home > 通信 > 『アセンション館通信』第248号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.248 2009/1/4(第248号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 981名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.“すべての努力が無意味だ”の包含(或る私さんのご投稿から)

2.写経ニサルガダッタ:【02 身体への固執】

3.いただいたお手紙から: 良太さん

4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:マインドの圏内で振動することの無意味さを……
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■ 1.“すべての努力が無意味だ”の包含(或る私さんのご投稿から)
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今年は部屋のなかにいると暑いほどの晴天から始まるようです。

と言っても、わたしの身体が属する夢の“地方の事情”なのでしょうけど。

みなさま、明けましておめでとうございます。

「私は在る」というのは、いろいろな現象と縁がなくなっていく道なのでしょ
うか?

そうなのかもしれませんね。

ニサルガダッタの言葉のなかで、何が好きだと言って、この言葉↓はその筆頭
にあげられるかもしれません。

----------------------------------------------------------------------
 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
 あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
 もない。
 あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
 想像することをやめなさい。
 信じるのをやめなさい。
 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
 そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
                          『私は在る』(p277)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

> 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。

……この言葉には、どれほど慰められたかしれません。(;_;)

そしてまた、

> 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。

この言葉も好きです。

もともとかなり“根暗”なタイプらしいわたしのマインドセットからすれば、
この言葉はごくすんなり同意できる言葉なのです。

もっとも、その“思い”も“同意”も、単なるマインドの一部のパターンであ
るにすぎず、わたしではないわけですが。

週にいちど、こんな大言壮語を書けるのは、とてもわたしのマインドの健康に
はいいようです。

なんにしろ、健康はいいことですものね。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

相変わらず、今年もまた、屋上屋を重ねるマインドゲームを続けるつもりのよ
うです。(^_-)

マインドに興味を失うのも、なかなか並大抵の仕事ではないですね。

ところで、去年の暮れ、或る私さんから比較的長いご投稿をいただいたのです
が、お勉強のつもりでそのご投稿へのご返事を先に書きました。

それから、良太さんからもメールで年賀状をいただいたので、これにご返事を
して、掲載の許可をお願いしました。

ところがなんと、このふたつのメールのやりとりに「写経ニサルガダッタ」を
加えると、それだけでまぐまぐの制限サイズを超えてしまったのです。(@_@)

なので、今回は、或る私さんのご投稿とそのご返事をこの場所でご紹介させて
いただきますね。

どうも、おかげさまで、『アセンション館通信』もハイグレードになっていく
一方のようですよ。(^_-)

では、まず或る私さんからのご投稿を紹介します。


        …………○…………○…………○…………


【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、こんにちは。
 
 現象世界に興味を失うことは、たとえば夢の中でこの状態が夢であると知
 ってしる時のようなものだと思います。
 
 それは幸せなものですよね。
 自分が望むもので夢の中をいっぱいにさせることができます。
 しかし不思議と、一つの望みを追及しすぎるとその夢は覚めてしまうので
 す。
 私の場合は、夢の中でこれが夢であることを知ったときには、私の思うが
 ままに理想の女性を登場させてはエッチな展開へ運ぼうとするのですが、
 一線を越えると目が覚めちゃうんですよね。(−−;)
 
 pariさんはそういう夢の経験はありませんか?
 
 夢が夢のような「夢であることの認識状態」が続くには“これは夢であ
 る”と言う、夢の中でのすべての意識をとりあえず否定しているような余
 裕が必要になるのです。
 
 それは海のごとく、いくら波が現れても結局、元にもどる確信のようなも
 のだと思います。
 表面の波は深海の存在の深さに比べれば何のかゆみにもならないというよ
 うな感覚だと思います。
 
 それが、ひとつの波にその焦点をあわせて、それをクローズアップしてし
 まうと、ただの可能性だったものが実在感にかわり、固定され、自分が望
 んだものになった喜びとそれ以外のものに結局ならなければならない苦し
 みを同時に作ってしまうのです。
 
 結局、苦しみとは「確信」の硬さだと言えるんじゃないでしょうか。
 
 > 「あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。
 >  あなたは所有物があなたを守ると想像している。
 >  実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ」
 >
 > ふーむ。(-_-;)
 > 
 > こんなことを、教えてくれる方はあまりいません。
 > 
 > どれかひとつの言葉でも、ちゃんと腹に入ればいいのだけれど……。
 
 夢の中にどっぷりはまっているときは
 夢の中で自分が望むものが非実在だと疑うことはなかなかできません。
 すべての努力は夢の中での無限の可能性を実在のような硬いものに作りか
 えるようなものですので、その努力自体が実在感の硬さを作っているから
 です。
 
 たとえば、人は体を硬いものとして意識しており、それが非実在だとめっ
 たに疑うことはできません。
 その体を維持するため、健康になる努力、病気に勝つ努力、ありとあらゆ
 る努力をしますが、
 その努力自体が自分が体である確信の硬さになり、その非実在を受け入れ
 がたくしているのです。
 
 しかし、最大の注意をはらい、自分の「確信」を疑いはじめるとすべての
 硬いものはただ自分の確信の硬さであり、それ以外の何者でもないことを
 理解することができるのです。
 実際、全宇宙、全存在のなかで硬いものは「確信」しかないのです。
 
 すべての所有物もただの「確信」です。
 お金を払ったのでそれは私のものだと信じているだけです。
 そのお金で何かを買えると信じているだけです。
 仕事をすればお金が稼げると信じているだけです。
 生きるためにお金が必要だと信じているだけです。
 生きることとは自分の体が続くことだと信じているだけです。
 自分が自分の体だと信じているだけです。
 
 結局、すべての努力は自分が自分の体という「確信」と関係しているので
 す。
 体の内部のものと体の外部のものを区別すること自体がただの「確信」で
 あると理解してしまうと、それに関するすべての努力が無意味だと理解す
 ることができるのです。
 
 体である自分はたゆまず「ない」を「ある」にかえたいのですが、
 体の外部である宇宙と時間はたゆまずその「ある」を「ない」にかえたい
 のです。
 体の観点での宇宙は、空気もない、食べ物もない、温かさもない、死その
 ものです。
 体の観点での時間は、結局体を死に帰らせるものです。
 体の観点では「死」は受け入れがたいものであり、無限の宇宙と無限の時
 間はただ自分を滅ぼす外部のものになるのです。
 
 しかし、自分を滅ぼそうとするその外部のものが実は自分の一部だと理解
 することによって、自分を具体化していた「確信」の根拠がゆるくなり、
 体の内部と外部の区別がなく、ただなにものでもなく「在る」ことがはじ
 めて可能になるのです。
 
 何かを守ろうとする努力、何かを知りたいという努力そのすべては、ただ
 夢の中で“夢のうな幸せ”のためにその硬さがもともと幻であるという余
 裕をもって楽しむものなのです。
 その硬さのなかに「私」はないのです。存在感がないのです。
 その夢を楽しむために努力も必要です。記憶も必要です。
 それらすべてを含めた夢なのです。
 その夢の外にある真の「存在」に努力は無意味なのです。
 波は成るように成りますが、その海は「成る努力」のない、ただ「在る」
 だけなのです。
 
 それが理解しがたいのは、守りたい「自分」があるためなのです。
 その「自分」がいくら美しく、価値のある、守りたいものであるとして
 も、それらはただの夢であり、非実在なのです。
 
 その夢のまっただ中で“努力は無意味だ”ということはただの確信になり
 ます。
 それは努力したくない自分を守ろうとする正当化にすぎないでしょう。
 しかし、それらを含めてすべてが夢であるだけなのです。
 
 実際、夢をもって、夢のなかに生きている人が生き生きしているもので
 す。
 同じ仕事でも肯定的に楽しんでる人が創造的になるものです。
 ただ、重要なのは自分の「確信」を自分で気づくことだけなのです。
 その「確信」が幸せの夢を苦しみの現実にしてしまうのです。
 
 真に夢に生きる人は、現れは貪欲でもその中身は、実は無欲なのです。
 すべての敵を自分の一部として受け入れること、
 すべての苦痛を自分の一部として受け入れること、
 それができないと、現実を夢のように恐れなしに思うがままにできるわけ
 がないのです。
 
 実はそれが「無欲」です。
 「無欲」とは守りたい自分がないことです。守りたい自分の物がないこと
 です。
 言い返すと、奪おうとする敵もないことなのです。
 それは自分を滅ぼそうとする敵の望みすら自分の一部として受け入れられ
 ることを意味するのです。
 それは敵への関心を意味し、意識の流れを意味し、とても力動的なものな
 のです。
 永遠の空間と永遠の時間に意識が流れることが「無欲」であり、「至福」
 なのです。
 自分の体を滅ぼそうとする時間と空間の意思を無視しないでちゃんと自分
 の一部として受け入れることなのです。
 それが「死」の受け入れです。
 それは自分の体が自分だという「確信」があっては不可能なことなので
 す。
 
 ただ、やりたくないが「無欲」ではないのです。
 世界への無関心が「無欲」ではないのです。
 過去と未来への無関心が「無欲」ではないのです。
 
 「私の物」である確信の硬さが、それを奪うかもしれない敵を同時に作っ
 ているのです。私と敵の間には流れが遮断されます。自分を守るために敵
 をありもしない自分の外部という「確信」を作ってそこに敵をおくので
 す。
 結局、「私の物」である確信の硬さが、敵をおいた自分の外部という「確
 信」の硬さと一致するのです。
 その自分の意識が遮断された自分の外部という「確信」が“心の傷”で
 す。結局、物が自分を守るのではなくそれが自分を傷つきやすくするとい
 えるのです。
 
 ……
 
 なんか、言葉の限界というものは真理に近いものであればあるほど
 その真逆の意味にもとれることが見られる感じです。
 極と極は通じているといいますからね。
 
 望むものすべてが非実在といわれると刺激的ですよね。
 しかも、すべての努力が無意味だといわれると真面目な努力も無意味なの
 か?と混乱しますよね。
 
 結局、実感が重要なんでしょうね。
 夢の中で夢であることを知った時の実感のような……
 「これは夢だ」の悟りすらも「確信」なので結局、証拠は何もないわけで
 すからね。
 今現在の実感以外は何もないんですよね。
 それが当然のようになって、すでに死んでいる実感になるんでしょうね。
 北斗の拳のセリフみたい。(^^;)
 マハラジ万歳〜 \(^^)/
 
 では〜。
 
 m(_ _)m
----------------------------------------------------------------------

或る私さん、いつもありがとうございます。

> pariさん、こんにちは。
> 
> 現象世界に興味を失うことは、たとえば夢の中でこの状態が夢であると知
> ってしる時のようなものだと思います。

わかります。

> それは幸せなものですよね。

なるほど、それは幸せなものなんですね。

> 自分が望むもので夢の中をいっぱいにさせることができます。

おお、そういうことですか。

> しかし不思議と、一つの望みを追及しすぎるとその夢は覚めてしまうので
> す。

へー。

> 私の場合は、夢の中でこれが夢であることを知ったときには、私の思うが
> ままに理想の女性を登場させてはエッチな展開へ運ぼうとするのですが、
> 一線を越えると目が覚めちゃうんですよね。(−−;)

ぷ。(>_<)

> pariさんはそういう夢の経験はありませんか?

いえ、わたしは或る私さんのような達人じゃないので、ごく普通の夢精の経験
がある程度です。^^;;;

ただ、一度だけ、夢のなかでヤクザふうの方々に囲まれて、「これは夢だな」
と思ったことがあります。

そしたら、たちまち、目が覚めました。

そのときばかりは「なるほど、効果があるもんだなぁ (@_@)」と思いました。

> 夢が夢のような「夢であることの認識状態」が続くには“これは夢であ
> る”と言う、夢の中でのすべての意識をとりあえず否定しているような余
> 裕が必要になるのです。

それはわかりますね。

「私は在る」のサーダナが無意識の領域まで達すると、そういうことが起こる
のでしょうか。

> それは海のごとく、いくら波が現れても結局、元にもどる確信のようなも
> のだと思います。

なるほど、そういう言い方ができますか。

> 表面の波は深海の存在の深さに比べれば何のかゆみにもならないというよ
> うな感覚だと思います。

はい。

> それが、ひとつの波にその焦点をあわせて、それをクローズアップしてし
> まうと、ただの可能性だったものが実在感にかわり、固定され、自分が望
> んだものになった喜びとそれ以外のものに結局ならなければならない苦し
> みを同時に作ってしまうのです。

そういうことか。(-_-;)

なるほど、わかります。

澤木興道老師のお弟子さんの内山興正老師の言葉に、
「願いは叶う、結果は化けて出る」
というのがありますね。

> 結局、苦しみとは「確信」の硬さだと言えるんじゃないでしょうか。

おお……。(@_@)

> > 「あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。
> >  あなたは所有物があなたを守ると想像している。
> >  実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ」
> >
> > ふーむ。(-_-;)
> > 
> > こんなことを、教えてくれる方はあまりいません。
> > 
> > どれかひとつの言葉でも、ちゃんと腹に入ればいいのだけれど……。
> 
> 夢の中にどっぷりはまっているときは
> 夢の中で自分が望むものが非実在だと疑うことはなかなかできません。

ですよね。

> すべての努力は夢の中での無限の可能性を実在のような硬いものに作りか
> えるようなものですので、その努力自体が実在感の硬さを作っているから
> です。

じつに、論理的ですね。

> たとえば、人は体を硬いものとして意識しており、それが非実在だとめっ
> たに疑うことはできません。

はい。

> その体を維持するため、健康になる努力、病気に勝つ努力、ありとあらゆ
> る努力をしますが、
> その努力自体が自分が体である確信の硬さになり、その非実在を受け入れ
> がたくしているのです。

たしかに。

> しかし、最大の注意をはらい、自分の「確信」を疑いはじめるとすべての
> 硬いものはただ自分の確信の硬さであり、それ以外の何者でもないことを
> 理解することができるのです。

おお……。

> 実際、全宇宙、全存在のなかで硬いものは「確信」しかないのです。

これは、すばらしい。(@_@)

われわれの“思いこみ”が“現実”であり、“現実”は“動かしがたい”、と
いうことの、もうひとつの言い方ですね。

> すべての所有物もただの「確信」です。
> お金を払ったのでそれは私のものだと信じているだけです。

わかります。

> そのお金で何かを買えると信じているだけです。

はい。

> 仕事をすればお金が稼げると信じているだけです。
> 生きるためにお金が必要だと信じているだけです。
> 生きることとは自分の体が続くことだと信じているだけです。
> 自分が自分の体だと信じているだけです。

ということになりますねぇ。(-_-)

> 結局、すべての努力は自分が自分の体という「確信」と関係しているので
> す。

ですね。

> 体の内部のものと体の外部のものを区別すること自体がただの「確信」で
> あると理解してしまうと、それに関するすべての努力が無意味だと理解す
> ることができるのです。

そうかぁ、そこが狙い目か。(-_-;)

> 体である自分はたゆまず「ない」を「ある」にかえたいのですが、
> 体の外部である宇宙と時間はたゆまずその「ある」を「ない」にかえたい
> のです。

おお……。

或る私さん固有の展開ですね。

> 体の観点での宇宙は、空気もない、食べ物もない、温かさもない、死その
> ものです。

なるほど。

> 体の観点での時間は、結局体を死に帰らせるものです。

そうか……。

> 体の観点では「死」は受け入れがたいものであり、無限の宇宙と無限の時
> 間はただ自分を滅ぼす外部のものになるのです。

ああ……、そうか……。

そういうことになるか……。(-_-;)

そのすべてが、自分の「内側」と「外側」を作ることによって、自動的に派生
してくるわけか……。

> しかし、自分を滅ぼそうとするその外部のものが実は自分の一部だと理解
> することによって、自分を具体化していた「確信」の根拠がゆるくなり、
> 体の内部と外部の区別がなく、ただなにものでもなく「在る」ことがはじ
> めて可能になるのです。

なるほどねぇ。(-_-)

いや、或る私さん、じつにお見事ですね。(@_@)

> 何かを守ろうとする努力、何かを知りたいという努力そのすべては、ただ
> 夢の中で“夢のうな幸せ”のためにその硬さがもともと幻であるという余
> 裕をもって楽しむものなのです。

そうか……。

そうであってこそ、はじめて楽しむことができる……という意味ですね。

> その硬さのなかに「私」はないのです。存在感がないのです。

“その硬さのなかに「私」はないのです。存在はないのです”かな……。

> その夢を楽しむために努力も必要です。記憶も必要です。
> それらすべてを含めた夢なのです。

なるほど……。(-_-;)

> その夢の外にある真の「存在」に努力は無意味なのです。

そうか……。(-_-)

> 波は成るように成りますが、その海は「成る努力」のない、ただ「在る」
> だけなのです。

わかります。

> それが理解しがたいのは、守りたい「自分」があるためなのです。

おお……。(;_;)

> その「自分」がいくら美しく、価値のある、守りたいものであるとして
> も、それらはただの夢であり、非実在なのです。

はい。

> その夢のまっただ中で“努力は無意味だ”ということはただの確信になり
> ます。

あ。(*@_@*)

> > 「あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。

の引用の仕方ですね。(^^;)

> それは努力したくない自分を守ろうとする正当化にすぎないでしょう。

まったく。(*-_-*)

じつは、そのへんの“案配”がいつも気になっていたのです。

夢の中にいながら、強引に“夢のなかの現実”を無視しちゃっていいものなの
かどうかと。

もちろん、そうすれば、夢のなかで“しっぺ返し”があるわけですよね。^^;

そのとき、その“しっぺ返し”自体も夢であることを知っていれば、それでい
いわけですが……。

> しかし、それらを含めてすべてが夢であるだけなのです。

はい。

ですよね。(-_-)

> 実際、夢をもって、夢のなかに生きている人が生き生きしているもので
> す。

でしょうねぇ。

わたしですら、下垂体腫瘍のときの“入院ハイ”を思い出しますから。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol144.html#1

いっときとは言え、誰もが“現実”の病に悩んでいるのに、自分だけがそれを
“夢”と“知って”いた(かな? (^_-))のは、とても楽しいものでした。

> 同じ仕事でも肯定的に楽しんでる人が創造的になるものです。

でしょうね。

> ただ、重要なのは自分の「確信」を自分で気づくことだけなのです。

なるほど。

> その「確信」が幸せの夢を苦しみの現実にしてしまうのです。

あ、それが“現実”だという「確信」のこと、ですね。

> 真に夢に生きる人は、現れは貪欲でもその中身は、実は無欲なのです。

なるほど。

もしかして、オバマさんもそうなのかしら?

> すべての敵を自分の一部として受け入れること、
> すべての苦痛を自分の一部として受け入れること、
> それができないと、現実を夢のように恐れなしに思うがままにできるわけ
> がないのです。

そういう理屈ですよねぇ。

論理的には、理解せざるをえません。(*^_^*)

> 実はそれが「無欲」です。

おお……。

> 「無欲」とは守りたい自分がないことです。守りたい自分の物がないこと
> です。

わかります。

> 言い返すと、奪おうとする敵もないことなのです。

ということになりますね。

> それは自分を滅ぼそうとする敵の望みすら自分の一部として受け入れられ
> ることを意味するのです。

了解です。

自分を狙う暗殺者への和尚の態度は、まさにそんな感じでしたね。

> それは敵への関心を意味し、意識の流れを意味し、とても力動的なものな
> のです。

なるほど。

> 永遠の空間と永遠の時間に意識が流れることが「無欲」であり、「至福」
> なのです。

そうか……。(-||-)

> 自分の体を滅ぼそうとする時間と空間の意思を無視しないでちゃんと自分
> の一部として受け入れることなのです。

おお……。(@_@)

> それが「死」の受け入れです。

なるほど。

> それは自分の体が自分だという「確信」があっては不可能なことなので
> す。

はい。

> ただ、やりたくないが「無欲」ではないのです。

ミスカサレタ。(^_-)

> 世界への無関心が「無欲」ではないのです。

おお……。(@_@)

> 過去と未来への無関心が「無欲」ではないのです。

そうなんだ……。(*-_-*)

じつに、言葉は難しい、というか……。

> 「私の物」である確信の硬さが、それを奪うかもしれない敵を同時に作っ
> ているのです。私と敵の間には流れが遮断されます。自分を守るために敵
> をありもしない自分の外部という「確信」を作ってそこに敵をおくので
> す。

そうですね。

> 結局、「私の物」である確信の硬さが、敵をおいた自分の外部という「確
> 信」の硬さと一致するのです。

なるほど。

> その自分の意識が遮断された自分の外部という「確信」が“心の傷”で
> す。結局、物が自分を守るのではなくそれが自分を傷つきやすくするとい
> えるのです。

なんと……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

> ……
> 
> なんか、言葉の限界というものは真理に近いものであればあるほど
> その真逆の意味にもとれることが見られる感じです。

たしかに。

微細な意識の諸相を指示するには、言葉の指先は太すぎますね。

> 極と極は通じているといいますからね。

そういうことですね。

> 望むものすべてが非実在といわれると刺激的ですよね。

そうなんですよ。(^_-)

> しかも、すべての努力が無意味だといわれると真面目な努力も無意味なの
> か?と混乱しますよね。

そうです。

そして、たしかに、ある意味ではそうとも言えるわけでしょうしね。

いろんな“努力”があるわけですものね。

“どんな努力も無駄にはならない”という言い方が適合する、いろいろな側面
があるでしょうし。

と同時に、“すべての努力は無意味だ”という言い方が適合する、いろいろな
側面もあるわけですよねぇ。

> 結局、実感が重要なんでしょうね。

わかります。

> 夢の中で夢であることを知った時の実感のような……
> 「これは夢だ」の悟りすらも「確信」なので結局、証拠は何もないわけで
> すからね。

まったくです。(^_-)

> 今現在の実感以外は何もないんですよね。

そういうことになりますねぇ。

> それが当然のようになって、すでに死んでいる実感になるんでしょうね。

そういうことなんですかねぇ。

> 北斗の拳のセリフみたい。(^^;)

あはは。

> マハラジ万歳〜 \(^^)/

(-||-)

> では〜。
> 
> m(_ _)m

或る私さん、ありがとうございました。

少しずつですが、今回も着実に浸透してきていますから。

結局は、すべてがあるがままであると、諦めるまでの道のりですね。

これからも、よろしくお願いします。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【02 身体への固執】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章は本当に好きです。(;_;)

質問者とニサルガダッタの自然なやりとりがなんとも素晴らしい。

“あらゆる装飾を排した純金”のメッセージ。

志ん生の「火焔太鼓」が落語の“極めつけ”だとしたら、この素直な質問者と
希有のグルとの問答を何に喩えたらいいのか……?

“究極の漫才”と言っては冒涜? (^^;)

いちばん最初に読んでいるハズですが、最初のころの読後感はまったく残って
いません。

すらっと読めて、すらっと通り過ぎたのでしょう。

やっと、少し聞こえるようになってきたのか……。

とにかく、このけれん味のない質問者が引き出した素朴・深遠な問答は、素晴
らしいとしか言えません。

最初のほうの章なので短くて、一回で全部を写経できます。

では、【02 身体への固執】です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
     私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 根本的違いなど何もない。
 
 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに
     来ましたが、あなたは私のもとには来ません。
 
 マハラジ
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 
 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、
     私はしません。
 
 マハラジ
 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。
 
 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)
     は偉大です。
 
 マハラジ
 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見
 ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだ
 けで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。
 
 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?
 
 マハラジ
 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに
 注意を払わなくなったのだ。
 
 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
     信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?
 
 マハラジ
 誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?
 
 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福
     なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。
 
 マハラジ
 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思え
 ない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。
 
 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?
 
 マハラジ
 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
 とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ることに
 なる。
 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
 さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
 てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
 らば、私たちはそれを見いだすだろう。
 
              『I AM THAT 私は在る』(p25-27)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
>     私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?

この質問、じつに……いいですねぇ……。(-_-)

自分がマハラジの前に座ってこう質問することを想像しても、まったく違和感
がない。

> マハラジ
> 根本的違いなど何もない。

もちろん、マハラジはこう答えてくださるでしょう。

> 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに
>     来ましたが、あなたは私のもとには来ません。

この質問者の質問は、じつに見事としか言いようがない。

まったくですよ。

たとえ、マハラジに「根本的違いなど何もない」と言われたって、現に、
「私はあなたのもとに来ましたが、あなたは私のもとには来ません」というわ
けですから、「どこか実際に違いがあるはずです」となりますよ、そりゃ。

マハラジなら、これにどう応えるのか?

> マハラジ
> あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。

ケー。(>_<)

こう、来ますからねぇ。

これ以上すてきな科白、あなた発明できます?

> 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、
>     私はしません。

この質問者……(@_@)、たいしたもんだと思います。

この奇跡的なグルを前にして、じつに見事な応対だと思います。

マハラジの磁場がそうさせるのかしら?

> マハラジ
> 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?

おおー……。(-_-;)

「知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?」

そうか……。

> そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。

まったくだ……。(@_@)

レベルだの、ラベルだの、次元だのという「そんな差別を生みだした者たちに
証明させるがいい」……。

> 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。

そうか……。

> 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。

なるほど。

まさに、正真正銘、賢者とはそういう存在なんだ……。

> 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)
>     は偉大です。

ふふ、うまい。(^^;)

> マハラジ
> 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見
> ない。

これはもう……、極めつけですね。

> 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。

はい。

> ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだ
> けで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。

まったく、それだけのことなんだ……。(-_-)(←何がそれだけだ! (\_/))

> 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?

そこですよ。

> マハラジ
> 何も特別なことはない。

はい。

> 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。

そうか……。(;_;)

これが……、けっこう、特別なことなんだよなぁ。

> 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。

そうか……。(/_;)

> 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに
> 注意を払わなくなったのだ。

うーむ。

これはもう、超特別としか言いようもないようなことだけど。

こういう信頼っていうのも、あるんだなぁ。

こんな「信頼」を聞かされたら、“魂”だの“転生”だのと言って誤魔化した
くなってしまうよ。(/_;)

> 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
>     信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?

まったく。

このひと、とぼけた味で、じつに壺をはずさない。

> マハラジ
> 誰が答えられよう?
> ただそうなっただけだ。

そうなんですか……。

> ものごとは理由も原因もなしに起こる。

はい。(-||-)

> そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。

*∴☆★☆°  ⌒★? (*_*)

そうか……、「結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない」のか。(@_@)

そうだよ、きまってるじゃん。

> 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。

たしかに。

> あなたがいつそれを変えても不思議はない。

まったくです。

> なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?

……。 ⌒★?

(-_-)

……そうか。

これまで「なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視」して
きたんだろう? (-_-)

> 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福
>     なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。

うーむ。

ま、なんでもいいから、言ってちょうだい。(^_-)

> マハラジ
> 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思え
> ない。

まったくです。

> すべてが奇跡だとするなら別だが。

たしかに。

> 私にとってそのようなものは何もない。

はい。

> ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。

“意識の海”が見えているだけなんだ……。

(その“意識の海”に対する意味づけはわたしの中から湧出しているだけだ。)

> それは皆の体験においてまったく明らかだ。

はい。

> あなたが注意深く見ていないだけだ。
> よく見てみなさい、私が見るように。

はい。

> 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?

うん、そう。

> マハラジ
> 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。

おお……。

> ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。

はい。(-_-)O

> あなたは自分自身を自覚していない。

あ。

> あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
> とともにいない。

そうか。

> 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。

はい。

> 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。

あ、そうか。(;_;)

> 行動の動機と結果を見守りなさい。

(>_<)

(もう、イヤ。)

> あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。

(@_@)

そういうことなんだ……。 ⌒★?

> あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ることに
> なる。

そうか……。(-_-)

(こんなことで、ニサルガ師匠が嘘を言うはずがないもんな。)

> 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。

そうなんだ……。(-||-)

> ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。

はい。

(わたしは「私が在る」ことを知っています。

 でも、それはわたしが発明したことじゃありません。)

> それはマインドの産物ではないということだ。

わかります。

> 「私は在る」という感覚さえ継続しない。

そうなんですね。

> それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
> さない。

おお……。

> ただよく見てみなさい。

はい?

> ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
> 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
> 「私は在る」という指針の役目は終わる。

わかりました。(-||-)

> もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
> だろう。

ああ……、そうか。

> 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。

……そうか。

いや、……そうか。(@_@)

幸福も不幸も、“自己の定義づけ”から自動派生しているんだなぁ。

> すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。

はい。

わかります。(少なくとも今この瞬間は……。)

> この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
> となく帰り着くだろう。

そうなんだ……。

> 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
> れを見失っているということだ。

それだけの違いなんですね。

> あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
> 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
> てはひとつなのだ。

やっと、「装飾品として加工された金」と「金粉の金」の比喩が、聞こえてき
はじめました。

> 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
> らば、私たちはそれを見いだすだろう。

(-||-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.いただいたお手紙から: 良太さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


元旦、良太さんからメールの年賀状をいただきました。

私信ですが、求道者良太さんのメールはすべてその関連の内容ですので、掲載
許可をお願いしました。

許可していただいたので、早速ご紹介します。

【件名】:あけましておめでとうございます
----------------------------------------------------------------------
 パリさん、シャーラさん、あけましておめでとうございます。
 
 今年はメールで新年のご挨拶をさせていただきます。
 年賀状よろしく年明け前の12月28日に制作しております。
 で、元旦に送信する予定です。
 今日は年内最後の休日でして、いつもの通り昼間っから赤い顔
 しております。
 
 新年早々「ZEN」という道元禅師の生涯を描いた映画が封切ら
 れますね。
 公式サイトで予告編を見て、ちょっと興味をそそられました。
 この映画で道元の禅を理解するなんてのは無理でしょうけどね。
 禅師の生涯を映像で追体験するのも、いいかも、とか思って、
 ひさびさに映画館に足を運ぶ予定です。
 道元を演じるのは歌舞伎俳優の中村勘太郎。
 なかなかの男前です。
 
 最近「少林窟道場」というサイト(http://www.geocities.jp/shorinkutu/)
 がお気に入りで、酔っぱらってないときには、覗きにいくので
 すが、
 こちらの井上希道老師による「普勧坐禅儀提唱」のなかに、
 道元禅師の人となりを紹介されている箇所があり、
 そこにもこんな文がありました。
 
 「三歳で父を失ってるのですが、その父というのは摂生関白ま
 でやったようなお人です。権勢の頂点におられたのが道元禅師
 の父親なんですが、八歳で母も失ってるんです。この母は公家
 の中でもとりわけ美人で名を鳴らした、しかも教養豊かな伊子
 (いし)という才女でした。皆さんは道元禅師の頂相をご存じ
 でしょう。唇がこんなになって、たれ目で、ぶよっとしたあれ
 です。あれが道元禅師のお姿だと思ったら大間違いです。美男
 美女の中で生まれた天才道元は、どこから見ても非の打ち所が
 ない、立派な様相をしたお方なんです。じゃ何故ああいう風な
 ものが道元禅師と成ったのかです。これが禅僧の風流底です。
 と言うのはこの身は陰であり因縁の寄せ集めで、何の拘りもあ
 りません。ですから自分が役者のように描かれると、却って作
 りもののように見えるもんだから面白みが無いんです。ところ
 が知人に絵描きが居て、自分と似ても似つかない風貌で描いて
 きた。それを風雅ととり、おおこれは面白いと言って讃を入れ
 たんです。だからああいう風になったんです。」
 
 頭がものすごく良くて美男子なのかぁ。
 好みのタイプかも♡
 イエス・キリストが好きだと言ってみたり、
 ニサルガダッタ・マハラジに懸けてみようと思ったりと忙しい
 かぎりですが、
 そんなわけで、今は、道元ブームの真っ最中というわけでした
 。
 節操なしですね。
 
 最近、エックハルト・トールさんの本読んで、
 「私は在る」の「在る」って「今」のことなのかもなあ、
 とか思っていたんですが、
 少林窟道場の井上老師の話で、さらにその想いを強くしました
 。
 エゴがいくら「今だ」と言ったところで、
 それもまた夢想の続きであることに変わりはないのでしょうけ
 ど。
 
 思えば「今」という地点は、
 時間の流れのなかの一断面のようではあるけど、
 実は時間ではないんですよね。
 時間の感覚はマインド領域に生み出された幻想に過ぎなくとも
 、
 「今」はその幻想を生み出すポイントなんだから、
 そこの実在だけは疑うことができない。
 ああ、そうだ実在としてのぼくは時間の中にはいないんだ、っ
 て、
 そんなことを思ったりもします。
 
 その「今」に常に意識を当ててブレないで生活をしていくのが
 禅なんだってのが、その井上老師の話でした。
 実在のぼくに意識の焦点を合わせるには
 どれくらいの精度で今という瞬間にフォーカスすればいいのか
 となると、
 「いま」の「い」を思った時にはもう遅いんだそうです。
 いや、何かを思った時にはもう遅い。
 ぼく、とか、さとり、とか、意識、とか、
 そんなカサバる概念が入りこむ余地なしの、
 刹那をみじん切りにしたような瞬間。
 もちろん、
 時間と言う想像領域は分割していくと無限に小さく切り刻める
 けど、
 ぼくがいる今そのものは刻みようがない、分割不可能な実在で
 す。
 でも、意識をそこまで持っていかないと、
 時間を超えたところを垣間見るこはできないと。
 
 こうなると、もう意識のトレーニングだけって感じですよね。
 はっきり言って体育会系です。
 低くたれ込める雲から意識をそらして、
 雲がどんだけ面白いかたちをしていても、一切無視して、
 実在だけを見つめつづけるレッスン。
 
 結局近道なんてないんですね。
 ただもう淡々と毎日心の制御トレーニングを続けていくしかな
 い。
 しかもそれは
 ニサルガ師匠に言わせれば、パートタイムな仕事ではないと。
 誠実にやれ、ということですよね。
 
 道元禅師に言わせれば、頭燃を払うがごとくやれ、と。
 命がけでやれ、と。言うわけですよね。
 
 「今」を、「私は在る」を掴んだその手を
 一瞬たりとも手放すな、と。
 
 酒なんか飲んでる場合か、と。
 
 とほほ。
 
 てなわけで、
 今年もどうぞよろしくお願い致します。
 
   良太
----------------------------------------------------------------------

良太さん、掲載許可、ありがとうございました。

それから返信部分に良太さんからのメール部分をすべて重複させると、これま
たまぐまぐの配信制限を優に超えてしまいました。

なので、最小限の重複にさせていただきますね。

>パリさん、シャーラさん、あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

>禅師の生涯を映像で追体験するのも、いいかも、とか思って、
>ひさびさに映画館に足を運ぶ予定です。

そうですか。

>最近「少林窟道場」というサイト(http://www.geocities.jp/shorinkutu/)
>がお気に入りで、酔っぱらってないときには、覗きにいくので
>すが、

このサイトには、お釈迦さまの顔写真があるんですよね。

津留晃一さんの『創世会レポート』
https://www.ascensionkan.com/books/souseikai.html
でこのサイトを知ったのですが、はじめてこの写真を見たときは
あまりにリアルなお顔で驚きました。
http://www.geocities.jp/shorinkutu/butuden/butudenindex.htm

>こちらの井上希道老師による「普勧坐禅儀提唱」のなかに、
>道元禅師の人となりを紹介されている箇所があり、
>そこにもこんな文がありました。
>
>「三歳で父を失ってるのですが、……
> ……
>たんです。だからああいう風になったんです。」

なるほど、そういうことなんですね。

>頭がものすごく良くて美男子なのかぁ。
>好みのタイプかも♡
>イエス・キリストが好きだと言ってみたり、
>ニサルガダッタ・マハラジに懸けてみようと思ったりと忙しい
>かぎりですが、
>そんなわけで、今は、道元ブームの真っ最中というわけでした。
>節操なしですね。

“節操”と言うなら、わたしもまったくご同様です。(^^;)

>最近、エックハルト・トールさんの本読んで、
>「私は在る」の「在る」って「今」のことなのかもなあ、
>とか思っていたんですが、
>少林窟道場の井上老師の話で、さらにその想いを強くしました。

そうですか。

>エゴがいくら「今だ」と言ったところで、
>それもまた夢想の続きであることに変わりはないのでしょうけど。

ええ。でも、おそらくはその逆で、夢もまた「今」の一位相と
して仮の存在を許されているのかもしれませんし。

>思えば「今」という地点は、
>時間の流れのなかの一断面のようではあるけど、
>実は時間ではないんですよね。
>時間の感覚はマインド領域に生み出された幻想に過ぎなくとも、
>「今」はその幻想を生み出すポイントなんだから、
>そこの実在だけは疑うことができない。

ですよね。

>ああ、そうだ実在としてのぼくは時間の中にはいないんだ、っ
>て、そんなことを思ったりもします。

ええ、ニサルガ師匠も、
「時間と空間はあなたのなかにあり、あなたがそれらのなかにあるのでは
 ない」(p535)
って言い方をされますよね。

>その「今」に常に意識を当ててブレないで生活をしていくのが
>禅なんだってのが、その井上老師の話でした。

なるほど。

>実在のぼくに意識の焦点を合わせるには
>どれくらいの精度で今という瞬間にフォーカスすればいいのか
>となると、
>「いま」の「い」を思った時にはもう遅いんだそうです。
>いや、何かを思った時にはもう遅い。
>ぼく、とか、さとり、とか、意識、とか、
>そんなカサバる概念が入りこむ余地なしの、
>刹那をみじん切りにしたような瞬間。
>もちろん、
>時間と言う想像領域は分割していくと無限に小さく切り刻める
>けど、
>ぼくがいる今そのものは刻みようがない、分割不可能な実在で
>す。
>でも、意識をそこまで持っていかないと、
>時間を超えたところを垣間見るこはできないと。

なるほどねぇ。

>こうなると、もう意識のトレーニングだけって感じですよね。
>はっきり言って体育会系です。
>低くたれ込める雲から意識をそらして、
>雲がどんだけ面白いかたちをしていても、一切無視して、
>実在だけを見つめつづけるレッスン。

うまいこと言いますね。(^_^)v

「neti neti」って、体育会系と言えば体育会系ということに
なるかもですね。^^;

>結局近道なんてないんですね。
>ただもう淡々と毎日心の制御トレーニングを続けていくしかな
>い。
>しかもそれは
>ニサルガ師匠に言わせれば、パートタイムな仕事ではないと。
>誠実にやれ、ということですよね。

まったく。(*^_^*)

>道元禅師に言わせれば、頭燃を払うがごとくやれ、と。
>命がけでやれ、と。言うわけですよね。

なるほど。

>「今」を、「私は在る」を掴んだその手を
>一瞬たりとも手放すな、と。
>
>酒なんか飲んでる場合か、と。

あはは。

>とほほ。

酒を飲みながら、そんなことを思ってるわけじゃないですか。^^;

わたしも、「メルマガなんて書いてる場合か」と思うことも
ありますが、でも、自分に無理のないペースと道草で行くし
かないよ、とも思ってます。

いずれにしろ、遅かれ早かれ、すべてを「あきらめる」ところ
までいかなくてはならないわけですから。

>てなわけで、
>今年もどうぞよろしくお願い致します。

こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願い致します。

Love  pari


        …………○…………○…………○…………


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【糖尿病の疑いがある人は全国で推定2210万人】

去年12月26日の読売新聞からの転載(の孫引き)です。^^;

        …………○…………○…………○…………

『厚生労働省は25日、2007年の「国民健康・栄養調査結果」を発表し、
糖尿病の疑いがある人は全国で推定2210万人に上るとした。06年調査
と比べ300万人以上増えた。』

これは、スゴイ数字だと思いませんか。

予備軍を含めて成人の2割が糖尿病なんですから。

先日、NHKのアンコール放送で「病の起源 糖尿病〜想定外の贅沢〜」
という番組を観たのですが、昔から狩猟民族で肉食をしてきた欧米人と、
農耕民族で、ずっと菜食中心の生活だった日本人とでは、インスリンの
分泌量がまったく違うのだそうです。

長年の肉食文化で、インスリンの大量分泌を獲得した欧米人とは違い、
戦後、短期間に一気に肉食文化を取り入れた日本人は、彼らほどの
インスリンの大量分泌を獲得することができなかったので、日本人は
欧米人より体質的に糖尿病になりやすいとのことでした。

欧米人はあれほど太っていても糖尿病が少ないのに、日本人はそれほど
太っていなくてもどんどん糖尿病になってしまいます。

実際、日本人で糖尿病になった方の75%は、肥満ではないのです。

今年から始まったメタボ検診の判定基準のひとつにウエストがありますが、
ほとんど意味のないことがわかり、廃止される方向みたいです。

結論を言うと、日本人なら、どんな体型の方でも、花粉症と同じように
ある日、突然、糖尿病と診断される可能性があるということです。

そして、年代が上がるほど、その確率も高くなります。

1年に約50万人ずつ糖尿病患者が増えている国日本で、インスリン抵抗性
改善に役立つハーブの茎の秘密が解き明かされ、世界にこの事実が普及し
ていこうとしているのも偶然とは思えません。


        …………○…………○…………○…………

現在世界でいちばん売れている糖尿病の薬は、T薬品の「ア○○○」です。
これがこの一兆円企業の売り上げの4分の1を叩き出している看板商品です。

2006年「日本糖尿病学会」で、ス○○○に「ア○○○」の数百倍のインスリン
改善効果があり、しかも副作用が一切ないことが学術発表されました。

▼「デトックス」篇DVD資料請求フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P31478903

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        …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.「ご投稿・情報提供」: ハイアーセルフ33さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………


今年も、ハイアーセルフ33さんから、いくつかの情報をご投稿いただきまし
た。(^^)/

早速ご紹介します。

【件名】: あなたも同志かも?
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、明けましておめでとうございます。ハイアーセルフ33です。
 
 新年になり、私はある本をもう一度読み直しています。
 
 概要を記しておきました。皆さんのなかにも、ビビッとくる方がいらっしゃ
 ると思いま
 す。
 
 ****************************
 
 「ガイアプロジェクト2012」 〜地球5次元化計画〜 (徳間書店
 2008.2刊)  
 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32030142
 ……
----------------------------------------------------------------------

はるさん、今回はとても全文を掲載できませんでした。

もし、改めて掲載を望まれるようでしたら、次回に再度投稿なさってください。


        …………○…………○…………○…………


それから、定番シェルダン・ナイドル情報です。

【件名】: スピリチュアル・ハイアラーキーと銀河連邦
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 (チャネラー)シェルダン・ナイドルからの最新情報の日本語訳が、
 ONENESSのホームページに掲載されましたのでお知らせいたします。
 
 http://oneness-net.jp/pao-updates/pao20081223.html
----------------------------------------------------------------------

はるさん、いつも独自の抽出情報をありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:マインドの圏内で振動することの無意味さを……
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて、いつまで続きますことやら。

マインドの圏内で振動することの無意味さを、トコトン納得したいものだと願
っています。

それでは、おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
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