━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.198 2008/1/20(第198号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1001名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.自己は現れの仲間になれない
2.写経ニサルガダッタ:【57 マインドを超えたところに苦しみはない】2
3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
4.編集後記:ののちゃんにだって、わかること……。
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■ 1.自己は現れの仲間になれない
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わたしが投影している世界では、晴天が広がっていますよ。(^_-)
早朝はとても寒かったのに、いまは微かなレースのように横たわる淡い絹雲ご
しに、強烈な白い太陽の光が輝きわたっています。
いま、その太陽の遙かな下、しかし絹雲のその上を東から西に向かって一直線
の細いジェット雲が無音で横切っていきました。
あれは、最近話題のケムトレイルではないな……。
本物のジェット雲みたい。
あ、これは何の音かと思ったら、今頃になってあのジェット機の音が聞こえて
きたんだ。
相変わらずの同じ光景なのに、思いなしかだんだん可愛らしくなって行くよう
で……。
わたしを楽しませようと思って、こうして今日も展開してくれているのかしら。
……なんてね。(^_-)
相変わらず実力以上の暴言、妄言を吐き散らしつづけているのですが、何を見
ようと、何を感じようと、何を言おうと、それはわたしじゃない、と思うと、
やっぱり静かな幸せが広がりますよね。(-_-;)
誰に褒めてもらうつもりもなく、思いっきりの暴言・妄言も、吐いてみるもん
ですね。
「これはいいや (^^)/」と思った言葉を吐きつづけていると、だんだん、われ
ながら、ちょっとそんな気がしてくるもんね。
わたしの思いなんて、わたしの習慣と記憶の反応にすぎないわけだから……。
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
自己同化の根拠をちゃんと理屈の上で外していくと、なんだか、だんだん気楽
になっていくような気分になります。
最近、はっきり理解した(つまり、意味がわかった)のは、
「存在」≠「現れ」
という不等式です。
こんな簡単なことだけど、ニサルガ師匠に、何度も何度も、それこそ噛んで含
めるように言い聞かせられて、やっと腑に落ちてきました。
「存在」≠「現れ」
って、意味わかります?
動詞形で書くなら、
「存在する」≠「現れる」
です。
あるいは、
「存在する」≠「現象する」
と書き直してもいいです。
これは、“「存在する」と「現象する」は同じではない”という意味ではあり
ません。
つまり、“「現象する」のは「存在する」ものの一部だ”という意味ではない、
ということです。
気取って、公式的に書くと、
(「存在」≠「現象」)≠(「存在」∋「現象」)
ね。(*^_^*)
つまり“「存在」は「現象」ではない”という意味は、“「現象」は「存在」
の部分集合だ”、という意味ではないということね。
もっとも、気取ってこんなことを書くと、かえってわかりにくくなるのはわか
っているけど。(^^;)
だいたい、読む気なくなるよね。(^_-)
わかります。
でも、ちょっと気取らせて。(^||^)
われわれって、確かなことは、五感でちゃんと確認できるものでなくちゃ、っ
て思いこんでいるでしょ。
「百聞は一見にしかず」とかさ。
科学的知見って、すべてそうですよね。
何らかの形の“現象”で確認できた観察結果から推論し仮説を立て、その仮説
を積み重ねてできあがった体系が「科学」なわけですよね。
そういう「科学」のなかでも、自然科学体系を支える基礎科学とされているの
が「物理学」だと思います。
ところが近年、その「物理学」のなかの「量子力学」分野でハイゼンベルクが
1927年に発見した「不確定性原理」によって、それまでの自然科学の根幹が揺
らいでしまった。
現象で確認するということ自体の、「観察」(観測)すること自体の客観性が
どこまでも保証されるものではないことがわかってしまった。
物質現象の根拠をどこまでも微細レベルで確認しようとすると、原理的な限界
があることがわかってしまったわけです。
量子レベルでは、観察しようとする意識(意図)そのものが観察結果に影響を
及ぼす、つまり、観察行為に介入することがわかってしまった。
これでは、極論すれば、現実というものはじつは存在しない、われわれは単に
“自分の思い込み”を見ているだけだ、という可能性も無下には否定できなく
なった。
それこそ精神世界のチャネリング本でもてはやされている話と同じになってし
まうわけです。
みなさんが見ている物理的現実というものはじつは幻想です、と。
最先端の物理学者が、自らの研究活動に瞑想を取り入れているというのもわか
る話ですよね。
これが、現時点での地上の現実、つまり“流行”の最先端です。
ここまで、気取って、また指が滑って、知りもしない科学のことまで書いてし
まいましたが ^^;、言いたかったのは、
「存在」≠「現れ」
あるいは、
「存在する」≠「現象する」
です。
これは、上でも書いたように、“「存在」と「現象」は同じではない”とか、
“「存在する」と「現象する」は違う”という意味ではありません。
そうではなくて、むしろ、“「存在する」ものは「現象しない」”という意味
です。
あるいは、逆に、“「現象する」ものは「存在しない」”という意味です。
つまり、
「存在」≠「現れ」
という公式で表現したかったのは、“「存在」と「現象」は違う”という意味
ではなくて、“「存在」と「現象」は背反する”という意味でした。
だから、もしその意味を正確に表すなら、(また気取って、「公式」的に表現
すれば (^||^) )、
「存在」∩「現れ」= φ
です。(*^_^*)
「存在」集合と「現象」集合の重なり部分(∩)は空集合(φ)だ、というこ
とです。
しつこく言うと、「存在する」と「現象する」は“背反事象”なんです。
「現れ」のなかに「存在」はない。
「現象する」もののなかに「存在する」ものはない。
また逆に、「存在する」ものは「現象しない」わけです。
これが、ニサルガ師匠に噛んで含めるように教えられて、最近やっと納得でき
たことです。
ふー。
こんな簡単なことを、しかも単にその意味を了解するだけのために、こんなに
手間暇がかかるとは。(-_-)
それほど、“思い込み”というのは頑固なものなんですね。
まさか、「存在」しないものが「現れ」るとは、思いもよりませんでした。
「現れ」るのは、「存在」しないものだけだったんですねぇ。
しかし、それじゃ、地上の言葉の使い方からするとメチャクチャでしょ。
それで、その意味での「存在」を表すために「実在」という言葉を使うように
なったんでしょうね。
そうでないと、われわれは“現れるものは存在する”に決まっていると思って
いるから、
「存在するものは現れない」
と言われても、何を言っているのかまったく意味不明になってしまう。
だから、
「存在するものは現れない」
という代わりに、
「実在するものは現れない」
という、やや受け入れやすい言葉を使うことにしたんでしょうね。
「実在するものは現れない」
なら、何やら意味ありげで、そういうこともあるか、と思えますから。
そして、じゃ、その「実在」とやらは、いったい何を意味しているんだろうと
思えますから。
「実在するものは現れない」
とは、「実在するもの」は「現れ」の仲間にはなれない、ということです。
なぜなら、「実在」とは、「現れ」を「見ている者」を指す言葉だからです。
「実在」とは、すべての「現れ」がそれに対して現れている者のことです。
すべての「現れ」の存在を保証している者、ということになりますか。
“こいつ”がいないことには、あらゆる「現れ」は存在できない。
だから、すべてのすべてを保証している者です。
それを「わたし」と名づけるなら“わたし一元論”になります。
あるいは、それを「神」と名づけるなら“神一元論”になります。
それが、“純粋な非二元論”ということだと思います。
最近は流行らなくなりましたが、「唯物論」とは、いわば“「現れ」一元論”
ということですよね。
「現れ」(物質過程としてわれわれの五感に現象しているもの)だけが実在だ、
とする説です。
それを見ている「わたし」のほうは、“物質の自然過程”という実在のうわべ
に、いうならば“雰囲気”のように、“感傷”のように、漂っているにすぎな
いという論でした。
この論は、われわれの“現在”のなかでは流行らなくなりましたが、必ずしも
過去の遺物になったわけでもないので、いまでもちゃんと労働者はいますし、
労働組合も残っています。
あ、けっして、“労働者”や“労働組合”を侮蔑しようという意図はありませ
ん。
同じように、「わたし」を“人材”とか“人財”と呼ぶ方々を侮蔑するつもり
もありません。
わたしがわたしの思いだと思っていた“思い”など、瞬きをする間に変化して
しまいますし、また、過去のどんな思いも、<いま>のなかに含まれているわ
けでしょうから。
いつも言うことですが、わたしは「宇宙内のあらゆる生き物の思いは正しい」
と思っていますが、と同時に、そういう思いも「わたし」ではない、とも思い
ます。
おしなべて、思いはすべて「わたし」ではないでしょうし……。
ニサルガ師匠も言っていますよね、
----------------------------------------------------------------------
あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であ
れ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より
深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだ
ろう。
否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットのように進歩
するのだ。
『私は在る』(p537)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
って。
この文脈にしたがうなら、
「存在」≠「現れ」
という公式(「存在する者は現れない」)は、
「自己」∩「現れ」= φ
つまり、
「自己は現れない」
という単純なメッセージに置き換えることもできますね。
これなら、明白とも言えるから、あまり違和感がないかも。
「自己は現れの仲間になれない」
と言えば、その意味するところは明々白々ですよね。
さて、いつもの
「私は在る」ですが……、これは
「私」 ⇒ 「在る」
のプロセス全体をカバーする乗り物でした。
つまり、「私」が「個人」を表す偽りの概念から、「在る」のなかに消え去る
まで、「私は在る」の一張羅で粛々と進むというわけです。
われわれが「私は在る」と言ったって、それはむろん、わたしという「個人」
を表しているわけですから。
で、この“個人を表す「私」”、つまり、「自我」が、その間ずっと出張って
いる。
たとえば、こうしていっぱしの顔して『アセンション館通信』なんて文章を書
いているわけです。(すんません。_(._.)_ )
これが、厄介です。
しかし、こいつをおだててマインドを攻めるしかない。
ま、できるだけの知恵を出させるわけですが、それだけでは絶対に片づかない。
じゃ、どうするのか……。
おだてるだけでは駄目なのですから、いよいよとなったら、じっくりと、匕首
片手に近づいて行かなくちゃならない。(←なんちゃって。(^_-) )
この「自我」について、ラマナ・マハルシがこんなことを言っています。
---------------------------------------------------------------------
自我とは何だろうか?
調べなさい。
身体自体は生命力をもたず「私」と言うことはできない。
真我は純粋な意識であり、非二元的なものである。
それも「私」と言うことはできない。
眠りのなかでは誰も「私」と言うことができない。
それでは自我とは何なのだろうか?
それは生命力のない身体と真我の間に介在する何かである。
それはそれ自体の場をもっていない。
探しだそうとすると、幽霊のように消え去る。
真夜中に、揺れ動く影を見て幽霊だと想像する人がいる。
よく近づいて見てみれば、幽霊はいなかったことがわかるだろう。
幽霊だと思っていたのはただの木かポストの影だったのである。
もし彼が近づいて見てみなければ、幽霊は彼を脅かしただろう。
必要なことは、よく近づいて見てみることだけだ。
すると、幽霊は消え去る。
幽霊などはじめからいなかった。
自我においても同様だ。
それは身体と真我の間に介在する実体のない結び目である。
それは実在しない。
近づいて見てみないかぎり、それは問題を与えつづけるだろう。
だが、探しだそうとしてみると、存在してはいなかったことがわかるのであ
る。
『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p109)
http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------
これは……しかし……、じつにもっともな話で。
> 身体自体は生命力をもたず「私」と言うことはできない。
もしこのこと↑に納得できたら、
> 真我は純粋な意識であり、非二元的なものである。
> それも「私」と言うことはできない。
このこと↑に同意するのは難しくない。
つまり「私」は「身体」のなかにも「真我」のなかにもいない、と。
たしかに、言われてみればそのとおりです。
じゃ、このわたしはいったい何処にいるの? (?_?)
こわーい! (>_<)
上の引用部分につづいて、ラマナ・マハルシはじつに面白い話をします。
しかも、これがインドとなると、いかにも本当にありそうだから面白い。^^;
---------------------------------------------------------------------
このことを説明しているもう一つの物語がある。
ヒンドゥ教の伝統的な結婚式では、婚礼の式典が5,6日つづくこともまれ
ではない。
そのような式典に、あるとき見知らぬ男が新郎側の参会者から主賓と見間違
われて特別な敬意を受けてもてなされていた。
新郎側から特別にもてなされている男を見て、新婦側も、新郎側に関係した
何か重要な人だと思い、彼に特別な敬意を示した。
それで、見知らぬ男は実に楽しい時間を過ごしたのだった。
彼はその間ずっと実際の状況にも気づいていた。
ある機会に、彼が誰に関係しているのかを知ろうと、新婦側が彼について新
郎側に尋ねた。
すると、彼はすかさず困難を嗅ぎつけて、その場を立ち去ったのである。
自我もこれと同じである。
もし探しだせば、それは消え去る。
もし探さなければ、それはあなたに問題を与えつづけるだろう。
『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p109-110)
http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------
うーむ。
これがわたしの正体か……。-_-;;
わたしって、こういうひとだったのね。(;_;)
> もし探しだせば、それは消え去る。
> もし探さなければ、それはあなたに問題を与えつづけるだろう。
なるほど……。
たしかに、問題を与えつづけているよなぁ。
いつまで経っても、悟れないもんなぁ。(;_;)
「真我」を実現していないことを知っているもんなぁ。
それは、たしか……。
でも、「それは、たしか」と言っているわたしは、いったい誰? (?_?)
----------------------------------------------------------------------
本当の「私」が言うのか、それとも偽りの「私」が言うのだろうか?
調べてみなさい。
すると、それが偽りの「私」であることがわかるだろう。
偽りの「私」が障害なのである。
真実の「私」が隠されないように、偽りの「私」は取り除かれなければなら
ない。
「私は実現していない」という想いが実現への障害である。
実際には、それはすでに実現されている。
それ以上実現されるべきものは何もない。
さもなければ実現とは何か新しいものだろう。
いままでなかったものなら、これから起こるということである。
誕生したものは死ななければならない。
実現が永遠のものでなければ、得る価値もない。
それゆえ、われわれが探求するものは、新しく起こる何かではない。
それは永遠なるものなのだ。
『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p117-118)
http://tinyurl.com/yzbe26
----------------------------------------------------------------------
> 「私は実現していない」という想いが実現への障害である。
うん。(;_;)
> 実際には、それはすでに実現されている。
うん。
「私は在る」んだから。
> それ以上実現されるべきものは何もない。
わかってる。
「私は在る」んだから。
そして、「自己は現れの仲間になれない」んだから……。
問題はやっぱり、わたしが身体に自己同化していることだけなんだ。
そして、その自己同化を外すには、その結婚式の重要人物の間近に近づいて、
その“正体”を見破るしかないんだ。
その「実現していない」と言う“わたし”の間近まで行って。
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
じつは、今回の部分は、ごくはじめの頃に写経した部分なんです。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol110.html#1
以前書いたことは、恥ずかしくてまだ読めません。^^;
それだけ“自分”が書いた文章に対する自己同化が強いということでしょう。
恥ずかしいということ自体、形あるものへの自己同化そのものですから。
ま、前に書いたことは放っておきます。
永遠の今のなかで、先に向かって進むだけです。
では、【57 マインドを超えたところに苦しみはない】の2回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 私が質問し、あなたが答えるとき、正確には何が起こっているので
しょう?
マハラジ
質問と回答は、ともにスクリーン上に現れるだけだ。
唇が動き、身体が話す。
そして、ふたたびスクリーンは明白で空っぽになる。
質問者 あなたが明白で空っぽだと言うとき、あなたは何を意味しているの
ですか?
マハラジ
それはすべての内容から自由であることを意味しているのだ。
私自身にとっては、私は知覚可能なものでも、想像可能なものでもない。
「これが私だ」と示唆できるようなものは何ひとつないのだ。
あなたは自分自身をいともたやすくあらゆるものと自己同一化してしまう。
私にとって、それはまったく不可能だ。
「私はこれでもなく、あれでもない。また、何も私のものではない」という
感覚が私のなかで非常に強いため、あるもの、あるいはある想いが現れるや
いなや、「これは私ではない」という感覚がやってくるのだ。
質問者 あなたは「これは私ではない、あれも私ではない」と繰り返すこと
で時間を過ごしていると言われるのでしょうか?
マハラジ
もちろん、そうではない。
私はただ、あなたのために言葉に置き換えてみただけだ。
グルの恩寵(おんちょう)によって、私は主体でも客体でもないということ
を永久に実現し、つねに自分自身に思い起こさせる必要はないのだ。
質問者 あなたが主体でも客体でもないと言われることで、正確には何を意
味しているのか私には理解できません。私たちが話している今この
瞬間、私はあなたの体験の客体であり、あなたがその主体ではない
でしょうか?
マハラジ
見なさい。
私の親指は人差し指に触れている。
触れるものと触れられるものの両方だ。
私の注意が親指にあるとき、親指が感じるものであり、人差し指は――自己
なのだ。
注意の焦点を移行し、その関係を逆転してみなさい。
注意の焦点を移行することで、私は私が見ているものと成り、それがもって
いる意識を体験し、そのものの内なる観照者となることを見いだしたのだ。
この他者の意識の焦点に入る能力を、私は愛と呼ぶ。
あなたはあなたの好きなように呼ぶがいい。
愛は、「私はすべてだ」と言い、智慧(ちえ)は、「私は無だ」と言う。
その二つの合間を私の人生は流れていく。
いかなる時間と空間の点においても、私は体験の主体と客体の両方であるこ
とができるため、私はその両方であり、どちらでもなく、またその両方を超
えていると表現するのだ。
質問者 あなたはあなた自身に関するそのような並外れた表明を行います。
何があなたにそのようなことを言わせるのでしょう? 時間と空間
を超えると言うことで、あなたは何を意味しているのでしょうか?
マハラジ
あなたが尋ね、そして答えがやってくる。
私は私自身を見守り、答えを見て、そこに矛盾のないことを見るのだ。
私が話していることが真実だということは明らかだ。
それはまったくシンプルなことだ。
あなたは、ただ私を信頼しなければならない。
つまり、私が話すことはまったく真剣だということだ。
すでに話したように、グルは私に自己の本性と世界の本性を見せてくれた。
それを実現したため、私は世界とひとつであり、しかもそれを超えているの
だ。
私は欲望と恐れのすべてから自由になった。
私が自由になるべきだと論証したのではない。
まったく予期せず、何の努力もなく、私は自由であることを見いだしたのだ。
この欲望と恐れからの自由は、それ以来、私とともにとどまっている。
もうひとつ見いだしたことは、私は何の努力をする必要もなく、何の遅れも
軋轢(あつれき)もなしに、行為が思考にしたがうということだった。
私はまた、思考が自己充足するようになり、ものごとがすらすらと、正しい
場所に落ち着くことも見いだしたのだ。
主な変化はマインドのなかだった。
それは不動で、沈黙し、素速く反応するが、反応を永続させなくなった。
自発性が生のあり方となり、真実は自然になり、自然さは真実となった。
何にもまして、生は無限の愛、幽玄で静穏な、すべての方向に輝き、すべて
を抱擁し、すべてを興味深く、美しく、意味深くする幸運なものとなったの
だ。
『I AM THAT 私は在る』(p287-288)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> 質問者 私が質問し、あなたが答えるとき、正確には何が起こっているので
> しょう?
>
> マハラジ
> 質問と回答は、ともにスクリーン上に現れるだけだ。
> 唇が動き、身体が話す。
> そして、ふたたびスクリーンは明白で空っぽになる。
こういうことを、言ってみたい。
……と言っている「私は誰か」……。
「私」はそういうことを言えない。
「私は在る」だけ……。
> 質問者 あなたが明白で空っぽだと言うとき、あなたは何を意味しているの
> ですか?
うん。
> マハラジ
> それはすべての内容から自由であることを意味しているのだ。
そうだ。
わたしはどんな内容にもなれないのだから。
> 私自身にとっては、私は知覚可能なものでも、想像可能なものでもない。
うん。
> 「これが私だ」と示唆できるようなものは何ひとつないのだ。
「私」はただそれらを見て、その存在を可能にしているだけ。
> あなたは自分自身をいともたやすくあらゆるものと自己同一化してしまう。
そうか……。(*-_-*)
> 私にとって、それはまったく不可能だ。
そうか……。
> 「私はこれでもなく、あれでもない。また、何も私のものではない」という
> 感覚が私のなかで非常に強いため、あるもの、あるいはある想いが現れるや
> いなや、「これは私ではない」という感覚がやってくるのだ。
そうか。
> 質問者 あなたは「これは私ではない、あれも私ではない」と繰り返すこと
> で時間を過ごしていると言われるのでしょうか?
ふふ。
> マハラジ
> もちろん、そうではない。
> 私はただ、あなたのために言葉に置き換えてみただけだ。
うん。
> グルの恩寵(おんちょう)によって、私は主体でも客体でもないということ
> を永久に実現し、つねに自分自身に思い起こさせる必要はないのだ。
こういうことを、言ってみたい。
……と言っている「私は誰か」……。
「私は在る」だけ。
> 質問者 あなたが主体でも客体でもないと言われることで、正確には何を意
> 味しているのか私には理解できません。私たちが話している今この
> 瞬間、私はあなたの体験の客体であり、あなたがその主体ではない
> でしょうか?
うん。
> マハラジ
> 見なさい。
> 私の親指は人差し指に触れている。
(?_?)
> 触れるものと触れられるものの両方だ。
> 私の注意が親指にあるとき、親指が感じるものであり、人差し指は――自己
> なのだ。
なるほど。
> 注意の焦点を移行し、その関係を逆転してみなさい。
> 注意の焦点を移行することで、私は私が見ているものと成り、それがもって
> いる意識を体験し、そのものの内なる観照者となることを見いだしたのだ。
そんな。(*_*)
> この他者の意識の焦点に入る能力を、私は愛と呼ぶ。
おお。
> あなたはあなたの好きなように呼ぶがいい。
> 愛は、「私はすべてだ」と言い、智慧(ちえ)は、「私は無だ」と言う。
> その二つの合間を私の人生は流れていく。
そうか……。
そう言ってもいいのか。
(まずは、「わたしは何者でもない」と言ってみたいな。
それには、「わたしはこの身体ではない」と言えなくては。)
> いかなる時間と空間の点においても、私は体験の主体と客体の両方であるこ
> とができるため、私はその両方であり、どちらでもなく、またその両方を超
> えていると表現するのだ。
もしそうなら、それはそう表現するより他はないよなぁ。
> 質問者 あなたはあなた自身に関するそのような並外れた表明を行います。
> 何があなたにそのようなことを言わせるのでしょう? 時間と空間
> を超えると言うことで、あなたは何を意味しているのでしょうか?
>
> マハラジ
> あなたが尋ね、そして答えがやってくる。
そうか……。
答えているのは、この身体に閉じ込められた「私」ではないからか。
> 私は私自身を見守り、答えを見て、そこに矛盾のないことを見るのだ。
なるほど。
> 私が話していることが真実だということは明らかだ。
そうか……、それは記憶の中から出てきた答えではないからか。
> それはまったくシンプルなことだ。
うん。
> あなたは、ただ私を信頼しなければならない。
はい。
> つまり、私が話すことはまったく真剣だということだ。
わかります。
> すでに話したように、グルは私に自己の本性と世界の本性を見せてくれた。
はい。
> それを実現したため、私は世界とひとつであり、しかもそれを超えているの
> だ。
わかります。
> 私は欲望と恐れのすべてから自由になった。
(;_;)
> 私が自由になるべきだと論証したのではない。
ふ。
> まったく予期せず、何の努力もなく、私は自由であることを見いだしたのだ。
そうか。
> この欲望と恐れからの自由は、それ以来、私とともにとどまっている。
はい。
> もうひとつ見いだしたことは、私は何の努力をする必要もなく、何の遅れも
> 軋轢(あつれき)もなしに、行為が思考にしたがうということだった。
ああ、そうなんだ。
> 私はまた、思考が自己充足するようになり、ものごとがすらすらと、正しい
> 場所に落ち着くことも見いだしたのだ。
そうでしたか。
> 主な変化はマインドのなかだった。
(@_@)
> それは不動で、沈黙し、素速く反応するが、反応を永続させなくなった。
おお。
> 自発性が生のあり方となり、真実は自然になり、自然さは真実となった。
なんと素晴らしい。
> 何にもまして、生は無限の愛、幽玄で静穏な、すべての方向に輝き、すべて
> を抱擁し、すべてを興味深く、美しく、意味深くする幸運なものとなったの
> だ。
そうか……。(-_-)
欲望と恐れからの自由……。
身体への自己同化、これだけが問題だな。
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
…………○…………○…………○…………
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』へのご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
…………○…………○…………○…………
今回、ハイアーセルフ33さんから情報をお寄せいただきました。
早速、掲載させていただきます。
【件名】: エナジーアラート・1月10日
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みなさん、こんにちは。ハイアセールフ33です。
「光の息吹」より
http://suzakunoibuki.blog7.fc2.com/blog-entry-172.html
以下エナジーアラートです。
2008年01月10日
あともう少しで、ヨーイドン!
砂塵は晴れつつあります。私達が待ち望んできた創造が今ごくゆっくりと、
こちらに向かってきています。実際に物事が始まるのは1月の終わりです。
この砂塵のむこうに、私達の新しい創造と情熱は見え隠れしていますが、ま
もう少しかかります。掘り下げ、浄化するために、この数ヶ月間、吐き出さ
れた膨大なエネルギーの残骸が飛び交うなか、新しい道筋をみつけたり、な
にかが始まる余地はありませんでした。でも今は少しだけその余地がでてき
ました。そのため今後、事は動き始め、顕現し始めるでしょう。
私達がやっと着陸して息をつくことができ、この数ヶ月を取り戻せるのがこ
の一月です。これは定着の時期であり、グラウンディングの時期です。さら
に、今私達が経験しているのは、古いものや浄化作業とのと繋がりを断ち、
新しいものへと繋がる準備です。私の場合、家の電化製品がことごとく動か
ずに接続もしないということが起こっています!さらに、私達はこの数ヶ月
間、解毒と、手放すことを経験してきました。そのため、身体の痛みや消化
系の不調、頭痛や倦怠感などが感じられるかもしれません。この数ヶ月間の
経験が今、私達のシステムから取り除かれようとしているからです。
これはそう長くはかかりません。なぜなら今年は私達の創造が人々に認知さ
れる年だからです。私達は認められ、求められ、請われ、必要とされるでし
ょう。私達にとって確実に、2008年は豊饒の年となります。古い世界や
多くのメインストリームに変化が起こり、足場を失った苦しみが訪れようと
も、私達はその被害を受けず、傷を負うこともありません。
私達の時代です。私達は安全です。古いもの、苦しみ、不足、恐れから切り
離されます。私達は新しく今までとは違う現実に住み、私達の夢の生活を生
きるのです。
私達の多くにとってこの過去数ヶ月は、トラウマになるほど精魂を使い果た
し、イライラし、動き続けるエネルギーからただ避難し、自分を立て直すた
めの長い休息を求めたことでしょう。そしてそれこそが今月私達に与えられ
るものです。ほとんど底をついたような空っぽな感じがするかもしれません。
しかしこれは、壮大なものがやってくる直前の過渡期の現象にすぎません。
どこかにポンと投げ落とされたように感じるかもしれませんが、それは、掘
り進む作業が全部、ついに終わったからなのです。
そうです。私たちはまだ解毒や調整や最整合の最中ですが、今のところ、深
いクレンジングのブルドーザーはどこか他のところに行ってしまいました。
もうすぐ私たちは永遠の約束の地に到着するのでしょうか?天国という永遠
の住み家に着くのでしょうか?
クレンジングや闇の経験が長ければ長いほど、最終的にやってくる高いリア
リティの経験の壮大さは大きく長いものとなります。ですから、今回それは
記念すべきものとなるでしょう。私たちが今いるこの新しい空間。それはア
センションの階段の新しいステップであり、非常に真新しい、他の空間とは
異なる新天地なのです。
しかし私達は永遠にここに留まることはできませんし、留まりたいとも思わ
ないでしょう。霊的進化プロセスを進むにつれ、私達はどんどん自分の現実
が以前よりも快適になっていることに気づきます。しかし、最終的に私達は
それを超えてしまいます(高次意識を具現する存在へと進化するため、変化
を求めるようになる)。新しいレベルについたときの高振動を私達は求め、
到着し、そしてそこからの卒業を繰り返してゆくのです。ですので、それは
さらに良い現実への終わりのないプロセスです。
新しい現実の一つひとつは、私達が望んできた創造とともに存在します。私
達のエゴのセルフ、そして誤ったものの見方が消えるにつれ、私達はなにか
今までと違ったものを創造したいと望みはじめます。私たちがこの地球号に
存続するために、選んだリアリティがあります。そして今回の、このレベル
における最終地点として私たちが選んだ現実は、全体のためになされる奉仕、
そして、全体のためになされる浄化された創造です。
私たちはこの最終的なゴールを、いつの世にも通じ普遍的に使われている遠
い昔につくられた青写真をもとに決めました。この青写真は、新しい惑星の
創造、新しい文明、新たなフォルム誕生の原則となるものでした。ソースと
完全につながり浄化されたセルフ、そしてその個人独自の天資と才能によっ
て、その青写真は決めれらました。
それは一人ひとりのソウルが集まって一つのパイができるような、または幾
多の糸車が一枚の織物を織り成すような。それぞれの核の部分には、おなじ
ような目的があります。そして、皆をつなぎ合わせる最終的な接着剤は、ソ
ースエネルギーに共通するものを織り成すという目的なのです。
ここでいう核、または共通の糸車とはなんでしょう?すべての地理的位置に
は、それぞれ固有で一定のエネルギー、テーマ、目的があります。ですので、
同じ地域に住んでいることは、自然とその目的の部分で共鳴しあっているい
うことです。ある人々にはまったく共鳴しないのに、他の人々にとっては故
郷のように思える地域があるのはこのためです。環境にやさしい持続可能な
社会、共同体という強い自覚意識、高いレベルの創造性、自然との深いつな
がり、星とのつながり、または、地球との深いつながりなど。それがなんで
あろうと、多くのコミュニティは今、こうしたそれぞれのテーマと目的を全
面的に具現しています。
上記のような現在のテーマはすべての人々にとって普遍的なものです。なの
でどれが自分と関連したテーマなのか、少しわかりにくいかもしれません。
これらは全体を織り成すために非常に大切なテーマであるため、こうした領
域はより強く、相当な影響力をもち、強調されているためです。
最終的には、すべてのバランスはとられ均等になり、上記のようなテーマも
同質同等の糸車として具現されるようになります。そしてもっと新しく個性
のはっきりした目的が、各領域で展開されていくことになります。これは個
人レベルでも同じです。私たちも、全体の完成のために自分が貢献するテー
マや目的はことさら強調しながら体現してきました。
もしもあなたの目的にそぐわない、あるいは、あなたが賛同できない道や情
熱を追求している他人に対して抵抗を感じたり怒りを覚えるなら、それは、
彼ら独自のテーマや目的を具現しているからに過ぎず、そしてそのため、彼
ら独自のフィルターやレンズを通して物事を見ているからに過ぎないからで
す。私達は自分固有のテーマや目的が、低波動エネルギーによってダメにな
ることのないように、ことさら大きくそれらを具現する必要がありました。
そして、特定のフィルターを通してものを見ると、自分の目的や願望のほか
は、まるでなにも存在していないように見えるものです!そして他の人々は
みな、私たちを妨害する敵のように感じられます。
しかしこの時期はおわりました。私達は新しい、今までとは違う新天地に到
達しました。この新天地では、今まで永きにわたって続いてきたこの惑星で
のありかたが、まったく違うものになります。
多くが今、濃縮しています。多くの低波動のものが取り払われ別のところに
追いやられたため、私達の内側と外側におけるエネルギーと創造もまたどん
どん少なくなっています。そのため、これが私達の内側と外側における、よ
り純粋な状態の濃縮として顕現します。思考、感情、理解認識、肉体的顕現、
それがいかなる形態であろうと、一切の低い波動の創造は、もうこの高波動
空間に存在することはできません。
ある特定の地域では、他のすべての人々のためにある特定のテーマを織り上
げる必要がありました。そしてそれは個人レベルでも同じで、この惑星上の、
他のより広範な地域(古い世界の低振動の大きなかたまり)のために、その
他大勢のために、一定の少数による努力が払われてきました。私達のアセン
ションのレベルと全体が共鳴するように、全体を織り成してきたのです。し
かし、もうこうしたことは必要なくなります。
私の説明が理解可能なものだといいのですが。人間の言葉で説明するのは難
しいです!今説明しようとしていたのはつまり、もう居場所もすがる場所も
なくなったために、そこいらじゅう飛び交っていたものがどんどん減ってゆ
く、形としてあらわれる低波動の顕現が少なくなる、ということです。
このため、引力の法則が新しい高波動の顕現と創造をもたらしてくれます。
時の流れとともに、各個人の波動は全体のための高い目的やテーマを具現す
るようになります。今ままで、全体のために高い目的やテーマを具現してき
た個々の波動(個人、あるいは一つの地域など)は、今後つどいはじめ、自
分以外の高振動の人々または創造と一緒になります。
ですので、今後多くのことはもっと具体的になってゆきます。つまり、私た
ちが他の人や他のエネルギーとやりとりをする方法や理由がもっと具体的に
なってくるということです。そうすると、もっと良いことや、素晴らしく、
愛情深く、サポートをおしまないような、いわば私達と同等に高い状態の人
々を、私達の人生へと引き寄せるようになります。
地理的な場所や共同体はもう、ある一定の目的を今までのように大量に具現
する必要がなくなります。なぜなら私達はすでに、以前よりもっとサイズの
小さい、選別された全体としてやりとりをするようになるからです。今後は
もっと多くのことが等しくなってゆきます。
オリジナルの青写真は存在します。永きにわたって存在しその機能を果たし
てきました。しかし、私たちにとって喜ばしい世界を創造することは、本来
の青写真の意図と合致しています。なので、私達は自由にその創造をおこな
うことができます。これこそ、新しい世界の美しいゆえんです。
私たちは遠い星々、すべての星の代表者としてやってきました。できる限り
の高振動の貢献と高い叡智を地球にもたらし、この真新しい世界をこの惑星
地球の上に築くためにやってきました。それぞれの故郷によって異なる完璧
な姿をもっています。とても遠い宇宙の場所では、私たちを派遣することは
非常に躊躇されました。なぜなら、彼らは非常に進んでいるため、一度も住
んだことのないこの過酷な地球の環境は、繊細な彼らの子供達にとって未曾
有の試練となることがわかっていたからです。このように、実際、多くの加
護が私たちに与えられてきました。それを疑うことがあったかもしれません
が、本当にそうなのです。すばらしく壮大なオーケストラが奏でられてきま
した。そう考えてみると、地球は私達のパレットといえるでしょう。
その美しさは、私達の紆余曲折のすべての場面において、変更の機会が与え
られているということです。私達はいつでも、プランを変更することができ
ます。そのため、そしてまた、物事の反応を私たちが本当のところで知る由
もないという理由から、次になにがおこるか、そしてそれがいつ起こるのか
について、私達は決して知ることはありません。このため、過去からの予言
や予測年表は疑わしいし重要とはいえません。例をあげると、仮に私たちが
2012年についての予言を信じたなら、私達はきっとその通りの創造をし
てゆくでしょう。しかし私達はこうした古い予言よりもずっとパワフルなの
です。こうした予言は別の世界、別の時代からきたものです。今という時点
で、すべてのものは変わる可能性を含んでいます。これが創造の美しさです。
強調します、変えられないものはありません。私達は自分の選ぶものをなん
でも自由に創造することができるのです。
あなたは意識的に気づいていないかもしれませんが、私達は定期的に会合し
ています。今なにがおこっているのか、それによって私たちがどんな影響を
受けているのか、そして全体全員のために、次になにがおこることを選ぶの
かについて、ともに確認するためです。このように、ソウルレベルで私達は
一緒にいます。一緒に人間というフォルムを具現しながら一緒にすべての経
験を同時にしています。その一方で定期的なコミュニケーションの場をもつ
のです。すべては愛情あふれる思いやりによって、絶え間なくモニターされ
ています。また、私達のそばにいるアセンション・ガイドたちは本当のとこ
ろ、単なる私達のある側面にしかすぎないということは、知っておきましょ
う。私達のために、そしてアセンションプロセスを進めるために、その道の
航海を行っているのは常に私達一人ひとりだといういうことです。
次に、2008年の新しい現実のいくつかをお知らせしましょう。
食べ物や体内に私たちが入れようと選ぶものは今後おおきく変わっていきま
す。私たちが到達したこの高振動レベルでは、健康や浄化を保つためにそれ
ほど食べ物に関して厳しくする必要がありません。ただ食前に食べ物に感謝
する、あるいは、その食べ物の高振動の要素だけが自分のシステムに入って
残るのだと意図することだけで十分となります。または、私達の今の振動は
とても高いために、意図的に感謝をするまでもなく、引力の法則によって体
内に入れるものの最も高い側面のみと、自動的につながるようになります。
高レベルの振動といっても、そのレベルには個人差があるので、上記のシナ
リオのどれが自分に当てはまるのかは、あなたの振動の高さのレベルにより
ます。
ここでもまた同じテーマです。今後私たちが影響をうけ繋がるのは、物事の
高振動の側面です。ですのでこれに関して、私達はこれから素晴らしいパー
トナーや人々を、私達の人生に引き寄せてゆくということです。信じられな
いほど完璧なコネクション 繋がり によって、今まで欲しかったものを受
け取る準備が整えられています。基本的に私たちが引き寄せるものは、すべ
てにおいて素晴らしいものだということです。
たとえまだ物事に低振動の側面があったとしても、意識的に高振動のものを
選びそれだけにフォーカスをあてれば、それ以外は存続しなくなります。ま
たは、意識的になにもやらなくても良い人々がここでもでてきます。彼らは
ただ手放し、物事が展開するに任せるだけでいいのです。
高い道筋と高い顕現に意識をフォーカスすることこそ、高次領域を航海する
方法だと言っておく必要があります。私達は今やっと、この点について非常
にサポートされるようになりました。今、私達はとても高いエネルギーのな
かにいるため、それを阻害するものが以前よりずっと少なくなったのです。
航海に必要なのは、自分がなにを見たいか、なにを見ることを選ぶかです。
そのほかのものにフォーカスするということは、わざわざ望んでいないもの
に燃料をあたえ、その創造を私達の空間のなかに生かし続けることになりま
す。今までと違うなにか新しいものが起こることを予期することこそ、その
到来を確固たるものにします。ここで必要なのは、古い期待と経験を進んで
手放すことです。2008年は本当に、とても新しいものになります。
ですから、これからの一年は、何にフォーカスしどこを自分の居場所とする
かの選択によって、たくさんの機会に恵まれることでしょう。暗闇、そして
誤った物の見方が繰り返し起こる回転ドアに自分を存在させますか?それと
も、もっと高い方法を選び、古いものの解釈を捨て去り、最上で最高なもの
を期待する存在となりますか?これが私達の新しい現実だと知ってください。
私たちがこの数ヶ月間にしてきたように、浄化とクレンジングの状態に入る
と、そのクレンジングしているものと合致する状況を引きつけるものです。
そのため、まるで最悪の筋書き、地獄やおぞましく不愉快な現実にいるよう
に感じます。似たエネルギー同士は必ず引かれあいます。ですので、浮上し
た重たく暗いエネルギー、または深いところにあった私達の恐れは、同様の
ものを引きつけました。
この素晴らしい2008年という年が私たちの頭上に到来しました。
2007年に多くのクレンジング、再評価を終えたために、今後私達は引力
の法則にしたがって物事を引きつけはじめます。新しく浄化されたエネルギ
ーがいまだかつてないほど勢力をもっている今、私たちが夢見てきたものの
顕現が訪れる時がきたのです。
ですので、あともう数週間、我慢していてください。今私たちが通過してい
るこの稀なるダウンタイムを、あなたに必要な休息、または準備のために活
用しましょう。もうじき状況はおおきく変わるのだということを忘れないで
ください。
雲の合間に、これからの新しく壮大な現実がうっすら見え始めています。そ
れは、今まで私たちが通過してどんな経験とも違うものです。準備はできて
いますか?これから私たちがこの地球上で天国の時を過ごすのだと信じてい
ますか? それが自然にあなたの扉を訪れるように、進んで委ねられますか?
素晴らしい豊饒、そして来る日も来る日も、あなたの夢の世界に生きる心の
準備はできていますか?暗闇がいなくなったことを感じ、歓びと至福の人生
を生きる準備はできていますか?さあ、用意してください。もうすぐそれは
やってきます。
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エナジーアラートはワッツアッププラネットアースの翻訳/要約です。
ワッツアップオンプラネットアース オリジナルサイトは 読者による寄付
に頼って無料運営がなされています。 英語ができる方はここから PAYPAL
で。 他の方は 手間はかかりますが、カレンの私書箱住所
Karen Bishop P.O. Box 1024 Springerville, Arizona 85938 USA
に国際郵便小為替(郵便局で購入)を送って下さい。
アセンションといえども マクロに見ればある種の変化に過ぎません。
アラートにとらわれすぎ 日常生活から逃避する事のないように
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はるさん、全文を掲載できましたよ。
なんだか、これから楽になれそうじゃないですか。(^^)/
…………○…………○…………○…………
それから、ハイアーセルフ33さんからは、今回もうひとつ情報を寄せていた
だいています。
これは、配信スタンド「まぐまぐ」の制限もありますので、URL だけ掲載させ
ていただきます。
【件名】: 銀河連盟からの最新情報(2008.1.8分)
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みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
シェルダン・ナイドルのチャネリング、「銀河連盟からの最新情報」
(2008.1.8分)が翻訳されたという知らせが入ってきました。
知らない方もいると思いますので、今回紹介しておきます。
http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20080108.html
継続して情報が欲しい方は、下記のMLに登録しておいてください。
http://www.freeml.com/pag-j
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はるさん、いつも独自のセンサーによるご投稿、ありがとうございました。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
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【病気の97%は体内毒(=化学物質)が原因】
現代地球人の病気の97%は、体内に取り込んだ毒(=化学物質)が原因だと
いう、バシャール情報をお伝えしました。
わたしは見逃しましたが、NHKスペシャルで新型インフルエンザのドラマや
ドキュメンタリーを放映したそうですね。
来日したブラジルの預言者ジュセリーノ氏も、もはや、Xデーを100とした
場合、すでに80にまで危険度が上がっていると語っていたそうです。
鳥インフルエンザに対するス○○○茎の阻止率は、原液を100倍に薄めたも
のでも50%もあります。
数千ある健康食品で、わずか、三十数種にしか許可されていない厳格な審査を
通過したデトックスは、やはりすごいとしか言いようはありません。
ス○○○はダイオキシンのみならず最強の活性酸素LOOHまで解毒します。
特に大きな才能も資本も持たないいわゆる庶民が、平等に権利収入を得られる
可能性があるのがMLMです。将来の年金に代わりうるような仕事が他に何か
あるでしょうか。あったら教えてください。(なんちゃって。(*^_^*))
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■ 4.編集後記:ののちゃんにだって、わかること……。
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最近『朝日新聞』の「ののちゃん」(1/14)を見て、思わす声を出して笑ってし
まいました。(^^)/
コタツに入ったおばあちゃんとののちゃんの会話です。
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おばあちゃん:あんたは若い。
ええなあ、やりなおしができる。(-_-)
ののちゃん :えー、やりなおしするの? (@_@)
そんなのいやだぁ。
おばあちゃん:掃除当番ちゃう!
なんぼ失敗しても、再チャレンジできる、ちゅうことや。
ののちゃん :えー、失敗しても 失敗しても 失敗しても 失敗しても
再チャレンジさせられるの? (@_@)
そんなのいやだぁ。
おばあちゃん:それもそうやな。:-O
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ののちゃんにだって、わかること……。
(いや、ののちゃんだから、わかるのかな……。(=_=))
すべて、この身体への無用な自己同化ゆえに起こっていること……。
「知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であれ、意識
の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より深い自己
実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだろう」
この言葉を、何度も読み、また何度も引用しました。
「真理の証拠は聞き手への影響のなかにある」んだそうですね。
ニサルガダッタは、
「ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永続的な変化
のなかにあるのだ。
彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるようなもので
はない」
と保証してくれています。
なんだか、力強いです。
どんなものにも自己同化しなくていいのだと、本当に思われてきます。
ののちゃんはすごい。
(もっとも、ののちゃんは、食い気には弱いけど。(^_-))
それでは、おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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