━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.260 2009/3/29(第260号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 976名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.「私は在る」の二つの側面
2.写経ニサルガダッタ:【42 実在とは表現不可能なもの】の3回目
3.いただいたお手紙から:ハイアーセルフ33さん、アイリス君さん
4.編集後記:実力以上ではあるけれど……、ま、いっか
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■ 1.「私は在る」の二つの側面
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遠い河原を背景にして庭のレンギョウが小さな黄色い花をつけ始めています。
「私は在る」
覚えていなくてはらないのはそれだけです。
> あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
これ、いいですね。(-_-)
幸せの敷居値が極限的に低いです。
「在ることに幸せでありなさい」……。
幸せであるためのこの条件を満たせない人がいるとは思えない。
でも……この幸せの条件を覚えているのはとても難しいことです。
そして……ほとんど望む人のいないことです。
望まずしてすでに満たしているこの条件を、われわれは望むことで手放す……。
そして自ら進んで欲望と恐怖の夢のなかに溺れていくんですね。
そのとたん……かぎりなく低かった幸せの敷居値は、かぎりなく高く……ほと
んど満たしがたいものになる。
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あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
はない。
『私は在る』(p233)
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(-_-)
> だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
> はない。
いまや……至難の業です。(-_-;)
わたしは、その感情と観念を“自分”だとみなしているのだから……。
“自分”を意識界の一部の有機物、人間と呼ばれる動物の肉体に移入したわた
しは、ひたすらこの肉体の運命に合わせて自動的に紡ぎ出される欲望と恐怖、
演奏される感情と観念に自己同化して……悲しみの海を渡る……。(-_-;)
……。(-_-)
あ。
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
われわれは自ら自身である「無限」の価値を知るために、いちどはそれを手放
さなければならないのでしょうか……。
そして些末な物語のなかの取るに足りない快楽を求め、死ぬほどの恐怖におび
やかされてから……助けを求めなければならないのだろうか……。(-_-;)
「私は在る」
幸せの夢が来ても、不幸の夢が来ても、それは「私は在る」のゆえ……。
その夢を見るわたしなしに、その夢が独自に存在できるわけではない。
こんな当たり前のことが、あらためて、なるほど確かにそうだ……と思われて
くるまでに、どれほどの遠回りをしなければならないのか……。
たしかに、間違いもなく、すべては「私は在る」のゆえにある……。(-_-)
ありとあらゆるもの、生きとし生けるもの、それらすべての根底、それらすべ
ての基盤……、それこそが、『I AM THAT』……わたしはそれだ……。
「私は在る」
覚えていなければならないのは、それだけなんですけどね……。
そんな簡単なことを……、夢のなかで、わたしは途方もなく難しいことに仕上
げしまったのでしょう。
わたしの全投資は、夢のなかにあるわけだから……。
でも、それはけっしてわたしのものだったこともなければ、わたしのものにな
ることもない。
でも……、だからこそ……、わたしは何ひとつ失ってはいない。
もともとわたしは、すべてのすべての“元種”なのだから。
「私は在る」
わたしはわたしを失うことはできない……。(-_-)
わたしこそ実在、存在しているのは唯一、わたしだけなのだから……。
……ところが、わたしはすぐにそこから転げ落ちもする。
なぜなら……、
> 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ。
> 汚染され、混じりあい、依存し、はかないものが非実在だ。(p368)
から……。
わたしは、“純粋で、混じり気なく、帰属しない”ところから転げ落ち、すぐ
に“汚染され、混じりあい、依存し、はかないもの”を掴みたがる。(;_;)
だから……「私は在る」と言っても、それには両面の顔があります。
「私は在る」は同時に二種類の意味を表しうる不思議な言葉。
だからこそ……それは顕現宇宙から非顕現への永遠の扉になりうる。
存在しない永遠の扉……、有限から無限への開口部に……。
> 快楽を追求し、不快を避ける「私は在る」は偽りだ。
> 快楽と苦痛を分割できないものとして見る「私は在る」は、正しく見ている。
わたしが最初に掴んだのは、まぎれもなく「私は在る」の偽りの面。(*-_-*)
ひたすら快楽を追求し、不快を避けながら、しかも同時に、その「私は在る」
のゆえにすべてが在るのだ……という道理に納得しました。
それは、たしかだったから……。
自分の「私は在る」を、誰に保証してもらう必要も感じなかったから。
自分がいるかいないかを、ほかの誰に確認する必要もなかったから。
「私は在る」
じつに、疑いようのない真実だった。
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あなたは考え違いしているのだ。
世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。
あらゆる瞬間において、それはあなたの反映にすぎない。
あなたが創造し、破壊するのだ。
『私は在る』(p113)
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こんな話を聞いて、喜ばない方がどうかしている。
これはうまい話だ、これこそは真実……、と思った。
でも、それは話の半分にすぎない……。
なぜなら、わたしが理解した「私は在る」は、この世界にはまったまま理解で
きる(つもりの)「私は在る」だったから。
だから、「私は在る」ことは疑いようもなかったけど、しっかり“快楽を追求
し、不快を避ける”不幸の“元種”を掴んで離さなかった……。
もともと、掴んだのは、快楽を追求し、不快を避ける“偽りの「私は在る」”
だったわけだし……。
でも、その“偽りの「私は在る」”を掴んだおかげで、この「私は在る」とい
う“顕現宇宙から非顕現への永遠の扉”をボリボリ貪りはじめた。
毎日毎日『私は在る』を読んでいたら、そりゃ、いくらわたしだって、正しい
「私は在る」の側面も少しは見えてきます。(^^;)
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言葉に惑わされてはならない。
ひとつの言葉が多くの矛盾した意味を伝えることさえあるのだ。
快楽を追求し、不快を避ける「私は在る」は偽りだ。
快楽と苦痛を分割できないものとして見る「私は在る」は、正しく見ている。
知覚するものに巻き込まれた観照者が個人なのだ。
超然と離れて動じない観照者が実在の見張り塔であり、それは非顕現に固有
である気づきが顕現に接触する点だ。
観照者なしに宇宙はありえない。
宇宙なしに観照者はありえないのだ。
『私は在る』(p368)
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なるほど。(-_-;)
こりゃ、もっともだわ……。
すべては……、この全顕現宇宙は……「私は在る」のゆえに在る。
それは……間違いない。
しかし、それは……わたしがこの顕現宇宙の一部を“つまみ食い”できるとい
う意味ではない。
それこそが、わたしがこれまでしてきたこと……、悲しみの海に溺れるための
処方箋……。
わたしが乗っていたのは実在の「私は在る」ではなく、「私は在る」の名を騙
った非実在の“泥の舟”だった。
そんなものに命を預けたら最後、幻の海のなかに溺れ死ぬ悪夢にうなされるく
らいが関の山だった。
たしかに、すべては「私は在る」のゆえに在る。
それは確か。
しかし、「私は在る」は幻想の海を漕ぎ渡り、そこから快楽という宝物を収奪
するための海賊船ではなかった……。
すべては神であるわたしが、無であるわたしのために投影している映画……。
そこで快楽を掴もうとするなら、苦痛の涙で味付けしなければならない。
竜宮の乙姫様に出会うためには、寿命ある人間にならなければならない。
いちど乙姫様との快楽に溺れたら往生、繰り返し繰り返し、同じ轍を踏まなけ
ればならない。
その“同じ轍”に埋め込まれているもの……それこそが……同じ、
「私は在る」……。
非顕現(=わたし=神=実在)と顕現宇宙(=夢=非実在)をつなぐ開口部に
一枚の“不在の扉”が置かれている。
その“不在の扉”には、どちら側から見ても「私は在る」と書かれている。
「私は在る」が、あたかも“隷属の象徴”であり、同時に“解放の象徴”でも
あるかのように……。
わたしは、純粋な「在る」を踏み外し、何者かで「在る」ことを欲する。
そのとたんに、「私は在る」は“隷属の象徴”となる。
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何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
えない。
私たちは罠にはまったままなのだ。
『私は在る』(p346)
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そして、わたしたちは果てしもない苦しみの連鎖のなかでもがきつづける。
そして、疑いようもない「私は在る」のゆえにますます深みにはまりこむ……。
なぜなら、「私は在る」は、まさに実在に裏打ちされているのだから。
しかし、じつは“素粒子のふるまい(現象)”を見ているのが“背景の真空”
であるように、“素粒子のふるまい”のなかに「見る者」はいなかった。
かくて、顕現宇宙のなかに自らの姿を追い求めた者は、果てしない夢幻地獄の
なかで彷徨(さまよ)うことになった。
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あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
ぎこんできた。
今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
事実、破壊することはたやすい。
なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。
『私は在る』(p317)
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(-_-)
ちょっと試みに、「皮」という言葉を“素粒子のふるまい”という言葉で置き
換えてみましょうか。
それは同じ意味ではないかもしれないけれど、それなりの意味を担うかもしれ
ません。(^^;)
…………○…………○…………○…………
すべては“現れ”のなかで意識された「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたの目を実在からそらす“素粒子のふるまい”のようなものだ。
実在は“素粒子のふるまい”の内側にも外側にもある。
しかし、“素粒子のふるまい”そのものは実在ではないのだ。
それは“現れる”とは言えても、「在る」とは言えない。
…………○…………○…………○…………
かくて……。
----------------------------------------------------------------------
すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
『私は在る』(p207)
----------------------------------------------------------------------
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【42 実在とは表現不可能なもの】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日々の生活のための行動を、自分ではほとんど意識せずに、肉体とマインドの
ロボットがこなしているときがあります。
たとえば、この文章を打つことだって、指の動きをいちいち意識して操作して
いるわけではないですし。
その意味では、頭のなかに流れる文章も、かならずしも“自分”が書いている
とも言えないかもしれません。
そうして流れている瞬間、わたしはより少なく悩んでいるでしょう。
まずは、それだけでもいいのかも、などと思ってしまいます。
> ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
> 壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
正直、わたしがやっているのはこれだけです。
それが「壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ」と聞けて……嬉しいです。
では、【42 実在とは表現不可能なもの】の3回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?
マハラジ
行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
実在の表現といったものはない。
あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
実在だけが在る。
ほかには何もない。
目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらのなかには
いない。
私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
くように、すべては起こる。
すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
それは私の場合も同様だ。
すべては必要にしたがって起こる。
しかも、何も起こってはいないのだ。
私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
自体は架空のものだと知っているのだ。
質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
けるのでしょう?
マハラジ
何ひとつ私によっては為されない。
すべてはただ起こるのだ。
私は期待しないし、計画も立てない。
ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
それらが非現実だと知りながら――。
質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
でしょうか?
マハラジ
いつものように三つの状態は交替する。
そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
それらはただ起こる。
私には何も起こらないのだ。
そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
在―意識―至福がある。
私はつねにそのなかに在る。
いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
いのだ。
質問者 それでも、あなたは意識しています!
マハラジ
そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
私はほとんど気がつかないほどだ。
質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うこと
ではこの状態はやってきません。
マハラジ
やってくるということはない。
それはつねにそうだったのだ。
発見はあった。
そして、それは突然のものだった。
誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
発見したのだ。
質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らし
たのでしょうか? あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的
なものでしょうか?
マハラジ
絶対的に揺るぎのないものだ。
私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
子供は子宮のなかに戻りはしない!
それはシンプルな状態だ。
極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
質問者 それへの道はあるのでしょうか?
マハラジ
もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
何も私を煩わさない。
問題が起こっても私は抵抗しない。
それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
あなたの側には、とても多くの問題がある。
私の側にはまったく問題がない。
私の側に来なさい。
あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
何であれ起こることは起こるだろう。
必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
誠実さが要なのだ。
質問者 私にできるでしょうか?
マハラジ
もちろんだ。
あなたには彼岸に渡る充分な能力がある。
ただ、誠実でありなさい。
『I AM THAT 私は在る』(p209-210)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> 質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
> ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?
それはちょっと……。
> マハラジ
> 行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
はい。
> 実在の表現といったものはない。
わかりました。
> あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
そうか……。
> 実在だけが在る。
> ほかには何もない。
はい。
マインドがこれを納得するのは……難しい。
> 目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらのなかには
> いない。
“現れ”をリアルだと前提する二つの意識の相と、“現れ”から断絶した意識
の相はわたしではなく、わたしはそれらのなかにはいない。
> 私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
> しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
はい。
> グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
> 食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
> くように、すべては起こる。
美しい光景ですね……。
> すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
> それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
はい、わかるような気がします。
> それは私の場合も同様だ。
> すべては必要にしたがって起こる。
> しかも、何も起こってはいないのだ。
なるほど。(-_-;)
> 私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
> 自体は架空のものだと知っているのだ。
そうですか……。
> 質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
> 来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
> けるのでしょう?
もっともな意見。(^_-)
> マハラジ
> 何ひとつ私によっては為されない。
> すべてはただ起こるのだ。
……そうか。
> 私は期待しないし、計画も立てない。
> ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
> それらが非現実だと知りながら――。
そうか。
> 質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
> でしょうか?
そうだったのでしょうか?
> マハラジ
> いつものように三つの状態は交替する。
> そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
うん?
> それらはただ起こる。
> 私には何も起こらないのだ。
……そうか。
> そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
> 在―意識―至福がある。
はい。
> 私はつねにそのなかに在る。
そうですか。
> いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
> いのだ。
わかりました。
> 質問者 それでも、あなたは意識しています!
うん……、でも……、そうなのかな?
> マハラジ
> そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
はい……。
> そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
> できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
なるほど……。
> 私はほとんど気がつかないほどだ。
そうなんですか。
> 質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うこと
> ではこの状態はやってきません。
たしかに。
> マハラジ
> やってくるということはない。
> それはつねにそうだったのだ。
おお。(それ以外にないなぁ。(-_-))
> 発見はあった。
> そして、それは突然のものだった。
やっぱり。
> 誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
> 発見したのだ。
そうか。
> 質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らし
> たのでしょうか? あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的
> なものでしょうか?
うん……。
> マハラジ
> 絶対的に揺るぎのないものだ。
> 私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
おお……。
> ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
わかりました。
> 子供は子宮のなかに戻りはしない!
それはそうです。
> それはシンプルな状態だ。
> 極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
> それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
はい。(-||-)
> 質問者 それへの道はあるのでしょうか?
うん。
> マハラジ
> もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
はい。
> ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
> 壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
これしかないな……わたしには。
「壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ」……。(-||-)
> 何も私を煩わさない。
はい。
> 問題が起こっても私は抵抗しない。
わかります。
> それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
そうか……。
> あなたの側には、とても多くの問題がある。
たしかに。
> 私の側にはまったく問題がない。
> 私の側に来なさい。
(-||-)
> あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
わかります。
> 何であれ起こることは起こるだろう。
はい。
> 必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
> 誠実さが要なのだ。
はい。
> 質問者 私にできるでしょうか?
>
> マハラジ
> もちろんだ。
> あなたには彼岸に渡る充分な能力がある。
> ただ、誠実でありなさい。
(;_;)
ありがとうございました。<(_ _)>
……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
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■ 3.いただいたお手紙から:ハイアーセルフ33さん、アイリス君さん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
…………○…………○…………○…………
前回に続いて、ハイアーセルフ33さんから「情報提供フォーム」経由でわた
しの文章へのコメントをくださいました。
こちらでご紹介させていただきますね。
【件名】:前回の疑問への回答&真実の対等性
----------------------------------------------------------------------
みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
前回、パリさんが私の意見に疑問を呈されていました。今回は分量の関係
上、以下のポイントにしぼりました。
(ハイアーセルフ33の言葉引用)
「 高次元の多くの「悟っている存在」が語っている共通項としては、「身体
ぐるみでの安楽・救済」を本当の意味で実現したかったら、‘神聖な意志’
にすべてをゆだねなさい。そうすればそうなる、ということであると思いま
す。」
(以下パリさん)
> と、書いています。
> 「‘神聖な意志’にすべてをゆだねなさい。そうすればそうなる」とは
> どういう意味でしょうか?
それはこういう意味です。「神聖な意志」とは、ニサルガさんをはじめ、多
くの悟った方も繰り返していっている、「物事は自然に起こる」という存在
の原理です。
それは「本当の自分」(真我)であるとき必然的に生じる「万物(自性)の
展開」です。最も高い英知がすべてに浸透しているということですね。
私が言いたかったのは、以下のような原理です。私たちは心がダウンしてい
るとき、往々にこの原理を忘れてしまいますが、そうならないようにしたか
ったのです。
●今のあなたが十分に今のあなたであれば、宇宙から必要なものは全部その
時のあなたに与えられます。情報も、状況も、人との付き合いも、物質、何
でも全てのものが、今あなたに与えられます。自動的に、努力なしで、がん
ばることなしに、すぐに…。「バシャール」(新書版1巻P24)(旧1巻P18〜19)
●「汝と大いなる空との婚礼は祝われている」・・・この空っぽであるこ
と、この空白であることは、大いなる空(くう)とあなたとの婚礼を祝うこ
とだ。踊りながら、その大いなる歓喜を表し、歌いながら陶酔して自分自身
を失うことだ! 在り方はひとつしかない・・・さらに消えてゆくことだ。
あなたが完全に空っぽになる瞬間、神性は完全なかたちで即座に降りてく
る。「あなた」こそが唯一の障壁だ。だから恐れてはならない。あなたが空
白になる時、あなたはすべてを手にしている。
和尚ラジニーシ「エンライトメント」P397
あと「ニサルガ症候群」といった意味は、以下のことを忘れ果てて、ニサル
ガさんの意見だけを「唯一の本当の真実」と信じてしまった心理状態を指し
ています。
一言でいうと、(7)でいわれているように、「どのような究極的な真実
も、あるひとつの現実の中に存在する個人的な真実すべての産物」であると
いう視点に立てなくなった心境のことです。
どんな現実も、他に比べてより現実であるということはありません。
(バシャール4巻P144)
あなたが与える選択によって他の現実より現実的に見えるだけなのです。
(4巻P145)
すべてのものが真実です。すべての真実は存在します。みなさんひとりひ
とりは、みなさんひとりひとりの宇宙なのです。みなさん自身が、自分にと
って何が正しく、真実であるかを決定します。(バシャール5巻P78)
そもそもすべての視点は正しいのです。なぜなら、宇宙、創造は無限だか
らです。無限の中では、どんな概念も、観念も、意見も、すべて等しく真実
で、創造の中のどこかに現実として存在するのです。(中略)すべての視点
は無限の一部分です。ひとつのものが、他のものより真実である、というこ
とはありません。(バシャール7巻P165-166)
科学は現実そのものを表しているのではなく、人間の知性が現実はこうで
あると信じるものを定義づけしているのに過ぎないことを、地球の科学者で
さえ様々な方法で認識しています。(ニューメタフィジックスP22)
「Reality 現実」の定義・・・表現されたり体験された概念がすべて現実
です。(ニューメタフィジックスP46)
「Truth 真実」の定義・・真実とは、皆さんのそれぞれの現実において、
フォーカスすることを決めた目的を反映するものです。どのような究極的な
真実も、あるひとつの現実の中に存在する個人的な真実すべての産物なので
す。(ニューメタフィジックスP51)
以下「ラムサホワイトブック」第11章「ただ真実あるのみ」より
誰もが「唯一の真実」を知りたいと願う。だが、もしその「唯一の真実」
なるものがあるとしたら、それ以外のすべてはいったい何なのだろうか?そ
れらも意識の中ではひとつの現実であるというのに。「唯一の真実」とは何
なのか分かるだろうか?
そんなものはない、ということだ。そんなものはないということは、あらゆ
るものが真実であるということでもある。マスターよ、あらゆるものが真実
なのだ。真実でないものなど存在しない。なぜなら、すべてのものは神であ
る思考から生み出されたものだからだ。(P156)
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はるさん、コメントありがとうございました。m(_ _)m
そうですねぇ……。
こういう言葉をはるさんと交わすと止め処がなくなるらしいことを知っている
ので……、あまり多言を労したくはありません。(^^;)
ひとつだけ……。
それは、「唯一の真実」に関して、わたしは、はるさんと少し違う理解をして
いるようだと思いました。
たとえば、バシャールの
> そもそもすべての視点は正しいのです。なぜなら、宇宙、創造は無限だか
> らです。無限の中では、どんな概念も、観念も、意見も、すべて等しく真実
> で、創造の中のどこかに現実として存在するのです。……
あるいは、ラムサの
> 「唯一の真実」とは何なのか分かるだろうか?
>
> そんなものはない、ということだ。そんなものはないということは、あらゆ
> るものが真実であるということでもある。……
これらの言葉に対して、わたしのなかに何の異論も違和感もありません。
今回のメールに、はるさんは「真実の対等性」というタイトルをつけています。
バシャールやラムサのいう「真実の対等性」に、わたしも同意します。
わたしは、はるさんの思いがわたしの思いなのです……と言える意識の位相に
はいませんが (^^;)、それでも、はるさんの真実が、わたしの真実とまったく
対等であることは、いささかも疑っていません。
そして、はるさんの真実がバシャールの真実とも完全に対等であること、また、
はるさんの意識の位置がラムサの意識の位置とも完全に対等であることを、い
ささかも疑っていません。
個々の真実、個々の意識の位相の間に、包含関係はありえても、どちらがより
真実だ、というような真実性のレベルなどありえないと思っています。
この波動宇宙のなかでは、個々の波動の間に包含関係(つまり、相対的な優位
・劣位)はありえても、どの固有波動がより“真実”である、というようなこ
とがありえないのは自明ですから。
犯罪者の真実もあり、裁判官の真実もあると思います。
それぞれに固有の真実として完全に対等だと思っています。
ただ、一定の社会的枠組みのなかでは、そこでの“犯罪者の真実”のほうが、
そこでの“裁判官の真実”よりも破綻しやすい……というだけのことです。
しかし……それはすべて顕現宇宙の内部での……意識空間内でのお話です。
多様な“「名前」と「形」”の間での話です。
言ってみれば、原住民のプリミティブな音楽とモーツアルトの音楽は、音楽と
してまったく対等であり、その真実性に差はないというだけのことです。
しかし、個々の「音楽」の対等性を論ずることと、個々の「音楽」とそれらの
可能根拠である「沈黙」が対等だと論ずることは違うと思います。
個々の“素粒子のふるまい”は、何らかの意識の位置として、ある意味で対等
だと言えるでしょう。
しかしだからといって、個々の“素粒子のふるまい”と、その背景の「真空」
が対等だと言うでしょうか?
同じ意味で、「あなたが好きな存在に成りなさい」、「あなたが好む現実を引
き寄せてください」、「いい夢を見てください」と奨励している“真実”と、
たとえば、次のような真実は、同じではないと言っているだけです。
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なぜどこかへ行かなければならないのか?
あなたはただ世界という夢を見ているのだ、ということを悟りなさい。
そして、出口を探すのはやめなさい。
夢があなたの問題なのではない。
問題は、あなたが夢のなかのある部分が好きで、別の部分が嫌いだというこ
とだ。
すべてを愛すがいい。
あるいは何も愛さないことだ。
そして不平を言うのはやめなさい。
あなたが夢を夢として見たとき、為(な)すべきことはすべて為し終えたの
だ。(p135)
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はるさんには、この両者のメッセージが同じに聞こえるのかなぁ。(-_-)
それから、過去のすべての記述を見てもらえばわかりますが、わたしはこれま
で“ニサルガダッタの方がより真実だ”などと言った憶えはありません。
ただ、わたしはニサルガダッタが好きだ、と言っているだけです。
はるさんには、バシャールやラムサをはじめ、ニューエイジのあらゆるグルた
ちの充分すぎるほどのサポーター軍団がついているのだから、ニサルガダッタ
までその仲間に取り入れなくてもいいのではありませんか? (*^_^*)
もしかしたら、ニサルガダッタは、できればわたしのことは放っておいて欲し
い……と言っているかも。(^^;)
わかりませんが。(^_-)
どうかあしからず。m(_ _)m
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今回、アイリス君という方からご質問のメールをいただきました。
早速、ご紹介します。
【件名】:
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ハイアーセルフ33さんは、身体とエゴを別々にとらえていましたが、
二つは一つということで、エゴは、身体、じゃ、ないでしょうか?
ご意見を、お願いします。(すみません、途中までしか、読んでません
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アイリス君さん(というのもちょっと変ですが (^^;))、メール、ありがとう
ございます。
> ハイアーセルフ33さんは、身体とエゴを別々にとらえていましたが、
ええと、ハイアーセルフ33さんのどの文章のことでしょうね?
次の部分のことをおっしゃっているのかな?
> 高次元の多くの「悟っている存在」が語っている共通項としては、「身体ぐ
> るみでの安楽・救済」を本当の意味で実現したかったら、‘神聖な意志’に
> すべてをゆだねなさい。そうすればそうなる、ということであると思いま
> す。
>
> ただ、エゴをもったままではそうならない。エゴをはずして「委ねれば」、
> 存在の神聖な魔法が働いて(笑)、いやでも「そうなる」ものです、という
> 原理をあちこちで語っています。
なるほど。
たしかに、「ハイアーセルフ33さんは、身体とエゴを別々にとらえて」いま
すが……。
> 二つは一つということで、エゴは、身体、じゃ、ないでしょうか?
> ご意見を、お願いします。(すみません、途中までしか、読んでません
つまり、「身体」がある以上、当然「エゴ」はあるはず、ということですか?
アイリス君さんのおっしゃるのが、もしそういう意味なら……。
それなら、生きている覚者というのは存在できないことになりますね。
しかし、たとえば、覚者の例としてニサルガダッタを挙げるなら、彼も生きて
いるときは「身体」を持っていたわけですよね。
だから、ああいう言葉が本になりえたわけですから。
しかし、彼が「身体」を通して語った言葉は、「エゴ」の言葉とは思えないよ
うですけど……。
ということは、「身体」=「エゴ」とは言えないのではないでしょうか。
アイリス君さん、メールありがとうございました。
m(_ _)m
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【無料ツールのご紹介】
とてもありがたい無料ツールのご紹介です。
以前ほど高価ではなくなりましたが、ステップメール機能は非常に利用価値の
高いツールであり、また通常はそれなりの価格のツールです。
今回ご紹介するのは、それを無料で提供してくださるという情報です。
しかも無料のうえに再配布までOKだそうです。
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【タミフル耐性インフルエンザ vs ス○○○】
今回も仲間内からの情報を受け売りさせていただきます。m(_ _)m
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ウイルスがまん延するのは冬というのが一般的ですが、世界で4000万人
以上の死者を出したスペイン型インフルエンザは国内では1918年秋に、
アジア型インフルエンザは1957年の初夏に流行が始まっています。
国立感染症研究所情報センター長・岡部信彦氏も『インフルエンザに
オフシーズンはない。「鳥」のインフルエンザとなれば、その傾向は
一層強くなる。』と語っています。
『感染症と人の戦い』
http://sankei.jp.msn.com/science/science/090322/scn0903220305000-n1.htm
専門家もタミフル耐性インフルエンザがまん延する可能性が今後出てくる
として、医師らはより迅速なインフルエンザ検査と新薬の開発、ウィルス
の世界規模での監視の必要性を警告しています。
『タミフルに耐性を持つウィルス増加〜インフルエンザまん延の可能性も』
http://www.usfl.com/Daily/News/09/03/0323_020.asp?id=68470
最近では超大手企業が100万枚ものマスクを備蓄して非常時に備えたり、
NTTが新型インフルエンザなどのパンデミック(感染爆発)時に社員の
安否確認や緊急連絡を効率的に行えるサービスを、4月から中国の日系企業
向けに展開するなど、新たな動きもでてきています。
WHOは23日、エジプトの38歳の女性が強毒性のH5N1型鳥インフルエンザ
ウイルスに感染したと発表、同国での鳥インフルエンザ感染はこれで59例目
となり、インドネシア、ベトナムに次いで世界で3番目となりました。
エジプトでは、今月に入って、2歳男児と1歳女児の感染も確認され、
ウイルスの変異も懸念されています。
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オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。
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■ 4.編集後記:実力以上ではあるけれど……、ま、いっか
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一週間にいちどメルマガを書くときには、ついつい実力以上の言葉を吐いてし
まいます。
どうか大目に見てやってください。
でも、じつは……、ときどきビジネスメールのなかに、
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なかなかニサルガダッタの言うような境地になれませんが、それを読んでい
るうちだけでも気持ちが安らぎ、気持の修正ができます。
これからもできる限り続けていただけるとうれしいです。(^^)
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というような言葉を入れてくださる方もいて……。(;_;)
ありがとうございます。
実力以上ではあるけれど……、ま、いっか、と思ったりもします。
みなさまのご感想がいただけたら、うれしいです。
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それでは、また。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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