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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.196 2008/1/06(第196号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在999名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「私は在る」の内包と『覚醒の炎』

2.写経ニサルガダッタ:【98 自己同一化からの自由】の4回目

3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

4.編集後記:帰ろーかなー、帰るのよそーかなー♪
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■ 1.「私は在る」の内包と『覚醒の炎』
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関東地方のこの一角では新年になってから晴天が続いていたのですが、今日は
どんよりうそ寒い感じの、しかし見事なほどに無風の曇天です。

……あ、微かに地上が明るくなってきたなと思ったら、山の上の雲間が晴れて
青空が見えてきているんですね。

ほんとにこんなに静かな世界なのに、一瞬の間も変化はとどまることがない。

これでは自己同化の“張り合い”もないというものです。^^;

みなさま、明けましておめでとうございます。_(_^_)_

と、まあ、言うことになっていますよね。

何がおめでたいのかはわかりませんが。

ま、固いこと、言いっこなしです。

あ、太陽が顔を出して、地上がすっかり明るくなりました。

たしかに、明けまして、ですね。(@_@)

「明けまして」というのは、今年もやっぱり太陽が顔を出してくれて、世の中
明るくなりました、ありがたい、ありがたい、という意味かな……。

それなら、とっても筋が通っていますね。

じっさい、太陽が顔を出してくれるからこそ、地上の植物も芽を出し、わたし
もこうして、ろくでもないお喋りをしていられるわけでしょうから……。

ああ、そうか、そういうことか……。

やっぱり、あるのは<全体>だけなんだなぁ。

それを、こうして小さな部分的な命があるような気がして、それに自己同化し
た何かが、<全体>に逆らって何かができるような勘違いを起こして、ああで
もない、こうでもないと、理屈をこねているんだなぁ。(-_-;)

そうかそうか、それはそれで、とってもご苦労さまなことなんだけど、とって
も可愛いことでもあるんだ……。

でも、何が何でもその勘違いをやめたいのなら、それは単なる“本家返り”な
のだから、それはそれで可能なんだよな……。(-_-)

あ……。(*@_@*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

今年もまだまだマインドが元気です。

まだまだマインドを黙らせるための理屈をこねなければなりません。

どうぞ、よろしければお付き合いください。

“豚も木に登る”ところなど、ご覧になっていただけるかもしれません。(^_-)

さて、いつものことながら、

              「私は在る」

です。^^;

これはわたしにとって、なぜか相性が良くて、自ら掴んだ“蜘蛛の糸”です。


(1)【「私は在る」は理屈を許容する】

なぜ相性がいいのかちょっと考えたんですが、まずは、「私は在る」がとても
理屈を許容する“蜘蛛の糸”だということだと思うんです。

通常“わたし”というのは自分が自分を指す言葉、つまりこの肉体に自己同化
したエゴを指示する言葉です。

その“わたし”が、苦しいとかなんだとか、いろいろ思いついた勝手なご託を
並べているわけですが……。

「もっと生きたい」「死ぬのは嫌だ」「楽がいい」という素朴なのから始まっ
て、今度はその反動で「早く死にたい」とか、少し考えて「苦楽を超えたい」
とか、いっそのこと「アセンションがいい」とか、いろいろ注文は尽きません。

でも、それこれもすべて、<全体>とは異なる、<全体>から分離した

              「私は在る」

からです。

少なくとも、そう思いこんでいるからです。

だからこそ、「もっと生きたい」「死ぬのは嫌だ」云々……のご託がありうる
わけですから。

その意味で、われわれに「私はいない」と言う選択肢はありません。

われわれは、「私は在る」を否定できない。

がっちり、ピッケルは岩盤に打ち込まれたわけです。

エゴはいろいろな“目くらまし”を仕かけて、なんとか“実像”を掴ませまい
と姑息な手段を弄しますが、さすがに「私はいない」とは言えない。

もしも、そんなことを言ったら、

――私はいない? (@_@)

  そんなら、あんた、発言権なしや。
  そんな、おらん人にまで発言権をくれるほど、世の中甘うありまへんで。

というわけで、もう何も言わせてもらえません。(^_-)

じっさい、もの言う「私」がいないのなら、どんな“問題”も“ご託”もあり
えない理屈ですから。

その意味で、「私は在る」は、存在する“あらゆるもの”に前駆して、存在す
る“あらゆるもの”の根拠として、自前で存在しているわけです。

個人的な“好き嫌い”を別にすれば、誰にも「私は在る」を否定することはで
きない、ということです。


(2)【「私は在る」は間口が広い】

その意味では、

              「私は在る」

は、自称“雑魚”も自称“鯛”も、あらゆる“わたし”を一匹残さず網羅的に
捕獲してしまう魔法の網です。

とにかく、言いたいことがある人は全部、引っかかる。

ということは、マインド圏の住人は全員が対象になるということです。

だから、これを乗り物として見るなら、これほど普遍的な乗り物はちょっと他
にないでしょう。

乗りたければ、万人に開放されている乗り物です。

ところで、もし乗り物なら、どこかからどこかへ移動するための道具であるは
ずですが……。

「私は在る」は、いったい、どこから、どこへ向かう“乗り物”なのか?

たぶん、

            「私」 ⇒ 「在る」

へ移動する乗り物なんでしょうね。

それを“移動”と呼べるなら、ですけど。

「私は在る」にあまり飽きがこないのは、「私は在る」という“蜘蛛の糸”が
とても多義で、ときに応じてその言葉の意味が変化するからだと思うんです。


(3)【「私は在る」の意味は変化する】

「私は在る」って、古い古い、太古からの乗り物らしいですよね。

その意味では、有効性が充分に実証され、枯れ尽くしている、乗り物なんだと
思います。

万人に存在している「私」から、真に永遠に存在している「実在」への旅が、
もっとも洗練された、もっとも枯れた形で仕込まれているのだと思います。

ニサルガダッタはこう言っています。

----------------------------------------------------------------------
 私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の道だ。
 ……
 理解の道はもっとも原初の、そして最新の治療法なのだ。
 なぜなら、それはマインドをあるがままに扱うからだ。
 
                          『私は在る』(p539)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

と……。(-||-)

……ニサルガダッタの言葉が出てくると、もう何も言えなくなります。

でも、そんな覚者の言葉だけでなく、口から泡を吹いて木に登ろうとする豚の
言葉にも、それなりの存在意義はありますよね。(^-^)

いずれにしろ、まだマインドが元気で、言葉を紡ごうとしている以上、それに
言いたいだけ言わせてやらない手はありません。

なにしろ「私は在る」は「理解の道」(=理屈を許容する道)ですから。

「私は在る」は、“「私」から「在る」へ”の道だと思います。

ここで「私」とは、もっとも包含範囲の広い「私」というある感じです。

どれほどの騒音(心配、恐怖、執着、欲望、期待、興味……)にまみれていて
も、その中心に「私」というある感じは在ります。

その意味では、「私」の“敷居”はメチャ低い。

「エブリボディ、オーケー。ユーアー、ウェルカム」です。

しかし、「在る」の方は、逆に“敷居”はメチャ高い。(;_;)

ほんのわずかの騒音(心配、恐怖、執着、欲望、期待、興味……)があっても、
ただ「在る」というわけにはいかない。

「ただ在る」だけでいい、なんて言われたって、その「ただ在る」が難しい。

……ところで、インドって国はやっぱり一種特別な国なんでしょうね。

最近はじめて知ったんですが、この国では他の国とは少し違うことが起こるみ
たいですよ。

去年最後の通院外来で東京に出かけたとき、新宿の三省堂に立ち寄って、
『覚醒の炎―プンジャジの教え』(ナチュラルスピリット刊)
http://tinyurl.com/3axj9q
という本を手に取ってみました。

なにしろ『私は在る』の翻訳者、福間巌さんが訳した本でしたから。

で、目次を見て、とりあえず購入しました。

それで、『私は在る』の合間に覗き込んでいるんですが、そしたら、こんなと
ころがありました。

ある質問者が、こんなことを言います。

「気づきがあるとき、私は自我が抵抗しているのを感じます。自我は気づきに
 何ができるのか見てみようとするのです。そこにはしばらく静けさもあるの
 ですが、自我が現れ、『何か娯楽はないか、何か刺激はないか』と言うので
 す」と。

これは、われわれにもごく納得のゆく、わかりやすい状況ですよね。

ところが、パパジ(プンジャジの愛称)は、それにこう答えます。

「あなたは今までそのように自分自身をしつけてきた。
 あなたは自我に何かするように、何か欲しがるようにしつけてきたのだ」

と。

そして、自分の体験としてこんなことを話します。

----------------------------------------------------------------------
 私は若い頃、その逆の問題を抱えていた。
 内面に入り、いつもそこで平和と幸福を楽しみたかったのだ。
 だが、周りの人たちは私がそうするのを嫌っていた。
 そのため、外側に出て世間の物事に関心を持つように努力しなければならな
 かったのだ。
 心を外側に向けて物事に結びつけるにはたいへんな努力がいった。
 それでもうまくはいかなかった。
 もし若い頃にした修練が何かあるかといえば、それは世間に属するための修
 練だった。
 私の心は内側に向かうことにしか興味をもたなかったため、外側の物事への
 関心を発展させるよう強制しなければならなかったのだ。
 他の人のことはわからないが、心は自動的に自分の関心事に従うものだ。
 私の関心はこの内なる幸福に沈みこみ、そこにとどまることだった。
 
                 『覚醒の炎―プンジャジの教え』(p124)
                       http://tinyurl.com/3axj9q
----------------------------------------------------------------------

なんと……。(@_@)

インドには、こんな方もいらっしゃるのですねぇ。

そうか……。

やっぱりインドは、他とはちょっと違う国なんだなぁ。

あ。(@_@)

しかし、考えてみたら、それがありうることなのも理解できますね。

ちょっと“下賤”な類比かもしれませんが (*^_^*)、わたし、本屋の息子だっ
たんですよね。

それで周り中に本があったものだから、本の世界が面白くて仕方なかった。

子供のころ学校から帰ってくると、秘かに店の本棚から本を“盗みだし”て、
二階のお婆ちゃんの部屋の縁側に潜りこみ、外から見つからないように障子を
閉めきって、そこの籐椅子に寝っ転がって本を読んでいました。

(思い返せば、あの頃が、わが人生最高のときだったなぁ。(-_-) )

そしたら、ときどき母親がやってきて、憂き世の風が吹き荒れたっけ……。

「またこんなところで本を読んでるッ!

 いま店が忙しいから手伝いなさいッ!」(\_/) って叱られたものなぁ。

うーん。(-_-;) (\←…… それとはちゃうって。)

いや、そうだけど……。(^^;)

パパジが、“内面に入り、いつもそこで平和と幸福を楽しみたかった”のと、
わたしが、“縁側に潜り、いつもそこで物語の世界を楽しみたかった”のとは、
ぜんぜん意味が違うんだっていうんでしょ。

わかるけどさ。

ふふ。^^;

でも……、どっちも、奪われる可能性があったのは同じよ。(^_-)

それは、さておき……。

いまの部分に続いて、プンジャジは次のように言ってるんです。

----------------------------------------------------------------------
 心や感覚の欠点を探してはならない。
 それらはただ最も関心のあるものへと向かうものなのだ。
 感覚や自我はあなたの執着するものに向かう。
 それらを別の方向へ向けようとするなら、執着を捨て去らなければならない。
 
               『覚醒の炎―プンジャジの教え』(p124-125)
----------------------------------------------------------------------

(*_*)

じつに、明晰ですねぇ。

> 心や感覚の欠点を探してはならない。
> それらはただ最も関心のあるものへと向かうものなのだ。

そういうことなんだ……。

> 感覚や自我はあなたの執着するものに向かう。

まったく。

> それらを別の方向へ向けようとするなら、執着を捨て去らなければならない。

じつに明晰、誤解の余地なし。

> 心や感覚の欠点を探してはならない。

というわけかぁ。

弁解の口実は、すべて取り去られるなぁ。

わたしの現在の人生は、わたしの関心・執着の結果そのもの……。

しかし、まさに、そのとおりじゃん。(@_@)

異議なし、文句なし。(^^)/

異議と文句が出てきたとすれば、それは、ニサルガダッタふうに言うなら、

----------------------------------------------------------------------
 あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。
 
                          『私は在る』(p538)
----------------------------------------------------------------------

ということなのかもなぁ。

それに、わたしはプンジャジじゃないから、放っておけばわたしの心や感覚は
騒音・情報の方へ寄って行ってしまう。

プンジャジなら、こう↓言えるけど。

----------------------------------------------------------------------
 私は内側に向かうことに執着していた。
 いつも至福の状態に没入していたかったのだ。
 私の周りの人たちはこれを嫌った。
 そのため、私は平和の中、幸福の中にいないよう修練をはじめたのだ。
 それは非常に難しいことだった。
 
 軍隊にいたとき、私はとても至福に満ちていたため、上官は私がいつも酔っ
 ぱらっているものと思っていた。
 彼は私の従者に一日に二杯以上与えてはならないと伝えたほどだ。
 だが、私の従者は答えた。
 「彼はまったく何も飲んではいません」。
 私は正しくふるまいたいと願っていても、心は私の言うことを聞かなかった。
 それは至福の状態にあまりにも執着していたのだ。
 どうして人びとの望むようにふるまうことができよう?
 私の心はいつも内面に引きこまれ、この幸福からけっして出ようとはしなか
 ったのだ。
 
 私は一度も瞑想や霊的修練をしなかった。
 あなた方が瞑想するとき、座って目を閉じる。
 なぜなら、これが瞑想の助けになると考えているからだ。
 私も目を閉じて座る。
 それが皆がここでしているやり方だからだ。
 だが、本当は私は瞑想などしていない。
 
 自己を知るために心を制御する必要などない。
 座って瞑想する必要もない。
 本を読む必要もない。
 真我に帰り着くために地図は必要だろうか?
 いいや、地図も、本もいらない。
 真我以外の場所に行きたいなら、地図も必要となろう。
 だが、あるがままのあなたで在るために、なぜ地図やガイドが必要だろうか?
 あなたはすでにそこにいるのだ。
 どの訓練、どのサーダナがあなたをあなたに近づけるというのか?
 どの菩提樹の木の下に座る必要があるというのか?
 
                 『覚醒の炎―プンジャジの教え』(p125)
                       http://tinyurl.com/3axj9q
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

こういう人が、インドにはいるんだなぁ。

> そのため、私は平和の中、幸福の中にいないよう修練をはじめたのだ。
> それは非常に難しいことだった。

ぷ。(>_<)

そりゃ、“非常に難しいことだった”ろうさ。(^_-)

わかるよ。

あ、でも、こちとら、プンジャジじゃなかった。(@_@)

わたしは、子どものときから娯楽と刺激を漁ってきたんだった。(>_<)

さっきの、質問者の立場だった。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 気づきがあるとき、私は自我が抵抗しているのを感じます。自我は
     気づきに何ができるのか見てみようとするのです。そこにはしばら
     く静けさもあるのですが、自我が現れ、「何か娯楽はないか、何か
     刺激はないか」と言うのです。
 
 パパジ
 あなたは今までそのように自分自身をしつけてきた。
 あなたは自我に何かするように、何か欲しがるようにしつけてきたのだ。
 
                 『覚醒の炎―プンジャジの教え』(p124)
----------------------------------------------------------------------

……まったく、そのとおりじゃん。(;_;)

> 感覚や自我はあなたの執着するものに向かう。
> それらを別の方向へ向けようとするなら、執着を捨て去らなければならない。

そういうこと……。

わたしの場合は、言葉中毒になるように自分のエゴを育ててきたんだ……。

だから、わたしの感覚や自我の、言葉への執着は半端ではない。(-_-;)

> それらを別の方向へ向けようとするなら、執着を捨て去らなければならない。

その道が「私は在る」のなかにはあると思うんですよね。


(4)【「私」は「在る」以外ではない】

Neti neti(あれでもない、これでもない)って聞いたことありますよね。

この言葉が何を意味するのか、じつは、よくわかりませんでした。

というか、わからないということ自体、わからなかった。

つまり、何となくわかったようなつもりでいました。^^;

「いまはわかった」と言うつもりもありませんが、ただ、ああ、Neti neti っ
て、そういうことなのかもしれない、と思うことはありました。

それは、われわれのあらゆる思いは、何らかの知覚の対象に自己同化した結果
として生まれているものだ、という発見でした。

わたしの十八番(おはこ)に、“宇宙内のあらゆる生き物の、あらゆる意見は
正しい”というおこがましい科白があります。(*^_^*)

要するに、宇宙というのは自己同化のためのシステムなのだから、どんなもの
に自己同化したどんな意見も、それはそれとして正しい、という見解です。

むろん、これは判断放棄であり、何らかの立場を取ること自体の拒否宣言とも
言えます。

さてそれで……、この“宇宙内のあらゆる生き物の、あらゆる意見は正しい”
という見解と、“Neti neti(あれでもない、これでもない)”の関係です。

Neti neti って、端的に言えば、自分は宇宙内に現象している“あれでもなけ
れば、これでもない”ってことですよね。

自分は、知覚の対象となる“どんなものでもない”ということだと思います。

“宇宙内のあらゆる生き物の、あらゆる意見”とは、宇宙内の何らかの現象、
何らかの知覚の対象に自己同化した見解、ということだと思います。

だって、宇宙内の何らかの現象に自己同化せずには、そもそもいかなる見解も
発生できないでしょうから。

すると、Neti neti のサーダナ(修練)とは、意見を持てる資格を喪失するた
めに努力してるのと同じことですよね。

いかなる立場も持たなかったら、どんな意見も持てない理屈ですから。

“宇宙内のあらゆる生き物の、あらゆる意見は正しい”という見解は、意見と
いうものの意図そのものを打破します。

しかし、“Neti neti”というサーダナは、意見を持つこと自体を不可能にする
ということです。

そうするとですよ、これを要するに、どういうことになるか……。

整理すると……、結局、求道(ぐどう)も何も、楽になりたいが一心だというこ
とは間違いありませんよね。

つまり、宇宙内のいろんな立場を取って、いろんな期待や見解をもつというこ
とは、結局、最後には“苦しくなること”なんですよ。(@_@)

だから、楽になりたくなる。

楽になるには、自分が宇宙内の“何ものか”だという思い込みから解放されな
くてはならない。

つまり、自分はもともと、ただ「在る」以外の何ものでもないのだから、何か
になって、自ら求めて苦しくなったりする必要はないんだ、ということです。

「私」というのは、「在る」以外ではないんですから。

「私は在る」のなかには、そのプロセスが含まれているわけです。

            「私」 ⇒ 「在る」

への全行程が……。

そこを、とことん、理屈で「理解」してもいいわけです。

「私」が「在る」以外の“何者か”になって、何かを“獲得する”方が「得」
なような気がしたら、すぐに宗旨替えして、また世間で頑張ればいいわけです
から。

ね、理屈でしょ。^^;

「私は在る」って、とっても懐が深いですよね。

(^^;)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【98 自己同一化からの自由】の4回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

われわれが求める「自己同一化からの自由」……。

その最後の部分で、ニサルガ師匠はじつに容赦ない言葉を吐きます。

質問者は、たんに“言葉を放棄する”ことの難しさに触れただけなのです。

> 質問者 言葉を放棄するのは本当に難しいことです。私たちの精神的人生は、
>     ひとつの絶え間ない言葉の流れなのです。

この言葉を聞くかぎり、ほとんど誰もが同意せざるをえないでしょう。

しかし、ニサルガ師匠の反応は、このときばかりは冷厳です。

> マハラジ
> それはやさしいとか難しいという問題ではない。
> あなたに選択権はない。

(@_@)

> 試みるか、試みないか。
> それはあなたにかかっているのだ。

ふー。(-_-)

全編にわたって、それぐらいまともに答えてくださっているということです。

では、【98 自己同一化からの自由】の最終4回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 言葉なくして宗教はありえません。
 
 マハラジ
 記録された宗教は単なる無用な言葉の山にすぎない。
 宗教はその真実の顔を行為のなかで、沈黙の行為のなかで示すのだ。
 人が何を信じているかを知るには、彼の行為を見守るがいい。
 大半の人びとにとっては、身体とマインドに仕えることが彼らの宗教なのだ。
 彼らは宗教的理念をもっているかもしれない。
 だが、それにしたがって行為することはない。
 彼らはその理念をもてあそぶかもしれない。
 そして、しばしば非常にその理念を好んでいるかもしれない。
 それでも、それにしたがって行為することはないだろう。
 
 質問者 言葉は意思伝達のために必要とされます。
 
 マハラジ
 確かに、情報の伝達のためには必要だ。
 だが、人びとの間の真の伝達は言語によるものではない。
 関係性を確立し維持していくには、直接行動によって表された感情豊かな気
 づきが要求されるからだ。
 あなたが何を言うかではなく、何をするかが重要なのだ。
 言葉はマインドによって作られ、マインドのレベルにおいてのみ意味を持つ。
 あなたには「パン」という言葉を食べることも、それによって生きることも
 できない。
 それは単に概念を伝えるだけなのだ。
 それは実際に食べることによって意味を獲得する。
 それと同じ感覚で私はあなたに「普通の状態とは言語上のものではない」と
 言っているのだ。
 それは賢明なる愛が行為のなかで表現されたものだとも言えよう。
 だが、あなたがその豊かさと美を自ら体験しないかぎり、言葉では言い表せ
 ないのだ。
 
 言葉にはそれ自体のかぎられた有益性がある。
 だが、言葉に制限を与えてこなかったことが、私たちを崩壊の淵へと追いや
 ったのだ。
 私たちの高尚な考えは、不名誉な行為によって絶妙に相殺されてきた。
 私たちは神、真理、愛について語る。
 だが、直接の体験の代わりに定義を蓄えてきた。
 行為を広め、そして深めていく代わりに、定義づけに忙しかったのだ。
 そして定義できることを、私たちは知っていると想像してきたのだ。
 
 質問者 どのようにして言葉を通さずに体験を伝えることができるのでしょ
     う?
 
 マハラジ
 体験は言葉で伝えることができない。
 それは行為とともに表されるのだ。
 体験のなかに強烈に在る人は、確信と勇気をまわりに放っている。
 ほかの人たちも行為し、行為から生まれた体験を得ていくのだ。
 言語上の教えは、マインドがマインド自体とその蓄積してきたものを取り除
 き、空にするのを助けるのだ。
 
 一切の外的なものに価値がなくなり、ハートにそのすべてを放棄する用意が
 あるとき、ひとつの霊的な成熟のレベルに到達されたのだ。
 そのときこそ実在はチャンスを得、それをしっかりとつかむ。
 もし遅れがあるとしたら、マインドが見ること、あるいは捨て去ることを望
 まないことが原因なのだ。
 
 質問者 私たちはそれほどまでに孤独なのでしょうか?
 
 マハラジ
 いいや、そうではない。
 もっている者たちは与えることができる。
 そして、そのような与える者たちは多くいる。
 世界自体が、誠実な犠牲的行為によって支えられている最高の贈り物なのだ。
 だが賢明で、謙虚な、受け取るにふさわしい人たちはまれだ。
 「求めよ。さらば与えられん」は永遠の法則なのだ。
 
 あなたはとても多くの言葉を学び、とても多くの言葉を話してきた。
 あなたはすべてを知っている。
 だが、あなた自身を知らないのだ。
 なぜなら、自己が言葉を通して知られることはないからだ。
 ただ直接の洞察だけが自己を露(あら)わにする。
 内側を見なさい。
 内側を探求するのだ。
 
 質問者 言葉を放棄するのは本当に難しいことです。私たちの精神的人生は、
     ひとつの絶え間ない言葉の流れなのです。
 
 マハラジ
 それはやさしいとか難しいという問題ではない。
 あなたに選択権はない。
 試みるか、試みないか。
 それはあなたにかかっているのだ。
 
 質問者 私は何度も試み、そして失敗してきたのです。
 
 マハラジ
 もう一度、試みなさい。
 あなたが試み続けるなら、何かが起こるだろう。
 試みなければ、あなたは立ち往生するだけだ。
 あなたはすべての正しい言葉を知り、聖典を引用し、討論において優秀であ
 るかもしれない。
 しかしそれでも、ただの薄っぺらな人間のままだ。
 あるいはあなたは目立たない、謙虚な、取るに足りない人かもしれない。
 それでも愛に満ちた優しさと、深い知恵に輝いているかもしれないのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p532-534)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 言葉なくして宗教はありえません。
> 
> マハラジ
> 記録された宗教は単なる無用な言葉の山にすぎない。

たしかに、“記録された宗教”は“無用な言葉の山”です。(-_-)

> 宗教はその真実の顔を行為のなかで、沈黙の行為のなかで示すのだ。

なるほど。

宗教の本当の姿は、そういうものだと思います。

> 人が何を信じているかを知るには、彼の行為を見守るがいい。

はい。(-_-)

> 大半の人びとにとっては、身体とマインドに仕えることが彼らの宗教なのだ。

わかります。

> 彼らは宗教的理念をもっているかもしれない。
> だが、それにしたがって行為することはない。

うん。

> 彼らはその理念をもてあそぶかもしれない。
> そして、しばしば非常にその理念を好んでいるかもしれない。
> それでも、それにしたがって行為することはないだろう。

たしかに。(-_-;)

> 質問者 言葉は意思伝達のために必要とされます。
> 
> マハラジ
> 確かに、情報の伝達のためには必要だ。
> だが、人びとの間の真の伝達は言語によるものではない。

あ、そう言いきって、いいわけだ。

「人びとの間の真の伝達は言語によるものではない」と。

> 関係性を確立し維持していくには、直接行動によって表された感情豊かな気
> づきが要求されるからだ。

それは、わかります。

それが細やかになりすぎて、もうどうでもよくなっちゃうわけですから。

もう“関係性を確立し維持していく”こと自体が、エゴとして配慮し続けるこ
と自体が、トゥーマッチになってしまうわけですから。

> あなたが何を言うかではなく、何をするかが重要なのだ。

はい、いつでもそうです。

> 言葉はマインドによって作られ、マインドのレベルにおいてのみ意味を持つ。

わかります。

> あなたには「パン」という言葉を食べることも、それによって生きることも
> できない。

そのとおりです。

> それは単に概念を伝えるだけなのだ。

はい、言葉は単に概念を伝えるだけです。

> それは実際に食べることによって意味を獲得する。

はい、「パン」は実際に食べられることで、その意味を獲得します。

> それと同じ感覚で私はあなたに「普通の状態とは言語上のものではない」と
> 言っているのだ。

言葉は、けっして“普通の状態”における必要を満たすことはできない、と。

人間は、けっして言葉によって満たされることはない、と。

> それは賢明なる愛が行為のなかで表現されたものだとも言えよう。

なるほど。

> だが、あなたがその豊かさと美を自ら体験しないかぎり、言葉では言い表せ
> ないのだ。

わかります。

> 言葉にはそれ自体のかぎられた有益性がある。

はい、もちろん。

> だが、言葉に制限を与えてこなかったことが、私たちを崩壊の淵へと追いや
> ったのだ。

(@_@)

そうなんですか……。

> 私たちの高尚な考えは、不名誉な行為によって絶妙に相殺されてきた。

たしかに……。(;_;)

> 私たちは神、真理、愛について語る。
> だが、直接の体験の代わりに定義を蓄えてきた。

はい。

> 行為を広め、そして深めていく代わりに、定義づけに忙しかったのだ。

なるほど。

> そして定義できることを、私たちは知っていると想像してきたのだ。

あ……。(@_@)

なんか……、わたしもそうかもしれない。

> 質問者 どのようにして言葉を通さずに体験を伝えることができるのでしょ
>     う?
> 
> マハラジ
> 体験は言葉で伝えることができない。
> それは行為とともに表されるのだ。

おお。

> 体験のなかに強烈に在る人は、確信と勇気をまわりに放っている。

そうか……。

> ほかの人たちも行為し、行為から生まれた体験を得ていくのだ。

ふーん。

> 言語上の教えは、マインドがマインド自体とその蓄積してきたものを取り除
> き、空にするのを助けるのだ。

おお、“言語上の教え”は、マインドを空っぽにする上で、役に立つことはで
きるのですか。(@_@)

> 一切の外的なものに価値がなくなり、ハートにそのすべてを放棄する用意が
> あるとき、ひとつの霊的な成熟のレベルに到達されたのだ。

「一切の外的なものに価値がなくなり」、ハートに外的なもの「すべてを放棄
 する用意があるとき」……。

うん、わかるような……。

> そのときこそ実在はチャンスを得、それをしっかりとつかむ。

そこまでこちらが用意して、はじめて「実在」に出番があるのか……。(-_-;)

早く「実在」に出てきてほしいなんてのは、まったく意味をなさないわけだ。

> もし遅れがあるとしたら、マインドが見ること、あるいは捨て去ることを望
> まないことが原因なのだ。

……そういうことですね。

わかりました。

> 質問者 私たちはそれほどまでに孤独なのでしょうか?

(?_?)

(この質問者の連想野というか心の動きはわからないな。)

> マハラジ
> いいや、そうではない。
> もっている者たちは与えることができる。
> そして、そのような与える者たちは多くいる。

はい。

> 世界自体が、誠実な犠牲的行為によって支えられている最高の贈り物なのだ。

あ……。(@_@)

そういう言い方もなさるのですか?

……そうか。(-_-;)

> だが賢明で、謙虚な、受け取るにふさわしい人たちはまれだ。

そんな。

> 「求めよ。さらば与えられん」は永遠の法則なのだ。

わかりました……。

> あなたはとても多くの言葉を学び、とても多くの言葉を話してきた。
> あなたはすべてを知っている。

なんか、まるで……。(*@_@*)

> だが、あなた自身を知らないのだ。

(>_<)

……わかっています。

> なぜなら、自己が言葉を通して知られることはないからだ。

はい。

> ただ直接の洞察だけが自己を露(あら)わにする。

絶対の沈黙のなかで……。

> 内側を見なさい。
> 内側を探求するのだ。

はい。

> 質問者 言葉を放棄するのは本当に難しいことです。私たちの精神的人生は、
>     ひとつの絶え間ない言葉の流れなのです。

まったく。

あんた、いいこと言う。

> マハラジ
> それはやさしいとか難しいという問題ではない。

(@_@)

> あなたに選択権はない。

(*_*)

> 試みるか、試みないか。
> それはあなたにかかっているのだ。

わかりました。

> 質問者 私は何度も試み、そして失敗してきたのです。
> 
> マハラジ
> もう一度、試みなさい。

(-_-)

> あなたが試み続けるなら、何かが起こるだろう。

(@_@)

> 試みなければ、あなたは立ち往生するだけだ。

(>_<)

> あなたはすべての正しい言葉を知り、聖典を引用し、討論において優秀であ
> るかもしれない。

(*@_@*)

> しかしそれでも、ただの薄っぺらな人間のままだ。

わかってます。(;_;)

> あるいはあなたは目立たない、謙虚な、取るに足りない人かもしれない。
> それでも愛に満ちた優しさと、深い知恵に輝いているかもしれないのだ。

はい。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちらでも。
E-mail:parichan@gmail.com

できればハンドル名もお願いします。


        …………○…………○…………○…………


今回、久しぶりに、ハイアーセルフ33さんから、情報紹介メールをいただき
ましたので、早速、掲載させていただきます。

【件名】: 「光(スザク)の息吹」サイト
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 「光(スザク)の息吹」という下記サイトを以前知りました。
 
 http://suzakunoibuki.blog7.fc2.com/blog-entry-171.html
 
 地球と私たち自身のアセンション情報・・・エネルギー変容とアドバイスを
 与えてくれるいい情報源だと思います。
 
 最近もいろいろコメントがあり、参考になるかと思います。
 
 Love and Peace ハイアーセルフ33
 ******************************************
 〜日常に精神世界の情報を生かしてゆくための〜
   スピリチュアル・メッセージ活用研究会
 H P :http://homepage2.nifty.com/haruhi33/
 Eメール:haruhi33@nifty.com
 *******************************************
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はるさん、いつも独自のセンサーによるご投稿、ありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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つい最近、年が明けて街に出たとき、本屋で『バシャール スドウゲンキ』
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という本を立ち読みしました。^^;

そしたら、バシャールが、現在の地球人の病気の97%(だったと思う ^^;)
は、体内に取り込んだ毒(=化学物質)が原因だという話をしていました。

97%となると、ほぼ人間の病気すべての原因ということですよね。(@_@)

これからアセンションを意図するひとには、体内毒物のデトックス(解毒)が
必須だということでした。

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■ 4.編集後記:帰ろーかなー、帰るのよそーかなー♪
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だんだん、追い込まれていきます。

自己同化からの自由を求めるなら、言葉を超えることは不可欠らしい……。

ニサルガ師匠に、

> それはやさしいとか難しいという問題ではない。
> あなたに選択権はない。

と駄目を押されてしまいました。

それを避けて、またもと来た道に戻る手もあるのかないのか。(-_-;)

戻ると言ったって、だいぶ興味を失っちゃったんだけど。

帰ろーかなー、帰るのよそーかなー♪

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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