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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.264 2009/4/26(第264号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 968名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.夢を夢として見ること

2.写経ニサルガダッタ:
         【88 マインドによる知識は真の知識ではない】の1回目

3.いただいたお手紙から:或る私さん

4.編集後記:つねに救済のための力は働いているのだ……
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■ 1.夢を夢として見ること
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久しぶりに雨ですね。

今日は少し寒いです。

庭の花桃のピンクを残して、下の方の中景に見えていた白い桃の花はほぼ姿を
消しました。

……。

特に何と言うこともないようでいて、それでも微かにうずくように何かを求め
ている……のか。(-_-)

目の前に見えている雨に濡れた世界は……わたしの内界です。

これはわたしが投影する映画だそうです。

こんな理屈を自分で理解しているわけではないけれど、でもニサルガダッタが
言うことなので、わたしはそれを信頼しています。

そして、この自分が投影している映画は……自分ではない。

それはよくわかります。

自分はこの光景を見ているわけだから、それが内界であろうと外界であろうと、
とにかくこの光景は自分ではない。

そして……“微かにうずくように何かを求めている”のが……わたしの外界な
のだそうです。

わたしの上に押しつけられた微熱です。

でも……わたしは“微かにうずくように何かを求めている”のは自分だと思っ
てしまう。

ついつい目の前に固定的に存在しているように見える“現れ”の世界に何かを
求めてしまい、その“求めている”のは自分だと思ってしまう。

長年の癖ですね。(-_-)

改めて考えてみれば、“求めている”ということは、そのような思考がそこに
ある、というだけのことですよね。

別に、自分が求めているわけじゃない。

自分は、“そのような思考がそこにある”ことに気づいているだけです。

“そのような思考がそこにある”ことに気づいている自分は、その思考ではあ
りえない……、これは確かです。

ちょっと、七面倒くさいとも言えるけれど、話の筋は通っているし、むしろ、
体験的事実とも言えます。

なんでこんな“七面倒くさい”ことを考えるようになるのか?

そうせずにはいられないくらい、エゴとして生きることが恥ずかしくてつらい
ことになるからですよね。(*-_-*)

ま、話の筋は通っています。(^_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

やっぱりエゴにも“旬(しゅん)”というものがあるのだと思います。

“旬”のエゴはエゴとして生きるのが正しく、“旬”を過ぎたエゴは、エゴと
して生きるのがつらくなるのだと思います。

……といった一見“賢げな”言葉を吐く端々から、恥ずかしさが募るようにな
ると、これはもう、エゴの老醜とでも言ったらいいのか……。(*-_-*)

(*^_^*)

あ、いや、別にそれほど恥ずかしいわけじゃありませんから、大丈夫です。^^;

恥ずかしさも何もかも、苦しさというのは、すべて利己心から生まれるわけで
すよね。

それは、まあ、理屈としては、いちおう、決まっているわけです。

もし、権威が必要なら……。

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 利己主義が苦しみの原因なのだ。
 ほかの原因はない。
                          『私は在る』(p493)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そこまで話が決まっているのなら、誰が利己心なんて……と思います? (^_-)

いやー、なかなか……。(^^;)

古来“苦しみの原因”とわかっている利己心なら、そんなもの持たなければい
いようなものですが……、これがなかなかそう簡単にいかない。

というか、そこまで明瞭に見えない。

それで、密かに利己心を抱え込むわけです。

映画のなかの登場人物として。

映画のなかでも、ちょっとはいい目を見たいと思うでしょ。

自分では“密かに”抱えたつもりでも、そこは「天網恢々疎にして漏らさず」、
映画の観客にはすべて丸見えです。(^^;)

どうも具合悪いですよね。

映画のなかでは結構うまくやっているつもりなのに、どうも居心地が悪い。

そりゃそうです。

観客の自分が全部見ているわけですから。(>_<)

“自分”は映画の登場人物としてすっかりはまっているつもりでも、ほんとの
自分は永遠にはまりっこない。

ただ淡々と、不調和を不調和として内界に投影するだけです。

映画の登場人物のつもりの当人にしてみたら、居心地の悪さは増す一方です。

恥ずかしくて、つらくて、身も世もあらにような感じになってくる。

それなら、いっそのこと利己心なんてさっさと手放したら、と思うんですが、
これが往生。

どうやって手放したらいいのか、手放し方がわからない。

そんなに悟りたいんなら、さっさと悟ったら (?_?)、と映画のなかで言われて
いる場面を想像してみてくださいな。(^_-)

そりゃ、死ねと言うなら、死ねますよ、映画の中だって。

でも、映画のなかで登場人物をやめろは、ないですよね。

どうやって、登場人物をやめるの?

わかります?

こっちは成りきっているんですよ。

この世に“生まれてきて”、身体のなかに入っているんです。

これでも真面目に、身体のなかにいて環境に対応しているんですから。(/_;)

登場人物としては、これでけっこう真面目にやってるんだ……。(T_T)

だからもういい加減やめたいと思っても、なにしろやめ方がわからない。

迷い込んだもんだよなぁ。(-_-;)

> 利己主義が苦しみの原因なのだ。
> ほかの原因はない。

ここまではっきりわかっているのに、それがやめられない。

なぜか? (-_-;)

だいたい、利己心って何?

> 自分が身体でもマインドでもないと知っている人は、利己的ではありえない。
> なぜなら、彼は利己的になるための何ものももってはいないからだ。(p529)

あ、なるほど。(@_@)

利己的になるための根拠がないわけだ。

じゃ、自分は身体じゃないとか、思いじゃないとか……いくらお題目を知って
いても……。

映画の外に出られないというのは、けっきょく……。(*-_-*)

自分がこの身体だと信じ込んでいるということだ。

この身体は映画の一部分でしかないから……。

----------------------------------------------------------------------
 利己的であることとは、部分が全体に対して欲望し、獲得し、蓄積すること
 を意味しているのだ。
                          『私は在る』(p530)
----------------------------------------------------------------------

理屈は完璧にわかるよなぁ。(-_-;)

映画全体はわたしのものだが、その映画のなかの一部分になることはできない
というわけだよなぁ。

だから……それをすると必ず……。

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 (苦しみの原因とは)かぎりあるものとの自己同一化だ。
 感覚のようなものは、いくら強烈であっても苦しみの原因にはならない。
 マインドが誤った観念にうろたえて、「私はこれだ、私はあれだ」と考える
 ことにふけるようになる。
 それが失うことを恐れ、得ることを熱望し、挫折したとき苦しむのだ。
 
                          『私は在る』(p128)
----------------------------------------------------------------------

ということになるわけか。

うう……。

事実、わたしはこの身体でもなければ、この思いでもないからこそ……、そう
だと思いこむと苦しくなるわけか。(-_-)

それなら、自分をこの身体、この思いと思っているかぎり、苦しみから逃れる
道はないわけだ。

> それが失うことを恐れ、得ることを熱望し、挫折したとき苦しむのだ。

というわけだものなぁ。

この身体だと思えば、この身体が死んでいくときにはつらい。

この思いだと思えば、その思いが挫折したときには苦しまなくてはならない…
…わけか。

理屈だよなぁ……。(-_-)

じゃ、映画のなかの登場人物に救いはないのか……?

----------------------------------------------------------------------
 自分自身はこう在り、知り、行為すると想像し、惑わされているかぎりは、
 私たちは悲しくも苦境にいるのだ。
 ただ、完全な自己否定のなかにのみ、私たちの真我を発見するチャンスがあ
 る。
                          『私は在る』(p129)
----------------------------------------------------------------------

うう……。

映画のなかの登場人物に生きる道はなさそう。

映画のなかの自分を完全に否定して、映画から出るしかないみたい……。

映画から出るにはどうしたら? (?_?)

> (夢からの)出口の必要はないのだ!
> 出口もまた夢の一部分だということがわからないのだろうか?
> あなたがするべきことは、夢を夢として見ることなのだ。

そうなのか。(-_-;)

夢は見ていていいんだ……。

あるいは、見ているしかないのかもしれない。

ただ……、“夢を夢として見ること”が必要なんだ……。

----------------------------------------------------------------------
 どこであろうと、それが導くところ、それは夢だ。
 夢を超えていこうとする考えそのものが幻想なのだ。
 なぜどこかへ行かなければならないのか?
 あなたはただ世界という夢を見ているのだ、ということを悟りなさい。
 そして、出口を探すのはやめなさい。
 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、あなたが夢のなかのある部分が好きで、別の部分が嫌いだというこ
 とだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、為(な)すべきことはすべて為し終えたの
 だ。
                          『私は在る』(p135)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。(-_-)

……そうか。

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
         【88 マインドによる知識は真の知識ではない】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここでニサルガ師匠は「恐れから自由になる」ことは「難しいことではない」
と言います。

もしそれが本当なら、ちょっとそれほど耳寄りなことはないでしょう。(@_@)

そんな話なら、誰だって知りたいはず。

ところが……、いざその理由を聴いてみると、さて、このメッセージを誰がほ
んとうに自分のものにしたがるか? (-_-)

> すべての個人的な要因を放棄しなさい。
> そうすればあなたは恐れから自由になるだろう。
> それは難しいことではない。
> 欲望が偽りだと認識されたとき、無欲はひとりでにやってくる。
> あなたが欲望と闘う必要はないのだ。
> 結局のところ、それは幸福への衝動なのだ。
> 悲しみがそこにあるかぎり、それは自然なことだ。
> ただ、あなたが欲望を持つもののなかには、何の幸福もないということを見
> て取りなさい。

うーむ……。(-_-;)(←困ってる。(^_-))

(*^_^*)

では、【88 マインドによる知識は真の知識ではない】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 あなたは目覚め、夢見、眠りの三つの状態を、私たちと同じように
     体験するのでしょうか、それとも異なるのでしょうか?
 
 マハラジ
 私にとっては、三つの状態すべてが眠りなのだ。
 私の目覚めの状態はそれらを超えている。
 私があなた方を見ると、あなた方は皆、眠っているように見える。
 私は気づいている。
 なぜなら、私は何も想像しないからだ。
 それは眠りの一種であるサマーディではない。
 それはただマインドの影響を受けない。
 過去と未来から自由な状態だ。
 あなたの場合、それは欲望と恐れ、記憶と期待に歪められている。
 私の場合、それはありのままの正常な状態だ。
 個人として在ることとは、眠っていることなのだ。
 
 質問者 身体と純粋な気づきの間には、「内なる器官」、アンタカラナ、
     「微細身」、名前は何であれ――が立ちはだかっています。旋回す
     る鏡が日の光を線と色彩の多様なパターンに変化させるように、微
     細な身体も自己の単一の輝く光を多様な世界に変化させるのです。
     私はこのようにあなたの教えを理解しました。私に理解できないの
     は、最初にどのようにしてこの微細な身体が立ち現れたのかという
     ことです。
 
 マハラジ
 それは「私は在る」という想念とともに創造されたのだ。
 二つはひとつなのだ。
 
 質問者 「私は在る」はどのようにして現れたのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの世界のなかでは、すべてのものがはじまりと終わりをもっている。
 もしそうでなければ、あなたはそれを永遠と呼ぶことだろう。
 私の視野のなかでははじまりや終わりというものは存在しない。
 はじまりも終わりも、みな時間に関係するものだ。
 時間を超えた存在は、完全な今のなかに在る。
 
 質問者 アンタカラナ、すなわち微細身は実在でしょうか、非実在でしょう
     か?
 
 マハラジ
 それは一時的なものだ。
 現在のなかでは実在であり、過ぎてしまえば非実在なのだ。
 
 質問者 どのような類の実在でしょうか? それは一時的なのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは体験的、実際的、あるいは事実上のものと呼んでもいい。
 それは今ここにある直接体験の否定できない真実なのだ。
 あなたはその描写と意味を疑うことはできる。
 しかし、それ自体を疑うことはできない。
 存在と非存在は交互に交替し、その実在性は一時的なものだ。
 不変の実在は空間と時間を超えて在る。
 存在と非存在のはかなさを認識し、その両方から自由になりなさい。
 
 質問者 ものごとははかないものかもしれませんが、それでもそれは果てし
     ない反復のなかで私たちとともに在るのです。
 
 マハラジ
 欲望は強力なものだ。
 反復を起こさせるのは欲望なのだ。
 欲望がなければ、繰り返し現れることはないのだ。
 
 質問者 恐れについてはどうでしょうか?
 
 マハラジ
 欲望は過去のものであり、恐れは未来のものだ。
 過去の苦しみの記憶と、その再発の恐れが人を未来に対して不安にさせるの
 だ。
 
 質問者 そこには未知なるものへの恐れもあります。
 
 マハラジ
 苦しんだことのない人は恐れることはない。
 
 質問者 私たちは恐れるように運命づけられているのでしょうか?
 
 マハラジ
 私たちが恐れを個人的存在の影と見て、それを受け入れることができないか
 ぎり、個人としての私たちは必ず恐れることになる。
 すべての個人的な要因を放棄しなさい。
 そうすればあなたは恐れから自由になるだろう。
 それは難しいことではない。
 欲望が偽りだと認識されたとき、無欲はひとりでにやってくる。
 あなたが欲望と闘う必要はないのだ。
 結局のところ、それは幸福への衝動なのだ。
 悲しみがそこにあるかぎり、それは自然なことだ。
 ただ、あなたが欲望を持つもののなかには、何の幸福もないということを見
 て取りなさい。
 
 質問者 私たちは快楽に安住してしまうのです。
 
 マハラジ
 ひとつひとつの快楽が苦痛に包まれているのだ。
 すぐにあなたは一方なしに他方を得ることはできないことを発見するだろう。
 
 質問者 体験者がいて、彼の体験があります。何がその二つの間のつながり
     をつくり出すのでしょうか?
 
 マハラジ
 何かがつながりをつくるわけではない。
 二つはひとつなのだ。
 
 質問者 私にはどこかに罠が仕掛けられているように感じられます。しかし、
     どこなのかわからないのです。
 
 マハラジ
 罠は何もないところに強(し)いて二元性を見ようとする、あなたのマイン
 ドの中にあるのだ。
 
 質問者 あなたに耳を傾けていると、私のマインドは完全に今のなかにあり、
     質問がなくなっている自分自身に気がついて驚かされています。
 
 マハラジ
 実在を知ることができるのは、あなたが驚いているときだけなのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p472-473)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そうなんだ……。(-_-)

> 質問者 あなたは目覚め、夢見、眠りの三つの状態を、私たちと同じように
>     体験するのでしょうか、それとも異なるのでしょうか?

何度も訊かれた質問なんだろうなぁ。

> マハラジ
> 私にとっては、三つの状態すべてが眠りなのだ。
> 私の目覚めの状態はそれらを超えている。

はい。

> 私があなた方を見ると、あなた方は皆、眠っているように見える。

わかるような気がします。

われわれは想像(=創造)していますから……。

> 私は気づいている。

はい。

> なぜなら、私は何も想像しないからだ。

わかります。

> それは眠りの一種であるサマーディではない。

じゃ、サマーディのなかでも、何か崇高なものを創造(想像)しているんだ。

> それはただマインドの影響を受けない。

振動せずに、背景としてただ在る。

> 過去と未来から自由な状態だ。

時間を生み出さず、ただ<今>として在るだけ。

> あなたの場合、それは欲望と恐れ、記憶と期待に歪められている。

はい。

> 私の場合、それはありのままの正常な状態だ。

そうなんですね。

> 個人として在ることとは、眠っていることなのだ。

わかるような気がします。

> 質問者 身体と純粋な気づきの間には、「内なる器官」、アンタカラナ、
>     「微細身」、名前は何であれ――が立ちはだかっています。旋回す
>     る鏡が日の光を線と色彩の多様なパターンに変化させるように、微
>     細な身体も自己の単一の輝く光を多様な世界に変化させるのです。
>     私はこのようにあなたの教えを理解しました。私に理解できないの
>     は、最初にどのようにしてこの微細な身体が立ち現れたのかという
>     ことです。

「私はこのようにあなたの教えを理解しました」って……、そんなことをニサ
ルガダッタが言ったとも思えないけど……。(-_-)

それはともかく、どのようにして微細身が出現したのかがわからない、と。

> マハラジ
> それは「私は在る」という想念とともに創造されたのだ。

「私は在る」という想念とともに微細身が出現した、と。

> 二つはひとつなのだ。

“「私は在る」という想念”と“微細身”は同じものだ、と。

> 質問者 「私は在る」はどのようにして現れたのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> あなたの世界のなかでは、すべてのものがはじまりと終わりをもっている。

はい。

> もしそうでなければ、あなたはそれを永遠と呼ぶことだろう。

時間幻想がなければ、「私は在る」は永遠と呼ばれることだろう。

> 私の視野のなかでははじまりや終わりというものは存在しない。

はい。

> はじまりも終わりも、みな時間に関係するものだ。

わかります。

> 時間を超えた存在は、完全な今のなかに在る。

はい。(-_-)
 
> 質問者 アンタカラナ、すなわち微細身は実在でしょうか、非実在でしょう
>     か?

現れ……ですよね。

> マハラジ
> それは一時的なものだ。

はい。

> 現在のなかでは実在であり、過ぎてしまえば非実在なのだ。

わかります。

> 質問者 どのような類の実在でしょうか? それは一時的なのでしょうか?

それは一時的でしょう。

> マハラジ
> それは体験的、実際的、あるいは事実上のものと呼んでもいい。

はい。

> それは今ここにある直接体験の否定できない真実なのだ。

はい、今ここで体験されているときは。

> あなたはその描写と意味を疑うことはできる。
> しかし、それ自体を疑うことはできない。

わかります。

> 存在と非存在は交互に交替し、その実在性は一時的なものだ。

なるほど。

“存在と非存在は交互に交替”するもの……なのですか。

> 不変の実在は空間と時間を超えて在る。

気づきであるわたしは、空間と時間を超えて在る。

> 存在と非存在のはかなさを認識し、その両方から自由になりなさい。

不変の実在であるわたしが、はかない現れに束縛される必要はない。

> 質問者 ものごとははかないものかもしれませんが、それでもそれは果てし
>     ない反復のなかで私たちとともに在るのです。

うん。

> マハラジ
> 欲望は強力なものだ。

欲望は強力なんだ……。(-_-;)

> 反復を起こさせるのは欲望なのだ。

そうか……。

> 欲望がなければ、繰り返し現れることはないのだ。

そうか。

> 質問者 恐れについてはどうでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 欲望は過去のものであり、恐れは未来のものだ。

欲望は過去の快楽の記憶に基づき、恐れは過去の苦痛の記憶の未来への投影。

> 過去の苦しみの記憶と、その再発の恐れが人を未来に対して不安にさせるの
> だ。

わかります。

> 質問者 そこには未知なるものへの恐れもあります。

過去の苦痛の記憶を“未知なるもの”に投影して、恐れを想像するわけか。

> マハラジ
> 苦しんだことのない人は恐れることはない。

たしかに。

> 質問者 私たちは恐れるように運命づけられているのでしょうか?

運命づけられているのでしょうか?

> マハラジ
> 私たちが恐れを個人的存在の影と見て、それを受け入れることができないか
> ぎり、個人としての私たちは必ず恐れることになる。

“恐れを個人的存在の影と見て、それを受け入れ”られれば、恐れることはな
くなるのか。

> すべての個人的な要因を放棄しなさい。

“個人的な要因”をすべて放棄するのか……。

> そうすればあなたは恐れから自由になるだろう。

そうか……。

> それは難しいことではない。

難しいことではない? (@_@)

> 欲望が偽りだと認識されたとき、無欲はひとりでにやってくる。

「欲望が偽り」とは、どういう意味だろう? (?_?)

> あなたが欲望と闘う必要はないのだ。

「欲望と闘う必要はない」とは?

> 結局のところ、それは幸福への衝動なのだ。

あ、それはわかります。

> 悲しみがそこにあるかぎり、それは自然なことだ。

なるほど。

> ただ、あなたが欲望を持つもののなかには、何の幸福もないということを見
> て取りなさい。

ああ……「欲望が偽り」とは、そういう意味か。

わたしが「欲望を持つもののなかには、何の幸福もない」……。(-_-)

わたしが「欲望を持つもの」は、わたしを映画のなかに引き込む力は持ってい
る……。

しかし、その映画のなかには「何の幸福もない」……わけか。

映画のなかに「幸福」を求めないとき、わたしは幸福そのものだから。

> 質問者 私たちは快楽に安住してしまうのです。

うん。(*-_-*)

> マハラジ
> ひとつひとつの快楽が苦痛に包まれているのだ。

そうか。

> すぐにあなたは一方なしに他方を得ることはできないことを発見するだろう。

そうか。

> 質問者 体験者がいて、彼の体験があります。何がその二つの間のつながり
>     をつくり出すのでしょうか?

ふーん。

ちょっと、不思議な質問。

> マハラジ
> 何かがつながりをつくるわけではない。
> 二つはひとつなのだ。

体験者と体験はひとつ。

別なところで、体験者は体験の属性にすぎない、と言っていたような。

> 質問者 私にはどこかに罠が仕掛けられているように感じられます。しかし、
>     どこなのかわからないのです。

ふふ。

> マハラジ
> 罠は何もないところに強(し)いて二元性を見ようとする、あなたのマイン
> ドの中にあるのだ。

ぷ。(>_<)

> 質問者 あなたに耳を傾けていると、私のマインドは完全に今のなかにあり、
>     質問がなくなっている自分自身に気がついて驚かされています。

まったく。

すべての空想を否定されて、あまりにも論理的で当然のことばかり言われるの
で、質問がなくなってしまう。

> マハラジ
> 実在を知ることができるのは、あなたが驚いているときだけなのだ。

ギョ! 

ほんとですか? (@_@)

うーむ。

むにゃむにゃ。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:或る私さん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、或る私さんからありがたいサポートメールをいただきました。

これが……ありがたいメールであることだけはわかるのですが、とても難しい
のです。

何度か挑戦してみるのですが、やはりまだよくわかりません。(^^;)

早速、ご紹介しますね。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、こんにちは。
 
 私はなにものでもないと知ることはとても苦痛です。
 ただ、私は在るだけがその救いです。
 
 それが頭だけの理解から心臓への爆発が起こるには
 ちょっと無理してでもすべての人が同じ状況だと想像することだと思います。
 つまり、すべての他人と言える定義に対してそれ自体とても苦痛であると心
 から感じたら私は在るは無限の愛として現れるのです。
 
 こうやってpariさん自身ではない「他人」が何かを話している、動いている
 状態すべては私は在る状態から離れた、実在から離れた想像の世界だと、な
 んのものでもないことだということです。
 
 つまり、すべての人のエゴが自分のエゴになるわけですね。
 それがどれだけ嬉しくても悲しくても辛くても光っていてもただ「なにもの
 でもない」苦痛からは逃れないのです。そしてそのすべての瞬間に「私は在
 る」は変わらないのです。
 
 そうやって、「他人」はなくなるんですよね。それと衝突する自分がなくな
 るわけですから当然です。
 それはただの沈黙であり、とても弱く見えますが、実は一番強い、変わらな
 い、永遠の力なんですよね。
 
 だんだん、自分が得意だと信じていた「自己確信」の表現がつらく感じるで
 しょうね。メルマガを書くというのは相当の自己確信がなくてはならないこ
 とですしね。
 そのメルマガを書くという行為から自己確信だけ取り除けるわざを身につけ
 るしかありません。
 その行為は止まらないし、止める必要もありません。
 それは「私は在る」と関係がないのです。
 ま、メルマガをやめることになれば、それもまた止まらないのですが…
 それも「私は在る」と関係がないわけです。
 
 自分という殻を維持したまま「わたしはなんでもない」を受け入れられるわ
 けがありません。
 すべての他人の苦痛を受け入れなければならないのです。
 そしてその苦痛はエゴの不満ではなくただ、存在の苦痛「わたしはなんでも
 ない」そのものなのです。
 
 またまた、ひとつの雑音を動きとして発しますが、発したことも動いたこと
 もないと、理解してくださると思います。^^
 
 Sincerely yours, pari
----------------------------------------------------------------------

やっぱり、わかるようなわからないような……、当然ですよね。^^;

> pariさん、こんにちは。

いつも、ありがとうございます。

> 私はなにものでもないと知ることはとても苦痛です。

正直、ここがまだよくわかっていなかったりして。(*^_^*)

> ただ、私は在るだけがその救いです。

ああ、そうなんですね。

ニサルガ師匠の言葉を読んでいて、何となくそれは感じます。

> それが頭だけの理解から心臓への爆発が起こるには
> ちょっと無理してでもすべての人が同じ状況だと想像することだと思います。

(@_@)

……なるほど。(-_-)

何となくの感じが、伝わってきたような。

> つまり、すべての他人と言える定義に対してそれ自体とても苦痛であると心
> から感じたら私は在るは無限の愛として現れるのです。

そういうこと……なんですか。

> こうやってpariさん自身ではない「他人」が何かを話している、動いている
> 状態すべては私は在る状態から離れた、実在から離れた想像の世界だと、な
> んのものでもないことだということです。

なるほど……。

それは“実在から離れた想像の世界”なんですね。

なるほど……ですが……、この音色が響いてくる位置とはまだ相当の隔たりが
あるようです。

まだまだ、堅固な現実があると信じ込んでいて、なんとかその分厚い氷床をぶ
ち破れないかと考えているくらいの感じですから。^^;;

> つまり、すべての人のエゴが自分のエゴになるわけですね。

たしかに、どんなエゴもその空しさからは逃れられないわけでしょうね。

> それがどれだけ嬉しくても悲しくても辛くても光っていてもただ「なにもの
> でもない」苦痛からは逃れないのです。

そうか……その存在の苦痛から逃れられるひとは誰もいないわけですねぇ。

> そしてそのすべての瞬間に「私は在る」は変わらないのです。

そういうことか……。(-_-)

> そうやって、「他人」はなくなるんですよね。

なるほど。

> それと衝突する自分がなくなるわけですから当然です。

みんな全員で懸命に支えている幻想ですものね。

> それはただの沈黙であり、とても弱く見えますが、実は一番強い、変わらな
> い、永遠の力なんですよね。

だから、ニサルガ師匠は“最強の破壊者”と呼んだわけですね……。

> だんだん、自分が得意だと信じていた「自己確信」の表現がつらく感じるで
> しょうね。

いえ、当人が吹聴しているほどではないかもしれませんけど。(*-_-*)

> メルマガを書くというのは相当の自己確信がなくてはならないことですしね。

あや。(@_@)

しっかし……、いまさらですが、考えてみるとそうなんでしょうね。

> そのメルマガを書くという行為から自己確信だけ取り除けるわざを身につけ
> るしかありません。

なるほど。(-_-)

しかし……はたして、そんなことが可能なのか……?

> その行為は止まらないし、止める必要もありません。

うん? (?_?)

> それは「私は在る」と関係がないのです。

おお……、そうなのか。(@_@)

> ま、メルマガをやめることになれば、それもまた止まらないのですが…
> それも「私は在る」と関係がないわけです。

……そうか。

いずれにしろ、それは非実在の幻想ななわけですね。

> 自分という殻を維持したまま「わたしはなんでもない」を受け入れられるわ
> けがありません。

なるほど。

……何となく……響いてきたような。(-_-;)

> すべての他人の苦痛を受け入れなければならないのです。

そういうことですか……。

> そしてその苦痛はエゴの不満ではなくただ、存在の苦痛「わたしはなんでも
> ない」そのものなのです。

……そうであってはじめて、実在に届き始めるわけですねぇ……。

> またまた、ひとつの雑音を動きとして発しますが、発したことも動いたこと
> もないと、理解してくださると思います。^^

うーむ。(-_-;)

> Sincerely yours, pari

(^_-)

いや、ありがたかったです。

今はじめて、少し響いてきたようです。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………

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【新型インフルエンザ vs ス○○○】

今回も仲間内からの情報を受け売りさせていただきます。m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………

新型インフルエンザ・・・それは、ある日、突然、発生します。

だからこそ、大切な方に日頃から愛用していただきたいのが、
多糖体でウイルスを包み込み、ウイルスの型の変化に影響されず、
阻止率50%が期待できるス○○○です。

以下、ネットニュースから転載します。

メキシコのコルドバ保健相は24日、豚インフルエンザの疑いが
ある死者は68人、患者は1004人に達したことを明らかにした。

死者のうち20人は豚インフルエンザと確認されたという。

メキシコからの検体をカナダの保健当局が調査したところ、
18件が豚インフルエンザウイルスH1N1型と特定され、うち12の
検体が米カリフォルニア州で発生した人への感染事例と同じ
遺伝子構造であることが確認された。(共同)

ベトナム保健省当局者は24日、北部タインホア省で23歳の女性が
鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)に感染し死亡したことを
明らかにした。ベトナムでの死者は今年4人目。

女性は22日に入院していた地元の病院で死亡した。
検査の結果、感染が確認された。(共同) 

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[注]なお“ス○○○”と伏せ字にしているのは、興味を引くためではなく、
   オンライン宣伝を禁止されているためですので、ご了解ください。

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■ 4.編集後記:つねに救済のための力は働いているのだ……
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今回はじめて、或る私さんのメッセージが聞こえはじめてきた気がします。

わたしがそれに気づいていようといまいと、つねに救済のための力は働いてい
るのだ……、ということが信じられてくるような不思議な感じです。

まあ、どのみち、「後は野となれ山となれ」と言って始まったメルマガですか
ら、そのまま行けるところまで行くしかありませんが。

ところで、昨日で家の外壁塗りは終わりました。

打ち上げに、三人で近くのバイキングに行きました。

こんな若者もいるんだなぁ……と思われるような方で、その彼が“食い溜め”
ができるひとみたいなので。(^^;)

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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