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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.259 2009/3/22(第259号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 983名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.“夢の小図書館”

2.写経ニサルガダッタ:【42 実在とは表現不可能なもの】の2回目

3.いただいたお手紙から:ハイアーセルフ33さん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:ううう……。(-_-;)(←困ってる。(^_-) )
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■ 1.“夢の小図書館”
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春ですね。

今日は日本中が晴天だそうです。

(もっとも配信されるときは違うのかもしれませんが。)

快晴ですが……、ただ、いわば“雲のなかの快晴”みたいなもんですね。(^_-)

マインドという“汚れ”のなかの話です。

“汚れ”のなかの……という表現が耳障りなら、“現れ”のなかの……とでも
言いなおしましょうか。

あるいは、“非実在”のなかのとでも言うのか……。

“現れ”のことがいっさい気にならなくなったら……、それは……気楽と言え
ば気楽でしょうよね。(*^_^*)

だって、ほら、知覚の対象はすべて“現れ”にすぎないわけだから、“現れ”
は気にする必要がないのなら、気にすべきことなど何もない理屈です。

理性は“心配すべきだ”と言う……。

お前はこの身体として世界のなかに生まれ、身体として生存し、年を取ってい
くのだから、この身体のサバイバルのためにもっと心配しろ、と言う……。

でも、ニサルガダッタは「あなたは身体ではない」と言う。

あなたの身体は“現れ”の一部にすぎず、“現れ”は全体で“あるがまま”の
物語を紡いでいるだけで、あなたはそれをコントロールできない。

「あなたがするべきことは、夢を夢として見ることなのだ」……。

なんか、こっちのほうが楽なような気もしてきたけど……。

はてさて、どちらの言うことを聴いたものか……。(-_-;)

楽な方にしようかなぁ。

帰ろかなぁ〜♪、帰るのよそうかなぁ〜♪

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

昔、埴谷雄高の『死霊』という本をとても大事に読んでいた時がありました。

この世界には何らかの“意味”があると思っていたから……。(*-_-*)

当時は、ああいう一種の“暗さ”や“深刻さ”のなかに、そういう「真理」と
いうか、何らかの“意味”を探し求める時代だったのかもしれません。

『死霊』はそういう雰囲気のひとつの象徴のような本だったと思います。

そして時代は流れて、今度はニューエイジというのか、“明るさ”や“軽さ”
“繊細さ”のなかに「真理」を探し求めるような風潮が訪れました。

どちらが正しいとか間違っているとか、上等だとか下等だとかいうことではな
いのでしょう。

“現れ”の諸相である意識は、対極を通じてしか顕現できないわけですから。

----------------------------------------------------------------------
 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。
                          『私は在る』(p434)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

『死霊』のことを思い出したのは、この本のどこかに、究極の一冊だけを蔵書
とする“夢の小図書館”のイメージがあったのを思い出したからです。

(いま、手持ちの『死霊』を出してパラパラ探してみたけど、それがどこにあ
 ったのか見つからなかった。^^;

 どなたかご存じの方がいたら、教えていただけると嬉しいです。
 http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702 )

もちろん、現象世界にそのような“究極の一冊”が具現することはありえない
……でしょう……。(^^;)

そのような“夢の小図書館”が、宇宙のどこかにあるとは思えない。

その意味では、そのような“夢の小図書館”は不可能性の象徴とも言えます。

それは、いわば万人にとっての“宇宙の意味”が記された本が、この現象宇宙
のどこかに存在する、と考えるようなものですから。

この幻想宇宙時空間内のどこか特定の場所に、万人用の“宇宙からの出口”が
存在する、と考えるのと似たところがあるかもしれません。

それはともかく、当時もそういう図書館があるとは思えなかったです。

でも、なぜかその“夢の小図書館”のイメージは頭の片隅に残りました。

しかし……、今になって翻って考えてみるに……。(-_-)

個人に対しては、そのような“夢の小図書館”はありうるのかも……、とも思
えてきました。

そして……、もしそのような“究極の一冊”がありうるとしたら……、自分は
もうそれに出会っているな……、と思います。(*-_-*)

これ以上の意を尽くした言葉と論理に出会うことはできないでしょう。

というか……、これ以上もう言葉で納得すべきことなど、何も残っていないと
いう気がします。

それほど、福間巌さんが訳してくださったニサルガダッタの『私は在る』は、
わがマインドに向けて達意に状況を説明してくれました。

----------------------------------------------------------------------
 結局、あなたの唯一の問題とは、何であれあなたが知覚するものと、熱心に
 自己同一化することなのだ。
 この習慣を捨てなさい。
 あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
 注意深く、超然と離れて在る力を使いなさい。
                          『私は在る』(p503)
----------------------------------------------------------------------

これほど約(つづ)めた表現のなかに、これほどの真実を凝縮できる……。

> 結局、あなたの唯一の問題とは、何であれあなたが知覚するものと、熱心に
> 自己同一化することなのだ。

まったく……これこそが「唯一の問題」です、……たしかに。(-_-;)

そして、われわれのそれほど熱心な“自己同一化”にもかかわらず、

> あなたはあなたが知覚するものではない

という端的な事実の指摘……。

だとしたら、それに対する処方として、

> この習慣を捨てなさい。

という以外の方法があるはずもない……。

しかし……、それはちょっと耳にしてすぐに実行できるといったものではない。

だとしたら、結局、

> 注意深く、超然と離れて在る力を使いなさい。

つまり、「注意深く、超然と離れて在る力」を養って、それを使えるまでにな
る以外に道はないわけです。

われわれはすぐに、問題の原因をどこか外側の何かに求めたくなる。

いったい誰に責任があるのか、誰が悪いのか?

いったい何が原因で、世界はこんなにも愚かで残酷なのか?

すると……ニサルガダッタはじつに不思議なことを言います。

> この残酷な世界が誰にとって現れるのかを見いだしなさい。
> そうすれば、なぜそのように残酷に現れるのかを知るだろう。

(?_?)

> あなたの質問は完全に正当なものだ。
> しかし、それが誰にとっての世界なのかをあなたが知るまでは、それに答え
> ることはできないのだ。

え、なんで!?

だって、なんで世界はこんなにも愚かで残酷なの、って訊いたんだよ。(?_?)

> あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人に尋ねなけ
> ればならない。

そ、そりゃ、そうだけど……。

> だから言っているのだ。
> あなたが住んでいるこの世界をつくり出した人はあなたなのだ。

えっ、そうなの! (@_@)

----------------------------------------------------------------------
 あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるのだ。
 
                          『私は在る』(p398)
----------------------------------------------------------------------

アチャ。(>_<)

----------------------------------------------------------------------
 この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。
 喜びへの欲望をあきらめなさい。
 そうすれば、あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。
 
                          『私は在る』(p100)
----------------------------------------------------------------------

そんな……。

(-_-)

たしかに……、それなら完璧に理屈にあっているけど……。(;_;)

> 世界の問題は、それぞれが自分の欲望や恐れでいっぱいの、無数のあなたの
> ような人々によってつくり出されているのだ。

わかる……。

> あなたの個人的、社会的な過去から、誰があなたを解放できるというのだろ
> うか?

そうだけど……。(/_;)

----------------------------------------------------------------------
 そしてあなた自身が、幻想から生まれた欲望から自由になることへの切迫し
 た必要性を見ないかぎり、どうやって世界の問題を解決するというのだろう
 か?
                          『私は在る』(p301)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-;)

(@_@)

……でも、これからいい時代が来るんじゃないの?

みんな、そう言ってるよ。

ほら、アセンションとかさ……。

> 時が来れば、私たちははじまりの地点に戻ってくる。
> 空間が空間の外に私たちを連れだすことができないように、時間は時間の外
> に私たちを連れだすことはできない。(p437)

いけず……。(/_;)

じゃ、時空間のなかのどこに向かっても意味がないの?

----------------------------------------------------------------------
 どこであろうと、それが導くところ、それは夢だ。
 夢を超えていこうとする考えそのものが幻想なのだ。
 なぜどこかへ行かなければならないのか?
 あなたはただ世界という夢を見ているのだ、ということを悟りなさい。
 そして、出口を探すのはやめなさい。
 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、あなたが夢のなかのある部分が好きで、別の部分が嫌いだというこ
 とだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、為(な)すべきことはすべて為し終えたの
 だ。
                          『私は在る』(p135)
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

努力すること……、幸せを求めることに……意味はないのかなぁ……。

----------------------------------------------------------------------
 何をしようとあなたが変わることはないだろう。
 なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。
 あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
 だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。
 いったいどうして変わることを気にするのか?
 身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
 しなさい。
 そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。
 明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
 う。
                          『私は在る』(p540)
----------------------------------------------------------------------

> 身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
> しなさい。

「身体もマインドも、また意識さえも」わたしではない……。

うーむ。(-_-;)

----------------------------------------------------------------------
 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
 ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
 て在ることの奴隷になってしまう。
 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
 ことは奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
                          『私は在る』(p207)
----------------------------------------------------------------------

わった……。

> 実際には、私たちに物語はない。

わたしは……まだ物語を生きていると思っている。

ということは……、そう思っている“わたし”はわたしではない、ということ
か……。

> 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。

わたしはまだ、自分を時空間のなかで継続している(過程だ)と思っている。

ということは……、そう思っている“わたし”はわたしではない、ということ
か……。

わたしは、その思考を見ている。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【42 実在とは表現不可能なもの】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

じつに……、誤解しようもない言葉が続きます。

> あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。

自分の“マインドをよく知る”、それがわれわれにできる肝心なこと……。

> それは泥棒を見守るようなものだ。
> 泥棒から何かを期待しているわけではない。
> だが、あなたは盗まれたくはない。

なるほど……なるほど……、そういうことか。

> あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
> ことは奴隷状態の本質なのだ。

そういうことだったのか……。

> 実際には、私たちに物語はない。

そうか……。(-_-)

では、【42 実在とは表現不可能なもの】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 どうすればそれを成しとげることができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それについてできることは何もない。
 だが、あなたは障害をつくり出すのを避けることができる。
 あなたのマインドがどのように存在のなかに現れたか、どのように作用する
 かを見守りなさい。
 マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自身を発見す
 る。
 あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守る人の背後
 にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
 その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
 その源のみが存在するのだ。
 その源に帰りなさい。
 そしてそこに永続的に在りなさい。
 それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。
 神は偉大で素晴らしきすべてだ。
 私は無だ。
 何ももたず、何もできない。
 だが、すべては私から立ち現れる。
 その源が私だ。
 その根底と源泉が私なのだ。
 
 実在があなたのなかで爆発するとき、あなたはそれを神の体験と呼ぶかもし
 れない。
 あるいは、むしろ神があなたを体験していると言えよう。
 あなたが自己を知るとき、神があなたを知るのだ。
 実在はひとつの過程の結果ではない。
 それは爆発なのだ。
 それは明らかにマインドを超えたものだ。
 しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
 マインドがあなたを助けるのではない。
 だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能してしまうのを避け
 ることができる。
 あなたはとても注意深くならなければならない。
 さもなければ、マインドはあなたを裏切るだろう。
 それは泥棒を見守るようなものだ。
 泥棒から何かを期待しているわけではない。
 だが、あなたは盗まれたくはない。
 同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
 を払うのだ。
 
 別の例をとってみよう。
 私たちは目覚め、そして眠る。
 一日の仕事の後に眠りはやってくる。
 さて、私が眠りに行くのだろうか、それともその特質であるように、眠りが
 私に侵入するのだろうか?
 言い換えれば、私たちが目覚めるのは私たちが眠っているからだ。
 私たちは本当の目覚めの状態に目覚めるのではない。
 目覚めの状態のなかに、無知によって世界は出現し、人を目覚めた夢の世界
 に連れだす。
 眠りも目覚めも、ともに正しい名称ではない。
 私たちは夢を見ているだけなのだ。
 真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
 私たちは目覚めているという夢を見ている。
 私たちは眠っているという夢を見ている。
 三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
 すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
 ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
 て在ることの奴隷になってしまう。
 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
 ことは奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
 
 質問者 あなたに耳を傾けることで何の得があるのでしょう?
 
 マハラジ
 私は、あなたをあなた自身に呼び戻している。
 私があなたに求めることは、あなた自身を見ることだけだ。
 あなた自身に向かい、あなた自身のなかへと見入ることだ。
 
 質問者 目的は何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたは生き、あなたは感じ、あなたは考える。
 あなたの生きること、感じること、考えることに注意を払うことで、あなた
 はそれから自由になり、それらを超えていく。
 あなたの人格は消え去り、観照者だけが残る。
 それから、あなたは観照者をも超える。
 どのようにそれが起こるのかを尋ねてはならない。
 ただ、あなた自身の内面を探りなさい。
 
 質問者 個人と観照者の違いは何によるのでしょうか?
 
 マハラジ
 どちらも意識の様式だ。
 一方で、あなたは欲望し恐れる。
 他方で、あなたは快楽と苦痛によって影響されず、出来事に動揺しない。
 あなたはそれらが来ては去るにまかせる。
 
 質問者 どのようにして高次の純粋な観照状態のなかに確立するのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 意識はそれ自体では輝かない。
 それは背後にある光によって輝くのだ。
 意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
 の光を見いだしなさい。
 そこには意識の内容とその気づきがある。
 
 質問者 私は知っています。そして知っているということを知っています。
 
 マハラジ
 二つ目の知識が無条件で永遠のものなら、そのとおりだ。
 知られるものは忘れてしまいなさい。
 しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。
 いつまでも体験に浸っていてはいけない。
 あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
 きなさい。
 それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
 するだろう。
 
 質問者 人はどの時点で実在を体験するのでしょうか?
 
 マハラジ
 体験とは変化するものだ。
 それは来ては去っていく。
 実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。
 それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。
 もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
 ないだろう。
 なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。
 それは期待されることではなく、気づくことだ。
 予想して準備することではない。
 だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。
 あなたにできることは、核心を理解することだ。
 実在は出来事ではなく、起こることでもない。
 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体
 験として見なさい。
 そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。
 そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
 出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
 ない。
 しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
 下ろしたことになるのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p206-209)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

前回の最後は、マハラジの「実在に発展というものはない。実在は最終的な、
完全なもので、関係性を持たないものだ」という言葉で終わっていました。

> 質問者 どうすればそれを成しとげることができるのでしょうか?

どうすれば、その実在を“成しとげること”ができるのか?

> マハラジ
> それについてできることは何もない。

やっぱり。(-_-;)

このこと自体は、とてもありがたいようでもあるけど……。

でも、そうすると、できることは何もないわけ? (;_;)

> だが、あなたは障害をつくり出すのを避けることができる。

おお! (@_@)

> あなたのマインドがどのように存在のなかに現れたか、どのように作用する
> かを見守りなさい。

できることは、あるとも言えるんだ。

> マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自身を発見す
> る。

ああ、なるほど。

見守る人としての自分を発見する……。

> あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守る人の背後
> にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。

おお……。(@_@)

“見守る人の背後にある光”としての自分自身……。

> その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
> その源のみが存在するのだ。

そうか……。

> その源に帰りなさい。

はい。

> そしてそこに永続的に在りなさい。

(-_-)

> それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。

言表可能ないかなる場所にもない。

> 神は偉大で素晴らしきすべてだ。

はい。

> 私は無だ。

おお。

> 何ももたず、何もできない。

はい。

> だが、すべては私から立ち現れる。

(@_@)

> その源が私だ。

(*_*)

> その根底と源泉が私なのだ。

(-||-)

> 実在があなたのなかで爆発するとき、あなたはそれを神の体験と呼ぶかもし
> れない。

そうなんだ。

> あるいは、むしろ神があなたを体験していると言えよう。

(-_-)

> あなたが自己を知るとき、神があなたを知るのだ。

(;_;)

> 実在はひとつの過程の結果ではない。

わかります。

> それは爆発なのだ。

あ。(@_@)

> それは明らかにマインドを超えたものだ。

はい。

> しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。

そうか。

> マインドがあなたを助けるのではない。

わかります。

> だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能してしまうのを避け
> ることができる。

そうか……。

> あなたはとても注意深くならなければならない。

(-_-;)

> さもなければ、マインドはあなたを裏切るだろう。

はい。

> それは泥棒を見守るようなものだ。

(@_@)

> 泥棒から何かを期待しているわけではない。

はい。

> だが、あなたは盗まれたくはない。

わかります。

> 同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
> を払うのだ。

……そうか。(-_-;)

> 別の例をとってみよう。
> 私たちは目覚め、そして眠る。
> 一日の仕事の後に眠りはやってくる。
> さて、私が眠りに行くのだろうか、それともその特質であるように、眠りが
> 私に侵入するのだろうか?

どっちなの? (?_?)

それにどういう違いがあるんだろう……?

> 言い換えれば、私たちが目覚めるのは私たちが眠っているからだ。

ああ……、そういう意味なの?

……でも、それはたしかだ。

毎日目覚めるのは、毎日眠っているからだけど……。

> 私たちは本当の目覚めの状態に目覚めるのではない。

ふーん。

> 目覚めの状態のなかに、無知によって世界は出現し、人を目覚めた夢の世界
> に連れだす。

そうか……。

> 眠りも目覚めも、ともに正しい名称ではない。
> 私たちは夢を見ているだけなのだ。

そうか。(-_-;)

> 真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。

はい。

> 私たちは目覚めているという夢を見ている。

はい。

> 私たちは眠っているという夢を見ている。

はい。

そして、夢もない眠りがある。

> 三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。

理解できます。

> すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。

そうなんだ……。(-_-)

> 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。

夢に現実性を与えるかぎり、わたしはその夢の奴隷……。

> ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
> て在ることの奴隷になってしまう。

理解できます。

> あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
> ことは奴隷状態の本質なのだ。

なんと! (@_@)

“奴隷状態”かぁ……、しっかし、きつい言葉を使うよなぁ。(-_-;)

> 実際には、私たちに物語はない。

そうか……、実際には、わたしに物語はないのか……。

物語をもつ者はわたしではない……ということか。(-_-)

> 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。

わたしは過程ではない。

わたしは発展もしない。

わたしは崩壊もしない。

そうか……。

> すべてを夢と見て、動じずにいなさい。

(;_;)

はい。(-||-)

> 質問者 あなたに耳を傾けることで何の得があるのでしょう?

ふふ。

> マハラジ
> 私は、あなたをあなた自身に呼び戻している。

はい。

> 私があなたに求めることは、あなた自身を見ることだけだ。
> あなた自身に向かい、あなた自身のなかへと見入ることだ。

わかります。

> 質問者 目的は何なのでしょうか?

ふふ……このひと。^^;

> マハラジ
> あなたは生き、あなたは感じ、あなたは考える。

たしかに。

> あなたの生きること、感じること、考えることに注意を払うことで、あなた
> はそれから自由になり、それらを超えていく。

そうなのか……。

注意を払うことで、それから自由になり、それらを超えていく……のか。

> あなたの人格は消え去り、観照者だけが残る。

わたしの人格は消え去り、観照者だけが残る……。

> それから、あなたは観照者をも超える。

それから、観照者をも超える……。

> どのようにそれが起こるのかを尋ねてはならない。
> ただ、あなた自身の内面を探りなさい。

(-||-)

> 質問者 個人と観照者の違いは何によるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> どちらも意識の様式だ。

そうなんだ。

「観照者」も意識の様式なんだ……。

> 一方で、あなたは欲望し恐れる。

「個人」としてのわたしは、欲望と恐れの奴隷か……。

> 他方で、あなたは快楽と苦痛によって影響されず、出来事に動揺しない。
> あなたはそれらが来ては去るにまかせる。

「観照者」としてのわたしは、快楽と苦痛によって影響されず、それらが来て
は去るにまかせるのか……。

> 質問者 どのようにして高次の純粋な観照状態のなかに確立するのでしょう
>     か?

うん。

> マハラジ
> 意識はそれ自体では輝かない。
> それは背後にある光によって輝くのだ。

映画やテレビの映像と同じだなぁ。

> 意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
> の光を見いだしなさい。

夜空の雲を照らし出す探照灯のような……、夢の回廊を照らし出す懐中電灯の
ようなものか……。

> そこには意識の内容とその気づきがある。

“意識のコンテンツ”も“気づき”も、その背後の光のなかにあるのか。

> 質問者 私は知っています。そして知っているということを知っています。

おっ。

> マハラジ
> 二つ目の知識が無条件で永遠のものなら、そのとおりだ。

ふーん。

> 知られるものは忘れてしまいなさい。

映像は……あまり注意に値しないのか。

> しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。

はい。

> いつまでも体験に浸っていてはいけない。

ドキッ! (*@_@*)

> あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
> きなさい。

はい。-_-;;

> それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
> するだろう。

とにかく、いつも自分が知る者だということは覚えていなくては……。

> 質問者 人はどの時点で実在を体験するのでしょうか?

“実在の体験”って……ないんじゃなかったっけ。(*-_-*)

> マハラジ
> 体験とは変化するものだ。
> それは来ては去っていく。

はい。

> 実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。

はい。

> それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。

わかります。

というか、覚えました。(*-_-*)

> もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
> ないだろう。

はい。

> なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。

わかります。

> それは期待されることではなく、気づくことだ。

はい。

> 予想して準備することではない。

了解です。

> だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。

そうか……。

> あなたにできることは、核心を理解することだ。

核心を理解した……ようでもあり……。(*-_-*)

> 実在は出来事ではなく、起こることでもない。

はい、わかります。

> 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。

わかります。

> 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体
> 験として見なさい。

はい。

> そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。

……。(-_-)

じゃ、できることはすべて為し終えた……のか……。(*-_-*)

> そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
> 出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
> ない。

はい。

> しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
> 下ろしたことになるのだ。

(*@_@*)

……そうか。(;_;)

「好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん」……。

こりゃ先が長いや……。(*-_-*)

わった……。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 3.いただいたお手紙から:ハイアーセルフ33さん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、ハイアーセルフ33さんから「情報提供フォーム」経由でいただいたメ
ールに、わたしの文章へのコメントがありましたので、こちらでご紹介させて
いただきます。(^^)/

【件名】:すべてが満たされる原理
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 前回のメルマガで、パリさんの言葉で次のような部分がありました。
 
 > 結局のところ、われわれエゴの願いは、この現在の身体ぐるみでの安楽・
 > 救済ということだろうと思います。ところが、覚者の言葉は必ず、それが
 > あり得ないことを伝えることになる。それはあきらめなさい、と。
 
 この言葉は、誤解されやすいので、コメントの必要を感じました。
 
 高次元の多くの「悟っている存在」が語っている共通項としては、「身体ぐ
 るみでの安楽・救済」を本当の意味で実現したかったら、‘神聖な意志’に
 すべてをゆだねなさい。そうすればそうなる、ということであると思いま
 す。
 
 ただ、エゴをもったままではそうならない。エゴをはずして「委ねれば」、
 存在の神聖な魔法が働いて(笑)、いやでも「そうなる」ものです、という
 原理をあちこちで語っています。
 
 ニサルガさんも別なところで、その原理を肯定していますよね。
 
 それが光明やアセンションに伴う原理といってよいのではないでしょうか。
 
 ニサルガさんや、その他の悟った方は、その境地に連れて行くために、「エ
 ゴの保身」をやめさせるための目的で言っているだけと理解してよいと思い
 ます。
 
 そう理解していないと(定義していないと)、けっして光明(悟り)やアセ
 ンション(次元上昇)に対して肯定的に思えないし、ニサルガさんの情報も
 自分に取り込んでいく気にならないと思うのですね。
 
 ヨガ行者で、スワミ・サッチ・ダーナンダという方がこう答えています。
 
 「なぜ、あなたはすべてを捨てたのですか?」という問いに対して、
 「すべてを手に入れるためだ」といっていました。
 
 最初は、十分それでいいと思うんです。その持続的な意志が、自分の推進力
 となって、ある時、その人に合わせた形で、そのタイミングで「捨てれば」
 いいわけです。
 
 「今、捨てる」必要はありません。原理的には「今、捨てれば最短距離」で
 すが、原理的な最短コースは、必ずしも個生命の独自性(諸要因)から観て
 の最短コースではありませんね。
 
 むしろ「やる気」を損ねてしまいかねません。ほとんどの人はポジティブな
 明るい前向きな情報と手段を必要としています。
 
 もちろんパリさんは、このことを否定しないでしょうが、多くの読者の中に
 は、ニサルガ症候群の人もいるのではないかと思い、老婆心ながら訴えてお
 きたいと思いました。
----------------------------------------------------------------------

はるさん、コメントありがとうございました。

ただ……、正直言って、わたしにはちょっと異論があります。(^^;)

つまり、はるさんのこのコメントは、ことニサルガダッタの肝心要のメッセー
ジに関しては、まったくの“虚偽”になるという意味で。

ニサルガダッタは、他のマスターたちととても違った表現力を持っています。

この驚異的な表現力は、わたしのようなタイプのマインドに対して、じつに驚
くべき貫通力を発揮します。

わたしは今、毎週こうしてニサルガダッタを写経しています。

そして、写経しながら理解していることは、これまでの生涯でまったく理解し
ていなかったことばかりなのです。

そういうことだったのか……(@_@)、というまさに“目からウロコ”とでも言う
しかない端的な理解が起こっています。

つまり、言いたいことは、わたしが今ニサルガダッタから聴いていることは、
いまだかつて他の誰からも聞いたことがないメッセージだということです。

他のマスターがそういうことを言っていなかったという意味ではありません。

ただ、わたしには聞こえなかった……という意味です。

そしてそのわたしにすら、ニサルガダッタのメッセージは聞こえたという意味
でもあります。

聞こえなかったのは、pariさんのタイミングが来ていなかったからだ……、と
はるさんは言うのでしょうか。

そして今度聞こえたとすれば、それがpariさんのタイミングだったからだと。

わたしは、そんな傲慢なことを言うつもりはありません。

これほど誤解の余地を排除して語ってくださったニサルガダッタの真の老婆心
に、感謝するばかりです。(-||-)

はるさんは、
> 高次元の多くの「悟っている存在」が語っている共通項としては、「身体ぐ
> るみでの安楽・救済」を本当の意味で実現したかったら、‘神聖な意志’に
> すべてをゆだねなさい。そうすればそうなる、ということであると思いま
> す。
と、書いています。

「‘神聖な意志’にすべてをゆだねなさい。そうすればそうなる」とはどうい
う意味でしょうか?

神様に期待して待っていれば、アセンションがきてみんな楽になれる……、と
いう意味ではないですか?

むろん、はるさんの意味は、はるさんにしかわかりません。

しかし、少なくともニサルガダッタに関するかぎり、彼はこう言います。

----------------------------------------------------------------------
 時が来れば、私たちははじまりの地点に戻ってくる。
 空間が空間の外に私たちを連れだすことができないように、時間は時間の外
 に私たちを連れだすことはできない。
 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。(p437)
----------------------------------------------------------------------

こういうメッセージが聞こえ始めたのは、わたしが“ニサルガ症候群の人”だ
からですか?

----------------------------------------------------------------------
 そこに探求すべき第二の、あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。(p536)
----------------------------------------------------------------------

待つべきこと、起こるべきことなど何もないようです。

----------------------------------------------------------------------
 この、秤(はかり)にかけ、選択し、選定し、交換するといったすべてのこ
 とは、「霊的」マーケットでのショッピングなのだ。
 ……
 あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。
 それを見つけだしなさい。
 そして、それが偽りであることを見極めなさい。
 それはある毒を飲み込んで、水への抑えきれない渇望に苦しむようなものだ。
 かぎりなく水を飲み込むよりも、毒を消去してこの焼けつくような渇きから
 自由になったらどうかね?(p367)
----------------------------------------------------------------------

こんな言葉が聞こえはじめると、「‘神聖な意志’にすべてをゆだねなさい」
というような言葉すら、まったく別の様相を呈してくるかもしれません。

まったく誤魔化しなく「すべてをゆだねる」とは、どういう意味なのか?

少なくとも、それがタイミングを待っていて起こるような状態でないことくら
いは、理解できるようになるかもしれません。

> もちろんパリさんは、このことを否定しないでしょうが、多くの読者の中に
> は、ニサルガ症候群の人もいるのではないかと思い、老婆心ながら訴えてお
> きたいと思いました。

はるさんは何でもおわかりだから、“多くの読者の中にいるニサルガ症候群の
人”たちが何を理解しているもかも、きっとお見通しなのでしょう。

ただ、ニサルガ症候群のひとりのpariさんは“このことを否定”してしまいま
した。(*^_^*)

どうかあしからず。m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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【花粉症 と 「腸の力」】

今回も仲間内からの情報を受け売りさせていただきます。m(_ _)m

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今年は特に南関東から西は、花粉の飛散量が多いんだそうですね。

花粉症で注目したいのは「腸の力」です。
腸は全身の約60%もの免疫システムを担っているので、腸の環境を整えて花粉
に負けない免疫システム強化することが大切なんだそうです。

便秘や下痢などの問題を抱える人の腸は悪玉菌が多いので、老廃物が溜まって
腸が正常に機能せず、侵入した花粉の刺激を受けやすくなります。

なので、腸の働きを正常にして、滞りをなくし快便を心がけ、腸の中もキレイ
にスッキリしていくことが、花粉症予防のポイントのひとつです。

腸内のコンディションを整える方法のひとつは「発酵食品」をとることです。

発酵食品と言えば、納豆、キムチ、ヨーグルト、ぬか漬け、甘酒、そして……
αス○○○です。

αス○○○は厳選したス○○○抽出液を自然発酵した発酵食品であり、よい菌
が多種含まれています。

とくにαス○○○のドリンクタイプは、腸内環境を整えるオリゴ糖も含まれて
います。(個人的には、わたしはドリンクタイプが好きです。(^^;))

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[注]なお“ス○○○”と伏せ字にしているのは、興味を引くためではなく、
   オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。

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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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今回もハイアーセルフ33さんから複数のスピリチュアル情報をご投稿いただ
きました。(^^)/

早速「マシュー君のメッセージ」情報からご紹介します。

【件名】: マシュー君のメッセージ(18)
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 マシュー君のメッセージ(18)が、「玄のリモ農園ダイアリー」に掲載さ
 れていましたのでお知らせします。
 
 http://moritagen.blogspot.com/
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続いて、シェルダン・ナイドル情報です。

【件名】: 銀河連邦からの最新情報
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 銀河連邦からの最新情報、2月3日と10日の日本語訳が、ONENESS
 ホームページに掲載されましたのでお知らせいたします。
 
 http://oneness-net.jp/pao-updates/
 
 以下は、私が元気がでたメッセージの部分です。いかかでしょうか?
 
 (2月3日より)
 みなさんの世界の終焉は、決して計画されていなかったものではなく、神は
 この地球を保護するために、再びみなさんの現実を調整し始めました。現
 在、この活動がちょうど始まった所ですが、瞬く間に完了する可能性もあり
 ます。
 
 この一瞬の調整は、最も予測不可能な終わり方を見せるため、驚きとなって
 います。それゆえ、我々はこの内容を明らかにすることができません。我々
 ができることは、みなさんに準備を促すだけです。すべてに対して準備を行
 い、大きな喜びが近く、みなさんに訪れることを期待して下さい!
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はるさんがわくわくするメッセージ内容ですね。(^^)/

いつも情報をありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



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■ 5.編集後記:ううう……。(-_-;)(←困ってる。(^_-))
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ニサルガダッタにはまると、他の本が読めなくなるのかもしれません。

というか、ニサルガダッタの本でさえ以前のようには読めなくなるようです。

そりゃそうですね。

情報に意味がないことを理解するための情報となると、だんだんその本自体も
読めなくなって当然なのかも……。

> あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。

とニサルガダッタは言います。

> それを見つけだしなさい。

と。

ううう……。(-_-;)(←困ってる。(^_-))

それでは、また。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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