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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.228 2008/8/17(第228号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1017名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「愛」について

2.写経ニサルガダッタ:【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】の1回目

3.いただいたお手紙から:ミカエルさん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:自分で納得して、自分のものにしなければ……
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■ 1.「愛」について
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夏はやっぱり暑いですね。

夢の中とは言え、暑い夏が来てくれるのはやっぱりありがたいのか……。

今年の夏も、やっぱり川遊びの子どもたちの声が聞こえています。

「やっぱり」ずくしですが。(^^;)

映画の中に仮住まいさせていただいているつもりだと、問題ってあまりないの
かもしれませんね。

問題も何も、映画のなかにもともと自分のものは何もないわけですから。

それでも、今年は少し野菜の苗を入れたりしたんですが、それがこの季節にな
ると毎日、ちゃんと何かかにか自然の恵みを与えてくれます。

あんなに生長が遅かったナスですら、いまでは立派に葉を広げてちゃんとつや
つやとした濃紫のナスをぶら下げているんですからねぇ。

たいしたもんです。

そういうシナリオになっているんでしょうか?

いずれにしろ、逆らうエネルギーが少ない分、それだけ楽になるらしい、とい
う気がする今日この頃です。

何だか、まるで道学者みたいな心境ですね。(^_-)

これだば、楽だわ。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

そういう映画のシナリオになっているのか、それとも書くことがなくなってき
ているのを全体が気遣ってくださっているのか、ミカエルさんからまたメール
をいただきました。

今度は「愛とは?」ですよ、すごいでしょ。(^^;)

【件名】:pari様へ
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 pariさん 載せてくれたら嬉しいです
 
 人間は本当に愛なのか?という大事な問いです
  
 ↓↓↓
  
 人間の正体は本当に愛なのだろうか?
  
 俺は愛であると思いたい
  
 たとえばレイプをする人間の99パーセントは女を憎んでおり そして何よ
 りも本当は自分を憎んでいる そしてレイプしても心が安らぐことはない
 これは人間の正体が愛であるから心が安らがないのである
 
 しかし まれにレイプをすることが生きることそのものであり
 レイプをして本当に 普通の人が仕事をして充実感を感じるように 安らぎ
 を覚える人間がいる
 彼らの正体は本当に愛なのだろうか?
 
 殺人をする人間の99パーセントは人を憎んでおり そして何よりも本当は
 自分を憎んでいる そして殺人しても心が安らぐことはない
 これは人間の正体が愛であるから心が安らがないのである
 
 しかし まれに殺人をすることが生きることであり 殺人をして 本当に 
 普通の人が仕事をして充実感を感じるように 安らぎを覚える人間がいる
 彼らの正体は本当に愛なのだろうか?
  
 そんな人間はいない という人は相当な世間知らずであるし観察力があまり
 にもない
 
 一度 酒鬼薔薇聖斗 で検索をすることをお勧めする
 
 この世には 人間ではない化け物(悪魔)がいると考えるのはおかしいだろう
 か?(-_-)
 
 ミカエル=心(良心)=主イエス=明和高校名古屋大学河合希
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しかも、今回は、ごていねいに、こんな追伸までいただきました。

【件名】:RE: pari様へ
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 先ほどの問いに対して
 pari様の深い見解 をよろしくお願いします
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ふう……。

わたしも相当おっちょこちょいなので、「pari様の深い見解」などと持ち上げ
られると、すぐにその気になってしまうところがあります。(;_;)

(どうぞ、衝き動かされているのが、わたしを人間に縛りつける欲ではありま
 せんように。(-||-) )

ミカエルさん、質問をくださって、ありがとうございます。m(_ _)m

しかも、常日頃“わたしは愛は苦手です”とお断りしているpariに

> 人間は本当に愛なのか?という大事な問い

をくださるとは……。(-_-;)

はじめは、一も二もなく、無視を決め込むつもりでした。

しかし、悪いことに(というか何というか)、最近ちょうどニサルガ師匠から

> 招かずにやってきたものを拒んではならない。(『私は在る』(p393) )

と教わったばかりだったんです。(>_<)

そして、このメルマガを始めたのは、同じところでニサルガ師匠が言っている

> だが、新たな義務は避けなさい。

という教えを知る前だったんですよね。(>_<)

ったくもう……。

わたしはほんとに、比較的に発達していると思われるのは理屈だけで、「愛」
についてはまったくの音痴で、よくわからないのです。

だから、書きようもないと思ったのですが、ニサルガ師匠に

> 招かずにやってきたものを拒んではならない。

と教わっばかりで、初回から逆らうというわけにもいかないので、理屈人間か
らみた「愛」ということについて、書こうと思います。

つまり、「愛」という言葉は理屈人間にはどう見えるかということです。

たとえば、今回のメールのなかで、ミカエルさんは、

> 人間の正体は本当に愛なのだろうか?
>  
> 俺は愛であると思いたい

と、書いていらっしゃる。

こう書くとき(つまり「俺は愛であると思いたい」と書くとき)、その「愛」
とは、ミカエルさんにとって、どういうイメージなんでしょうね……?

……。

たとえば、「自己愛」という言葉があります。

これは、自分を愛する、自分を大切にする、という意味だと思います。

もっとどぎつく言うなら、“(他の何ものよりも)自分を大切にする”という
意味だと思います。

これは、わたしのような理屈人間にも、とてもよくわかる状態です。

“他の何ものよりも自分を大切にする”んなら、わたしだってそうだ (^^)/、
わたしも愛の戦士だ、と勇んで名乗りを上げたいところです。(^^;)

でも、ミカエルさんが、

> 人間の正体は本当に愛なのだろうか?

と言うとき、それは“人間の正体は本当に自己愛なのだろうか?”という意味
ではないんですよね。^^;;

おそらく、ミカエルさんが

> 俺は愛であると思いたい

と言うその「愛」には、“自分だけでなく他者をも愛する愛”というニュアン
スが含まれるのではないかと思います。

これって、わたしがとっても苦手な「愛」なんです。(^^;)

相手を他者だと認めた上で、その他者をも愛する「愛」……。

これって、何なんだろうと思います。(?_?)

二十世紀のフランスの哲学者サルトルは「他人は地獄だ」と言ったそうです。

彼は、「他人」を「地獄」と類比しているんですよ。(@_@)

でも、それは、とっても理解できます。

わたしも、「他人は地獄だ」という説なら、納得がいきます。

また、覚者グルジェフは「他人を我慢するのは人間には不可能だ」と言ったそ
うです。

グルジェフによれば、「他人」とは、人間にはとうてい我慢できないシロモノ
らしいです。

あるいは、和尚は「他人」についてこう言っています。

----------------------------------------------------------------------
 思考(マインド)は常に、他人と自分に分ける。
 そして人が自分と他人を分けた瞬間、他人は敵になる。
 他人は味方にはなれない。
 これは深く理解されるべき基本的なことの一つだ。
 それを見抜く必要がある。
 他人は味方ではあり得ない。
 他人は敵だ。
 他人であるというそのことで、敵なのだ。
                           『信心銘』(p390)
----------------------------------------------------------------------

これも端的。

「他人は敵だ」と言っている。

----------------------------------------------------------------------
 より敵対的な者もいれば、それほどでない者もいる。
 だが、他人である限りは敵だ。
 味方とは何者か。
 実の所、それは最小の敵のことだ。
 それ以外ではない。
 友達とは、自分に最も敵対的でない者のことだ。
 そして敵とは、自分に最も友交的でないの者のことだ。
 だが皆同じ列に並んでいる。
 友達はより近くに、敵は遠くの方に。
 だが、それは皆同じ敵だ。
 他人は味方ではありえない。
 それは不可能だ。
 なぜなら、他人との間には、競争が、嫉妬が、闘いが、起こらずにはいない
 からだ。
                           『信心銘』(p390)
----------------------------------------------------------------------

こりゃまた、わかりやすい。^^;

こういうのなら、理屈人間のわたしにもよくわかるんですよね。

……これらの識者・覚者の方々に、「地獄」に喩えられ、「敵」に喩えられる
「他人」。

その上、我慢することすら人間には不可能と断定された「他人」……。

これ↑って、人間は自分しか愛せない、ということではないのか……。

ただ、その“自分”の意味がこの身体に制限されているという意味ではないの
か……? (-_-;)

……残念ながら、まだ「人間」の夢から醒めていないわたしとしては。

もし「愛」というのが、“自分だけでなく他人をも愛する”「愛」を指してい
るのだとすれば……。

……いや、わたしは「愛」は苦手ですね。(-_-)

> 人間の正体は本当に愛なのだろうか?
>  
> 俺は愛であると思いたい

こう問う、ミカエルさんは“自分だけでなく他人をも愛せる”方のか……?

それともわたしと同じく、自分しか愛せない人間なのか。

うーむ。(-_-;)

……。

……わたしがこれまで「愛」という言葉が苦手だったのには、別の理由もあっ
たかもしれません。

「愛する」というような言葉を自分が使えるとは思えなかったです。(*^_^*)

自分が使えない言葉(=概念)を、得手にできるわけがないよね。

でも、これはちょっと不利なこともあるんですよ。(^_-)

ところがあるとき、和尚が「嫉妬は愛ではない」と言うのを聞きました。

これには、救われました。

ヤッター、嫉妬は愛ではないんだ (^^)/、って。

「愛」という言葉が少しわかった気がしました。

そして別のあるとき、昔、キリシタン・バテレンでは「キリストの愛」を指す
のに「愛」という言葉を使っていなかった、という話を読んだんです。

これには、驚きました。(@_@)

つまり、当時の日本語(あるいは、庶民の言葉)のなかには、今われわれがわ
かったつもりで使っている「愛」という言葉はなかったわけです。

そりゃ、わかりますよね。

(果たして、いまだって、ホントに日本語になっているのかどうか……。

 まあ、それは、いいです。(^^;)
 
 こんなに「愛」流行りなんだから。)

じゃ、当時のキリシタン・バテレンでは「神の愛」を表すのにどういう言葉を
使ったのか?

「ご大切」、という言葉を使ったそうです。(@_@)

なるほど……。(-_-)

「キリストの愛」とは、主イエズスがわれわれを“ご大切”に思ってくださる
その心、として当時の庶民に伝えられたということなんでしょうね。

いま、【ご大切】で google 検索してみるとこんなページがありました。

----------------------------------------------------------------------
 渡辺和子さんというカトリックのシスターが、聖書が伝える神の愛(アガペ
 ー)についてこんなことを指摘しています。「日本にキリスト教を伝えた宣
 教師たちが、これだけはどうしても日本人に伝えたいと願った一つのメッセ
 ージは、今日でもキリスト教がその中心思想とする『神は愛なり』というこ
 とであった。ところが不思議なことに、宣教師たちは『愛』のかわりに、や
 まと言葉の『ごたいせつ』を使ったのであった」(大学時報2008年3月)。
 ……
 日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師たちが、日本語と聖書思想の両方の
 壁にぶつかり向き合う中で、何とか見出した聖書の「愛(アガペー)」を伝
 える一つの答えが「相手を大切にし、また何よりも神は私たちを大切に思っ
 てくださっている」という、表現だったのです。
           http://pineumc.blog91.fc2.com/blog-entry-38.html
----------------------------------------------------------------------

個人的には、キリシタン・バテレンが「愛」を表すのに「ご大切」という言葉
を使っていたと知ったときは、いささかの解放でしたね。

これなら、たいていの日本人は、大丈夫じゃない? ^^;

意味もわかるし。

「愛しているかどうかは自信ないけど、大切にはしてるよ」と言える人と、
「愛してるけど、大切にはしてない」と言う人のどっちを信頼します? (^_-)

最近亡くなった日本語の守護神みたいな大野晋先生の『岩波古語辞典』に書か
れている、見出し語【愛】の記述の一部を抜粋・引用しておきます。

----------------------------------------------------------------------
 あい【愛】
 《相手を好いて強く執着し、心にかかって忘れ離れえない心もちを表す語》
 (1)親兄弟などの情愛
 (2)広く、人間・性別に対する思いやり。いつくしみ。
 (3)愛着。執着。愛執。
 (4)愛欲。色欲。
 (5)気に入って大切にすること。愛玩。
 (6)人あしらいのよいこと。あいそ。
 △儒教的には親子の情などのように相手をいたわり、生かそうとする心もち
  をいい、仏教的には自分を中心にして相手への自分の執着を貫こうとする
  心もちをいう。
  仏教では「愛」を必ずしもよいこととは見ていない。また、概して優位に
  あるものが弱小のものをいとおしみ、もてあそぶ意の使い方が多かったの
  で、キリスト教が伝来したとき、キリシタンはキリストの愛を「愛」と訳
  さず、多く「ご大切」といった。
                         『岩波古語辞典』(p1)
----------------------------------------------------------------------

なるほど。

じつに、行き届いた目配りですね。(-_-)

……。

さて、そういうわけで、わたしは「愛」についてはきわめて苦手だったので、
和尚の「愛と瞑想の道」という言い方で言うなら、自分には「愛の道」はとて
も無理だとわかっていました。

『無条件の愛』 なんて本はとても好きでしたけどね。
https://www.ascensionkan.com/books/love-condition.html

と言って、「瞑想の道」なら可能性があると思っていたわけでもないけど。

そして、ナンダン経由でニサルガダッタの『私は在る』に出会った。

いろいろ読み進めるうちに、意外なことに、そこではじめて納得のいく【愛】
のシンプルな定義に出会ったんですよね。

わたしがこれまで出会った「愛」の定義で、それならわかる、と思った唯一の
定義は、ニサルガダッタのきわめて論理的な次の言葉でした。

----------------------------------------------------------------------
 区別と分離の感覚が不在なときを愛と呼ぶがいい。
                          『私は在る』(p128)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(@_@)

「愛」がそういう意味なら、それならわかる!!、と思いました。

グルジェフが、「我慢するのは人間には不可能だ」と言った「他人」。

和尚が、競争と嫉妬と闘いが起こらずにはいない、と言った「他人」。

ミカエルさんは、

> 人間は本当に愛なのか?という大事な問いです

とおっしゃる。

> 人間の正体は本当に愛なのだろうか?
>  
> 俺は愛であると思いたい

と。

たとえば、ホームから落ちた人を救おうと、電車が接近してくる線路上に飛び
込んだ韓国人の学生の方がいます。

踏切で自殺しようとする人を止めようとして、自ら電車に跳ねられたお巡りさ
んもいます。

これを愛の行為といわずして、何と言おうという感じです。

かと思えば、また一方にはミカエルさんのご専門の、いわゆる“非人間的な”、
“悪魔の行為”と思われるような犯罪行為が尽きないのも事実です。

ミカエルさんは、

> 人間の正体は本当に愛なのだろうか?

と問うていらっしゃるけれど、それは間違った形で問われた問いなのだと思い
ます。

和尚の口真似をして言うなら、マインドに自己同化した“人間(マインド)は
常に、他人と自分に分ける”ものなのです。

ホームから線路上に飛び込んだ韓国人の学生の方にとっては、線路に落ちた人
のことが、その瞬間“他人(ひと)ごと”ではなかったのです。

だから、即座に、超人的とも思える“無私の行為”ができたのだと思います。

どうしてもミカエルさんの関心を引いてやまない犯罪者の方々は、相手の人間
が自分とは縁もゆかりもない“赤の他人”だったわけでしょう。

だから、どんな非道なことでもできたのだと思います。

ミカエルさんは、

> この世には 人間ではない化け物(悪魔)がいると考えるのはおかしいだろう
> か?(-_-)

とおっしゃる……。

とは言っても、その化け物の存在が、われわれ人間が毎日食事をし、日々の営
みを続ける上で、別に差しつかえとなるわけでもない……。

つまり、われわれの居住空間がそういうところなのだ、ということでしょう。

> 人間の正体は本当に愛なのだろうか?

ではなくて、たんに、人間は自分を何者と見なすかによって、神にも成れれば、
悪魔にも成れる存在だ、ということだと思います。

(-_-)

……と、まあ、ここまでは、ごく普通に言ってかまわない範囲ですよね。(^_-)

そこから、(ミカエルさんの趣味の範囲に頓着なく)ちょっと「私は在る」ふ
うに飛び出すならですが……。

じゃ、なぜ、われわれが住む世界にはそのように、神のような人間も、悪魔の
ような人間もいるのか……です。

わたしも長年、そういうことが不思議で、なぜこんな世界があるのか?、なに
ゆえにこんな世界は始まってしまったのか?、と思ってきました。

そして、ニサルガ師匠に出会って、やっと自分なりに、その答えがわかりまし
た。(^^;)

それは、まさに論理的必然とも言える、もっとも単純な答えでした。

それは、わたしがそういうところに住みたったからです。

そして、自分がそこの住人ではないことを忘れていただけなのです。

別に、ほかの誰にも強制されていなかった……。(*-_-*)

----------------------------------------------------------------------
 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
 それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 なぜなら限定と分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、私
 たちはそれを愛しているからだ。
 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。
 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
 そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、献身的なのだ。
 私たちは優しく子供の世話をする。
 そして子供を捨てもするのだ。
 私たちの人生は矛盾で満ちている。
 しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
 この執着がすべての根底にある。
                          『私は在る』(p434)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ミカエルさんには、いまこのニサルガ師匠の言葉はとても本当とは思えないか
もしれません。

でも、わたしには、この言葉が本当であることがよくわかります。

なぜなら、わたしは“この執着”を手放そうと思いはじめているからです。

すると、この世界を離れるのを邪魔する者が自分以外にいないことが、よくわ
かります。

だからこそ、それがそう簡単なことではないことに気づきはじめるのです。

それは、人間の本性が愛であると思って、“他人を愛する”パフォーマンスで
可能になるようなことではありません。

----------------------------------------------------------------------
 他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
 彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
 はできない。
 あなたではないもののふりをしてはならない。
 あなたであることを拒んではならない。
 あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
 真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
 すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
 いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
 あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
 の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
 を知るだろう。
 しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
 ない。
 なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
 疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
 それは悪循環だ。
 真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
 固い決意でそれに向かいなさい。
                          『私は在る』(p231)
----------------------------------------------------------------------

(;_;)

> あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。

間違いなく、そうでしょう。

他人がいるかぎりは……、他人がいるこの映画に夢中になっているかぎりは、
この映画を必要としているかぎりは……、救いはないというわけです。

つまり、自分をこの映画のなかの「人間」だと思っているかぎり、救いはない
ということです。

ミカエルさんのご質問の答えになったかどうか……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】の1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

いつもながら、今回のタイトルも、そのものスバリですね。

じっさい、ここを突破できたら、もういいわけですものね。

いつものことですが、この章も、もうある意味、肝心要ばかりです。

「私」と「私のもの」という観念を破壊できたら、もう何も問題はないのだと
も言えます。

では、【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私は家族と所有物に対してたいへんな執着があります。この執着を
     どのようにして克服すればいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 この執着は、「私」と「私のもの」という感覚とともに生まれたものだ。
 これらの言葉のもつ本当の意味を見いだしなさい。
 そうすれば、すべての束縛から自由になるだろう。
 あなたは時間のなかに広がるマインドをもっている。
 つぎつぎとあらゆることがあなたに起こり、そしてその記憶が残る。
 それには何の誤りもない。
 ただ、すべての有機的生命にとって本質的である過去の苦痛や快楽の記憶が、
 ひとつの反射的作用、支配的行動として残るとき問題が起こるのだ。
 この反射作用が「私」という形を取り、身体とマインドをいつも快楽の追求、
 苦痛からの逃避という目的のために使うのだ。
 あなたが「私」を、ひと塊(かたまり)の欲望と恐れとして、「私のもの」
 を、苦痛を避け快楽を確保するためにものごとや人びとを抱擁するものとし
 てあるがままに認識したとき、「私」と「私のもの」は、実在のなかに何の
 基盤ももたない偽りの観念だということが理解できるだろう。
 マインドによってつくられながらも、マインドがそれらを真実だと見なすか
 ぎり、そのつくり出した者を支配する。
 それが疑われた瞬間、それらは消え去るのだ。
 
 「私」と「私のもの」は、それ自体では存在をもたないため、身体という支
 えを必要とする。
 身体がそれらの身元の証明となるのだ。
 あなたが「私の」夫や「私の」子どもと言うとき、身体にとっての夫、身体
 にとっての子どもを意味している。
 自分が身体だという観念を捨て去り、「私とは誰なのか?」という質問に直
 面しなさい。
 即座に実在を呼び戻す動きのプロセスがはじまる。
 というよりも、そのプロセスがマインドを実在へと連れていくだろう。
 ただ、恐れてはならないのだ。
 
 質問者 何を恐れるというのでしょうか?
 
 マハラジ
 実在が在るためには、「私」と「私のもの」という観念は去らなければなら
 ない。
 あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。
 そうすれば、あなたの正常で自然な状態はふたたび現れる。
 そのとき、あなたは身体でもマインドでもなく、「私」でも「私のもの」で
 もない、まったく異なった存在の状態に在るのだ。
 それは、あれやこれとしての存在ではなく、特定の、あるいは一般的な何か
 との自己同一化のない、純粋な存在の気づきだ。
 意識の純粋な光の中には何も存在しない。
 無という概念すらない。
 そこにはただ光があるだけだ。
 
 質問者 私には愛する人たちがいます。彼らを手放さなければならないので
     しょうか?
 
 マハラジ
 あなたはただ、彼らをつかんでいる手を放すだけだ。
 あとは彼ら次第だ。
 彼らはあなたに興味を失うかも知れない。
 あるいはそうではないかもしれない。
 
 質問者 どうして彼らが興味を失うというのでしょう? 彼らは私のもので
     はないのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼らはあなたの身体のものであり、あなたのものではないのだ。
 あるいはあなた自身のものではない人は、ひとりもいないのだ。
 
 質問者 それでは私の所有物はどうなるのでしょうか?
 
 マハラジ
 「私のもの」がないとき、どこに所有物があるというのかね?
 
 質問者 どうか教えてください。「私」を失うことですべての所有物を失わ
     なければならないのでしょうか?
 
 マハラジ
 そうかもしれない、そうではないかもしれない。
 それはあなたにとってみな同じこととなるだろう。
 あなたの損失は、誰かほかの人の得となるからだ。
 あなたはかまわないだろう。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p404-405)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そんな……。(-_-)

> 質問者 私は家族と所有物に対してたいへんな執着があります。この執着を
>     どのようにして克服すればいいのでしょうか?

このひとも思いっきり正直に言ったものだけど、こういう問いに対しては、
ニサルガ師匠はどういう答え方をするのかしら?

> マハラジ
> この執着は、「私」と「私のもの」という感覚とともに生まれたものだ。

ああ、やっぱり、すごく論理的な答え方をするんだ。(@_@)

「この執着は、「私」と「私のもの」という感覚とともに生まれたもの」

> これらの言葉のもつ本当の意味を見いだしなさい。

(@_@)

> そうすれば、すべての束縛から自由になるだろう。

そういう言い方か……。(-_-)

> あなたは時間のなかに広がるマインドをもっている。

はい。

> つぎつぎとあらゆることがあなたに起こり、そしてその記憶が残る。

はい。

> それには何の誤りもない。

(@_@)

> ただ、すべての有機的生命にとって本質的である過去の苦痛や快楽の記憶が、
> ひとつの反射的作用、支配的行動として残るとき問題が起こるのだ。

なるほど。

> この反射作用が「私」という形を取り、身体とマインドをいつも快楽の追求、
> 苦痛からの逃避という目的のために使うのだ。

わかります。

> あなたが「私」を、ひと塊(かたまり)の欲望と恐れとして、「私のもの」
> を、苦痛を避け快楽を確保するためにものごとや人びとを抱擁するものとし
> てあるがままに認識したとき、「私」と「私のもの」は、実在のなかに何の
> 基盤ももたない偽りの観念だということが理解できるだろう。

……理知的な意味では、理解できるようですが。

たしかに、そのとおりだと思うのですが……。

> マインドによってつくられながらも、マインドがそれらを真実だと見なすか
> ぎり、そのつくり出した者を支配する。

あ、そうか……。(@_@)

> それが疑われた瞬間、それらは消え去るのだ。

マインドがそれを疑わなくちゃならないんだ……。(-_-;)

> 「私」と「私のもの」は、それ自体では存在をもたないため、身体という支
> えを必要とする。

わかります。

> 身体がそれらの身元の証明となるのだ。

はい。

> あなたが「私の」夫や「私の」子どもと言うとき、身体にとっての夫、身体
> にとっての子どもを意味している。

そうか……。

> 自分が身体だという観念を捨て去り、「私とは誰なのか?」という質問に直
> 面しなさい。

(-_-)

> 即座に実在を呼び戻す動きのプロセスがはじまる。

(@_@)

> というよりも、そのプロセスがマインドを実在へと連れていくだろう。

わかりました。

> ただ、恐れてはならないのだ。

はい。

> 質問者 何を恐れるというのでしょうか?

何を恐れるというのでしょうか?、って、「私」と「私のもの」を手放すのが
このひと、恐くないのかしら……。

> マハラジ
> 実在が在るためには、「私」と「私のもの」という観念は去らなければなら
> ない。

はい。

> あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。

そうなんですね……?

そこのところが、今いち信じられないというか……。

> そうすれば、あなたの正常で自然な状態はふたたび現れる。

そうか。

> そのとき、あなたは身体でもマインドでもなく、「私」でも「私のもの」で
> もない、まったく異なった存在の状態に在るのだ。

そうか……。(;_;)

> それは、あれやこれとしての存在ではなく、特定の、あるいは一般的な何か
> との自己同一化のない、純粋な存在の気づきだ。

(-||-)

> 意識の純粋な光の中には何も存在しない。

(-_-)

> 無という概念すらない。

はい。

> そこにはただ光があるだけだ。

はい。

> 質問者 私には愛する人たちがいます。彼らを手放さなければならないので
>     しょうか?

わかります……。

> マハラジ
> あなたはただ、彼らをつかんでいる手を放すだけだ。

はい?

> あとは彼ら次第だ。

ああ、なるほど。

> 彼らはあなたに興味を失うかも知れない。

なるほど。

> あるいはそうではないかもしれない。

そういうことか……。

> 質問者 どうして彼らが興味を失うというのでしょう? 彼らは私のもので
>     はないのでしょうか?

はは。(^^;)

> マハラジ
> 彼らはあなたの身体のものであり、あなたのものではないのだ。

こういう言い方かぁ。(-_-)

> あるいはあなた自身のものではない人は、ひとりもいないのだ。

世界が自分の胃袋に入ってしまったら……。

> 質問者 それでは私の所有物はどうなるのでしょうか?

これは、ちょっと……。^^;

> マハラジ
> 「私のもの」がないとき、どこに所有物があるというのかね?

まったくです。

> 質問者 どうか教えてください。「私」を失うことですべての所有物を失わ
>     なければならないのでしょうか?

いや、気持ちはわかるとも言えるけど……。^^;

「私」がいなくなったら、もう何も心配することないだろうけどなぁ。

> マハラジ
> そうかもしれない、そうではないかもしれない。

ふーん。

> それはあなたにとってみな同じこととなるだろう。

どういう意味でかな。(?_?)

> あなたの損失は、誰かほかの人の得となるからだ。

お。(@_@)

> あなたはかまわないだろう。

はは、そういう意味でしたか。^^;

そうかぁ……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から: ミカエルさん
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちら↓でも結構ですよ。
parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


        …………○…………○…………○…………


じつは、今回ミカエルさんから、もうひとつメールをいただいていました。

ミカエルさんオンパレードですね。(^^;)

こちらは、内容を見て、ここでご紹介することにしました。

【件名】:pari様へ
----------------------------------------------------------------------
 アセンション通信に載せてください みんなのためにも
  ↓↓↓
 pariさん はチャネリングが本物かどうか疑ってましたが 
 http://www.2013net.com/bashar/index.html http://2style.in/hikari/  
 のチャネリングを二つとも受けました
 この前の 内容は前者によるものです
 少なくとも 後者は間違いなく本物です 
 証拠は チャネリングを受ければわかります
 この りん様のチャネは ガイドやさまざまな宇宙存在と交信します
 その時 りん様は宇宙語で宇宙存在と会話して翻訳して内容をわれわれに伝
 えます
 その宇宙語の綺麗で美しい光の言葉 と感じます
 らせん状に回転し上昇する光にエネルギー を感じます
 pariさんも 受ければ それを 感じることができます
 霊能力がなくても 本能でわかります 
 これは ただごとではない とわかります
 この宇宙語は モーツアルトやバッバの音楽より波動が高い 
 美しいエネルギーだと感じます
 これは わたしの主観ではなくて 受ければ 間違いなく これは 凄まじ
 い高エネルギーだと本能でわかます 
 その宇宙語の美しいことっ!!! 
 pariさんもみなさんも 何か神や自分のガイドや守護霊などに聞きたい内容
 を100項目ぐらいメモに書いてチャネリングを受けてみてはどうでしょう
 か???
 いいと思いますよ 
 pairさんやみなさんの守護霊 ガイドが pariさんやみなんさんをどう思い
 何を伝えたいかもわかりますよお 
 まあ 人生一度ぐらいこういうのも受けてみてもいいと思いますよお 
 宇宙語すごいですよ 
 凄まじく綺麗で美しい光のエネルギーを感じます
 その波動は 暴力団の波動とまさに正反対です
 この世のどんなものより美しく光輝いていますよお 
 自分が悟りを得るためには(←人によって悟りを得る方法は違うので自分に
 合う悟りを得るための心の訓練はどのようなものがいいのかなど)
 どんな日常生活を送ればいいのか瞑想がいいのか 歩く瞑想がいいのか
 複式呼吸瞑想がいいのか どんな祈りをすれば一番いいのか
 どんな風に日常生活で 赦し を実践すればいいのか
 どんな心の訓練をすればいいのか などいろいろ詳しく質問するのもいいと
 思いますよお 
 後 pariさん 無条件の愛(キリスト意識を鏡として)や 不死というあなた
 の現実 や愛への帰還ー光への道 奇跡の学習コース もいいですよお   
 他人の幸福をイメージしながら祈ると 自分の幸福感が増す  
 あなたを幸せにようとする 愛の天使がまわりに集まる 
 憎い嫌いな相手の幸福をイメージしながら 祈ると幸福感が増し 
 さらに無意識レベルで 凄まじい浄化が起きる(自我、エゴの解体、無意識の
 闇の凄まじい浄化) 
 これを繰り返せば 悟り を得ることも可能 
 超高級霊や神霊が集まる 汝の敵を愛せよ 敵のために祈れ 
 あなたを迫害する者のために祈れ (主イエス様の言葉)  
 ミカエル=心(良心)=主イエス様=全宇全生命永久永遠の大天国
 =明和高校名古屋大学河合希
----------------------------------------------------------------------

ミカエルさん、ご紹介させていただきました。

> pariさん はチャネリングが本物かどうか疑ってましたが 
> http://www.2013net.com/bashar/index.html http://2style.in/hikari/
> のチャネリングを二つとも受けました

いえ、そういう意味ではまったく疑っていませんでしたが。^^;

> これは わたしの主観ではなくて 受ければ 間違いなく これは 凄まじ
> い高エネルギーだと本能でわかます 

すばらしい指導霊に出会えて、ほんとに良かったですね。(^^)/

メール、ありがとうございました。

m(_ _)m


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【ス○○○の抗酸化力+細胞再生因子EGF配合スキンケア製品:ル○○○○】

これまであまりご紹介しませんでしたが、じつは、解毒サプリ「αス○○○」
の代替商品として、超植物ス○○○を主原料とする「ル○○○○」という非常
に高級なスキンケア製品があります。

ス○○○の高い抗酸化力に加えて、1986年に【ノーベル生理学医学賞】を受賞
し、今、美容業界でもっとも注目を集めている成分「上皮細胞増殖因子」EGF
を配合しているキンケア化粧品で、解毒サプリにまったく劣らぬ人気商品です。

EGFとは「上皮細胞増殖因子」または「細胞再生因子」と呼ばれ、人間が本来
持っている因子ですが、歳を重ねるごとに減少していき、肌の代謝活動を遅ら
せるのだそうです。

それがシミ・シワ・タルミなどの肌トラブルの原因になり、「肌の老化」が
進んでいきます。

特にEGFは20歳を境に激減し、40歳では3分の1とか。

肌のトラブル・衰えには様々な要因がありますが、このEGFの低下こそが肌の
衰えの最大の原因だそうです。

しかし、EGF配合の「ル○○○○」があれば、年齢と共に低下する肌本来の力
を助けることができ、潤いのある肌を取り戻せます。

アメリカで行われた臨床試験では、EGFを60日間使用した後の細胞が大幅に
増加(平均288%、最大872%の細胞促進率)することが実証されました。

細胞促進率が上がることで肌の新陳代謝が活性化し、肌に潤いやハリを与え、
たいへんな肌の若返り効果を発揮します。

決まり文句に聞こえるかもしれませんが、まるで乙女の肌に戻ったような、
という感想がよく聞かれます。

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解毒力 :ダイオキシン解毒(24時間での96%を無害化)。
殺菌力 :O−157、ピロリ菌、サルモネラ菌、黄色ブドウ球菌、
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抗ウィルス力:HIV(エイズ菌)、ヒスタミン(アトピー、花粉症など)
     鳥インフルエンザウィルス、ノロウィルス、ロタウィルス、
     C型肝炎ウィルス、“デング熱”
抗酸化力:緑茶の7倍
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   オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。
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■ 4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』へのご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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今回は、ハイアーセルフ33さんから、エナジーアラートの更新情報をお知ら
せいただきました。

【件名】: エナジーアラート8/1
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 エナジーアラートの翻訳があがっていました。内容を見て投稿する気に
 なりました。ご参考まで。
 
 *******************************************
 
 エナジーアラート8/1
 2008年08月14日 http://suzakunoibuki.blog7.fc2.com/#
 
 8/1分を先にアップさせていただきます。
 訳:HOSHINO
 
 8月の新たな始まり...光が戻ります。
 
 ここに、皆既日食と新月の訪れに関するすばらしいニュースがあります。それ
 らの訪れにより、この惑星の霊的進化のために尽くしそれを助けるためにこの
 惑星に存在する私たちの多くは、ポジティブで重要な影響を受け、私たちが個
 々に貢献していること、それぞれの天賦の才能、適性を生かし続けるための大
 きなサポートを得られるはずです。そして、8月16日(または17日)に部
 分月食が起こり、満月が訪れます。月食の意味については、もう少し近くなっ
 てから触れることにします。
 
 皆既日食(および新月)は2008年8月1日に起こりますが、どこの地域か
 らも見られるわけではありません。それでも私たち全員に影響を及ぼすことに
 なります。私たちの霊的進化の道においてこの時期に起こった日食は、反対側
 の勢力の抵抗をある程度終わらせるとともに、新しい始まりを際立たせサポー
 トするでしょう。
 
 正確にはどういう意味かというと...もしあなたが自分の目的や計画、また
 はそれに関する類のことを念頭に前進しようとしているなら、この皆既日食の
 訪れにより、あなたの進む道は以前よりきれいで障害のない道になることで
 しょう。
 
 その時、太陽は少しの間遮断されます。奇妙に聞こえるかもしれませんが、エ
 ネルギーの観点から見ると、これは最近野放しにされていたあらゆる局面への
 エネルギーの流れを遮断することを意味しています。このエネルギーは、私た
 ちが前進し、夢、希望、計画、そして私たちにとって身近で貴重な次の段階を
 創り出そうとしている時に、あまり喜べない感情や体験を生み出していまし
 た。これは「古いもの」の終焉を意味しています。
 この皆既日食と新月の到来は、重要なターニングポイントを表しています。最
 近中心となっていたエネルギー、すなわちより低く振動し密度の濃いエネル
 ギーは、その力を使うこと、言い換えるとせいぜいその古いやり方で光の力を
 弱めようと自由に飛び回る能力を発揮することを「終了」させられます。
 
 この遮断が行われた後、新月と太陽は再び現れその活動を開始し、それは私た
 ちの多くにとって新たな始まりを意味しています。そしてこの新たな始まりは
 新鮮で済みきっており、最近はびこっていたエネルギーの抵抗がまったくない
 状態での新たなスタートとなるでしょう。
 
 サポートを運んできてくれる新しいエネルギーが到着する前は、私たちはたい
 ていサポートや光から「手を引く」ように感じられます。この状態では、より
 暗くて密度の濃いエネルギーがそこら中で野放しになります。それはまるで、
 教室から教師が立ち去ってしまい、その後のクラスがいいように利用されてい
 るような状態です。でも、「教師」は今戻ってきました。そして、物事は変わ
 ろうといています。より高い次元での方法と光はその責任を果たすことができ
 るようになり、その存在を知らしめ、尊重してもらえるようになるでしょう。
 
 私たちはいつものように、物事が調整され、それらがそれぞれの場所へ運ば
 れ、その足並みをそろえるのに十分な時間を与える必要がありました。この待
 機期間、物事が整列している期間は、時に骨の折れることもあります。もしあ
 なたが無視され蔑まれているような、誰かに利用されたり道をふさがれたり、
 見たところどこにも逃げ場がなくて閉じ込められているような、あるいは自分
 よりはるかに低く振動していると知っているようなのにそこから引き継いだも
 のを持ち合わせているように感じたなら、変化のための準備をしましょう。
 
 新月と日食の到来は、これらすべてに変化をもたらします。
 
 特にタップインされやすい、とても敏感な人には、血圧の上昇、腹部の膨ら
 み、膨張しているような感じ、かっとなりやすく、そこら中にはびこっている
 ような低く振動するエネルギーに耐えられないという感情、腸の圧迫感やトイ
 レが近くなって起こる痙攣、寝つきが悪く、無意味さまでも感じてしまうな
 ど、肉体な権現が最近現れているかもしれません。
 
 あなたはまるで、つながるべき心地よい場所はほんのわずかも残されていない
 ように感じたかもしれません。あなたの周りの全てのものはとても古い現実か
 ら生じたもので、今のあなたにとってまったく道理にあわないものだったり
 (もしくはこれからもずっと!)、責任のある人、あるいは中心にいる人が世
 界で何が起きているのかを知らなかったり、物事がとても遠くに去ってしまっ
 たような、もしくはあらゆることを持ち合わせるどんなやり方にも関われな
 かったように感じたかもしれません。完全に行き詰ってしまったのです。そし
 てひょっとすると、あなたの周りの低い振動エネルギーにさえ拒否されたかも
 しれません。これはアセンションプロセスが創り続けていることなので
 す...より高く振動するエネルギーは、低く振動するエネルギーに耐えるこ
 とはできないのです。
 
 物事にとっては、より良く調整された新しいエネルギーの「ホーム」を見つけ
 るのに十分な時間が必要でした。そして私たちが苦しみを味わうとき、私たち
 にとって何が一番大切なのかが明らかになります。6月に到来した夏至は、多
 くの人をその溝から取り除きました。従って、彼らは新しいエネルギーの
 「ホーム」を見つけなければなりませんでした。私たちの中でさえ低く振動し
 ていた多くの人は、どこか別の「ホーム」へ、私たちが今振動している場所か
 らずっとずっと遠い場所へ解き放たれました。このようにして、私たちは誰な
 のか、今何をするべきなのかについて自問していたのかもしれません。
 
 多くの人にとって最終的に快く変化するためには、どん底の状態を経験する必
 要がありました。そして多くの光の使者(ライトワーカー)たちにとって、彼
 らを助けることを禁止されるのはつらいことだったでしょう。多くの人が新し
 くふさわしい場所へ落ち着く必要があったので、私たちが他人を助けその光を
 支えることは阻止されなければならなかったのです。もしあなたが、夏至に到
 来した強烈なエネルギーから個人的に影響を受けていなかったとしても、多く
 の愛する人たちが実際に影響を受けたことによりその影響を感じたことでしょ
 う。広大な自然の力を目の前にしてただひときわ目立っていると、これらの強
 烈でドキッとするようなエネルギーを感じることになるかもしれません!
 
 このように、ライトワーカーたちは彼らの力と、それとともに彼らが思ってい
 た自分自身の多くをほとんど奪われそうになりました。しかし私たちは、この
 アクションコースを進むことに決めました。これはより多くの変化を生み出
 し、物事が最終的に正しく前進するためにも今大きな変化が必要だったので
 す...そして私たちとともに、できるだけ多くの人たちを連れて行きたかっ
 たのです。
 
 私たちはもっと先へ前進する前に、新しいつながりを築いておかなければなり
 ませんでした。そして私たちにとって貴重な、最も意味のあることに気づいた
 とき、常に最後に残る存在である、より純粋でシンプルなものにつながること
 ができるでしょう。
 
 より新しい始まりに向け、今、扉は開かれました。多くのステップは完了しま
 したが、多くの人にとって大きな試練が創り出されました。しかし最後には、
 地球上の天国に今までで最も近づいた自分自身をみつけるでしょう。
 
 日食と新月の到来により、新たな章のページがめくられ、古いものの多くがそ
 の力を次第に弱めていくでしょう。私たちはまたサポートされていると感じ、
 もっと強くつながらなければなりません。そして私たちの目の前に続く道は、
 もっときれいで澄み渡っていることでしょう。
 
 エナジーアラートはワッツアッププラネットアースの翻訳/要約です。 
 
 ワッツアップオンプラネットアース オリジナルサイトは 読者による寄付に
 頼って 無料運営がなされています。 クレジットカードを使える方は
 ここから PAYPALで。 (PAYPALはアメリカでとてもポピュラーに使われてい
 るサイトです。) 他の方は 手間はかかりますが、カレンの私書箱住所 
 Karen Bishop P.O. Box 386 Ramah, New Mexico, 87321 USA に国際郵便小為
 替(郵便局で購入)を送って下さい。
 
 アセンションといえども マクロに見ればある種の変化に過ぎません。 ア
 ラートにとらわれすぎ 日常生活から逃避する事のないように。
----------------------------------------------------------------------

はるさん、今回は全文を掲載できました。

いつも独自なアンテナの情報を、ありがとうございます。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………



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■ 5.編集後記:自分で納得して、自分のものにしなければ……
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このごろよく、すでに完成済みの映画に出演している自分をイメージします。

これが本当だったら、どれほど楽になることか……、と。

なにしろ、自分にできることは何もないわけです。

この“完全な無力と、それがもたらす解放感”の対比は、不思議とも言えます
が、論理的必然とも感じられます。

できることが何もないのだとしたら、そして何かになろうとするどんな努力に
もまったく何の意味もないのだとしたら、どれほど解放されることか……。

つまり、起こっていることにはすべて、まったく意味がないわけです。

あらゆる体験はすべて、まさに非在の夢にすぎない。

ところが、このことを、ニサルガダッタも、ラマナ・マハルシも、トマスとタ
ダイが伝える歴史上のイエスも、みんな揃って保証しているとは……。

ただ、そんな素晴らしい保証も、わたしが自分で納得して、自分のものにしな
ければ、ただの絵に描いた餅にすぎない。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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