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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.219 2008/6/15(第219号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1076名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.“平和な誇大妄想狂”という選択肢

2.写経ニサルガダッタ:【48 気づきは自由だ】の2回目

3.編集後記:「岩手・宮城内陸地震」と命名されたらしいですね。

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■ 1.“平和な誇大妄想狂”という選択肢
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ふう。

涼しくていい風が吹いてきます。

気持ちがいいです。

まだ途中段階ではあるんですが、自分が造ったサンデッキを目の前にしてとて
もくつろいでいます。

このところだいぶ身体を動かしました。

目の前のサンデッキがあまりにも劣化がひどくなってきて、もう補修しなきゃ
駄目だなぁ、と思っていました。

ところが補修しようにも、いわゆるなんとやらが……というわけで (*^_^*)、
ずるずるとここまできていました。

しかし、もうそうも言っていられないような段階になってきた。

お客さんがあったりすると、そこを歩くときは気をつけて、と注意しなくちゃ
ならないような状態で。

やっぱり、最低限の補修をしなくちゃ……、ということになりました。

ところが補修方法を考えているうちに話が少しずつ大袈裟になってきて……。

頭がダイナミックな動きに慣れてくると、……それならいっそのこと、とかな
んとか、大胆な発想の切り替えを受け入れられるようになる。

以前、夢の場面で見たことが物理次元の“現実”として実体化するときは、こ
んなものなんでしょうか。

金銭的な実現可能性も含めて、じつにささいな、それでいて納得のゆく形に収
まって目の前に出現するもののようですね。

それに何よりも、それがつかの間の夢の一場面にすぎないと思っていると、な
んか大変さがほとんどなくて……。

ありがたいですね。(^_-)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ふっと思いついて、思いつきで書くんですけど……。

いえ、いつもそうですけどね。(^_-)

いま“分離”がないということは、すばらしいことじゃないかなぁと想像しま
した。

優れた人がいれば、自動的に劣った人がいることになります。

それは、その“優れた人”と“劣った人”が別人だという前提での話です。

でも、その“優れた人”も自分だし、その“劣った人”も自分だということに
なれば、これは気楽というか何というか……。(^^;)

考えたり気に病んだりする必要が、ほとんどなくなってしまうのではないか。

これじゃまるで、悟ってるようなもんじゃないですか。(^-^)

そうか……、分離がない状態のことを“悟っている”と言うんだものね。^^;

その“優れた人”も自分が許可する宇宙幻想劇場の登場人物、その“劣った人”
も自分が許可する宇宙幻想劇場の登場人物……。

もちろん、この身体に自己同化して今これを書いている人物も、自分が許可す
る宇宙幻想劇場の登場人物ということになりますが……。

すると、幻想宇宙劇場を許可している自分って、さて、誰じゃろかいな (?_?)、
ってことにもなりますけどね。

でも、それは間違いなく、たしかに、自分のことだわ。(^_-)

ま、細かいことはさておき、どの人もこの人もわたしの夢の中の登場人物だと
思うと、思いなしか、頭がさがるような感じもありますね。

みなさん、一生懸命で真面目に役柄を演じてくださって……。

俺は何もお前のために真面目にやってるわけじゃないよと、登場者の方々は、
おっしゃるかもしれませんけどね。(^_-)

でもね、これ、ミソは、別に登場者の方々の許可を得る必要はないことです。

だって、そんなことをいちいち、夢の中の登場人物たちに吹聴して回ったりは
しませんから。

この世界が夢だというのは、外見には現れない単なる観念にすぎません。

悟った人というのは、それが客観的事実であることを知っている方でしょう。

想像して楽しんでいる者は、いうなれば誇大妄想狂です。

でも、誇大妄想とは言っても、優越感も劣等感もないので、秋葉原に行って人
を刺すわけじゃなし、別に犯罪者ではありません。

社会的意味ではごく普通の人をやっていられますよね。

せいぜい、人畜無害な誇大妄想狂といったところです。

でも、この誇大妄想狂の内面はとても平和ですよね。

その誇大妄想を維持し続けることさえできれば……。

通常、誇大妄想狂が自分の妄想を維持できなくなるのは、当人が多数決の論理
を受け入れるからだと思います。

誇大妄想狂が、自分の世界像の妥当性を自分の世界の住人たちに認めてもらい
たがったら、その結果は悲惨です。(>_<)

自分の世界像をまわりの住人全員に否定されたら、誇大妄想狂もあまり幸福で
はいられないと思います。

つまり、通常の誇大妄想狂は、“狂い方”が中途半端だということです。^^;

もし、“多数決の論理”に対して何らかの“免疫”を持った誇大妄想狂がいた
としたら、もう少し遠くまで行けるかもしれない。

しかしそれも、小さな仲間内の世界を作って、その仲間の同意が必要なようだ
と、それはせいぜい“オタク”、“カルト”、“結社”、“コミューン”とい
ったミニ社会を創ることにしかならないでしょう。

大なり小なり、自由とも平和とも隔たりのある世界です。

ということは、平和な誇大妄想狂でありうるためには、他者からの同意や承認
がいっさい要らなくなっている必要がありそうです。

そもそも、他者がいっさいいなくなっていれば、これこそ完璧な処方ですが、
その場合は誇大妄想狂とは言わずに、覚者と言うでしょう。

ま、それは結構な話ですが、当面そうなってもいないのに、“ふり”だけして
も無駄ですよね。(*^_^*)

で、可能な線で行こうとするなら……。

この世界は夢だが、しかしその世界の住人はすべてそれを現実だと思っている、
という観念(=理解)を持つことです。

これだと、すごく強力。

“免疫付き誇大妄想狂”とでもいった感じ。

……というか、これ……、何かとすごく似てる感じね。(^_-)

でも、これは当面すぐにも実行可能な“平和な誇大妄想狂”になりうる処方箋
です。

とても実践的で、実行可能な内的平和への道だと思います。

人畜無害で、かつ実践的です。

いえ、本当に。

その“妄想”を維持し続けられれば……、外部存在によってその妄想を破壊さ
れる可能性は原理的にはありません。

その平和を破る可能性は、自分のなかにしかないと言えます。

つまり、内部崩壊の可能性しかない。

これは何だか、あらゆる議論に通じそうな構図ですね。

とにかく、自分がその夢の世界の登場人物としてなにがしかのものを獲得しよ
うとしないかぎり、その平和は破らないということです。

ということは、逆に言うと、その平和を破るのは、自分の欲望だということに
なります。

これまた、なんだが、聞いたことがあるような話ですね。(^_-)

このような平和な誇大妄想狂として生存しながら、当面、静かに内面に沈潜し
ていくための時間を確保する……。

それって、すぐにも可能なひとつの生き方ではあるような気もします。

ただ……、本心から平和でありたいのか、それとも共同幻想としての現実(つ
まり、対比)に魅せられ続けたいのか、という選択はつねに生きていますが。

ここでも、やはり……、

----------------------------------------------------------------------
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
                          『私は在る』(p528)
----------------------------------------------------------------------

ということは、ありますよね。

----------------------------------------------------------------------
 ただ、影響を受けずにいなさい。
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
 だ。
 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
 られるのだ
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 
                          『私は在る』(p228)
----------------------------------------------------------------------

これ……、とても理にかなって聞こえるんですが。

……なんか、そんなに大袈裟な選択でもない……とでも言ったふうの。

ま、言葉だけ先走りすぎてもいけませんが……。

うーむ。(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【48 気づきは自由だ】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の部分では、質問者の問いに答える形で、ニサルガダッタの使い方での、
「マインド」と「意識」と「気づき」の意味が語られます。

「マインド」が起こっているすべての現象そのもののことだとすれば……。

「意識」とは、その現象を映し出す鏡のこと。

「気づき」とは総体としての意識現象に対する認識、というようにも聞こえま
した。

違っているかもしれませんが。

では、【48 気づきは自由だ】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 活動に対する治療法はあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それを見なさい。
 そうすれば、それは止むだろう。
 あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
 在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
 い。
 欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
 現れることはできない。
 それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
 存在を指し示す。
 指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
 それはとても簡単だが、実行されなければならない。
 重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。
 
 質問者 私は自分のなかに深く没頭してしまう奇妙な状態に陥ります。それ
     は、しかし予期できない、一時的なものなのです。そのような状態
     を自分でコントロールできるとは思いません。
 
 マハラジ
 身体は物質的なものであり、変えるには時間がかかる。
 マインドは考え方と感じ方という精神的習慣の集合だ。
 変えるためには、それらは表層に引き出され、調べられなければならない。
 これもまた時間がかかる。
 ただ決心し、たゆまずやり通すことだ。
 あとはそれ自身が面倒を見るだろう。
 
 質問者 どうやら私は何をすべきか、という明確な計画をもったようです。
     しかし私は疲れ、ふさぎこんで友人たちを求め、そうして孤独と瞑
     想に与えられるべき時間を浪費してしまうのです。
 
 マハラジ
 あなたの感じるようにするがいい。
 自分を責めるのはやめなさい。
 暴力はあなたを固く、厳しくしてしまう。
 道の上の障害と闘ってはならない。
 ただそれらに関心をもちなさい。
 それらを見て、観察し、調べなさい。
 良いこと悪いこと、何であれあるがままに起こらせるがいい。
 だが、あなた自身を起こることのなかに沈みこませてはならない。
 
 質問者 自分が観照者だとつねに思い起こさせる目的は何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 動き回るマインドの彼方には、不変なる気づきという背景が存在する。
 マインドは本来の自己を知り、それを敬い、月食で月が太陽を隠すように、
 それを覆(おお)い隠すことをやめなければならない。
 ただ観察可能なもの、体験可能なものは何ひとつあなたではなく、またあな
 たを束縛することはできないということを自覚しなさい。
 あなた自身ではないものに注意を払いなさい。
 
 質問者 あなたが言ったことをするには、私は絶え間なく気づいていなけれ
     ばなりません。
 
 マハラジ
 気づくことは目覚めることだ。
 気づかないことは眠っていることだ。
 いずれにせよ、あなたは気づいている。
 そうあろうと試みる必要はない。
 あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。
 意図的に、そして意識的に気づいていなさい。
 気づきの領域を広げ、そして深めなさい。
 あなたはつねにマインドを意識している。
 だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。
 
 質問者 私が理解するには、あなたは「マインド」「意識」「気づき」とい
     う言葉に、明確に区別された意味を与えています。
 
 マハラジ
 こういうふうに見てみなさい。
 マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生みだ
 している。
 マインドのなかで何が起こっているかを知っているとき、あなたはそれを意
 識と呼ぶ。
 あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てし
 ない連続のなかで移行している。
 これがあなたの目覚めの状態だ。
 そしてマインドの全体性、意識全体への直接の洞察である気づきが現れる。
 マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。
 あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、それを「私の想い」と
 呼ぶのだ。
 あなたが意識するすべてはあなたのマインドであり、気づきとは意識の全体
 性の認識だ。
 
 質問者 誰もが意識しています。しかし、誰もが気づいているわけではあり
     ません。
 
 マハラジ
 「誰もが意識している」と言ってはならない。
 「意識がそこにはある」と言いなさい。
 そのなかですべては現れ消えていく。
 私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。
 波としてのそれは、来ては去っていく。
 海としてのそれは、無限で永遠だ。
 あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。
 もちろん、これらはすべて隠喩だ。
 実在は描写を超えている。
 あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p237-239)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

> 質問者 活動に対する治療法はあるのでしょうか?

前回、ニサルガダッタは、

> 仕事と単なる活動の間には違いがある。

ということに触れて、その二つの違いを、

> 仕事は全体による全体のためのものだ。
> 活動は自分による自分のためのものだ。

と説明して、話を終えたのでした。

> マハラジ
> それを見なさい。
> そうすれば、それは止むだろう。

それはどういう意味でかしら。(?_?)

> あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
> 在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
> い。

あ、なるほど、そういうことね。

それはわかります。

> 欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
> 現れることはできない。

なるほど。

たしかに、そういうことは言えるわけだ。(-_-;)

> それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
> 存在を指し示す。

言われてみれば、たしかに。

> 指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。

(@_@)

“探照灯”が向けた明かりの中に浮かび上がる対象物を無視し、“探照灯”を
向けている者の存在に気づきなさい。

> それはとても簡単だが、実行されなければならない。

「とても簡単だ」ともまだ言えないけど、「実行」し続ければ簡単になるのか
もしれない。(-_-)

> 重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。

そうか……。

重要なことは、自分自身に戻りつづけるという持続性なのか。

その気さえあれば、いつでも可能なことだ……。(-_-;)

> 質問者 私は自分のなかに深く没頭してしまう奇妙な状態に陥ります。それ
>     は、しかし予期できない、一時的なものなのです。そのような状態
>     を自分でコントロールできるとは思いません。

うん、わかります。

> マハラジ
> 身体は物質的なものであり、変えるには時間がかかる。

なるほど。

> マインドは考え方と感じ方という精神的習慣の集合だ。

たしかに。

> 変えるためには、それらは表層に引き出され、調べられなければならない。
> これもまた時間がかかる。

はい。

> ただ決心し、たゆまずやり通すことだ。

わかりました。

それしかないわけですよね。

> あとはそれ自身が面倒を見るだろう。

(-||-)

> 質問者 どうやら私は何をすべきか、という明確な計画をもったようです。
>     しかし私は疲れ、ふさぎこんで友人たちを求め、そうして孤独と瞑
>     想に与えられるべき時間を浪費してしまうのです。

わたしとはちょっとタイプの違う人みたいだけど、わかります。

> マハラジ
> あなたの感じるようにするがいい。

お。

> 自分を責めるのはやめなさい。

なるほど。

> 暴力はあなたを固く、厳しくしてしまう。

「自分を責める」のは「暴力」なのか。

> 道の上の障害と闘ってはならない。
> ただそれらに関心をもちなさい。

へー、不思議な言い方。

> それらを見て、観察し、調べなさい。
> 良いこと悪いこと、何であれあるがままに起こらせるがいい。

そうなんですね。

もっとも、「ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らな
いことが禁欲だ」(p229)ともおっしゃっていたけど。

> だが、あなた自身を起こることのなかに沈みこませてはならない。

ああ、なるほど。

そこが肝心要か。

> 質問者 自分が観照者だとつねに思い起こさせる目的は何なのでしょうか?

いちおう、駄目押しの再確認。

> マハラジ
> 動き回るマインドの彼方には、不変なる気づきという背景が存在する。

はい。

> マインドは本来の自己を知り、それを敬い、月食で月が太陽を隠すように、
> それを覆(おお)い隠すことをやめなければならない。

なるほど、ここではそういう言い方か。(-_-;)

> ただ観察可能なもの、体験可能なものは何ひとつあなたではなく、またあな
> たを束縛することはできないということを自覚しなさい。

「観察可能なもの、体験可能なもの」、つまり現象はわたしではない。

そして、わたしは現象に束縛されてはいない……。

> あなた自身ではないものに注意を払いなさい。

不思議な言い方。(誤訳ではないんだろうけど……。)

現象は自分自身ではないということに注意を払いなさい、の意味かな。

> 質問者 あなたが言ったことをするには、私は絶え間なく気づいていなけれ
>     ばなりません。

そりゃそうだ。(*^_^*)

> マハラジ
> 気づくことは目覚めることだ。

うん。

> 気づかないことは眠っていることだ。

うん? (@_@)

「気づかない」ことは「眠っている」ことなのか。

> いずれにせよ、あなたは気づいている。

はい。

> そうあろうと試みる必要はない。

たしかに。

> あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。

そうか……。

それが「意識」と区別した意味での「気づき」か。

> 意図的に、そして意識的に気づいていなさい。

……ということか。

> 気づきの領域を広げ、そして深めなさい。

はい。

> あなたはつねにマインドを意識している。

ものごとを意識している。

> だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。

しかし、自分が“意識している”ことに気づいてはいない……わけか。

> 質問者 私が理解するには、あなたは「マインド」「意識」「気づき」とい
>     う言葉に、明確に区別された意味を与えています。

お、いい質問をしてくれた。

> マハラジ
> こういうふうに見てみなさい。

(-_-)O

> マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生みだ
> している。

あ、なるほど。

> マインドのなかで何が起こっているかを知っているとき、あなたはそれを意
> 識と呼ぶ。

現象に気づいているとき、それを「意識」というのか。(-_-)

> あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てし
> ない連続のなかで移行している。

現象が変転きわまりないように、それを映し出す意識も果てしない連続のなか
で移行している。

> これがあなたの目覚めの状態だ。

わかります。

> そしてマインドの全体性、意識全体への直接の洞察である気づきが現れる。

おお……。

「気づき」とは「意識全体への直接の洞察」のことなんだ。

> マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。

不思議なイメージ……。(-_-;)

> あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、それを「私の想い」と
> 呼ぶのだ。

ああ、なるほど。

> あなたが意識するすべてはあなたのマインドであり、気づきとは意識の全体
> 性の認識だ。

わたしが意識するすべてはわたしのマインド。

気づきとは意識現象そのものに対する認識か……。

> 質問者 誰もが意識しています。しかし、誰もが気づいているわけではあり
>     ません。

言い換えを試みて、ニサルガ師匠の反応を確認したんだ。

> マハラジ
> 「誰もが意識している」と言ってはならない。

(?_?)

> 「意識がそこにはある」と言いなさい。

おお。

> そのなかですべては現れ消えていく。
> 私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。

なるほど。

> 波としてのそれは、来ては去っていく。

はい。

> 海としてのそれは、無限で永遠だ。

わかります。

> あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。

わたしがそのすべての可能根拠である気づきなんだ。

> もちろん、これらはすべて隠喩だ。

はい。

> 実在は描写を超えている。

はい。(-_-)

> あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。

はい。(*-_-*)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………


お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちら↓でも結構ですよ。
parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


        …………○…………○…………○…………


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【薬事法の起源のことなど……】

小野寺光一さんのおっしゃることが完璧に正しいとか、そういうことではあり
ません。

ただ、通常のマスコミ報道とは違ったそういう視点もあるのか、ということで
聞いていただければと思います。

ニューウェイズの3ヶ月営業活動停止に関連して、小野寺光一さんが書いてお
られる知見をご紹介したいと思います。

国際評論家小野寺光一さんのメルマガ「政治経済の真実」から転載します。
http://archive.mag2.com/0000154606/20080611051916000.html

        …………○…………○…………○…………

 <米国発の薬事法の起源>
 もともとは、米国で「がんが治る」と言ってはいけないという法律は、
 ロック○ェラー氏が策定に動き、石油化学で作った薬物以外は一切、だめだ
 という方針になったのである。これが実は薬事法の起源である。
 
 なぜなら、石油化学でつくった医薬品産業の利益を阻害する恐れがある言動
 はロックフェ○ーおよび人口削減を目指す勢力にとってとても都合が悪いか
 らである。
 
 このNW社が、経済産業省から
 「プロピレングリコールが発がん物質など聞いたことがない。誇大にいって
 いる。詐欺だ」として新規会員勧誘の3ヶ月停止という行政処分を受けた。
 
 これは亡国のイージ○が動きマスコミもたたきにたたいた。
 マスコミ幹部はお金をもらっているからである。

        …………○…………○…………○…………

 <MLM企業>
 この会社は、いわゆる「消費者が営業マンにもなる」形態で、多段階の商品
 流通形態の会社であった。
 これはMLM(マルチレベルマーケテイングの略)(多段階の商品流通)という。
 これは合法である。
 
 <違法なねずみ講とは金銭贈与の形態>
 ちなみに、「商品が介在せずに「お金が儲かるからお金を出せば」そうした
 らあなたにもお金が入るわよ」という形態を、ねずみ講という。
 これは違法である。なぜならお金だけ流通するから「金銭の贈与」に該当す
 るからだ。 

        …………○…………○…………○…………

 <違法な悪徳マルチまがい商法とは>
 例えば千円の価値のあるボールペンを不当に高い値段でたとえば100万円
 で流通させる。このボールペンを100万円で買って誰かを同じように勧誘
 すればあなたにお金が入るわよ」
 
 これは、「商品を買いたい」のではない。「金銭贈与」に商品を介在させて
 いるとみなす。これを悪徳マルチまがい商法という。

        …………○…………○…………○…………

 <合法のMLMマルチレベルマーケテイングとは>
 一方、千円の価値のあるボールペンを千円ぐらいで売る。
 その際、消費者が営業マンになる多段階の流通形態。
 これは、MLMマルチレベルマーケテイングという。
 これは合法である。
 
 従来の広告費用をマスコミや広告代理店に支払うのではなく、
 消費者兼営業マンに出来高に応じて支払う。
 
 これは「商品を買いたい」というニーズが成り立つ流通形態の一種である。
 
 現在、この上記の違法である「ねずみ講」「悪徳マルチまがい商法」と
 合法であるMLMマルチレベルマーケテイングは、混同されてひっくるめて
 「マルチ商法」というネーミングでマスコミによって「攻撃」されている。
 
        …………○…………○…………○…………

 <マルチ商法という混同してひっくるめたネーミングによって
 すべてを悪いイメージづくり>

 このネーミングは「マルチ=多段階の」という部分を
 合法の「MLMマルチレベルマーケテイング」からとり、
 
 違法の「悪徳マルチまがい商法」から「商法」という言葉をとり、
 ミックスして合成させた言葉である。
 
 つまりどれを指しているのかあいまいにすることで
 「すべて悪いイメージにして詐欺であり悪徳である」と
 するために使われる用語なのである。
 
 このため、この流通形態をとる企業は
 「すべてが悪徳であり、犯罪者である」というマスコミ特有の
 イメージ作りがなされている。
 
        …………○…………○…………○…………

【“既病医療体系”から“予防医療体系”へ】

「マルチ商法」という言葉が、現実には対象物が存在しない言葉だという指摘。

これは、意図的に「マルチレベルマーケテイング」という販売形態を貶めるた
めのマスコミ用語であるという指摘は、じつに鋭いと思いました。(@_@)

これまでは、マスコミの無意識がつくり出した言葉だと理解していましたが、
これはまさに意図的に造語された言葉のようですね。

というのも、MLMを代表的流通形態として立ち上がってきた健食産業は、
現代社会の社会的医療構造そのものの変革を引き寄せつつあるからです。

具体的な病気として発症してから医療行為が始まる現在の社会的医療システム、

    “既病医療システム”から“予防医療システム”への移行

は時代の要請であり、社会の要請でもあります。

バシャールが伝える情報によれば、現代人の病気は99%が体内毒(体内に取り
込まれた化学物質)が原因だそうです。

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[注]なお“ス○○○”と伏せ字にしているのは、興味を引くためではなく、
   オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

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■ 3.編集後記:「岩手・宮城内陸地震」と命名されたらしいですね。
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東北地方で大きな地震がありました。

「岩手・宮城内陸地震」と命名されたらしいですね。

それにしてもテレビ画面に映し出される大被害を予想させるニュース映像と、
実際に報道される人的被害規模の小ささのギャップは不思議です。

本当にこの国には、“祈りびと”が多いのかもしれません。

ありがたいことです。(-||-)

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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