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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.261 2009/4/05(第261号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 960名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.観照に努力はいらない

2.写経ニサルガダッタ:【69 一時性は非実在の証拠だ】の1回目

3.いただいたお手紙から:或る私さん、むぐらさん、ハイアーセルフ33さん

4.編集後記:そして変化するものに何の意味も深みもない。
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■ 1.観照に努力はいらない
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今日は土曜日なのに、朝から県の職員の方が来て、われらが集落で張り回した
“シカ柵”を見て回りました。

先日もいちど町の役場の方たちといっしょにいらっしゃったのですが、今回は
県の鳥獣被害担当の若い方と地元の狩猟会のリーダー格の方を同道してこられ
ました。

県の職員の方はお二人とも女性です。

↑特に意味はないですが、たぶん男性を想像されるだろうと思って。(^_-)

県と町から半々の補助を受けて、三百メートルほどの“シカ柵”の材料を購入
していただいたわけなんですよね。

それで前回見回って、すでに“シカ柵”がイノシシとシカに破られて、柵内に
たくさんの真新しい糞があったのを知って、せっかくの“シカ柵”をどうやっ
たら実効あるものにできるか……、と今回はその指導に来られたわけです。

まあ、前回よりはだいぶましになっていましたが、やはり数カ所は破られてい
ましたね。

ここに移ってきた当初は、シカやイノシシが身近に現れる環境なんて素晴らし
いじゃないか……できれば仲良く暮らしたいものだ、くらいの考えでした。

しかし、それが作物を作り始めると少し変わってくるんですよね。

わたしは“理論派”なので、実際は作ってもいないんですけど。(^^;)

でも、土地の人間になると、地元の人の気持ちもわかってきます。

それで、“シカ柵”を見て回る途中で、ついでに柵外にある近くの孟宗の竹藪
にも立ち寄ろうということになりました。

筍はまだ土の中なのに……、見事にイノシシに食い荒らされています。

それで……県の職員の方も猟銃会の方もわれわれ地域住民(そこにいたのは男
三人ですが)に、ぜひ狩猟免許を取得したらいい、って言うんですよ。

鉄砲で撃つんじゃなくて、“箱罠”を設置できる資格を取ったらいい、ってい
うわけです。

イノシシが掛かったのを見たら、ただ狩猟会に電話するだけでいいからって。

サバいた後で、肉も分けてもらえるし、って。

そんなこと言ったってねぇ……。

何が悲しゅうて……“箱罠”なんて……。(-_-;)

……さすがに、誰も返答しなかったけど。(^^;)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

午前中はそんなこんなで毒気を抜かれて……、家に戻ってからぼんやりと見る
ともなく新聞を眺めていました。

そしたら、土曜の「be」面に、“尾崎豊の「15の夜」”という歌が取り上げら
れていました。(「朝日新聞」2009年4月4日「e1」)

尾崎豊なんていかにも知ったふうに言っていますが、じつは、倉本聰さんのテ
レビドラマ「北の国から'87 初恋」の挿入歌「I LOVE YOU」を聞いたことがあ
るくらいです。^^;

「I LOVE YOU」の声の感じを想像しながら、何となくその「15の夜」の歌詞を
読んでいたら、なかにこんな一節があった。

------------------------------------------
 恋の結末もわからないけど
 あの娘と俺は将来さえ
 ずっと夢に見てる
 大人達は心を捨てろ捨てろと言うが
 俺はいやなのさ
 退屈な授業が
 俺達の全てならば
 なんてちっぽけで
 なんて意味のない
 なんて無力な15の夜
 ……
           尾崎豊「15の夜」より
------------------------------------------

> 大人達は心を捨てろ捨てろと言うが
> 俺はいやなのさ

……。(-_-)

どうしたって、われわれは……ここから人生を始める以外ないですよね。

それ以外に……、方法があります?

“箱罠”の設置資格の取得を薦めるマインド……。

その薦めを聞いてたじろぎ、萎縮するマインド……。

「心を捨てろ捨てろと言う」大人たちのマインド……。

「俺はいやなのさ」という若者のマインド……。

みんないい人で……それぞれに経験智があって……判断があって……。

でもみんな、まわりに対して多少なりとも違和があって……。

そして……みんな、自分でいたい……。

しかも、それは間違ったことではないわけです。

ニサルガダッタだって、言っています。

> 自分自身であることが正しく、自分自身でないことが間違いだ。

って。

みんな、自分自身でありたいわけですよね。

ただ……、何を“自分自身”だと思っているか……、それがニサルガダッタと
われわれとはものすごく違う……。

多少なりとも誰にも覚えのある「15の夜」……。

そのころ、われわれの“自分自身”は、

> 大人達は心を捨てろ捨てろと言うが
> 俺はいやなのさ

と思っていた……。

> 退屈な授業が
> 俺達の全てならば
> なんてちっぽけで
> なんて意味のない
> なんて無力な15の夜

……誰だって、そのときは内心でそう思っていますよ。

本当は、もっと意味のある世界がどこかにあるはずだって……。

(「何故にすべては始まってしまったのか?」(-_-;) )

そこを早く卒業したら、それだけ早く大人になれるのかもしれないけれど。

そして、「15の夜」の“自分自身”を無事通過した大人たちは、今度はそこを
通りすぎた“自分自身”になって、自分の子供たちにその自分の経験智からの
判断を伝えざるをえない。

そしたら、いつの間にかその言葉は、子供たちには「心を捨てろ捨てろ」と言
われているように聞こえるのかもしれない……。

「自分自身であることが正しく、自分自身でないことが間違い」だとしても、
われわれは、知覚可能な外側の世界か、想像可能な内側の世界のなかに、自分
の姿を求めるより仕方がないわけですから。

それ以外の可能性など聞いたこともないのだから、それは“強制モード”とも
“命令形”とも言えるでしょう。

想像できないことのなかに選択肢はありません。

そのとき、われわれは、ニサルガダッタが

----------------------------------------------------------------------
 自分自身であることが正しく、自分自身でないことが間違いだ。
 それ以外はすべて条件づけだ。
                          『私は在る』(p371)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

と言うとき、何を「自分自身」と言い、何を「それ以外」と言ったのか、そん
なことは、まるで知らないわけです。

いまだかつて夢にも見たことがないことです。

だから……われわれは“それ以外のすべて条件づけ”のなかに、自分自身であ
るための自由を求めざるをえない。

“それ以外のすべて条件づけ”が、日常の現実をも超えて“幻想多次元宇宙”
の果てまで広がっていることも知らずに……。

「15の夜」の“自分自身”は、

> なんてちっぽけで
> なんて意味のない

というこれほどの痛切な思いが、ほんの一瞬の“つかの間の思い”にすぎない
とは知らない……。

ただ、その痛切な思いのなにかが、絶対に間違っていないという確信だけを信
じているわけです。

でも、「赤心(しゃくしん)もとどまらず、へんぺんとして往来す」です。

そして……いつか、

---------------------------------------------------
 汚れつちまつた悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れつちまつた悲しみに
 今日も風さへ吹きすぎる
 ……
    中原中也「汚れつちまつた悲しみに……」より
---------------------------------------------------

……そんな季節も訪れるのかもしれません。

それもこれもすべて、条件づけに“自分自身”の気づきのエネルギーを注いで
呼び起こした現実にすぎないというのに……。

自分がどれほどの権能の持ち主かを知らず、深く深く、一瞬の“つかの間の思
い”に自己同化しているわけですから……。

自分が何を知らないかを知らず、自分が何を確信しているのかを知らない。

思いも寄らないことがあることを知らない。

「夢也未見在なり」

ユメニモイマダミザルトコロアリ

> ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。(p349)

そう……、でもわたしはその可能性の存在について知った。

----------------------------------------------------------------------
 あなたは自由になれることを知っている。
 そして今、それはあなたにかかっているのだ。
 永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
 い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
 去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
 そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
 それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
 だ。
                          『私は在る』(p349)
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

> そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
> それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
> だ。

すばらしい……。

いったいどうすれば、そういうものを実現できるのだろう……? (-_-)

----------------------------------------------------------------------
 何もすることはないのだ。
 ただ在りなさい。
 何もしてはいけない。
 在りなさい。
 山に登って洞窟のなかに座ることはない。
 わたしは「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
 なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
 ただ、在りなさい。
 あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世
 界でもない。
 あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
 ただ在りなさい。
                          『私は在る』(p349)
----------------------------------------------------------------------

「ただ在る」……。(-_-)

そうか……。

わたしは……“知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」
の世界でもない”のだから……、ある意味、別にしなきゃならないこともない
わけか……。

----------------------------------------------------------------------
 不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。
 時間から外に踏みだして、それが世界を滅ぼすのを見るがいい。
 そして言うがいい。
 「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
 れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
 ないのだ」と。
                        『私は在る』(p367-368)
----------------------------------------------------------------------

> 私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要もない

……そこまでは、理屈としてはわかった。

でも……それは悟った人の話で……わたしには生活もあるし。

生存しなきゃならないし……。

だって、普通の人間には、しなきゃならないことだってあるわけでしょ?

> する必要があることはしなさい。(p260)

やっぱり! (@_@)

じゃ、「する必要があること」はしていいのか……。

もっとも、それ以外にどうしようもないけど。

そして「する必要があること」がないときは……、「ただ在る」……。

なるほど……。

それぐらいなら……できないこともないか……。

> あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見
> ることだ。

わかるけど……。

観照ってやつでしょ。

----------------------------------------------------------------------
 観照に努力はいらない。
 あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。
 それ以上何も必要ないのだ。
 ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。
 もし観照の状態のなかで「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは
 直ちにやってくる。
 ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。
                          『私は在る』(p322)
----------------------------------------------------------------------

うん……。

自分が観照者だということを覚えているだけでいいんだ……。

> それ以上何も必要ないのだ。

うん……。

それだけでいいんだ……。

> 偽りとして見られたものは消え去る。
> 調べることによって消え去るのが幻想の本性そのものなのだ。
> 調べなさい。
> ただそれだけでいい。(p474)

そうなんだ……。

そうすると……、幻想が消え去って、何かが変わってくるのかな?

> 偽りを破壊することはできない。

え、“偽りを破壊することはできない”の? (@_@)

> なぜなら、あなたは偽りをつねにつくりつづけているからだ。

アチャ。(>_<)

そうなんだ……。(;_;)

----------------------------------------------------------------------
 それから手を引き、無視し、それを超えていきなさい。
 そうすれば、偽りはなくなるだろう。
                          『私は在る』(p474)
----------------------------------------------------------------------

幻想を無視して……、それを超えていくのか……。

----------------------------------------------------------------------
 マインドが発明したものは、マインドが破壊する。
 だが、実在は発明されたものではなく、破壊することもできない。
 マインドの力が及ばないそれをつかまえなさい。
                          『私は在る』(p321)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

----------------------------------------------------------------------
 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
 ことは奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
                          『私は在る』(p207)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

やってみようかなぁ……。

失うものは何もないよなぁ……。

「観照に努力はいらない」のか……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【69 一時性は非実在の証拠だ】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の写経部分では、「鏡」と「鏡のイメージ」という比喩が一度ならず使わ
れます。

それが「体験者」と「体験」のような意味合いであるらしかったり、あるいは
「意識」と「意識のコンテンツ」のような意味合いであるらしかったりします。

でも、いずれにせよ、ニサルガダッタのメッセージは……、

あなたは「鏡」でも「鏡のイメージ」でもないということを覚えていなさい、
という点に関して一貫しています。

わたしは、知覚可能・想像可能ないっさいの「形」と「名前」ではないわけで
すから、内界・外界のいっさいの現象はわたしではないわけで。(^^;)

もう、いい加減、こっちだって、理解し始めますよね。(^_-)

ま、そういう、シンプルな話です。

要は、そういう身も蓋もないような単純な話が好きかどうかだと思います。

では、【69 一時性は非実在の証拠だ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私の友人はドイツ人です。そして私はイギリス生まれで、両親はフ
     ランス人です。私はアーシュラムからアーシュラムを巡りながら、
     一年以上もインドにいます。
 
 マハラジ
 何かサーダナ(修練)をしているのかね?
 
 質問者 研究し、瞑想しています。
 
 マハラジ
 何に瞑想しているのだろうか?
 
 質問者 私が読んだことに瞑想しています。
 
 マハラジ
 よろしい。
 
 質問者 あなたは何をされているのでしょうか?
 
 マハラジ
 座っているのだ。
 
 質問者 ほかには?
 
 マハラジ
 話している。
 
 質問者 あなたは何について話をされるのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたは講義が聞きたいのかね?
 あなたが深く感じられるように、本当に心に触れるような何かを尋ねるほう
 がいい。
 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
 もしあなたが「何も私を悩ますことはない、問題はない」というのなら、そ
 れはそれでいい。
 私たちは静かに黙っていよう。
 だが、本当にあなたの心に触れる何かがあるのならば、話す目的もあるとい
 うものだ。
 
 私があなたに尋ねようか?
 あなたがひとつところから別のところへと、移動しつづける目的は何だろう
 か?
 
 質問者 人びとに出会い、彼らを理解することです。
 
 マハラジ
 人びとの何をあなたは理解しようとしているのだろう?
 正確には、あなたは何を求めているのだろうか?
 
 質問者 統合です。
 
 マハラジ
 もしあなたが統合を望むのなら、誰を統合するのか知らなければならないだ
 ろう。
 
 質問者 人びとに出会い、彼らを見守ることで、人は自分自身をもまた知る
     ことになるのです。それはともに進むのです。
 
 マハラジ
 それはかならずしもともに進むとはかぎらない。
 
 質問者 一方が他方を改善していきます。
 
 マハラジ
 それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
 
 質問者 私が鏡で、世界は投影なのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたは鏡と投影の両方を見ることができるのだ。
 あなたはそのどちらでもない。
 あなたは誰なのか?
 決まり文句で答えてはならない。
 答えは言葉のなかにないからだ。
 言葉で表せるもっとも近い表現は、「私は知覚を可能にし、体験者とその体
 験を超えた生命だ」と言えよう。
 
 さて、あなたは鏡と鏡のなかのイメージから自分を引き離し、完全にひとり
 で、まったくあなただけで立つことができるだろうか?
 
 質問者 いいえ、できません。
 
 マハラジ
 どうしてできないと知っているのかね?
 どのようにやっているのかも知らずに、あなたはたくさんのことをしている
 のだ。
 消化し、血液やリンパ液を循環させ、筋肉を動かしている。
 すべて、どのようにしているのかさえ知らずに。
 同じように、あなたはなぜ、どのようにしてるのかも知らないまま、知覚し、
 感じ、考えている。
 同じように、あなたは知らなくてもあなた自身なのだ。
 真我としてのあなたに何も間違ったところはない。
 それはそれとして完全だ。
 正しく澄んでいないのは鏡なのだ。
 それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。
 あなた自身を正す必要はない。
 ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。
 あなた自身を鏡と鏡のなかのイメージから引き離すことを学びなさい。
 つねに、「私はマインドでも、その考えでもない」ということを覚えておき
 なさい。
 信念とともに、忍耐強くそれをしなさい。
 そうすればあなたは、すべてを包容し、すべてに遍在する永遠の存在―知識
 ―愛の源としての、あなた自身の直接の姿を知るときがかならず来るだろう。
 あなたは身体のなかに焦点を合わせた無限なるものだ。
 今、あなたは身体しか見ていない。
 真剣に試みてみなさい。
 そうすれば、無限なるものだけを見るようになるだろう。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p347-348)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私の友人はドイツ人です。そして私はイギリス生まれで、両親はフ
>     ランス人です。私はアーシュラムからアーシュラムを巡りながら、
>     一年以上もインドにいます。

二人連れってことかな?

> マハラジ
> 何かサーダナ(修練)をしているのかね?
> 
> 質問者 研究し、瞑想しています。
> 
> マハラジ
> 何に瞑想しているのだろうか?
> 
> 質問者 私が読んだことに瞑想しています。
> 
> マハラジ
> よろしい。

ここまで、ごく普通の会話……。

> 質問者 あなたは何をされているのでしょうか?

ふ。

> マハラジ
> 座っているのだ。

(^_-)

> 質問者 ほかには?
> 
> マハラジ
> 話している。

はは。

> 質問者 あなたは何について話をされるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> あなたは講義が聞きたいのかね?

まったく。

> あなたが深く感じられるように、本当に心に触れるような何かを尋ねるほう
> がいい。

たしかに。

> 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
> の間に生まれないだろう。

そう思います。

> もしあなたが「何も私を悩ますことはない、問題はない」というのなら、そ
> れはそれでいい。
> 私たちは静かに黙っていよう。

おお。

> だが、本当にあなたの心に触れる何かがあるのならば、話す目的もあるとい
> うものだ。

まったくです。

> 私があなたに尋ねようか?

親切だなぁ。

> あなたがひとつところから別のところへと、移動しつづける目的は何だろう
> か?

なるほど……。

> 質問者 人びとに出会い、彼らを理解することです。

うん。

> マハラジ
> 人びとの何をあなたは理解しようとしているのだろう?
> 正確には、あなたは何を求めているのだろうか?

はい。

> 質問者 統合です。
> 
> マハラジ
> もしあなたが統合を望むのなら、誰を統合するのか知らなければならないだ
> ろう。

おお……。

> 質問者 人びとに出会い、彼らを見守ることで、人は自分自身をもまた知る
>     ことになるのです。それはともに進むのです。

うう……。

> マハラジ
> それはかならずしもともに進むとはかぎらない。

そうなんですか。

> 質問者 一方が他方を改善していきます。

うーん。

> マハラジ
> それはそのように働かないのだ。

そうか。

> 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。

おお……、そういう意味か。

見られた対象が、見る主体を改善することはない、と。

> あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。

そしてわたしは、見られた対象ではなく、見る主体でもない、と。

> 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
> きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
> を見なさい。

これが奥義、最終ターゲットか……。

でも、まずは鏡を磨き上げること……。

「私は在る」がその磨き布だ。

> しかし、投影はあなた自身ではないのだ。

たとえ、そこに何も映っていないとしても……その何も映っていない投影は、
わたし自身ではない。

> あなたは投影を見る者だ。

はい。

> それを明確に理解しなさい。

……。(-_-)

> あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。

……わかりました。

> 質問者 私が鏡で、世界は投影なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> あなたは鏡と投影の両方を見ることができるのだ。

なるほど。

わたしは鏡も見ることができるのか……。

> あなたはそのどちらでもない。

はい。

> あなたは誰なのか?

……。

> 決まり文句で答えてはならない。
> 答えは言葉のなかにないからだ。

はい。

> 言葉で表せるもっとも近い表現は、「私は知覚を可能にし、体験者とその体
> 験を超えた生命だ」と言えよう。

はい。

「私は知覚を可能にし、体験者とその体験を超えた生命」……。

“体験者”が鏡で、“体験”が投影……かな。

> さて、あなたは鏡と鏡のなかのイメージから自分を引き離し、完全にひとり
> で、まったくあなただけで立つことができるだろうか?

そんな……。

> 質問者 いいえ、できません。

そう答えるより、ないですよね。

わかりますよ。

> マハラジ
> どうしてできないと知っているのかね?

きつい。

> どのようにやっているのかも知らずに、あなたはたくさんのことをしている
> のだ。

(@_@)

> 消化し、血液やリンパ液を循環させ、筋肉を動かしている。
> すべて、どのようにしているのかさえ知らずに。

おお……、たしかに。

> 同じように、あなたはなぜ、どのようにしてるのかも知らないまま、知覚し、
> 感じ、考えている。

ほんとだ。(@_@)

> 同じように、あなたは知らなくてもあなた自身なのだ。

あああ……、そうか……。

> 真我としてのあなたに何も間違ったところはない。

はい。

> それはそれとして完全だ。

理解できます。

> 正しく澄んでいないのは鏡なのだ。

おお……。

ここで「鏡」というのは“映しだす観念”のような意味ですか?

> それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。

はい……、わかるような気はするけど。

> あなた自身を正す必要はない。

わかります。

> ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。

なるほど。

> あなた自身を鏡と鏡のなかのイメージから引き離すことを学びなさい。

ああ……、ここでは、「鏡」と「鏡のなかのイメージ」というのは、「意識」
と「意識のコンテンツ」みたいなニュアンスかな。

> つねに、「私はマインドでも、その考えでもない」ということを覚えておき
> なさい。

はい。

> 信念とともに、忍耐強くそれをしなさい。

わかりました。

> そうすればあなたは、すべてを包容し、すべてに遍在する永遠の存在―知識
> ―愛の源としての、あなた自身の直接の姿を知るときがかならず来るだろう。

はい。

> あなたは身体のなかに焦点を合わせた無限なるものだ。

はい。

> 今、あなたは身体しか見ていない。

たしかに。

> 真剣に試みてみなさい。
> そうすれば、無限なるものだけを見るようになるだろう。

はい。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.いただいたお手紙から:或る私さん、むぐらさん、
               ハイアーセルフ33さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、久しぶりに或る私さんから、応援メールをいただきました。

とても嬉しかったです。早速ご紹介します。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 こんにちわ。pariさん。
 
 毎週、メルマガを相変わらずお楽しみにしています。
 何度も読んでいてもまたメルマガとして新しく再照明されると
 なんとなくどきどきして楽しいので、
 がんばっていただいて感謝しています。(_O_)
 
 自分の実力に比べ大きい事を語ると思っておられるようですが、
 そんな事は無いと思います。
 「ま、いいっか」で正解だと思います。
 どんどん大きい事をもっと語ってもらいたいくらいです。
 内面で繰り返されるその言葉によって
 知らず知らずに身にしみてくることもあると思います。
 
 私は最近、世界を硬いものとして意識すること自体が
 まったく傲慢なことであると気づきました。
 自分を責めているわけではなく、ただ当たり前でなかったことを
 当たり前でないと正直に受け入れることだと思っています。
 なんとなく前よりもうちょっと楽になれた気持ちです。
 (ま、人がそんなに急に変わるものではありませんが……^^;)
 
 できればこれからもメルマガ続けてほしいです。
 (^^)
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> こんにちわ。pariさん。

お久しぶりです。(^^)/

> 毎週、メルマガを相変わらずお楽しみにしています。

ありがとうございます。

> 何度も読んでいてもまたメルマガとして新しく再照明されると
> なんとなくどきどきして楽しいので、
> がんばっていただいて感謝しています。(_O_)

“惰性と精進”みたいな感じで、とにかく続けています。

> 自分の実力に比べ大きい事を語ると思っておられるようですが、
> そんな事は無いと思います。
> 「ま、いいっか」で正解だと思います。
> どんどん大きい事をもっと語ってもらいたいくらいです。

どちらかと言えば“口達者”なほうなので、口だけが先走って
わかったようなことを言ってしまうのが自分のためにならない、
というような思いがあります。

pariなどという人格になんの重要性もないわけですから、そんな
ことはどうでもいいようでもあり、またプロセスは大切にしなけ
ればいけないようでもあり……。

> 内面で繰り返されるその言葉によって
> 知らず知らずに身にしみてくることもあると思います。

はい、それだけがこのメルマガを書くことの“歩留まり”だと思
っています。

> 私は最近、世界を硬いものとして意識すること自体が
> まったく傲慢なことであると気づきました。

ほー、それはまた……何というか……不思議な言葉の組み合わせ
ですねぇ。

或る私さんは、世界が流動的で柔らかいものであることを知った、
という意味なのか……。

あるいは、自分の世界をそれほど堅固なものであると信じていた
自分の傲慢さに気づいた、というような意味なのか……。

> 自分を責めているわけではなく、ただ当たり前でなかったことを
> 当たり前でないと正直に受け入れることだと思っています。

これはまた……難しいですねぇ。

世界の存在そのものが奇跡であると知った……というような意味な
のか……。

それとも、あるがままの世界を見ていなかった自分の愚かさ、傲慢
さをを正直に受け入れる……というような意味なのか……。

> なんとなく前よりもうちょっと楽になれた気持ちです。

いずれにしろ……、だんだん想像が少なくなってきている……とい
うような感じなのかなとお察しします。

> (ま、人がそんなに急に変わるものではありませんが……^^;)

ええ、いずれにしろ、変わるものには何の意味もない……とも言える
のでしょうしね。

わたしは、口だけは達者で……困ります。

> できればこれからもメルマガ続けてほしいです。
> (^^)

或る私さんからメールをいただいて、とても嬉しかったです。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………

今回、むぐらさんという方からも応援メールをいただきました。

早速ご紹介します。

【件名】:
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 毎週メルマガの配信ご苦労様です。
 楽しく拝見させて頂いています。(^^♪
 私もニサルガダッタ師匠の言葉には救いを感じます。
 
 マインドを使いすぎる日々で心が疲弊してしまうので、早く夢から覚めた
 いと思いつつ、いやまだなし終えていないことがあるんじゃないかと
 また夢の中に落ちていく自分がいます。(^_^;)
 
 お体に気をつけて頑張れるところまで頑張ってください。
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むぐらさん、元気をいただきました。

> 毎週メルマガの配信ご苦労様です。
> 楽しく拝見させて頂いています。(^^♪

ありがとうございます。

> 私もニサルガダッタ師匠の言葉には救いを感じます。

はい、すべての努力が無駄だという言葉ほど、安らぎを与えてくれる
言葉はありませんよね。

> マインドを使いすぎる日々で心が疲弊してしまうので、早く夢から覚めた
> いと思いつつ、いやまだなし終えていないことがあるんじゃないかと
> また夢の中に落ちていく自分がいます。(^_^;)

むぐらさんは、たぶん、普通の意味で、たいへんエリートなお仕事を
なさっている方なのかも。^^;

そしてエネルギーが燃え尽きていないので、“まだなし終えていない”
何かを感じられるのかもしれませんね。

> お体に気をつけて頑張れるところまで頑張ってください。

応援メールをいただいて、とても嬉しかったです。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回、ハイアーセルフ33さんから、「情報提供フォーム」経由で前回の
アイリスさんへのメッセージが送られてきました。

ご紹介します。

【件名】:
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 アイリスさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 前回のご質問ですが、論理は前回パリさんに答えていただいたもので十分と
 思います。
 
 つまり「エゴは身体ではないか?」という質問に対して、エゴがなくても身
 体を持つことは可能だという、きわめて実際的なお話でした。
 
 そうでなければ、アセンデッドマスターは身体をもって現れることができな
 くなってしまいます。私たちも悟った瞬間、体が消えてしまうことになりま
 す(笑)
 
 ただ、アイリスさんの言わんとしていたことは次のようなことでしょう。
 「エゴは‘自己防御’という身体意識の延長である」と。
 
 たしかにそのような機能をエゴはもっています。それがエゴのエゴたるゆえ
 んともいえます。その意味ではおっしゃるとおりです。
 
 スピリチュアルな世界では、「エゴとは自らを守る働きである」というふう
 にいわれています。その定義にしたがえば、エゴは「本能としての身体意識
 の出先機関」といってもよいでしょうね。
 
 ただ、身体意識を凌駕するほどに「目覚めた意識」を私たちは獲得できる
 し、そのときは自己防御の感情は生まれないか、生まれてもその感情を「距
 離をもって観照でき、同化されない」立場でいられることでしょう。
 
 そういう意識を体現していこうではありませんか。
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アイリスさん、そういうことだそうです。


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それと、もうひとつ、ハイアーセルフ33さんから「情報提供フォーム」経由
でわたしの文章へのコメントが寄せられました。

こちらでご紹介させていただきます。

【件名】:真実の「意識状態」としての対等性
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 前回のつづきです。
 
 (パリさん)
 > 「唯一の真実」に関して、わたしは、はるさんと少し違う理解をして
 > いるようだと思いました。
 
 そうですね。実はご承知のように、悟った方や高次意識体も「唯一の真実」
 という言い方をしています。「本来の自分」になったときに自然に生じる認
 識、つまり広がった視点からの認識をそのように言っています。バシャール
 やラムサも、神との対話、和尚ラジニーシ等も、みんなそういう言い方を
 (も)しています(笑)。
 
 それはそういうことでいいんではないでしょうか。
 
 > しかし、個々の「音楽」の対等性を論ずることと、個々の「音楽」とそれ
 > らの可能根拠である「沈黙」が対等だと論ずることは違うと思います。
 
 はい、可能根拠ですから「質」が違います。またこれも同様です。
 
 > 個々の“素粒子のふるまい”と、その背景の「真空」
 
 ただこれらのコントラストも、「すべては意識状態である」ということにつ
 いてはどうでしょう? それが「すべてのものが対等な真実(現実)」の根
 拠になっているわけですが、これには異論ありませんか? それと・・、
 
 > 個々の真実、個々の意識の位相の間に、包含関係はありえても、どちらが
 > より真実だ、というような真実性のレベルなどありえないと思っていま
 > す。
 
 とパリさんはいわれています。そのとおりです。また同時にそこには
 
 「どのような究極的な真実も、あるひとつの現実の中に存在する個人的な真
 実すべての産物」(ニューメタフィジックスP51)
 
 であるにすぎない、ということもいえるわけですが、これについてはパリさ
 んは同意されますか?
 
 
 最後に私から提案があります。前回引用した以下の原理ですが、
 
 ●今のあなたが十分に今のあなたであれば、宇宙から必要なものは全部その
 時のあなたに与えられます。情報も、状況も、人との付き合いも、物質、何
 でも全てのものが、今あなたに与えられます。自動的に、努力なしで、がん
 ばることなしに、すぐに…。「バシャール」(新書版1巻P24)(旧1巻P18〜19)
  
 ●「汝と大いなる空との婚礼は祝われている」・・・この空っぽであるこ
 と、この空白であることは、大いなる空(くう)とあなたとの婚礼を祝うこ
 とだ。踊りながら、その大いなる歓喜を表し、歌いながら陶酔して自分自身
 を失うことだ! 在り方はひとつしかない・・・さらに消えてゆくことだ。
  
 あなたが完全に空っぽになる瞬間、神性は完全なかたちで即座に降りてく
 る。「あなた」こそが唯一の障壁だ。だから恐れてはならない。あなたが空
 白になる時、あなたはすべてを手にしている。
                和尚ラジニーシ「エンライトメント」P397
  
 *************************
 
 この原理を、アセンション館通信の冒頭に掲げておかれたらいかがかと思う
 のです。メルマガの目的、ニサルガ効果ということで「関連づけて説明」し
 ておくのです。
 
 ニサルガさんの教えと、アセンション(悟りも含む)とどういう関係なのか
 分かった方がいいと思うのですね。学ぶ動機づけにもなるし。
 
 「へ〜、こういう原理があるのか。この境地を体現してゆくために、ニサル
 ガダッタの言葉が役立つんだな。覚者の教えとはみんなこの方向を目指して
 ものなのか。そうか、それなら確かに実用的だ。ひとつ勉強してみよう」
 
 いかがでしょう? みなさんのご意見もお聞きできればうれしいです。
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コメントありがとうございました。

はるさん、ご自分のメルマガを出すタイミングが来ているようですね。

準備ができたら、ご連絡ください。

ご紹介させていただきたいと思います。

きっと、はるさんのメルマガ配信をお待ちの方がいらっしゃると思います。

よいお知らせを、お待ちしています。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

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■ 4.編集後記:変化するものに何の意味も深みもない。
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“現れ”に関するかぎり、知覚可能な「内界」も思考可能な「外界」も、絶え
ざる変化に曝されている……。

そして変化するものに何の意味も深みもない。

“現れ”に何の意味もないと納得してみれば、その“現れ”のなかの仮の自分
(肉体)の運命も、さほど気になることでもなくなってくるようです。

「私は在る」……。

わたしが存在しなくなることはない。

非顕現は事実であっても、非存在(という事実)は想像することすらできませ
んから。

世界はわたしが与えた以上のパワーをわたしに対して持ってはいない。

たしか……ですよね。

これまで自分が後生大事に抱えてきた自分というのは、じつは誤った観念にす
ぎない……、あとはそういうことがただ自明になっていくのでしょうか。

普通に映画の中の人生に応接していくだけなんでしょうね。

> 実際には、私たちに物語はない。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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