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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.195 2007/12/30(第195号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1001名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.“夢”とは“意味”のこと

2.写経ニサルガダッタ:【98 自己同一化からの自由】の3回目

3.編集後記:それでは、良いお年をお迎えください。
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■ 1.“夢”とは“意味”のこと
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また霧が深くなってきました。

さっきは霧の深さよりは裸木の清々しさの方が勝っていたように思うけど。

枯葉が一枚も付いていない裸木のたたずまいはじつに潔(いさぎよ)いですね。

自分の構造を何もかも見せて、何も隠さない、何も遮(さえぎら)らない。

こんなふうに思ってこの季節の裸木を見たことがなかったように思います。

……いま頭上から、多分カラスでしょう、まっすぐ前方に黒い鳥が飛んで行き
ました。

そのまま霧の中に消えていった……。

少し明るくなってきました。

微かに下の河原まで見通せます。

庭に細い鉄筋メッシュでシカ柵を回したんですよね。

西側の下の方は金網と竹で鹿留(シシドメ)を回してあります。

シカが入ってこない空間が目の前にある。

贅沢な感じ、ふふ。^^;

ああ、また一段と明るくなってきた……。

贅沢な時間、贅沢な瞬間です。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

山本周五郎の好きな小説に「まことに、人の一生というものは」という科白が
あって、じつは、これが口癖になっています。(*^_^*)

まことに人生というものは、パラドックスに満ちていて……不思議なものです。

無風の中に立つ裸木のありがたさを知るために、幼年の夢と、青春の挫折と、
苦闘の人生があるのでしょうか……。

夢を紡がない……、目の前の裸木は自らの姿でそういう時節を教えてくれてい
るのかもしれません。

“夢”とは“意味”のことなんじゃないかとも思えてきます。

自分が存在することの“意味”を、何かが客観的に支えてくれるのを期待した
のかもしれません。

でも、「自分が存在することの“意味”を、何かが客観的に支えてくれる」と
いうのは、ちょっと聞くと賑やかでいいようですが……。

そんな虚構が、嘘の積み重ねによってある種の“実体”を帯びれば帯びるほど、
じつは、とんでもない地獄が待ちかまえることになる。

“成長”とか、“進化”とか、果ては“アセンションのサイクル”とか、幻影
の宇宙全体が方向性を持ち、レベルが生まれ、階層が生まれ、次元が生まれ、
とんでもない一大構造物に化けてしまう。

その一大構造物の要所要所は、多様多彩な“他人”によって固められ、固定さ
れて、宇宙は揺らぐことのない堅固な大伽藍として立ち現れます。

その“幻想宇宙劇場”のなかでわれわれは“成長”“進化”を競い、“立派”
さと“喜び”を褒め称え合って、とんでもない夢の高みに達しながら、しかも
なお“滅亡”には耐えられない。

この豊饒な創造力が讃えられる多次元宇宙のなかで、たくさんの挫折者たちが
それぞれ自分に見合った一隅で、“生きる目的”やら“生存の手段”やらを失
う悪夢に魘(うな)されるというわけです。

いま流行りのワーキングプアは真夜中にネットカフェを求めて都会を彷徨い、
いっぽう限界集落では老人の孤独死が絶えません。

文学空間の悪夢のなかでは、Kは『審判』の恐怖に脅かされながらも、永遠に
『城』にはたどり着けないわけです。

豊饒な幻想空間の中では、喜びも挫折も止め処がないのだろうと思います。

その一大構造物のどことも知れぬ一隅で、わたしもいっぱしに“瓦礫の街”を
彷徨っているというわけです。(*^_^*)

夢の世界の中に求めるものがあるかぎり、われわれは自由にはなりえないわけ
ですよねぇ。

なにしろ、微睡(まどろ)んでいるのは全権をもっている「わたし」だから。

「わたし」がその全権を夢の世界に委譲し、わたしとして夢の世界のなかで求
めるものがあるかぎり、夢のなかに出口はない理屈です。

一瞬、実物大(つまり、自己同化大の)自分に戻って、夢の世界の中にわたし
の欲しいものがあるだろうか?、なんて思ってみると……。

いやー、このつかの間の幻影のなかに欲しいものはなさそうだなぁ。(-_-;)

……なんて、そんな気分にもなってきますね。

このメルマガの最初に、「仮現の現象世界に興味を失うための努力です」って
書いてあるんですが、なるほど、はっきり意図を鮮明にするってなかなか意味
のあるものなのかもしれませんね。

だんだん、ほんとに興味を失ってきているみたいで……。(^^;)

結局のところ、わたしはマインドの圏内で振動していたいのかどうか……、た
だそれだけのことなのかもしれませんね。

だんだん、独り言になるような気もします。

ほんとうに、この夢のなかで欲しいものがあるのかどうか。(-_-)

肉体から離れるまでのストーリーに好みの注文があるかどうか……。

むろん、あるのなら、それはそれで頑張ったらいいわけですが……。

横山祖道さんのお姿をときどき思い出します。

「みんな、世間に騙されるんだよ」っておっしゃっていたけど。

坐禅は騙さないんだって。

ただひたすら、マインドの圏外に出ることをこいねがうというのなら、能力の
ことも何もかも、何ひとつ顧みることなく、ただマインドの圏外にいることを
試みたらいいわけですよね。(@_@)

なんだ、それだけのことかって気もします。

ナンダンは、“寝禅”をやってたんだよなぁ……。(-_-;)

外道の禅をやったから、オレはパーキンソン病になったんだって言っていたけ
ど。

わたしの夢は、わたしが観ている。

明らかに「全権」をもっているのは、「実在」である「わたし」ですよね。

わたしは自分の「欲望」には逆らえない、ってだけのことだと思います。

「わたし」が全権を持っていること、「わたし」が常設館“宇宙幻想劇場”の
興行主であることについては、まったく疑問の余地はないわけだなぁ。

だって、どう考えてみても、「わたし」の存在は“宇宙幻想劇場”内部のいか
なるものにも依存していないわけですから。

すべては「わたし」在るがゆえに在る、これはもう間違いありません。

そして、「私は在る」……。

わたしは永遠の実在、空無のなかに消えてもいいけれども、空無のなかに消
えることはないのでしょう。

となると論理的必然として、存在するのは「わたし」だけで“宇宙幻想劇場”
(=「世界」)の方は非在だということですよね。

これは結局、『神の使者』でアーテンが説明する「純粋な非二元論」ってこと
になるだろうと思います。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol175.html#1-4

そういう話がニサルガダッタの話だったり、アーテンやパーサが伝えるイエス
の話だったりしたわけですが……。(-_-;)

どうもなんだか、わたしまで本気でそんな気がしてきちゃって。

わたしって、信じやすいほうなんですよね。

なんだか、この世に欲しいものなんか何もないような気がしてきちゃって。

それに、だいいち手に入れても、あまり“長持ち”しないし。

欲しいものって、自分が「全権」を委ねて創造しているこの“夢”のなかでの
“意味”のことなんじゃないか、と思われてきました。

どうやったってこの身体を永遠に生かしておくことなどできない相談ですし。

それに、そんなこと、したいような気もしないし。

立派な成績を上げたいような気もしないしなぁ。

なんか、個別に関わる話って、どれもみみっちいみたいな気がしてきて。

永遠の常設館“宇宙幻想劇場”の興行主が、なにもそのときの出し物の小道具
をひとつ欲しがってみてもねぇ。

ただ、いまのところ、“宇宙幻想劇場”の出し物のなかで夢中になってもいる
わけだから、興行主の自覚が安定しないですよね。

特にもう少し生き延びたいとも思わないけれど、身体の中で生きているあいだ
にあんまり困窮するのもいやだし……、とか。

ほどほどでお茶を濁しながら、静かになっていきたいもんだなぁ、なんてまだ
まだ粘って、贅沢を言っています。

あはは。

(^^;)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【98 自己同一化からの自由】の3回目
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じょじょにですが風景は単純になってくるようです。

> 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。

こんな↑聞き慣れたような言葉も、それがじっさい、何を意味するのかという
ことになれば……必ずしも自明ではないわけですから。

それはもしかしたら、

> 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。

ということを意味するのかもしれません。

それは、裏を返せば、

> 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。

ということによって保証されているのかもしれませんから。

もしそうだとすれば、明らかに、そしてたしかに、

> 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。

ということになるわけだ、とも思います。

なんと驚くことに、ニサルガ師匠は、

> マインドは障害に焦点を合わせることができるだけだ。

と言い切っています。

マインドには、障害に焦点を合わせてもらって、障害の“芋洗い”で、障害を
磨り減らしてもらうしかなさそうじゃないですか……。

では、【98 自己同一化からの自由】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 人は自分自身の罪だけのために苦しむのでしょうか?
 
 マハラジ
 人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ。
 あなたが人類とひとつであると感じるならば、あなたは人類とともに苦しむ
 のだ。
 
 質問者 では、宇宙とひとつだと主張しているあなたにとって、時間的にも
     空間的にも苦しみはかぎりないものなのです!
 
 マハラジ
 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみはより激しい
 ものとなるのだ。
 
 質問者 キリスト教は苦しみを、浄化し気高くするものとして受け入れてい
     ます。一方、ヒンドゥー教はそれを毛嫌いしているようです。
 
 マハラジ
 キリスト教は言葉を構成するひとつの方式であり、ヒンドゥー教はまた別の
 方式なのだ。
 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。
 それは伝達不可能でありながら直接体験され、マインドに爆発的影響を及ぼ
 すものなのだ。
 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。
 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。
 
 質問者 必要とされ、善である苦しみというものはないのでしょうか?
 
 マハラジ
 偶然に、あるいは不意に起こる苦痛は一時的であり、避けることができない。
 たとえ最善を考慮した上であっても、意図的に加えられた苦痛は、無意味で
 あり残酷なものだ。
 
 質問者 あなたなら犯罪を罰することはないのでしょうか?
 
 マハラジ
 罰は合法化された犯罪でしかない。
 報復よりも防止をもとに築かれた社会では、犯罪は非常にまれなのだ。
 不健全なマインドと身体によって起こったようないくつかの例外は、医学的
 に扱われることだろう。
 
 質問者 どうやら、あなたは宗教を無用だと考えているようですね。
 
 マハラジ
 宗教とは何だろうか?
 空に浮かぶひとつの雲だ。
 私は無数の言葉で織りなされた雲のなかにではなく、空のなかに住んでいる。
 無用な言葉を取り去りなさい。
 すると何が残るだろうか?
 真理が残る。
 私の家は不変なるもののなかにある。
 それは対極同士がつねに調和され、統合された状態にある。
 人びとはそのような状態の実際の体験や、その障害について、そしてひとた
 び知覚されればそれを意識内に確立する技について学ぶためにここへやって
 くるのだ。
 そうすることによって、生きることと理解との間に衝突が起こらないように。
 その状態自体はマインドを超えており、習う必要はない。
 マインドは障害に焦点を合わせることができるだけだ。
 障害を障害として見ることは効果のあることだ。
 なぜなら、マインドがマインドに働きかけているからだ。
 
 ことの起源からはじめなさい。
 「あなたは在る」という事実に注意を払いなさい。
 「私はいない」と言えるときはないのだ。
 あなたに言えることは、「私は覚えていない」ということだけだ。
 記憶がいかに頼りにならないものか、あなたも知っているだろう。
 些細な個人的関心事に没頭して、あなたはあなたが何なのかを忘れてしまっ
 たのだ。
 既知なるものを消し去ることで、失われた記憶を取り戻すように試みなさい。
 何が起こるのかをあなたに伝えることはできない。
 またそれは望ましいことではない。
 期待が幻想を生みだすからだ。
 内なる探求においては、予期せぬことが起こることは不可避だ。
 発見は、かならずすべての想像を超えたものなのだ。
 生まれたばかりの子どもに、誕生した後の人生を知ることができないような
 ものだ。
 なぜなら、マインドのなかにそれを形づくるための確かな画像が何もないか
 らだ。
 同じようにマインドは、「これではない、あれでもない」という否定の言語
 による以外に、非実在の言語をもって実在について考えることは不可能なの
 だ。
 非実在を実在と受け入れることが障害であり、偽りを偽りとして見て、それ
 を放棄することが実在を存在のなかにもたらすのだ。
 明晰(めいせき)性とかぎりない愛、完全に恐れのない状態。
 今、これらは単なる言葉、色彩のないただの輪郭(りんかく)、こうありう
 るというヒントでしかない。
 あなたは手術の結果、目の見えるようになることを期待している盲目の人の
 ようなものだ。
 もしあなたが手術を避けさえしなければ!
 私が在る状態では、言葉はまったく重要なものではない。
 また、そこには言葉への耽溺などない。
 ただ、事実だけが重要なのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p531-532)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 人は自分自身の罪だけのために苦しむのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ。

ああ……、まさに。(-_-)

「人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ」

> あなたが人類とひとつであると感じるならば、あなたは人類とともに苦しむ
> のだ。

そういうことか。

> 質問者 では、宇宙とひとつだと主張しているあなたにとって、時間的にも
>     空間的にも苦しみはかぎりないものなのです!

理屈だよなぁ。(-_-;)

> マハラジ
> 在ることとは苦しむことなのだ。

(*_*)

……やっぱり。(-_-;)

こんなことを言うのは、このひとくらいかなぁ。

……それとも、考えようによっては仏陀も、そしてパーサとアーテンが伝える
イエスも同じわけか……。

ただ、神々の言葉じゃないよな。

> 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみはより激しい
> ものとなるのだ。

じつに的確。

まったく、疑問の余地なしだ……。

「自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみはより激しい」

> 質問者 キリスト教は苦しみを、浄化し気高くするものとして受け入れてい
>     ます。一方、ヒンドゥー教はそれを毛嫌いしているようです。
> 
> マハラジ
> キリスト教は言葉を構成するひとつの方式であり、ヒンドゥー教はまた別の
> 方式なのだ。

たしかに。

> 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。

言葉の手の届かないものとして、言葉の非在として、それは在る。

> それは伝達不可能でありながら直接体験され、マインドに爆発的影響を及ぼ
> すものなのだ。

なんと力強い。

> 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。

(@_@)

「他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る」

そうなんだ……。

> 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。

なんと、シンプルな……。

「非実在は想像によって創造され、欲望によって永続される」

> 質問者 必要とされ、善である苦しみというものはないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 偶然に、あるいは不意に起こる苦痛は一時的であり、避けることができない。

やっぱり。

> たとえ最善を考慮した上であっても、意図的に加えられた苦痛は、無意味で
> あり残酷なものだ。

まったく。

> 質問者 あなたなら犯罪を罰することはないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 罰は合法化された犯罪でしかない。

単純だよなぁ。

> 報復よりも防止をもとに築かれた社会では、犯罪は非常にまれなのだ。

そりゃ、そうだ。

それがいわゆるHEB(高度に進化した存在(highly evolved being))の世界
というわけか。

> 不健全なマインドと身体によって起こったようないくつかの例外は、医学的
> に扱われることだろう。

懲罰の対象ではなく、治療の対象だというわけだよな。

> 質問者 どうやら、あなたは宗教を無用だと考えているようですね。
> 
> マハラジ
> 宗教とは何だろうか?
> 空に浮かぶひとつの雲だ。

なるほど。

そういうふうにも言えるか……。

> 私は無数の言葉で織りなされた雲のなかにではなく、空のなかに住んでいる。

うん。

> 無用な言葉を取り去りなさい。
> すると何が残るだろうか?
> 真理が残る。

“意味”に汚されていない……ということか。

> 私の家は不変なるもののなかにある。

進化も必要なければ、退化もありえない……。

> それは対極同士がつねに調和され、統合された状態にある。

ふーん。

> 人びとはそのような状態の実際の体験や、その障害について、そしてひとた
> び知覚されればそれを意識内に確立する技について学ぶためにここへやって
> くるのだ。

なるほど。

そういうことか……。(-_-;)

> そうすることによって、生きることと理解との間に衝突が起こらないように。

ふーん。

> その状態自体はマインドを超えており、習う必要はない。

(*_*)

あ、そうなの。

なんだ、そうか。

心配しちゃった。(^^;)

> マインドは障害に焦点を合わせることができるだけだ。

(@_@)

そういうことだったんだ。

そういうことだったんだ……。(;_;)

(-||-)

> 障害を障害として見ることは効果のあることだ。

うん。

> なぜなら、マインドがマインドに働きかけているからだ。

ああ、なるほど。

「マインドは障害に焦点を合わせることができるだけだ」ったんだなぁ……。

> ことの起源からはじめなさい。

(@_@)O

> 「あなたは在る」という事実に注意を払いなさい。

はい。

> 「私はいない」と言えるときはないのだ。

わかっています。

> あなたに言えることは、「私は覚えていない」ということだけだ。
> 記憶がいかに頼りにならないものか、あなたも知っているだろう。

はい、知っています。

(しょっちゅう、注意されていますから。(-_-;) ←(^_-) )

> 些細な個人的関心事に没頭して、あなたはあなたが何なのかを忘れてしまっ
> たのだ。

ああ……、そういうことか。

> 既知なるものを消し去ることで、失われた記憶を取り戻すように試みなさい。

「失われた記憶を取り戻す」ためには、「既知なるものを消し去」らなければ
ならない……。

> 何が起こるのかをあなたに伝えることはできない。
> またそれは望ましいことではない。
> 期待が幻想を生みだすからだ。

わかります。

> 内なる探求においては、予期せぬことが起こることは不可避だ。

はい。

> 発見は、かならずすべての想像を超えたものなのだ。

(;_;)

> 生まれたばかりの子どもに、誕生した後の人生を知ることができないような
> ものだ。

まったく。

> なぜなら、マインドのなかにそれを形づくるための確かな画像が何もないか
> らだ。

ああ……、たしかに。

> 同じようにマインドは、「これではない、あれでもない」という否定の言語
> による以外に、非実在の言語をもって実在について考えることは不可能なの
> だ。

理解できます。

> 非実在を実在と受け入れることが障害であり、偽りを偽りとして見て、それ
> を放棄することが実在を存在のなかにもたらすのだ。

なるほど。

> 明晰(めいせき)性とかぎりない愛、完全に恐れのない状態。

おお。

> 今、これらは単なる言葉、色彩のないただの輪郭(りんかく)、こうありう
> るというヒントでしかない。

間違いなく。

> あなたは手術の結果、目の見えるようになることを期待している盲目の人の
> ようなものだ。

はい。

> もしあなたが手術を避けさえしなければ!

ああ……。

> 私が在る状態では、言葉はまったく重要なものではない。

そうか……。

……そうか。

> また、そこには言葉への耽溺などない。

はい。

> ただ、事実だけが重要なのだ。

その通りです。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.編集後記:それでは、良いお年をお迎えください。
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なんだか、マインドの鼻毛でも抜かれたのか、いまいち、マインドに力が入ら
ないです。

なんとなく“浮遊している”みたいな、季節外れのボウフラみたいな感じです。

それにこの季節になると、以前、座骨神経痛をやった左脚の腰のあたりがガク
ガクするし。

全体に、キマラナイです。^^;

いまさっき裏の林道を散歩してきたんですが、真っ暗の中を突然、間近でシカ
が「ピー」っと警戒音を出して……。

こっちはまだ、幻想劇場のなかにいますから、あんまり近くで突然音を出され
るとドキッとしますよね。

そのあとも、散歩している間ずっと、遠ざかりながらシカの警戒音が見送って
くれました。

もうじき、今年も終わるんですね。

それでは、良いお年をお迎えください。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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