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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.232 2008/9/14(第232号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1015名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.与太郎の幸福

2.写経ニサルガダッタ:【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】の2回目

3.いただいたお手紙から:良太さん、コマラさん、パールさん、
                    ハイアーセルフ33さん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:精一杯、賢いふりをすると……
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■ 1.与太郎の幸福
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すっかり空が高くなりましたね。

空の高いところにちょっと薄い鱗状の雲が見えるので、何という雲か調べてみ
ました。

「絹(巻)積雲」というらしいですね。
http://www.hi-ho.ne.jp/nasukaw/kumo/cc.htm

高度約6000メートル以上のところにできる氷晶の雲だそうです。

中学生の身でありながら親元を離れているのをいいことに、ひとりで映画を観
はじめたころ、『鰯雲』という映画を観たことがありました。

東宝のカラー映画でした。

当時はそれが成瀬巳喜男監督の映画だなんて知りませんでしたが。

でも、なぜか一種の印象が残っていて、もういちど観たいものだと思いながら
ずっと果たせないでいた映画のひとつでした。

ところが、それが最近NHKのBSで昼の時間に放映されたんですよ。

古い映画は、いまの年齢になってから観るとちょっとがっかりすることが多い
のですが、この映画はいい映画でした。

しかし、中学生がこの映画を観て何がわかったものやら……。(*-_-*)

だいいち、記憶とのあまりの違いに驚きました。

記憶のなかの映画では、杉村春子は淡島千景の母親だったはずなんです。

それで、その母親の杉村春子が淡島千景に逢う場面をもういちど観てみたいな
あ、と思っていたわけです。

(ちょっと『めし』の母親とごっちゃになっていたところがあるのかも。)

ところが、今度観てみると、実際は、杉村春子は淡島千景の兄の中村鴈治郎の
ずっと昔に不縁になった先妻だったんです。(@_@)

つまり、昔の兄嫁だったわけです。

そんなことすらわからずに観ていたんですからねぇ。(-_-*)

でも、なぜかそれがとても懐かしいような不思議な印象を残していたんです。

そうやって記憶を紡いで、自分の世界を創造していっているものなんですね。

『鰯雲』……。

毎年秋になると、ときどき記憶の中から引き出していました。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ところで、みなさん、初っ端からですが、ニサルガ師匠のこの挑戦的なメッセ
ージを、どう思われます?

----------------------------------------------------------------------
 苦痛の終焉(しゅうえん)は快楽のなかにはない。
 あなたが自分を苦痛も快楽も超えたものだと、超然として屈することなく気
 づくとき、幸福を追求することはやみ、結果として悲しみも消え去る。
 なぜなら、苦痛は快楽のあとを追い、快楽は容赦なく苦痛に終わるからだ。
 
                          『私は在る』(p164)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

ウーム……。(-_-;)

> 苦痛の終焉は快楽のなかにはない。

……思うんですけど、もしこれが本当のことだとしたら、それは、ちょっと、
われわれにとっても熟慮に値することなんじゃないでしょうか……。

ただ、その前に、言葉の意味を確認しておいたほうがいいですよね。

> 苦痛の終焉は快楽のなかにはない。

この「快楽」ですけど……、ここでの意味をちゃんと確認しておく必要がある
と思います。

で、このニサルガ師匠の言葉の場合は、こう続くわけです。

> あなたが自分を苦痛も快楽も超えたものだと、超然として屈することなく気
> づくとき、幸福を追求することはやみ、結果として悲しみも消え去る。

ということは……。

つまり、この場合の使い方では、「快楽」とは言っても、それは、通常われわ
れが追い求めている「幸福」そのものを指す、ということでしょうね。

ニサルガ師匠の場合は、「幸福」という言葉で、“欲望の満足”を意味すると
きと、“原因のない幸福”を意味するときがあります。

後者の意味では、もちろん、「至福」という言葉も使うわけですが。

で、この会話の文脈は、「快楽」=「幸福」の意味の場合ですよね。

だから「快楽」と言っても、何か特別に“肉体の愉悦”とか“快楽主義的”な
意味ではなくて、われわれが普通に求める「幸福」のことだと思います。

最近流行りの、いわゆる「成功」ほどではなくても、われわれがごくごく普通
に望む、安全で豊かな生活、という程度のものを含む概念でしょうね。

で、改めてそういう意味だと思って、このニサルガ師匠の言葉を確認してみま
しょうか。

> 苦痛の終焉は快楽のなかにはない。

そういうわれわれが普通に望む「幸福」を手に入れても、そのことで「苦痛」
が終わることはない、と、まあ、そういう意味だと思います。

> なぜなら、苦痛は快楽のあとを追い、快楽は容赦なく苦痛に終わるからだ。

と……。

……なるほど。(-_-;)

こういう言葉を読むと、いやー、それはこれまでの地球文明を前提にしての話
さ、アセンションして半霊半物質の世界に行ったら、不幸も苦痛もなくなるん
だよ……、とおっしゃる方もいるかもしれません。

そうかもしれません……。

……でも、どうなんでしょうね。

アセンションして半霊半物質の世界に行っても、もし現象があり、そこで展開
される映像のなかへの自己同化があったら……。

そして、その映像の一部に対する“好み”があり、依怙贔屓があり、取捨選択
があったら……。

もしそうなら……、やっぱり、その“好み”の場面を獲得した“喜び”はある
のかもしれない。

そして、もし“喜び”があるのなら、それが得られなかった“苦しみ”もある
と考えるほうが妥当じゃないか……。

それなら、程度の差はあれ、お釈迦さんがおっしゃる「四苦八苦」はすべて調
うのかもしれない。

【四苦八苦 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】
----------------------------------------------------------------------
 四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦しみの分類。
 
 根本的な苦しみを生・老・病・死の四苦とし、四苦に加え、
 
 * 愛別離苦(あいべつりく)- 愛するものと別れなければならない苦しみ
 * 怨憎会苦(おんぞうえく)- 憎んでいる対象に出会う苦しみ
 * 求不得苦(ぐふとくく)  - 欲しいものが得られない苦しみ
 * 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 心身の機能が活発なため起こる苦しみ
 
 の四つを加えて八苦という。
 http://tinyurl.com/6qs9cg
----------------------------------------------------------------------

もし、そうなら、やっぱり、

> 苦痛の終焉は快楽のなかにはない。

という、この言葉はすべて生きているのかもしれない……。(-_-;)

なぜなら、ニサルガダッタはこの「快楽」という言葉で、われわれが追求する
“幸福”そのものを指しているのだから。

そしてもし、アセンションした世界では、みんながより幸福になるとか、幸福
の比重が高まるとかいうことがあるとしたら、それはもしかしたら……。

幸福だけが増えて、不幸が減少する……からではなく、誰もが、幸福も不幸も、
快楽も苦痛も、たんに幻想にすぎないことを知っているその程度に応じている
だけではないのか……。(-_-;)

あ。(@_@)

(*^_^*)

脱線、脱線。^^;;

いや、知りもしない、アセンション後の世界なんて、この際、別にどうでもい
いのですが、ただ、

> 苦痛の終焉(しゅうえん)は快楽のなかにはない。
> あなたが自分を苦痛も快楽も超えたものだと、超然として屈することなく気
> づくとき、幸福を追求することはやみ、結果として悲しみも消え去る。

このニサルガ師匠の言葉は、別にアセンションしなくても、たった今、ここで、
了解可能なことなのではないか、と思ったのです。

たとえば、この言葉……。

----------------------------------------------------------------------
 幸福となるためにものが必要だと信じているかぎり、ものの不在によって不
 幸になるに違いないと信じることだろう。
 マインドはそれが信じることにしたがって形づくられるのだ。
 それゆえ人は、幸福になろうと駆りたてられる必要はないのだと確信するこ
 とが重要なのだ。
                          『私は在る』(p505)
----------------------------------------------------------------------

……。

なんかこれ、けっこう、訴えてくるようになったんですよ。

> 幸福となるためにものが必要だと信じているかぎり、ものの不在によって不
> 幸になるに違いないと信じることだろう。

たしかに……。

生存できなくなるかもしれない、と思うことは不安ですよね。

> マインドはそれが信じることにしたがって形づくられるのだ。

これは、いかにもわかりますよ。

われわれの世界が、われわれの“連想野”そのものによって創造され、構成さ
れるているのは、どうやら疑う余地はないようだし。

> それゆえ人は、幸福になろうと駆りたてられる必要はないのだと確信するこ
> とが重要なのだ。

うーむ……。(-_-)

“幸福になろうと駆りたてられ”なくてもいいのかぁ。

長い間の癖で、ついつい“次は?”って立ち上がっちゃうよなぁ。(-_-)

別に、いいわけかぁ。(;_;)

----------------------------------------------------------------------
 あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
 いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
 あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
 いだろうか?
                          『私は在る』(p258)
----------------------------------------------------------------------

そんな。(>_<)

----------------------------------------------------------------------
 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
 智慧なのだ。
                          『私は在る』(p??)
----------------------------------------------------------------------

> あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
> あなたに言おう。
> これが幸福の秘密なのだ。

え、そうなの? (@_@)

> あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
> 性に関するあなたの無知によるものなのだ。

ほんとに? (;_;)

> 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
> 智慧なのだ。

オガアジャ……。

----------------------------------------------------------------------
 思考と行為において、あなたの非依存性を主張しなさい。
 結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと確信するあ
 なた自身の信念にかかっているのだ。
 なぜあなたの信念を疑わないのか?
 この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたものだという
 ことは疑いないのだ。
 そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
 たとえ世界のなかにあろうとも、あなたの「私は在る」という感覚だけが、
 世界に属さないものだ。
 どのような理論や想像による努力によっても、「私は在る」を「私はいない」
 に変えることはできない。
 あなたの存在を否定することが自体が、あなたの存在を主張している。
 ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。
 あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!
 いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたもの
 であり、あなたはそれに束縛されないのだ。
 誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。
 それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
 想像を想像としてみなさい。
 そして恐れから自由になるがいい。         『私は在る』(p218)
----------------------------------------------------------------------

……。

(*^_^*)

エヘン。

「私は在る」だじょ。

あたいは、いるでしょ。

与太郎はバカだっていうやつもいるけど、あたいはバカじゃないよーだ。

あたいだって、あたいがいることくらい知ってるじょ。

それを知ってるだけだじょ。

……。(/_;)

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】の2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の部分の中に、章のタイトルとして採用された言葉が入っています。

そしてまた、結局、すべてがエッセンスとも言えるニサルガ師匠の言葉のなか
でも、ここにそのエッセンスのエッセンスが提示されているようです。

> 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
> を忘れるのだ。
> 結局のところ、世界とは何だろう?
> 記憶の集合だ。
> ひとつのことを固守しなさい。
> それが大切なことだ。
> 「私は在る」をつかみ取りなさい。
> そしてほかのすべてを手放しなさい。
> これがサーダナ(修練)である。

「世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
 を忘れるのだ」

“内側に入りなさい”と言われてきたことは、そういう単純なことだったんで
すね。

だとしたら、たしかに、自己を思い出し続けることが重要なはずです。

だから、「これがサーダナである」ということになるんだと思います。

では、【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 意識のなかには数多くの点が存在しています。世界もまた数多くあ
     るのでしょうか?
 
 マハラジ
 夢を例にとって見なさい。
 病院に多くの患者がいるとしよう。
 みな眠って、夢を見ている。
 病気という共通の要素を除いてはそれぞれが個人的な、無関係の、影響を互
 いに与えない夢のなかにいる。
 同様に、私たちも共通体験の現実世界から、想像によって私たち自身をひき
 離し、個人的な欲望や恐れ、想像や思考、観念や概念の雲のなかに私たち自
 身を囲み込んでしまったのだ。
 
 質問者 これは私にも理解できます。しかし、個人的世界の途方もない多様
     性の原因は何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 その多様性はそれほどのものではない。
 すべての夢はひとつの共通する世界の上に重ねられたものだ。
 ある程度までそれらは互いを形づくり、影響を与えあう。
 それにもかかわらず、基本的な統一性はそのすべてに作用している。
 その根底にはすべて、私が誰かを知らないという自己忘却があるのだ。
 
 質問者 忘れるには、人は知っていなければなりません。忘れる前に、私は
     誰なのかを知っていたのでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろんだ。
 自己を忘れることは、自己を知ることのなかに本来備わっているものなのだ。
 意識と無意識はひとつの生における二つの側面であり、それらは競争してい
 る。
 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
 を忘れるのだ。
 結局のところ、世界とは何だろう?
 記憶の集合だ。
 ひとつのことを固守しなさい。
 それが大切なことだ。
 「私は在る」をつかみ取りなさい。
 そしてほかのすべてを手放しなさい。
 これがサーダナ(修練)である。
 真我実現のなかには、覚えるものもなければ、忘れるものもない。
 すべては知られたものだ。
 思い出すことなど何もない。
 
 質問者 自己忘却の原因とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 原因はない。
 なぜなら忘却などないからだ。
 精神状態はひとつの状態から別の状態へと継続していく。
 それぞれが以前の状態を消し去っていくのだ。
 自己想起はひとつの精神状態であり、自己忘却は別の精神状態だ。
 それらは夜と昼のように、交互に入れ替わる。
 実在はその両方の彼方に在るのだ。
 
 質問者 忘れることと知らないことの間には、かならず違いがあるはずです。
     知らないということに原因はいりません。忘れるということは以前
     あった知識と、忘れる傾向と能力を前提条件としています。知らな
     いということの原因を調べることができないことは認めます。しか
     し、忘れることには何かの理由があるはずです。
 
 マハラジ
 知らないということはないのだ。
 忘れるということがあるだけだ。
 忘れることの何が間違っているというのだろう?
 忘れることは、覚えることと同じように単純なことだ。
 
 質問者 自分自身を忘れることは悲惨なことではありませんか?
 
 マハラジ
 自分自身をずっと覚えていることと同じように悲惨だ。
 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。
 それが自然な状態だ。
 覚えること、忘れること、どちらも思考と言葉に拘束されたマインドの状態
 なのだ。
 生まれるという考えを例にとって見よう。
 私は生まれたと言われた。
 私は覚えていない。
 私は死ぬだろうと言われた。
 私はそれを予期しない。
 私は忘れてしまった、あるいは想像力に欠けているのだとあなたは言うかも
 知れない。
 しかし、私にはけっして起きなかったことや、明らかに不可能なことを期待
 することはできない。
 身体は生まれ、身体は死ぬ。
 だが、それが私にとって何だというのだろう?
 身体は意識のなかで来ては去っていく。
 そして意識はその根底を私のなかに置いている。
 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。
 
 質問者 あなたは世界の根底に自己忘却があると言いました。忘れるために
     私は覚えなければなりません。覚えるために私は何を忘れたのでし
     ょうか? 私は、私は在るということを忘れてはいません。
 
 マハラジ
 この「私は在る」もまた幻想の一部分なのだ。
 
 質問者 なぜそう言えるのでしょうか? あなたに私が存在しないと証明す
 ることはできません。たとえ私が存在していないと納得させられても、私は
 存在しています。
 
 マハラジ
 実在は証明することも、反証することもできない。
 マインドの範疇(はんちゅう)では不可能であり、マインドを超えればその
 必要もない。
 実在のなかでは、「実在とは何か?」という疑問は起こらない。
 顕現(サグナ)と非顕現(ニルグナ)は別のものではないのだ。
 
 質問者 その場合はすべてが実在なのです。
 
 マハラジ
 私はすべてであり、私自身としてはすべてが実在だ。
 私を離れては何も実在ではない。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p111-113)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 意識のなかには数多くの点が存在しています。世界もまた数多くあ
>     るのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 夢を例にとって見なさい。
> 病院に多くの患者がいるとしよう。
> みな眠って、夢を見ている。

はい。

> 病気という共通の要素を除いてはそれぞれが個人的な、無関係の、影響を互
> いに与えない夢のなかにいる。

わかります。

> 同様に、私たちも共通体験の現実世界から、想像によって私たち自身をひき
> 離し、個人的な欲望や恐れ、想像や思考、観念や概念の雲のなかに私たち自
> 身を囲み込んでしまったのだ。

あ……、なるほど……。

神秘的なことは何もないんですね。(-_-;)

なんというか……、そういうことなら、わかります。

> 質問者 これは私にも理解できます。しかし、個人的世界の途方もない多様
>     性の原因は何なのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> その多様性はそれほどのものではない。

ほお。

> すべての夢はひとつの共通する世界の上に重ねられたものだ。

あ、なるほど。

> ある程度までそれらは互いを形づくり、影響を与えあう。

わかります。

> それにもかかわらず、基本的な統一性はそのすべてに作用している。

ふーん。

(これは、どういう意味なんだろう……? (-_-)

 というか、なぜ「それにもかかわらず、」なんだろう?
 
 基本的な枠組みは同じだが、われわれはそれに自分の連想野での解釈を投影
 しているという意味かな?
 
 それならわかるけど。)

> その根底にはすべて、私が誰かを知らないという自己忘却があるのだ。

なるほど、自分を忘れた者たちが投影しあっている世界なんですね。

> 質問者 忘れるには、人は知っていなければなりません。忘れる前に、私は
>     誰なのかを知っていたのでしょうか?

なるほど。

> マハラジ
> もちろんだ。
> 自己を忘れることは、自己を知ることのなかに本来備わっているものなのだ。

へー。

> 意識と無意識はひとつの生における二つの側面であり、それらは競争してい
> る。

そうなんですか。(@_@)

> 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
> を忘れるのだ。

あ、そういう意味ですか。

それなら、わかるような気がします。

> 結局のところ、世界とは何だろう?

(-_-)O

> 記憶の集合だ。

わかります。

> ひとつのことを固守しなさい。
> それが大切なことだ。

はい。

> 「私は在る」をつかみ取りなさい。

(@_@)

> そしてほかのすべてを手放しなさい。

あ。

> これがサーダナ(修練)である。

そうか……。

> 真我実現のなかには、覚えるものもなければ、忘れるものもない。

はい。

> すべては知られたものだ。
> 思い出すことなど何もない。

わかりました。

> 質問者 自己忘却の原因とは何でしょうか?

うん。

いい質問。

> マハラジ
> 原因はない。

え。(?_?)

> なぜなら忘却などないからだ。

アチャ。(>_<)

> 精神状態はひとつの状態から別の状態へと継続していく。

はい。

> それぞれが以前の状態を消し去っていくのだ。

あ、なるほど。

> 自己想起はひとつの精神状態であり、自己忘却は別の精神状態だ。

そういうことですか……。

> それらは夜と昼のように、交互に入れ替わる。

そうなんですか。

> 実在はその両方の彼方に在るのだ。

やっぱり。(@_@)

> 質問者 忘れることと知らないことの間には、かならず違いがあるはずです。
>     知らないということに原因はいりません。忘れるということは以前
>     あった知識と、忘れる傾向と能力を前提条件としています。知らな
>     いということの原因を調べることができないことは認めます。しか
>     し、忘れることには何かの理由があるはずです。

へー、理論派。

> マハラジ
> 知らないということはないのだ。
> 忘れるということがあるだけだ。

はは、覚者の自由自在。(^^;)

> 忘れることの何が間違っているというのだろう?
> 忘れることは、覚えることと同じように単純なことだ。

それは、そうだ。^^;

> 質問者 自分自身を忘れることは悲惨なことではありませんか?

たしかに。

> マハラジ
> 自分自身をずっと覚えていることと同じように悲惨だ。

これまた、覚者の自由自在。(^^;)

> 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。

うん? (@_@)O

> それが自然な状態だ。

ほー。

> 覚えること、忘れること、どちらも思考と言葉に拘束されたマインドの状態
> なのだ。

ああ、なるほど。

わかるような気がします。

> 生まれるという考えを例にとって見よう。

はい、お願いします。

> 私は生まれたと言われた。

はい。

> 私は覚えていない。

あ、なるほど。(@_@)

そういうことですね。

たしかに。

そう言われてみれば、わたしも同じです。

日にちと時間まで教えられましたっけ。

> 私は死ぬだろうと言われた。

はい。

> 私はそれを予期しない。

(>_<)

そこが、決定的に違う。(;_;)

そりゃ、そうだ……。

わたしは今のところ、マインドの住人だものなぁ。

> 私は忘れてしまった、あるいは想像力に欠けているのだとあなたは言うかも
> 知れない。

はい、たしかに。

> しかし、私にはけっして起きなかったことや、明らかに不可能なことを期待
> することはできない。

なるほど。

> 身体は生まれ、身体は死ぬ。

わかります。

> だが、それが私にとって何だというのだろう?

ああ……、そうか。

そういうことか……。

> 身体は意識のなかで来ては去っていく。

はい。

> そして意識はその根底を私のなかに置いている。

いや、そのことですが……、なにやら理解するようになってきました。

わたしがいなければ、この意識から成るわたしの世界は、存在できないわけで
すよね。

> 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。

そうか……。

それをはっきり、疑問の余地なく明言できるかどうかだけか。

> 質問者 あなたは世界の根底に自己忘却があると言いました。忘れるために
>     私は覚えなければなりません。覚えるために私は何を忘れたのでし
>     ょうか? 私は、私は在るということを忘れてはいません。

おお……。

> マハラジ
> この「私は在る」もまた幻想の一部分なのだ。

「私は在る」も、現象するためには、意識の一部分を構成しなければならない
わけですよね。

> 質問者 なぜそう言えるのでしょうか? あなたに私が存在しないと証明す
> ることはできません。たとえ私が存在していないと納得させられても、私は
> 存在しています。

そりゃそうだ。

> マハラジ
> 実在は証明することも、反証することもできない。

はい、実在はマインドではないから。

> マインドの範疇(はんちゅう)では不可能であり、マインドを超えればその
> 必要もない。

はい、この言い方、わかるような気がしてきました。

> 実在のなかでは、「実在とは何か?」という疑問は起こらない。

はい。

理屈としては、理解可能です。

> 顕現(サグナ)と非顕現(ニルグナ)は別のものではないのだ。

言葉の背景にはかならず沈黙があって、その沈黙が言葉を可能にしているから。

あるいは、顕現は、非顕現であるわたしなしには顕現できないから。

> 質問者 その場合はすべてが実在なのです。

なるほど。

> マハラジ
> 私はすべてであり、私自身としてはすべてが実在だ。

はい。

> 私を離れては何も実在ではない。

……そうか。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.いただいたお手紙から: 良太さん、コマラさん、パールさん、
               ハイアーセルフ33さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
      ↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)

勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;

ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。


        …………○…………○…………○…………


今回、久しぶりに良太さんからメールをいただきました。

それが、良太さんが「奇跡のコース」だけでなく、結構、「私は在る」のほう
にも付き合ってくださっているみたいなので、ちょっと驚きました。(@_@)

早速ご紹介します。

【件名】:また、たあいのないお便りでございます。 
----------------------------------------------------------------------
 パリさん、いつものことながらご無沙汰してます。僕は相も変
 わらず自虐的自我に完全同一化し、変わりばえのしないお粗末
 人生を再生し続けております。パリさんは如何お過ごしですか
 。なんて、パリさんの声は毎週届いてるので勝手に承知してい
 るつもりでいるんですけど。
 
 しかし毎週決まった人の話を聞き続けるということは、相当な
 影響力があるようです。頭の中常にパリトーショ節が駆け巡っ
 て、初恋以来かってくらいのパリさんの存在感なんですよー。
 もう、やんなっちゃいます。でもそれが僕を「私は在る」に結
 びつけてくれていると思うので、ありがたいと思わなければ・
 ・・
 
 そうそうメルマガを携帯電話の方でも登録したのですがデータ
 量が大きすぎるとかで始めの方の一部しか送信されてきません
 でした。そういうもんなんですかね。代わりにニサルガダッタ
 辞書のテキストを携帯電話に送って、携帯で読めるようにしま
 した。仕事の合間にポツポツ覗いています。以前の「最強の破
 壊者〜」よりかなり文書量多いので当分楽しめそうです。
 
 話が飛びますけど、ラマナ・マハルシの「あるがままに」とい
 う本は今手に入らないみたいですね。アマゾンで古書が1万円
 近くしてました。代わりに「不滅の意識」というやつを購入し
 たのですが、なんていうのか、やはり心安らぐ世界でよかった
 です。
 
 自分のこと自虐的とか書きましたが、じつは最近なんかすっか
 り毒気を抜かれて愛しの我がエゴ様もちょっぴり元気なくなっ
 てきてるんです。この世に対する色気は物欲を筆頭にそれ相当
 あるつもりなんですが、どこかでそういう欲求に自己同化しき
 れていないのかもしれないです。どこかから水が漏れてるよう
 で、想い満タン!になりきれないというか・・・いえ、正直に
 言えばそれが望むところだったんですから、よい兆候ではある
 んですけど。
 
 ただ、それが単なる自我の一時的なムードでしかない可能性も
 ありますよね。エゴの企てる真実と幻想の摺り替えはとても巧
 妙だとイエスはコースの中で執拗に訴えかけてました。とは言
 え、そんなことをグズグズ言っても仕方ないですもんね。あと
 はニサルガダッタの勧めるとおり「誠実に」取り組むだけなの
 かもしれないです。
 
 時々出てくる言葉ですが、
 
 「私を信じてほしい」。
 
 というのには泣きそうになります。
 
 「正確に、誠実にやりなさい。そうすれば結果はかならずやっ
 てくる」。
 
 この言葉を信じてみようと思います。
----------------------------------------------------------------------

良太さん、掲載させていただきました。

> 僕は相も変わらず自虐的自我に完全同一化し、変わりばえのし
> ないお粗末人生を再生し続けております。

またまた、相変わらずぅ。^^;

> パリさんは如何お過ごしですか。
> なんて、パリさんの声は毎週届いてるので勝手に承知している
> つもりでいるんですけど。

ええ、お陰様で、私の方もこんな調子で生きてます。

> しかし毎週決まった人の話を聞き続けるということは、相当な
> 影響力があるようです。頭の中常にパリトーショ節が駆け巡っ
> て、初恋以来かってくらいのパリさんの存在感なんですよー。
> もう、やんなっちゃいます。

はは、ご迷惑をおかけしてます。(^^;)

> でもそれが僕を「私は在る」に結びつけてくれていると思うの
> で、ありがたいと思わなければ・・・

うーん、そうだといいですけどね。

> 代わりにニサルガダッタ辞書のテキストを携帯電話に送って、
> 携帯で読めるようにしました。仕事の合間にポツポツ覗いてい
> ます。以前の「最強の破壊者〜」よりかなり文書量多いので
> 当分楽しめそうです。

何とまた! (*_*)

そんなに読んでいただいていたんですか。

ありがとうございます。<(_ _)>

> 話が飛びますけど、ラマナ・マハルシの「あるがままに」とい
> う本は今手に入らないみたいですね。アマゾンで古書が1万円
> 近くしてました。

そうなんですか。(@_@)

> 代わりに「不滅の意識」というやつを購入したのですが、なん
> ていうのか、やはり心安らぐ世界でよかったです。

あれは柳田先生の翻訳なので、とても優しい言葉遣いのマハルシですよね。

> 自分のこと自虐的とか書きましたが、じつは最近なんかすっか
> り毒気を抜かれて愛しの我がエゴ様もちょっぴり元気なくなっ
> てきてるんです。

あれま。

> この世に対する色気は物欲を筆頭にそれ相当
> あるつもりなんですが、どこかでそういう欲求に自己同化しき
> れていないのかもしれないです。どこかから水が漏れてるよう
> で、想い満タン!になりきれないというか・・・

でしょ、でしょ。

しかし良太さん、うまいこと言いますねぇ。^^;

そうなんですよ、やっぱりずっとニサルガ師匠の言葉を聴き続けていると、
そうそう真面目に欲もかけず、心配ばかりもできなくなるんですよね。

“欲望能力”“心配能力”が少しずつ破壊されていくというか……。

だって、どう頑張ったって、いつまでもこの肉体を維持できるわけじゃなし、
またいずれにしろ、永遠に「私は在る」んだと思うと、力入らないですよ。

> いえ、正直に言えばそれが望むところだったんですから、よい
> 兆候ではあるんですけど。

まあ、そうなんですよね。

> ただ、それが単なる自我の一時的なムードでしかない可能性も
> ありますよね。

なるほど。

鋭いですね。

> エゴの企てる真実と幻想の摺り替えはとても巧妙だとイエスは
> コースの中で執拗に訴えかけてました。

やっぱり、そうですか。(-_-;)

> とは言え、そんなことをグズグズ言っても仕方ないですもんね。

まあ、そうですね。

> あとはニサルガダッタの勧めるとおり「誠実に」取り組むだけ
> なのかもしれないです。

うーん、なんか、良太さん、すごい感じ。

> 時々出てくる言葉ですが、
> 
> 「私を信じてほしい」。
> 
> というのには泣きそうになります。

それは、また……。(@_@)

良太さん、けっこう、重症ですね。

> 「正確に、誠実にやりなさい。そうすれば結果はかならずやっ
> てくる」。
> 
> この言葉を信じてみようと思います。

ええ、これ、信じたいですよね。

ニサルガダッタは、何ひとつ神秘的なところがないのが、
本当にステキです。

良太さん、メール、ありがとうございました。

とても嬉しかったです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回は、こちらも久しぶりに、コマラさんからホメオパシー関連のメールをい
ただきました。

投稿フォームからでしたので事後承諾ですが、さっそくご紹介します。

【件名】:(ホメオパシージャパンから……)
----------------------------------------------------------------------
 パリさん、こんにちは。
 先週のアセ通を拝読してさっそくホメオパシージャパンから「36基本キッ
 ト」を購入したコマラです。
 私は屋久島に居るのですが、こちらで人口が2番目に多い安房(あんぼう)
 という町に、ホメオパシーに関心を持ち、すでに実践されている方のお店が
 あります。
 このお店には普通の薬局と変わらない商品と、ヴェレダ(Weleda)の美しい
 大小とりどりのビンが並べられており、それに加えて乾燥ハーヴの小袋が吊
 り下げられています。
 お店の方と話してみると、共通の話題があり、私の知らない屋久島情報も手
 に入るので、何度か足を運びました。
 私はそのお店でいつも「せんねん灸」を買っていたのですが、それはネット
 ・ショップで買った方が、割安なのにようやく気が付きました。
 それで、もうそのお店に行くことは無くなってしまっていたのですが、なん
 とパリさんのお陰でホメオパシーという共通点が生まれました。
 今度行く時には「36基本キット」を持参して、また話に花を咲かせようと
 目論んでいます。同じものを持っていらっしゃって、使い方を指導していた
 だけるといいなぁと想ったりもしています。
 パリ様にてはおいそがしいところ、私事を綴らせていただきました。(--)
 P.S. 投稿フォォームの行が不揃いでごめんなさい。
 ゴチョゴチョやってみましたが、うまく揃わないのであきらめて不揃いのま
 ま送ります。
----------------------------------------------------------------------

コマラさん、掲載させていただきました。

> パリさん、こんにちは。

お久しぶりです。(^^)/

> 先週のアセ通を拝読してさっそくホメオパシージャパンから「36基本キッ
> ト」を購入したコマラです。

なんと! (@_@)

相変わらず、勾配(購買? ^^;)、速いですねぇ。

> 私は屋久島に居るのですが、こちらで人口が2番目に多い安房(あんぼう)
> という町に、ホメオパシーに関心を持ち、すでに実践されている方のお店が
> あります。

え、その後、屋久島に移ったんですか? (@_@)

(聞くたびに違う土地にいるな、このひとは……。(-_-;) )

(^^;)

> このお店には普通の薬局と変わらない商品と、ヴェレダ(Weleda)の美しい
> 大小とりどりのビンが並べられており、それに加えて乾燥ハーヴの小袋が吊
> り下げられています。

「ヴェレダ(Weleda)」(?_?)

どうも最近は、日本語だけ知っていても会話についていけなくて。^^;;

ええと、【ヴェレダ】と。
http://www.weleda.jp/about/index.shtml

なるほど。

シュタイナーさんの関係なんですね……。

> お店の方と話してみると、共通の話題があり、私の知らない屋久島情報も手
> に入るので、何度か足を運びました。
> 私はそのお店でいつも「せんねん灸」を買っていたのですが、それはネット
> ・ショップで買った方が、割安なのにようやく気が付きました。

なるほど。

コマラさんはいつも何か買っていらっしゃる感じ。(^^;)

> それで、もうそのお店に行くことは無くなってしまっていたのですが、なん
> とパリさんのお陰でホメオパシーという共通点が生まれました。

そういうわけだったんですか。

> 今度行く時には「36基本キット」を持参して、また話に花を咲かせようと
> 目論んでいます。同じものを持っていらっしゃって、使い方を指導していた
> だけるといいなぁと想ったりもしています。

それは、きっと教えてくださるでしょうね。

> パリ様にてはおいそがしいところ、私事を綴らせていただきました。(--)

どうぞ、いつでも書いてくださいね。(^^)/

> P.S. 投稿フォォームの行が不揃いでごめんなさい。
> ゴチョゴチョやってみましたが、うまく揃わないのであきらめて不揃いのま
> ま送ります。

あ、このフォームは、書いた文章に特に改行を入れないでも、フォームのほう
で全角34文字にしてくれると思います。

ですから、何もしないで、そのまま書いた文章を投稿してください。

コマラさん、メール、ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回、パールさんからも、またまたちょっと変わった情報についてのお知らせ
メールをいただきましたので、さっそくご紹介します。

【件名】:LHCについて
----------------------------------------------------------------------
 pariさん おはようございます。
 昨日(11日)は日本、インドネシア、イランの3カ国で地震があったようです。
 
 そして、下記の様な記事が流れました。
 
 http://wiredvision.jp/news/200809/2008091123.html
 
 なにやら、ビッグバンの実験とやらを数週間後にやるとかいう LHC の
 稼動が10日に始まったということです。
 地震と関係あるのか?
 
 いよいよ、始まった〜 という感じがします。 
----------------------------------------------------------------------

パールさん、情報通ですねぇ。^^;

LHCって、大型ハドロン衝突型加速器 (Large Hadron Collider:ラージ・
ハドロン・コライダー) って言うんですか?

> いよいよ、始まった〜 という感じがします。 

いやー、何が始まったのかわかりませんが、相変わらずお元気ですねぇ。(^^)/

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回は、ハイアーセルフ33さんからも、ご意見の投稿をいただきました。

さっそくご紹介します。

【件名】:メルマガ掲載希望
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 メルマガを読んでいて気にかかったのですが、精神世界の話でよくいわれる
 
 「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
 
 ということについてです。
 
 私が知る限り、バシャールやラムサ、その他の高次存在からの情報によると、
 どの認識も「対等な真実」ということになり、「より正しい真実」というも
 のは特に存在しない、ということになります。
 
 この主張の背後にある洞察としては、
 
 何を認識しようと、それはひとつの「意識の状態」であって、それゆえに
 「真実」とは、認識主体の意識状態に他ならず、それ以外のものではない。
 
 したがってすべての認識は、「ひとつの意識状態」として対等・等価な真実
 ということのようです。
 
 ですからこうした見地からすると
 
 「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
 
 という、一見「絶対的な真実」のような思われている主張も、単にある視点
 からの、一方的な表明なのだという結論になってきます。
 
 (こうした意見はしばしば「啓発的な目的」をもって発言されています)
 
 以上のことを念頭において、下記のバシャールの発言を読んでみると、
 より理解が進み、中立的な視野が開かれてくるのではないでしょうか。
 
 *****************************
 
 バシャール×スドウゲンキ(P127)
 http://www.7andy.jp/books/detail/?accd=31987374
 
 (バシャール)
 ●覚えておいてください。より高いレベルで見たとき、「これか、あれ」で
  はなく、常に「これとあれ」なのです。つまり別の視点から見ると、どち
  らも真実なのです。
 
 (中略)低いレベルでは、まったく無関係に見えたり逆に見えたりすること
 も、より高いレベルから見ると、ものごとの間に常につながりがあるのが分
 かります。
 
 **********************************
 
 Love and Peace ハイアーセルフ33
----------------------------------------------------------------------

はるさん、掲載させていただきました。

ご意見メール、ありがとうございました。

m(_ _)m

……と、終えるべきかなぁ、とも思ったのですが。(*^_^*)

ここは議論の場でもなし、ただ、いただいたご意見はご意見として掲載すれば
それでいいかぁ……とも思いました。(^^;)

ただ、今回のメールの場合ですね、それをすると、あれ、特に意見を挟まない
とすると、pariさんも同じ意見なの (?_?)、と意外に思う方がいるかもしれな
い……、と思ったんですよね。

> ……精神世界の話でよくいわれる
> 「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
> ということ……

と言っても、そんな見解を述べているのは、このメルマガの話題の範囲では、
「ニサルガダッタ」や「ラマナ・マハルシ」や「『神の使者』のイエス」以外
にはいないわけですよね。

だとすると、たとえば、ニサルガダッタの観点が、

> 何を認識しようと、それはひとつの「意識の状態」であって、……

と括られているのを、わたしが黙認したことになってしまいます。

それほど根本的な誤解について黙っているというのは、やはりいけないのでは
ないかと、思いました。

いえ、はるさんが、ぼくはそう思う、というのなら、それで一向に構わなかっ
たのですが……。

> (こうした意見はしばしば「啓発的な目的」をもって発言されています)

とニサルガ師匠の意図まで代弁されると……。

これまで二年近くも“写経”を続けてきて、それじゃちょっと、みなさんにも、
ニサルガ師匠にも申し訳ないかな、と思えてきて……。

なぜなら、ニサルガ師匠が『私は在る』のなかで、いろんな言い方で繰り返し
述べていることの一側面は、たとえば、

----------------------------------------------------------------------
 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。
                          『私は在る』(p463)
----------------------------------------------------------------------

という言葉に代表されるからです。

もし、こういうことを断言する方のメッセージが、

> 何を認識しようと、それはひとつの「意識の状態」であって、……

と括られるのを黙認していたとなると、それはまるで、ニサルガダッタが自分
では“意識の外”に出たこともないのに、

> 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。

というような発言をしていると、わたしが見なしていることになります。

しかし、実際は、わたしは、ニサルガダッタがこれまで何度も、たとえば、

----------------------------------------------------------------------
 (私が住んでいるのは)存在と非存在を超えた、意識を超えた空のなかだ。
 
                          『私は在る』(p410)
----------------------------------------------------------------------

とか、

----------------------------------------------------------------------
 彼(仏陀)はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。
 それは明白だ。
                          『私は在る』(p400)
----------------------------------------------------------------------

とか、

----------------------------------------------------------------------
 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。
                          『私は在る』(p182)
----------------------------------------------------------------------

などと語ってきているのを知っているわけです。

夢から覚めた人間だけが、夢の世界が“存在しなかった”ことがわかる、と聞
かされています。

また実際、もしそうでなかったら“何の希望もないことになる”とまで聞いて
いるのに、その夢の世界の存在について、

> 「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
> 
> という、一見「絶対的な真実」のような思われている主張も、単にある視点
> からの、一方的な表明なのだという結論になってきます。

と結論づけられているのを、黙って見ているわけにもいかない、というところ
です。(^^;)

ニサルガダッタのメッセージは、要するに、

----------------------------------------------------------------------
 マインドがつくり出したことは、マインドが破壊しなければならない。
 あるいはマインドの外側に欲望はないと認識しなさい。
 そして外側にとどまりなさい。
                          『私は在る』(p183)
----------------------------------------------------------------------

ということです。

その同じことは、別の言葉で、

----------------------------------------------------------------------
 誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
 で生きているのだ。
 わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在性を否定することだけ
 だ。
                          『私は在る』(p226)
----------------------------------------------------------------------

というふうに表現されることもあります。

ニサルガダッタの場合、解放の希望は“意識の外”“世界の外”にとどまるこ
とにあるわけです。

> 何を認識しようと、それはひとつの「意識の状態」であって、それゆえに
> 「真実」とは、認識主体の意識状態に他ならず、それ以外のものではない。

というはるさんの総括は、『神対』の神さまなどが言う「神の外はない」とい
うことに根拠を置いているわけでしょう。

つまり“世界の外”はありえないし、“意識の外”もありえないのだと。

だから、ニサルガダッタの「実在の実現」という言葉を“実在の体験”としか
聴くことができないわけです。

しかし、“実在の体験”ということはありません。

なぜなら、「実在」とは知覚の対象にはなりえないものだからです。

それは、「実在」とは“知られるもの”を“知る者”だからです。

われわれは「実在」で、“ある”ことができるだけです。

なぜなら、「実在」こそが、「わたし」だからです。

“認識主体の意識状態”というのは、変化そのものです。

もし、「真実」という言葉で「実在」を指しているのなら、「実在」とは永遠
に“不動であるもの”のことです。

それは顕現の背景であり、非顕現であり、顕現を知る者であり、「わたし」で
あるものです。

その意味ではなく、単なる“一認識主体の意識状態”のことなら、『神対』の
神さまがおっしゃるように、その意味での“唯一の真実”など存在しないこと
はご存知のとおりです。

わたしは、ここで書いた言葉が、はるさんに通じるとは思っていません。

ここで語られたようなニサルガダッタの言葉は、理解しようとする意図なしに
理解できるような言葉ではないからです。

ただ、ここで書いたのは、わたしが黙って見すごすことを望まないかもしれな
い方々のことを思ってのことでした。

せっかく、ご意見を投稿してくださったのに、余計なことを言ったかもしれま
せん。

悪しからず、ご寛恕ください。

はるさん、ご意見の投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』へのご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………


今回も、ハイアーセルフ33さんから、シェルダン・ナイドル情報の更新を
お知らせいただきました。

【件名】: シェルダン・ナイドルからの最新版 2008年 9月 2日
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 翻訳が上がっていましたのでお知らせいたします。
 http://oneness-net.jp/pao-updates/index.htm
 
 ************************************************
 
 [ 3 Oc, 18 Uo, 4 Eb ]
 
 [ 銀河暦:黄色い人の定義の年,ウォの月18日,白い犬の活性化の日,献身 ]
 
 (地球西暦:2008年 9月 2日) 
 
 Selamat Jarin!
 ……

 ファーストコンタクトはまさに今、最終段階へと突入しています。皆さんの
 世界は、まだ闇の頑固な手に握られているように見えるでしょう。これらの
 コントロールが、未だ確かであることを、あらゆる所で見かけることができ
 ます。しかし、実際に、陰で我々が地球同盟者と呼ぶ世界連合に負け続ける
 間、闇は皆さんを束縛し続けるために、張り子の虎’を使用しています。
 ……
 
       Selamat Gajun! Selamat Ja!
     (シリウス語で一つになれ!歓喜せよ!」)
 
     和訳 : Amistar☆
----------------------------------------------------------------------

はるさん、今回も、全文は掲載できませんでした。

ご興味のある方は、次のURLで記事の全体をご覧ください。
http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20080902.html

はるさん、いつもご連絡ありがとうございます。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:精一杯、賢いふりをすると……
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

お陰様でと言うのか、毎週これだけのお喋りをすると、“お喋りマインド”は
ほぼ、空っぽになります。

精一杯、賢いふりをすると、さすがに、もうどうでもよくなります。^^;

ありがたいことです。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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