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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.250 2009/1/18(第250号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 988名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.サーダナとは背景に焦点を合わせること

2.写経ニサルガダッタ:
     【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】の2回目

3.いただいたお手紙から:或る私さん、K/Fさん、komalaさん、パールさん

4.編集後記:あとは、真剣さ誠実さの不足以外にどんな口実も……
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■ 1.サーダナとは背景に焦点を合わせること
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世の中に“整理術”……、というのがあります。

モノや情報を集めすぎて、なんとか“整理”しなければ、集めたモノを利用す
ることすらできなくなって、やむをえず発明するものだと思います。

誰もがそれぞれ自分なりのやり方で“整理”しているわけでしょうが……。

でも、どうやっても、とても“整理”しきれないほどのモノや情報を持ちたが
るわけですよね。

それで、“整理術”ということになるのだと思います。

“整理”……というようなことを思うと、遙か昔、子供のころ祖父に言われた
言葉を思い出すことがあります。

たしか……、子供のわたしが“ちゃんと片づけなさい”とかいうようなことを
言われている場面で、祖父がふと言ったのだろうと思いますが。

「一番いい掃除の方法は、散らかさないことだ」というようなことを言ったわ
けです。(@_@)

(年寄りの目に、わたしのふるまいはそう見えていたわけでしょう。)

今になってもまだ憶えているくらいですから、普段寡黙なおじいちゃんが直接
自分に向かって言った言葉に、そうとう強い印象を受けたんでしょうね。

「一番いい掃除の方法は、散らかさないことだ」……。

子供心にも、なるほど! (@_@)、と思うところがあったのだと思います。

しかし、これは年寄りの知見ですよね。(^_-)

そんなことを小学校に入ったか入らないかの子供に言ってきかせても、それは
無理な相談です。

好奇心いっぱいで、これから“ゴミ”を集めようとしているわけですから。

そういう言い方で言えば、人生というのは“欲しいモノ”を手に入れて、それ
を掃除しなければならない“ゴミ”にしていく過程のようなものでしょうね。

ふ……。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ニサルガダッタによれば、“モノ”も“情報”も、意識のコンテンツはすべて
“重荷”なのですから、悟りというのは“究極の整理術”みたいなものかもし
れません。

われわれ、あまりに欲が深くて、とうてい使い道も、使い方もわからないよう
な“モノ”や“情報”を集めすぎて、捨て方すらわからなくなって、その重荷
に苦しむわけです。

おじいちゃんふうに言えば「いちばんいい整理方法は、ゴミを集めないこと」
なのかもしれませんが……。

何を目指していたのか、めったやたらに観念や方策を集め続けて……。

自分のこれまでの“もがき”を回想しても、いったいどうやって、このすべて
の事態を了解したらいいのか、その了解方法を求めていたのだと思います。

要するに、いったいこれはどういうことなんだ、と。

この果てしない成長とか進化とかいうゲームを、どう了解し、納得すればいい
んだ?

何のために進化があって、地獄から天国まで歩まなくてはらないのか?

いったい、何のために……?、と。

そして、ニサルガダッタの言葉に出会った。

それは、これまで聞いたことがある言葉に似ているようでいて、じつは、とて
も違う言葉でもありました。

その心地よい不思議な“違和感”と論理性に誘われて、いつの間にか“マイブ
ーム”はニサルガダッタで止まってしまっていた……。

もう、読もうと思っても、他の本が読めなくなってしまった。

まるで、ニサルガダッタの言葉は、わたしを縛っているその縄の“結び目”だ
けを、集中的に狙って語られる言葉のようでもありました。

いったい、何のためにこんなものがあるの?

> あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。

(@_@)

そ、そんなこと言ったって、わたしがこんな厄介な世界をすべて“つくり出し
た”わけじゃあるまいし。

----------------------------------------------------------------------
 あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。
 欲望をもち恐れるとき、そして感情と自己同一化するとき、あなたは不幸と
 束縛を生みだす。
                          『私は在る』(p538)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

たしかに……、それはわかるけど……。

でも、いったいどうやって、それを免れることができるというのか?

----------------------------------------------------------------------
 あなたが愛と智慧とともに創造し、そして創造したものに執着しないとき、
 結果は調和と平和となるのだ。
                          『私は在る』(p538)
----------------------------------------------------------------------

そ……、そうなのか……。

たしかに、そう言われてみれば、そうかもしれないけど……。

それにしても、なんでこんなものがあるの?

なんでこんなことになってしまったの?

----------------------------------------------------------------------
 だが、マインドの状態はいかなるものであれ、それはどのようにあなたに影
 響を及ぼすのだろう?
                          『私は在る』(p538)
----------------------------------------------------------------------

ど、ど……、どんなふうにだって言うわけ? (?_?)

----------------------------------------------------------------------
 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
                          『私は在る』(p538)
----------------------------------------------------------------------

(@_@)

たしかに……。(-_-;)

自己同化しなければ、すべての問題は……ないわけか。

眼前に展開するすべてがわたしとは無関係なものであることを知っていれば、
何の問題もありえないわけか……。

----------------------------------------------------------------------
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によって遠い未
 来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のものとして使われるため
 にそこにあることが明らかになるまでは、自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。
 
                          『私は在る』(p538)
----------------------------------------------------------------------

……。(;_;)

> あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。

……そういうことだったのか。

> 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
> あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇気だ。

……最初は、“取りつく島もない”ような話だと思っていたけど。

絶対……、絶対に……“どんな構造にもたらい回ししない”ホントのところが
聞きたいものだと、思っていたら……。

だからこういう言葉がやってきたんだなぁ。

……。(-_-)

(-||-)

方向はわかった……。

方向はわかったけど……、自分用の“サーダナ”がいまいち決まらないなぁと
思っていた……。

でも、そうしたら、それもなんとなく輪郭が現れてきた……。

最初は、こんな形で……。

----------------------------------------------------------------------
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
                           『私は在る』(p27)
----------------------------------------------------------------------

こういう言葉が、はじめて聞こえてきた。

> 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。

いつも、何かに“苛立つような”、何かを“求めるような”スタンスでいたの
は、“自己を定義”しなければならないという一種の強迫観念があったんだ。

そんなふうに、何かを求めたりする必要はないんだ。(-_-)

強烈なのは、次のメッセージだった。

> すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。

あ。(@_@)

……本当だ。(-_-)

苛立つ必要も、求める必要も、なかったんだ……。

> すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。

わたしが身体でないことは、もう納得しているんだから。

わたしは、この現象世界で“何もの”にもなれないんだった……。

すべての現象はわたしに対して起こっている。

それは、たしか。

でも、わたしはその現象世界のなかの何者かにはなれない。

それは、もう十二分に納得したはずのことだった……。

だとしたら、いまさら何らかの自分の定義づけを求めて、苛立ったり、求めた
りする必要は、さらさらなかったんだ……。

わたしは何者でもありえない。

ただ、すべての現象はわたしに対して起こっている。

では、本当にわたしのものとは何なの?

----------------------------------------------------------------------
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。
                          『私は在る』(p463)
----------------------------------------------------------------------

> だが、映像はあなたではない。

現象のなかにわたしはいなかったんだ……。

いや、何度も何度も、繰り返し聞いたことだけど……。

わたしは「映画のスクリーン、光、そして見る力」だ。

だけど、「映像」はわたしじゃない。

わかった……。

(@_@)

じゃ、わたしはどうやって知ることができるの? (?_?)

わたしを知ることはできないの? (@_@)

> 本当にあなた自身のものを意識することはない。

アチャ。(>_<)

そ、そうなの? (;_;)

> あなたが意識していることは、あなたでもなければ、あなたのものでもない。

オガアジャ……。

> あなたのものとは知覚の力であり、あなたが知覚しているものではない。

何度も何度も、聞いてはいたけど……。(/_;)

そうなの……? (;_;)

----------------------------------------------------------------------
 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。
                          『私は在る』(p463)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> だが、あなたは人ではないのだ。

……。

だとしたら……、ことここに至って……、“サーダナ”とは……? (-_-)

そしたら、こんな言葉が聞こえはじめました。

----------------------------------------------------------------------
 今ここであなたがジニャーニとなることを、恐れ以外の何も妨げてはいない。
 あなたは非人格として在ること、あるいは非人格的存在を恐れているのだ。
 ことはまったくシンプルだ。
 欲望と恐れから、そしてそれらが生み出す想念から注意をそむけなさい。
 ……
 ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうのだ。
 
                          『私は在る』(p366)
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

----------------------------------------------------------------------
 群衆のなかを歩くとき、あなたは出会うすべての人と闘ったりはしない。
 ただ、その合間に通る道を見いだすだけだ。
                          『私は在る』(p366)
----------------------------------------------------------------------

たしかに……。

> ただ、その合間に通る道を見いだすだけだ。

“合間”を見ることなんだ……。

そういうことを、和尚からも何度も聞いたけど……。

そこまでこっちが煮詰まっていなかった。(-_-;)

でも、やっとこういう言葉が立体的な意味をもって聞こえ始めた。

サーダナとは背景に焦点を合わせることなんだ……。

現象として現れる“名前”も“形”も、すべて自己を定義しようとするとき、
その定義に役立てようとする属性にすぎない。

でも、

「すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない」

そして……わたしは運命に縛られた身体ではない。(-_-;)

にもかかわらず、わたしがその定義づけに興味をもって、自分を現象世界のな
かで定義しようとすれば……。

> ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうのだ。

わたしは、「マインドに支配されてしまう」わけか……。

そうか、サーダナとは、マインドに注意を払うことを拒否して、そのマインド
の背景に焦点を合わせることなんだ……。

それがいつも、自分(という気づき)を意識することにつながるんだ。

----------------------------------------------------------------------
 いずれにせよ、あなたは気づいている。
 そうあろうと試みる必要はない。
 あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。
 意図的に、そして意識的に気づいていなさい。
 気づきの領域を広げ、そして深めなさい。
 あなたはつねにマインドを意識している。
 だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。
 
                          『私は在る』(p238)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

そういうことだったのか……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
     【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回は、この章のタイトルが会話に出てくる部分です。

そこも素晴らしい。

そして“霊的ショッピング”についての言及も素晴らしいです。

> あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。
> それを見つけだしなさい。

このように“未知”として叙述されると、われわれは思わず慌てますよね。^^;

> 不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。

結局、われわれがやっているのはこれだけですからねぇ。(-_-)

> 「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
> れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
> ないのだ」と。

「私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要もない」。

もう、そのことを疑おうとは思いません。

では、【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 そうなのです。今、私は理解します。私のすべきことは、悪の存在
     を否定することだけなのです。そうすれば、それは消え去るでしょ
     う。しかし、それではある種の自己暗示と同じになってしまいませ
     んか?
 
 マハラジ
 自己暗示は、あなたが善と悪の狭間(はざま)に捕らわれ、あなた自身を個
 人と見なしている今、もっとも強力に作用しているではないか。
 私があなたに求めていることは、それをやめることなのだ。
 目を覚まし、ものごとをあるがままに見なさい。
 
 あなたがスイスの奇妙な友人と滞在したことで、彼との交際を通してあなた
 は何を得たのだろうか?
 
 質問者 まったく何も得てはいません。彼の体験は、私にまったく影響を与
     えませんでした。ひとつだけ私が理解したことは、そこには探求す
     べき何ものもないということです。私がどこへ行こうとも、旅の終
     わりに私を待ち受けているものは何もありません。発見は移動の結
     果ではないのです。
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたとは、得たり失ったりできるような何かからまったく離れたものなの
 だ。
 
 質問者 あなたはそれをヴァイラーギャ、放棄、断念と呼ぶのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこに放棄するようなものは何もない。
 もしあなたが獲得することをやめるなら、それで充分だ。
 与えるためにはもたなければならない。
 もつためには取らなければならない。
 取らないほうがいいのだ。
 それは「霊的な」自尊心となる危険性のある放棄を行うよりもシンプルだ。
 
 この、秤(はかり)にかけ、選択し、選定し、交換するといったすべてのこ
 とは、「霊的」マーケットでのショッピングなのだ。
 いったいあなたに何の関わりがあるというのだろう?
 どんな取引をするというのだろうか?
 あなたがビジネスをしようと躍起になっていないとき、この選択の果てしな
 い不安が何の役に立つというのだろう?
 落ち着きのなさは、あなたをどこへも連れていきはしない。
 あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。
 それを見つけだしなさい。
 そして、それが偽りであることを見極めなさい。
 それはある毒を飲み込んで、水への抑えきれない渇望に苦しむようなものだ。
 かぎりなく水を飲み込むよりも、毒を消去してこの焼けつくような渇きから
 自由になったらどうかね?
 
 質問者 私は自我を消去しなければならないでしょう!
 
 マハラジ
 「私は時間と空間のなかの個人だ」という感覚が毒なのだ。
 ある意味では、時間そのものが毒だ。
 時間のなかで、すべてのものごとが終焉(しゅうえん)し、新たに滅ぼされ
 るために生まれてくる。
 時間と自己同一化してはならない。
 不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。
 時間から外に踏みだして、それが世界を滅ぼすのを見るがいい。
 そして言うがいい。
 「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
 れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
 ないのだ」と。
 
 質問者 観照者は観照されるものがなくても存在できるのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこにはつねに観照される何かがある。
 もし観照されるものがなければ、その不在がある。
 観照は自然なもので、問題のないものだ。
 問題は自己同一化に導く、過剰な興味なのだ。
 何であれあなたを没頭させるものを、あなたは実在と見なしてしまう。
 
 質問者 「私は在る」は実在でしょうか、非実在でしょうか? 「私は在る」
     は観照者でしょうか? 観照者は実在でしょうか、非実在でしょう
     か?
 
 マハラジ
 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ。
 汚染され、混じりあい、依存し、はかないものが非実在だ。
 言葉に惑わされてはならない。
 ひとつの言葉が多くの矛盾した意味を伝えることさえあるのだ。
 快楽を追求し、不快を避ける「私は在る」は偽りだ。
 快楽と苦痛を分割できないものとして見る「私は在る」は、正しく見ている。
 知覚するものに巻き込まれた観照者が個人なのだ。
 超然と離れて動じない観照者が実在の見張り塔であり、それは非顕現に固有
 である気づきが顕現に接触する点だ。
 観照者なしに宇宙はありえない。
 宇宙なしに観照者はありえないのだ。
 
 質問者 時間は世界を食い尽くします。時間を観照するのは誰なのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 時間を超えた、名づけられないものだ。
 光を放って輝く燃えさしをぐるぐる速くまわすと、輝く輪として現れる。
 その動きが止んでも、燃えさしは残る。
 同じように、動きのなかの「私は在る」が世界をつくり出すのだ。
 「私は在る」が休息しているとき、それは絶対となる。
 あなたは懐中電灯をもって回廊を渡り歩く人のようだ。
 あなたは光線のなかのものしか見ることができない。
 他は暗闇なのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p366-368)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 そうなのです。今、私は理解します。私のすべきことは、悪の存在
>     を否定することだけなのです。そうすれば、それは消え去るでしょ
>     う。しかし、それではある種の自己暗示と同じになってしまいませ
>     んか?

たしかに、“賢い”マインドはこう考えますよね。

> マハラジ
> 自己暗示は、あなたが善と悪の狭間(はざま)に捕らわれ、あなた自身を個
> 人と見なしている今、もっとも強力に作用しているではないか。

御意。-_-;;

> 私があなたに求めていることは、それをやめることなのだ。

はい。

> 目を覚まし、ものごとをあるがままに見なさい。

わかりました。-_-;

> あなたがスイスの奇妙な友人と滞在したことで、彼との交際を通してあなた
> は何を得たのだろうか?

ホッ。-_-

> 質問者 まったく何も得てはいません。彼の体験は、私にまったく影響を与
>     えませんでした。ひとつだけ私が理解したことは、そこには探求す
>     べき何ものもないということです。私がどこへ行こうとも、旅の終
>     わりに私を待ち受けているものは何もありません。発見は移動の結
>     果ではないのです。
> 
> マハラジ
> そのとおりだ。

はい。

> あなたとは、得たり失ったりできるような何かからまったく離れたものなの
> だ。

わかります。

> 質問者 あなたはそれをヴァイラーギャ、放棄、断念と呼ぶのでしょうか?

あ……、専門語だ……。

> マハラジ
> そこに放棄するようなものは何もない。

(-_-)

> もしあなたが獲得することをやめるなら、それで充分だ。

(@_@)

> 与えるためにはもたなければならない。

はい。

> もつためには取らなければならない。

はい。

> 取らないほうがいいのだ。

ガーン! (*_*) ⌒★?

> それは「霊的な」自尊心となる危険性のある放棄を行うよりもシンプルだ。

はい。(;_;)

> この、秤(はかり)にかけ、選択し、選定し、交換するといったすべてのこ
> とは、「霊的」マーケットでのショッピングなのだ。

な、なるほど……。@_@

> いったいあなたに何の関わりがあるというのだろう?

た、たしかに。

> どんな取引をするというのだろうか?
> あなたがビジネスをしようと躍起になっていないとき、この選択の果てしな
> い不安が何の役に立つというのだろう?

はい、いえ……、まったく役に立たないと思います。

> 落ち着きのなさは、あなたをどこへも連れていきはしない。

たしかに。

> あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。

あああ……。

その通りです……。(/_;)

> それを見つけだしなさい。

はい。

> そして、それが偽りであることを見極めなさい。

はい。(;_;)

そのうろたえたマインドは、わたしではありません。

> それはある毒を飲み込んで、水への抑えきれない渇望に苦しむようなものだ。

わかります。

> かぎりなく水を飲み込むよりも、毒を消去してこの焼けつくような渇きから
> 自由になったらどうかね?

おっしゃるとおり。

> 質問者 私は自我を消去しなければならないでしょう!

ふーむ。

> マハラジ
> 「私は時間と空間のなかの個人だ」という感覚が毒なのだ。

なるほど。

> ある意味では、時間そのものが毒だ。

ある意味とは?

> 時間のなかで、すべてのものごとが終焉(しゅうえん)し、新たに滅ぼされ
> るために生まれてくる。

はい、たしかに。

> 時間と自己同一化してはならない。

そうか……。

> 不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。

そうか……。

> 時間から外に踏みだして、それが世界を滅ぼすのを見るがいい。

おお。(@_@)

> そして言うがいい。
> 「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
> れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
> ないのだ」と。

「私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要もない」……。

「私は在る」

> 質問者 観照者は観照されるものがなくても存在できるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> そこにはつねに観照される何かがある。
> もし観照されるものがなければ、その不在がある。

おお……。

> 観照は自然なもので、問題のないものだ。

そうなんですか……。

> 問題は自己同一化に導く、過剰な興味なのだ。

ああ……、なるほど。

> 何であれあなたを没頭させるものを、あなたは実在と見なしてしまう。

たしかに。

> 質問者 「私は在る」は実在でしょうか、非実在でしょうか? 「私は在る」
>     は観照者でしょうか? 観照者は実在でしょうか、非実在でしょう
>     か?

このひと、まとめて訊いた……。

> マハラジ
> 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ。

シーン……。(-_-)

「純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在」……。

> 汚染され、混じりあい、依存し、はかないものが非実在だ。

「汚染され、混じりあい、依存し、はかないものが非実在」……。(-_-)

> 言葉に惑わされてはならない。

(?_?)O

> ひとつの言葉が多くの矛盾した意味を伝えることさえあるのだ。

はい、たしかに。

具体的には、どんなことでしょうか?

> 快楽を追求し、不快を避ける「私は在る」は偽りだ。

ああ。

> 快楽と苦痛を分割できないものとして見る「私は在る」は、正しく見ている。

なるほど。

> 知覚するものに巻き込まれた観照者が個人なのだ。

それは、わかります。

> 超然と離れて動じない観照者が実在の見張り塔であり、それは非顕現に固有
> である気づきが顕現に接触する点だ。

なるほど……そういうことか。(-_-;)(← ちゃってぇ。(^_-) )

> 観照者なしに宇宙はありえない。

はい。

> 宇宙なしに観照者はありえないのだ。

わかりました。

> 質問者 時間は世界を食い尽くします。時間を観照するのは誰なのでしょう
>     か?

ホー、変わった質問だ。

> マハラジ
> 時間を超えた、名づけられないものだ。

……。(=_=)

> 光を放って輝く燃えさしをぐるぐる速くまわすと、輝く輪として現れる。

あ、はい。

> その動きが止んでも、燃えさしは残る。

わかります。

> 同じように、動きのなかの「私は在る」が世界をつくり出すのだ。

おお。(@_@)

> 「私は在る」が休息しているとき、それは絶対となる。

……そうか。(-_-)

> あなたは懐中電灯をもって回廊を渡り歩く人のようだ。
> あなたは光線のなかのものしか見ることができない。
> 他は暗闇なのだ。

『神へ帰る』にもそんな表現(「時間の回廊」)があったような……。

しかし、いずれにしろ、“懐中電灯”で時間の回廊の壁面を照らし出すことで
(つまり、注意を向けることによって)、われわれは自分の現実を投影(つま
り、創造)しているんだ。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/


        …………○…………○…………○…………


▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:或る私さん、K/Fさん、komalaさん、パールさん
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回も、或る私さんから謙虚なサポートメールをいただきました。

早速ご紹介します。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、こんにちは。
 
 心の深いところでは、結局、他人は他人なんですよね。
 言葉も通じないし、理屈も通じません。
 ただ、自分を導くものは自分しかないんですよね。
 
 ああだこうだ、言ったところでそれが真実でもないんですよね。
 結局は言葉にできないことを言葉にしている過ちが前提ですからね。
 絵の具でキャンパスの白い空間を描くようなものです。
 明らかにそれは矛盾していますよね。
 
 しかしそれでも白い空間を描いてみようとするマインドの遊びにしたがって
 またまた一言残したいと思います。
 
 
 > どうやら、それは間違いのないことだということがわかった。
 > 
 > わたし在るがゆえに、すべては在る。
 > 
 > これほど自明のことを否定することはできない。
 > 
 > もし、わたしが存在していなかったら……。
 > 
 > そういう状況を想像してみれば、そんなところで何が存在したところで、
 > わたしの知ったこっちゃないし、また事実、わたしには知りようもないだ
 > ろう。
 
 わたし在るがゆえに、すべては在る。
 なんと、自分勝手なんでしょうね。
 責任放棄もほどがあります。^^;
 
 だけどそれが真実なんですよね。
 
 ただここでの「私」は存在そのものであり、
 「私が存在していなかったら」は自己矛盾するのです。
 存在が存在していないなんて、言葉になりませんからね。
 
 私が存在そのものであると、自覚できない理由は
 私が存在することのできない或るものであると信じているからです。
 それ以外、なんの理由もありません。
 
 絵を描くとき、影をいかによく書けるかで光が当たっている
 実体の存在感が左右されるように
 個人が世界を認識とき、心をいかによく使うかで幸福の光が
 存在感をもって世界に現れるのです。
 
 ただ、絵の中の光がもともとの白いキャンパスより白いわけではないように
 世界の中の幸福は存在そのものの至福より、光っているわけではないので
 す。
 ただ、認識の錯覚のせいで、白いキャンパスよりもっと白い光を表現できる
 ように
 現実の世界も、沈黙の至福よりもっと幸せのような経験を認識することは可
 能になるのです。
 
 絵の中の白いキャンパスが存在そのものです。
 そこにはもともと何もないのです。
 そこに何を描こうと自由です。
 そしてその中に描いたりんごが自分であると錯覚しているのです。
 「もし、りんごが描かれていなかったら」は話になりますが、
 「もし、白いキャンパスを描いていなかったら」は話にならないのです。
 
 存在そのものである「私」はすべてを受け入れられます。
 それは何一つ「関係ない」ことはないのです。
 「知ったこっちゃない」ことではないのです。
 言葉のうえではただの執着とどう違うかがよく表現できませんが、
 自分が影である「絵の具」としての観点であればそれは執着になり、
 自分が光である「白いキャンパス」としての観点であればそれは愛になるの
 です。
 
 白いキャンパスに黒い一点を描くのは快感です。
 とっても目立ちます。
 他の色にしてみれば、その黒い一点のせいで
 自分がもっと目立つ一点を描けなくなり、とっても迷惑です。
 だけど白いキャンパスにしてみれば、それは何の迷惑ではないのです。
 ただ、どんな色の点が描かれてもすべてを受け入れるだけで、
 しかもそれらに生命をあたえるのです。
 
 ……
 
 いつも「あなたは違っている」ようなオオラをだしていることを
 とっても申し訳なく思っています。
 どんないい教えであろうとそれは所詮絵の具でしかないのです。
 白いキャンパスに塗れば塗るほどそれを隠してしまう毒なのです。
 
 ま、どうせ世の中、そのようなものですけどね。
 (あ〜〜、くらーいぃ) (- -;;)
 
 では〜
 
 m(_ _)m
----------------------------------------------------------------------

或る私さん、ありがとうございました。

> 心の深いところでは、結局、他人は他人なんですよね。
> 言葉も通じないし、理屈も通じません。

そういうことになりますねぇ。(^^;)

> ただ、自分を導くものは自分しかないんですよね。

まったく同感です。

> ああだこうだ、言ったところでそれが真実でもないんですよね。

ま、そういうことですよね。

> 結局は言葉にできないことを言葉にしている過ちが前提ですからね。

わかります。

> 絵の具でキャンパスの白い空間を描くようなものです。
> 明らかにそれは矛盾していますよね。

いずれにせよ、自分が納得するまでのプロセスだと思います。(^^;)

> しかしそれでも白い空間を描いてみようとするマインドの遊びにしたがって
> またまた一言残したいと思います。

よろしくお願いします。(^^)/

> > もし、わたしが存在していなかったら……。
> > 
> > そういう状況を想像してみれば、そんなところで何が存在したところで、
> > わたしの知ったこっちゃないし、また事実、わたしには知りようもないだ
> > ろう。
> 
> わたし在るがゆえに、すべては在る。
> なんと、自分勝手なんでしょうね。
> 責任放棄もほどがあります。^^;

ふふ。

> だけどそれが真実なんですよね。

はい。

> ただここでの「私」は存在そのものであり、

ははー……、ここですね。^^;

> 「私が存在していなかったら」は自己矛盾するのです。
> 存在が存在していないなんて、言葉になりませんからね。
> 
> 私が存在そのものであると、自覚できない理由は
> 私が存在することのできない或るものであると信じているからです。
> それ以外、なんの理由もありません。

或る私さん、わたし今回のメールをいただいて、なかなか不思議なプロセスを
たどりましたよ。^^;

たぶん、或る私さんもわたしも、とても真面目な人間なんだろうと思います。

同列に並べてしまっては、申し訳ないのかもしれませんが。

ただ、お互いその真面目さが使うレトリックの方向は、かなり違うようです。

わたしの真面目さは、いわば“エゴとして主張する真面目さ”です。^^;

或る私さんの真面目さは、いわば“実在として主張する真面目さ”です。

むろん「霊的修練は意志の主張と再主張だ」というわけですから、或る私さん
のスタンスが、ストレートで正しいことは間違いありません。

ただ、今回いただいたメールを読んだときのわたしの感じは、なかなかニュア
ンスに富んだものでした。^^;

というのは、わたしはエゴとして、「そんなところで何が存在したところで、
わたしの知ったこっちゃない」と、エゴの立場を主張したわけです。(^^;)

つまり、エゴの立場としても、失うものは何もないのだ、と暗に匂わせたかっ
たわけです。

そしたら、或る私さんに、“pariさん、それはエゴの立場であって、実在は違
うのです”と注意されたような面はゆさを味わったというわけです。(^^;)

(*-_-*)

……でも、むろん、それもまた一時の思いにすぎません。

エゴはいろんな“癖”を身につけていて、その癖に自己同化しているものです。

今回の或る私さんのメールは、わたしのその癖を照らし出してくれました。^^;

グッドタイミングで、適切なツッコミを入れていただいたかもしれません。

なるほど……(-_-;)、と思うところがありました。

別に、わたしはエゴとして主張しなくてはならない……というわけでもないん
ですよね。

ありのままの自分でいいのだと思います。

ただ……、となると、まさにすべて発明であり、創造となるでしょうが……。

脱線でした。(^^;)

> 絵を描くとき、影をいかによく書けるかで光が当たっている
> 実体の存在感が左右されるように
> 個人が世界を認識とき、心をいかによく使うかで幸福の光が
> 存在感をもって世界に現れるのです。

なるほど。

> ただ、絵の中の光がもともとの白いキャンパスより白いわけではないように
> 世界の中の幸福は存在そのものの至福より、光っているわけではないので
> す。

おお……、これは素晴らしい。(@_@)

> ただ、認識の錯覚のせいで、白いキャンパスよりもっと白い光を表現できる
> ように
> 現実の世界も、沈黙の至福よりもっと幸せのような経験を認識することは可
> 能になるのです。

或る私さんの展開ですねぇ。(-_-;)

> 絵の中の白いキャンパスが存在そのものです。

はい。

この理解が、或る私さんに今回のメールを書くように促したんですね。

> そこにはもともと何もないのです。

はい。

> そこに何を描こうと自由です。
> そしてその中に描いたりんごが自分であると錯覚しているのです。
> 「もし、りんごが描かれていなかったら」は話になりますが、
> 「もし、白いキャンパスを描いていなかったら」は話にならないのです。

なるほど。

> 存在そのものである「私」はすべてを受け入れられます。

はい、ここで「私」は、あくまでも「実在」を指しているわけですよね。

> それは何一つ「関係ない」ことはないのです。
> 「知ったこっちゃない」ことではないのです。

(*^_^*)

> 言葉のうえではただの執着とどう違うかがよく表現できませんが、
> 自分が影である「絵の具」としての観点であればそれは執着になり、
> 自分が光である「白いキャンパス」としての観点であればそれは愛になるの
> です。

おお……、よくわかります。(-_-)

(もちろん、今は、とか、言葉の上では、という条件をつけておきますが。)

> 白いキャンパスに黒い一点を描くのは快感です。
> とっても目立ちます。
> 他の色にしてみれば、その黒い一点のせいで
> 自分がもっと目立つ一点を描けなくなり、とっても迷惑です。

はは。

> だけど白いキャンパスにしてみれば、それは何の迷惑ではないのです。

おお……。

> ただ、どんな色の点が描かれてもすべてを受け入れるだけで、
> しかもそれらに生命をあたえるのです。

(-||-)

> ……
> 
> いつも「あなたは違っている」ようなオオラをだしていることを
> とっても申し訳なく思っています。

ふふ。

> どんないい教えであろうとそれは所詮絵の具でしかないのです。
> 白いキャンパスに塗れば塗るほどそれを隠してしまう毒なのです。

ま、そういうことに、なるわけですよねぇ。(-_-;)

でも、まだまだわたしには、まず言葉が必要ですから……。

> ま、どうせ世の中、そのようなものですけどね。
> (あ〜〜、くらーいぃ) (- -;;)

あはは。(^^)/

> では〜
> 
> m(_ _)m

ありがとうございました。

これからも、よろしくお願いします。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回、K/Fさんからビありがたいジネスメールをいただきました。

ご本人から掲載許可を得ましたので、早速、紹介させていただきます。

【件名】:Re: K/Fさま、DVDお送りしました。(^^)/
----------------------------------------------------------------------
 pariさんこんばんは、K/Fです。
 
 DVD,昨日届きました、本日、鑑賞しました。
 
 素晴らしい内容ですね! 登録の是非は、早めに連絡します。
 
 ところで、私は今ア・コース・イン・ミラクルズを学んでいて、
 癒しについてとても参考にしている所があります(^^)。
                   第28章です(他もですが・・・)
 http://www.eee.co.jp/fipc/
 ナチュラル・スピリット版が出版されるまでは、こちらから有料で入手でき
 ます。(フレーム版とPDF版でセットです)
 
 また、こちらはM/マクドナルド・ベインと、
 ベア−ド・スポルディングの本の内容が記載して下さっているサイトです。
        ↓
 http://www.otc.ne.jp/~bolivi-/index.html
 
 ここの「文学に観る真理」メニューです。
 
 初めの方に出てくる『キリスト・ヨーガ 解脱の心理・完結編』お奨めです!

 ご存知かもしれませんが、お話の種に・・・・。
 
 おじゃましましたm(_ _)m。
----------------------------------------------------------------------

K/Fさん、掲載許可、ありがとうございました。

> DVD,昨日届きました、本日、鑑賞しました。
> 
> 素晴らしい内容ですね! 登録の是非は、早めに連絡します。

ありがとうございます。

> ところで、私は今ア・コース・イン・ミラクルズを学んでいて、
> 癒しについてとても参考にしている所があります(^^)。
>                   第28章です(他もですが・・・)
> http://www.eee.co.jp/fipc/

ここ、良太さんも利用なさっていましたね。

> ナチュラル・スピリット版が出版されるまでは、こちらから有料で入手でき
> ます。(フレーム版とPDF版でセットです)

ほー、「ナチュラル・スピリット」から出版されるんですか。(@_@)

> また、こちらはM/マクドナルド・ベインと、
> ベア−ド・スポルディングの本の内容が記載して下さっているサイトです。
>        ↓
> http://www.otc.ne.jp/~bolivi-/index.html
> 
> ここの「文学に観る真理」メニューです。

こういうところがあったんですね。(@_@)

> 初めの方に出てくる『キリスト・ヨーガ 解脱の心理・完結編』お奨めです!
>  ご存知かもしれませんが、お話の種に・・・・。

いえ、知りませんでした。

ご興味のある方、ご覧になってみてくださいね。

> おじゃましましたm(_ _)m。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回、komalaさんが投稿フォームからメッセージをくださいました。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 ・・・ 
 不動性と沈黙は無為ではないのだ。
 ・・・
 
 これ、ものすごく良かったです。
 ここ数年来の?が解けました。
 ニサルガ師匠やパリさんのお陰です。
 ありがとう。
----------------------------------------------------------------------

komalaさん、こうして反応を聞かせていただけるのはとても嬉しいです。(^^)/

> 不動性と沈黙は無為ではないのだ。
> 
> これ、ものすごく良かったです。
> ここ数年来の?が解けました。

ほー。(@_@)

もしよければ、今度どんなふうに良かったのか、どんなことが「数年来の?」
だったのか、聴かせてくださいね。

> ニサルガ師匠やパリさんのお陰です。
> ありがとう。

ニサルガダッタと並べてもらったりして。(^^)/

ま、「私はそこに違いを見ない」でしょうけど。(^^;)

Love  pari


        …………○…………○…………○…………


これも私信なのですが、パールさんからいただいた返信メールの掲載許可を
お願いしました。

去年、お父様が、なんと105歳の天寿をまっとうされたそうです。(@_@)

【件名】:Re: パールさん、pariです。
----------------------------------------------------------------------
 pariさん
 おはようございます。
 
 いつもブログ読ませていただいています。
 先週の津留晃一さんのブログ、早速読んでいます。
 もう既に覚醒した方々がいらっしゃるのですね。
 晃一さんの到達した意識状態は見事なものだと思います。
 
 父は、数え年で105歳でした。
 ス○○○のお陰で安心して介護できたこと本当に有り難いでした。
 隣町に111歳の男性がいらっしゃいます。
 まだかくしゃくとしていて、一昨年は車の運転をしている映像が流れました。
 
 今年は火の浄化の年だそうで、正月から火事がありました。
 千美子さんは、12月23日から老化が始まった、3月から異常天候になる、7月
 から奪いあう事のブレーキが外れる、と述べています。
 今年から、更に浄化が激しく現象化することだろうと思います。
 
 お米を食べていただいて大変有り難いです。
 何しろこちらでは、無農薬で作ってもそれを購入してくださる方が見つかり
 ません。
 営業が足りないせいでもありますが。
 
 今年は、更に土作りを万全にしたいので、今ス○○○粉末を入れた米ぬかボ
 カシを作っています。
 田んぼ1反当たり、200kg撒きます。
 人間の腸の状態と田んぼの土の状態は同じです。
 共に善玉菌を増やさないと、健全な農作物はできません。
 ス○○○が、人間にも田んぼ畑にも良い作用を及ぼします。
 
 今年、いかに異常気象となろうと、それに負けない米作りをしたいと思いま
 すので、どうぞよろしくお願いします。
 
 パール
----------------------------------------------------------------------

パールさん、掲載させていただきましたよ。(よかったんですね。^^; )

> いつもブログ読ませていただいています。

ありがとうございます。

> 先週の津留晃一さんのブログ、早速読んでいます。

素晴らしいでしょ。

> もう既に覚醒した方々がいらっしゃるのですね。

そうなんですよねぇ。

> 晃一さんの到達した意識状態は見事なものだと思います。

はい。

> 父は、数え年で105歳でした。

天寿をまっとうされたんですねぇ……。

> ス○○○のお陰で安心して介護できたこと本当に有り難いでした。

よかった……。(-||-)

> 隣町に111歳の男性がいらっしゃいます。

なんと、まだ上の方がいらっしゃった! (@_@)

> まだかくしゃくとしていて、一昨年は車の運転をしている映像が流れました。

上には上があるもんですねぇ。(*_*)

> 今年は火の浄化の年だそうで、正月から火事がありました。

そうでしたか。

> 千美子さんは、12月23日から老化(浄化?)が始まった、3月から異常天候に
> なる、7月から奪いあう事のブレーキが外れる、と述べています。
> 今年から、更に浄化が激しく現象化することだろうと思います。

そうですか。

> お米を食べていただいて大変有り難いです。

去年の暮れに電気圧力釜を買ったんですよ。

とってもおいしくいただいています。

> 何しろこちらでは、無農薬で作ってもそれを購入してくださる方が見つかり
> ません。
> 営業が足りないせいでもありますが。

これから、本当にいい物の価値が明らかになってくるのではないでしょうか。

> 今年は、更に土作りを万全にしたいので、今ス○○○粉末を入れた米ぬかボ
> カシを作っています。
> 田んぼ1反当たり、200kg撒きます。

ご苦労さまです。

> 人間の腸の状態と田んぼの土の状態は同じです。

なるほど。

> 共に善玉菌を増やさないと、健全な農作物はできません。
> ス○○○が、人間にも田んぼ畑にも良い作用を及ぼします。

ありがたいですね。

> 今年、いかに異常気象となろうと、それに負けない米作りをしたいと思いま
> すので、どうぞよろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いします。

Love  pari


        …………○…………○…………○…………


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【映画『感染列島』 と ス○○○】

今回も洒落名人さんの通信から転載させていただきます。m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………

おととい、出張先のホテルで深夜、屋上露天風呂で半身浴しながら大型テレビ
を観ていたら、俳優の妻夫木聡さんがインタビュー出演されていました。

1月17日公開の映画『感染列島』の主題歌『夢の蕾』を歌うレミオロメンの3人
との対談形式でしたが、妻夫木さんは、人間にとっては何かと脅威のウイルス
ですが、ウイルスの立場で考えると、ウイルスも生命のひとつだから、上手に
共存していくという考え方もあるし、よく考えてみれば地球にとってのウイル
スは人間そのものだから、そういう意味で人間はどうあるべきか、人間として
命をどう考えるべきか、この映画を通じてそれを考えるきっかけになれば・・
・とおっしゃっていました。

昨年4月、福井の皆さんに新型インフルエンザとス○○○についてのDVD
上映会に出かけたときも、朝、ホテルで見た番組で『感染列島』の撮影ロケ
風景が紹介されていて、どうやらこの映画とス○○○もシンクロしそうな予感
がしています。

皆さん、観に行ってもいいなの1月17日は、是非、観に行きましょう!

『感染列島』妻夫木聡 単独インタビュー
http://cinematoday.jp/page/A0002016 


        …………○…………○…………○…………


この“奇跡のハーブ”の抽出液は、体外から入ってくるウイルスを多糖体で包
んでクラスターを大きくし、細胞に入るのを防いで体外に排出します。

“新型インフルエンザ”ウイルスのどんな変異にも対応できる能力です。

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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

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        …………○…………○…………○…………



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■ 4.編集後記:あとは、真剣さ誠実さの不足以外にどんな口実も……
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こんなに恵まれて、こんなに状況が調って……。

障害になりうる状況がだんだん消えていくようです。

あとは、真剣さ誠実さの不足以外にどんな口実もありえませんね。(*-_-*)

慌てずに、ゆっくりいくつもりです。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pari♪jk2.so-net.ne.jp(“♪”→“@”に。m(_ _)m)
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