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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.229 2008/8/24(第229号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1009名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.実在に向かう非在の扉

2.写経ニサルガダッタ:【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】の2回目

3.いただいたお手紙から:アカームさん、上海さん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:だって、それが自分の実力なんだから。
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■ 1.実在に向かう非在の扉
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今日はじつにしっとりしています。

目前の手製のデッキは雨に濡れているし、前方右の視界を覆う緑の山肌も霧に
煙っています。

ガラスの引き戸を開ければ、冷気が入ってきます。

好きですね……。(-_-)

毎年夏の暑いのに憧れるんですけどね。

でも、こういう雨に煙る山里の姿は落ち着きます。

何も願わなくていい……。

結局、マインドのなかにいてそれ以上の状態は望めないでしょうし。

何の思いも浮かばなければ、それはもっと素晴らしいのかもしれないけれど。

でも、身分相応の穏やかな内界を見ているのもそれなりにいいもんです。

なにしろ覚えておくことが少ないですから。

「私は在る」

これだけですからね。

と、言いながら、じっさいは、ほとんど忘れているんだけれど……。(*-_-*)

でも、自分を責めたりはしない。

自分を責めるのは“悲惨な誤りだ”と教わっているから。

だいいち、どんなにマインドに溺れて忘れていても、それだけ思い出せるチャ
ンスが多いわけだしね。(^_-)

そうしたら、いつでも「私は在る」。

実在に至る……存在しない扉の名前……。(-_-;)

シュールだ……。(*-_-*)(←斬鉄剣の使い手、五右衛門ふうに発音。
                  ↑
                  └─「注文の多いメルマガ」(^_-))

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

……しかし、考えてみたら、こんな話を読んでいただけるって不思議ですね。

夢のなかを漂っている人間の、夢中の憧れを読んでいただいて……。

この……夢を観ているわたしは……、存在しているんでしょうか?

さて、それを実在と言ったものか、それとも非在と言ったものか。(-_-;)

もちろん、ある意味では実在です。

この夢を“見ている者”は、わたしですから。

そして、わたしはわたしの存在を否定できないから。

しかも、わたしはわたしの存在を他の誰にも保証してもらう必要がないから。

わたしは非依存的に自前で存在している。

ここまでは問題ない。

ただし、わたしがわたしだと思っているこの身体に自己同化したわたしはどう
なのか?

こいつが問題を創っている張本人ですが、はたしてこいつに救いはあるのか?

いや、じつはこいつは存在しないので、救いは必要ないわけです。

救いが必要なのは、非在のドラマに囚われた“見ている者”です。

しかし、彼には絶対に切れない鋼の“蜘蛛の糸”がついている。

現象世界に降ろされた、実在からのあるかなきかの蜘蛛の糸……。

でも、絶対に切れることはない。

だって、

「私は在る」

だから。

現象世界のすべては非在の夢だというのに、それを“観ているわたし”だけは
実在の反映だとは……。

シュールだ……。(*-_-*)

(*^_^*)

だんだん寝言も年期がいってきちゃって。^^;

それにしても……。

現象世界という非在の夢がすべてフェイドアウトしても、「私は在る」という
蜘蛛の糸だけは絶対に切れない鋼(はがね)の光りを放つんです! (@_@)

あなたは消えない。

これって、すごいと思いません?

すべてが束の間の現象である非在の夢のなかで、「私は在る」だけは実在だと
いうんです。

少なくとも、実在に向かって開け放たれている非在の扉の名前だと。

……空無のなかに消えてしまいたいと願ったこともあったけど。

それはすべて、仮現の幻想世界のなかで区別と分離の夢に魘されたからだった。

その“区別と分離の夢”がリアルだと思ったからのことだった。

でも、その“区別と分離の夢”はただの映画にすぎないという。

それもわたし(という個人)のために映写されている映画ですらないと。

「應無所住而生其心(オウムショジュウニショウゴシン)」

まさにじゅうするところのうして、しかもそのこころをしょうずべし。

たぶん、そういう永遠の自動展開映画を注文したのはわたしなんだ。

そのなかで“欲望”という自動増殖機関が働くようにと。

この現象(幻想)多次元宇宙こそが、完璧な永久機関だったんだ。

誰が心配しなくても、それは自前で展開していく。

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 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。
 世界はそれらを満たすための道具なのだ。
 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。
 そして時間がすべての勘定書を決算する。
 バランスの法則が究極の支配をするのだ。
                          『私は在る』(p103)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

その現象(幻想)多次元宇宙は、たいへんな喜び(快楽)と苦痛を約束してく
れているようでもある。

そこに住んでいると自ら信じ込んでいる魂たちは、その快楽と栄光を手に入れ
るためにたいへんな苦痛を“我が身に”引き受けることも厭わない。

自分が快楽と栄光を手に入れられる「個人」だと信じ込んでいる以上、ほかに
どうしようもないわけだよなぁ。(;_;)

そしてたくさんの敗者を必要とするゲームを創造し、そこで勝者の栄光を掴む
ことを画策する……。

その喜び(快楽)が、分離の幻想から分泌される“苦痛”からの一瞬の休眠を
約束する、束の間の“モルヒネ”であることも知らずに。

----------------------------------------------------------------------
 麻薬が脳とマインドに影響を与え、そして約束されたあらゆる類(たぐい)
 の奇妙な体験をあなたに与えることは疑いのないことだ。
 だが、悲しみと恐れのなかに生まれ、来ることも続くこともない幸福の探求
 を生きるという、このもっとも尋常でない体験を与える麻薬に比べれば、そ
 れらすべての麻薬が何だというのだろう?
 この麻薬の本質について調べ、その解毒剤を発見すべきだ。
 
                          『私は在る』(p461)
----------------------------------------------------------------------

……なんと。(-_-)

これは、ほんとのことなんだ。

ほんとの、ほんとのことなんだ。

----------------------------------------------------------------------
 誕生、人生、死――これらはひとつのものだ。
 何がこれらの原因なのかを発見しなさい。
 あなたは生まれる前に、すでに麻薬を飲まされていたのだ。
 それは何の類の麻薬だったのだろうか?
 あなたはすべての病気を治療するかもしれない。
 だが、もしあなたがいまだにこの根元的な麻薬の影響下にあるなら、表面上
 の治療が何の役に立つだろう?
                          『私は在る』(p461)
----------------------------------------------------------------------

> あなたは生まれる前に、すでに麻薬を飲まされていたのだ。

ゲッ、わたしはすでに生まれる前から麻薬を飲まされていた! (*@_@*)

じゃ、きっと誰かに罠にはめられたんだ。

アヌンナキの罠?、それとも根本創造主に虐げられてるの? (@_@)

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 罠は何もないところに強いて二元性を見ようとする、あなたのマインドのな
 かにあるのだ。
                          『私は在る』(p473)
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アチャ! (>_<)

アヌンナキじゃないのか……。

いや、アヌンナキはアヌンナキでいるだろうけど、それは現象(幻想)多次元
宇宙内に掃いて捨てるほどある物語のひとつにすぎない。(*-_-*)

身体に自己同化したわたしが聞かされ、わたしが信じて、わたしが支えるたん
なる物語……。

いずれにしろ、それは“バランスの法則”という「運命」が支配する構造内の
お話だ。

“限定と分離”を構成原理とする、現象(幻想)多次元宇宙の構造体内部に住
むかぎり、宇宙のどこかの“細胞”内に住まわざるをえないわけだし……。

そうしたら、その“細胞”に固有の制限が気になった時点で、その“細胞”は
不自由の象徴になるだろうなぁ。(-_-;)

そしたら、今度はもっと大きな自由を求めて、その“細胞”をぶち破ったとこ
ろに開けるもっと広い“自由の天地”に飛び出したくなる。

でも、いつかはその広い“自由の天地”も古臭くて窮屈な“細胞”に見えてく
るかもしれない。

そしたら、今度はもっと大きな自由を求めて、その“細胞”をぶち破ったとこ
ろに開けるもっと広い“自由の天地”に飛び出したくなる……。

……。

お母さんの子宮が狭くなって、そこから出て家族の仲間に入る。

その家庭が狭くなって、今度は社会に出て、組織にはいる。

場合によっては、自分の国が狭くなって、世界に飛び出すかもしれない。

でも、いつかその世界そのものが狭くなって、惑星自体がひとつの村になり、
その住民(人類)が宇宙に飛び出すようなときが来るのかもしれない。

きっとそのころには、その惑星の外側からも、「おーい、あなた方は、あなた
方のその惑星、地球生まれじゃないんだよぉー」なんて声をかけてくれるよう
な存在たちも現れるのかもしれない。

そしたら、今度は、地球という“細胞”を飛び出して、惑星連合の仲間になる
のかもしれない。

いつの間にか活動領域は拡大していて、惑星連合から銀河連合へ、銀河連合か
ら“星雲連合”へと、活動範囲は広がっていくのかもしれない。

そしたら今度は、空間的移動だけでなく、時間的移動も自在になって、過去か
ら未来にわたる任意の時点への時空間移動が可能になるのかもしれない……。

思った瞬間に思った時空間に移動する……。(-_-)

ドキッ。(*@_@*)

そしたら、ゲ・ン・ジ・ツは、なくなるんだ……。

思うことが、ジ・ツ・ゲ・ンするだけだ。

つまり、すべては、たったひとりの夢だったってことだ……。

……。(-_-)

そしたら……また、不自由なゲ・ン・ジ・ツを創りたくなるのかなぁ。(*-_-*)

また、他人を創ってなぁ……。

他人がいる現実を創って、そこに個人として入る。

その通路が、お母さんの子宮に入るということなのか。

そうやって、自ら困難な状況に陥り、その運命を呪うわけか……。

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 困難は身体的、感情的、あるいは精神的なものかもしれない。
 だがそれらはつねに個人的なものだ。
                         『私は在る』(p99-100)
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たしかに。(-_-;)

身体を持たないわたしに、困難も運命もありえないわけだ。

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 運命は名前と形にのみ関係する。
 あなたは身体でもマインドでもないのだから、運命があなたをコントロール
 することはできない。
 あなたは完全に自由だ。
                          『私は在る』(p242)
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(-_-;)

……わたしは分離と制限に根拠をもつ確かな手応えのある“現実”が欲しかっ
たんだ。

だからこうして、いま自分が身体であるかのような幻想を抱えている……。

https://www.ascensionkan.com/books/unbound.html
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 あなたの魂は望んだすべての幻想を試してきていて、その役に決して飽きる
 ことはありませんでした。
 さまざまな役柄を引き受け、多くのドラマに没頭しながら、地球上を歩き回
 っていたのです。
 そしてそれらはすべて夢にすぎないというのに、一度も目覚めることを願い
 ませんでした。
                        『あなたの神話』(p.83)
                       http://tinyurl.com/gcnjl
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(;_;)

この方も、時間幻想の中でいちど地球を訪れたことがある方なのかしら……。

子宮にはいることで手に入れた現実は、“アップルオレンジの芯”でどうする
かを再度確認されるるんですってね。(@_@)

ただの聞かされた話ですけど、たぶんそれらしいことはあるんでしょう。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol192.html#1

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 死のプロセスの第一段階で、あなたは身体から解き放たれ、身体やその外見
 への自分の同一化(アイデンティファイ)という(それまで残っているかも
 しれない)考え方もなくなる。
 死のプロセスの第二段階で、あなたは精神から解き放たれ、精神とその中身
 への自分の同一化という(それまで残っているかもしれない)考え方もなく
 なる。
 死のプロセスの第三段階で、あなたは魂から解き放たれ、魂とその個別性へ
 の自分の同一化という(それまで残っているかもしれない)考え方もなくな
 る。
 この「自己との全面的な溶け合い」のなかで、あなたは「知ること」と「経
 験すること」がひとつである場に、そして自分は身体でも精神でも魂でもな
 いことを知って経験する場に達する。
                          『神へ帰る』(p286)
                       http://tinyurl.com/2ewhnd
----------------------------------------------------------------------

“「知ること」と「経験すること」がひとつである場”……、まるで夢そのも
のとも思えるけれど。

でも、“自分は身体でも精神でも魂でもないことを知って経験する場”となる
と、まるで覚醒そのものとも思えるし……。

でも、いずれにしろ、われわれは“被害者”ではありえないらしい。

なにしろ……、

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 死の第二段階以降は、信念が経験を創造するのではないよ。
 
  じゃ、何が?
 
 欲求だ。
                          『神へ帰る』(p293)
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と言うのだから。

そしてこの“分離と制限”の物理次元(アップル)宇宙を手放したあとに訊か
れるのが、例の質問だと。(ま、神さまは言うわけね。(^_-))

----------------------------------------------------------------------
 「あなたはとどまりたいか?」
                          『神へ帰る』(p316)
----------------------------------------------------------------------

この申し分なく“公平な世界”……。

これに関してちょっとこの神対の“神さま”のコメントに触れておきますね。

是非善悪ではなく、趣味は……あなたにお任せします。

神対の“神さま”は、“アップルオレンジ宇宙”と人間の関係についてこんな
比喩で語りかけます。

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 つぎに「あなた」と呼ぶ微生物が、リンゴの一部だと想像してごらん。
 ……
 あなたはリンゴの小さな部分、原子だと想像してごらん。だから、あなたは
 自分自身の中を移動しているわけだ。……
                          『神へ帰る』(p184)
----------------------------------------------------------------------

わたしは、この宇宙のなかで“エイリアン”ではない、なにしろこのわたしは
“自分自身の中を移動しているわけ”だから。

申し分、ありません……ね。(-_-;)

また、別のところではこうまで念を押している。

----------------------------------------------------------------------
 あなたは自分が神の外側に立っていると想像していたが、そうではない。
 そんなことはありえない。神は「存在するすべて」だ。何ものであれ「存在
 するすべて」の外側で存在することは不可能だよ。
 
                          『神へ帰る』(p236)
----------------------------------------------------------------------

とってもありがたいことのようでもあります……。

しかも念の入ったことに、

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 ……。アップルオレンジはたったひとつしかない。「時空の連続体」とは
 「唯一無二」だ。「唯一無二」以外には何もありはしない。
 
                          『神へ帰る』(p236)
----------------------------------------------------------------------

というのです……。

なんか……、“神の懐”にすっぽり包まれているようでもあります。

たしかに、それも間違いないことなのでしょう。

でも……、こういう表現と比べた場合、あなたのお好みはどうですか?

----------------------------------------------------------------------
 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。
                          『私は在る』(p471)
----------------------------------------------------------------------

うーむ。

こんなこと、言っちゃっていいの?、と思いますか?

ところが『神との対話』と同じキリスト教文脈のなかでも、例の『神の使者』
だとこんな言い方になります。

----------------------------------------------------------------------
 アーテン:
 ……神がこの世界に関係ないように、Jだってそういうことにはまったく無
 関係なんだから。
                        『神の使者』(p14-15)
                      http://tinyurl.com/ys2e5k
----------------------------------------------------------------------

神はこの世界に関係ない、と言っているわけですよね。

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 つまりかたちのある宇宙のものは、いっさいスピリチュアルとは見られない
 ってこと。
 真にスピリチュアルなのは、その宇宙の外側にある。
 あなた方も本当はそこに属しているんだし、結局はそこに戻っていくのよ。
 
                          『神の使者』(p51)
----------------------------------------------------------------------

まさに、ニサルガダッタが語る世界と同じです。

ただ、イエスの場合は、語法が違うだけ。

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 ゲイリー:Jはどんなふうに神との一体化を経験したんだろう?
 
 アーテン:
 ……
 彼が気づいたのは、宇宙が存在しないだけではなく、彼自身も純粋な霊(ス
 ピリット)以外のレベルでは存在しないことだった。
                          『神の使者』(p57)
----------------------------------------------------------------------

ここで“純粋な霊(スピリット)”と語られているものは、普通言う“魂”と
は違います。

“魂”とは知覚可能な二元性の世界に顕現する“エネルギー現象”であり、エ
ネルギーは“純粋な霊”ではありえないと説明されていますから。

この“純粋な霊(スピリット)”というのが、ニサルガダッタの言い方で言う
ところの「私は在る」ということなんでしょうね。

幻想の顕現世界に降ろされた唯一の実在の反映です。

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 この世界に完全で永遠なものが何もないことが明らかだから、Jはこの世界
 をありのままに――つまり無だと――見ることができた。
 しかし彼はまた、この世界が現れているには理由があること、それは人々を
 神の真実と神の王国から遠ざける仕掛けだということも知っていた
 
                           『神の使者』(p64)
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ここで“エゴの「トリック」”とされたものは、お釈迦様なら「無明」と言う
のだろうし、ニサルガダッタなら「無知」とても呼ぶのかしら。

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 (愚かさの終焉は)人においては――もちろんやってくる。
 いかなる瞬間にでも。
 人類においては――周知のように――長い年月の末にやってくる。
 創造においては――けっしてありえない。
 なぜなら、創造自体が無知の根本だからだ。
                          『私は在る』(p134)
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そうか。(-_-;)

イエスの道もニサルガダッタの道も、なんだか同じ世界という感じですね。

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 キリスト教は言葉を構成するひとつの方式であり、ヒンドゥー教はまた別の
 方式なのだ。
 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。
                          『私は在る』(p531)
----------------------------------------------------------------------

やっぱり、どちらにしても同じみたいです。

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 「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
 たとき、何かが起こる。
 そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
 たが存在するのは神があるからだと知るだろう。
                          『私は在る』(p241)
----------------------------------------------------------------------

要するに、イエスの語法では“実在するのは神”だけであり、ニサルガダッタ
の語法では、実在するのは「わたし」だけだということなのでしょう。

だから、こうなるわけでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 理解すべき主要な点は、あなたがあなた自身の上に欲望と恐れの記憶をもと
 とした、想像の世界を投影したということだ。
 そして、そのなかにあなた自身を監禁したのだ。
 その魔法を解いて自由になりなさい。
                          『私は在る』(p218)
----------------------------------------------------------------------

しつこく、しつこく、自分のマインドを説得しています。

笑って赦してやってください。(*^_^*)

何度も何度も戻ってきて、いいんだ、やっぱりこれでいいんだと……。

自分の創造物のなかで迷子になりながら、それでも自前で存在している……。

実在しているのは、わたしだけ……。

すがるべきは……唯一、非在の幻想宇宙に降ろされた鋼の蜘蛛の糸……。

向かうべきは、ただひとつ、実在に向かう非在の扉。

「私は在る」

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m



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■ 2.写経ニサルガダッタ:【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】の2
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このあたりは、わかるような、わからんような……、の連続です。

わかる、と言えば明らかなウソになるし、わからん、と言い切るのは、ちょっ
と寂しいし。

ただ、覚者の言葉を耳に聞かせてやるだけです。

どうせ、この身体に自己同化した「個人」が聞き手というわけじゃなし。

“聴くべき者”が聴いているだろうということを信じて……。

では、【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 もしかまわなければ、私はすべてを失ってしまうでしょう!
 
 マハラジ
 ひとたび何ももたなくなれば、問題はなくなるのだ。
 
 質問者 私は生存の問題とともに取り残されてしまうでしょう。
 
 マハラジ
 それは身体の問題であって、食べたり、飲んだり、眠ったりすることで解決
 されるだろう。
 そこにはすべてに充分なだけ、すべてを分かちあうだけ用意されているのだ。
 
 質問者 私たちの社会は分かちあうことではなく、つかみ取ることを基本に
     しているのです。
 
 マハラジ
 分かちあうことで、あなたはそれを変えるのだ。
 
 質問者 私は分かちあう気にはなれません。とにかく、私は所有物によって
     重荷を負わされているのです。
 
 マハラジ
 これは自由意志による分かちあいと同じではない。
 社会は強制では変わらない。
 ハートの変革が必要なのだ。
 あなたのものは何ひとつなく、すべてはすべてに属しているということを理
 解しなさい。
 そのときにだけ、社会は変わるだろう。
 
 質問者 ひとりの人間の理解によって、世界を大きく変えることはできない
     でしょう。
 
 マハラジ
 あなたが住む世界は深く影響を受けるだろう。
 それは健康で幸福な世界となるだろう。
 それは光を放ち、通じあい、拡大し、広がっていくだろう。
 真実のハートの力は計り知れないものなのだ。
 
 質問者 どうか、もっと私たちに話してください。
 
 マハラジ
 話すことが私の専門ではない。
 ときに私は話し、ときには話さない。
 私が話すか話さないかは与えられた状況の一部分であって、私に依ることで
 はないのだ。
 話さなければならない状況では、私は私自身が話していることを聞き、別の
 状況では、私は私自身が話していないことを聞くのだ。
 それは私にとってみな同じことだ。
 話をしようとしまいと、存在の光と愛である私は影響を受けず、それらは私
 の制御の内にあるのだ。
 それらはある。
 そしてそれらがあることを私は知っているのだ。
 そこには喜ばしい気づきがある。
 だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
 もちろん、アイデンティティの感覚はある。
 しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリーン上の画像
 の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
 光とスクリーンなしに画像はありえない。
 画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、画像が実在
 だという観念からの解放を与えてくれる。
 理解しなければならないことは、あなたは自己を愛し、自己はあなたを愛し
 ているということだけだ。
 そして「私は在る」という感覚は、あなたと自己との間の連結部であり、外
 見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。
 「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の愛の象徴として見なさ
 い。
 夢のなかでは、「私」という感覚を除いてはすべてが異なっている。
 その「私」が「私は夢を見た」と言うことを可能にするように、「私は在る」
 という感覚が、「私は真我だ」と言うことを可能にするのだ。
 私は何もしないし、私に対して何もされることはない。
 私は私であり、何も私に影響を与えることはできない。
 私はすべてに依存しているように見えるが、事実は、すべてが私に依存して
 いるのだ。
 
 質問者 どうしてあなたが何もしないと言えるのでしょうか? あなたは私
     に話しているではありませんか?
 
 マハラジ
 私には私が話しているという感覚がない。
 話をすることが起こっている。
 ただそれだけだ。
 
 質問者 私は話しています。
 
 マハラジ
 そうかね?
 あなたはあなたが話しているのを聞く。
 そして言うのだ。
 「私は話す」と。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p405-406)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

まさか……。(@_@)

前回の最後に、質問者は「どうか教えてください。『私』を失うことですべて
の所有物を失わなければならないのでしょうか?」と尋ねたわけです。

それに対しての、このニサルガ師匠のこの“つれなさ”……。

「そうかもしれない、そうではないかもしれない。
 それはあなたにとってみな同じこととなるだろう。
 あなたの損失は、誰かほかの人の得となるからだ。
 あなたはかまわないだろう」
 
こうですからねぇ。(>_<)

これじゃ、質問者の問いに答えていませんよね? そうでしょ? (@_@)

だから、次の質問者の言葉があるわけです。

> 質問者 もしかまわなければ、私はすべてを失ってしまうでしょう!

そうそう、この人の気持ちよくわかる。

> マハラジ
> ひとたび何ももたなくなれば、問題はなくなるのだ。

ったくもう。

> 質問者 私は生存の問題とともに取り残されてしまうでしょう。

そうだ、そうだ。

> マハラジ
> それは身体の問題であって、食べたり、飲んだり、眠ったりすることで解決
> されるだろう。

アチャ。(>_<)

> そこにはすべてに充分なだけ、すべてを分かちあうだけ用意されているのだ。

アイゴー! (/_;)

> 質問者 私たちの社会は分かちあうことではなく、つかみ取ることを基本に
>     しているのです。

そうそう、言え言え!

> マハラジ
> 分かちあうことで、あなたはそれを変えるのだ。

あいやー。(>_<)

そんなこと言うて、あんた。

> 質問者 私は分かちあう気にはなれません。とにかく、私は所有物によって
>     重荷を負わされているのです。

お、思いっきり言ったわ、このひと。(@_@)

(もしかして……、あてはここまで言えへんかったかも。(*-_-*) )

> マハラジ
> これは自由意志による分かちあいと同じではない。

え? 違うの? (?_?)

> 社会は強制では変わらない。

そりゃそうだ。

> ハートの変革が必要なのだ。

ああ、そうか……。

> あなたのものは何ひとつなく、すべてはすべてに属しているということを理
> 解しなさい。

そう言われればそうだけど……。

> そのときにだけ、社会は変わるだろう。

ああ、なるほど。

> 質問者 ひとりの人間の理解によって、世界を大きく変えることはできない
>     でしょう。

うーむ。

> マハラジ
> あなたが住む世界は深く影響を受けるだろう。

ああ、そうか……。

> それは健康で幸福な世界となるだろう。

(;_;)

> それは光を放ち、通じあい、拡大し、広がっていくだろう。
> 真実のハートの力は計り知れないものなのだ。

そうなのか……。(=_=)

> 質問者 どうか、もっと私たちに話してください。

うん。

> マハラジ
> 話すことが私の専門ではない。
> ときに私は話し、ときには話さない。

たしかに。

> 私が話すか話さないかは与えられた状況の一部分であって、私に依ることで
> はないのだ。

ああ、なるほど。

> 話さなければならない状況では、私は私自身が話していることを聞き、別の
> 状況では、私は私自身が話していないことを聞くのだ。

そうか。

> それは私にとってみな同じことだ。

そうなんだ……。

> 話をしようとしまいと、存在の光と愛である私は影響を受けず、それらは私
> の制御の内にあるのだ。

ふーん。(-_-)

> それらはある。
> そしてそれらがあることを私は知っているのだ。

そうなんだ。

> そこには喜ばしい気づきがある。

はい。

> だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。

なんと。(@_@)

> もちろん、アイデンティティの感覚はある。

え、そうなんですか。

> しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリーン上の画像
> の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。

へー……。

> 光とスクリーンなしに画像はありえない。

それはわかります。

> 画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、画像が実在
> だという観念からの解放を与えてくれる。

ああ、なるほど。

スクリーン上の光の戯れだと知ってさえいれば、画像が実在だという観念から
は解放されるのか……。

> 理解しなければならないことは、あなたは自己を愛し、自己はあなたを愛し
> ているということだけだ。

ふーん。

> そして「私は在る」という感覚は、あなたと自己との間の連結部であり、外
> 見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。

そうなのか……。

「外見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴」

覚えていられるかなぁ。

> 「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の愛の象徴として見なさ
> い。

ふーん。

「私は在る」は、実在と現れとの間の愛の象徴……。

> 夢のなかでは、「私」という感覚を除いてはすべてが異なっている。

はい、それはわかります。

> その「私」が「私は夢を見た」と言うことを可能にするように、「私は在る」
> という感覚が、「私は真我だ」と言うことを可能にするのだ。

ほー。

ちょっと、今は頭が満杯。//(>_<)\\

あとでよく考えてみよう……。

> 私は何もしないし、私に対して何もされることはない。

そうなんだ。

> 私は私であり、何も私に影響を与えることはできない。

うーん。(>_<)

> 私はすべてに依存しているように見えるが、事実は、すべてが私に依存して
> いるのだ。

いや、それは、言葉としては、少しずつ理解できるようになってきているんだ
けど……。

> 質問者 どうしてあなたが何もしないと言えるのでしょうか? あなたは私
>     に話しているではありませんか?

うん。

> マハラジ
> 私には私が話しているという感覚がない。

はい。

> 話をすることが起こっている。
> ただそれだけだ。

そう、おっしゃるのはわかっています。

> 質問者 私は話しています。

ふふ。(^^;)

> マハラジ
> そうかね?

ぎょ。(?_?)

> あなたはあなたが話しているのを聞く。
> そして言うのだ。
> 「私は話す」と。

えー。(@_@)

オガアジャン!

コノシト、コンナコトイイヨル。(;_;)

オマエノカアチャン、デベソ。(/_;)

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から: アカームさん、上海さん
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

こちら↓でも結構ですよ。
parichan@gmail.com

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


        …………○…………○…………○…………


今回、旧知のアカームさんから応援メールをいただきました。

ちょっと過褒なので恥ずかしいのですが、早速ご紹介します。

【件名】:本日のアセンション館通信への感想
----------------------------------------------------------------------
 こんにちは、Paritosho
 
 ご無沙汰しています。アカームです。
 前回、突然、お邪魔してから、早いもので、梅雨が明け、本格的な夏も過ぎ
 去ろうとしています。
 人生の映画も刻々と過ぎ去ろうとしているのですが、
 まだなかなか映画の馬鹿な主人公をやめられなくて・・・^^;;
 
 今日は朝からほんとうに涼しくて、しのぎやすいですね。
 
 もっとも少し蒸し暑くなってきていますけど。
 
 秋をおもわせるくらいの涼しさのなかで、いつになくゆっくりと
 アセンション館通信に目を通し、自然に感想などわいてきた
 ので、送ることにしました。
 
 出だしからしてちょっと不真面目というか、全体にぶっきらぼ
 うになっているかとおもうんですが、そこは構えず、独りごち
 たるみたいなゆるんだ感じで、書かせてもらいましたゆえ、
 どうかご勘弁を。
 
 前置きはこれくらいにして、以下、入りますッ!!
 
 > あんなに生長が遅かったナスですら、いまでは立派に葉を広げてちゃんと
 > つやつやとした濃紫のナスをぶら下げているんですからねぇ。
 >
 > たいしたもんです。
 >
 > そういうシナリオになっているんでしょうか?
 
 いや、スナリオないしは、ナスリオではないでしょうか?
 
 などと戯言を弄していると、そのうち本題に入って、質問者
 ミカエルさんとPariさんの問答から目が離せなくなってゆき、
 
 > ミカエルさんには、いまこのニサルガ師匠の言葉はとても本当とは思えな
 > いかもしれません。
 >
 > でも、わたしには、この言葉が本当であることがよくわかります。
 >
 > なぜなら、わたしは“この執着”を手放そうと思いはじめているからです。
 
 この文字を見た瞬間、ハッとしました。
 
 それは愛に関する考察が、正しく展開され、ニサルガ師匠の言葉の的確な
 引用と、それにたいする引用者の深い理解が感じられてのことです。
 
 > それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 > なぜなら限定と分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、
 > 私たちはそれを愛しているからだ。
 > 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。
 > 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
 > そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、献身的なのだ。
 
 ずっと以前以前の私なら、これを読んでも、深く入ってこなかったこ
 とでしょう。
 しかし、ある時、はっきりと自覚しました。
 そこだけは、絶対の自信があります。
 もちろん、そのことは、それまで生きてきて、本当に初めてのことだ
 ったし、あまりにも辛いことなので、決して得意になってこんなこと
 をいっているわけではありません。
 
 ただ、自覚はしながらも、「これは深刻な問題だ」という認識にとど
 まって、小説にでもしようかな(小説は以前、Pariさんに読んで
 批評してもらった頃以来、ここ6年くらい書いてません)などと考え
 るのがせいぜいでした。
 
 いずれにせよ骨の髄まで沁みて、わからせていただいた事でありな
 がら、客観的に文字の形にするまでには至らなかったところへ、ニサ
 ルガ師匠直々の明晰な言葉によって見せられることで、この自覚の如
 何に大事なことであるのかを、再認識させられたということです。
 
 何が大事かって、それは「この体験と自覚は、きっと真理そのものと
 自分の存在が合致するための扉になり得るだろう」と信じさせてくれ
 る点です。
 これから向かうべき方向性、どこに気づきを向けていったらよいのか
 ということを教え示してくれている、いわば道標のようなものとして。
 
 > すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、
 > 疑いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
 > あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべ
 > ての生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれている
 > ことを知るだろう。
 
 「あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき・・・」
 
 何と安堵感を与えてくれる言葉でしょう。
 
 ニサルガ師匠の愛というのを、あらためて感じました。
 溢れる泉のような愛。そして、今、それをこの私はこの手のひらにすくいと
 る。自らの意志で・・・・・・。
 
 そして、つぎの言葉を読むと、道を誤らないための知恵を与えてくれていま
 す。これも非常に有効な指標ですね。
 
 > しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛
 > せない。
 > なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
 > 疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
 > それは悪循環だ。
 
 これを読み返しながら、ただ「ありがとう」とPariさんにいうのみだな
 とおもわれました。
 こんなにメールが長くなってしまったけれど・・・・・・。
 
 若い人からの質問に答えるあなたの誠実さ、そして的確な思索の軌跡。
 
 夏雲わく空にえがかれた飛行機雲が金色に輝いて縁取られる夕雲とともに
 まなうらにやきついた残影のような印象として、この夏の思い出のひとこま
 となりそうです。
 
 真摯な営みというのは、こうして他の人間にも寄与するものなんですね。
 
 Love アカーム
----------------------------------------------------------------------

うーむ……。(-_-)

アカームさん、ありがとうございました。(-||-)

あまりにも褒められすぎで、厚かましくもみなさんにご紹介するのはちょっと
恥ずかしい、という感じもよぎりましたが、とは言え、これだけのお褒めの
言葉をご紹介しないのも、などと……。(^^;)

ありがたく掲載させていただきました。

> 真摯な営みというのは、こうして他の人間にも寄与するものなんですね。

と書いていただいたけど、本当にひとは、ひとりひとり別の宇宙に住んでいる
んですね。

アカームさんが感じたこと、ニサルガ師匠の言葉から得たもの、まったく独自
の音色のものだと思います。

不思議ですね。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


じつは今回、ずっと前にいただいて、そのまま失念していたメールをご紹介し
ます。

上海さん、掲載が遅れてご免なさい。

ただ、今回送っていただいたメールより、この再送していただいた最初のメー
ルの方が、上海さんの本来の意図が通じていいと思いました。

では、早速ご紹介します。

【件名】:いつも楽しみに拝読しています
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、初めてメール差し上げます。
 
 いつも楽しみに「アセンション館通信」拝読させて頂いていま
 す。正に継続は力なり、貴兄の2年以上にわたるこのメルマガ
 の運営には本当に頭が下がる思いです。
 
 さて、私は、個人的な悩みから、カルキ・バガヴァンの考えに
 出会い、その延長でいろいろな方との出会いがあったわけです
 が、お蔭様で当時の悩みも「主観的に」克服し、今は比較的安
 定した状態です。
 
 その助けとなった究極の一言に、今年の1月触れました。
 それまでの「文脈」があってはじめて理解でき受入れられる考
 え方なので、この究極の一言を他の方に紹介するのは躊躇して
 いましたが、貴兄のメルマガで「一つだけ大事なこと」という
 事に言及されている部分がありましたので、
 わたしの場合はこうですよ、というものをご紹介申し上げたい
 と思います。
 
 それは、
 
 「全ては台本通り」
 
 です。
 
 とことん、そうなのです。何かにぶつかった時、何か疑問に思
 ったとき、選択に迷ったとき、「そういう台本になっている」
 「とにかく台本通りに進む」「そういう選択をする台本になっ
 ている」・・・。「全ては台本通りに必然のタイミングで必然
 のことが起こる」のです。
 
 信じられないかも知れません。それでもいいのです。それはこ
 の情報に今のタイミングで触れ、「信じられないと言う気持ち
 になる」、という「台本」だからです。
 
 「現実の世」では、映画館で主人公に「感情移入」はできても、
 主人公そのものになることはできません。
 しかし、「人生」は貴兄もおっしゃっている通り、感情移入ど
 ころか、主人公に「自己同化」し、「自己同化」する前のこと
 を忘れてしまう、というリアル感付きの映画を見ているのだ、
 としたらどうでしょう。正に全ては「台本通り」に進むのです。
 
 この「超リアル3D映画」を「見ている」最中、あたかも、自
 分の意思で行ったり、選択したり、判断したりしたに「違いな
 い」という感覚を持つこともあるかと思いますが、それも、そ
 ういう感覚を持つ、という「台本」になっているのです。選択
 に迷ったとき、それはその場面において選択に迷う、と言う台
 本だし、選択した結果について不安になるのも、その場面にお
 いて不安になる、と言う台本だし、そして選択した結果も「台
 本どおり」なのです。その結果に満足するのも「台本通り」な
 ら、結果に満足できず後悔するのもこれまた「台本通り」だっ
 たのです。
 
 成長しようと目標をもってがんばるのも、そのときのその場面
 での「台本通り」だし、成長した自分に達成感を感じて悦にい
 るのも「台本通り」なら、成長できずに悶々とするなら、それ
 も「台本通り」だったのです。
 
 目標を持たずにだらだらと過ごしてしまうのも「台本通り」だ
 し、それで、改心してサクセスストーリーを送れば、それも元
 々「台本通り」、そのまま堕落していけば、それもまた同じく
 「台本通り」だったのです。
 
 これをお読みになって、「ふん!全て台本通りなんてあるもの
 か!」と思うのも「台本通り」ですが、そう思うこの情報にこ
 のタイミングで触れるのも、実は「台本通り」なのです。
 
 日常生活で、腹の立つ事に出くわします。「こいつは何でこう
 なんだ!」それも「台本通り」に起こり、「台本通り」に腹を
 立てたのです。
 
 会社を首になったらどうしよう・・・、そう「台本通り」に思
 い、首になろうが首がつながろうが、あくまで「台本通り」の
 結果になります。その過程で、「台本通り」に思いなおして仕
 事に命を賭け、「台本通り」に成果を挙げるか、努力が空回り
 して、結局大失敗をやらかして「台本通り」に首になるか、あ
 くまで「台本通り」に進みます。
 
 だから、過去を後悔したり、未来に不安を持つことは、「人生
 という映画の台本進行の過程において」しか意味を持ちません
 。今を淡々と体験するだけです。今、主人公と観客が一体化し
 て、自分が観客であったことを忘れた状態で人生という映画を
 鑑賞しているわけですが、全て台本通り、という情報を受入れ
 る受入れないにかかわらず、この情報(全ては台本通り)に触
 れた瞬間から、自分が実は観客と言う立場だったことを少しづ
 つ思い出していくのです。
 
 以上長々と書いてしまい、申し訳ありません。
 
 最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
 
 それでは、これからも引続き、「私はある館通信」がんばって
 ください(笑)、1ファンとして、ずっと応援させていただき
 たいと存じます。がんばってください。
 
 上海
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-;)

いやー、上海さん、「全ては台本通り」ですかぁ。

ある意味で、とても変わった世界を主宰なさっているんですねぇ。

もし、マインドで「全ては台本通り」と信じることによって、それだけでその
マインドが住む世界が前後断絶するほどに一変するのなら、それはそれで大変
な発明だと思いますが……。

ただ、マインドがその世界観を自分の発明品として記憶しているのだとすると、
もしかして、耐用年数みたいなものがあるかもしれませんね。

わかりませんが。

また何か変化がありましたら、よろしければ教えてください。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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【『予防接種トンデモ論』】

名前を聞けば誰でも知っている作家、第3回安吾賞が贈られた方もαス○○○
の愛用者なんだそうですね。(こういう有名人でも違反なのかな? (*^_^*))

『予防接種トンデモ論』(http://tinyurl.com/6otlzc)ただいま入手中なん
ですが、この本の“知識のワクチン”がとても重要らしいです。

ワクチンは免疫力を上げて病原体から守ってくれるものではなく、血液に直接
その毒を入れて、その病気の慢性状態にさせて逆にその毒と症状を深く体内に
潜伏させてしまうのだとか。

うーむ。(-_-;)

ノストラダムスの詩編に「偉大なパスツールが人類を死に至らしめる」とある
のは、ワクチンを意味していることが一目瞭然だそうです。

経団連は、全国民にワクチン、タミフルを、なんていう提言をしているんだ
そうですが、与党の提言を受けて、日本でも、プレパンデミックワクチンの
接種を世界に先駆けて開始してしまったんですね。

いや、こうなると、あまり世間に流されるのも実際ちょっと考え物かも。

“知識のワクチン”を知ることなく、安易にワクチンを受け入れてしまうの
は避けたほうがいいかもしれません。

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   オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。
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■ 4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』へのご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………


今回は、ハイアーセルフ33さんから、シェルダン・ナイドルからの最新版を
お知らせいただきました。

【件名】: シェルダン・ナイドルからの最新版
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 翻訳が上がっていましたのでお知らせいたします。
 http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20080812.htm
 
 スピリチュアル・ハイアラーキーと銀河連邦
 
 PAO : プラネタリー・アクティベーション・オーガナイゼーション[惑星活
 性化協会]から
 
 シェルダン・ナイドルからの最新版
 
 [ 8 Muluc, 17 Pop, 4 Eb ]
 
 [ 銀河暦:黄色い人の定義の年,ポップの月17日,赤い月を完全にする日,
 宇宙との調和 ]
 (地球西暦:2008年 8月12日)
 
       Selamat Jarin!
 ……
 
       皆さんの世界と、皆さんの肉体的な変化が、自身の知覚能力や、暮ら
 している世界の書き換えを進めています。皆さんの新しい現実は拡大してお
 り、かつて不可能と考えられていた事が、明白になってくるでしょう。例え
 ば、繁栄資金においては、単なる可能性というレベルから、投資家の持ってい
 る莫大なお金の金額を明らかにするという、現実の計画レベルまで進展しまし
 た。これらの資金は現在、天界と地球同盟者によって指令が出された時に、長
 く約束された富の分配を実行する責任を負う、特別なグループによって警備さ
 れています。この指令が下される日に、予想外かつ莫大な額の富が移動する、
 驚くべき事が起こるでしょう。現在裕福な投資家の中には、以前は財政的に乏
 しく世界の構造を作りかえる組織力に欠けていた、多くのライトワーカーが含
 まれています。富の分配が行われ、政治力が地球同盟者に移った後、新しい世
 界が実際に出現するでしょう!この新しい世界では、UFO隠ぺい工作は終わり
 を告げ、秩序ある地球規模のファーストコンタクトが行われるでしょう。
 
 ……
 
       Selamat Gajun! Selamat Ja!
     (シリウス語で「一つになれ!歓喜せよ!」)
 
     和訳 : Amistar☆
----------------------------------------------------------------------

はるさん、またまた、全文は掲載し切れませんでした。

ご興味のある方は、次のURLで全文をご覧になってください。
http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20080812.htm

> 現在裕福な投資家の中には、以前は財政的に乏しく世界の構造を作りかえる
> 組織力に欠けていた、多くのライトワーカーが含まれています。富の分配が
> 行われ、政治力が地球同盟者に移った後、新しい世界が実際に出現するでし
> ょう!

ほんとだと、それはそれで嬉しいですね。

はるさん、いつもご連絡ありがとうございます。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:だって、それが自分の実力なんだから。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

微かに不安がよぎるとき、「私は在る」……と思い出します。

たったこれだけのことですけど、ふっと肩に入りかけた力が抜けます。

自分の創造力以外に恐れるべきものはないんだということが思い出されて。

四六時中「私は在る」を覚えているのは、まだまだ遙か彼方です。

いいじゃないですか。

だって、それが自分の実力なんだから。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
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