あなたが急がず不安から自由なとき、マインドは静かになり、沈黙のなかで
> ふだん認識するには微妙で繊細すぎるほどの何かが聞こえてくるかもしれな
> い。

そう。

そんなに大袈裟なことでなくても、そういうことはあるよな。

> マインドは見るために開いていて静かでなければならない。
> 私たちがここで試みていることは、何が実在なのかを理解するために、マイ
> ンドを正しい状態にもたらすことなのだ。

そういうことなのか……。

> 質問者 どのようにして心配を断ち切ればいいのでしょうか?

たしかに。

> マハラジ
> 心配について心配する必要はない。
> ただ在りなさい。

うーむ。(-_-;)

> 静かにしようとしなくてもいいのだ。
> 「静かに在る」ということを成し遂げるべき仕事にしてはいけない。
> 「静かに在る」ことについて落ち着きを失ってはいけない。
> 「幸福である」ことについて惨めになってはいけない。
> ただ、あなたが在るということに気づいていなさい。

そうか……、そういうことか。

なるほど。

> そして気づきつづけなさい。

これが難しい。

> 「はい。私は気づいています。つぎは何でしょうか?」と言ってはならない。

あ。(@_@)

> 「私は在る」のなかに「つぎ」はない。

なるほど、そうだわ……。

「つぎ」があったら、マインドに決まっているわけだ。

> それは時間を超えた状態なのだ。

はい。

わかりました。

> 質問者 それが時間を超えた状態なら、いずれにせよ、それは自らを明らか
>     にするでしょう。

うーん。

“いずれにせよ”っていうのは、待っていても来ないのかも。

> マハラジ
> あなたは永遠に、あなたであるものだ。
> だがそれを知り、それにしたがって行為しないかぎり、あなたにとって何の
> 役に立つだろう?

そういうことか……。

> あなたの乞食(こつじき)の鉢は純金でできているかもしれない。
> それでも、それを知らないかぎりあなたは貧者なのだ。

まったくです。

> あなたは自分の内なる価値を知り、信頼し、欲望と恐れを日々捨て去ってい
> くことで、それを表現していかなければならないのだ。

そうか。

そうなのか、「欲望と恐れを日々捨て去って」いかなくてはならないのか。

> 質問者 もし私が私自身を知れば、欲望や恐れはなくなるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 新たな視野にもかかわらず、しばらく間は既知なる過去への切望と未知なる
> 未来への恐れという精神的習慣が続くことだろう。

なるほど。

それでもいいんだ。

> それらがただのマインドにすぎないと知ったとき、あなたはそれらを超えて
> いくことができる。

そうか……。

> あなた自身に関してあらゆる類の観念を持っているかぎり、あなたはあなた
> 自身をそれらの観念を通して知るのだ。

たしかに。

> あなたをあるがままに知るには、すべての観念を捨て去らなければならない。

そうか。(-_-)

> 純粋な水の味を想像することはできない。
> すべての味を放棄することによってのみ、それを発見することができるのだ。

なるほど。

> 現在の生き方に興味を持っているかぎり、あなたはそれを放棄しないだろう。

はい。

> なじみのあることにしがみついているかぎり、発見は訪れないだろう。

わかります。

> 人生の計り知れない悲しみを完全に自覚し、それに対して抵抗するときにの
> み、出口は見いだされるのだ。

なにしろ、いつも瓦礫の街の彷徨ですから……。

> 質問者 今こそ私には、インドの永遠なる生命の秘密がこの存在の次元にあ
>     ると理解できます。インドはつねにその保管者であったのです。

うん。

> マハラジ
> それは開かれた秘密であり、そこにはつねにそれを分かちあう用意のある人
> びとがいたのだ。

なるほど。

> 教師は数多くいるが、恐れのない弟子はまれだ。

わかります。

> 質問者 私には学ぶ用意があります。
> 
> マハラジ
> 言葉を学ぶだけでは充分ではない。

あちゃ。(>_<)

> あなたは理論を知っているかもしれない。

(;_;)

> だが非個人として、存在の無条件の中心、愛と至福としてのあなた自身によ
> る実際の体験なしには、単なる言語上の知識は不毛なのだ。

(T_T)

> 質問者 それでは、どうすればいいのでしょうか?

まったく。

> マハラジ
> 在ることを試みなさい。

(@_@)

> ただ在りなさい。

(-_-)

> 重要な言葉は「試みること」だ。

はい。

> 一日のなかで、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。

やっぱり。

> ただ人格と、その耽溺(たんでき)や妄想を超えていくように試みなさい。

(-_-)

> どのようにするかを尋ねてはならない。

(@_@)

> それは説明できないのだ。

ありがとうございます。

そう言ってもらえて、嬉しいです。


> ただ、成功するまで試みなさい。

(-||-)

> もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。

うん。

> あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
> していなければならないのだ。

わかります。

> そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
> 必要性を見なさい。

はい。(;_;)

> この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。

はい。

> 結局、人生のあらゆる瞬間においてあなたはあるがままのあなたなのだ。
> だが、けっしてそれを意識したことがなかった。
> おそらく眠りから目覚める瞬間を除いては。

そうか……。

> あなたに必要なことは存在に気づくことだけなのだ。
> 言葉としての表明ではなく、ひとつの常在の事実として。

(-||-)

> 本来のあなたである気づきが、あるがままのあなたへと目を開かせるだろう。
> それはとてもシンプルなことだ。

(;_;)

> 最初にあなた自身との絶え間ない接触を確立しなさい。

はい。

> すべての祝福は自己覚醒のなかへと注がれる。

(-_-)

> 観察の中心として在ることからはじめなさい。

わかりました。

> あなたの認識範囲を熟考し、そして行為における愛の中心へと成長していき
> なさい。

そんな……。

愛というのはどうも苦手です。

> 「私は在る」はまったく自然に、努力の跡もなく偉大な樹へと生長する小さ
> な種子なのだ。

ありがとうございます。

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.編集後記:それを、いつも覚えていられたらいいな。
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“幸運”とか“罠”とか“被害者”とか、そういうものってないですよね。

自分を何だと見なすか、あるのはそれだけなんだろうと思います。

そして、わたしの存在だけは、他の誰にも、他の何ものにも保証してもらいよ
うがない。

わたしの知覚対象となるあらゆるものは、わたしあるがゆえに在る、これだけ
はまったく疑いがないです。

ところが、その不動の常在としてのわたしは、やたらと知覚対象と自己同化し
たがる……、それだけが問題なんだと思います。

でも、すべての知覚対象は、わたしの存在を指し示しているんでした。

それを、いつも覚えていられたらいいな。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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