home > 通信 > 『アセンション館通信』第246号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.246 2008/12/21(第246号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 978名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.濁流のなか間近を流れる細い紐

2.写経ニサルガダッタ:【16 無欲、最大の至福】の2回目

3.いただいたお手紙から: 或る私さん

4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:今現在、「ない」の状態へ戻ろうとするたゆまない「意識」
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■ 1.濁流のなか間近を流れる細い紐
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今日は雲ひとつない素晴らしい晴天です。

それに暖かい。

たまたま恵まれているからこのような暖かな日の光を感じていられるのか……。

それとも、もともとすべてはそのようなものなのか……。

あるいは、それもつかの間の光景にすぎないということか。

いや、いずれにしろ知覚に映るものはすべて“汚れ”にすぎないのでしたね。

はは、これはいいや。(^^)/

“汚れ”が美しいものであろうと、醜いものであろうと、平和なものであろう
と、混乱の極みであろうと、さして問題にする必要はないわけです。

……。(-_-)

いや、それもこれも、いま一瞬、この肉体の生存を安全に保てている間の感想
かもしれません。(-_-;)

いえ……、でも、この肉体から離れることは、それはそれでまた、とても気楽
なことでもあるような……。

なにしろ、腹を減らして“餌”を欲しがるやつがいないわけですから……。

となると……、エゴという幻想を保つこともできなくなるわけか。(-_-)

すると、心配する必要もなくなってしまうような……。

それでも、たぶん、わたしはいるだろうしな……。

そして、もし、わたしがいなくなっていたとしたら……。

(-_-)

はは、それこそ、最高じゃん。(^^;)

うーむ……。(-_-;)

そんなことじゃ、今の今、心配する“種”がないじゃん。(@_@)

それじゃ、困ってしまう!? (*@_@*)

誰が困ってるって……? (^_-)

(*^_^*)

相変わらず、バカな連想を楽しんでいます。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

「私は在る」ったって、別にこれ、人さまの意図を無視して、強引に心の中に
割り込んでいこうって話じゃないんですよね。

とおっても慎み深くて、気にしなければ、誰の邪魔にもなリませんから。

たいていのかたは、普段自分がそんなものを持っていることも意識しません。

まず、そんな「在る」なんて当たり前のものをつかもうとも思いませんし。

この世の何者かに「成る」夢のなかで、大活躍して忙しいわけですから。

“もっと上を目指して”いかなきゃなりません。

“夢を膨らませ”ているわけですから。

近々、アセンションも来ることですしね。(^_-)

夢は膨らむ一方です。

ただね、“夢の膨らむ”世界は、なかなか厳しい面もありますよね。

この世の浮き沈み、痛ましい過去と不安な未来、それをすべて“現実”として
受け入れて、その上でなおかつ、そこで何者かに「成る」夢を紡がなくちゃな
らないわけですものね。

大変です。

そのなかで、この世の波にさらわれて、恐怖と不安に胸押しつぶされるほどの
状況ではじめて、その存在が知られるものかもしれません。

はじめは、自分の“外側”からくるわけですよね。

濁流に押し流されるような状況のなかで、藻掻き回って手当たり次第になんで
も掴む。

まずは、たいていは濁流と一緒に押し流されている藁のようなものでしょう。

掴んだって、何の足しにもなりません。

でも、いつか濁流のなかでいつも身近を流れている細紐に手が触れて、とにか
く必死で掴む……。

濁流のなか、つねに間近を流れている細い紐……。

「私は在る」です。

ところが、見かけの頼りなさ、貧相さにもかかわらず、これが意外と手応えが
ある……。

それまで濁流に翻弄され、押し流されていた身をグッと引きとめてくれる。

こんな貧相な細紐が……(@_@)、意外や意外です。

掴まった一瞬、濁流は流れているのに、自分は流れていないことに気づく。

「私は在る」……。

一瞬、ふっと肩の力が抜ける。

「私は在る」

でも、貧相な細い紐です。

「私は在る」なんてものに掴まっていたって、何の腹の足しにもならない。

それにそんなものに掴まっていたら、手がふさがって濁流を泳ぐこともできま
せん。

そんなものに掴まっている間にも、たくさんの“貴重”で“重要”なものが目
の前を流れていくようです。

あれに乗り遅れないようにしなくちゃ。(@_@)

いつかまた、濁流を泳いでいる。

いや、こっちの水は、濁流じゃなくて清流になってきた、なんていう声も聞こ
えてくる。

なんか素晴らしいお祭りがあるようでもある。

あっちの方に行かなきゃ。

あの人の方がもっと先を行っている。

あの人の方がもっとスマートに泳いでいる。

あの人の泳ぎ方のほうがもっと立派だ。

自分にはあんなふうには泳げない。

それに生きて行くだけで、どうしてこんなに大変なんだ。

ああ、押し流される……。(>_<)

ふっと、いつも同じように身近を流れている貧相な細紐の存在を思い出す。

あ、あれがあったんだ。(@_@)

掴まった瞬間、濁流は流れているのに、自分は流れていないことに気づく。

「私は在る」……。

一瞬、肩の力が抜ける。

別に世界の何が変わったわけでもありません。

濁流は流れ続け、自分の身体もそのなかで押し流されている。

でも、自分の注意の焦点が「私は在る」に合い、その細紐を掴んだ瞬間……。

濁流は流れているのに……自分は流れていないことに気づく……。

ふっと、肩の力が抜ける……。

ただ、一瞬、世界の見方が変わるだけ。

同じように世界は轟音とともに時空の中を流れている。

でも、その世界を見ているのは、感じているのは、映しだしているのはわたし
……です。

それは、確か。

わたし在るがゆえに、すべては在る。

「私は在る」……。

誰もわたしから、この「在る」を奪うことはできない……、その不思議さが、
ふと心(マインド)に染み込んでくる。

心なしか、少し掴んでいる「私は在る」の紐が太くなってきたような気もする。

でも、この紐を掴んだからと言って、わたしは何も失うわけではなさそうです。

そちらに注意を向ければ、同じように世界はあり、わたしは濁流に翻弄されて
いる。

わたしは何も失っていない。

……そうか。(-_-)

いつでもこの濁流に戻って、“夢を膨らませる”ことはできるんだ。

わたしは「私は在る」の紐を掴むことで、なにひとつ失うわけではないんだ。

ただ……、夢を紡げば、わたしは濁流に押し流され、翻弄されている。

濁流が、リアル(現実)なわけだから。

それは、確か。

わたしは濁流のなかで、何者かになろうとして夢を膨らませ、惨めに敗退し、
濁流に押し流される……。

濁流のなかで、寄る辺なく翻弄され、ちっぽけな何者かとして、広大な世界で
彷徨う……。

世界のなかの何者かであること、多次元宇宙のなかの何者かであること……。

それは全体のなかの“ちっぽけな”何かになるということなんだ……。(-_-;)

その“「成る」夢”のなかで頑張り、夢を膨らませれば、わたしはいつか濁流
に押し流され、翻弄されている。

そして、濁流に押し流されながら、どうしてこんなことになってしまったのか
と、息も絶え絶えに、藻掻き、絶望する……。

でも、ふと、つねに間近にある「私は在る」の紐に気づけば、そしてそれを掴
めば、わたしはたちまち実在とつながり、力強くグッと引き止められる。

濁流は流れて続けているけれど、わたしは流れていない。

「私は在る」、でも、わたしは「現れ」ではない……。

「現れ」は、わたしに対して現れるだけ。

すべては、わたし「在る」がゆえに在る……。

……。(-_-)

そうか……、そういうことだったのか。

「私は在る」を掴んでも、わたしは何を失うわけでもないんだ。

この濁流はわたしが動かしているわけではないのだから、わたしがそのなかで
藻掻かなくても、勝手に流れているんだ。

だから、「私は在る」を掴んでも、わたしはこの濁流を失うわけではないんだ。

いつでも、この濁流はあるんだ。

輝かしい多次元宇宙は、そのすべての栄光と汚辱、優美さと残虐とともに、夢
の存在を保って浮かんでいるんだ。

わたしが心配することはないんだ。

失うものは何もないんだ。

心なしか、貧相な「私は在る」の紐はまた少し太さを増したようでもあります。

「私は在る」の紐は、いつでもわたしのすぐそばを流れている。

いや、ことによったら、わたしのなかを流れているのかもしれない。

だから、心配しなくていいんだ。

すべての栄光と汚辱を抱えた輝かしい多次元宇宙のなかで、何者かに成る夢を
紡ぎたいのなら、好きなだけ夢を観て、夢を膨らませればいいんだ。

でも、夢のなかであまりにも苦しくなったら、きっと誰かが、「私は在る」と
教えてくれるのかもしれない。

すべては、あなたが在るがゆえに在るのだ、と……。

すべては、あなたが観ている夢なのだから。

夢に興味を失えば、夢から覚めるのは、あなたの元々の権利だ。

実在しているのは、あなただけなのだから、と。

好きなだけ迷って、好きなだけ“ちっぽけな”存在の制限を楽しんで、何者か
になって、そして耐えられない存在の不条理を感じたら、醒めたらいい。

すべては、あなたに起こっている。

すべては、あなたが在るがゆえに在る……。

実在するのは、あなただけなのだから。

「私は在る」

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【16 無欲、最大の至福】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

質問者は、気弱なパフォーマンスで迫りますが、マハラジの対応は、いつもと
同じく、ブレることなく誰に対しても最高を求めます。

その感じが、とても淡々とした感じで聞こえますね。

わたしにとっては、やはり、

> 「私は在る」だけが永遠に変わらず、知覚できるものすべては一時的なはか
> ないものだという知識のなかに、揺らぐことなく在りなさい。

という道が、自分の命綱だなと再確認された状況でした。

では、【16 無欲、最大の至福】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 それがいけないことでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの目的は小さく低次のものだ。
 それはより以上を求めない。
 神のエネルギーだけが無限だ。
 なぜなら、神は自分自身のために何も求めないからだ。
 彼のように在りなさい。
 そうすれば、すべての欲望は満たされるだろう。
 目標が高く、望みが広大なほど、あなたはより多くのエネルギーを得るだろ
 う。
 すべての人のためを想って望みなさい。
 そうすれば、宇宙はあなたとともに働くだろう。
 だが、もしあなたが自分の喜びのために欲するなら、それを得るためにつら
 い努力をしなければならない。
 欲する前に、受けるだけの価値ある人になりなさい。
 
 質問者 私は哲学、社会学、そして教育の研究をしています。真我の実現の
     夢を見る前に、より精神的成長が必要だと思うのです。私の考えは
     正しいでしょうか?
 
 マハラジ
 生活の糧(かて)を得るには、ある特殊な知識が必要だ。
 一般的な知識が思考の発展を促すことは間違いない。
 だが、もしあなたが知識を蓄えることで人生を送るならば、あなたは自分の
 まわりに壁を築くだけだろう。
 マインドを超えるために飾りたてられたマインドは必要ない。
 
 質問者 では、何が必要なのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドを信頼せず、それを超えていきなさい。
 
 質問者 マインドの彼方に、私は何を見いだすのでしょうか?
 
 マハラジ
 存在の智慧(ちえ)と愛の直接体験だ。
 
 質問者 どうすればマインドを超えていけるのでしょうか?
 
 マハラジ
 スタート地点は数多くあるが、それらはすべて同じゴールに導く。
 あなたは行為の結果を放棄しながら、私利私欲のない仕事からはじめるかも
 しれない。
 そしてマインドを放棄し、最後にはすべての欲望を放棄するかもしれない。
 ここでは、放棄が作用する要因だ。
 あるいは、あなたは欲することも、考えることも、為すこともすべて気にと
 めず、「私は在る」という思考と感情の内にとどまり、マインドのなかで確
 固として「私は在る」に焦点を合わせるかもしれない。
 あらゆる類の体験があなたに訪れるだろう。
 「私は在る」だけが永遠に変わらず、知覚できるものすべては一時的なはか
 ないものだという知識のなかに、揺らぐことなく在りなさい。
 
 質問者 全人生をそんな修行に費やすことはできません。私には義務と仕事
     があります。
 
 マハラジ
 もちろん職務に励みなさい。
 感情的に巻き込まれず、有益で、苦しみをともなわない仕事は、あなたを因
 果的に束縛しない。
 あなたはいくつもの分野に従事し、途方もない熱情とともに仕事をしながら
 も、内面ではその影響を受けずに、すべてを映しだす鏡のように自由で静か
 なマインドを保つかもしれない。
 
 質問者 そのような状態が実現可能なのでしょうか?
 
 マハラジ
 もしそうでなければ話しはしない。
 なぜ私が絵空事を言うだろうか?
 
 質問者 誰もが聖典を引用します。
 
 マハラジ
 聖典のみを知る者は、実際には何も知らない。
 知ることとは、在ることだ。
 私は、私が言っていることを知っている。
 それは人から聞いたことでも、読んだことでもない。
 
 質問者 私はある教授のもとでサンスクリット語を学んでいます。でも、本
     当はただ聖典を読んでいるだけなのです。私は真我の実現を探求し
     ており、必要な指導を受けに来たのです。どうか、どうすればよい
     か教えてください。
 
 マハラジ
 聖典を読んだのなら、なぜ私に尋ねるのかね?
 
 質問者 聖典は一般的な指示を示しますが、個人は個別の指導が必要です。
 
 マハラジ
 あなた自身があなたの究極の師(サットグル)だ。
 外側の師(グル)は、ただの道しるべにすぎない。
 あなたの内なる師がともにゴールまで歩いてくれるだろう。
 なぜなら、彼がそのゴールだからだ。
 
 質問者 内なる師には簡単に出会えません。
 
 マハラジ
 彼はあなたのなかにいるのだ。
 困難であるはずがない。
 内側を見なさい。
 彼はそこにいる。
 
              『I AM THAT 私は在る』(p69-71)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 それがいけないことでしょうか?

この質問は、前回の写経部分の最後にあったマハラジの言葉

> あなたは無限のエネルギーの供給がなくなったのだ。

に対する応答です。

> マハラジ
> あなたの目的は小さく低次のものだ。
> それはより以上を求めない。

厳しいけど、まあ、こういうことを当人に代わって代弁してくれるのは、グル
しかいないわけですよね。

> 神のエネルギーだけが無限だ。
> なぜなら、神は自分自身のために何も求めないからだ。
> 彼のように在りなさい。

うーむ。(-_-)

マハラジは誰も区別しないから、それだけに誰に対してもつねに要求水準が高
いですよね。

高いというより、むしろ最高水準。

「神は自分自身のために何も求めない。彼のように在りなさい」なんて……、
こんなことを言ってくれる人は、他にはいないわけです。

誰もそこまでは言えないわけだから。

> そうすれば、すべての欲望は満たされるだろう。

そうか……。

> 目標が高く、望みが広大なほど、あなたはより多くのエネルギーを得るだろ
> う。

はい。

> すべての人のためを想って望みなさい。

(;_;)

> そうすれば、宇宙はあなたとともに働くだろう。

はい。

> だが、もしあなたが自分の喜びのために欲するなら、それを得るためにつら
> い努力をしなければならない。

なるほど……。

たしかに。

> 欲する前に、受けるだけの価値ある人になりなさい。

やっぱり……、そういうわけか。(-_-)

> 質問者 私は哲学、社会学、そして教育の研究をしています。真我の実現の
>     夢を見る前に、より精神的成長が必要だと思うのです。私の考えは
>     正しいでしょうか?

うーむ。

こんな問いには、マハラジはどんなふうに答えるんだろう。

> マハラジ
> 生活の糧(かて)を得るには、ある特殊な知識が必要だ。
> 一般的な知識が思考の発展を促すことは間違いない。

はい。

> だが、もしあなたが知識を蓄えることで人生を送るならば、あなたは自分の
> まわりに壁を築くだけだろう。

そうか……。

鎧もプライドも背負(しょ)い込んじゃうしなぁ。

> マインドを超えるために飾りたてられたマインドは必要ない。

そうなんだ。

> 質問者 では、何が必要なのでしょうか?

うん。(-_-)O

> マハラジ
> マインドを信頼せず、それを超えていきなさい。

ギョ。(*_*)

そうくるか……。(-_-)

> 質問者 マインドの彼方に、私は何を見いだすのでしょうか?

うん。(-_-)O

> マハラジ
> 存在の智慧(ちえ)と愛の直接体験だ。

ほぉ。

> 質問者 どうすればマインドを超えていけるのでしょうか?

うん。(-_-)O

> マハラジ
> スタート地点は数多くあるが、それらはすべて同じゴールに導く。

なるほど。

> あなたは行為の結果を放棄しながら、私利私欲のない仕事からはじめるかも
> しれない。

これは、わたしには難しそう……。(*-_-*)

> そしてマインドを放棄し、最後にはすべての欲望を放棄するかもしれない。

なるほど。

> ここでは、放棄が作用する要因だ。

そういう道もあるわけだ。

> あるいは、あなたは欲することも、考えることも、為すこともすべて気にと
> めず、「私は在る」という思考と感情の内にとどまり、マインドのなかで確
> 固として「私は在る」に焦点を合わせるかもしれない。

やっぱり、狙うとしたらこの線しかないかも。(*-_-*)

> あらゆる類の体験があなたに訪れるだろう。

はい。

> 「私は在る」だけが永遠に変わらず、知覚できるものすべては一時的なはか
> ないものだという知識のなかに、揺らぐことなく在りなさい。

はい。(*-_-*)

> 質問者 全人生をそんな修行に費やすことはできません。私には義務と仕事
>     があります。

はは。

> マハラジ
> もちろん職務に励みなさい。

わかりました。

> 感情的に巻き込まれず、有益で、苦しみをともなわない仕事は、あなたを因
> 果的に束縛しない。

そういう仕事は、この時代、貴重だろうけど……。

でも……、もしかしたら、これから増えるかも。

> あなたはいくつもの分野に従事し、途方もない熱情とともに仕事をしながら
> も、内面ではその影響を受けずに、すべてを映しだす鏡のように自由で静か
> なマインドを保つかもしれない。

自分はそのタイプじゃないな……。(*-_-*)

> 質問者 そのような状態が実現可能なのでしょうか?

ふふ。

> マハラジ
> もしそうでなければ話しはしない。
> なぜ私が絵空事を言うだろうか?

まったく。

> 質問者 誰もが聖典を引用します。

うん。

> マハラジ
> 聖典のみを知る者は、実際には何も知らない。

それは、そうだ。

わたしも“聖典のみを知る者”みたいなもんだから、そこはよくわかるよ。

> 知ることとは、在ることだ。

おお……。

しかし……、これはどういう意味なんだろう?

> 私は、私が言っていることを知っている。

はい。

> それは人から聞いたことでも、読んだことでもない。

わかっています。

> 質問者 私はある教授のもとでサンスクリット語を学んでいます。でも、本
>     当はただ聖典を読んでいるだけなのです。私は真我の実現を探求し
>     ており、必要な指導を受けに来たのです。どうか、どうすればよい
>     か教えてください。

すっかり、正直になっちゃって。

> マハラジ
> 聖典を読んだのなら、なぜ私に尋ねるのかね?

ふふ。

イケズ……。^^;

> 質問者 聖典は一般的な指示を示しますが、個人は個別の指導が必要です。

わかるけど。

それって、もしかして、幻想なのかも。

> マハラジ
> あなた自身があなたの究極の師(サットグル)だ。

はい。

> 外側の師(グル)は、ただの道しるべにすぎない。

わかります。

> あなたの内なる師がともにゴールまで歩いてくれるだろう。
> なぜなら、彼がそのゴールだからだ。

(-||-)

> 質問者 内なる師には簡単に出会えません。

ふふ。

> マハラジ
> 彼はあなたのなかにいるのだ。
> 困難であるはずがない。

はい。

> 内側を見なさい。
> 彼はそこにいる。

わかっています。(←ほんとか? (^_-))

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から: 或る私さん
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今回、「或る私」さんからメールをいただき、従来の情報投稿フォーム以外に
▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回も、「或る私」さんから丁寧なサポートメールをいただきました。

さっそくご紹介します。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、こんにちは。
 
 なんといいますか。
 やはり、理由がないんですよね。
 自然界はその理由のなさを何とかしてでも合理的な理由が成り立つように
 なるのですが、その理由を探しているときにそのことを気づいてしまうと
 「どーでもいいや」ってなっちゃうんですよね。
 しかし、その「どーでもいいや」がまた、もともとの熱い思いと矛盾する
 んですよね。ここが難しい……
 
 忘れっぽいのが一番かもしりませんね。
 同じドラマを何度みても最初と同じ感動が得られる人と同じドラマを何度
 か見ると全然感動を感じなくなる人とは、やはり前者のほうが得をしてい
 るんだろうと思うんですよ。
 おなじ挨拶でも、同じお世辞でも、やるたびにその「意味のなさ」を忘れ
 てしまう人が世間で言う「誠実な人」ではないかとまた思ったりします。
 
 そんなわけで、またまた自分が言いたいことの意味のなさをわすれて、知
 ったかぶった人を演じてみたいと思いました。(誠実さとは関係ないよう
 な…… ^^;)
 
 >> 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか?
 >
 > そうか……。
 > 
 > けっきょく、ここが納得できていないだけなのかも。
 
 ちょっと重いテーマですが、死が至福といえる
 「或る私」風の論理的展開を試みてみました。
 
 もともとすべての現れの中には無限の感動があったと思うんです。
 
 人も生まれたばかりの時はすべてのものが新鮮で、その赤ちゃんのきらき
 らした純粋な瞳にはそれを見る人にも感動的ですからね。
 
 しかし、誰しもそんな赤ちゃんの次期があったんですよね。
 それが今ではそうではない。
 それは「忘却」だといえるかもしれません。
 なんかの「知識」や「記憶」と引き換えに何かに対する純粋な感動と感謝
 を「忘却」したと思うのです。
 
 今この瞬間、目の前にはコンピュータの画面があると思うのですが、それ
 も最初は何の色もなくただテキストだけの表示で感動があった時期があっ
 たはずなんです。
 何の通信もなかった時期があり、初めてそれがインターネットというつな
 がりができた瞬間は全世界を得たような感動があったはずなんです。
 しかし、それが発達すればするほど便利になればなるほどだんだんその感
 動の水準は低くなってしまうんですよね。
 もはやちょっとでも通信ができなかったりすると逆に想像を超えるイライ
 ラを与える存在になってしまうのです。
 
 それが「忘却」のせいだと思うのです。
 何に対する「忘却」かといいますと、「ない」に対する「忘却」だと思う
 のです。
 
 最初は当然なにも「ない」のですが、その「ない」をしっているといえる
 ことさえできないものです。
 その「ない」が「ある」に変わった瞬間、純粋な幸福と感動があるので
 す。そして「ある」を記憶するかわりに「ない」を忘れるのです。
 
 しかしここで、はたして人が本当に望んでいるのは「ある」そのものなの
 か、あるいは「ない」が「ある」に変わった瞬間の感動なのかを理解しな
 ければなりません。
 今になってはインターネットそのものが「ある」ことを純粋に望む人はな
 いのです。
 人が望むのは「ない」が「ある」に変わった瞬間の感動、あるいは「あ
 る」が「もっとある」に変わった瞬間の感動、つまり「幸福」なのです。
 財産ではなく、健康ではなく、地位とか名誉ではなく「幸福」なのです。
 
 しかし問題はその「ある」が永遠に「もっとある」状態にはならないこと
 です。
 自然界のすべての物質や表れには限界があって永遠に「ある」が「もっと
 ある」にはならないのです。
 「ある」が「もっとある」になるにつれだんだんそこから得られる感動や
 幸福が薄れてしまうのです。
 
 つまり、永遠に幸福であるためには「ある」を「ない」に戻さないとだめ
 なんです。
 
 それが幸福になるための究極の知恵なんです。
 「ない」は知っているとすらいえない不思議な状態であり、「ある」を
 「ない」にもどすためにはその「ある」があるたびにそれを否定するしか
 ないのです。
 それが徹底的に行われたものが「私は在る」なのです。
 それは「ある」となかよしでいられる状態ではないのです。
 
 人間も心臓から体中に血液が「ながれたい」幸福が感じられるからつづけ
 て生きていたいのです。それは「流れのない」状態から「流れがある」状
 態へかわった幸福なのです。
 肺から空気が「ながれたい」幸福が感じられるからつづけて生きていたい
 のです。
 胃から食べ物が「ながれたい」幸福が感じられるからつづけて生きていた
 いのです。
 そのすべての「いきたい」は実は「生」そのものの望みではなく「ない」
 から「ある」への望みなのです。
 つまり、「生」を否定しないと幸福は得られないのです。
 
 そういうことで、
 
 >> 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか?
 
 と、言えるのです。
 それは全然重要ではないのです。
 
 実は「私は在る」の「私」は「ない」そのものなのです。
 その「ない」から外部の「ある」に変わるプロセスが「意識」なのです。
 つまりすべての「意識」を否定しないと「私は在る」は実感されないので
 す。それは究極の知恵の「知」すら許さない徹底的なものなのです。
 「知りたい」、「意識したい」こと自体が欲望であり、その状態へのむさ
 ぼり状態の人々を哀れにおもうこころが「知恵」になるのです。それがつ
 まり「無欲」であり最大の「至福」になるのです。
 
 そういうわけで、完全な「死」の受け入れが、至福になるのです。
 これはこの状態のたゆまない「宇宙エネルギー」を実感していないと論理
 的に到底受け入れがたいものなのです。
 
 pariさんの場合はあまりにも多い「知り」がその一つ一つの「宇宙エネル
 ギー」を薄くさせていると感じました。
 すべての「知り」をなかった状態まで捨てないとだめなんです。
 「私は悟っていない」が誤解なんです。
 それがたゆまない「知り」へのむさぼり状態にしているのです。
 
 「私は在る」は記憶によって維持するものではありません。
 今現在、「ない」の状態へ戻ろうとするたゆまない「意識」
 なのです。つまりその「私は在る」の記憶すら否定している状態なので
 す。
 
 ……
 
 なんか、熱くなりすぎたような気がしますね。−−;
 
 これもまた、ただの知ったかぶりですので「知恵」とは言えないもので
 す。ただ、毒で毒を制するような感覚でしょうね。
 
 pariさんの「現象世界への興味を失う」ことの真の「幸福」を理解するこ
 とを祈ります。^^;
 
 では〜
 
 m(_ _)m
----------------------------------------------------------------------

或る私さん、今回もありがとうございます。

今回は、軽やかに、そして重厚に展開していただきました。

わたしという固有の“とぐろ”を巻いたマインドに、とても大きなヒントをい
ただきました。<(_ _)>

> pariさん、こんにちは。

いつも、ありがとうございます。

> なんといいますか。
> やはり、理由がないんですよね。

(?_?)

> 自然界はその理由のなさを何とかしてでも合理的な理由が成り立つように
> なるのですが、その理由を探しているときにそのことを気づいてしまうと
> 「どーでもいいや」ってなっちゃうんですよね。

ああ……。^^;

わたしの生来の問いの形で言えば、

「何ゆえにすべては始まってしまったのか?」の理由みたいなもんですね。

たしかにねぇ。

“合理的な理由”はないですよねぇ。

たとえあっても、そんなもの受けつけたくもないでしょうし。

岸上大作ふうにいうなら、『意思表示』でしょうか。

> しかし、その「どーでもいいや」がまた、もともとの熱い思いと矛盾する
> んですよね。ここが難しい……

なるほど。

「どーでもいいや」という答えを出した人間は、“もともとの熱い思い”を
発露した人間と、じつは同じじゃないわけですものね。

ところが、記憶が同じだという虚構を支えている。

> 忘れっぽいのが一番かもしりませんね。

あはは。(^^)/

> 同じドラマを何度みても最初と同じ感動が得られる人と同じドラマを何度
> か見ると全然感動を感じなくなる人とは、やはり前者のほうが得をしてい
> るんだろうと思うんですよ。

連れ合いのシャーラが聞くと喜びますよ。^^;

> おなじ挨拶でも、同じお世辞でも、やるたびにその「意味のなさ」を忘れ
> てしまう人が世間で言う「誠実な人」ではないかとまた思ったりします。

またまたぁ。^^;

> そんなわけで、またまた自分が言いたいことの意味のなさをわすれて、知
> ったかぶった人を演じてみたいと思いました。(誠実さとは関係ないよう
> な…… ^^;)

どうぞ、よろしくお願いします。

> >> 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか?
> >
> > そうか……。
> > 
> > けっきょく、ここが納得できていないだけなのかも。
> 
> ちょっと重いテーマですが、死が至福といえる
> 「或る私」風の論理的展開を試みてみました。

はい。

> もともとすべての現れの中には無限の感動があったと思うんです。

うむ。

> 人も生まれたばかりの時はすべてのものが新鮮で、その赤ちゃんのきらき
> らした純粋な瞳にはそれを見る人にも感動的ですからね。

それはそうですね。

> しかし、誰しもそんな赤ちゃんの次期があったんですよね。

たしかに。

> それが今ではそうではない。

はい。

> それは「忘却」だといえるかもしれません。
> なんかの「知識」や「記憶」と引き換えに何かに対する純粋な感動と感謝
> を「忘却」したと思うのです。

なるほど。

> 今この瞬間、目の前にはコンピュータの画面があると思うのですが、それ
> も最初は何の色もなくただテキストだけの表示で感動があった時期があっ
> たはずなんです。

はい。

> 何の通信もなかった時期があり、初めてそれがインターネットというつな
> がりができた瞬間は全世界を得たような感動があったはずなんです。

たしかに、そうですね。

> しかし、それが発達すればするほど便利になればなるほどだんだんその感
> 動の水準は低くなってしまうんですよね。

おお。(@_@)

> もはやちょっとでも通信ができなかったりすると逆に想像を超えるイライ
> ラを与える存在になってしまうのです。

ほんとにね。

> それが「忘却」のせいだと思うのです。
> 何に対する「忘却」かといいますと、「ない」に対する「忘却」だと思う
> のです。

なーるほどぉ。(-_-)

> 最初は当然なにも「ない」のですが、その「ない」をしっているといえる
> ことさえできないものです。

わかります。

> その「ない」が「ある」に変わった瞬間、純粋な幸福と感動があるので
> す。そして「ある」を記憶するかわりに「ない」を忘れるのです。

ああ……、なるほど。

それは、たしかに、そうですね。

「ある」を記憶して、その代償に「ない」を忘れる……。

> しかしここで、はたして人が本当に望んでいるのは「ある」そのものなの
> か、あるいは「ない」が「ある」に変わった瞬間の感動なのかを理解しな
> ければなりません。

そうか。

> 今になってはインターネットそのものが「ある」ことを純粋に望む人はな
> いのです。

ふふ。

> 人が望むのは「ない」が「ある」に変わった瞬間の感動、あるいは「あ
> る」が「もっとある」に変わった瞬間の感動、つまり「幸福」なのです。
> 財産ではなく、健康ではなく、地位とか名誉ではなく「幸福」なのです。

なるほど。

マインドの一瞬の感動なわけですね。

> しかし問題はその「ある」が永遠に「もっとある」状態にはならないこと
> です。

まったくです。

> 自然界のすべての物質や表れには限界があって永遠に「ある」が「もっと
> ある」にはならないのです。

たしかに。

> 「ある」が「もっとある」になるにつれだんだんそこから得られる感動や
> 幸福が薄れてしまうのです。

それは、そうですよね。

> つまり、永遠に幸福であるためには「ある」を「ない」に戻さないとだめ
> なんです。

ああ、なるほどぉ。(@_@)

ここは「或る私」さんふうの展開ですねぇ。

> それが幸福になるための究極の知恵なんです。

そうか……。(-_-)

> 「ない」は知っているとすらいえない不思議な状態であり、「ある」を
> 「ない」にもどすためにはその「ある」があるたびにそれを否定するしか
> ないのです。

これは素晴らしい。(^^)/

> それが徹底的に行われたものが「私は在る」なのです。

ということになるわけかぁ。(-_-)

> それは「ある」となかよしでいられる状態ではないのです。

なるほど。

“「ある」となかよしでいられる状態ではない”……。

一風ですねぇ。^^;

> 人間も心臓から体中に血液が「ながれたい」幸福が感じられるからつづけ
> て生きていたいのです。それは「流れのない」状態から「流れがある」状
> 態へかわった幸福なのです。

うん。

> 肺から空気が「ながれたい」幸福が感じられるからつづけて生きていたい
> のです。

なるほど。

> 胃から食べ物が「ながれたい」幸福が感じられるからつづけて生きていた
> いのです。

このへんは、或る私さんのお好みの(というか固有の)表現ですね。

「心臓が動く理由です」とおっしゃっていましたね……。

> そのすべての「いきたい」は実は「生」そのものの望みではなく「ない」
> から「ある」への望みなのです。

なるほど。

> つまり、「生」を否定しないと幸福は得られないのです。

というところに、落とし込むわけですね。

> そういうことで、
> 
> >> 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか?
> 
> と、言えるのです。

なるほどなぁ。

> それは全然重要ではないのです。

と言うと?

> 実は「私は在る」の「私」は「ない」そのものなのです。
> その「ない」から外部の「ある」に変わるプロセスが「意識」なのです。

おお……、なるほど。(@_@)

しかし、それは面白いですね。

“「私は在る」の「私」は「ない」そのもの”である。

そして、“その「ない」から外部の「ある」に変わるプロセスが「意識」”
だと。

これはシュールだ。(^_^)v

> つまりすべての「意識」を否定しないと「私は在る」は実感されないので
> す。それは究極の知恵の「知」すら許さない徹底的なものなのです。

そうか……。(-_-)

> 「知りたい」、「意識したい」こと自体が欲望であり、その状態へのむさ
> ぼり状態の人々を哀れにおもうこころが「知恵」になるのです。

(@_@)

そうか……。

なるほど……。(-_-)

> それがつまり「無欲」であり最大の「至福」になるのです。

うーむ。

> そういうわけで、完全な「死」の受け入れが、至福になるのです。

(-_-)

……そういうことでしたか。

> これはこの状態のたゆまない「宇宙エネルギー」を実感していないと論理
> 的に到底受け入れがたいものなのです。

なるほどなぁ。

いや、或る私さんの説明があまりにもお上手なので、論理的にも受け入れられ
ましたよ。

もっとも、論理的に受け入れたからと言って“この状態のたゆまない「宇宙エ
ネルギー」を実感”することにはならないでしょうけど……。

> pariさんの場合はあまりにも多い「知り」がその一つ一つの「宇宙エネル
> ギー」を薄くさせていると感じました。

おお、そうですか。(@_@)

いえね、じつはわたし、“すべてを知りながら、しかも逃す者もいる”とい
つか和尚が言っていたのが、気になるようなタイプの人間でした。(*-_-*)

> すべての「知り」をなかった状態まで捨てないとだめなんです。

そうか……。

それがメチャ難しいとも言えるわけですね。

しかし、たしかに、じつに……理屈に合っていますね。

> 「私は悟っていない」が誤解なんです。

お?! (*_*)

> それがたゆまない「知り」へのむさぼり状態にしているのです。

そうきたか……。(-_-;)

> 「私は在る」は記憶によって維持するものではありません。

そうでしたか……。

じつは、そのへんがいちばん混沌としてわからないところでした。(-_-)

> 今現在、「ない」の状態へ戻ろうとするたゆまない「意識」なのです。

おお……。(@_@)

> つまりその「私は在る」の記憶すら否定している状態なのです。

なるほど……。

> ……
> 
> なんか、熱くなりすぎたような気がしますね。−−;

いえ……、とてもとても、ありがたかったです……。

“今現在、「ない」の状態へ戻ろうとするたゆまない「意識」なのです”

……聞こえましたよ。(-||-)

たゆまない無知への意志なのですね。

> これもまた、ただの知ったかぶりですので「知恵」とは言えないもので
> す。ただ、毒で毒を制するような感覚でしょうね。

わかります。

いえ、わたしのような形でとぐろを巻いたマインドに、じつに特性の解毒剤を
処方していただきました。

たしかに、そこまで絵解きされては、毒にやられました。(^^;)

あとは、じっくりその毒が回るのを待ちたいと思います。

さては、或る私さんは……。(^_-)

> pariさんの「現象世界への興味を失う」ことの真の「幸福」を理解するこ
> とを祈ります。^^;

ありがとうございます。

> では〜
> 
> m(_ _)m

ありがとうございました。(-||-)

これからも、よろしくお願いします。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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【いざというときの“新型インフルエンザ”への対応策】

12月17日の日本農業新聞の「四季コラム」から転載(を孫引き)します。^^;

        …………○…………○…………○…………

寒さとともにインフルエンザが流行し始めた。

慌てて予防接種をした人も多いだろう。

国立感染研究所で新型インフルエンザが広まるシュミレーション
を見せてもらい一層寒くなった。

東京・八王子の会社員が海外で感染、帰国したと仮定したものだ。

感染3日目に帰国、4日目出社する。

ウイルスは人と人が2メートル以内に近づく、いわゆる濃厚接触
で感染する。

この日丸の内への通勤と出社で30人にうつる。

7日目に3000人を超える。

パソコンの地図上に赤い円で感染者数を見せるのだが、10日目には
12万人に広まり、画面の首都圏は真っ赤だ。

こうして全国に広がる。

年明けに映画「感染列島」が封切られるが、作り話だと笑って
いられない。

というのも、20世紀に3回新型インフルエンザが出現したからだ。

スペイン風邪は内務省の報告書によると、1918(大正7)年秋から
1921年春にかけ3回流行し、国民の半数近い2380万余人の患者、
38万8000余人の死者を出した。

農家の患者率は41%だった。

人口密度が低い農村も安心ではない。

感染を防ぐには外出しないことだ。

効率優先社会は食料もトヨタのかんばん方式に倣って流通在庫が
少なく、店頭に無くなれば補充する仕組みだ。

備蓄なき消費社会といえる。

家庭備蓄が大切である。

(転載部分は以上です。)

        …………○…………○…………○…………

注:新型インフルエンザは飛沫感染だけでなく空気感染もするので、
  満員電車で感染者がクシャミをしたら、同じ車両の全員が感染する
  可能性があるといわれています。

▼「デトックス」篇DVD資料請求フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P31478903

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■ 4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………


今回も、ハイアーセルフ33さんから、いくつかの情報をご投稿いただきまし
た。(^^)/

早速ご紹介します。

【件名】: 魂・宇宙・体験の目的
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 スピリチュアルな情報を、最大限役立たせてゆくための基礎的知識としては
 何が必要でしょうか。
 
 その重要なものとして、私たちの本質である「魂」、さまざまな体験を与え
 てくれるこの「宇宙」、そして「体験」そのもの、これらの「目的」につい
 ての知識があります。
 
 これらを、ラムサと「神との対話」の神様のメッセージから抜粋してみまし
 た。ラムサについては、ここをご参考に。http://ramjapan.com/
 
 **********************************************
 
 魂・宇宙・体験の目的
 
 (ラムサホワイトブックP137)
 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31431371
 ●もしあなたが自分の魂の内にある躍動する感情を通して知覚する目をもっ
 ていなければ、あなたが「現実」と呼ぶこの世界はけっして存在しなかった
 だろう。というのも、感情がなければ何もなくなってしまうからだ。物質で
 できたこの楽園にあるすべては、この驚くべき創造性の旅に参加する者たち
 の魂の内面に、単に感情を引き起こすためだけの目的で創造されたのであ
 る。なぜなのか?それは生きることにおいて、最も重要な宝物である「叡
 智」というものを獲得するためだ。叡智とは知的な理解ではない。それはま
 さに、体験によって得られる感情的な理解なのである。
 
 (ラムサホワイトブックP192)
 ●あなたがここにいるのは、叡智を獲得し、人生という基盤の上でそれを実
 践するためである。この人生であろうと、これから望むだけ繰り返す数多く
 の人生であろうと、あなたがここにいるのは、この幻を最後まで演じ切り、
 自らを叡智で満たすために魂が必要とするあらゆることを体験するためだ。
 (中略)あなたがここにいるのは神になるためだ。
 
 (ラムサホワイトブックP99)
 ●それぞれの存在は、自分が単にきわだった美人になるとか、金持ちになる
 とか、あるいは惨めな貧乏人になるために、ここに戻ってくるわけではない
 ことを知っている。ここに戻るのは、ここで生きたいからであり、このレベ
 ルにおいて、感情的な学びに積極的に取り組みたいからである。そして自分
 の存在の内面に、自分が達成したい感情的な理解を得たいからだ。ここであ
 れ、他の天界や次元であれ、感情的な理解こそが「生きる」という体験での
 真の宝物である。なぜなら、それだけが永遠にあなたと共にあり続けるもの
 だからだ。
 --------------------------------------------------------------------
 
 『神との対話』(1)(P85)
 ●神は悲しみのなかにも笑いのなかにも、苦さのなかにも甘さのなかにもい
 る。すべての奥に聖なる目的がある。
 
 『神との対話』(1)(P86)
 ●私は生命だ。生命は私だから、生命のすべての面に聖なる目的がある。ど
 んなものにも神が理解し、肯定した理由がある。
 
 『神との対話』(1)(P36)
 ●あらゆる生命の目的はひとつしかない。あなた方、そして生きとし生ける
 ものすべての目的は、できるかぎりの栄光を体験するということだ。
 話したり、考えたり、行動したりするのもみな、この目的のためだ。魂がす
 ることは他になく、魂が望むことも他にはない。
 
 この目的の素晴らしいところは、決して終わりがないことだ。終わりとは限
 界であり、神の目的にはそんな境界線はない。できるかぎりの栄光を体験で
 きたら、その瞬間にもっと偉大な栄光を想像するだろう。栄光を体験すれば
 するほど、もっと大きな栄光の可能性が開けるし、その可能性が開ければ、
 あなたはさらに栄光を体験できるようになる。
 
 『神との対話』(1)(P38〜39)
 ●魂・・あなた方の魂・・は、知る必要のあることはすべて知っている。隠
 されていることは何もないし、知らされていないこともない。だが知ってい
 るだけでは充分ではない。魂は体験したがっている。
 
 自分が寛大であることを知っていても、寛大さを示す何かをしなければ概念
 にすぎない。親切であることを知っていても、誰かに親切にしなければ自意
 識があるだけだ。
 自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい、それが魂の唯一の望み
 だ。概念が体験にならないかぎり推測にすぎない。
 
 『神との対話』(1)(P43〜44)
 ●自分自身を分割した私の聖なる目的は、たくさんの部分を創って自分を体
 験的に知ることだった。創造者が、「創造者である自分」を体験する方法
 は、ただひとつしかない。それは創造することだ。そこで私は自分の無数の
 部分に(霊の子供のすべてに)、全体としての私がもっているのと同じ創造
 力を与えた。あなた方の宗教で、「人間は神の姿をかたどり、神に似せて創
 られた」というのはそういう意味だ。
 
 これは一部でいわれているように物質的な身体が似ているということではな
 い(神は目的に合わせて、どんな物質的な身体にもなることができる)。そ
 うではなくて本質が同じだという意味だ。私たちは同じものでできている。
 私たちは「同じもの」なのだ!
 同じ資質、能力をもっている、その能力には、宇宙から物質的な現実を創出
 する力も含まれている。
 
 私があなた方を創造したのは、神としての自分を知るためだった。あなた方
 を通してしか知る方法がなかったからだ。したがってあなた方を創った目的
 は、あなた方自身が私であることを知らせるためだったと言ってもいい(昔
 から何度もそう言われてきた)。
 
 これは驚くほど単純に見えるかもしれないが、同時に非常に複雑でもある。
 なぜならあなた方自身が私であることを知る方法は、ただひとつしかなく、
 それはまず、私ではないものとしての自分を知ることだからだ。
 
 『神との対話』(1)(P45)
 ●すでに説明したように、何かを知ることと体験することとは別のものだ。
 霊の子供たちは自らを体験的に知りたがった。
 
 ●物質的な宇宙に入れば、自らについて知っていることを体験できる。それ
 には、まず対極を知らなければならない。簡単に言えば、背が低いというこ
 とを知らなければ、背が高いということはわからない。やせているというこ
 とを知らなければ、太っているということはわからない。
 
 つきつめていえば、自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと
 対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、すべての物質
 的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってな
 のだ。
 
 『神との対話』(1)(P113〜114)
 ●魂が追求しているのは・・・想像しうる限りの最高の愛の感情だ。これが
 魂の欲求、目的だ。魂は感じようとしている。愛を知ろうとしているのでは
 なく、感じようとしている。最高の感情は「すべてである」存在と合体する
 経験だ。それは真実へとかえることであり、魂が切望しているその真実が、
 完璧な愛である。
 
 完璧な愛とは色のなかの完璧な白のようなものだ。多くのひとは白とは色が
 ないことだと考えているが、そうではない。あらゆる色を含んでいるのが白
 だ。白は存在するあらゆる色が合体したものだ。だから愛とは感情・・・憎
 しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など・・・がないことではなく、あらゆる感
 情の総和だ。あらゆるものの集合、すべてである。だから、魂が完璧な愛を
 経験するには、「人間のあらゆる感情」を経験しなければならない。
 
 自分が理解できないことに共感できるだろうか。自分が経験しなかったこと
 について他人を許せるだろうか?そう考えれば、魂の旅がどんなに単純で、
 しかもすごいものかが分かるだろう。そこでようやく魂が何を目指している
 のかが理解できるはずだ。
 人間の魂の目的は、すべてを経験すること、それによってすべてになりえる
 ことだ。
 
 『神との対話』(1)(P138)
 ●魂は経験によって自分を知るために何かをしたいと願う。魂は行為を通じ
 て最高の考えを実現しようとする。何かをしたいという衝動は情熱と呼ばれ
 る。情熱を殺せば、神を殺すことになる。情熱とは「やあ、こんにちは」と
 言いたがっている神である。
 
 『神との対話』(1)(P238〜)
 ●最も大きな意味で、あなたの本質的いのちは、自分の望みに目覚め、それ
 と喜ばしい一体化をする時を求めている。だが、いのちは決して、現実のあ
 なたの意識的、肉体的な部分に自分の欲求を押し付けることはない。
 父は息子に自分の意志を押し付けはしない。それは父の本質と異なるもので
 あり、したがって文字通り不可能だからだ。息子は自らの意志を精霊に押し
 付けはしない。それは息子の本質と異なるものであり、したがって文字通り
 不可能だからだ。不可能はそこで終わる。・・・・・・
 
 『神との対話』(2)(P205〜206)
 ●他のすべてのひとや場所、ものごととの神聖な関係の目的は、相手が何を
 望むか、何を必要とするかではなくて、あなたが成長し、ほんとうの自分に
 なるためには、何を必要とし、何を望むのかを知ることだ。そのためにわた
 しは他者との関係を創造した。関係がなければ、あなたはもともとの空、
 無、永遠のすべてに生きつづけていただろう。
 
 しかし、すべてのなかでは、たんに存在するだけで、自分の「認識」を体験
 することはできない。なぜなら、すべてのなかでは、あなたでないものは何
 もないからだ。だからわたしは、あなた方が体験のなかで自分を新しく創造
 し、知る方法を編み出した。
 
 そのために、あなた方につぎのことを与えた。
  1.相対性──他者との関係のなかであなたが存在しうるシステムだ。
  2.忘却──このプロセスで、あなたは完全な健忘症になる。
   そして、相対性はたんなるトリックにすぎず、あなたはすべてであると
   いうことが、わからなくなる。
  3.意識──これは、あなたが完全な認識に達するまでの状態だ。完全な認
      識に達したとき、あなたは真実の生きた神になり、自分自身の現実を創
      造して経験し、その現実を拡大して探求し、自分の意識を新しい限界に
      まで──あるいは際限なくひろげつつ、現実を変化させ再創造してい 
   く。
----------------------------------------------------------------------
 
 
        …………○…………○…………○…………


それから、定番シェルダン・ナイドル情報です。

(これは、まぐまぐ制限で全文は無理かもしれません。)

【件名】: スピリチュアル・ハイアラーキーと銀河連邦(2008年12月9日)
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 (チャネラー)シェルダン・ナイドルからの最新情報の日本語訳が、
 ONENESSのホームページに掲載されましたのでお知らせいたします。
 
 http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20081209.html
 
 *******************************************************
 
 スピリチュアル・ハイアラーキーと銀河連邦
 
 PAO : プラネタリー・アクティベーション・オーガナイゼーション[惑星活
 性化協会]から
 
 シェルダン・ナイドルからの最新版 
 
 [ 10 Lamat, 16 Yaxk'in, 4 Eb ]
 
 [ 銀河暦:黄色い人の定義の年,ヤシキーンの月16日,黄色い星を現実化す
 る日、宇宙との調和]
 
 (地球西暦:2008年12月9日) 
 
 皆さん、こんにちは!
  我々は、皆さんとより多くの議論をするために、再びやって来ました。
 我々は皆さんに、長く待ち望んできたイベントが、今まさに起こる寸前であ
 ることをお伝えしたいと思います。……
----------------------------------------------------------------------

やっぱり、無理ですね。

ご興味のある方は、このURL↓でご確認ください。
http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20081209.html

はるさん、いつも独自の抽出情報をありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:今現在、「ない」の状態へ戻ろうとするたゆまない「意識」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回、或る私さんから、とても貴重なヒントというか、サポートをいただきま
した。

わたしは、同じニサルガダッタの
----------------------------------------------------------------------
 あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえず、何であ
 れ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとたび理解したなら、より
 深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を断ち切ることだ
 ろう。
 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットのように進歩
 するのだ。
                          『私は在る』(p537)
----------------------------------------------------------------------

という言葉に触れ、そこから大きなヒントをいただきながら、実際にロケット
のような速度で変容しつつある或る私さんのような具合になっていないことを、
自分でもよく知っていました。

「私は在る」へのアプローチが何か違っている……。

そう思いながらも、どこがどう違っているのか、わかりませんでした。

今回、或る私さんから教えていただいたことは、とても貴重なことでした。

マハラジが言う「すべての自己同一化を断ち切る」とは、あらゆる誤解を切り
捨てていくことなんですね。

すべての理解(という誤解)を捨てていくこと。

或る私さんは、

“今現在、「ない」の状態へ戻ろうとするたゆまない「意識」なのです”

とおっしゃっています。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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