━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.233 2008/9/21(第233号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在1018名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.「意識」と「存在」の包含関係
2.写経ニサルガダッタ:【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】の3回目
3.いただいたお手紙から: パールさん、アクエンアテンさん
4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
5.編集後記:毎回、無責任な駄法螺を吹いているほうが……
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■ 1.「意識」と「存在」の包含関係
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昨夜の吹き荒れは、ここでは台風がかすったんでしょうね。
朝起きて新聞を取りに玄関の戸を開けると、吹き飛ばされた木の葉が、あたり
一面に散らばっていました。
……わたしが育った北海道は、あまり台風の来ないところでした。
だから、小学生のころのある秋の朝の印象は、とても鮮烈な記憶としてあとあ
とまで残りました。
顔を洗いに外に出たときに感じた不思議な空気の透明感……。
通りに出て見た、異様なほど透明な空間を吹き渡っていた風……。
道路のあちこちに見える水たまり、一面に散らばる木の葉……。
時を忘れて、はじめて見るその不思議な光景に吸い込まれていました。
あれが、はじめて体験した台風一過の朝だったのだと思います。
あんなふうに生きていたわけですね。
……でも、すぐにそれが記憶となって、既知を構成していく。
いつの間にか、人生というものがはじまっていく。
何も間違ってはいないのだろうけど……、なぜかすべては“苦さ”と“苦しみ”
となって身体の中に堆積していく。
「意識として在ることは苦しみなのだ」というのは本当だと思います。
いちど、そんなことを言ってもいいのか (@_@)、と思い至ってしまえば。
ただ、それが苦しみになるのは、“期待”と“想像”のせいが大きいのかもし
れませんね。
それがすべてを汚染していくのかもしれません。
いや、あるいは、それが汚染を増幅・加速していくのかもしれません。
……うん。(-_-;)
(@_@)
すぐに、物思いに耽ってしまって。(^^;)
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
……じつは、今日はちょっとブルーなんです。(;_;)
あまり好き勝手なことが書けない状況になっていて。
そんな悪いことをしたのかなぁ、とも思うんですけど……。
じつは、ちょっと議論じみた理屈を書かなければならない状況になっています。
そういう可能性が皆無ではないことも、予期してはいたんですけどね。
前回、ハイアーセルフ33さんのメールに、コメントしたのがやはり良くなか
ったようです。
早速、ハイアーセルフ33さんから質問状のようなものをいただきました。
無視することができるかどうかも、考えたんだけど。
でも、わたしに関するかぎりこういう議論を終わりにするためにも、やはり、
お答えしなければならないかな、と思いました。
また、お答えするとすれば、はるさんからいただいたメールのボリュームから
して、ここでお答えするしかないだろうな、と思ったというわけです。
下の方で再度べつにお答えするというのは、自分のエネルギーを考えても無理
だと思いました。
で、ここでお答えしようとは思うんですが、本当に議論には向かないマインド
になっています……。
ひとことでは、その理由を言えません。
自分の中でいろんな状況が輻輳していて、結果として、現在“議論”というよ
うなマインドの使い方に嫌悪感しか持てない状況がきているようです。
無理矢理ボクシングリングに引き出されるみたいな感じで。(;_;)
すでに鳩尾のあたりに不快感が湧出しています。
「應無所住而生其心(オウムショジュウニショウゴシン)」
まさにじゅうするところのうして、しかもそのこころをしょうずべし……。
しかしそれが、わたしが自ら創造している現実(=夢)であることもよく承知
しています。
「誰も強制はしていない」というニサルガ師匠の言葉が聞こえてきそうです。
わたしのなかにある自己同化が、ハイアーセルフ33さんが作ってくれた状況
をきっかけとして、浮上してきているだけなんですよね。
だから、現在の実力で可能なかぎり、その“嫌悪感”が自分ではないこと、そ
れが単なる自己同化の対象としての“画像”にすぎないことを覚えている機会
にするしかありません。
そして、自己同化を通じて幸福を獲得しようとする自らのエゴの策略を、その
努力の成り行きを、ただ観ているより仕方ないと思っています。
というか、できることなら、ただ明るく自分なりに誠実に、その質問にお答え
したいですけどね。^^;
それ以上を、わたしから期待できる人は誰もいないだろうし、いずれにしろ、
じつは、ひとつの“マインドの海”しか存在しないわけですから。
「投稿フォーム」からいただいた、ハイアーセルフ33さんの質問メールは、
こんな感じです。
----------------------------------------------------------------------
みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
前回の私の投稿にたいして、パリさんからお返事をいただきました。
ありがとうございます。
私が「根本的な誤解をしている」というパリさんのご意見がありましたの
で、この場をかりて釈明させていただきたいと思います。
それとパリさんは、最後に
「せっかく、ご意見を投稿してくださったのに、余計なことを言ったかも
しれません」といわれていますが、
そんなことないですよ。どんどん言ってください。
そうじゃないと私の楽しみが増えないじゃないですか(笑)
では、まず前回の私の文章を掲載させてください。
(ハイアーセルフ33)
--------------------------------------------------------------------
メルマガを読んでいて気にかかったのですが、精神世界の話でよくいわれ
る「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
ということについてです。
私が知る限り、バシャールやラムサ、その他の高次存在からの情報による
と、どの認識も「対等な真実」ということになり、「より正しい真実」と
いうものは特に存在しない、ということになります。
この主張の背後にある洞察としては、
何を認識しようと、それはひとつの「意識の状態」であって、それゆえに
「真実」とは、認識主体の意識状態に他ならず、それ以外のものではない。
したがってすべての認識は、「ひとつの意識状態」として対等・等価な真実
ということのようです。ですからこうした見地からすると
「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
という、一見「絶対的な真実」のように思われている主張も、単にある視点
からの、一方的な表明なのだという結論になってきます。
(こうした意見はしばしば「啓発的な目的」をもって発言されています)
--------------------------------------------------------------------
これにたいしてのパリさんのご意見は、私のいう
「何を認識しようと、それはひとつの「意識の状態」であって、……」
を「根本的な誤解」と言われています。しかし、しかし・・、
パリさんにお伺いしたいのですが、
何かの認識・洞察で、「意識状態」以外のものがありますか?(質問1)
私は、あらゆる洞察や認識は、すべて意識状態の「あるバージョン」
という理解です。これは私の直の認識です。
そしてパリさんから見て、私が「そのような誤解」をしている根拠
として、ニサルガダッタの以下のことばを引用されています。
(パリさん)***************************
なぜなら、ニサルガ師匠が『私は在る』のなかで、いろんな言い方で繰り返
し述べていることの一側面は、たとえば、
--------------------------------------------------------------------
意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
だが、あなたは人ではないのだ。
あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
だが、映像はあなたではない。
『私は在る』(p463)
--------------------------------------------------------------------
という言葉に代表されるからです。
(以上パリさん)*********************************************
ここでキーとなるのは、「意識」という言葉の定義です。
ニサルガさんがいう意識とは、正確には「意識状態(意識内容)」という
意味です。
そしてそれを体験・感受する主体を「私」という実体として、
「実在」と定義しています。(他のところで)
・・これは私も同じです。
ただし私は「真実」という言葉と「実在」を同義にはしていません。
ですからニサルガさんが、
「意識を人の全体像として見なすのは間違いだ」といっても、
「ああ、ここで言っているニサルガさんの、意識という言葉は
意識状態(意識内容)なんだな」ということで、なんらニサルガさんへ
の異議は私には生じてきません。
ただニサルガさんやパリさんの定義に対して、私は「意識」という以上、
認識主体の「私」と、「意識状態(意識内容)」の両方を含むものと理解
し定義しています。
私の直の認識からしても、「私」が「意識ではない」というのは、
まったくナンセンスに感じますから。
でも当然のことながら、「私」は「意識状態(意識内容)」ではありませ
ん。それを感受・認識する「主体」であり「実在」です。でも「それも意
識」です!
この視点(主体・実在)からすれば・・・すなわち認識主体が「自らに留ま
るとき」、そこに認識対象は発生しないのですから、この世界(認識対象)
は存在しないことになります。当然です。
「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
でもいま、より大切なポイントは、
「なぜある視点に立って言われているのか」を理解することではないでしょ
うか。
「この世界(認識される対象)は、実際は(真実には)存在していない」
という「主体」(実在)の視点から(そこに留まった視点から)、このよう
なことを高次意識体が言うのは、ひとえに私たちの多くがもっている、この
移り行く世界のみを
「唯一の本当の(真実の)世界」とする思い込みを解除し、
「より拡張した視点」に立てるように準備をするためではないでしょうか。
本気で「唯一、より正しい(本当)の真実」と信じてもかまわない
のですが、そうするとこのアセンションメルマガとしては、
ひとつの視点からの認識のみを、「より正しい(絶対の)真実とする視点を
選び取った」ということになります。いかがでしょうか?(質問2)
たしかに「認識」には、より拡張された意識、覚醒した意識からの認識なの
か、限定され目覚めていない意識からの認識なのか、の違いは当然あります。
しかしすべての認識は、「意識状態としてのもの」です。
認識主体(実在)が、自らにとどまった際の「何も存在しない」もです。
ですから「より拡張した視点」「包括的な視点」にたてば、
すべての認識・洞察は、「ひとつの意識状態」として
等価(等化)されます。いかがでしょうか?(質問3)
みなさんもこれを、直の認識として発見できると思います。
この視点に立てば、
どのような意識状態も(認識も)、その認識がそのときの
認識主体にとっての「本当の(絶対の)真実」となる、ということは
容易に理解できるのではないでしょうか。
くりかえしますが、
この「より拡張した視点」においては、
どのような認識も、たんに「ひとつの意識状態」です。
したがって「唯一正しい真実」とか「より正しい真実」といわれるものは
存在しない、ということになります。
このアセンションメルマガにおいては、ひとつの真実こそ「絶対正しい」、
あるいは「より正しい真実」という視点を選択するより、
すべての認識の「等価・対等性」を述べた方がよいのではないでしょうか。
今、この時期そうした視点の有用性を広められることが
アセンションをサポートするうえで、より大切なことと思います。
ご検討いただければ幸いです。
----------------------------------------------------------------------
ふーむ。(-_-;)
みなさん、わたしの窮状を察してください。(*^_^*)
こんなすごい質問状をもらったら、みなさんならどうします? (^_-)
「果たし状」を受け取った弱気の武士みたいに、逃げだしますか?
わたしもできることなら、そうしたいところです。
自分がそれほど、悪いことをしてるとも思っていなかったので……。
質問状の内容を見ても、自分がこれからしなければならないだろうことを思っ
ても、いまのわたしには嫌悪感しか湧きません。(;_;)
ただ、わたしが呼び出している現実(夢)であることだけは間違いないので、
その夢のなかで所定の動きをするしかないでしょうね。
この“所定の動き”はわたしの“内界”であり、わたしの心に浮かぶ嫌悪感を
含めたもろもろの思いはわたしの“外界”です。
では、夢のなかでの動きを始めます……。
> 前回の私の投稿にたいして、パリさんからお返事をいただきました。
> ありがとうございます。
そんな……。(^^;)
> 私が「根本的な誤解をしている」というパリさんのご意見がありましたの
> で、この場をかりて釈明させていただきたいと思います。
わかりました。
(「根本的な誤解」という言葉を書かなければ、この質問状はいただかなくて
もすんだのかも……。(*-_-*) )
> それとパリさんは、最後に
> 「せっかく、ご意見を投稿してくださったのに、余計なことを言ったかも
> しれません」といわれていますが、
>
> そんなことないですよ。どんどん言ってください。
> そうじゃないと私の楽しみが増えないじゃないですか(笑)
そうですか……。
では、はるさんの自己同化の“楽しみ”を増やすために、わたしまで自己同化
を強いられなくてもいいわけですね。
できるだけ自分の嫌悪感に自己同化しなくてもすむように努力します。
わたしは、ニサルガダッタの言葉がとても好きですが、自分がその口真似をし
ていい、とは思っていません。
なので、虎の威を借りることになりますが、なるべくニサルガダッタの言葉で
お答えするようにしますね。
それから、かなり長いメールなので、その引用をすべてダブらせて、返答を書
いたところ、まぐまぐ制限を大幅にこえてしまいました。(>_<)
ですから、引用の重複は最小限にさせてもらいますので、悪しからずご了解く
ださい。
> では、まず前回の私の文章を掲載させてください。
> ……
> これにたいしてのパリさんのご意見は、私のいう
> 「何を認識しようと、それはひとつの「意識の状態」であって、……」
>
> を「根本的な誤解」と言われています。しかし、しかし・・、
>
> パリさんにお伺いしたいのですが、
>
> 何かの認識・洞察で、「意識状態」以外のものがありますか?(質問1)
あります。
と、お答えしたいところですが、わたしの身分でそれをすると越権になるでし
ょうから (^^;)、わたしとしては、
あると思います。
とお答えしておきます。
その証明としては、たんに、
「沈黙は騒音には含まれない」、あるいは、「沈黙は騒音では表現できない」
という事実をあげておきます。
これは、ちょっとバージョンを変えると、
「光は色には含まれない」、あるいは、「光は色では表現できない」
という言い方に置き換えることもできるでしょう。
“沈黙と騒音”の言い方の場合なら、それを敷衍すると、
「自ら沈黙となることを騒音の体験に含むことはできない」とか、
「自ら沈黙となることは騒音の体験には置き換えられない」
ということを含意していると思います。
> 私は、あらゆる洞察や認識は、すべて意識状態の「あるバージョン」
> という理解です。これは私の直の認識です。
そうですか。
ニサルガダッタは、
> マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
> ない。(『私は在る』p282)
と言っているようですが……。
また、こんな言い方もしています。
----------------------------------------------------------------------
マインドは体系化と定義づけを切望し、つねに実在を言語的な形態のなかに
押しこもうと熱心なのだ。
すべてにおいてそれは観念を求める。
なぜなら、観念なしにマインドは存在しないからだ。
実在は本質的にひとりなのだ。
だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
そして、その代わりに忙しく実在について考えつづける。
ただ非実在を実在として見なすこと、それがマインドにできる唯一のことな
のだ。
『私は在る』(p376-377)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
……。(-_-)
こういう言葉は、もともと自ら聴こうとする人にしか聞こえない言葉なので、
はるさんを納得させることはないかもしれませんが……。
> そしてパリさんから見て、私が「そのような誤解」をしている根拠
> として、ニサルガダッタの以下のことばを引用されています。
> ……
> (以上パリさん)*********************************************
>
> ここでキーとなるのは、「意識」という言葉の定義です。
> ニサルガさんがいう意識とは、正確には「意識状態(意識内容)」という
> 意味です。
たしかに、その使い方が多いですね。
> ……
> ただニサルガさんやパリさんの定義に対して、私は「意識」という以上、
> 認識主体の「私」と、「意識状態(意識内容)」の両方を含むものと理解
> し定義しています。
それは、わかります。
わたしも以前、<意識>という表記で、意識の可能根拠を意味させていました
から。
> 私の直の認識からしても、「私」が「意識ではない」というのは、
> まったくナンセンスに感じますから。
さあ、これはどうでしょう?
> マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
> ない。(p282)
というような、そういう可能性もあるかもしれません。
> でも当然のことながら、「私」は「意識状態(意識内容)」ではありませ
> ん。それを感受・認識する「主体」であり「実在」です。でも「それも意
> 識」です!
これは、はっきり違うでしょうね。
(はるさんのいまのその思いは、それとしては、もちろん、“正しい”わけで
すが、ここではそれとは別の、精神世界での通念の意味ですけどね。)
「実在」とは唯一絶対的に存在しているもの、永遠不動の「常在」を表す言葉
だと思います。
著者あるいは翻訳者の言葉の選択によっては、「存在」と表現されることもあ
るでしょう。
はるさんが大好きなエンティティにバシャールがいますよね。
そのバシャールに『ニュー・メタフィジックス』という本があります。
https://www.ascensionkan.com/books/new-meta.html
この本の最初のところでバシャールは、顕現世界のすべてである“波動宇宙”
を構成する「5つの波動レベル」というのを説明しています。
----------------------------------------------------------------------
┌────────────┐
│ 5つの波動レベル │
├────────────┤
│ 存 在 │
│ │
│ 知 恵 │
│ │
│ 観 念 │
│ │
│ 感 情 │
│ │
│ 知 性 │
└────────────┘
これは上へ行くほど高い次元となっています。
『ニュー・メタフィジックス』(p19)
----------------------------------------------------------------------
この表のすぐ後のところで、バシャールは、「存在」について次のように語っ
ています。
----------------------------------------------------------------------
いわゆる「存在」には初めも終わりもありません。
皆さんの概念における「初め」から「存在」はありました。
ここで理解してほしいのは、「存在」とは本質的にそれ自体が完全な定義付
けとなっていることです。
時間または空間内のどの任意の点から見ても、常にそれ自身の定義となりま
す。
すなわち「存在は存在する」というだけなのです。
……
存在から派生したすべての概念、そしてそれらの概念から生まれたすべての
行動が分化していった様子を追っていきます。
そして最後に、存在自身の単純さへと戻っていきます。
存在から始まり存在で終わるわけです。
この初めと終わりの中間にあるものは、すべて存在自体の内部で起きている
相互作用と見ることができます。
それらの相互作用のたどるすべての道はゼロから始まりゼロで終わり、存在
自体がもつサイクルとその円の性質を完結します。
それでいて存在自体には始まりも終わりもありません。
存在は常に存在していましたし、これからも存在し続けるのです。
「存在」から最初に分化または派生するのは「知恵」、すなわち自己に対す
る気づき、自分自身が大いなる全てであるという気づきです。
これが「存在」から派生する第一番目のものです。
……
『ニュー・メタフィジックス』(p19-20)
----------------------------------------------------------------------
バシャールは(少なくともこの本のなかでは)「意識」という言葉をあまり使
いません。
しかし、以上の説明だけでも、充分に概念の包含関係はわかると思います。
たとえば、
> 「存在」とは本質的にそれ自体が完全な定義付けとなっていることです。
とか、
> 存在から始まり存在で終わるわけです。
> この初めと終わりの中間にあるものは、すべて存在自体の内部で起きている
> 相互作用と見ることができます。
という記述を見れば、包含がいちばん大きいのが「存在」であって、それ以下
の意識の諸相を感じさせる「知恵」「観念」「感情」「知性」はすべて、その
「存在」のなかに含まれているのが理解できます。
つまりバシャールの言葉では、「意識」は「存在」のなかにあるのであって、
「存在」=「意識」ではありません。
つまり、「存在」には「意識」になる潜在能力があったというだけであって、
「存在」には別に「意識」でなければならない義務も何もないわけです。
「存在」は、「意識」のことなど知ってすらいないかもしれません。
このバシャールが記述する「存在」の様相は、ニサルガダッタの語る「実在」
の概念とほとんど何の矛盾もなく重なり合います。
たとえば、次の部分では、ニサルガダッタの選択か、翻訳者の選択かはわかり
ませんが、通常「実在」が使われる部分に「存在」の訳語が使用され、
「世界」⊂「記憶」⊂「意識」⊂「気づき」⊂「存在」
までの、「意識」⊂「存在」の包含関係の様相が簡潔に記述されています。
----------------------------------------------------------------------
世界は記憶のなかに存在する。
記憶は意識のなかに現れる。
意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。
『私は在る』(p217)
----------------------------------------------------------------------
むろん、ここでは「意識」は“意識内容”(“見られるもの”)を表す言葉で
あり、「気づき」は“見る者”を表す言葉です。
しかし、それらはすべて「存在」の掌のなかにあって、「存在」は超絶的に、
ただひとり在るだけです。
> 実在は本質的にひとりなのだ。
わたしは、この言葉↑に「至福」の意味があるのではないかと思っています。
ところで、ニサルガダッタは“意識のはじまり”についてこう言っています。
----------------------------------------------------------------------
意識のはじまりに関して語ることはできない。
時間とはじまりという観念は意識のなかに在るのだ。
何であっても、そのはじまりに関して語るには、そこから外に足を踏みださ
なければならない。
そしてひとたび外に出れば、そのようなものはけっして存在していなかった
ことがわかる。
ただ実在だけが在り、そのなかにそれ自身として独立した存在を持つものは
ない。
波が海から分離することができないように、生きるものすべても存在に根づ
いているのだ。
『私は在る』(p151)
----------------------------------------------------------------------
> ひとたび外に出れば、そのようなものはけっして存在していなかったことが
> わかる……
と。
……。
> 本気で「唯一、より正しい(本当)の真実」と信じてもかまわない
> のですが、そうするとこのアセンションメルマガとしては、
>
> ひとつの視点からの認識のみを、「より正しい(絶対の)真実とする視点を
> 選び取った」ということになります。いかがでしょうか?(質問2)
えーと、わたしの感じを言うなら、はるさんのこういうスタンスが自分といち
ばん遠い気がします。(^^;)
たとえば、前回、はるさんがもし、
> (こうした意見はしばしば「啓発的な目的」をもって発言されています)
と書いていなかったら、わたしは多分、自分のコメントなど、いっさい書かな
かっでしょう。
誰もがそれぞれの思いで、表現しているだけなわけですから。
ただ、ニサルガダッタや、ラマナ・マハルシや、『神の使者』で紹介されたよ
うなイエスが、あたかも「啓発的な目的」で“単にある視点からの、一方的な
表明”をしている、かのような、はるさんの断定に反応しただけです。
いや、それは違うでしょう、と。(^^;)
たぶん、はるさんは、ご自分がとても「啓発的な目的」で発言される方なので
しょうね。
わたしがもし、上記のような断定をするとしたら、おそらく……。
ニサルガダッタが何カ所か「私は啓発的な目的でこのような発言をするのだ」
と言っているところを、確認してからにするだろうと思います。
ところが、ニサルガダッタはどこでも、そんなことは言っていません。
それどころか、“私が何かの目的を持っているように見えるかもしれないが、
私には何の目的もない”という類のことを繰り返し言っています。
はるさんが、何を根拠にあのような断定をするのか知りませんが、これまでず
っとニサルガ師匠のお世話になった自分が黙認するのもと思っただけです。
で、ご質問の、
> 本気で「唯一、より正しい(本当)の真実」と信じてもかまわない
> のですが、そうするとこのアセンションメルマガとしては、
>
> ひとつの視点からの認識のみを、「より正しい(絶対の)真実とする視点を
> 選び取った」ということになります。いかがでしょうか?(質問2)
ですが、わたしは基本的に、その時々に、自分が好きなこと、自分が書きたい
ことを書いているだけです。
“このアセンションメルマガとして”どうすべきか、というような発想はあり
ません。
縁があり、また面白いと思った方は読むかもしれませんが、つまらなければ読
むのをやめるでしょう。
だから、メルマガの趣旨でも、「内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は
相当変わってますね」と断っています。
はるさんには、「啓発的な目的」でそういう書き方をするのだと思われてしま
うのかもしれないけれど……。(^^;)
だから、このはるさんの「質問2」には“答えようもない”という感じです。
> ですから「より拡張した視点」「包括的な視点」にたてば、
> すべての認識・洞察は、「ひとつの意識状態」として
> 等価(等化)されます。いかがでしょうか?(質問3)
うーん。(-_-;)
わたしの方言でも、“宇宙内のあらゆる生き物の、あらゆる思いは正しい”と
いうのはあります……。
ただ、それは、顕現宇宙の内部のお話なんですよねぇ。
そして、いちどそのマインドの外側というものの存在の可能性を知ったら。
そして、こんな言葉を聞いたら……。
----------------------------------------------------------------------
マインドがつくり出したことは、マインドが破壊しなければならない。
あるいはマインドの外側に欲望はないと認識しなさい。
そして外側にとどまりなさい。
『私は在る』(p183)
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
もしそんなことが可能なのなら、できることなら……と思いますね。
そういう場所(連想野)からこのはるさんの「質問3」を読めば、われながら
あまり縁がないというか……。
ただ、何かを答えようと思って、一生懸命読んでみると、やっぱり、浮かび上
がってくるのはさっき引用したニサルガダッタの言葉ですかねぇ。
> だがマインドは体系化と定義づけを切望し、つねに実在を言語的な形態のな
> かに押しこもうと熱心なのだ。
> すべてにおいてそれは観念を求める。
> なぜなら、観念なしにマインドは存在しないからだ。
> 実在は本質的にひとりなのだ。
> だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
> そして、その代わりに忙しく実在について考えつづける。
> ただ非実在を実在として見なすこと、それがマインドにできる唯一のことな
> のだ。(p376-377)
すみません。m(_ _)m
> 今、この時期そうした視点の有用性を広められることが
> アセンションをサポートするうえで、より大切なことと思います。
>
> ご検討いただければ幸いです。
わたしとしては、可能なかぎり誠実に答えたつもりです。
ただ、正直、はるさんの言葉がとても遠く聞こえます。
たぶん、これ以上、質問などいただいても仕方がないと思います……。
そういう意味では、わたしのことはお見捨ていただけるとありがたいです。
(あ、もちろん、これまで通り、ご意見・情報の投稿は歓迎ですよ。(@_@) )
では、よろしくお願いします。<(_ _)>
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】の3
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
インド人にも、「(世界が神の戯れだという)リーラ」の概念が好きでない人
がいるんですね。
この質問者の方は、とっても真面目な方みたいです。
でも、ニサルガダッタの対応はいつもどおり、まったく変わりません。
自然な案配はあるんだろうけど、妥協というのは感じられません。
今回の場所では、今さらとも言えるんだけど……、
> 自分の存在に完全に気づいていなさい。
> そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
> あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
> どめるために幸福の感覚を失うのだ。
この言葉が、改めて新鮮でした。
では、【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】の3回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 私には世界が過ちの結果だとは感じられません。
マハラジ
完全な調査の後にのみそう言えるだろう、その前ではない。
もちろん、あなたが識別し、実在ではないものをすべて捨て去ったとき、後
に残るものが実在なのだ。
質問者 何か残るものがあるのでしょうか?
マハラジ
実在が残る。
だが、言葉に惑わされてはならない。
質問者 遙かなる昔から、無数の誕生を通して、私は自分の世界を構築し、
改善し、理解してきました。それは完全でもなく、非実在でもあり
ません。それはプロセスなのです。
マハラジ
あなたは考え違いしているのだ。
世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。
あらゆる瞬間において、それはあなたの反映にすぎない。
あなたが創造し、破壊するのだ。
質問者 そしてふたたび構築し、改善するのです。
マハラジ
改善するには、それを反証しなければならない。
人は生きるために死ななければならない。
死を通る以外に再生はありえない。
質問者 あなたの世界は完全かもしれません。私の個人的世界は改善してき
ているのです。
マハラジ
あなたの個人的宇宙は、それ自体では存在しないのだ。
それはただ単に実在のかぎられた歪(ゆが)んだ見方だ。
改善が必要なのは宇宙ではなく、あなたの見方なのだ。
質問者 あなたはどう見るのでしょうか?
マハラジ
それは世界というドラマが演じられているステージだ。
重要なのは演技の質だけだ。
何を役者が語り、演じるかではなく、どのように彼らが語り、それを演じる
かが重要なのだ。
質問者 私には世界創造が神のリーラ(戯れ)でしかないという、この概念
が好きになれません。私はむしろ、世界を私たちが組み立てる仕事
場に比べるでしょう。
マハラジ
あなたは深刻にとらえすぎなのだ。
遊戯の何が悪いのだろう?
あなたが未完成であるかぎり、目的を持たざるをえない。
それまでは完全、完成が目的だ。
しかし、内面と外面を統合して自分のなかで完全になれば、そのときあなた
は宇宙を楽しむのだ。
そのために働くことはしない。
統合されていないものにとって、あなたはたいへんな努力とともに働くよう
に見えるかもしれない。
しかし、それは幻想なのだ。
スポーツマンは途方もない努力をするように見える。
だが、彼らの動機はすべて、遊ぶこととそれを誇示することなのだ。
質問者 神はただ戯れているだけで、目的のない行為に従事していると言う
のでしょうか?
マハラジ
神はただ真実と善だけではない。
彼はまた美しくもある(サティヤム―シヴァム―スンダラム)。
彼は喜びのために美をつくり出すのだ。
質問者 それならば、美が彼の目的ではありませんか?
マハラジ
なぜ目的を持ち出すのだろうか?
目的は活動、変化、未完成を暗示する。
神は美を目標にしているのではない。
何であれ、彼の行うことが美なのだ。
あなたは花が美しくあろうと試みていると言うだろうか?
その本質自体が美しいのだ。
同じように、神も完成を目指して努力しているのではなく、神は完成そのも
のなのだ。
質問者 美のなかで目的はそれ自体を満たすのです。
マハラジ
何が美しいのだろう?
何であれ美しいと感じるのは、至福に満ちて知覚されたときだ。
至福が美の本質なのだ。
質問者 あなたはサッチターナンダ(存在―意識―至福)について語ってい
ます。私は在るということは明白です。私は知っているということ
も明白です。しかし、私は幸福であるということは、まったく明白
ではありません。私の幸福はどこへ行ってしまったのでしょう?
マハラジ
自分の存在に完全に気づいていなさい。
そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
どめるために幸福の感覚を失うのだ。
質問者 私たちにとって二つの道があります。努力の道(ヨーガ・マールガ)
と安楽な道(ボーガ・マールガ)です。どちらも解放という同じゴ
ールに導きます。
マハラジ
なぜボーガを道と呼ぶのかね?
どうして安楽が完成をもたらすことができるだろう?
質問者 完全に放棄する人(ヨーギ)は実在を見いだすでしょう。完全に楽
しむ人(ボーギ)もまたそこに達するのです。
マハラジ
どうしてそうありうるだろう?
それらは反駁しあっているのではないだろうか?
質問者 両極は出会うのです。完全なボーギとなることのほうが、完全なヨ
ーギになるよりも困難なのです。私は素朴な人間です。大胆にもの
ごとの価値評価をすることはできません。ヨーギもボーギも、結局
は幸福を求めているのです。ヨーギは永遠の幸福を求め、ボーギは
断続的幸福に満足します。しばしばボーギはヨーギよりも厳しい苦
労をするのです。
マハラジ
働き、闘いとらねばならないような幸福に何の価値があるのかね?
真の幸福は自発的で自然なものだ。
質問者 生きるものはみな幸福を探しています。異なるのは方法だけです。
ある人は内面を探し、それゆえヨーギと呼ばれ、ある人は外面を探
し、それゆえボーギだと非難されるのです。それでも彼らは互いを
必要とするのです。
マハラジ
喜びと苦痛は交互に入れ替わるものだ。
幸福は揺らぐことがない。
あなたが探し求め、見つけだすものは本物ではない。
けっして失ったことのないもの、譲渡できないものを見いだしなさい。
『I AM THAT 私は在る』(p113-115)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> 質問者 私には世界が過ちの結果だとは感じられません。
ふふ、このひとの気持ちはわかりますよね。^^;
> マハラジ
> 完全な調査の後にのみそう言えるだろう、その前ではない。
このあたりは、ニサルガダッタ、ラマナ・マハルシ、『神の使者』のイエスは
まったく妥協がないですね。
> もちろん、あなたが識別し、実在ではないものをすべて捨て去ったとき、後
> に残るものが実在なのだ。
なかなか自分には出会えない。(-_-;)
> 質問者 何か残るものがあるのでしょうか?
まったく。
> マハラジ
> 実在が残る。
はい。
> だが、言葉に惑わされてはならない。
アチャ。(>_<)
んなことを言われたって、こちとら言葉だけが頼りなんだから、ぶつぶつ。
> 質問者 遙かなる昔から、無数の誕生を通して、私は自分の世界を構築し、
> 改善し、理解してきました。それは完全でもなく、非実在でもあり
> ません。それはプロセスなのです。
おう。
このひとはこういうタイプの……。
> マハラジ
> あなたは考え違いしているのだ。
はい。
> 世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。
わかります。
> あらゆる瞬間において、それはあなたの反映にすぎない。
ここんところが、いまいち……。
> あなたが創造し、破壊するのだ。
なんか……、すこーし、感じが掴めてきたような。(-_-)
> 質問者 そしてふたたび構築し、改善するのです。
うん。
> マハラジ
> 改善するには、それを反証しなければならない。
へー。
どういう意味だろう?
よくわからん。
> 人は生きるために死ななければならない。
この言葉、聞こえ始めてはいるのですが。
> 死を通る以外に再生はありえない。
はあ……。
ただ、どういう意味の包含なのやら。
> 質問者 あなたの世界は完全かもしれません。私の個人的世界は改善してき
> ているのです。
ちょっと強気。(^_-)
> マハラジ
> あなたの個人的宇宙は、それ自体では存在しないのだ。
「それ自体では存在しない」……、どういう意味?
> それはただ単に実在のかぎられた歪(ゆが)んだ見方だ。
ああ、なるほど。
了解です。(^-^)(←そんな……、わかったようなふりしていいの? (^_-))
> 改善が必要なのは宇宙ではなく、あなたの見方なのだ。
はい。
たった今、すべては完璧なんですよね。
わたしの「見方」いがいは。
> 質問者 あなたはどう見るのでしょうか?
素直な質問……。
> マハラジ
> それは世界というドラマが演じられているステージだ。
なるほど。
> 重要なのは演技の質だけだ。
っとぅ……、ここの意味はちょっとわかりません。
> 何を役者が語り、演じるかではなく、どのように彼らが語り、それを演じる
> かが重要なのだ。
いやー、やっぱり、わかりません。
とんと、意味を結ばない。
> 質問者 私には世界創造が神のリーラ(戯れ)でしかないという、この概念
> が好きになれません。私はむしろ、世界を私たちが組み立てる仕事
> 場に比べるでしょう。
このひと、とても真面目なかたね。(@_@)
> マハラジ
> あなたは深刻にとらえすぎなのだ。
たしかに。(^_-)
> 遊戯の何が悪いのだろう?
そうですよ。
> あなたが未完成であるかぎり、目的を持たざるをえない。
あ、そういうことなのか……。(@_@)
なるほど。
覚者方に目的がないわけだ。(-_-)
> それまでは完全、完成が目的だ。
わかりました。
> しかし、内面と外面を統合して自分のなかで完全になれば、そのときあなた
> は宇宙を楽しむのだ。
なんか、特等席。(^_-)
> そのために働くことはしない。
わかります。
> 統合されていないものにとって、あなたはたいへんな努力とともに働くよう
> に見えるかもしれない。
> しかし、それは幻想なのだ。
ふーん。
> スポーツマンは途方もない努力をするように見える。
お……。(@_@)
> だが、彼らの動機はすべて、遊ぶこととそれを誇示することなのだ。
ああ、なるほど。
そういう意味ですか。
それはわかります。
イチローさんなんか、まさにそんな感じだよなぁ。(-_-)
でも、それなりに、時にはかなりのストレスもあるみたいだけど。
> 質問者 神はただ戯れているだけで、目的のない行為に従事していると言う
> のでしょうか?
真面目な方としては、ちょっと不満だよね。(^_-)
> マハラジ
> 神はただ真実と善だけではない。
うん?
> 彼はまた美しくもある(サティヤム―シヴァム―スンダラム)。
ああ……。
> 彼は喜びのために美をつくり出すのだ。
こういうことを突然言い出すのが覚者だよなぁ。(*^_^*)
> 質問者 それならば、美が彼の目的ではありませんか?
おう。
> マハラジ
> なぜ目的を持ち出すのだろうか?
うん。
> 目的は活動、変化、未完成を暗示する。
たしかに。
> 神は美を目標にしているのではない。
> 何であれ、彼の行うことが美なのだ。
決めてるぅ。(^_-)
> あなたは花が美しくあろうと試みていると言うだろうか?
まったくです。
> その本質自体が美しいのだ。
はい。
> 同じように、神も完成を目指して努力しているのではなく、神は完成そのも
> のなのだ。
わかりました。
ね、わかったでしょ? (^^;)(←余計なこと言うなって。(^_-))
> 質問者 美のなかで目的はそれ自体を満たすのです。
けっこう、理論派だね、このひと。(-_-)
> マハラジ
> 何が美しいのだろう?
(-_-)O
> 何であれ美しいと感じるのは、至福に満ちて知覚されたときだ。
あ……。(@_@)
> 至福が美の本質なのだ。
(-||-)
> 質問者 あなたはサッチターナンダ(存在―意識―至福)について語ってい
> ます。私は在るということは明白です。私は知っているということ
> も明白です。しかし、私は幸福であるということは、まったく明白
> ではありません。私の幸福はどこへ行ってしまったのでしょう?
このひとのいうこと、わかる。
> マハラジ
> 自分の存在に完全に気づいていなさい。
うん?
> そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
そんな……。(-_-)
そうなんですか?
> あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
> どめるために幸福の感覚を失うのだ。
(*_*)
ほんとに?
……ちょっと、時間をください。(-_-)
> 質問者 私たちにとって二つの道があります。努力の道(ヨーガ・マールガ)
> と安楽な道(ボーガ・マールガ)です。どちらも解放という同じゴ
> ールに導きます。
そうか……インド人か、このひとは。
> マハラジ
> なぜボーガを道と呼ぶのかね?
このへんは、ニサルガ師匠はまったく妥協がないですよね。
> どうして安楽が完成をもたらすことができるだろう?
はい。
> 質問者 完全に放棄する人(ヨーギ)は実在を見いだすでしょう。完全に楽
> しむ人(ボーギ)もまたそこに達するのです。
うん……、これがこのひとの理論か。
> マハラジ
> どうしてそうありうるだろう?
> それらは反駁しあっているのではないだろうか?
言葉の意味は、いまいちわからないけれど、でもこのへんは、ニサルガ師匠の
視野は明晰だから……。
> 質問者 ……しばしばボーギはヨーギよりも厳しい苦労をするのです。
あなたのことを“素朴な人間”と思う日本人は、きっといないよ。(^_-)
どうしてどうして、たいへんなマインド派だと思いますけど。
> マハラジ
> 働き、闘いとらねばならないような幸福に何の価値があるのかね?
ああ……。
いささかも、ぶれない。(*-_-*)
> 真の幸福は自発的で自然なものだ。
はい。(-_-)
> 質問者 生きるものはみな幸福を探しています。異なるのは方法だけです。
> ある人は内面を探し、それゆえヨーギと呼ばれ、ある人は外面を探
> し、それゆえボーギだと非難されるのです。それでも彼らは互いを
> 必要とするのです。
なるほど。
> マハラジ
> 喜びと苦痛は交互に入れ替わるものだ。
はい。
> 幸福は揺らぐことがない。
(@_@)
……「揺らぐことがない」ものを「幸福」と言うんですね。
> あなたが探し求め、見つけだすものは本物ではない。
(この「あなた」は、一般人称の「you」だな。
かならずしも、なくてもいいかも……。)
> けっして失ったことのないもの、譲渡できないものを見いだしなさい。
はい。(;_;)
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
…………○…………○…………○…………
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■ 3.いただいたお手紙から: パールさん、アクエンアテンさん
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お気が向いたときに、たまに何か書いていただけると嬉しいです。
なにか、ご要望など伺えるとありがたいです。
E-mail:pari♪jk2.so-net.ne.jp
↑ここは“@”にしてくださいね。(*^_^*)
勝手に掲載させていただくかもしれません。もちろん、掲載は困る、と書いて
おいていただければ、そんなことはしませんが。^^;
ハンドル名(=ここでの掲載名)もお願いしますね。
…………○…………○…………○…………
今回、久しぶりにパールさんからメールをいただきました。
掲載のご了解を得ましたので、早速ご紹介します。
【件名】:新米の収穫が近づきました。パール
----------------------------------------------------------------------
pari様
いつもメルマガ有難うございます。
私のどうでもいい情報も掲載して頂き、大変有難うございます。
台風13号がうろうろしながらどうやら、九州への上陸はないかな、という
段階になり、ほっとしています。
台風草というのがあるそうです。
知人の方から、今年は台風が来ない と聞きました。
なぜかと言うと、台風草が教えてくれる と言うのです。
春5月頃、今年の夏台風が来るか、来ないかはその草が教えてくれる。
今年は台風が来ないと草が教えてくれた。
と言うことで、今年は台風年ではないと安心していました。
ところがこの13号昨日まで、九州に上陸するのではないかと、とても不安
でしたが、どうやら、免れたようです。台風草はうそをつかない♪♪♪
先ほど、夕方6時頃は虹が、二重に出ていて、台風は来ないと確信しました。
お米は今年も無事育っています。
土作り、苗作り、田植え当日、とス○○○を撒いたせいか、今までにない大
きな稲株に育ち、これなら今年は豊作だと、期待していました。
6月7月の好天が続き、しかし、8月、一転して気温の低い雨ばかりの日々
となり、稲を直撃しました。
穂の所々が、受粉していても実がつかない。
そして稲の幹の所に島模様が! 菌核病が入ってしまい、稲の下葉が枯れて
います。
豊作のつもりが例年とおりの収穫量ではないかと思います。
でも、8月の雨対策をすれば、豊作も夢ではなない。来年はどうすればいい
か、と早、来年に思いは馳せています。
5月頃、大豆と小豆を植えました。
しかし、大豆は外郭が小さく出来ただけで、実が入っていません。
小豆は、外郭さえ出来ていません。
なぜだろう?????
何かしら私達に分からない所でも異常が生じ始めているのではないかと思え
ます。
ジュセリーノの予言が当たらなくてほっとしています。
しかし、いよいよこれから大変な状況が生じるようです。
「1414(いよいよ)の大峠」をお読みください。
http://arcturusprobe.jugem.jp/?day=20080919
お米は10月始め頃に収穫します。
----------------------------------------------------------------------
パールさん、掲載させていただきました。
> いつもメルマガ有難うございます。
こちらこそ、いつも読んでいただいて。
> 私のどうでもいい情報も掲載して頂き、大変有難うございます。
(^^)/
> 台風13号がうろうろしながらどうやら、九州への上陸はないかな、という
> 段階になり、ほっとしています。
お米を作っている方はそうですよね。
> 台風草というのがあるそうです。
ほう。
> 知人の方から、今年は台風が来ない と聞きました。
> なぜかと言うと、台風草が教えてくれる と言うのです。
なるほど。
> 春5月頃、今年の夏台風が来るか、来ないかはその草が教えてくれる。
> 今年は台風が来ないと草が教えてくれた。
> と言うことで、今年は台風年ではないと安心していました。
そうでしたか。
> ところがこの13号昨日まで、九州に上陸するのではないかと、とても不安
> でしたが、どうやら、免れたようです。台風草はうそをつかない♪♪♪
それはすごい。(*^_^*)
> 先ほど、夕方6時頃は虹が、二重に出ていて、台風は来ないと確信しました。
よかったですね。^^;
> ……
> 穂の所々が、受粉していても実がつかない。
> そして稲の幹の所に島模様が! 菌核病が入ってしまい、稲の下葉が枯れて
> います。
ありゃ。
> しかし、大豆は外郭が小さく出来ただけで、実が入っていません。
> 小豆は、外郭さえ出来ていません。
> なぜだろう?????
> 何かしら私達に分からない所でも異常が生じ始めているのではないかと思え
> ます。
なるほど。(-_-;)
> ジュセリーノの予言が当たらなくてほっとしています。
そうですね。
9月の大地震の予言も当たらなかったようで。
> しかし、いよいよこれから大変な状況が生じるようです。
うむ。
> 「1414(いよいよ)の大峠」をお読みください。
> http://arcturusprobe.jugem.jp/?day=20080919
なんかパールさん、元気な感じ。(^_-)
ありがとうございました。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
今回、アクエンアテンさんという方から、投稿メールをいただきましたので、
さっそくご紹介します。
【件名】:「世界を変える本」
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はじめまして。
以前からメールマガジンを読ませていただいておりました。
共感する内容も多くあり、パリさんは非常に積極的に3次元での探求をされ
てらっしゃるなあと感心することしきりです。
さて、自分の宣伝のようになってしまいますが、私の著作である、「世界を
変える本」が明窓出版から先月発売されました。きっとこの本に書かれた内
容は、パリさんの興味ある分野でもあると思います。私の情報のソースは
様々ですが、一般的には神秘体験とか覚醒体験という体験を通じた情報がほ
とんどです。
是非読んでいただきたいと思いメールいたしました。
よろしくお願いいたします。
本のサイト:http://www.meisou.com/books_data/00279/00279.htm
----------------------------------------------------------------------
アクエンアテンさん、掲載させていただきました。
> 以前からメールマガジンを読ませていただいておりました。
ありがとうございます。
> この本に書かれた内容は、パリさんの興味ある分野でもあると思います。
この頃、わたしはそのへんの食欲がすっかり衰えてしまって。(^^;)
でも、ご興味のある方がご覧になると思います。
アクエンアテンさん、ありがとうございました。
m(_ _)m
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【ス○○○体験談:生理痛】
今回も、数ある体験談の中から、掲載させていただきます。
福井のY・Yさんは30数年間苦しみ続けた生理痛がありました。子宮の先天的
な奇形が原因なので、医師も「手術か鎮痛剤しかない」とさじを投げました。
ところがαス○○○を飲み始めて3ヶ月ほど経つと薬もいらなくなっているこ
とに気がつき、大変喜んでおられます。医師もあきらめた痛みが消えるとは、
本当に奇跡の体験ですね。
▼【解毒・抗酸化サプリ】DVD資料請求フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P31478903
[注]なお“ス○○○”と伏せ字にしているのは、興味を引くためではなく、
オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。
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■ 4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』へのご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
…………○…………○…………○…………
今回も、ハイアーセルフ33さんから、シェルダン・ナイドル情報の更新を
お知らせいただきました。
【件名】: シェルダン・ナイドルからの最新版 2008年 9月 9日
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みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
翻訳が上がっていましたのでお知らせいたします。
http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20080909.html
……
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はるさん、今回は、ぎりぎり詰めています。
ご興味のある方は、次のURLで記事の全体をご覧ください。
http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20080909.html
はるさん、いつもご連絡ありがとうございます。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
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■ 5.編集後記:毎回、無責任な駄法螺を吹いているほうが……
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昔は議論じみたことが結構好きだったこともあるんですがねぇ。
いつの間にか、マインドで作れるものに少しずつ興味を失っていくようです。
毎回、無責任な駄法螺を吹いているほうが、性に合ってきたみたいで。
不思議なもんですね……。
それでは、おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセンション館通信』連続配信依頼フォーム”
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