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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.208 2008/3/30(第208号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1058名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.対極と自己同一化するのが意識

2.写経ニサルガダッタ:【23 識別は無執着をもたらす】の3回目

3.編集後記:わが家の桜はいまが五分咲きくらい。

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■ 1.対極と自己同一化するのが意識
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特に気の利いたことを言う必要もないわけだけれど……。

どんな言葉も、マインドだというのは確か。

切なくて、いい気持ちの時もあります。

文学的な気分とでもいうのか……。

そういうのは、わりあい好き。

でも何か、不安定で落ち着かない気分の時もある。

そういうのは、なんとなく居心地が悪い。

そうやって気持ちが揺らぐのは素敵ではないけれど、仕方ないやという気分が
くることもある。

それも一時のマインド。

そういう一時のマインドを見ている者もある……、なんて洒落た気分がくるこ
ともある。(*^_^*)

そんなのは、ちょっと人にも吹聴したい気分。(^_-)

でも……いずれにしても、それもマインド。(-_-;)

……という反省的な気分がくることもある。

むろん、それもマインド。

動揺中毒になってるのさ、動くものに魅せられているんだよ……、なんて賢げ
な気分がくることもある。

むろん、それもマインド。

気分が動くことで落ち込むことはないのさ……、と自分を慰めるような気分が
くることもある。

むろん、それもマインド。

あーあ、果てしがないんだよなぁ……。(-_-)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

また、お互い、夢のなかでお会いしましたね。

やっぱり落ち込むのは嫌なものだから、ついつい高揚した気分のほうを求めた
りしてしまいます。

でも、理屈からすると、どんな気分がきても、だからどうってことはないわけ
ですよね。

高揚した気分がきたから自分が偉くなるわけでも、落ち込んだ気分が来たから
自分が品さがるわけでもないのだから……。

もともと自分は完璧で、上等にも下等にもなりようはない。

ただ、そのときのフォーカスがどこにあるか……、だけですよね。

完璧な自分と……、少し埃をかぶった自分と……、ちょっと物語のなかに立ち
入りすぎた自分と……、無我夢中で何が何やらわからなくなった自分と……。

その瞬間のフォーカスがどこにあるかだけで、別に自分が偉くなったり、下等
になったりするわけじゃない。

不幸な瞬間は、少し埃をかぶったあたりにフォーカスしているとき。

落ち込んだ瞬間や、舞い上がった瞬間は、ちょっと物語(=想像)のなかに入
り込みすぎちゃったとき……、というだけ。

だいたい、夢の中に入っている瞬間は、眉のあたりに力が入るので、わかりま
すよね。(^^;)

はは、偉そうに……。(*-_-*)

これで物語(=想像)のなかに入り込みすぎていたって、竜宮城の乙姫様のと
ころで歓待を受け続けているのなら、それでかまわないのかしら。

この愛を永遠に、なんてそれこそ歌の文句にもありそうだけど……。

永遠のエクスタシー……とか。

いやー、たぶん、そういうわけにいかないんだろうなぁ。

何かそこには意識の世界固有の法則が働いていて、全体への“見晴らし”を求
めていつかそのフォーカスは動くんじゃないかなぁ。(-_-;)

だから、浦島さんは竜宮城から帰りたくなるんですよね。

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 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。
 対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本性なのだ。
 
                          『私は在る』(p182)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ほら、やっぱりニサルガ師匠だって保証してますよ。

そういう意味では、ドストエフスキーって作家は、意識としての目配りとその
振幅が、芸術家としてじつに典型的かつ巨大だったんでしょうね。

対極への配慮が繊細になればなるほど、快楽の大きさと同程度の苦痛の大きさ
を求めざるをえなくなるんだと思います。

そうでないと、真実とは思えなくなるわけでしょう。

だから、その意味ではまさに、ニサルガ師匠がおっしゃるように、

----------------------------------------------------------------------
 苦痛と快楽は起こる。
 だが、苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。
 人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによっ
 て傷ついている。
                          『私は在る』(p182)
----------------------------------------------------------------------

……と、こういうことになるんでしょうねぇ。

しっかし……、言うねえ。

こう見透かされたようなことを言われちゃうと、われわれとしてはどうしよう
もないですよね。

だけど……、ただそう言いっぱなしってのはひどいんじゃない。

言われる方としては、救いがないじゃん。

それじゃまるで、われわれのフォーカス玉は「世界」という“玉突き台”の上
で永久に苦痛と快楽の間を小突き回されていなきゃならないことになる。

……なんて思うと。

そこはグルたる者、ただわれわれを突き放して途方に暮れさせる……というよ
うなことはしないわけです。

だから、そのすぐ後で、

----------------------------------------------------------------------
 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。
                          『私は在る』(p182)
----------------------------------------------------------------------

と、ちゃんと着地させてくださるわけなんだろうけど……。

でも、それじゃ、永遠に「世界」という“玉突き台”の上で苦痛と快楽の間を
小突き回されながら、“苦痛と快楽はひとつだ”と念仏を唱えていなくちゃな
らないのかしら……。(@_@)

それもちょっと、切ないですよね。(/_;)

いやいや、もちろん、さにあらず。

ニサルガ師匠の老婆親切はそんなもんじゃない。

だから、別のところでは、ちゃんとこう念を押してくださっている。

----------------------------------------------------------------------
 苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。
 私は今、こうしてあなたの前に座り、直接の不変の体験から話している。
 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂(いただき)と谷間だ。
 その底深くには完全な充足があるのだ。
                          『私は在る』(p183)
----------------------------------------------------------------------

ふーむ……。

……これはもう、選択の問題ですね。

至福の海の表面の凹凸にフォーカスしつづけるか、そこから海底深くの完全な
充足にフォーカスを移すか……は。

しかし、底深くにある(という)“完全な充足”にフォーカスを移動するには、
まずその前に、表面の騒音に対する興味を失わなくちゃならない。

……とは言っても、これまでの自分の全生涯が“表面の騒音”に焦点を合わせ、
そこに投資されているんですから厄介です。

自分のこれまでの全人生、自分をとりまく全世界がその“表面の騒音”に焦点
を合わせ、そこで意味を求め、そこで幸福を築こうとしているのに……。

現在の自分“ひとり”が、それに興味を失って、そこからの退場を試みようと
いうのだからたいへんです。

これはもう、民主主義なんて気にしていたら何もできない。

多数決ってわけにはいかないもの、はは。(^^;)

さっき広げられている新聞にぼんやり目を向けていたら、こんな文字が目に入
ってきました。

「そうだ、本気になれよ。――関係ないこと全部捨てて、おれの球だけを見ろ
 よ。」って。

しばらく意味を結ばなかったけど……。

これなんだかわかります?

『バッテリー』ってコミックの宣伝でした。

「800万部の大ベストセラー!」って書いてありますよ。

すごいんですね……。

今度、4月3日からNHKの連続テレビドラマがスタートするそうです。

……。

「そうだ、本気になれよ。――関係ないこと全部捨てて、『私は在る』だけを
 見ろよ」

って、書いたら流行るかしら。(*^_^*)

ふ。

“関係ないこと全部捨てて、おれの球だけを”って言っても、その“おれの球”
の背景には、世の中全体の集合意識の加勢があるわけですよね。

でも、『私は在る』は、ほんとに『私は在る』以外の“関係ないこと全部捨て”
なきゃならないもんなぁ……。(-_-;)

“おれの球”にすら一点集中することができるのなら、『私は在る』にできない
はずはないような気もするけど……ね。(^_-)

でもですねぇ、じつはこれ、そういう大袈裟なことでもないかもね。

ただ単に、静かなのに慣れていくという、ごく地味で地道なお話かもしれない。

それに……、じっさい執着するに値する何があるだろうって気もするし……。

ま、執着するに値するものがあるのなら、黙って執着すればいいわけだけど、
でも執着したからと言って、手許に保持できるってものでもないしね。

というより、執着しなきゃならないものは、かならず失いますよね。

これ、保証つきあるね。

インディアン、嘘つかない。

……。(-_-)

やっぱりねぇ、年がら年中、ニサルガダッタの言うことばかり聞いていたら、
ちょっと変人になりますね……、いえ、ほんと。

それに、だいたいあの人の言うことは、えらく確信ありげなんだよね。

向こうが揺らがないものだから、だんだんこっちが揺らいできちゃって。

ま、それを狙ってもいるわけですが。

たとえば、それでも生きている以上、最低限生活に必要なものはあるでしょ、
ってごくごく穏当な意見を言ったとするでしょ。

すると、こう↓ですからねぇ。

----------------------------------------------------------------------
 そうではないのだ。
 私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
 あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
 あなたに必要なのは停止、放棄、解放だ。
 あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
 あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
 あなたではない。
 あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
 ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
 私を信じてほしい。
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。
                          『私は在る』(p339)
----------------------------------------------------------------------

こんなの、ムチャクチャだよね。

乱暴すぎるよ。

ここまで言うかね、って思うけど。

もう、よいわんわですわ。

> あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。

って……、じゃ“自然な状態”って何よ (?_?)、って訊けばこうですよ。

----------------------------------------------------------------------
 いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
 ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
 沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
 マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
 黙へと立ち返る。
 あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。
 
                          『私は在る』(p260)
----------------------------------------------------------------------

(@_@)

何よ、これじゃ“自然な状態”って、悟った状態ってことじゃない。

極端なんだから、言うことがもう……。(;_;)

こんなもんに付き合っておられん。

せめてこう、なにか穏やかな喜びを求めよう。

と思って、じゃどんな喜びを求めたらいいのか……。(-_-)

なんか基準はあるのかしら。(?_?)

と思って、やめときゃいいのに、ちょっと訊いてみたりすると……。

----------------------------------------------------------------------
 快楽はものに依存している。
 幸福は依存しない。
                          『私は在る』(p505)
----------------------------------------------------------------------

アチャ。(>_<)

オガアジャーン、このしとこんなこと言いよるー。

うう……、うらあ、切れただ。(\_/)

こんにゃろ、こんにゃろ。

> 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。

くそったれ。

> 対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本性なのだ。

なにくそ。

うう……。

対極のものと自己同一化するのが意識……、だって……。(-_-)

> 苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。

うう……。

> 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。

うう……。

……ここまで追い込まれて、マインドはどこに活路を求めたらいいのか……。

もう世界のほうに興味を維持するのはできそうもないのに……。

かといって、すっかり静かになったわけでもない。

なんかこう、ちょっと浮遊状態……。

支離滅裂がとまりません。(;_;)

すまんこってす。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【23 識別は無執着をもたらす】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「世界」が在るからそのなかにわたしが生まれてきたのか……、わたしが在る
からこの「世界」があるのか……。

そういうめっぽう単純な話のなかに“入り口”があるようです。

それほど、これはニサルガダッタが何度となく帰ってくる論点です。

> あなたが生まれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。
> あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬことはない。

と。

しかし、それにしても驚くのは、

> なぜなら、喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。

という一言でした。(@_@)

もし、これが本当なら、たしかに、

> 罪の結果は苦しみと死なのだ。

ということになるかもしれません。

では、【23 識別は無執着をもたらす】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 ひとつの岩を想像してください。岩のなかに穴が、穴のなかにはカ
     エルがいます。カエルはその生を心迷わせず、邪魔されずに、完全
     な至福のうちにすごします。もしカエルが外の世界についての話を
     聞いたならば、彼は言うでしょう、「そんなものは存在しない。私
     の世界は平和と至福だ。あなたの世界は言葉で構築された、単なる
     まぼろしだ。それは存在してなどいない」と。あなたにとっても同
     じことです。あなたが私たちの世界は単に存在していないと言うと
     き、もはや討論するための共通の土台がありません。ほかの例をと
     れば、私が医者へ行き、腹痛を伝えたとします。彼は私を診察し、
     「あなたはだいじょうぶだ」と言います。「でも、痛いのですよ」
     と私は言うでしょう。彼は、「あなたの痛みは精神的なものだ」と
     主張します。私は言います。「痛みが精神的だと知ることは何の助
     けにもなりません。あなたは医者なのです。痛みを治してください。
     でなければあなたは私の医者ではありません」と。
 
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 
 質問者 あなたは鉄道を敷きました。しかし橋が欠けているため、列車が通
     れません。橋を架けてください。
 
 マハラジ
 橋の必要はない。
 
 質問者 あなたの世界と私の世界の間に、何らかのつながりが必要なはずで
     す。
 
 マハラジ
 実在の世界と想像上の世界の間につながりは必要ない。
 それはありえないからだ。
 
 質問者 それでは、どうしたらよいのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの世界を調べてみなさい。
 頭を使って批判的に調べなさい。
 それに関するあらゆる概念を詳細にわたって調べなさい。
 そうすれば、うまくいくだろう。
 
 質問者 調査するには、世界は大きすぎます。私の知っていることといえば、
     私は存在し、世界も存在しています。世界は私を混乱させ、私は世
     界を混乱させるのです。
 
 マハラジ
 私の体験ではすべてが至福だ。
 しかし、至福への欲望は苦痛を生みだす。
 それゆえ、至福が苦痛の種子となる。
 この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。
 喜びへの欲望をあきらめなさい。
 そうすれば、あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。
 
 質問者 なぜ喜びが苦痛の種子となるのでしょう?
 
 マハラジ
 なぜなら、喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。
 罪の結果は苦しみと死なのだ。
 
 質問者 あなたは、世界はただの苦難であり、何の役にも立たないと言われ
     ます。私はそうではないと感じています。神はそれほど愚かではあ
     りません。私には、世界は可能性を現実にし、物質に生命を与え、
     無意識を完全な覚醒に導く偉大な企(くわだ)てとして映ります。
     至高なるものを実現するには、私たちには対極の体験が必要です。
     寺院を建てるために、石や漆喰(しっくい)、木や鉄、草やタイル
     などが必要なように、生と死を克服した聖者となるためにはあらゆ
     る体験が必要です。女性が市場へ行き、料理のあらゆる材料を買い、
     料理し、主人に供するように、私たちも人生の火によって私たちを
     料理し、神に捧げるのです。
 
 マハラジ
 もしあなたがそう考えるのなら、そうしなさい。
 神に捧げるがいい。
 
 質問者 子どもは学校で、後で役に立たないことも多く学ぶでしょうが、学
     ぶ間に成長していきます。同じように私たちも無数の経験を経て、
     後にすべて忘れてしまうでしょう。しかし私たちはその間もつねに
     成長していきます。そして、ジニャーニとは実在における天才にほ
     かなりません! 私のこの世界に偶然はありえません。それには意
     味があり、その背後には計画があるはずです。私の神は計画をもっ
     ているのです。
 
 マハラジ
 もし世界が偽りならば、その計画も、その創造者もまた偽りなのだ。
 
 質問者 またしてもあなたは世界を否定します。私たちの間に橋はないので
     す。
 
 マハラジ
 橋の必要はないのだ。
 あなたが生まれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬことはない。
 だが、あなたがある特定の日と場所で生まれ、この特定の身体をあなた自身
 のものと信じているところに過ちがあるのだ。
 
 質問者 世界は在り、私は存在します。これらは事実です。
 
 マハラジ
 なぜあなたは自分自身の面倒を見る前に、世界について心配するのだろう?
 あなたは世界を救いたい、違うかね?
 あなた自身を救う前に世界が救えるだろうか?
 そして救われるとはどういう意味だろうか?
 何から救われるのか?
 幻想からだ。
 救済とは、ものごとをあるがままに見ることだ。
 私には、本当に自分自身が誰とも何とも関係しているとは思えない。
 自分自身とさえも関係していない。
 その自分自身が何であろうとも。
 私は定義されることのないまま永遠にとどまる。
 私は内側に、そして彼方に存在する――親密で、しかも到達不可能なものな
 のだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p100-102)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

しかし、この質問者の最初の長い質問、これ自体が、なかなか面白い挑戦では
ありますね。

“岩の中の蛙、大海を知らず”……、なかなかいいとこを突いています。

むろん、単なるマインドにすぎないわけですが。

> 質問者 ひとつの岩を想像してください。岩のなかに穴が、穴のなかにはカ
>     エルがいます。カエルはその生を心迷わせず、邪魔されずに、完全
>     な至福のうちにすごします。もしカエルが外の世界についての話を
>     聞いたならば、彼は言うでしょう、「そんなものは存在しない。私
>     の世界は平和と至福だ。あなたの世界は言葉で構築された、単なる
>     まぼろしだ。それは存在してなどいない」と。あなたにとっても同
>     じことです。あなたが私たちの世界は単に存在していないと言うと
>     き、もはや討論するための共通の土台がありません。ほかの例をと
>     れば、私が医者へ行き、腹痛を伝えたとします。彼は私を診察し、
>     「あなたはだいじょうぶだ」と言います。「でも、痛いのですよ」
>     と私は言うでしょう。彼は、「あなたの痛みは精神的なものだ」と
>     主張します。私は言います。「痛みが精神的だと知ることは何の助
>     けにもなりません。あなたは医者なのです。痛みを治してください。
>     でなければあなたは私の医者ではありません」と。

じつに、見事です。

拍手喝采ではありますが、だからと言ってどこへ導かれるわけでもない。

> マハラジ
> まったくそのとおりだ。

はい。

こんな見事な演説に、これ以外のコメントは返ってこないでしょうね。

> 質問者 あなたは鉄道を敷きました。しかし橋が欠けているため、列車が通
>     れません。橋を架けてください。

なんとか、わたしたちにもその鉄道に乗れるようにしてください、と。

> マハラジ
> 橋の必要はない。

ふむ。(-_-)0

> 質問者 あなたの世界と私の世界の間に、何らかのつながりが必要なはずで
>     す。

うん。

> マハラジ
> 実在の世界と想像上の世界の間につながりは必要ない。
> それはありえないからだ。

おお……。

> 質問者 それでは、どうしたらよいのでしょうか?
> 
> マハラジ
> あなたの世界を調べてみなさい。

なるほど。

> 頭を使って批判的に調べなさい。

はい。

> それに関するあらゆる概念を詳細にわたって調べなさい。
> そうすれば、うまくいくだろう。

……それしかないわけか。

> 質問者 調査するには、世界は大きすぎます。私の知っていることといえば、
>     私は存在し、世界も存在しています。世界は私を混乱させ、私は世
>     界を混乱させるのです。

ふふ、うまいことを言う。^^;

> マハラジ
> 私の体験ではすべてが至福だ。

アチャ。

> しかし、至福への欲望は苦痛を生みだす。

そうなんだ……。

> それゆえ、至福が苦痛の種子となる。

なるほど。

> この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。

わかります。

> 喜びへの欲望をあきらめなさい。

ああ……。

> そうすれば、あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。

そういうことか……。

> 質問者 なぜ喜びが苦痛の種子となるのでしょう?

うん。

それは訊いておきたいとこだよね、やっぱり……。

われわれとしては……、うん。(-_-;)(←エラそうに。(^_-))

> マハラジ
> なぜなら、喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。

ガーン! ⌒★? (*_*)

そういうことなの……。(?_?)

これは、じっくり考えてみなくては。(-_-;)

> 罪の結果は苦しみと死なのだ。

なるほどぉ。(@_@)

そういうことなのか……。

いや、これは理解しなくちゃ。(-_-)

> 質問者 あなたは、世界はただの苦難であり、何の役にも立たないと言われ
>     ます。私はそうではないと感じています。神はそれほど愚かではあ
>     りません。私には、世界は可能性を現実にし、物質に生命を与え、
>     無意識を完全な覚醒に導く偉大な企(くわだ)てとして映ります。
>     至高なるものを実現するには、私たちには対極の体験が必要です。
>     寺院を建てるために、石や漆喰(しっくい)、木や鉄、草やタイル
>     などが必要なように、生と死を克服した聖者となるためにはあらゆ
>     る体験が必要です。……

いや、これは、声に出そうと出すまいと、われわれ全員が、あるいはわれわれ
の一部が、つねに叫んでいることだよね。

だって、この宇宙がまったくの無意味だというのでは耐えられないから。

『イェシュアの手紙』でも、イェシュアが言っていたよなぁ。

----------------------------------------------------------------------
 マークよ、この世には
 何の意味もない。
 
 このことは、あなたに恐れをもたらすが、
 その恐れさえ、もはや大したものでもない。
 なぜなら、あなたがすでに自分の中で
 この真実を受け入れているから。
 
 さて、あなたに最初の鍵を与えよう。
 あなたの抱いている感情は、
 この真実をあなたという存在のすべてで
 受け入れることを拒絶した結果である。
 
 この世が何か意味してほしいという
 あなたの内なる叫びは、
 父との分離を信じている者すべての叫びである。
 この真実を完全に受け入れることは
 分離の消滅であり、
 この世の終わりを意味する。
                     『イェシュアの手紙』(p90-91)
                      http://tinyurl.com/2n6l3k
----------------------------------------------------------------------

……。

(-||-)

>     …女性が市場へ行き、料理のあらゆる材料を買い、料理し、主人に
>     供するように、私たちも人生の火によって私たちを料理し、神に捧
>     げるのです。

まあ、いいけど……。

ちょっと、マゾっぽい。(^_-)

> マハラジ
> もしあなたがそう考えるのなら、そうしなさい。
> 神に捧げるがいい。

ですよね。

でもこの方、簡単にへこたれないところがエライ。

> 質問者 子どもは学校で、後で役に立たないことも多く学ぶでしょうが、学
>     ぶ間に成長していきます。同じように私たちも無数の経験を経て、
>     後にすべて忘れてしまうでしょう。しかし私たちはその間もつねに
>     成長していきます。そして、ジニャーニとは実在における天才にほ
>     かなりません! 私のこの世界に偶然はありえません。それには意
>     味があり、その背後には計画があるはずです。私の神は計画をもっ
>     ているのです。

あんたマツシタさん? (?_?) (←ちょっとおやじギャグ。(^_-))

> マハラジ
> もし世界が偽りならば、その計画も、その創造者もまた偽りなのだ。

いや、これこそまさに、論理的。

> 質問者 またしてもあなたは世界を否定します。私たちの間に橋はないので
>     す。

気持ちはわかるけど……。

> マハラジ
> 橋の必要はないのだ。

(-_-)0

> あなたが生まれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。

そうか……、やっぱりここが突破口か。

> あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬことはない。

これを認めるのは嬉しいことではあるけれど、誰もが自分でやらなくちゃなら
ないことなんだ……。(-_-;)

他の誰にも、自分に代わってやってはもらえない。

事実、こうして覚者が保証してくれていてさえ、自分が否定することはできる
わけだから……。

そして肉体を離れるときに気を失うことが……。(ひとごとじゃないけど。)

> だが、あなたがある特定の日と場所で生まれ、この特定の身体をあなた自身
> のものと信じているところに過ちがあるのだ。

まさにここだよなぁ……。

だから、過去世を思い出す……なんて手もありそうだけど、すると今度は、魂
への自己同化とかいうやつが自動起動しちゃうわけだ……。

> 質問者 世界は在り、私は存在します。これらは事実です。

うん。

当面、それがわれわれの“事実”であることも確か。(-_-;)

> マハラジ
> なぜあなたは自分自身の面倒を見る前に、世界について心配するのだろう?

ふ。(-_-)

覚者は、いつもこんな言い方をするよなぁ。

マハルシだって、こんなこと言ってるもんなぁ……。

----------------------------------------------------------------------
 目を覚ましたとき、あなたはよく眠ったと言う。
 そう言えるということは、最も深い眠りのなかで、あなたはあなた自身に気
 づいていたのだ。
 ところが世界の存在についてはまったく気づいていなかった。
 目覚めている今でさえ、「私は実在だ」と言っているのは世界だろうか、そ
 れともあなただろうか?

 質問者 もちろんそれを言うのは私ですが、私は世界について言っているの
     です。
 
 マハルシ
 なるほど、あなたは世界が実在だと言う。
 だとすれば、自分自身の実在についてさえ無知なあなたが、世界の実在性を
 証明しようとしていることを、世界は無視しているのである。
 
           『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p330)
                      http://tinyurl.com/yzbe26
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ケー、シビレルねぇ! (>_<)

> なるほど、あなたは世界が実在だと言う。
> だとすれば、自分自身の実在についてさえ無知なあなたが、世界の実在性を
> 証明しようとしていることを、世界は無視しているのである。

いちど、こういう科白を言ってみたい。

それにしても、あの桁外れに温厚なラマナ・マハルシのこの言葉……。(-_-;)

いい、もういちどいくよ。

> だとすれば、自分自身の実在についてさえ無知なあなたが、世界の実在性を
> 証明しようとしていることを、世界は無視しているのである。

温厚な言い回しに秘められた、なんというジョーク!

われわれは誰に騙されて、自分の実在性ではなく、世界の実在性を主張しよう
としているのだろうか……。(-_-;)

途中で脱線したけど、こんどはマハラジね。

> あなたは世界を救いたい、違うかね?

(;_;)

> あなた自身を救う前に世界が救えるだろうか?

(T_T)

> そして救われるとはどういう意味だろうか?

ドキッ。(@_@)

> 何から救われるのか?

(?_?)

> 幻想からだ。

(>_<)

> 救済とは、ものごとをあるがままに見ることだ。

おお。

「救済とは、ものごとをあるがままに見ること」……。

> 私には、本当に自分自身が誰とも何とも関係しているとは思えない。

はい。

> 自分自身とさえも関係していない。

わかるような気がします。

> その自分自身が何であろうとも。

はい。

> 私は定義されることのないまま永遠にとどまる。

ああ……、これが自由だ。

> 私は内側に、そして彼方に存在する――親密で、しかも到達不可能なものな
> のだ。

(;_;)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


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もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
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        …………○…………○…………○…………


お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
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勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

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■ 3.編集後記:わが家の桜はいまが五分咲きくらい。
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もう三月も終わりですね。

わが家の桜はいまが五分咲きくらい。

いつも耳鳴りはしているんですが、もしかして少し物思いは減ったのかも。

いま自分が幸せなのかそうでもないのかとか、あまりそういうこと思わなくて
もいいんだなと、ゆっくり頭が一回りするようになったのかな。

なにも思わなければいちばん楽なんだろうけど、まだそうもいかないし。

耳鳴りでうるさいくらいが、分相応です。^^;

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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