━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
☆☆ ☆☆
☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.263 2009/4/19(第263号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 963名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.振動しないことは恐ろしい
2.写経ニサルガダッタ:【69 一時性は非実在の証拠だ】の3回目
3.いただいたお手紙から:komalaさん
4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
5.編集後記:単純な事実を突きつけられて、むしろ戸惑っています。
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■ 1.振動しないことは恐ろしい
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今がいちばん色彩的に華やかな季節ですね。
……こういう光景を見ていると……ここで唯一余計なのはこの思考だな、など
という知ったかぶりの思いが走ったりもします。^^;
マインドの一部が、ありもしない“分離”を前提して、“自分”だけ別なよう
な顔で、マインドの別の部分を非難しているだけなんでしょうけど……。
独り芝居……とでもいうのか。
……ああ、言葉ばかりが先走るなぁ……。
ハズカシ。(*-_-*)
まあまあ、堅いこと言いっこなし。
過剰な反省こそがマインドですぞ。
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
マインドの“お喋り”というのは暗黙の内に“他人”を前提している……よう
な気がするのですが、この“洞察”は正しいでしょうかね? (^_-)
とすれば……マインドの“お喋り”は基本的に“独り言”ということかなぁ。
むかし……夜昼ひっくり返った生活をしていたころ、頭のなかの“お喋り”を
物理次元の音声として口から出していたことがありました。
肉体年齢は若かったのに、頭のなかの思いが口をついて出てくる“独り住まい
のお年寄り”みたいな習慣ができていたんでしょうね。
そう言えば、あの誇り高い老女ターシャ・チューダーさんでさえ、NHK BS
の最後の映像では独り言をおっしゃっていましたね。
あるいは、撮影している方々へのサービスだったのか……。
いや、むしろ、生活そのものがまわりの生き物たちとの対話みたいな生涯だっ
たのかもしれませんし。
“宇宙は神の隠れん坊”……みたいな言い方があります。
“隠れん坊”も度がすぎて、われわれは自分が紡ぎだした“独り言”の繭のな
かに閉じ込められてしまったのかもしれませんね。
お年寄りの“独り言”は、たとえどんなに高尚な独り言でも、なにかちょっと
お気の毒……といった感じがあります。
たぶんそれは、“マインドの旬”を過ぎた有機体が発する一種の感触、肉体な
らば最近流行りの“加齢臭”とでもいった味わいなのかもしれません。
そこで黙ることができるかできないか……? (-_-;)
黙ることができない一群のマインドは、有機体が解体したのち、そこに未消化
のエネルギーを残して、新たな有機体の発生を誘発するのでしょうか。
自分が紡ぐ“独り言”の繭のなかに閉じ込められた神、彼に問われることは、
ただひとつ、黙ることができるかできないか……だけなんでしょうね。
しかし、マインドは沈黙を避けるためなら、どんな手練手管も厭いません。
沈黙の代用品としての“お喋り”だって発明しかねません。
でも、“お喋り”を新たな“お喋り”の発明で鎮静させることはできない……。
お釈迦さまも、旅の道すがら出会った“水たまり”の様子で、近侍のアーナン
ダにそのことを教えたと伝えられています。
理解した者から離脱して行くほかない理屈ですが……、ところがこれがなかな
か厄介です。
“お喋り”が何とか新たな“お喋り”の発明で事態を糊塗(こと)しようとす
るのは、永遠に変わらぬマインドの策略ですから。
なにしろ喋りだしてから止まったことがない……。
こんなメルマガ程度ですら、いったん走り出したら“外圧”だか“内圧”だか
の一撃を受けなければ、自分ではよう止まらんのですからねぇ。(^_-)
そしてせっかく止めくれたサットグルの恩寵を無にして、またまた“お喋り”
戦線に現場復帰するくらいですから……。(-_-;)
何にもまして、わたしたちは“お喋り”しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、“お喋り”波動のなかにとどまることを
望むのだ……。(-_-)
(@_@)
もとへ、
----------------------------------------------------------------------
何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
えない。
私たちは罠にはまったままなのだ。
『私は在る』(p346)
http://tinyurl.com/s747u
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(;_;)
> あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも……
エゴとして在ることの“苦しみ”や“屈辱”など、なんのその……です。
勝手に担いだ感情への自己同化による屈辱だって、完全に沈黙することに比べ
たら、どんなに“おやすいご用”であることか……。
われわれの苦しみ、惨めさ、屈辱のすべては、快楽の値段と言うよりは、むし
ろ振動をやめられないことの値なのでしょう。
個人として在ることのどんな“苦しみ”も“屈辱”も、振動が止まる(ことを
想像する)恐ろしさに比べたら問題にするにも当たらない。
それが証拠に、悔しさのあまり自殺した方は掃いて捨てるほどいるでしょうが、
悔しさのあまり沈黙に入り、解脱したという方は、おそらく歴史上数えるほど
の例しかないのでは。(^_-)
> あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
このいわれなき恐怖におびえるわれわれに救済策はあるのか?
それが、言わずと知れた
「私は在る」
なのでしょう。
心臓が止まっても……振動が止まっても……「私は在る」。
なぜなら、
> 私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要もない
わけですから。
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不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。
時間から外に踏みだして、それが世界を滅ぼすのを見るがいい。
そして言うがいい。
「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
ないのだ」と。
『私は在る』(p367-368)
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しかし……。
わたしが「在る」ために“燃料を集める必要もない”ことは、いちど止まって
みないことにはわからない。
ここが厄介なところです。(^^;)
なにしろ、記憶するかぎり、いちども止まったことがないわけですから。
そもそもわたしは「在る」必要すらないのかもしれない。
なぜなら、「私は在る」だから。(←はは、なんのこっちゃ。(*^_^*))
ま、「在る」であろうと「無」であろうと「空」であろうと、言葉はどうでも
いいわけでしょう。
要するに、それは「在る」必要のないものです。
それは“なんでもないもの”です。
――おいはこれだけのもんじゃい。
ほしてからに、わいはなんぼのもんじゃい?
――“なんでもないもん”でごわす。
ま、こんなバカな会話はしないでしょうが。(*^_^*)
でも、まあ、「命も要らぬ、名も要らぬ」という西郷さんのような方は“始末
に終えん”ことは確かです。
しかし、われわれはいつの間にか、この肉体に自己同化して、命も惜しし、名も
惜しし……という情けない存在になってしまった。(;_;)
自分がこの宇宙構造体のなかの住人、何の誰兵衛であると信じているかぎり、
われわれは“郷に入っては郷に従い”、そこで生存を図らなくてはならない。
“不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ね”、アセンションを待ちわび、
落ちこぼれないように、いい子にもしていなくてはならない。
地球のこれからの一千年紀のように、相対的にサットヴァが優勢になる一時期
なら、それも耐えやすいのかもしれません。
しかしあらゆる人生に終末が訪れるように、じつは、あらゆる宇宙サイクルは
元来たところに戻らざるをえないわけです。
時間のなかに時間からの出口はないし、宇宙空間のなかに宇宙からの出口はな
いわけですから。
いったん、この宇宙を客観的な存在、いわば実在として認めたら、厄介なこと
にならざるをえない。
多くのいわゆる“上位次元”の存在が保証するように、時間が幻想であり過去
も未来も<今>のなかにあるのなら、どんな天上世界もその一部としてわれわ
れのこの地球をも含んでいるわけでしょう。
それなら、ガイア・アセンションを願い、自分もその仲間に入ることを願うの
は、いまの企業社会で“勝ち組”の仲間入りを願うことと何か違うのか?
むろん、何の違いもありはしないわけでしょう。(^^;)
同じく、よりよい世界、より洗練された生き方を願っているわけでしょう。
われわれが、ウガンダの恐怖政治に曝されるより、日本に生まれた幸運を喜ぶ
ように、天上界の方々は、闇の支配下で永く過酷な隷従を強いられてきた地球
に生まれなかったことを喜ぶわけでしょう。
もっとも、その逆の解説もあります。
この時期、この局所場で起こりうるナノセカンドの波動上昇を体験するために
自ら選んでここに転生した勇者たち……などと。^^;
すべては、“現れ”の世界(時空連続体)のなかで可能な、ひとつの説明、ひ
とつのお噺にすぎません。
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すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
『私は在る』(p207)
----------------------------------------------------------------------
……。
完全な沈黙よりはエゴの苦しみの方がましだから(少なくともそう思うから)、
われわれはこうしてエゴをやっているんでしょうね。
心臓が止まるくらいなら、もとへ、振動が止まるくらいなら、感情に自己同化
して舞い上がったり、落ち込んだりしている方がマシだからでしょう。
これはもう、心理学的と言うよりは、数学的に確実なことだと思います。
真実よりも、実在よりも、個人と他者を許容する現象世界の方にいたいのです。
これはもう、まったく、否定できない事実です。
それほどにも、振動しないことは恐ろしい。
真実の自分を知ることは恐ろしい。
実在を知ることは恐ろしい。
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神を受け入れる前に、あなたはあなた自身を受け入れなければならない。
それはもっと恐ろしいことでさえある。
自己受容の第一段階はまったく喜ばしいものとは言えない。
なぜなら、人は楽しい光景を見るわけではないからだ。
先へ進んでいくには、すべての勇気が必要とされる。
助けとなるのは沈黙だ。
完全な沈黙のなかで、あなた自身を見守りなさい。
あなた自身を描写してはならない。
あなただと思いこんでいるあなたを見てみなさい。
そして、あなたはあなたが見ているものではないことを覚えておきなさい。
「これは私ではない。私は誰か?」が自己探求の動きなのだ。
解放へのほかの手段というものはない。
すべての手段は延期を意味するのだ。
あなたではないものを断固として拒絶しなさい。
真の自己が荘厳なる無のなかに現れるまで。
それは、「何ものでもないもの」なのだ。
『私は在る』(p545)
----------------------------------------------------------------------
……。
絶句……するしかないというか……。
こういう言葉を聴いて、なおかつお喋りを続ける“我が身”が恨めしいと言う
か……。(*-_-*)
> あなた自身を描写してはならない。
(@_@)
> あなただと思いこんでいるあなたを見てみなさい。
あ……、はい。
> そして、あなたはあなたが見ているものではないことを覚えておきなさい。
そうか……。
……そうか。
> 「これは私ではない。私は誰か?」が自己探求の動きなのだ。
はい。
> 解放へのほかの手段というものはない。
「解放へのほかの手段というものはない」のですか? (@_@)
> すべての手段は延期を意味するのだ。
そうなんだ……。
そう言えば、今日の写経部分でも、
----------------------------------------------------------------------
どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
いきはしない。
『私は在る』(p351)
----------------------------------------------------------------------
って言ってたけど……。
> あなたではないものを断固として拒絶しなさい。
はい。(;_;)
> 真の自己が荘厳なる無のなかに現れるまで。
はぃ……。
> それは、「何ものでもないもの」なのだ。
わたしは「何ものでもないもの」……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【69 一時性は非実在の証拠だ】の3回目
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ニサルガ師匠の言葉はいつも曖昧さをいっさい許さない“大鉈”です。
誤解しようにも、誤解のしようがない。(;_;)
今回の章の最終3回目は、求道の文脈での外側の世界での働きかけを、すべて
バッサリと否定します。
> 唯一、正しい場所は内側だ。
> 外側の世界は、助けにもならなければ妨げにもならない。
こう断言されてしまうと、ちょっと二の句が継げません。
> どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
> いきはしない。
なんと……。
こういう言いにくいことを、ここまであからさまに言うグルは……。(-_-;)
しかし、指示はきわめて実践的で具体的です。
> 未来へ向けてのあらゆる働きかけを放棄しなさい。
> 完全に、今に集中するのだ。
> 起こるがまま、人生のあらゆる動きに反応することだけで関わっていきなさ
> い。
“助けにもならなければ妨げにもならない”世界への対処方法は、たしかに、
それしかありえなわけでしょうね。
では、【69 一時性は非実在の証拠だ】の3回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 どうしてただ在ることができるでしょうか? 変化は不可避なので
す。
マハラジ
変化の絶えないなかにあっては、変化は不可避だ。
だが、あなたがそれに支配されることはない。
あなたはそれに対して変化が知覚される、不変の背景なのだ。
質問者 すべては変化します。背景もまた変化するのです。変化に気づくた
めの不変の背景など、必要ありません。自己は一時的なものです。
それは単なる過去と未来の遭遇(そうぐう)点でしかないのです。
マハラジ
もちろん、記憶をもとにした自己は一時的なものだ。
しかし、そのような自己は、その背後に不断の継続性を必要とする。
あなたの体験からも、自己を忘れてしまう隙間があることを知っているだろ
う。
何がそれを蘇らせるのだろうか?
朝、あなたを目覚めさせるのは何だろうか?
意識のなかのその隙間を橋渡しする、何か不断の要因がなければならない。
もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
その隙間のなかには何があるのだろうか?
ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。
それにとっては、マインドもノー・マインドもひとつなのだ。
質問者 霊的な成就のためにあなたが勧める、私が行くべき特定の場所があ
りますか?
マハラジ
唯一、正しい場所は内側だ。
外側の世界は、助けにもならなければ妨げにもならない。
どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
いきはしない。
未来へ向けてのあらゆる働きかけを放棄しなさい。
完全に、今に集中するのだ。
起こるがまま、人生のあらゆる動きに反応することだけで関わっていきなさ
い。
質問者 放浪しようとする衝動は何が原因なのでしょうか?
マハラジ
原因はない。
あなたはただ、放浪しているという夢を見ているだけだ。
数年後には、あなたのインドでの滞在も夢として現れることだろう。
そのころ、あなたは何かほかの夢を見ていることだろう。
夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
これが絶対的な真理なのだ。
質問者 物理的には動きまわりながら、内面においては動じずにいることは
できないでしょうか?
マハラジ
それはできる。
しかし、それが何の役に立つというのだろう?
もしあなたが真剣なら、最後にはうろつき回ることに飽きて、今まで時間と
エネルギーを浪費してきたことを後悔するだろう。
あなた自身を見いだすためには、一歩を踏みだすことさえ必要ないのだ。
質問者 真我(アートマン)の体験と絶対なるもの(ブラフマン)の体験の
間には、何か違いがあるのでしょうか?
マハラジ
絶対なるものの体験などありえない。
それはすべての体験を超えているからだ。
その反対に、自己はあらゆる体験のなかの体験要因だ。
それゆえ、それはある意味で体験の多様性を有効にするのだ。
世界は偉大な価値あるもので満ちているかもしれない。
だが、誰も買う人がいなければ、それらに価値はない。
絶対なるものは、体験可能なあらゆるものを包含している。
体験を可能にするもの、それが絶対なるものだ。
それを現実のものにするのが真我なのだ。
質問者 私たちは段階的な体験を通して絶対なるものに到達するのではない
でしょうか? もっとも粗雑な体験からはじまり、もっとも崇高な
体験で終わるように。
マハラジ
それを熱望しないかぎり体験はありえない。
欲望の間に段階はありうる。
しかし、もっとも崇高な欲望とすべての欲望から自由になることの間には、
渡らなければならない深遠がある。
実在ではないものが実在に見えることはあるかもしれない。
しかし、それは一時的なことだ。
実在は時間を恐れてはいないのだ。
質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?
マハラジ
どうしてそうありえよう?
それは、あたかも真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。
実在にとって、非実在は存在しない。
あなたがそれを信じるために、それは実在として現れるのだ。
疑ってみなさい。
そうすればそれは消え去る。
誰かを愛するとき、あなたはそれに実在を与える。
あなたはあなたの愛が全能で、永遠だと想像する。
それが終局を迎えるとき、あなたは言う、「わたしはそれが本物だと思って
いたが、そうではなかった」と。
一時性は非実在の最高の証拠なのだ。
時間と空間のなかに限定され、ひとりの人にしか適用しないものは実在では
ない。
実在はすべてのためにあり、永遠のものなのだ。
ほかの何よりも、あなたはあなた自身を大切にする。
あなたはあなたの存在を、何ものとも交換することを許さないだろう。
在ることへの欲望は、すべての欲望のなかで最強のものだ。
そして、あなたが真我を実在したときだけ、それは去るだろう。
質問者 非実在のなかにさえ、そこには実在の感触があります。
マハラジ
そうだ。
それを実在と見なすことで、あなたはそれに実在性を分け与えるのだ。
あなたは自分を納得させた上で、自分の確信によって束縛されてしまうのだ。
日が照るとき、色彩が現れる。
日が沈むとそれらは消え去る。
光なしに、色彩はどこにあるだろうか?
質問者 それは二元性のなかでの考えです。
マハラジ
考えることはすべて二元性のなかにある。
本質のなかではいかなる思考も生き残らないのだ。
『I AM THAT 私は在る』(p350-352)
http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)
前回の最後の部分で、質問者はニサルガダッタに
> 自分自身をひとつのパターンに鋳造することなど、悲惨なる時間の浪費だ。
> 過去も未来も考えず、ただ在りなさい。
と言われたわけです。
そこで今回の質問があります。
> 質問者 どうしてただ在ることができるでしょうか? 変化は不可避なので
> す。
ま、論理的ではありませんが、体験的には言う意味はわかります。
> マハラジ
> 変化の絶えないなかにあっては、変化は不可避だ。
「変化は不可避だ」……。
> だが、あなたがそれに支配されることはない。
だが、自分が「それに支配されることはない」……。
> あなたはそれに対して変化が知覚される、不変の背景なのだ。
わたしはその“変化を知覚する者”なのだから。
> 質問者 すべては変化します。背景もまた変化するのです。変化に気づくた
> めの不変の背景など、必要ありません。自己は一時的なものです。
> それは単なる過去と未来の遭遇(そうぐう)点でしかないのです。
ちょっと、支離滅裂気味ですが……。^^;
> マハラジ
> もちろん、記憶をもとにした自己は一時的なものだ。
> しかし、そのような自己は、その背後に不断の継続性を必要とする。
はい、わかります。
> あなたの体験からも、自己を忘れてしまう隙間があることを知っているだろ
> う。
はい。
> 何がそれを蘇らせるのだろうか?
> 朝、あなたを目覚めさせるのは何だろうか?
(-_-;)
> 意識のなかのその隙間を橋渡しする、何か不断の要因がなければならない。
なるほど。
> もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
> るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
そうか。
> その隙間のなかには何があるのだろうか?
えーと……。
> ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。
え! (*_*)
そうなんですか!
> それにとっては、マインドもノー・マインドもひとつなのだ。
そうか……、そうなのか。
> 質問者 霊的な成就のためにあなたが勧める、私が行くべき特定の場所があ
> りますか?
うん。
> マハラジ
> 唯一、正しい場所は内側だ。
やっぱり。
> 外側の世界は、助けにもならなければ妨げにもならない。
ほー。
> どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
> いきはしない。
なんと! (@_@)
「どのような体系的方法も、どのような行動様式も」……役に立たないのか。
> 未来へ向けてのあらゆる働きかけを放棄しなさい。
はい。
> 完全に、今に集中するのだ。
はい。
> 起こるがまま、人生のあらゆる動きに反応することだけで関わっていきなさ
> い。
具体的で、よくわかります。
> 質問者 放浪しようとする衝動は何が原因なのでしょうか?
うん。
> マハラジ
> 原因はない。
> あなたはただ、放浪しているという夢を見ているだけだ。
なるほど。
これがリアリズムというものか……。
> 数年後には、あなたのインドでの滞在も夢として現れることだろう。
そういうことか。
> そのころ、あなたは何かほかの夢を見ていることだろう。
だよなぁ。
> 夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
うん?
そうか……、映画の登場人物のほうか。
> 夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
わかります。
> いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
はい。
> これが絶対的な真理なのだ。
はい。(-||-)
> 質問者 物理的には動きまわりながら、内面においては動じずにいることは
> できないでしょうか?
うん、気持ちはわかるけど、“物理的には動きまわる”ほうに焦点があったり
して。^^;
> マハラジ
> それはできる。
> しかし、それが何の役に立つというのだろう?
まったく。
> もしあなたが真剣なら、最後にはうろつき回ることに飽きて、今まで時間と
> エネルギーを浪費してきたことを後悔するだろう。
ああ……、そういうことか。
> あなた自身を見いだすためには、一歩を踏みだすことさえ必要ないのだ。
そうか。
そうでないと、おかしいか……。
> 質問者 真我(アートマン)の体験と絶対なるもの(ブラフマン)の体験の
> 間には、何か違いがあるのでしょうか?
うーん。
> マハラジ
> 絶対なるものの体験などありえない。
> それはすべての体験を超えているからだ。
はい。
> その反対に、自己はあらゆる体験のなかの体験要因だ。
なるほど。
> それゆえ、それはある意味で体験の多様性を有効にするのだ。
だから、ある意味で体験の多様性を有効にするものを「自己」と呼ぶのか。
> 世界は偉大な価値あるもので満ちているかもしれない。
> だが、誰も買う人がいなければ、それらに価値はない。
言葉の意味はわかるけれど……。
ああ、そうか。
それを“買う人”として、自己があるのか。
> 絶対なるものは、体験可能なあらゆるものを包含している。
「絶対なるもの」にとっては、それらに何の価値もない。
あるいは、「絶対なるもの」はそれらに気づいてすらいないかもしれない。
> 体験を可能にするもの、それが絶対なるものだ。
はい。
> それを現実のものにするのが真我なのだ。
なるほど。
「絶対なるもの」と「真我」の言葉の使い分けの意味がわかりました。
> 質問者 私たちは段階的な体験を通して絶対なるものに到達するのではない
> でしょうか? もっとも粗雑な体験からはじまり、もっとも崇高な
> 体験で終わるように。
>
> マハラジ
> それを熱望しないかぎり体験はありえない。
「絶対状態」の体験というのを意味しているのかな……。
> 欲望の間に段階はありうる。
はい。
> しかし、もっとも崇高な欲望とすべての欲望から自由になることの間には、
> 渡らなければならない深遠がある。
「神」と「ジニャーニ」の違いみたいなものかな。
> 実在ではないものが実在に見えることはあるかもしれない。
へー。
> しかし、それは一時的なことだ。
はい。
> 実在は時間を恐れてはいないのだ。
はい。
「実在」は「最強の破壊者」と教わりました。
> 質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?
>
> マハラジ
> どうしてそうありえよう?
> それは、あたかも真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。
なるほど。
この比喩は、よくわかります。
> 実在にとって、非実在は存在しない。
『神の使者』のJの表現で言えば、「神」は「世界」の存在を知らない。
> あなたがそれを信じるために、それは実在として現れるのだ。
なるほど。
> 疑ってみなさい。
> そうすればそれは消え去る。
そうか……。
> 誰かを愛するとき、あなたはそれに実在を与える。
なるほど。
> あなたはあなたの愛が全能で、永遠だと想像する。
なるほど。
> それが終局を迎えるとき、あなたは言う、「わたしはそれが本物だと思って
> いたが、そうではなかった」と。
ああ……そういうことか。(-_-;)
> 一時性は非実在の最高の証拠なのだ。
「非実在」とはそういう意味なんだ。
> 時間と空間のなかに限定され、ひとりの人にしか適用しないものは実在では
> ない。
はい。
> 実在はすべてのためにあり、永遠のものなのだ。
わかります。(-_-;)(←なんちゃって。(^_-))
> ほかの何よりも、あなたはあなた自身を大切にする。
たしかに。
> あなたはあなたの存在を、何ものとも交換することを許さないだろう。
言われてみれば……。
> 在ることへの欲望は、すべての欲望のなかで最強のものだ。
そうなんだ……。
> そして、あなたが真我を実在したときだけ、それは去るだろう。
そうか。(@_@)
> 質問者 非実在のなかにさえ、そこには実在の感触があります。
たしかに。
> マハラジ
> そうだ。
> それを実在と見なすことで、あなたはそれに実在性を分け与えるのだ。
そういうことなんですか。
> あなたは自分を納得させた上で、自分の確信によって束縛されてしまうのだ。
アチャ。(>_<)
> 日が照るとき、色彩が現れる。
あ、はい。
> 日が沈むとそれらは消え去る。
> 光なしに、色彩はどこにあるだろうか?
そうか。
> 質問者 それは二元性のなかでの考えです。
>
> マハラジ
> 考えることはすべて二元性のなかにある。
なるほど。
> 本質のなかではいかなる思考も生き残らないのだ。
そういうことか。
……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
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■ 3.いただいたお手紙から:komalaさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
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今回、komalaさんが「情報投稿」フォーム経由でメールをくださいました。
内容が一種の作品のような感じでしたので、こちらでご紹介しますね。
【件名】:青い空 白い雲
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青い空 白い雲
其れは 昼の景色
暗い空 黒い雲
それは 夜の景色
本体は いずれも同じ もの
(屋久島より)
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komalaさん、何やら面白い作品ですね。^^;
瞑想中の心象風景なのか、一種の哲学的風景なのか……。
こういうのができたら、また送ってくださいね。
ありがとうございました。
m(_ _)m
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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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今回、ハイアーセルフ33さんから複数の情報をご提供いただきました。
早速、ご紹介させていただきます。
【件名】: 銀河連邦情報のお知らせ
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みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
(チャネラー)シェルダン・ナイドルからの最新情報の日本語訳が、
ONENESSのホームページに掲載されましたのでお知らせいたします。
2009年2月17日版,2月24日版,3月3日版
http://oneness-net.jp/pao-updates/index.htm
今回の分で私の注目情報は下記でした。
地球西暦:2009年2月24日*********************
闇とその手下たちは、現在アメリカ合衆国と世界が何に向きあうべきかとい
う問いに対して答えることのできない、非応答システムを確立しました。如
何なる試みに対しても信頼でき、論理的に選ばれた新しい政府をつくる前
に、徹底的な大掃除が必要です。その過渡期は、8〜9か月間におよぶでしょ
う。
その間、我々の存在と任務が正式に認められ、現在まで隔離されてきた新し
い技術が紹介されるでしょう。そして、みなさんの肉体、アストラル体(感情
体)、メンタル体(精神体)そしてスピリットの変容の真実およびその意味が、
みなさんに説明されるでしょう。これらがまもなく現実化することになって
います。このプレ・ファーストコンタクトの筋書きは、我々が可能な限り安
全にみなさんの現実へと訪れるために不可欠なのです。(中略)
みなさんの多くは、現在、何らかの身体的または精神的な変容を経験して
います。つまりみなさんは、肉体とアストラル体、メンタル体などのスピリ
チュアルなエネルギー体を統合している過渡期に位置しています。みなさん
は、真のスピリットである創造主の本質に、巨大な回路をつなげる物理的な
作業が行われたので、自分自身を光が物質化したものとみなせるのです。
この非常に複雑な活動は、みなさんのRNA/DNAによってコントロールされてい
ます。この特別な有機コンピューターは、みなさんのアセンションの安全な
スイッチとして作動します。みなさんの遺伝子の中に、地球の遺伝子学者が
‘ジャンクDNA’と呼ぶものが大量に存在します。みなさんがアセンションの
特定の段階に達した時、このジャンクDNAは新しいメッセージとプログラムの
信号を発信し始めます。このように、みなさんに起きている覚醒状態は、非
常に長い間眠ったままでした。これは、フルコンシャスネスへとみなさんを
戻している過程なのです。
これらのDNAの新しい領域が、みなさんの遺伝情報を拡大するので、みなさ
んは、より高いレベルの意識に目覚めるでしょう。しかし、この過程は、み
なさんの内奥の遺伝子を超えた部分の影響を受けます。これらは、みなさん
の遺伝情報の重要な部分を制御する、新しい準備を行うために行われます。
ジャンクDNAがチャクラの経路と遺伝子両方の新しい領域を徐々に変容し始め
るでしょう。実際、みなさんは、カメレオンのように全く違った存在へと変
容しています。結局、この過程は、タンパク質、ペプチド、その他の特定の
組織の強化へと達します。そこで、こう着状態が破られるでしょう。この地
点において、特別な装置を使用し、問題無く変容を完了させることが必要と
なっています。ここで、我々の変容装置が登場することとなるでしょう。
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続いて、マシュー君関連メッセージの更新をお知らせいただきました。
【件名】: マシュー君のメッセージ(19)
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みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
「玄のリモ農園ダイアリー」にマシュー君のメッセージ(19)の翻訳が
4月16日にあがっていましたのでお知らせします。(4月9日分)
http://moritagen.blogspot.com/
また4月13日には、マインドコントロールについてもマシュー君が
語っています。
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2009年4月9日の主な内容
尽きる第三密度エネルギー、地球アセンションの進展、進化したテクノロジ
ーに適ったよりシンプルなライフスタイル、人間性の進化、コンティニウム
の”時間”、黄金時代の暮らし、バランス経験のために繰り返す転生、サイ
キックの情報源、メッセージ内容の繰り返し
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はるさん、いつも選別情報のご提供、ありがとうございます。
m(_ _)m
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■ 5.編集後記:単純な事実を突きつけられて、むしろ戸惑っています。
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ニサルガ師匠が教える解放の道は、彼が言うようにじつにシンプルですね。
こちらも言葉でいろいろ応戦して、何とか理解せずにすまそうとするんだけれ
ど、読めば読むほど、どうにも誤魔化しようがなくなってくる。
要するに、彼は終始一貫、現象世界、つまり変化する“現れ”には何の意味も
ない、と言っているようです。
その“現れ”に捕らわれて、無用に苦しむのはやめなさい、と。
しかし、あなたがそれを実在にするかぎり、あなたをそこから救い出せる者は
存在しないのだ、と。
> 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
> それは在り、しかもそれはない。
> 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。
> 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
> それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
> それは私たちが放心しているときに起こる。
> まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。
> ただその傍観者だけが実在なのだ。(p196)
最初、わたしにとってはこれらの言葉↑は、憧れの世界でした。
そのような理解に到達したら、どんなに素晴らしいことか、と。
いま、わたしは、単純な事実を突きつけられて、むしろ戸惑っています。
では、おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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