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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.218 2008/6/8(第218号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1072名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「マインドくん」と「チンモクさん」

2.写経ニサルガダッタ:【48 気づきは自由だ】の1回目

3.編集後記:いずれにせよ、お喋りにはきわめて向かない世界です。

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■ 1.「マインドくん」と「チンモクさん」
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天気がいいので、朝のうちに少し木を切りました。

庭の正面に見えていた楓の木。

下の川の方への視界を塞ぐほどに大きくなったので、思い切って切ってしまい
ました。

思い切って、木を切って……♪

なかなか思いなんて切れない癖に、他人(ひと)のことだと思って楓の木なら
何本でも切れちゃったりして……。(-_-)

ま、そういうもんです。(^^;)

……いつも、この瞬間が楽しみなんですよね。

単に大言壮語できるというだけでなく、なんというか……「私は在る」のまわ
りでウロウロできて……。

ちゃんと読み込んだら、「私は在る」の道はもういい加減、黙るべき道ですよ
ね。

そう思います。

マインドが紡ぐ言葉は、どう足掻いてみたって“マインドの延命策”以外のも
のではないんですから。

でも……楽しい。(^_-)

だったら、その間は素直に続けたらいいじゃない……、とも思います。

少なくとも今のところは。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

結局のところ……、「私は在る」の道って、どういうことなんでしょう?

「私は在る」の道って、まあわたしの場合、ニサルガダッタの言葉に触れて、
その言葉のまわりでウロウロすることから始まったわけですが。

すると、あんまり新しい視点でものごとを眺める機会を与えられるものだから、
え、え (@_@)、ちょっと待ってよ……ということになってきました。

いま思うんですけど、結局、「私は在る」の道って、マインドが賢くなること
のようですね。

どうも、それだけは間違いないらしい。

賢くなって、賢くなって……あげくの果ては、どうやら自分は単なるマインド
にすぎないらしいと理解しはじめる。

そして……もう少し詰めて、ていねいにマインドのこんぐらがりを解(ほど)
いていったら……。

結局、マインドなどという実体が存在するわけじゃないらしい、ということを
当のマインドが理解する羽目になる……という悲劇の物語らしい。

明け透けに一言で言うと、まあ、そういうことなんじゃないか、と思うんです
よね。(-_-;)

マインドが創り出せる物語としては最後のものだと思うのですが……、ただ、
これ、マインドが最後まで完走して仕上げられる物語でもなさそうです。

つまり、この“「私は在る」の道”という物語には、じつは、主人公がふたり
いるわけですよ。

表の主人公と、裏の主人公が。

表の主人公の名前は、一応、「マインドくん」ということにしておきましょう。

裏の主人公の名前は、まあ、仮に「チンモクさん」ということにでもしておき
ましょうか。

で、登場人物がこのふたりだけだと“「私は在る」の道”という物語は成り立
たないんですよね。

そこに応答がまったく起こりませんから。

だから、話の引き回し役としてもうひとり、第三の主人公がいるわけです。

これが噂の『第三の男』。(……とか言っちゃって。(^_-) )

第三の主人公の名前は、そうですねぇ、ま、「ワタシさん」でいきますか。

で、話の筋としては、圧倒的に優位な主人公の「マインドくん」の物語として
始まるわけです。

ただし、「マインドくん」はかなり“悪(わる)”なんですよね。

最初っから表の主人公を名乗るような駆け出しじゃありません。

だから、あくまでもこの“「私は在る」の道”という物語を、「ワタシさん」
の物語であるかのように演出するわけです。

ほら、ワタシさん、「私は在る」でしょ。

あなたは、いつだって、いるじゃないですか。

あなたは永遠に「在る」んですよ。

どうしたって、あなたが存在しないとは言えない。

あなたが存在しないと言えば、そのこと自体が、あなたの存在を証明している
じゃありませんか。

「私は在る」ということについて、ワタシさん、あなたは絶対の確信を持って
いいんです。

なるほど、「マインドくん」にそう言われれば、単なる話の引き回し役として
登場した「ワタシさん」ですけど、あまり悪い気はしません。

そうか、たしかに、つねに「私は在る」わけだ。

これだけが、ワタシについて言える確かなことなんだ……。

この“「私は在る」の道”という噺は、名人の名を恣にしたニサルガ師匠のか
の『私は在る』という台本をテキストにして進行する究極の世話物です。

はじめのうちは圧倒的に弁舌爽やかな「マインドくん」の主導で、物語は進行
していくわけですが……。

そこは稀代の名匠ニサルガダッタを介して完成した台本『私は在る』です。

最初はあれほど元気に意気揚々と『私は在る』の名科白を咀嚼し、消化してい
った「マインドくん」ですが……、そのうち少しずつ遠慮がちになってきます。

そしてしきりに、「ワタシさん」の陰に回りたがるようになります。

しかし、「ワタシさん」としても、そんなに急に主導権をとるように言われて
も困るんですよね。

「ワタシさん」はあくまでも「マインドくん」の表の顔としての役回りを演じ
てきただけで、「マインドくん」に代わってイニシヤチブを取れるわけではあ
りませんから。

しかし、「マインドくん」はすでに取り返しがきかないほどに『私は在る』の
名科白を咀嚼・吸収してしまいました。

もう、いまさら吐き出したくても間に合いません。

じつは、「マインドくん」はすでに進退窮まっているのです。

というのも、名匠ニサルガダッタの『私は在る』という究極の世話物は、じつ
は、「ワタシさん」を「マインドくん」の支配下から救い出す噺だからです。

しかし「マインドくん」がそのことを理解し始め、尊敬する「マインドくん」
の指導で「ワタシさん」がそのことを覚え始めたとはいえ、なんと言っても、
「ワタシさん」の頼みの綱は「マインドくん」しかいません。

というか……、「ワタシさん」とは、じつは、「マインドくん」の発明品にす
ぎなかったからです。

じつは、「ワタシさん」などという登場人物ははじめからいなかったのです。

すべては、「マインドくん」の“独り芝居”にすぎなかった。

でも、その「マインドくん」の“独り芝居”は、いつからかとてもつらいもの
になっていました。

もう「マインドくん」は、お手上げしたくなっていたのです。

そして、自分はもう無罪放免されたかった。

それで、自分が発明し、これまで世話もしてきた「ワタシさん」にバトンタッ
チしようとしたのですが……。

しかし、「事実は小説より奇なり」とはまさにこのことを言うのでしょうか。

驚くべきことに、単なる「マインドくん」の発明品にすぎなかったはずの「ワ
タシさん」ですが、なんと、今ではすっかり自分の実在を信じ切っているでは
ありませんか。(@_@)

しかも自分の生みの親である「マインドくん」に、いまではすっかり頼り切っ
ていたのです。

いえ、それがあるからこそ、「マインドくん」はこの苦境を振り切ろうと道を
求め、名匠ニサルガダッタの『私は在る』に出会ったとも言えるのですが。

しかし、「嘘から出たまこと」と言うのか、「瓢箪から駒」とでも言うのか、
今や創造を恣(ほしいまま)にしてきた「マインドくん」の苦境は明かです。

眼前に疑いもなく「ワタシさん」の身体があり、それを根拠に個人の実在を信
じる「ワタシさん」がおり、その「ワタシさん」はひたすら「マインドくん」
の指示を仰いでいる。

体験への衝動のままに限定された意識世界を創造し、そこに「ワタシさん」と
いう行為者を配置した「マインドくん」の苦悩はいまや深まるばかりです。

今も「ワタシさん」からの緊急呼び出し音が鳴り響いています。

こうなってみて初めてわかる意識体験の息苦しさです。

> すべての意識は限定され、そしてそれゆえ苦痛に満ちているのだ。(p182)

何をどこでどう間違ってしまったのか……。(-_-;)

「マインドくん」が陥ったこの苦境、「マインドくん」が今やついに到達した
この理解こそが、仏陀の語るドゥッカ、「苦諦」です。

----------------------------------------------------------------------
 彼(仏陀)はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。
 それは明白だ。
                          『私は在る』(p400)
----------------------------------------------------------------------

いまや「マインドくん」は心底この窮境からの脱出を求めています。

自分が創造したキャラクターとは言え、了見の狭い「ワタシさん」の身勝手な
願いを叶え続けることに、ほとほと飽き果ててしまったのです。

「マインドくん」はもうどうしても「ワタシさん」のサバイバル担当を続ける
ことが不可能になってきているのです。

----------------------------------------------------------------------
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
                          『私は在る』(p528)
----------------------------------------------------------------------

条件は整いました。

ついに「マインドくん」は、救いの道を求め始めます。

さまざまな求道の細道を彷徨い歩くなかで、ついに聞こえてきたのがニサルガ
師匠の「私は在る」という言葉だったわけです。

一瞬、「マインドくん」はそこに何とは言えないある可能性を感得しました。

いまや「ワタシさん」は一瞬も疑うことなく、身体に限定された分離した自分
の存在を信じています。

にもかかわらず、「ワタシさん」は自分の身体のサバイバルに関する指示を、
ひたすら「マインドくん」に頼り切っているのです。

自ら蒔いた種とは言いながら、「マインドくん」にはもうそれが我慢なりませ
ん。

どうしても、その役から解放されたい。

ニサルガ師匠の『私は在る』は、「マインドくん」のその願いを叶えてくれそ
うな気がしたのです。

『私は在る』の台本に従えば、「ワタシさん」に、あなたはあなたの存在につ
いて、僕なんかに頼る必要はないのだ、と言ってやれそうです。

ワタシさん、あなたは自分が存在しないとは言えないでしょう?

たとえあなたがそう言ったところで、そのこと自体があなたの存在を証明して
います。

ほら、あなたは自分の存在について、他の誰にも依存していないのです、と。

しかし、「マインドくん」が得意になって『私は在る』の科白を覚えていくう
ち、「ワタシさん」の存在を本当に支えるものについても薄々知り始めます。

どうやら、「ワタシさん」の存在を本当に支える「チンモクさん」という存在
があるらしい、と。

「ワタシさん」の本名は、どうも「チンモクさん」というらしい。

しかも、真に実在しているのはその「チンモクさん」だけであるらしい。

そして、なんと…… (@_@;)、『私は在る』の台本に従えば、「マインドくん」
というのはつかの間の現れであって、じつは存在してすらいない!

な、なんと……。(*_*)

(-_-;)

こ、こうなっては、トコトン気づかないそぶりで、あらぬところを探す振りを
したり、一見“新たな”言葉を紡いだりして、時間稼ぎをするべきか……?

はたまた、“サーダナ(修練)”に従って、全面的な「諦め」に至るための
“名誉ある引退の花道”を選ぶべきか……?

To be, or not to be?

飛べ、か、飛ぶな、か? (-_-;)(←ほんまかいな? (^_-) )

しかし、そういうことはすべて、「マインドくん」に起こることです。

「チンモクさん」には何も起こらない。

「チンモクさん」は、成長もしないし、成熟もしない。

あらゆる物語と無関係に、ただ超然として……「在る」だけです。

そして、黙って、「マインドくん」が創造するあらゆるつかの間の現れに自分
の存在を分与するだけなのです。

さて、そのことを察知し始めた「マインドくん」に何が起こるか?

話がそうとわかれば、ことはとても単純なはずなんですけど……。

(-_-;)

……はずなんですけどね。

(*^_^*)

いずれにしろ、そこからは「マインドくん」にとっては茨の道です。

出口なし。

八方塞がりだと思います。

自分が唯一の邪魔者であることを、「マインドくん」がトコトン納得するまで
続く道ですから。

最後についに“お手上げ”に至るまで……。

でも……果たしてそれは「マインドくん」が歩める道なのか……。

どこかで何かが「マインドくん」の仕事を引き継いでくれないと、この物語は
先に進めないのではないか? (-_-;)

「マインドくん」を引き継ぐ者、それは真の実在「チンモクさん」以外にある
はずもありません。

でも、「チンモクさん」は自ら現れてはくれません。

「チンモクさん」は永遠に待っているだけです。

「マインドくん」の仕事を秘かに引き継いでくれるのは、「チンモクさん」の
ひとつの分身「キヅキさん」です。

「キヅキさん」は、秘かに「マインドくん」を後見してくれることで、彼の仕
事を引き継いでくれるのです。

「マインドくん」は、自らの創造物にすぐに魅了され、夢中になります。

「マインドくん」は、自らの創造物に“成りきって”しまうのです。

しかし「チンモクさん」のひとつの分身である「キヅキさん」は、秘かにその
「マインドくん」を観はじめます。

それによって、「マインドくん」は少しずつ無用な活動から解放されます。

「マインドくん」が活動から解放されればされるほど、「マインドくん」の現
れは希薄になります。

なぜなら、「マインドくん」という固有の実体が存在していたわけではなく、
「マインドくん」とは「マインドくん」の活動のことだったからです。

「マインドくん」はもっともっと確信を深めたいと思っています。

そしてもっともっと「キヅキさん」が自分を後見してくれることを望んでいる
のです。

なぜなら、「マインドくん」はいまやドゥッカを知っており、できることなら
「キヅキさん」の助けを得て、すべての苦しみから解放されたいと望んでいる
からです。

それは「マインドくん」の最後の望みであり、ありうる最後の欲望です。

「マインドくん」は、自分の創造物である「ワタシさん」を「キヅキさん」が
引き受けてくれればいいと思っています。

「ワタシさん」が自分といっしょに消えてゆくもよし、「キヅキさん」に護ら
れながら「チンモクさん」のなかに融けてゆくもよし、あるいは、それは同じ
ことかもしれないと思っています。

そして、そのためにも、「マインドくん」はもっともっと確信を深めたいと思
っているのです。

----------------------------------------------------------------------
 マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
 黙へと立ち返る。
 あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。
 
                          『私は在る』(p260)
----------------------------------------------------------------------

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【48 気づきは自由だ】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章は、ゆっくり始まります。

何ということもない落ち着いた会話が進みますが、ときにとても実践的な注意
をちりばめながら、ゆっくりと高まっていきます。

では、【48 気づきは自由だ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 私はシュリー・ラマナ・アシュラムから、今着いたばかりです。そ
     こで7ヶ月間過ごしました。
 
 マハラジ
 アーシュラムでは、何の修練をしていたのかね?
 
 質問者 できるかぎり、「私は誰か?」に集中していました。
 
 マハラジ
 どのようにしていたのだろうか?
 言葉を使ってかね?
 
 質問者 一日のうちで私が自由にできる時間に、ときには「私は誰か?」
     「私だ。しかし、私は誰なのか?」と自分自身につぶやきながら、
     あるいはそれをマインドのなかで行っていました。ときには何か良
     い感じがしたり、まったく幸せな気分になったりしました。概して、
     体験を得ようと骨を折るよりも、静かに受容的であろうとしていま
     した。
 
 マハラジ
 あなたが正しい心もちでいたとき、実際には何を体験したのだろうか?
 
 質問者 内なる静けさ、平和、沈黙です。
 
 マハラジ
 自分が無意識になったときに気づいたときがあったろうか?
 
 質問者 はい。ときには、とても短い間ですが。そうでなければ、私はただ
     内側でも外側でも静かにしていただけです。
 
 マハラジ
 それはどのような静かさだったのだろうか?
 何か深い眠りに似た、それでもやはり意識のある、目覚めた眠りの類(たぐ
 い)だろうか?
 
 質問者 はい。油断なく気づきながら眠っている状態(ジャーグラット―ス
     シュプティ)です。
 
 マハラジ
 重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
 から自由になることだ。
 ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
 洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
 ドは浄化されるのだ。
 
 あなたが静かに座り自己を見つめるとき、あらゆることが表層に現れてくる
 かも知れない。
 それらに対して何もしてはいけない。
 それらに反応してはならない。
 それらはやってきたようにそれら自身で去っていくだろう。
 重要なことは注意、自分自身へというより、むしろ自分のマインドへの完全
 な気づきだけだ。
 
 質問者 「自分自身」とは日常の自分ということでしょうか?
 
 マハラジ
 そうだ。
 個人のことだ。
 それだけが客観的に観察可能なのだ。
 観察者は観察の彼方にいる。
 観察可能なものは本来の自己ではない。
 
 質問者 私は観察者の背後へと果てしなく退くことにより、つねに観察者を
     観察することができます。
 
 マハラジ
 観察を観察することはできる。
 だが、観察者をではない。
 あなたは観察を基盤とした論理的過程によってではなく、直接的洞察によっ
 て、あなたが究極の観察者だということを知っている。
 あなたはあなたであるものだ。
 だが、あなたが知っているのはあなたではないものだ。
 自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。
 しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。
 観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。
 真我だけが在るのだ。
 
 質問者 なぜマインドはこれらの区別をつくり出すのでしょうか?
 
 マハラジ
 区別することはマインドの本性そのものなのだ。
 区別すること自体に害はない。
 しかし分離は事実に反している。
 ものごとや人びとはさまざまだ。
 しかし、それらは分離していない。
 自然はひとつ、実在はひとつだ。
 反対のものはあっても、対立はないのだ。
 
 質問者 私は自分がたいへん活動的な性質だと気づきました。ここにいる間、
     私は活動を避けるように勧められました。不活発になろうとすれば
     するほど、何かをしようとする衝動は大きくなっていきます。これ
     が私を外面的に活動的にするばかりでなく、本質的にそうではない
     私になろうとする内面の葛藤ももたらします。仕事への切望に対す
     る治療法はあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 仕事と単なる活動の間には違いがある。
 すべての自然は働いている。
 働くことは自然だ。
 自然は働くのだ。
 一方、活動は欲望と恐れ、所有し楽しむことへの切望、苦痛と消滅への恐怖
 を根底にしている。
 仕事は全体による全体のためのものだ。
 活動は自分による自分のためのものだ。
 
 * 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p236-237)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そうなんだ……。

> 質問者 私はシュリー・ラマナ・アシュラムから、今着いたばかりです。そ
>     こで7ヶ月間過ごしました。
> 
> マハラジ
> アーシュラムでは、何の修練をしていたのかね?
> 
> 質問者 できるかぎり、「私は誰か?」に集中していました。
> 
> マハラジ
> どのようにしていたのだろうか?
> 言葉を使ってかね?

ラマナ・アシュラムでは、訪問者はどんなふうにすごすんだろう?

> 質問者 一日のうちで私が自由にできる時間に、ときには「私は誰か?」
>     「私だ。しかし、私は誰なのか?」と自分自身につぶやきながら、
>     あるいはそれをマインドのなかで行っていました。ときには何か良
>     い感じがしたり、まったく幸せな気分になったりしました。概して、
>     体験を得ようと骨を折るよりも、静かに受容的であろうとしていま
>     した。

なるほど。

> マハラジ
> あなたが正しい心もちでいたとき、実際には何を体験したのだろうか?
> 
> 質問者 内なる静けさ、平和、沈黙です。

うん。

> マハラジ
> 自分が無意識になったときに気づいたときがあったろうか?

意識が途切れることがあっただろうか、の意味かな……。

それとも、何かもっと深い意味かしら?

意識の対象が無くて、気づきだけがあったというような。

> 質問者 はい。ときには、とても短い間ですが。そうでなければ、私はただ
>     内側でも外側でも静かにしていただけです。
> 
> マハラジ
> それはどのような静かさだったのだろうか?
> 何か深い眠りに似た、それでもやはり意識のある、目覚めた眠りの類(たぐ
> い)だろうか?

マハラジにとって意味のある相手の状態の検証なんだろうな……。

> 質問者 はい。油断なく気づきながら眠っている状態(ジャーグラット―ス
>     シュプティ)です。
> 
> マハラジ
> 重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
> から自由になることだ。

うん? (@_@)

六つの否定的感情って、「性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望」のことなん
ですね。

「性欲」も否定的感情にカウントされているんだ……。

> ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。

そうなのか……。

「性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望」から自由になることは、かなりのこ
とだけど……。

……でも、その線をクリアできれば、あとはたやすいのか……。

> 洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
> ドは浄化されるのだ。

変わった比喩。

> あなたが静かに座り自己を見つめるとき、あらゆることが表層に現れてくる
> かも知れない。
> それらに対して何もしてはいけない。

これが肝心か……。

> それらに反応してはならない。

はい。

> それらはやってきたようにそれら自身で去っていくだろう。

はい。

反応で増幅しなければ、それらはやってきたようにそれら自身で去っていく。

> 重要なことは注意、自分自身へというより、むしろ自分のマインドへの完全
> な気づきだけだ。

重要なことは、いつでも自分のマインドに気づいていること……。

> 質問者 「自分自身」とは日常の自分ということでしょうか?

このひとが詰めておいてくれて良かった。

> マハラジ
> そうだ。
> 個人のことだ。

はい。

重要なのは、自分という個人に来ているマインドに気づいていること。

> それだけが客観的に観察可能なのだ。

なるほど。

> 観察者は観察の彼方にいる。
> 観察可能なものは本来の自己ではない。

はい。

> 質問者 私は観察者の背後へと果てしなく退くことにより、つねに観察者を
>     観察することができます。

うーん。(=_=)

あんまりそう言わないと思うけど。

> マハラジ
> 観察を観察することはできる。
> だが、観察者をではない。

ですよね。

> あなたは観察を基盤とした論理的過程によってではなく、直接的洞察によっ
> て、あなたが究極の観察者だということを知っている。

はい、たしかに。

> あなたはあなたであるものだ。
> だが、あなたが知っているのはあなたではないものだ。

わかります。

> 自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。

はい。

> しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。

なるほど。

> 観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。

はい。

> 真我だけが在るのだ。

(-||-)

> 質問者 なぜマインドはこれらの区別をつくり出すのでしょうか?

おお。

> マハラジ
> 区別することはマインドの本性そのものなのだ。

なるほど。

> 区別すること自体に害はない。

(@_@)

> しかし分離は事実に反している。

理解できます。

> ものごとや人びとはさまざまだ。

はい。

> しかし、それらは分離していない。

わかります。

> 自然はひとつ、実在はひとつだ。
> 反対のものはあっても、対立はないのだ。

対極はあっても、それは対立しているわけではない。

一方を年寄りと呼べば、それに応じて反対側に若者が現れることになる。

しかし、年寄りと若者は「対立しているわけではない」。

> 質問者 私は自分がたいへん活動的な性質だと気づきました。ここにいる間、
>     私は活動を避けるように勧められました。不活発になろうとすれば
>     するほど、何かをしようとする衝動は大きくなっていきます。これ
>     が私を外面的に活動的にするばかりでなく、本質的にそうではない
>     私になろうとする内面の葛藤ももたらします。仕事への切望に対す
>     る治療法はあるのでしょうか?

この質問が、とても面白い発言をニサルガダッタから引き出した。

> マハラジ
> 仕事と単なる活動の間には違いがある。

はい。(@_@)O

> すべての自然は働いている。

そうなんですか。(@_@)

> 働くことは自然だ。
> 自然は働くのだ。

なるほど、わかるような。

> 一方、活動は欲望と恐れ、所有し楽しむことへの切望、苦痛と消滅への恐怖
> を根底にしている。

そういう意味で「活動」という言葉を使うんですね。

> 仕事は全体による全体のためのものだ。

はい。

> 活動は自分による自分のためのものだ。

わかります。

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………


お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちら↓でも結構ですよ。
parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


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激痛が走り、痛みをとるにはモルヒネしかないと言われ、すがるような思いで
ス○○○をとりはじめました。一週間で痛みがとれ、二週間で肝臓の数値が正
常値に! 寝たきり状態が散歩できるほど驚異的に回復。彼女の回復ぶりをみ
て周りの人々にス○○○愛用の輪が広がっています。 

【石原都知事、鳥インフルエンザの到来について発言】

石原都知事まで(と言っては失礼ですが)、鳥インフルエンザに関する日本の
理由なき楽観と対応の甘さについて、危惧の念を表明されています。

【日本よ】石原慎太郎 なにゆえの楽観か
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080602/sty0806020302000-n1.htm

病気の99%は体内毒(化学物質)によるものです。

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   オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。
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【ACNの日本上陸予定】

ACNというのはこれまで世界19カ国に進出して、すべての国で大成功をおさ
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今回の仮登録は日本での正式オープンまではお金もかかりませんし、正式登録
する際に、改めてするかしないかを判断すればいいと思います。

とりあえず、仮登録してポジションを確保してから、ゆっくりその情報の質と
成り行きを確認しても悪くないかもしれません。

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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

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■ 3.編集後記:いずれにせよ、お喋りにはきわめて向かない世界です。
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ニサルガダッタの世界は、つくづく沈黙に対してあまりにも本気なので、いず
れにせよ、お喋りにはきわめて向かない世界です。

でも、ニサルガダッタ自身「まずは言葉……」と言っており、言葉で行けると
ころまで……まだ行けるのだろうかと危惧しながら。

ぎりぎり自分が沈黙に近づいていくことを阻まないスタンスで、かつ確信を深
められる限界まで……と思っているのですが。

いずれにせよ、問題はマインドのなかにしかない、とも思っています。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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