home > 通信 > 『アセンション館通信』第213号:ペレルマン博士とピンクの大蛇



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.213 2008/5/4(第213号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1066名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ペレルマン博士とピンクの大蛇

2.写経ニサルガダッタ:【78 すべての知識は無知なるものだ】の4回目

3.「ご投稿・情報提供」:ヨシュアさん

4.編集後記:PC版のメルマガを携帯電話でも読めるらしいです。

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■ 1.ペレルマン博士とピンクの大蛇
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こうしてコンピュータの画面に向かってふと横を見ると曇天……、こういうこ
とがよくあります。

そして今日の空気もとても透明です。

(もっとも飛蚊症とでも言うのか、顔を動かすと小さな黒っぽい痕が注目を求
 めて視界のなかに入って来るんですけどね。^^; )

まわりはずいぶん若葉が濃くなりましたね。

視界を縦に蛇行して流れる遠方の川の上、右手の山裾が切れるあたりにたくさ
んの鯉のぼりがぶら下がっているようです。

今日は、あのあたりで土曜市があるんですよね。

夢のなかにもそれぞれの調度があって、よく近づいて見るとそこには知った顔
があったり……、いろいろです。

……これくらいの文章を書くと、もう頭の中がモワーッとして負荷がかかって
きたのを感じます。

入れ込んでしまうと……それはそれで、もう忘れてしまうんですが。

脳腫瘍を取っていただいたとき、ついでに耳鳴りも取っていただけるとよかっ
たな……。

なんて……やっぱり、ちょっと贅沢すぎますかね。(*-_-*)

相変わらず、勝手なことを考えています。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

考えてみたら、“形あるもの”のなかに「真理」がありえないのは自明ですね。

だって、すべての有形物、つまり顕現世界のすべてが、大なり小なりなんらか
の創造物だということは明かですものね。

情報が少ない世界でのことですね、いにしえの言葉のなかに「真理」がある、
とかいうような幻想が存在しえたのは。

今のように、情報そのものがどんどん加工・再加工されて、新たな“発見”や
“発明”が目白押しで誕生してくる時代になると、そういう“発見”“発明”
が、単なるクリエーションにすぎないことが誰にもわかってきます。

つまりは、人間の想像力による創造物だということが。

いや、芸術家みたいなクリエータによる発明はそうだろうけど、科学者による
発見は違うよ、とか、いや、地球ではそうだったかもしれないけど、上位次元
が開いてきたら違うさ……、なんて思われます?

どうかな……。(^_-)

まあ、数学だけは純粋科学だなんて話しもありますけど……。

……ところで、「ポアンカレ予想」を解いたペレルマン博士が、その後すっか
り沈黙してしまったことには、何か必然的な理由があるんですかね? (@_@)

だいぶ前、NHKのBSで「100年の難問はなぜ解けたか 天才数学者の失踪」
を見たんですけど、なぜかとても面白かったです。(*^_^*)

“なぜか”とわざわざ断ったのは、内容がわからないにもかかわらず、視聴者
が面白がれるように、番組がとても上手に作ってあったからです。

番組のなかで、この難問を作ったポアンカレが「この問題を解いた者はまった
く新たな世界を見るであろう」みたいなことを書き残していたんですって。

そう……重々しく言っていましたよ。^^;

「発見の喜び」を語っておられた天才数学者の岡潔さんが、今度生まれてきた
ら自分は数学者にはならないとおっしゃっていたことを思い出しました……。

この番組「100年の難問はなぜ解けたか 天才数学者の失踪」が、通常のドキュ
メンタリーと特に違っていたのは、最後までペレルマン博士が現れなかったこ
とです。

世紀の難問「ポアンカレ予想」にかけられた百万ドルの賞金を要求しなかった
解答者に、NHKの取材班は是が非でも会いたかったわけです。

そうでなければ、NHKスペシャルとしては締まりませんよね。(^_-)

だからこそ、ロシアのペレルマン博士が所属する研究所まで、カメラをもって
出かけたわけですから。

研究所の同僚数学者が行方を眩ましているペレルマン博士の電話番号を知って
博士に電話するわけですが、最後まで博士は姿を現しませんでした。

ロシアの森の中に入って、蜜蜂を飼うような生活をされているのだとか。

(ここでも“蜜蜂”ですか……。

 今世界中で、蜜蜂からアセンションが始まっているというような話がありま
 したが。^^; )

たぶん「ポアンカレ予想」を解くという行為自体が、当初の欲求の想定範囲を
超えた世界に、ペレルマン博士をつれて行ったことは確かでしょうね。

それがどんな世界なのかは知りませんが……。

想像をたくましくすれば、当初博士が「ポアンカレ予想」を解こうと決意した
時点でもっていた“意味の世界”が、崩壊したのではないかと思います。

さらに憶測をたくましくするなら、おそらく、“意味の世界”そのものが崩壊
したのではないでしょうか。

つまり、“意味”を保持していた神経が、限界を超えて緊張させられたことに
よってその弾性を失った……とか。

いえ、これは、ゴシップ的興味でペレルマン博士のプライバシーに踏み込むと
いう感じとは少し違います。

「ポアンカレ予想」を解くという行為自体、個人的というよりは、むしろある
程度、人類の集合意識に関わる事件だと思います。

通常範囲に収まる価値観を持っていた方が、通常とは異なる状況や体験を経て、
それまでとはまったく異なる人格になる例はよく耳にしますよね。

(もっとも、アポロ宇宙飛行士などの場合は、それとはまた違った要素が働い
 ているかもしれませんが。^^; )

「ポアンカレ予想」を解くという行為は、これまでの人類の知的営為の範囲を
超える努力を博士に強いたかもしれません。

その先はSFファンタジーの世界ですが……。^^;;

予想外の超難問であった「ポアンカレ予想」に対峙して、博士が限度を超えた
知的苦闘を続けるなかで、意図せずにある波動帯にアクセスしてしまった……
というのもありうることです。

その時点でペレルマン博士は、「ポアンカレ予想」の解決のヒントだけでなく、
これらの問題を解くということの“別の意味”に触れてしまうわけです。

それまでペレルマン博士は、人類の数学史上最大の難問のひとつに挑戦してい
るつもりでした。

ところが、それが解けるということが、じつは、単にその既知の問題の解答を
知っている波動帯にアクセスするにすぎないことを知ってしまう。(-_-;)

もしそれが、最大の超難問に苦闘していたネアンデルタール人が、それを子ど
もの遊びのように楽々と解くクロマニヨン人に出会うようなことだとしたら。

その解答の意味がわかるだけに、その衝撃は簡単に吸収しきれるものではない
かもしれません。

村に帰って仲間に解答は伝えたとしても、村人たちが贈ってくれる“高価な”
賞金を素直に受け取る気にはなれないのではないか……。

現地上人類がDNA/RNAの二重螺旋を知ったのは、今からわずか半世紀前のことに
すぎません。

去年亡くなられた日本分子生物学会の創設者、渡辺格(わたなべ いたる)博士
http://tinyurl.com/4ckqms
の本を、むかし読んだことがあります。

その本のなかで渡辺さんが書いていらっしゃったことに、わたしも少なからず
衝撃を覚えたことを思い出します。

人間がこれから思いつくこと発見すること、そのすべての可能性が、ちょうど
コンピュータゲームのなかにすべて状況が最初から仕込まれているように、こ
のDNA/RNA二重螺旋のなかにすでに書き込まれているのではないか……。(*_*)

はじめてそう思い至ったときの衝撃を、先生は書いていらっしゃいました。

……。(-_-;)

いや、つい連想が突っ走ってしまって。^^;

ペレルマン博士に関するかぎり、「ポアンカレ予想」を解こうと決意した最初
の時点から、賞金百万ドルを受け取るつもりなどさらさらなかった、というこ
ともありうることですけどね……。

……脱線が長引きましたが、“形あるもの”のなかに「真理」がありえないの
は自明だ、という話でした。(*^_^*)

“形あるもの”、名前と形はすべて、(何らかの意味での)人間の創造物なの
ですから。

もし“人間の創造物”という言葉に違和感があるなら、村上和雄先生にならっ
て“サムシンググレート”と呼んでもいいですし、あるいは精神世界オタクと
しての用語である“創造神たち”という言葉を使ってもかまいません。

いずれにしろ、何らかの欲望が生みだした、無限の創造を可能にする調和的デ
ザインでしょうから。

でも……どこまで行っても、それはクリエーションにすぎない。

TSUTAYAにある地上のクリエータの作品よりは調和的で客観芸術的かも
しれませんが、しかしすべてが創造物であることは確かです。

最大限度までに洗練されてはいても、意図的「作り物」であることは間違いな
い。

その「作り物」のなかに……究極の「真理」はありうるか?

つまり、「意識」のなかに「真理」はありうるか?、ということです。

はたして、どの形が“究極の相”だなどと言えるものか……?

簡単に「巨人は永遠です」と言うわけにはいきません。(>_<)\ガーン!

ッテー。(/_;)

(;_;)

……顕現はすべて意識の“二元の相”のなかでしか現象できません。

もともと内部矛盾を孕んだ、つかの間の変化の相でしかありえない。

多次元宇宙のどこをどう探しても、“究極の真理”を保持している一隅などあ
りえないわけです。

唯一ありうるとしたら、それこそ「ゼロ次元」……。

あるいは、物理次元の用語を使うなら、多次元宇宙を浮かばせている「真空」
でしかありえないはずです。

今朝……目覚めたときに、夢を観ていたんですよね。

いつも変な夢ばかりですが、今日の夢も変な夢だった……。(-_-;)

たぶん、目覚める直前ですね……。

洞窟か建物の影から外に出るところらしく、前方はどうやらまだ暗い海辺のよ
うな雰囲気です……。

眼前の薄闇の中に、ボートか何かが砂浜の上に伏せて置かれているらしい。

そのボートの腹の上に、何かベージュ色の縫いぐるみのようなものが乗ってい
るみたいなんです。

何なのかなと思って……目を凝らして見ると、小さな動物みたいです。

よく見ると……、どうやら犬ですね。

犬が少し首を起こしているらしい。

と……、気がつくとじつはもっと大きな何かがそのボートの横にいるらしい。

かなり大きなほとんどボートの全長に届くような長いやつです。

あ、蛇ですね、暗いなかに滲むようなピンク色の大蛇です。(@_@)

その大蛇が、じつにすばやく犬の頭の横まで鎌首を寄せてきています。

逃げられるか!(>_<)……と思って見ていると、とうてい逃げられませんね。

犬は気づいているのかいないのか、反対側を向いたままです。

大蛇は大きく開けた口で、犬の頭全体を覆ってしまった。

グシャっと音は出ませんが、大蛇は口を閉じた……。

大蛇の口から水がザーザー流れ落ちるのが見えます。

赤い血じゃなくて、水なんです。

水がザーザー流れ落ちる……。

そこで、目が覚めました。

ね、変な夢でしょ。

……後からこの夢のことを思って、なぜあの瞬間、恐いというか嫌なというか、
そういう感じがするんだろう……?、と思いました。

世界が夢だということ、夢は過去の欲望と恐怖の“記憶の反応”だという話は、
ニサルガ師匠から聞いて知っています。

この夢なんかも、過去の恐怖の記憶をおさらいしているんでしょうけど……。

あの、大蛇の鎌首が犬の頭にすり寄ってきたとき、われわれはなぜ、自動的に
襲われる犬の方に自己同化するんでしょうね。

考えてみたら、獲物にありついた大蛇の方に自己同化したっていいわけです。

あの瞬間、犬の頭を噛み砕こうとする大蛇の方に自己同化したら、思わず喜び
がこみ上げてくるのかしら。(@_@)

ふふ。

バカなことばかり考えて……。(*-_-*)

あの夢の画面の中まで、「私は在る……私は在る……私は在る……私は在る」
を持ち込めたら、夢の印象も何もかも、まるで違ってしまうのか……。

われわれは映画の興行主なのに、自分で上映している映画に自ら翻弄されてい
るんですよね。

(どこかの首相も翻弄されていたようですが……。)

あらゆる場面に光を当てているのが自分であることは確かなんだから。

----------------------------------------------------------------------
 あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚えておきなさ
 い。
 あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、そして気づきなのだ。
                          『私は在る』(p178)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

わたしがいなければ、すべては存在しないというのに。(;_;)

わたしが存在するすべての夢に、その存在を与えている。

そしてわたしの自由は、夢を観るか、自分を思い出すか、そのどちらか。

そのどちらかしかないんだ……。

----------------------------------------------------------------------
 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
 を忘れるのだ。
 結局のところ、世界とは何だろう?
 記憶の集合だ。
 ひとつのことを固守しなさい。
 それが大切なことだ。
 「私は在る」をつかみ取りなさい。
 そしてほかのすべてを手放しなさい。
 これがサーダナ(修練)である。
                          『私は在る』(p111)
----------------------------------------------------------------------

> ひとつのことを固守しなさい。

> 「私は在る」をつかみ取りなさい。

> これがサーダナ(修練)である。

(;_;)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【78 すべての知識は無知なるものだ】の4回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の部分では、「私は在る」と観照者の違いが最も緻密に展開されます。

もちろん、聞けば聞いたで、いちおう言葉の上ではわかったような気にもなり
ますが、だからといって、それがどういうことを言っているのかは、わかるよ
うなわからないような。^^;

ただ何となく理解できたような気がするのは、「私は在る」という感覚が人間
的(つまり、意識的)な事実を表す言葉らしいのに、観照者という言葉は、ほ
とんど哲学用語のたぐいだな、ということでした。

それにしても、今さらですが……「意識のあらゆる状態が錯覚」と明言されて
いるんですよねぇ。

観照者、「鏡のマインド」、「私は在る」という感覚、そういった言葉がじつ
に懇切丁寧に説明されています。

では、【78 すべての知識は無知なるものだ】の4回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 「私は在る」という感覚は実在なのでしょうか、非実在なのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 その両方だ。
 私たちが、「私はこれだ。私はあれだ」と言うとき、それは非実在であり、
 「私はこれでもなく、あれでもない」と言うとき、それは実在なのだ。
 
 知る者は知られるものとともに来ては去り、一時的なものだ。
 だが、知らないということを知り、記憶と期待から自由なそれは永遠なのだ。
 
 質問者 「私は在る」自体が観照者なのでしょうか、それともそれらは別々
     なのでしょうか?
 
 マハラジ
 ひとつがないときにはもうひとつもない。
 しかし、それらはひとつではない。
 それは花とその色彩のようなものだ。
 花なしには色彩もない。
 色彩なしには――花が見られることもないままだ。
 その彼方には、花と接触することで色彩を生みだす光がある。
 あなたの真の本性は純粋な光だけであり、知覚者と知覚されるものは、とも
 に来ては去っていくだけだ。
 その両方を可能にし、また可能にしないもの、それがあなたの真の存在なの
 だ。
 それは「これやあれ」としての存在ではなく、存在と非存在の純粋な気づき
 なのだ。
 気づきがそれ自体に向かったとき、その感覚は「知らない」というものだ。
 それが外側に向いたとき、知ることの可能なものが現れる。
 「私は私自身を知っている」と言うことは、言葉の上で矛盾がある。
 なぜなら、「知られる」ことが「私自身」であることができないからだ。
 
 質問者 もし自己がつねに知られざるものならば、真我の実現のなかでは何
     が実現されるのでしょうか?
 
 マハラジ
 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
 と自体、充分な解放だ。
 一式の記憶と習慣との自己同一化からの自由、存在の無限な広がりに対する
 驚愕(きょうがく)、その無尽蔵な創造力と完全な超越、意識のあらゆる状
 態が錯覚であり、一時的であることの認識から生まれた絶対的な恐れのなさ
 ――それらは深く、かぎりない源から湧き出るものだ。
 源を源として、現れは現れとして知ること、自己を唯一の源として知ること
 が真我の実現なのだ。
 
 質問者 観照者はどちらの側にあるのでしょう? 実在でしょうか、非実在
     でしょうか?
 
 マハラジ
 誰も「私は観照者だ」と言うことはできない。
 「私は在る」はつねに観照されているものだ。
 冷静な気づきの状態が観照意識、「鏡のマインド」だ。
 それは対象物とともに現れては消えるものであり、それゆえ完全に実在とは
 言えない。
 対象物がなんであれ、それは変わらず残る。
 それゆえそれは実在とも言えるのだ。
 それは実在と非実在の両方の質をもっているため、そのふたつに架ける橋な
 のだ。
 
 質問者 もしすべてが「私は在る」にだけ起こるのなら、もし「私は在る」
     が知る者と知られるものと知識そのものであるなら、観照者がする
     こととは 何なのでしょうか? それが何の役に立つというのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 それは何もしない。
 そして何の役にも立たないのだ。
 
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて話すのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜなら、それはそこに在るからだ。
 橋は渡すというひとつの役割を果たすだけだ。
 あなたは橋の上に家を建てたりはしない。
 「私は在る」はものごとを見るが、観照者はそれらを見通すだけだ。
 それはそれらを非実在で一時的なものとして、ありのままに見る。
 「私ではなく、私のものではない」と言うことが観照者の役目なのだ。
 
 質問者 観照者とは、非顕現(ニルグナ)が表現された顕現(サグナ)なの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 非顕現は表現されない。
 顕現されたものには非顕現を表現することはできないのだ。
 
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて語るのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜなら、そこが私の誕生の地だからだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p413-414)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

> 質問者 「私は在る」という感覚は実在なのでしょうか、非実在なのでしょ
>     うか?
> 
> マハラジ
> その両方だ。

うん?

というと、「私は在る」という感覚は実在でもあり、非実在でもあると。

> 私たちが、「私はこれだ。私はあれだ」と言うとき、それは非実在であり、

ああ……。

「私はこれだ。私はあれだ」と言うとき、その「私は在る」という感覚は非実
在なのか。

> 「私はこれでもなく、あれでもない」と言うとき、それは実在なのだ。

なるほど。

「私はこれでもなく、あれでもない」と言うとき、その「私は在る」という感
覚は実在なんだ。

その感覚のことを「アイデンティティ」って言うのかな……。

> 知る者は知られるものとともに来ては去り、一時的なものだ。

というと……、観照者は感覚とともに来ては去る、一時的なものなんですね。

> だが、知らないということを知り、記憶と期待から自由なそれは永遠なのだ。

実在に固有のアイデンティティそのものは永遠……、というわけか。

> 質問者 「私は在る」自体が観照者なのでしょうか、それともそれらは別々
>     なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> ひとつがないときにはもうひとつもない。
> しかし、それらはひとつではない。

観照者がないのに「私は在る」だけあるとか、「私は在る」がないのに観照者
だけある、というようなことはないと。

しかし、観照者と「私は在る」はひとつではない。

ほー。

> それは花とその色彩のようなものだ。

というと?

> 花なしには色彩もない。

「私は在る」なしには観照者もない。

うん。

> 色彩なしには――花が見られることもないままだ。

観照者なしには――「私は在る」が見られることもないまま……か。

なるほど。

> その彼方には、花と接触することで色彩を生みだす光がある。

その彼方には、「私は在る」と接触することで観照者を生みだす実在がある。

> あなたの真の本性は純粋な光だけであり、知覚者と知覚されるものは、とも
> に来ては去っていくだけだ。

至高の実在は純粋な光だけであり、観照者と「私は在る」は、ともに来ては去
っていくだけ……か。

> その両方を可能にし、また可能にしないもの、それがあなたの真の存在なの
> だ。

観照者と「私は在る」の両方を可能にし、また可能にしないもの、それがわたし
という真の存在なのか……。

> それは「これやあれ」としての存在ではなく、存在と非存在の純粋な気づき
> なのだ。

それは、あれやこれやの現象物ではなく、存在と非存在に対する純粋な気づき
だと。

> 気づきがそれ自体に向かったとき、その感覚は「知らない」というものだ。

ほー。

気づきが気づきの対象を持たないとき、その感覚は「知らない」というものな
のか。

> それが外側に向いたとき、知ることの可能なものが現れる。

気晴らしに外側に目を向けると、意識の対象物が現れる。

> 「私は私自身を知っている」と言うことは、言葉の上で矛盾がある。
> なぜなら、「知られる」ことが「私自身」であることができないからだ。

なるほど。

わかります。

> 質問者 もし自己がつねに知られざるものならば、真我の実現のなかでは何
>     が実現されるのでしょうか?

へー、理論派だこのひと。

> マハラジ
> 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
> と自体、充分な解放だ。

それさえ、本当にわかればいいわけだ。

> 一式の記憶と習慣との自己同一化からの自由、存在の無限な広がりに対する
> 驚愕(きょうがく)、その無尽蔵な創造力と完全な超越、意識のあらゆる状
> 態が錯覚であり、一時的であることの認識から生まれた絶対的な恐れのなさ
> ――それらは深く、かぎりない源から湧き出るものだ。

「意識のあらゆる状態が錯覚であり、一時的」なのか……。(-_-;)

あの薄闇のなかでピンク色に滲む大蛇が、たんなる錯覚だとわかるわけだもの
なぁ、そりゃ、「絶対的な恐れのなさ」も生まれるわけさ。

> 源を源として、現れは現れとして知ること、自己を唯一の源として知ること
> が真我の実現なのだ。

いついかなるときにも自分が唯一の源泉だと知っていれば……、か。

> 質問者 観照者はどちらの側にあるのでしょう? 実在でしょうか、非実在
>     でしょうか?

うん、詰めたな……このひと。

> マハラジ
> 誰も「私は観照者だ」と言うことはできない。

おお、そうか。(@_@)

> 「私は在る」はつねに観照されているものだ。

うん、「私は在る」は、つねに「私は在る」という感覚であり、「私は在る」
という概念だものな。

> 冷静な気づきの状態が観照意識、「鏡のマインド」だ。

“冷静な気づきの状態”のことを“観照意識”とか「鏡のマインド」って言う
のか。

> それは対象物とともに現れては消えるものであり、それゆえ完全に実在とは
> 言えない。

なるほど、「鏡のマインド」は鏡映すべき意識の対象物と共時的に出現しては
消滅するものなのか。

> 対象物がなんであれ、それは変わらず残る。

うん。

映し出している対象が何であっても、「鏡のマインド」自体は変わらない。

> それゆえそれは実在とも言えるのだ。

その意味では、それは実在とも言える。

> それは実在と非実在の両方の質をもっているため、そのふたつに架ける橋な
> のだ。

なるほど。

> 質問者 もしすべてが「私は在る」にだけ起こるのなら、もし「私は在る」
> が知る者と知られるものと知識そのものであるなら、観照者がすることとは
> 何なのでしょうか? 
> それが何の役に立つというのでしょうか?

へー、論理的な質問ですね。

> マハラジ
> それは何もしない。

なるほど。

> そして何の役にも立たないのだ。

そうか……。

> 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて話すのでしょうか?

ふふ。

> マハラジ
> なぜなら、それはそこに在るからだ。

ふ。

> 橋は渡すというひとつの役割を果たすだけだ。
> あなたは橋の上に家を建てたりはしない。

これはどういう意味だろう?

> 「私は在る」はものごとを見るが、観照者はそれらを見通すだけだ。

へー。

この違いは、言葉だけ聞いてもなぁ。

> それはそれらを非実在で一時的なものとして、ありのままに見る。
> 「私ではなく、私のものではない」と言うことが観照者の役目なのだ。

そういうことか。

> 質問者 観照者とは、非顕現(ニルグナ)が表現された顕現(サグナ)なの
>     でしょうか?
> 
> マハラジ
> 非顕現は表現されない。

はい、それはわかります。

> 顕現されたものには非顕現を表現することはできないのだ。

はい。

> 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて語るのでしょうか?

ふ。

> マハラジ
> なぜなら、そこが私の誕生の地だからだ。

そうなんだ……。

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
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今回ヨシュアさんから、nesaraに関する短い情報提供というか、ご質問の形の
メールをいただきましたので、ご紹介します。

【件名】: 
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 nesara(national economic security and refomation act)
 国際経済安全保障改革法宇宙協定を知っていますか?
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ネサラですね。

はい、表面的なことくらいですが。

ケイ・ミズモリさんの本(『世界を変えるNESARAの謎――ついに米政府の陰謀
が暴かれる』)が出版されたころに、このメルマガでもちょっと取り上げたこ
とがありました。

NESARA
https://www.ascensionkan.com/mm/vol060.html#1
ブッシュさんの傑作“トチリ発言”
https://www.ascensionkan.com/mm/vol061.html#1

この頃ではすっかりそんな元気がなくなって、もうこの世の情報はほとんど取
り上げることもなくなりましたが……。^^;

ただ、こうしてみなさんから情報提供いただくことは大歓迎です。

ご紹介させていただきたいと思っています。

ヨシュアさん、メールありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:PC版のメルマガを携帯電話でも読めるらしいです。
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ところで、この『アセンション館通信』のようなPC版のメルマガ記事を携帯
電話でも読めるようになったらしいです。
http://a.mag2.com/ 

携帯電話で検索するとバックナンバーをすべて閲覧できるみたいですよ。

よろしければ、移動時間中の暇つぶしなどにご利用ください。
http://a.mag2.com/0000126287 でブックマークもできます。

▼詳細&携帯電話からのアクセス方法はこちら▼
http://www.mag2.com/profile/news/20080423.html 

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ところで相変わらず未来流行りですが、2036年からやってきて今後人類に起こ
ることを掲示板に書き込んだジョン・タイターという方をご存知ですか?

タイターさん、2000年の時点で北京五輪の中止を予言しているんですってね。

ジュセリーノさんと言い、タイターさんと言い、たとえその予言が外れたとし
ても、なんとなく時間ってどうも幻想らしいな、という気がしてくるのは、わ
たしのような超信じやすい質の人間だけなんでしょうか。(^^;)

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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