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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.197 2008/1/13(第197号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在999名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.目覚めは目覚めの世界の実在性を疑えない

2.写経ニサルガダッタ:【57 マインドを超えたところに苦しみはない】1

3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

4.編集後記:自分の“興味には逆らえない”と信じています
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■ 1.目覚めは目覚めの世界の実在性を疑えない
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一面の薄明るい靄に覆われた光景の下の方から、ゆっくりと霧が右上方に立ち
昇っていきます。

視界の左下から右上に向かう山の稜線を限る木々の先端が、ゆっくりと姿を現
したりまた霧の中に隠れたりしています。

そこに何を期待するのでもなければ、現象世界は美しいですね。

さまざまな期待に汚染されて、光景はその時々の表情を湛えたり、ただ覆い隠
されたりするのでしょうか。

現象世界は絶えず変化するので、その先にもっと良いものがあったり、もっと
悪いものがあったりするような期待に汚染されます。

でも、ソラリスの海のように、何の目的も意図もなく、ただ変化の相を映しだ
しているだけなのかもしれません。

目的も意図も単なるいっときの汚れの相、それを映しだしているのは永遠に汚
れることのないまっさらなスクリーンなんだと思います。

「私は在る」……。

意味を追い求めることが少しずつ減少してくれば、少しずつ楽になってくる。

状況の変化に応じて、幸福だったり不幸だったりしなければならないのはつら
いことです。

でも、なぜか、状況の変化に応じて、幸福だったり不幸だったりしなければな
らないないのだと信じてきた。

そう教えられ、それを受け入れ、そう信じてきたわけですよね。

別にそうでなくてもいいんだ、と思われはじめてきました。

現象世界の変化がとまることはない。

でも、それに指揮されてわたしが幸福になったり、不幸になったりする必要は
ないのかもしれません。

どんなものにも依存せず自前の根拠によって存在しているのは、わたしだけな
んですから。

そのわたしが知らない目的や意味を、他の誰かに教えてもらう必要はないわけ
です。

「私は在る」だけですから……。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

現象世界に関するかぎり、その変化を止めることはできない……、これは確か
です。

その意味では、現象世界は非常に安上がりな自前で動く永久機関です。

“見ている”わたしに何ひとつ要求しない。

わたしがそこに個人として登場さえしなければ。(^_-)

その意味では、この“幻想宇宙劇場”は、とても面白いルールで成り立ってい
るようです。

観劇料は、永遠に無料です。

また、どんなに観劇を重ねたとしても、そのことによって観照者が実際に汚染
されることもありません。

このことは、絶対的に保証されています。

構造上、この芝居が観客を汚染することは不可能ですから。

ただ……、この“幻想宇宙劇場”は観劇料はいっさい取らないのですが……。

いったん、観照者がこの劇場の興行主が自分であることを忘れ、出し物の素晴
らしさに魅了され、芝居の中に出たいとなったら、たいへんです……。(-_-;)

これ……、まじ、タ・イ・ヘ・ンです。

というのは、この“幻想宇宙劇場”は幻想の出演料を“とる”からです。

出演料を“くれる”のではありませんよ。^^;

出演料を“とる”のです。

ただゲームの参加者の後ろから見物しているだけのお客さんには、けっして何
も要求しない、ヤクザさん経営の賭場のようなものです。

最近は、もっと洒落て“カジノ”なんて言葉を使うようですけどね。

『神との対話』の神さまふうに言うなら、じつは“賭場”の運営方法をヤクザ
さんに教えたのは神ですから。(^_-)

あはは。

ま、大人しく言って、ヤクザさんは“幻想宇宙劇場”のやり方を真似ているだ
けです。

いったい、この“幻想宇宙劇場”は、観照者からいっさい観劇料を取らないで
どうやって永久に興行していられるのか?

そのあたりからして、怪しいですよね。^_-

いったい、客から観劇料をとらないで、どうやって芝居ができるわけ? (?_?)

もちろん、もうおわかりのように、“幻想宇宙劇場”は“登場者”たちが分泌
する幻想の“欲望”と“恐怖”を燃料にして動いているわけです。

つまり、次はどうなることかと、ハラハラ、ドキドキ、ドラマの展開を待って
いる、われわれ幻想の“個人”の期待(エレメンタルとかいう洒落た言葉もあ
るそうですが)を燃料にしている永久機関なのです。

これはもう、永久に止まりっこありません。

まさに、自家発電、永久機関です。

よく、ヤクザの賭場にはまったら、尻の毛まで抜かれる、なんて下品な言い方
がありますが、そのやり方をヤクザさんに教えた“幻想宇宙劇場”の主催者の
マインドとなったら、その恐ろしさはもう……。(>_<)

なんて言ったら、どんな恐ろしい悪魔みたいなやつか、ということになります
が、いえ、それは単に個別が実在だと信じているずる賢いわれわれのマインド
のことにすぎません。^^;

ただ、個人のマインドと違って、集合マインドだから、情報規模となると、ま
あ相当なもんだと思いますけど。

つまり、過去・現在・未来のすべての幻想をひっくるめたもの、ということに
なりますか……。

そういう、いわばその意味では“全知全能”の何かが永遠の“神芝居”を上演
しているんでしょうね。

別の言葉で言うなら永遠の“賭場”の光景を映しだし、無心にゲームを展開し
ていく……。

ところが、その映画の展開を眺めていた「わたし」が、いっしゅん映画のなか
のあるプレーヤーのやり方に“興味”を持って……、そして気づきを失う。

もっとうまいプレイ方法があるのに……。

その瞬間、「観照者」は「個人」となって、映画の中に登場してしまう……。

その瞬間のことを、ニサルガダッタはこう描写します。

----------------------------------------------------------------------
 彼が人生を起こるがまま受け入れる代わりに、自分でそれを形づくりはじめ、
 彼自身をそれと同一化するとき、登場人物は個人となるのだ。
 
                          『私は在る』(p286)
----------------------------------------------------------------------

無心の映画の中で、自分を“行為者”だと思いこむことこそが、その映画への
“登場権”なんでしょうね。

“登場権”とは言っても、ジェット機の“搭乗券”にもおさおさ劣らず、あっ
という間に、思いもかけない地の果てまで連れて行かれる。

それこそ、瞬きをする間に、宇宙の玉座から、ヤクザさんの賭場にまで引きず
り込まれる。

いったん、「個人」となって映画の中に登場してしまったら、自分が“行為者”
だというその思い込みは増殖するばかりで、なかなか自分で減らせるものでは
ない。

“幻想宇宙劇場”の“登場者”たちが分泌する幻想の“欲望”と“恐怖”には
止めどがないようだからです。

……なぜか、むかし読んだ、ある中国の物語を思い出しました。^^;

ある旅人が森の中で道に迷って、日が暮れてしまう。

暗闇の中にやっと人家の明かりを見つけて近づくと、ありがたいことにそこは
ちょうど宿屋だった。

そこで出てきた女主人に一夜の宿りを求めて、部屋に通してもらう。

田舎の宿には珍しく、美味しい夜食に満足して、さて、明日の出発に備えて明
かりを消して、早く寝ることにします。

ところが、夜半、何かの気配に気づいて目が醒めます。

やおら身を起こして明かりを点けてみると、部屋の中には誰もいない。

しかし、たしかに、何か微かな物音がしている。

部屋と言っても、宿屋の部屋だから単調なもので、食卓と椅子の他には、壁際
に箪笥がひとつ置いてあるだけ。

どうやら、物音はその箪笥のあたりからしているらしい。

こころみに、その箪笥の一段を引き出してみた。

(*_*)

……なんと、その箪笥のなかでは、小さなこびとの百姓たちが、これも小さな
牛たちに鋤を曳かせて、畑仕事をしていたのです。

彼らは、この宿屋の女主人の魔法でこびとにされ、農奴となって宿屋の料理の
生産を担わせられたこの宿に宿泊した旅人たちなのでした。

この旅人が大急ぎでここから逃げだすところで物語は終わるのですが……。

(^^;)

なんか不思議な雰囲気のあるお話でしょ。

似たようなお話で、女主人にロバにされるのもありましたよね。

考えてみれば、ロバート・モンローさんが伝え聞いたルーシュの話も、
https://www.ascensionkan.com/books/journeyf.html
その元型だと思われるアヌンナキの話も、すべて同工異曲だろうと思います。

自分が神の創造物(人間)だと思いこんだ者たちの、神への怨念、神に対する
一種の“被害者意識”が創造した物語なんでしょうね。

むろん、物語だから存在しないという話じゃありませんよ。

想像(創造)された物語だから、すべて幻想宇宙のなかのそれぞれふさわしい
場所に、事実、存在するだろうという話です。

なにしろ、宇宙とは物語の“入れ子構造”、イマジネーションの、つまりは、
クリエーションの“入れ子構造”だからです。

多次元宇宙にはじつに優秀なクリエータたちが揃っていて……。(^_-)

……というわけで、“幻想宇宙劇場”の“登場者”が分泌する幻想の“欲望”
と“恐怖”には止めどがない。(-_-;)

幻想宇宙は永久機関です。

いったん自ら気を失い、その“登場者”となったら、その者(「個人」)が、
幻想宇宙の中で正気に戻ることは期待できません。

「人生のなかで、個人が観照者になる時点が来るのですね?」という質問者の
問いに、ニサルガダッタは次のように答えています。

----------------------------------------------------------------------
 個人が自ら観照者になることはない。
 それでは冷たいロウソクがやがて自ら火を灯(とも)すことを期待するよう
 なものだ。
 個人は気づきの炎に触れられないかぎり、無知の暗闇の中に永遠にとどまる
 こともありうる。
                          『私は在る』(p374)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(>_<)

“幻想宇宙劇場”のグリップは半端なものではなさそうです。

一度掴んだらちょっとやそっとのことでは解放してくれない。

まさに、マトリクス。

現れに対応しているかぎり、そこには絶対に出口はない……。

イエスも保証しているようです。

----------------------------------------------------------------------
 ――幻想からの自由は、幻想を信じないことのなかにだけ存在する。*
 
                          『神の使者』(p189)
                       http://tinyurl.com/ys2e5k
----------------------------------------------------------------------

この一言は重いですよね。(-_-;)

どうしてもこの宇宙が夢幻(ゆめまぼろし)とは思えない、と言う質問者に、
ラマナ・マハルシは次のように語りかけます。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 ……。私たちがさまざまな方法で見、感じ、触れているこの世界は
 何か夢のようなもの、幻想なのでしょうか?
 
 マハルシ
 もしあなたが真理を、ただ真理のみを求めるならば、世界を非実在として受
 け入れる以外に方法はない。
 
 質問者 なぜでしょうか?
 
 マハルシ
 その理由は明らかだ。
 世界が実在だという考えをあなたが捨て去らないかぎり、あなたの心はいつ
 も世界を追い求めるからである。
 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見なせば、実
 在そのものを知ることはけっしてできないだろう。
 このことが「ロープのなかの蛇」という類比によって説明されている。
 あなたは騙(だま)されて一本のロープを蛇だと信じ込むかもしれない。
 そこに蛇を見ているかぎり、ロープを見ることはない。
 あなたにとっては実在しない蛇が実在し、本物のロープがまったく実在して
 いないように見えるのである。
 
         『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p327-328)
                      http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------

なんと……。(@_@)

じつに、明晰じゃありません?

マハルシは、

> もしあなたが真理を、ただ真理のみを求めるならば、世界を非実在として受
> け入れる以外に方法はない。

と言います。

もし正直、あなたが真理のみを求めると言うのなら、

> 世界を非実在として受け入れる以外に方法はない。

って言うんですから、きついですよね。(>_<)

交渉の余地なし、妥協の余地なしです。

そう言われたら、真理を求めていると思う者は、誰だって、どうして? (?_?)
って思いますよ、そりゃ。

だから、この質問者も思わず訊いたわけです。

> なぜでしょうか?

って。

> その理由は明らかだ。
> 世界が実在だという考えをあなたが捨て去らないかぎり、あなたの心はいつ
> も世界を追い求めるからである。

なんと。(@_@)

……これはまた、じつに明晰、じつに論理的、疑問の余地なしです。

それでなくてもわれわれの全感覚は現象世界にフォーカスしているわけですか
ら、これが実在だと思っているかぎり、心が世界を追い求めるのは当然です。

> 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見なせば、実
> 在そのものを知ることはけっしてできないだろう。

(*_*)

なんと……。

これはしかし、じつに不思議な言い方です。

> 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見なせば……、

つまり、「現れ」はじつは“存在していない”ということじゃありませんか。

もしそうだったら、

> 実在そのものを知ることはけっしてできないだろう。

というのは、理の当然です。

> このことが「ロープのなかの蛇」という類比によって説明されている。

「ロープ」と「蛇」の喩えは、そういう意味だったんだ。(@_@)

> あなたは騙(だま)されて一本のロープを蛇だと信じ込むかもしれない。

うん。

> そこに蛇を見ているかぎり、ロープを見ることはない。

いや (@_@)、それは完全に、その通りでしょう。

> あなたにとっては実在しない蛇が実在し、本物のロープがまったく実在して
> いないように見えるのである。

あ。(*_*)

なるほど……、しかし、なるほど……。(-_-;)

そういうことか……。

なるほどなぁ。

しかし、そう簡単に、言われただけでこの“現実”を夢だと断定してしまうわ
けにはいきません。

だから、そのわれわれの気持ちを代表して、この質問者だって訊くわけです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 究極的には世界が非実在だということを試みに受け入れることはで
     きるでしょうが、それが本当に非実在だと確信するのは難しいこと
     です。
 
 マハルシ
 あなたが夢を見ている間は、その夢でさえも実在なのだ。
 夢がつづいているかぎり、あなたが見たり感じたりするものはすべて実在で
 ある。
 
 質問者 では、世界は夢と同じだということでしょうか?
 
 マハルシ
 あなたが夢を見ている間に、実在としての感覚のなかで何かおかしいと感じ
 ることはないだろうか?
 あなたが何かまったく不可能な夢、例えば、死んだはずの人と会話をするよ
 うな夢を見たとしよう。
 一瞬あなたは夢のなかでその夢を疑って自分自身に言うだろう。
 「彼は死んだのではなかったか?」。
 けれどもあなたの心は、何とかしてその夢のできごとと和解して、夢の目的
 に合わせてその人が生きていてもよいとする。
 つまり夢は夢として、あなたがその実在を疑うことを許さないのである。
 夢でさえもそうであるから、ましてあなたが目覚めの間に体験している世界
 の実在性を疑うことはできない。
 心自体が創り出した世界を、どうして心が非実在として受け入れることがで
 きよう。
 それが夢見の世界と目覚めの世界を比較した理由である。
 どちらも心の産物なのである。
 心がどちらかに没頭しているかぎり、どちらの実在性も疑うことができない。
 夢を見ている間は夢見の世界の実在性を疑えず、目覚めているときは目覚め
 の世界の実在性を疑うことができない。
 反対に、もしあなたが心を完全に世界から引っこめて内側に向かい、そこに
 とどまるならば、つまりもしあなたがつねにすべての体験の根底にある真我
 に目覚めつづけるなら、あなたが今気づいている世界は、あなたが夢見のな
 かで生きていた世界と同じように非実在であることがわかるだろう。
 
         『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p328-329)
                      http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------

……。

……ふう。

> 夢でさえもそうであるから……、

(-_-)

> ましてあなたが目覚めの間に体験している世界の実在性を疑うことはできな
> い。

……。

……そうか。

目覚めの世界のなかで、「目覚めの間に体験している世界の実在性を疑うこと
はできない」ことなんだ……。

……でも、いったん、夢見の世界から目が覚めたら、夢見の世界が非実在であ
ったことが自明にわかるように、

> 反対に、もしあなたが心を完全に世界から引っこめて内側に向かい、そこに
> とどまるならば、つまりもしあなたがつねにすべての体験の根底にある真我
> に目覚めつづけるなら、あなたが今気づいている世界は、あなたが夢見のな
> かで生きていた世界と同じように非実在であることがわかるだろう。

そういうことなのか……。

……何をか言わんや、だな。(-_-;)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
         【57 マインドを超えたところに苦しみはない】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の章はとっても素朴な、しかしとても興味引かれる質問からはじまります。

質問者は、ニサルガダッタが家族のなかで家長としてふるまっている日常を、
身近に見ていていたらしく、思わず質問してしまいます。

あなたの日常の体験はわれわれ普通人の体験とどう違うのでしょうか、と。

表面上は、ほとんど何も違わないらしい。

しかし、その内実はまったく違う……、いったい、何が違うのか。

ニサルガダッタの回答によって、われわれは急転直下、問題の中心にたちまち
連れて行かれます。

では、【57 マインドを超えたところに苦しみはない】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 あなたがあなたの息子さんの家で昼食が出されるのを待っていると
     ころを目にしました。そのとき、私の意識とあなたの意識の内容が
     似たものなのか、部分的に異なるのか、それともまったく違うのか
     と不思議に思っていたのです。あなたは私のように空腹や喉の渇き
     を覚え、食事が給仕されるまで落ち着かずにいるのでしょうか、そ
     れとも、まったく異なったマインドの状態に在るのでしょうか?
 
 マハラジ
 表面上の違いはほとんどない。
 だが、その奥深くではたいへん異なる。
 あなたはあなた自身を感覚とマインドを通してのみ知っている。
 あなたはそれらが示唆することをあなた自身として受け入れ、自己の直接の
 知識をもっていない。
 あなたのもっているのは単なる観念だけだ。
 すべて平凡で、使い古しのうわさによるものにすぎない。
 あなたは何であれ、あなたであると考えたことを真実として受け入れてしま
 う。
 あなた自身が知覚可能で、描写可能なものだと想像する習慣が非常に強固に
 なってしまっているのだ。
 
 私はあなたが見るように見、あなたが聞くように聞き、あなたが味わうよう
 に味わい、あなたが食べるように食べる。
 私はまた喉の渇きや空腹を感じ、時間通りに食事が給仕されることを期待す
 る。
 飢えたとき、また病気をしたとき、私の身体とマインドは弱まる。
 これらすべてを私はまったく明確に知覚するが、どういうわけか、私はその
 なかにはいないのだ。
 私は自分がその上を漂い、超然として離れているように感じるのだ。
 超然として離れていると言うことさえ本当ではない。
 そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
 そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
 あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
 平線の彼方で起こっているかのようだ。
 私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
 画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
 どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
 また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
 スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
 スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
 それはフィルムと何の関わりもない。
 フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
 だが、私の運命ではない。
 スクリーン上の人びとの運命だ。
 
 質問者 あなたは画像のなかの人びとが運命をもっていると言うのではない
     でしょうね! 彼らは物語に属しているのです。物語は彼らのもの
     ではありません。
 
 マハラジ
 では、あなたはどうだろうか?
 あなたはあなたの人生を形づくっているだろうか、あるいはあなたがそれに
 よって形づくられているのだろうか?
 
 質問者 確かにあなたの言われるとおりです。人生の物語はそれ自体で繰り
     広げられ、私はそのなかのひとりの役者にすぎません。私なしには
     それが存在しないように、その外側に私の存在もないのです。私は
     ただの登場人物であって、個人ではありません。
 
 マハラジ
 彼が人生を起こるがまま受け入れる代わりに、自分でそれを形づくりはじめ、
 彼自身をそれと同一化するとき、登場人物は個人となるのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p286-287)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)


> 質問者 あなたがあなたの息子さんの家で昼食が出されるのを待っていると
>     ころを目にしました。そのとき、私の意識とあなたの意識の内容が
>     似たものなのか、部分的に異なるのか、それともまったく違うのか
>     と不思議に思っていたのです。あなたは私のように空腹や喉の渇き
>     を覚え、食事が給仕されるまで落ち着かずにいるのでしょうか、そ
>     れとも、まったく異なったマインドの状態に在るのでしょうか?

これは、いわゆる悟った方と言われる人に、誰もがいちどは聞いてみたくなる
ような質問ですよね。

ところが、いざ覚者の目の前に座ると、実際はなかなかこんなことを質問する
ことを思いつかないんじゃないかと思います。

この方、よくぞ聞いてくださった。

その勇気に拍手です。(^^)/

> マハラジ
> 表面上の違いはほとんどない。

なるほど。

> だが、その奥深くではたいへん異なる。

やっぱり……そうですよね。(-_-;)

> あなたはあなた自身を感覚とマインドを通してのみ知っている。

はい。

> あなたはそれらが示唆することをあなた自身として受け入れ、自己の直接の
> 知識をもっていない。

「自己の直接の知識をもっていない」……。

なるほど、そう言うのか。

そういうふうに言うのなら、たしかに、抗弁はできません。

> あなたのもっているのは単なる観念だけだ。

そうなんだ……。

> すべて平凡で、使い古しのうわさによるものにすぎない。

そんな……。(;_;)

> あなたは何であれ、あなたであると考えたことを真実として受け入れてしま
> う。

そうか……。

そう言われれば、たしかに、そうだけど……。

> あなた自身が知覚可能で、描写可能なものだと想像する習慣が非常に強固に
> なってしまっているのだ。

あ……。(*_*)

……そうか、そういうことか。(-_-;)

理屈では、自分が“知覚可能で、描写可能なもの”ではないことが理解できた
ように思っていたけど……。

実際は、自分が「知覚可能で、描写可能なものだと想像する」非常に強固な習
慣に囚われているわけか……。

> 私はあなたが見るように見、あなたが聞くように聞き、あなたが味わうよう
> に味わい、あなたが食べるように食べる。

はい。

このことに関しては、われわれと何も変わらないわけですね。

> 私はまた喉の渇きや空腹を感じ、時間通りに食事が給仕されることを期待す
> る。

はい。

> 飢えたとき、また病気をしたとき、私の身体とマインドは弱まる。

なるほど。

> これらすべてを私はまったく明確に知覚するが、どういうわけか、私はその
> なかにはいないのだ。

そうか……。

> 私は自分がその上を漂い、超然として離れているように感じるのだ。

和尚もそういう言い方をしていた……。

> 超然として離れていると言うことさえ本当ではない。
> そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。

“形あるもの”への自己同化がまったくないということだよなぁ。

> そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。

そこには気づきがあり、また計り知れない距離の感覚がある、の並列の意味だ
よな、きっと。

> あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
> 平線の彼方で起こっているかのようだ。

非実在の映画であることの感覚が不動なんだ。

> 私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
> 画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。

いささかも、映画のなかの物語には汚染されない……。

> どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。

こちらの介入をいっさい要さない、壁掛け3D画面に映っている映画放送であ
ることが自明なんだ。

> また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。

自分は映画の中の登場者ではない。

> スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。

映画は実在するスクリーン在るがゆえに現れる。

> スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。

スクリーンが映画を創造しているのではない。

> それはフィルムと何の関わりもない。

実在であるスクリーンは、映画のストーリーとは関係がない。

> フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。

一巻の映画は、夢の構造体のなかでのひと塊りの運命。

> だが、私の運命ではない。

実在である、スクリーンの運命ではない。

> スクリーン上の人びとの運命だ。

そこで上映されている映画の登場人物たちの運命。

> 質問者 あなたは画像のなかの人びとが運命をもっていると言うのではない
>     でしょうね! 彼らは物語に属しているのです。物語は彼らのもの
>     ではありません。

(^_-)

このひと、思わずいいことを言ってる。

> マハラジ
> では、あなたはどうだろうか?

さっそくの突っ込み。(^_-)

> あなたはあなたの人生を形づくっているだろうか、あるいはあなたがそれに
> よって形づくられているのだろうか?

こう自分が言われたところを想像すると、どう答えますかねぇ。(-_-;)

> 質問者 確かにあなたの言われるとおりです。人生の物語はそれ自体で繰り
>     広げられ、私はそのなかのひとりの役者にすぎません。私なしには
>     それが存在しないように、その外側に私の存在もないのです。私は
>     ただの登場人物であって、個人ではありません。

ほー、この人……、こんなことを言う人なんだ。

> マハラジ
> 彼が人生を起こるがまま受け入れる代わりに、自分でそれを形づくりはじめ、
> 彼自身をそれと同一化するとき、登場人物は個人となるのだ。

……。

そうか、これが「個人」のはじまりなのか。

「人生を起こるがまま受け入れる代わりに」、それをそのまま受け入れられず
に、「自分でそれを形づくりはじめ」るときが。

そして、その役割に自己同化しはじめるときが。

その歴史も長くなったなぁ。(*-_-*)

戻れるかななぁ……。(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………


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【上位米の3分の1はス○○○米】

前回、現代地球人の病気の97%(だったと思う ^^;)は、体内に取り込んだ
毒(=化学物質)が原因だという、バシャール情報をお伝えしました。

体内毒物のデトックスが必要なことは間違いなさそうですが、これが単に解毒
能力だけでなく、じつは美味しいというのはありがたいですね。

上位米の3分の1はス○○○米だというのが現状らしいです。(まさにブラン
ド米並みの味ということですよね。)

ス○○○はダイオキシンのみならず最強の活性酸素LOOHまで解毒できる。

5兆円企業の穀物商社カーギルと2.5兆円のコカコーラ社が提携、甘味ス○○○
事業に参入するそうです。これで一時、業界で流されたス○○○悪玉説もいよ
いよ払拭され、ス○○○の認知度がずんと上がってくるでしょうね。

特に大きな才能も資本も持たないいわゆる庶民が、平等に権利収入を得られる
可能性があるのがMLMです。将来の年金に代わりうるような仕事が他に何か
あるでしょうか。あったら教えてください。(なんちゃって。(*^_^*))

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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』へのご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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今回、ハイアーセルフ33さんから情報をお寄せいただきました。

早速、掲載させていただきます。

【件名】: 四番目の<ただ在る>のレベル
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 このメルマガで継続的に引用されている、覚者ニサルガダッタの「私は在る」
 に関連する情報です。こうした面からの情報も役立つと思います。
 
 バーソロミュー3 p67−72より
 (マホロバアート http://www.mahoroba-art.co.jp/)
 
 *バーソロミューとは、女性チャネラーとテレパシーで交信している意識体
 につけた名称。以下バーソロミューからのメッセージ。
 
 ***************************
 
 ・・・。多くの人はこの三番目のレベルにいるしかないと思い込んでいるの
 で、ここにとどまります。このレベルにしかいられないと思い込んではいけ
 ません。じつは四番目のレベルに移行することも可能なのです。
 それを<ただ在る>状態と呼びましよう。これは自分の意識を意識そのもの
 に向けるというレベルです。
 
 どうすればこの四番目のレベルに達することができるのでしょうか。
 まず最初の三つのレベルを深く自覚し、それから「肉体や世界や想念に意識
 を向けているのは何なのか、誰なのか」と問うことです。
 
 最初の三つのレベルがそれぞれどのように感じられるかということに、細心
 の注意を払えば払うほど、この四番目の<ただ在る>ことが自然に感じられ
 信じられるものになってきます。この集まりが終わる頃までには、
 <ただ在る>ことという意識のレベルも、肉体や現象界や思考と同じように、
 現実性をもつた意識のレベルとして考えられるようになってほしいと思います。
 
 昨日は、想念や感情の群れを記録してもらいましたが、そのほとんどは第三
 のレベルでの探求でした。このレベルには実におびただしい数の感情や想念
 が存在します。第三のレベルの落とし穴は、人の気をまぎらわせて眠りに誘
 い込んでしまうことです。
 
 <ただ在る>ことへと移行しようとするときに、第三のレベルが誘惑をしか
 けてきます。そして<ただ在る>ことへ到達する方法を頭で理解しようとし
 たり、そうなったらどんな気持ちがするだろうかと考えたりします。
 
 さらに他にもそのレベルが存在すると主張する者がいるだろうかとか、それ
 について本を読む時間があるだろうかとか、その体験を深めるのに役立つセ
 ミナーをどうやって見つけたらよいか、などと考えたりします。そしてつい
 には第三のレベル特有の刺激的な華やかさに圧倒されて、第四のレベルの可
 能性がまた薄れてしまうことになります。
 
 この第四のレベルを招き入れるには、「そこに到達する方法は自分には思い
 もおよばない」ということを認めることです。そうしたあとで、
 <ただ在る>という意識のレベルが実際にあるのかどうかさえも確かではな
 いという気持ちで、一切のこだわりを捨てます。
 
 「この意識とは誰なのか、何なのか、この意識を意識しているのは誰なのか」
 と問いつづけてください。これは一度やれば終わりというものではありませ
 ん。何度もくり返しやってください。
 
 そこで今日一日を過ごす中で、自分がどのレベルにいるのかをつねに自覚し
 ていてください。泳いでいるときには、人は肉体のレベルを謳歌しているの
 かもしれません。雑念に邪魔されず、過去や未来を思い悩むこともなく、純
 粋に肉体そのものになっている時の素晴らしい感覚を忘れないでください。
 肉体の中にいる幸福感に満たされている時の方が、<ただ在る>という意識
 の状態に深く入っているのかもしれません。
 
 他人と関わっているときに、自分の中で何が起きているのかに注意を払って
 ください。
 自分の中にあるパターンや感情や思考の群れが頭をもち上げてくるでしょう。
 何か出来事が起きるのは第三のレベルです。
 
 今まで人が生きる活力を得たり、生きている実感を味わったりしてきたのは、
 この第三のレベルでした。けれどもそれは長続きしません。<ただ在る>こ
 とから得る活力は永続します。そのパワーは永遠です。<ただ在る>ことが
 与えてくれる力とは、喜びと幸福の状態にいられることです。
 
 そしてその状態を生むのは、第三のレベルで起こっていることを鋭敏な意識
 で観察し、まったくバカげたことでさえも、あるがままに完全に受け入れる
 態度です。自分の精神体や感情体を浄化しようとする必要はもうありません。
 
 そのかわりにこのレベルを離れて、<ただ在る>という第四のレベルにする
 りと静かに入っていこうと決心するだけでいいのです。ここで話しているこ
 とは、人は多くの選択肢を持っているという一例にすぎないのだ、というこ
 とを理解してください。どのレベルにいるにしても、人は意識の持つ大いな
 る光に気づく能力を持っています。
 
 神には人間にとって第一、第二、第三のレベルが長いあいだ続くとわかって
 いるので、そうした能力を贈り物として人の中に入れたのです。
 ところで、<ただ在る>というレベルは常に存在します。たとえあなたの人
 生が、どんなにつらく厳しく悩み多きものであつても、どんな時にも<ただ
 在る>ことは可能です。
 
 人生があなたに微笑みかけ、あなたをほめたたえ応援してくれなければ第四
 のレベルにいられない、というわけではありません。人が第三のレベルで何
 をするかという問題は、私にとってはどうでもいいことです。第三の意識状
 態には、人を永遠に魅了し続けるだけのものがあります。第三の意識はそれ
 自体を栄養として生きつづけますが、人を″広大無辺さ″の中に高く押し上
 げる力は持っていません。
 
 この世のものとも思われない素晴らしい恋をしていても、夜の闇のなかで目
 覚めて、胸の奥にひそむ孤独感に気づくことがあるでしょう。昨日の宿題の
 目的に観察する目を持ってもらいたい、ということがありました。第三の意
 識レベルの様々な状況の中に置かれていても、内なる平安の場所に達するこ
 とができるという感覚を持ってもらいたいということでした。
 
 何か今までと違うものがあったと報告した人が何人かいましたが、それが何
 なのかというのは、はっきりつかめなかったようです。気づきの練習を続け
 てください。私たちの共同作業の目的は、〈それ〉が何なのかを発見するこ
 とです。
 
 <ただ在る>ことのレベルに移行するためには、それが常に存在するものだ
 ということを思い出せばいいのです。心の中でそう言うだけでも、時空を超
 えた魔法の力が働いて、人をその領域に連れていってくれます。小手先のト
 リックを使ってそこに行こうとしてもダメです。
 
 いろいろなトリックを試したあげくあきらめて、「ダメだ、できない」と人
 は最後に言います。すると突然できるのです。そこでまた前にやってうまく
 いったと思える方法をくり返してみます。ところがうまくいきません。そし
 てまた、「ダメだ、できない」と言います。するとまた突然できるのです。
 
 努力と努力の間隙に、<ただ在る>ことが起きます。ですからやってみてく
 ださい。エゴの欲するままに、あらゆる方法を試してみましょう。そして疲
 れたら休んでじっとしているのです。努力をやめた時にそれは現われます。
 神は努力の中にあり、そして神は努力をしないことの中にもあります。求め
 ることの中にあり、見つけることの中にもあります。
 
 それなのです。第三のレベルにすべり落ちてもかまいません。ただそこにす
 べり落ちる自分を見ていてください。第三レベルで崇高なことを考えること
 と、邪悪なことを考えることとの間には、どんな違いもありません。
 
 崇高なことを考えている時には、自分がちょっと偉くなったような気がした
 り、邪悪なことを考えている時にはちょっと後ろめたく感じたりするかもし
 れません。けれどもどちらも第三のレベルでのことであり、どちらも一つの
 意識状態であるという事実に変わりはありません。
 
 限りなくやさしい慈愛に満ちた観察者であってください。歯を食いしばって
 がんばったりしないように。自分がまたも、今までと同じ心のドラマを演じ
 ていることが分かっても、「またこんな状態から抜け出られなくなるのはイ
 ヤだ。第四のレベルに行くにはどうしたらいいのだろう」などと嘆いたりし
 ないでください。
 
 これは頭での思考です。ただ笑いとばして、そのあと心の雑音を止めるので
 す。その方法が分からないとあなたは言いますが、それは嘘です。あなた方
 は私のような〈おしゃべり風〉の話を聞いているでしょう? 私がしようと
 していることは、多くの選択の機会を示して、人々は選択することができる
 のだという点に気づいてもらうことです。
 
 いかに選択するかではなく、選択することができるのだということがわかっ
 たなら、それで私たちの目的は達成されます。・・・
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はるさん、いつも独自のセンサーによるご投稿、ありがとうございます。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:自分の“興味には逆らえない”と信じています
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こんなふうにお喋りし続けることが、自分にとっていいことかどうかはわかり
ません。

しかし、今の自分には、この手のお喋りが一番有効なマインドへの攻め口だと
思っています。

そして、“メルマガの主旨”に唱った「仮現の現象世界に興味を失う」という
目的は、たしかに、じょじょに実現しつつあるようでもあります。

いずれにせよ、人間は自分の“興味には逆らえない”と信じています。

興味の方向を変えるより他に方法はない。

とことん、「仮現の現象世界に興味を失う」ことができたらどうなるのか。

そのときはそのときのことだと思っています。

いずれにせよ、もともと“後は野となれ山となれ”と言って始めたことですか
ら……。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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