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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.223 2008/7/13(第223号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1007名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.怒るのは間違っているか?

2.写経ニサルガダッタ:【86 未知なるものは実在の住処だ】の1回目

3.編集後記:肝心なことって、そんなにたくさんはないんですよね。
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■ 1.怒るのは間違っているか?
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今日もいい天気ですね。

夢の中は変化が起こりつづけています。

それがいい方に向かう変化だと思われたり、悪い方に向かう変化だと思われた
り、いろいろするんでしょうけど……。

変化は変化です。

無理なことも、不自然なことも起こるはずはないので、起こるべきことが起こ
っているんだと思います。

果たして今日のような天気の方がいいことなのか、本当は雨の方がいいのか、
それとも曇りの方がいいのか……。

とにかく、あるがままではいけないのか。(^_-)

あはは……、なんだか禅問答みたい。

何か“より良い”ことを期待しなくちゃいけないような長年の癖がなかなか抜
けなくて、マインドはすぐに走り出そうとする。

するとその後を追っかけるように、覚え始めたばかりの“うすのろ”な手綱捌
きが、その走り出すマインドにモタモタとドウドウをかけようとする……。

別に世界のほうには何も問題はないんだった。(-_-;)

何かかにかの衝動的判断を世界におっかぶせて、何かかにかの暫定的決めつけ
で一時しのぎの“メンツ”を立てようとするマインドこそが問題なんだ。

……そうか、とりあえず生存できるなら、それでいいわけだった。

なにしろ、すべては夢の中のことなのだから。

(^^;)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

特に何か言いたいことがある、というわけじゃありません。

何か言わなければならないことがある、というわけでもありません。

すみません。

お喋りを止めるべきはっきりした理由が見つからないばかりに、なんとなく出
てきて、なんとなくお喋りをつづけています。(*-_-*)

そしたら、そんな状態のエネルギーにお喋りの口実を提供するためでもあるか
のように、ミカエルさんからメールをいただきました。

見ると、「いただいたお手紙から」のコーナーでちょっとご紹介するというに
は、あまりにも真面目な質問調のメールでした。

「これはご紹介できません」と言って、お断りするのもひとつの判断です。

申し訳ないけど、単に無視するのでもいい……。

でも、もしご紹介するのなら……、中途半端な対応もできないか、という感じ
でした。

いくつかメールをいただきましたが、最初のだけご紹介します。

【件名】:pari様へ 悟りについて
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 ミカエル=心(良心)=主イエス様=明和高校名古屋大学河合希です
 
 できればアセンション通信にのせて欲しいです
 ↓↓↓
 
 悟り について
 
 神との対話シリーズ 神の望むこと の本の中には 安楽死を認めない世界
 は狂気である と書かれてます
 
 わたしもそう思います
 
 わたしはテレビとか観ていて 安楽死どころか尊厳死にすら反対する狂気の
 政治家を見るととてもとても腹が立ちます
 人を苦しめて平気な思考考えを持つ人物を見るととても腹が立ちます
 人の痛み苦しみに無関心な考えを持つすべての人に対して怒りが出ます
 
 しかし わたしは 本当は 何に 怒ってるのでしょうか?
 
 神の使者 には 人に対して怒ることは 本当は自分を憎んでいる と書か
 れてます
 それはどういうことなのでしょうか?
 また 赦し とは 一体なんなのですか? 怒りの思考を追及しない とい
 うことでしょうか?
 
 しかし 腹を立てるのはおかしいのでしょうか?
 たとえば もし 日本に独裁者があらわれて 20才に達してないものがセ
 ックスした場合拷問だ と言えば わたしは腹が立ちます 
 こいつを殺さないと 日本人みんなが苦しむとすら思います 
 こう思うは 間違ってますか?
 
 わたしの怒りは 他人のことを思いやるからこそ 人を苦しめることに賛成
 する政治家に腹を立てるのです でも これでも 本当は 本当に憎いのは
 自分自身なのでしょうか?
 
 しかし もし わたしのように腹を立てて抗議しないと 拷問制度が日本に
 つくられるということになるかもしれません やはり 狂気の考えには怒り
 の声は上げて狂気の制度を潰さないといけませんよね?
 神との対話にも 独裁者がいれば倒すべきだ それが愛だ 独裁者とその支
 配される人のためにと書いてあります
 
 人を攻撃するのは本当は自分自身を攻撃してるとはどういうことか?
 他人と自分はひとつという意味はわかるが
 
 拷問したいという考えを持つ 狂人様の意見に同調できるわけがありません
 悟りを得るためには たとえば このような 狂気の考えを持つ人物に接し
 てしまった場合
 どのような 反応 をすべきだと思いますか?
 どのような 反応 をすれば悟りの思考なのですか?
 
 しかし でも わたしはもしドイツに生まれて 拳銃を持って ヒトラーが
 間近にいてヒトラーを殺しても 拷問されない確信があれば 
 わたしは ヒトラーを殺すと思います
 間違ってますか?
 
 https://www.ascensionkan.com/ndic/words5.html#530-21
 を お気に入りに保存しました
 参考にさせていだきます 整理をありがとうございます
 …… 
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このあと、少しミカエルさん好みのURLの紹介や、尊厳死を認めるべきだという
意見広告があるのですが、それは省略させていただきました。

もともとこのメルマガは、わたしが書きたいことを勝手に書いているだけの場
で、意見広告のための公共の場ではありませんから。

ミカエルさんは、そのためのブログも持っておられるし。

わたしが少し興味をそそられたのは、以下のようなご意見の部分です。

> 人の痛み苦しみに無関心な考えを持つすべての人に対して怒りが出ます
> 
> しかし わたしは 本当は 何に 怒ってるのでしょうか?

ミカエルさんから、こんな音色が出てくるのは初めてですね。(@_@)

と、思ったら、その直接的原因に触れた文章が続いていました。

> 神の使者 には 人に対して怒ることは 本当は自分を憎んでいる と書か
> れてます
> それはどういうことなのでしょうか?
> また 赦し とは 一体なんなのですか? 怒りの思考を追及しない とい
> うことでしょうか?

なるほど。

「赦し」を「怒りの思考を追及しない」ことだと思われたんですね。

また、

> しかし 腹を立てるのはおかしいのでしょうか?

とか、

> こう思うは 間違ってますか?

という、以前とは違った、ご自分の怒りに半分自信を失った反問の言葉……。

> わたしの怒りは 他人のことを思いやるからこそ 人を苦しめることに賛成
> する政治家に腹を立てるのです でも これでも 本当は 本当に憎いのは
> 自分自身なのでしょうか?

本当に疑問に思われているんでしょうね。

“人に対して怒ることは 本当は自分を憎んでいる”という『神の使者』の言
葉が刺(とげ)のように刺さっているんだと思います。

ページが書かれていないので、『神の使者』の該当個所を確認できませんが、
でも、特に『神の使者』でなくても、一般に「怒り」は、精神世界本ではあま
り評判がよくありません。^^;

たとえば、ニサルガダッタにはこんな言葉があります。

----------------------------------------------------------------------
 重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
 から自由になることだ。
 ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
 洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
 ドは浄化されるのだ。 
 
 * 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。
 
                          『私は在る』(p236)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

どうやら、「怒り」から自由になることは、是非とも必要なことらしいです。

ただ、これはあくまでも、古来言われてきたことらしい、ということです。

一般的に、もしわたしが、

> しかし 腹を立てるのはおかしいのでしょうか?

とか、

> こう思うのは 間違ってますか?

と訊かれたら、いえ、ちっとも“おかしく”ありません、けっして“間違って”
なんかいないですよ、と答えると思います。^^;

もともと、無責任ですから。(^^;)

ミカエルさんを指導するような立場でもなし、そんな資格もなし。

起こるべき当然のことが起こっているだけだと思います。

その“起こるべき当然のことが起こっている”ということを、わたし流の方言
で“宇宙内のあらゆる生き物のあらゆる意見は正しい”と言っています。

ミカエルさんは、“腹が立つ”ような観点から、“腹が立つ”ようなモノサシ
をもって世界を見ているわけですから、当然、腹が立つわけだと思います。

そのこと自体、少しも間違ったことではないし、自然なことだから起こってい
るわけです。

ただ、ミカエルさんとしては、自分がこんなに正しい愛に満ちた観点を持って
いて、こんなに正しい意見で間違った奴らを糾弾をしているのに、思ったほど
には感心されないとか、賛同されない、という経験もなさったのだと思う。

それで、『神の使者』の“人に対して怒ることは 本当は自分を憎んでいる”
という言葉に触れて、少し自信が揺らいで、わたしなどに

> しかし 腹を立てるのはおかしいのでしょうか?

> こう思うのは 間違ってますか?

と訊いてみた、ということだと思います。

つまり、ご自分の観点からするなら許しがたい観点や人格を、ただ言葉の上で
否定・非難するという自分の行為に、なにか従来のように安定できない、落ち
着けない、という面が出てきたのだと思います。

言いようによっては、ミカエルさんに内在するサットグルが、絶対的自由と平
安に向けて、人格としてのミカエルさんを衝き動かしたわけでしょう。

“腹を立てる”とか“怒る”ということは、そういう言葉が存在すること自体
が示しているように、自然なことだし、じっさい、よくあることです。

だから、そのこと自体をとって“おかしい”とか“間違っている”と言えない
のは自明です。

“おかしい”ことはないし、“間違って”もいません。

でも、“腹を立てる”こと、“怒る”ことに、もう安定できないのなら、そろ
そろそこを出ることを考えてもいいタイミングなのかもしれません。

マインドの世界で変化しないものなど何もないわけですから、そういう変化が
訪れることも自然なことだと思います。

考えてみたら、自分と考え方の違う人(人格)を、言葉の上で非難したり糾弾
したりしてみても、相手を変えられるはずなどないわけですから。

ミカエルさんのように、自分の観点から見て“否定的”だと思われる事象に出
逢うと夢中になって、焦点を合わせ、拡大し、相手を、社会を、宇宙を、ひい
ては神を否定することに血道を上げるタイプの方(人格)もいます。

わたしも似たところがあるからというわけじゃないですが、別に、間違ってい
ないと思いますよ。(*^_^*)

でも、その同じ瞬間に、自分の観点から見て“素敵”だと思われる事象に出逢
うと夢中になって、焦点を合わせ、拡大し、自らそれに接近するタイプの方も
います。

で、そういう方も別に間違っているわけではなくて、それもとても自然な、と
いうことは(わたしの方言では)“正しい”選択肢だと思います。

どんな人間の在り方も、観点も、意見も、それぞれ理由があって、それまでの
流れの中で自然にそうなっているわけですから、どれも“おかしい”ことはな
いし、“間違って”もいないと思います。

ただ、ここで敢えて言うなら、どんな人間の在り方も、観点も、意見も、不動
ではいられないようです。^^;

絶えざる変化の波に晒されてます。

時間が経ってみたら、いつの間にか自分が、むかし懸命に否定していた誰かさ
んとそっくりな考え方をしていることに気がついた、なんて例は掃いて捨てる
ほどあるでしょう。^^;

そしておそらく、自分でそういう体験をすると、そう簡単に単なる見解の違い
くらいで、人を判断したり、非難したり、糾弾したりできなくなるだろうと思
います。

誰もが、単に、その人の観点から見た展望のなかで、その瞬間の考え方に基づ
いた見解を披露し、表現しているだけなのですから。

ですから、ミカエルさんに

> しかし 腹を立てるのはおかしいのでしょうか?

> こう思うのは 間違ってますか?

と問われたら、わたしは断固として、いえ、おかしくないですよ、間違ってな
いですよ、と言うしかありません。^^;

でも、同時に、ミカエルさんに否定、非難、糾弾された方々も、同じように、
正しいし、間違っていない、と思っているということです。

このようなことについては、これまでにも、何度か同じことをこのメルマガ上
で、ミカエルさんにお答えしています。

でも、今回のメールの

> しかし 腹を立てるのはおかしいのでしょうか?

> こう思うのは 間違ってますか?

という言葉には、以前のミカエルさんの言葉にはなかった響きがあるような…
…(気もします)。

つまり、何か自分が目指す目的地に向かう上で“腹を立てるのはおかしい”の
じゃないか、“間違って”いるのじゃないか……、というような。

もし、そういうニュアンスがあったのなら……ということですが。

精神世界オタクとしての言葉として聞いてもらえればいいですが、精神世界に
はこんな言い方があるようです。

他人のことが問題になる間は、まだ、“始まっていない”、と。(-_-;)

……。

なにしろ、われわれは、自分の妄想(期待と心配)が紡ぎだした“夢の世界”
のなかに閉じこめられて魘(うな)されている、というのですから、もう、何
おか言わんやです。(>_<)

まったく問題にもせずに立ち去るか、いったい、何を言っているのか (?_?)、
と、トコトン付き合うかのどちらかしかありません。

> https://www.ascensionkan.com/ndic/words5.html#530-21
> を お気に入りに保存しました
> 参考にさせていだきます 整理をありがとうございます

ということなので、ニサルガダッタにも興味をお持ちなんですね。

たとえば、ニサルガ師匠には、こんな言葉がありますね。

----------------------------------------------------------------------
 夢を夢としてみるとき、あなたは目覚める。
 だが、私はあなたの夢自体には興味がない。
 私にとっては、あなたが目覚めなければならないと知ることだけで充分だ。
 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
 あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
 もない。
 あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
 想像することをやめなさい。
 信じるのをやめなさい。
 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
 そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
                          『私は在る』(p277)
----------------------------------------------------------------------

このなかに、とても好きなフレーズがあります。

それは、

> 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。

という言葉です。

これは好きです。(*-_-*)

とにかく、「必要なことはただ、夢を見ているということを自覚すること」だ
け、みたいらしいですね。

----------------------------------------------------------------------
 快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
 ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
 ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
 う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
 すだろう。
                          『私は在る』(p325)
----------------------------------------------------------------------

ミカエルさんの場合、「世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだ
という真実を把握」する上での障害はほとんどないような。^^;

でも、そうすると、「それを超えていこうとする衝動とエネルギー」が生まれ
ることになる……。

ミカエルさんのエゴとしては、夢の世界の他者を非難することで何とかエネル
ギーを散乱させる戦略をとるのかも。(-_-;)(←言っちゃってぇ。(^_-) )

ハズカシ。(*-_-*)

『神の使者』のパーサの言葉によれば、天国の性質は、

----------------------------------------------------------------------
 完全で、かたちがなく、不変で、抽象で、永遠で、無辜で、全体で、豊かで、
 完全な愛。
                        『神の使者』(p189-190)
                      http://tinyurl.com/ys2e5k
----------------------------------------------------------------------

だそうです。

こんなもん、知覚することも、感じることも不可能ですよね。(-_-)

だから……、

----------------------------------------------------------------------
 ――幻想からの自由は、幻想を信じないことのなかにだけ存在する。*
 
                          『神の使者』(p189)
----------------------------------------------------------------------

ということになるんでしょうね。

受け売りだけですが……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【86 未知なるものは実在の住処だ】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章は、一見、ゆっくりと始まるようにも見えます。

ところが、それはあくまでも“一見”ですね。

じつは最初からたちまち話のフォーカスは事の中核を直示します。

ニサルガ師匠の話の仕方はいつもそうですね。

優しいし、包むような感じなんだけど、ほとんど弛むということがない。

話のための話、油を売るための話というのはないんですよね。

いつも、ひたすら最短経路を通って覚醒を促すのみ。

そういうタイプの覚者なんですねぇ。(-_-)

純金を探すというような努力はまったく要らないです。

純金しかないんですから。

今回の内容では、

> あなたに危機をつくり出すことはできない。

という言葉が印象に残りました。

では、【86 未知なるものは実在の住処だ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 グル(師)とは誰でしょうか、そして至高のグルとは誰でしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの意識のなかで起こることすべてがあなたのグルなのだ。
 そしてその意識を超えた純粋な覚醒が至高のグルだ。
 
 質問者 私のグルはシュリー・ババジです。彼についてどう思われますか?
 
 マハラジ
 何という質問だろうか!
 ボンベイの空間がプーナの空間についてどう思うかと尋ねられたようなもの
 だ。
 名前は異なっても空間は異ならない。
 「ババジ」という言葉は単なる住所にすぎない。
 誰がこの住所に住んでいるのかね?
 困難があるときにだけ、あなたは質問をする。
 誰が誰に困難を与えたのかを調べなさい。
 
 質問者 誰もが真我を実現することを余儀なくされています。それは義務な
     のでしょうか、それとも運命なのでしょうか?
 
 マハラジ
 真我の実現とは、あなたが個人ではないという事実なのだ。
 それゆえ真我の実現は、消え去る運命にある個人の義務ではありえない。
 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。
 自由とは何かからの自由だ。
 あなたは何から自由になるというのだろう?
 明らかに、あなたは自分自身だと思いこんでいる個人から自由にならなけれ
 ばならないのだ。
 なぜなら、あなたが自分自身に関してもっている観念、それがあなたを束縛
 しているからだ。
 
 質問者 どのようにして個人は取り除かれるのでしょうか?
 
 マハラジ
 決意によってだ。
 それは取り除かなければならないものだということを理解しなさい。
 そしてそれが去ることを願いなさい――もしあなたが真剣ならば、それは去
 るだろう。
 誰でもいいが、誰かがあなたに、あなたは「身体―精神」ではなく、純粋な
 意識だと告げるだろう。
 それを可能性として受け入れなさい。
 そして真剣に調べてみなさい。
 あなたは、空間と時間に拘束された個人ではないと発見するかもしれない。
 それがどれほどの違いをもたらすことか、考えてみるがいい!
 
 質問者 もし私が個人でないならば、私とは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 濡れた布は、濡れているかぎり、見た目も感じも、匂いも異なって見える。
 乾けば、それはふたたび普通の布だ。
 水が布から去れば、誰にそれが濡れていたと立証できるだろうか?
 あなたの真の本性は、あなたの外見とは異なるのだ。
 個人として在るという考えを放棄しなさい。
 ただそれだけだ。
 すでにあなたで在るものになる必要はないのだ。
 本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられて
 いるのだ。
 あなたが知っているのは個人だけだ。
 個人ではないアイデンティティをあなたは知らない。
 なぜならあなたはけっして疑ったことがなく、「私は誰か?」という決定的
 な疑問を自分に問いかけたことがなかったからだ。
 アイデンティティとは個人を観照する者だ。
 そしてサーダナ(修練)とは表面的で変化し続ける個人から、普遍で常在の
 観照者に視点を移行させることにあるのだ。
 
 質問者 どうして「私は誰か?」という質問は、私を引きつけないのでしょ
     うか? 私は聖者とともに快い時を過ごすことのほうを好むのです。
 
 マハラジ
 あなた自身の存在のなかにとどまることもまた、聖なるものとの交際なのだ。
 もしあなたが苦しみと苦しみからの解放の問題をもっていなければ、真我の
 探求に必要なエネルギーと持続力をもてないだろう。
 あなたに危機をつくり出すことはできない。
 それは真正なものでなければならないのだ。
 
 質問者 真正な危機とはどのようにして起こるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それはつねに起こっている。
 だが、あなたは充分に気づいていないのだ。
 隣人の顔の影、計り知れない、至るところに浸透している存在の悲しみは、
 あなたの人生における普遍の要因なのだ。
 あなたは苦しみ、また他者の苦しむのを見ている。
 だが、あなたが反応しないだけなのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p459-460)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そうか……。(;_;)

> 質問者 グル(師)とは誰でしょうか、そして至高のグルとは誰でしょうか?
> 
> マハラジ
> あなたの意識のなかで起こることすべてがあなたのグルなのだ。

おお……。(@_@)

> そしてその意識を超えた純粋な覚醒が至高のグルだ。

そういうわけか。

> 質問者 私のグルはシュリー・ババジです。彼についてどう思われますか?

うん?

なんて答えるかな? (^^;)

> マハラジ
> 何という質問だろうか!

ほらぁ。

> ボンベイの空間がプーナの空間についてどう思うかと尋ねられたようなもの
> だ。

なるほどねぇ。

> 名前は異なっても空間は異ならない。

はい。

> 「ババジ」という言葉は単なる住所にすぎない。
> 誰がこの住所に住んでいるのかね?

はい。(-_-)

> 困難があるときにだけ、あなたは質問をする。
> 誰が誰に困難を与えたのかを調べなさい。

何かこれまでのゆくたてで、この質問者の方をよく知っているんでしょうね。

> 質問者 誰もが真我を実現することを余儀なくされています。それは義務な
>     のでしょうか、それとも運命なのでしょうか?

なんだか食いついていくというより、まるで防戦している感じ。^^;

> マハラジ
> 真我の実現とは、あなたが個人ではないという事実なのだ。

はい。

> それゆえ真我の実現は、消え去る運命にある個人の義務ではありえない。

そうか……。

「真我の実現は、消え去る運命にある個人の義務ではありえない」

> 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。

なるほど。(-_-;)

> その人とは誰なのかを見いだしなさい。
> そうすれば想像された個人は消え去るだろう。

(-_-)

> 自由とは何かからの自由だ。
> あなたは何から自由になるというのだろう?
> 明らかに、あなたは自分自身だと思いこんでいる個人から自由にならなけれ
> ばならないのだ。

わかります。

> なぜなら、あなたが自分自身に関してもっている観念、それがあなたを束縛
> しているからだ。

そうか。

束縛はそれしかないわけですね。

> 質問者 どのようにして個人は取り除かれるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 決意によってだ。

(@_@)

「決意によって」……。

> それは取り除かなければならないものだということを理解しなさい。

理解します。

> そしてそれが去ることを願いなさい――もしあなたが真剣ならば、それは去
> るだろう。

そうなんですか。(;_;)

> 誰でもいいが、誰かがあなたに、あなたは「身体―精神」ではなく、純粋な
> 意識だと告げるだろう。

はい。

> それを可能性として受け入れなさい。

受け入れます。

> そして真剣に調べてみなさい。

……。

> あなたは、空間と時間に拘束された個人ではないと発見するかもしれない。
> それがどれほどの違いをもたらすことか、考えてみるがいい!

(;_;)

> 質問者 もし私が個人でないならば、私とは何なのでしょうか?

これ、いい訊き方ですね。

> マハラジ
> 濡れた布は、濡れているかぎり、見た目も感じも、匂いも異なって見える。
> 乾けば、それはふたたび普通の布だ。
> 水が布から去れば、誰にそれが濡れていたと立証できるだろうか?

変わった説明の仕方ですねぇ。

> あなたの真の本性は、あなたの外見とは異なるのだ。

なるほど。

> 個人として在るという考えを放棄しなさい。
> ただそれだけだ。

ふーむ。(-_-;)

> すでにあなたで在るものになる必要はないのだ。

それはたしかにその通りですけど。

> 本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられて
> いるのだ。

ああ、なるほど。(@_@)

> あなたが知っているのは個人だけだ。

たしかに。

> 個人ではないアイデンティティをあなたは知らない。

はい。

> なぜならあなたはけっして疑ったことがなく、「私は誰か?」という決定的
> な疑問を自分に問いかけたことがなかったからだ。

そうか。

> アイデンティティとは個人を観照する者だ。

「アイデンティティとは個人を観照する者」……なのか。(-_-)

> そしてサーダナ(修練)とは表面的で変化し続ける個人から、普遍で常在の
> 観照者に視点を移行させることにあるのだ。

それは、わかります。

> 質問者 どうして「私は誰か?」という質問は、私を引きつけないのでしょ
>     うか? 私は聖者とともに快い時を過ごすことのほうを好むのです。

ああ……、なるほど。

> マハラジ
> あなた自身の存在のなかにとどまることもまた、聖なるものとの交際なのだ。

おお……、なるほど。

> もしあなたが苦しみと苦しみからの解放の問題をもっていなければ、真我の
> 探求に必要なエネルギーと持続力をもてないだろう。

もしあなたが「苦諦」をもっていなければ……、ということか。

より良く生きることに夢中になって情熱を注いでいる人に、“真我の探求”な
んて言ったって、ピンともカンともこないわけだよなぁ。

> あなたに危機をつくり出すことはできない。

その危機は人為的なもの、つまり“作り物”ではありえないんだ。

> それは真正なものでなければならないのだ。

「苦諦」は本物でなければならない……。

> 質問者 真正な危機とはどのようにして起こるのでしょうか?

おお……、これもいい訊き方。

> マハラジ
> それはつねに起こっている。

なるほど。(-_-;)

> だが、あなたは充分に気づいていないのだ。

うん。

> 隣人の顔の影、計り知れない、至るところに浸透している存在の悲しみは、
> あなたの人生における普遍の要因なのだ。

そう……。

> あなたは苦しみ、また他者の苦しむのを見ている。

たしかに……。

> だが、あなたが反応しないだけなのだ。

そうか。(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………


お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちら↓でも結構ですよ。
parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


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【天の配剤 VS 人間の世界】

「文藝春秋」8月号“死者三億人「新型ウイルス」に備えよ”という記事で、
石原慎太郎氏が熱弁しているそうですね。備え方もいろいろあるでしょうが。

米国の元ワクチン研究者のインタビューが載っている本のことを聞きました。

それには「ワクチンは免疫系を弱らせ、予防するその病気に罹患させることも
します。WHOはそれをわかっていて人口を減らす先頭に立っている」というよう
な発言が掲載されているるそうですね。

世界的パワーの支配の準備のためにワクチンが使用されるのかもしれません。

むかし、パパ・ブッシュの第一次湾岸戦争のころ、米出征兵士に注射されるワ
クチンが、じつは生物化学兵器の人体実験だという告発本を読んだものです。

そういう兵士が帰国してから発症する白血病その他の傷病に対しては、アメリ
カ政府はじつに冷酷な完全無視をきめこんだそうです。

ツインタワーの消火活動に関わった消防士たちの白血病が無視されたり、国連
が表向きは世界平和の機関でありながら、裏では、民族紛争の敵対する両勢力
に武器購入のための資金援助をしたりしているのと同型の構図ですね。

そういえば、平和維持活動でイラクに進駐した日本の自衛隊員たちの発病率、
生存率なども、けっこう、追跡調査する意味があったりして……。

かと思えば、鳥インフルエンザ関連の報道に国内でいちばん熱心な読売新聞に
「タミフルと異常行動関連は検出できず・調査継続へ」という記事が載ったそ
うですから、邪推すれば、いろんなことが連想されます。

世界最大のワクチン製造企業であるサノフィパスツール社が、今後、3年以内
に全世界の鳥インフルエンザワクチンを備蓄するために、WHOに6000万剤のH5N1
ワクチンを寄付するんだそうですね。

この寄付したワチンは主に発展途上国の鳥インフルエンザワクチンとして備蓄
されるそうですが、もしかして、タダより“恐い”ものはないかも。

でも、日本にはタミフルではない、プレパンデミックワクチンの代替物があり
ます。ス○○○は、多糖体でウィルスを包んでクラスターを大きくすることで、
ウィルスの細胞侵入を防御します。

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O−157、ピロリ菌、サルモネラ菌、黄色ブドウ球菌、腸炎ビブリオ菌、
病原性大腸菌、ノロウィルス、ロタウィルス、エイズウィルス、鳥インフルエ
ンザウィルスなどには、強い殺菌作用と強力な解毒・分解作用をもちながら、
ビフィズス菌、乳酸菌などには一切影響を及ぼさないという驚異的な選択的
殺菌作用がある【奇跡の免疫草ス○○○】。天の配剤とでも言うしか……。

一方、人間界の方では、かつてJBBス○○○研究所の佐藤所長が拉致監禁さ
れたり、海外の博士がネイチャー誌に、ス○○○を否定するデタラメな研究結
果を発表したりと、かえって、ガンや糖尿病の利権を侵害されては困る巨大勢
力の意図をそこに感じてしまうのは、邪推でしょうか。

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[注]なお“ス○○○”と伏せ字にしているのは、興味を引くためではなく、
   オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。
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■ 3.編集後記:肝心なことって、そんなにたくさんはないんですよね。
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肝心なことって、そんなにたくさんはないんですよね。

自分の内面が、単純になってさえいれば……。(-_-;)

当人もおっしゃっていたけど、ニサルガダッタという方は幸運な方ですね。

もちろん、偶然などというものはないわけでしょうが。

ことを複雑にしたいのはエゴの戦略で、本当はとても単純なことなんでしょう。

でもその単純さのためには、トコトン確信を深めることが重要だと思います。

覚えていなければならないことも、本当は多くない。

じつは、たったひとつしかない。

「私は在る」

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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