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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.267 2009/5/17(第267号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 963名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「自己同一化」とは何か?――あるいは“久米の仙人”

2.写経ニサルガダッタ:【85 「私は在る」――すべての体験の根底】の1

3.いただいたお手紙から:ドン・ガバチョさん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:当節、タヌキ業も楽じゃないようです。
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■ 1.「自己同一化」とは何か?――あるいは“久米の仙人”
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今日は曇天だけど、あまり雲が動いていません。

見てみると地上にもほとんど風がない。

ときどきこんなときがあります。

庭の木の枝の先までいっさい動きがない。

堅い柊(ヒイラギ)や花桃の枝先は言うまでもなく、桜や楓の繊細な葉先まで
静止しています。

ふと……柊の葉先が揺れているなと思ったら……、案の定、小鳥ですね。

昔、“夢には風が吹かない”……なんて思ったことがあります。

別にたいした根拠はないんですが……。

ただ……宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」には“風”の印象がないような気がした
からだけなんだけど……。(*-_-*)

そんなことを思ったのは、もうひとつの「風の又三郎」はタイトルそのものに
もあるように、肝心なところではつねに“風”の印象があるんですよね。

それで、「詩(情)」には二種類しかない、という飛躍した一般化を試みたこ
とがあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol076.html#1-1
つまり、ひとつは「幼年の詩」……、そしてもうひとつは「夢の詩」……。

要するに、「詩」の源泉、つまり“懐かしさ”の源泉は、「幼年」と「夢」の
二つしかない、という論なんですけどね。(*-_-*)

……。

せっかくの無風のなかに……こうして自ら進んで波風を立てるバカもいる。

プ。(>_<)

飛んで火に入る夏の虫……。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

……でも、考えてみると、“波風”が立っているのは表面(=顕現世界)だけ
なんですよね。

「顕現」の背景にある「非顕現」はつねに不動(=無風)です……。

そして「顕現」は、背景にある「非顕現」なしにはありえない。

“見られるもの”は、“見る者”なしにはありえませんから。

「顕現」(変化)は、「非顕現」(不動)を根拠にして仮現の存在を得ている
にすぎません。

“現れ”はつねに自己矛盾をはらむ“つかの間”のもの、たえず揺動していて
不動の「実在」ではない……。(-_-;)

(@_@)

しかし……、ということは……、“見る者”が“見られるもの”に同調して、
少しでも揺らぐと……。

その“見る者”は、じつは、いつの間にか“見る者”から“見られるもの”の
側に移行している……という理屈になりますよね。

言い方によっては、“見る者”が“見られるもの”に転落するわけです。

まるで久米の仙人が雲から落ちたように……。(^_-)

あ……、“久米の仙人”とはそういう比喩だったのか……。(@_@)

ふーむ。(-_-;)

(*^_^*)

“現れ”はつねに“つかの間”のもの、そしてそれは不動の「実在」によって
裏打ちされて顕現しているわけです。

“現れ”はつねに自己矛盾をはらみ、たえず内部から変化を紡ぎだしている。

たえざる変化に曝されている“現れ”は、不動の「実在」に裏打ちされて存在
している……。

“現れ”が存在できるのは、不動の「実在」から<今>を分与されている間だ
けのことです。

<今>はつねに存在しているけれど、“現れ”の「形」と「名前」はもう変化
してしまって、すでにそのものとしては存在していない。

つまり、つかの間の“現れ”に付与された架空の「形」と「名前」は、たちま
ちつかの間の“実在”を失って、「記憶」のなかにしか存在しなくなる。

次の瞬間には、“現れ”は全体のなかで姿も機能も違ってしまっている。

昨日子供だった“現れ”は、今日は親であり、明日はすでに姿を消している。

いわゆる多次元宇宙と呼ばれる“顕現構造体”は変容し続けており、それぞれ
の部分が担っていた(かのような)形も、意味も、役割も、たえず変化せざる
をえない……。

まさに覚者たちが比喩として語る、大空に浮かぶ白雲のように……。

ならば……、「自己同一化」とは何か?

どこに自己同化のための「自己」があるのか?

大空に浮かぶ白雲に生命はない。

ただの映像……、ホログラム。

創造力に富んだマインドは変幻自在の多次元ホログラムを生成しつづける。

『ソラリス』の海のように。

大空に浮かぶ白雲(=マインド=多次元宇宙=顕現構造体)は、太陽の光のな
かに浮かび上がっていて“見られるもの”となることができる。

「物質」が「真空」のなかに浮かび上がるように、「意識」は「気づき」のな
かに浮かび上がる。

「自己」が“誰か”(=有形物)になるためには、「形」としては「物質」と、
「名前」としては「意識(のコンテンツ)」と結びつかなくてはならない。

この“現れ”の二側面、「形」と「名前」を結びつける媒体が“顕現構造体”
のなかに現れる有機物なのでしょう。

むろん、地球46億年の物質の自然過程が意識を生み出したなどという都合の
いい神話を信ずることはできません。

自分の存在を一瞬“自前”と誤解した“現れ”が、自らの存続を願って、生命
のないマインドホログラムのなかに「欲望」を紡ぎだしたのでしょう。

そのような論理自体も、むろん、実体のない夢のなかの話にすぎませんが……。

ただ、「欲望」という意識のひとつの位相が、何らかの「自己」の反映から生
じていることは間違いありません。

そして、マインドホログラムのなかの「欲望」が、「形」と「名前」を結びつ
ける媒体(=有機物)を夢のなかで創造したことは確かです。

----------------------------------------------------------------------
 意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
 不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
 調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
 ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
 いだろう。
 どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
 意識は自発的に現れる。
 有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
                          『私は在る』(p284)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

では、夢のなかに有機物を呼び出したその「欲望」は、どこから自分の「自己」
を借りてきたのか?

その同じ「自己」が、マインドホログラムのなかの有機物の「自己」であるこ
とも、まあ、間違いないでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 アイデンティティは実在だ。
 実在がアイデンティティなのだ。
 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
 それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
 それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。
 
                        『私は在る』(p453-455)
----------------------------------------------------------------------

> アイデンティティは実在だ。

アイデンティティってのは、実在なんだ! (@_@)

> 実在がアイデンティティなのだ。

ガーン!! (*_*)

……。

そうか……、マインドホログラムに有機物を呼び出した「欲望」は、「実在」
から「自己」を借用していたのか……。(-_-)

かくて、「形」と「名前」は、有機物のなかにはじめて実体化の拠り所をもっ
たわけだ。

ここで「物質」と「意識」は合体し、「形」と「名前」をもつ“有機生命”と
して現象する。

あるいは“アンタカラナ”(微細身)として……、あるいは、さらに振動数を
落としたさまざまの有機物として。

しかし、いかに微細なものであれ、形あるものはすべて“死物”、ただのつか
の間の“現れ”……、生命ではない。

生命は、永遠の「実在」から借用されたもの。

大空に浮かぶ白雲としての多次元ホログラムが、太陽の光を浴びて形を現すと
き、その光との接触面に生ずるのが「観照者」だ。

「観照者」が現れるのと同時に、多次元ホログラムは「世界」として対発生し
ている。

「観照者」が多次元ホログラム(=世界)のなかの現れの一部に興味をもって
“揺動”するとき、その「観照者」は“久米の仙人”となって「世界」のなか
に墜落する……。

その「観照者」の“なれの果て”が、「世界」の住人である「個人」。

「個人」は身体である“自分”が“生きて”いると思っている。

たしかに、自分は生きている。

言いようによっては、自分が身体を持っているとも言える。

現れはすべて自分(=「実在」=アイデンティティ)のものだから……。

でも、身体が動くから、自分が生きているわけじゃない。

つねると痛いと感じるから、自分が生きているわけじゃない。

生命である「自分」が、動く身体に「自己同化」しているだけ。

生命である「自分」が、痛いという感覚に「自己同化」しているだけ。

動く身体は、単なる多次元ホログラムの物質面の一部にすぎない。

痛いという感覚は、単なる多次元ホログラムの意識面の一部にすぎない。

そして……「自己同一化」とは?

そうか……。

元はといえば……。(*-_-*)

多次元ホログラムのなかの現れの一部に興味をもって“揺動”し、「観照者」
の座から墜落した“久米の仙人”が「自己同一化」のはじまりか……。

興味をもって動揺しつづけるかぎり、「観照者」には戻れないわけか。

振動しつつけるかぎり、不動の「実在」に同定はできないわけだから。

自分が永遠の生命、永遠不動の「実在」だと認識するには、不動の「実在」に
自己同一化しなくてはならない。

そのためには、変化を運命づけられた顕現の世界、「名前」と「形」の体験の
世界への自己同一化を外さなくてはならないわけだ……。

> この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
> えない。
> 私たちは罠にはまったままなのだ。(p346)

生命である自分が始めた勘違いは、自分で元に戻すしかない。

わたしにはいかなる「名前」も「形」もないのだから……。

そして有形物の世界にわたしは見つけることはできないのだから。

----------------------------------------------------------------------
 あなたはあなたが意識しているものではないのだ。
 あなたがマインドのなかに築き上げた構造物を取り壊すよう努めなさい。
 マインドが為(な)したことはマインドが取り消さなければならないのだ。
 
                        『私は在る』(p476-477)
----------------------------------------------------------------------

いずれにしろ、わたしは「あるがままの」わたしでしかありえない。

> すべてはあなたが自己を何と見なすかにかかってくる。
> あなた自身を正しく知りなさい。
> 自己認識に代わるものはないのだ。

「あるがままの」自分でない“ふり”をしたら、自分が苦しくなるだけ。

にもかかわらず……。

----------------------------------------------------------------------
 すべてはあなたのマインドのなかにある。
 そしてあなたはマインドを超えているということ、あなたは本当にひとりな
 のだということを悟ったとき、すべてがあなたなのだ。
 
                        『私は在る』(p475-476)
----------------------------------------------------------------------

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
          【85 「私は在る」――すべての体験の根底】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

うーむ。(-_-)

強烈な章です……。

リアリティが伝わってきます。

誰もがいつかは直面しなければならない不在の関門、「無門関」ですね。

いまふっと、連想が起こったのは……。

ああ、そうか……ごくごく最近教わったことだった。(*-_-*)

みなさんにもご紹介するつもりです……。

「佛」とは「人」と「弗」の会意文字なんですってね。

「弗」は「あらず」の意味だそうです。

つまり、「佛」とは「人間」に「あらず」のことだ……、と。

われわれ「人間」だと思いこんでいる意識体が自分の本当の姿に出会うのは、
思うだに……強烈なことなんでしょうね……。

では、【85 「私は在る」――すべての体験の根底】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私は、あなたが自分自身に関して「私は永遠で、属性を超えた不変
     なるものだ」と言われるのを聞きました。いったいどのようにして
     それを知るのでしょうか? 何があなたにそう言わせるのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 私はただ「私は在る」が現れる前の状態を描写しようと試みているだけだ。
 だが、マインドとその言語を超えたその状態自体は描写不可能なものだ。
 
 質問者 「私は在る」はすべての体験の根底です。あなたが描写しようと試
     みていることも、限定された一時的なひとつの体験に違いありませ
     ん。あなたはあなた自身が不変なるものだと話しています。私はそ
     の言葉の音を聞き、辞書の意味を思い起こしますが、不変の存在を
     体験したことはないのです。どうすれば私は障壁を打ち破り、不変
     として在ることの意味を個人的に、親密に知ることができるのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 言葉そのものが橋なのだ。
 それを覚えておきなさい。
 それについて考えなさい。
 それを探索しなさい。
 それとともに在りなさい。
 それをあらゆる方向から見てみなさい。
 誠実な忍耐とともにそのなかに飛び込みなさい。
 すべての遅れや失望に耐えなさい。
 突然、マインドが言葉から離れ、言葉を超えた実在に向かって振り返るまで。
 それは名前だけ知っている人を探しだすようなものだ。
 あなたの探求が、あなたに彼との出会いをもたらす日がやってくる。
 そして名前は実在のものとなるのだ。
 言葉には価値がある。
 なぜなら言葉とその意味との間にはきずながあり、もしたゆみなく調べれば、
 人は概念を超え、その根本にある体験のなかへと入っていくからだ。
 実際には、そのように言葉を超えていこうと繰り返し試みることが、瞑想と
 呼ばれるものなのだ。
 サーダナ(修練)とは言語から非言語へと超えていく執拗な試みにほかなら
 ない。
 その仕事は絶望的に見える。
 突然、すべてが明らかで、シンプルで、素晴らしく、たやすいものとなるま
 で。
 だが、現在の生き方に関心があるかぎり、あなたは未知へと飛び込む最後の
 機会を前にしておじけづいてしまうだろう。
 
 質問者 なぜ未知なるものが私に興味を起こさせるというのでしょうか? 
     未知が何の役に立つというのでしょうか?
 
 マハラジ
 まったく何の役にも立ちはしない。
 だが、何があなたを既知の狭い領域のなかに閉じ込めているのかを知ること
 は価値あることだ。
 あなたを未知へと連れだすのは、完全で正確な既知の知識なのだ。
 それを有用や有益といった条件で考えることはできない。
 静かで冷静に在り、すべての利己的な領域を超え、すべての自己中心的な考
 えを超えることは、解放のための避けることのできない条件だ。
 あなたはそれを死と呼ぶかもしれない。
 私にとって、それはもっとも意味深く、強烈な生き方だ。
 なぜなら、私はその完全性と全体性において生命とひとつだからだ。
 強烈さ、意味深さ、そして調和。
 これ以上何を求めるというのだろうか?
 
 質問者 もちろん、それ以上何ひとつ必要ありません。しかし、あなたは可
     知なるものについて語っています。
 
 マハラジ
 不可知なるものについて語ることができるのは、沈黙だけだ。
 マインドは知っていることについてしか語れないのだ。
 もしあなたがたゆまず可知なるものを調べるなら、それは消え去り、不可知
 なるもののみが残る。
 だが、想像と興味のかすかなゆらめきが、不可知なるものを隠してしまう。
 そして既知なるものが前面に現れるのだ。
 既知なるもの、変化するものは、あなたがともに生きているものだ。
 不変なるものは、あなたにとって何の役にも立ちはしない。
 あなたが変化するものに飽き果てて、不変なるものを熱望するときだけ、マ
 インドのレベルから見たとき空や暗闇として描写できるものへと方向転換し、
 踏み込む用意ができたのだ。
 なぜならマインドは内容と多様性を求めるからだ。
 一方、実在とはマインドにとって内容物のない不変なるものなのだ。
 
 質問者 私にとってそれは死のように見えます。
 
 マハラジ
 そうだ。
 それはまたすべてに浸透し、すべてを征服した、言葉を超える強烈なものだ。
 普通の脳では、粉砕されずにそれに耐えることはできない。
 それゆえ、サーダナが絶対的に必要なのだ。
 身体の純粋さ、マインドの明晰性、非暴力、そして非利己的な人生は、知的、
 霊的な存在としての存続に欠かせないのだ。
 
 質問者 実在のなかに存在はあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 アイデンティティは実在だ。
 実在がアイデンティティなのだ。
 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
 それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
 それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p453-455)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私は、あなたが自分自身に関して「私は永遠で、属性を超えた不変
>     なるものだ」と言われるのを聞きました。いったいどのようにして
>     それを知るのでしょうか? 何があなたにそう言わせるのでしょう
>     か?

うん。

> マハラジ
> 私はただ「私は在る」が現れる前の状態を描写しようと試みているだけだ。

はい。

> だが、マインドとその言語を超えたその状態自体は描写不可能なものだ。

なるほど。

(きわめて論理的なので、その意味では……)わかります。(-_-;)(←(^_-))

> 質問者 「私は在る」はすべての体験の根底です。あなたが描写しようと試
>     みていることも、限定された一時的なひとつの体験に違いありませ
>     ん。あなたはあなた自身が不変なるものだと話しています。私はそ
>     の言葉の音を聞き、辞書の意味を思い起こしますが、不変の存在を
>     体験したことはないのです。どうすれば私は障壁を打ち破り、不変
>     として在ることの意味を個人的に、親密に知ることができるのでし
>     ょうか?

うーん。

「あなたが描写しようと試みていることも、限定された一時的なひとつの体験
 に違いありません」って……、こんなふうに聞く人もいるんだ……。

でも、ニサルガダッタはそんな言葉には反応しない。

> マハラジ
> 言葉そのものが橋なのだ。

こうして、ただ相手の覚醒に向けた言葉だけが発せられる。

> それを覚えておきなさい。

語られた言葉を覚えておきなさい。

> それについて考えなさい。

語られた言葉について考えなさい。

> それを探索しなさい。

語られた言葉を探索しなさい。

> それとともに在りなさい。

語られた言葉とともに在りなさい。

> それをあらゆる方向から見てみなさい。

語られた言葉をあらゆる方向から見てみなさい。

> 誠実な忍耐とともにそのなかに飛び込みなさい。

誠実な忍耐とともに語られた言葉のなかに飛び込みなさい。

> すべての遅れや失望に耐えなさい。

(@_@)

> 突然、マインドが言葉から離れ、言葉を超えた実在に向かって振り返るまで。

そうか……。

言葉への絶望が全身に充満するまで、とことん言葉とつき合うしかないんだ。

> それは名前だけ知っている人を探しだすようなものだ。

なるほど。

> あなたの探求が、あなたに彼との出会いをもたらす日がやってくる。

そうか……。

それを信頼するしかないなぁ。

> そして名前は実在のものとなるのだ。

はい。

> 言葉には価値がある。

うん。

> なぜなら言葉とその意味との間にはきずながあり、もしたゆみなく調べれば、
> 人は概念を超え、その根本にある体験のなかへと入っていくからだ。

おお……。(@_@)

そういうことがありうるのか。

それなら、言葉への絶望というだけじゃないなぁ。

> 実際には、そのように言葉を超えていこうと繰り返し試みることが、瞑想と
> 呼ばれるものなのだ。

じゃ、わたしって瞑想してるわけじゃん! (@_@)\←ゴン

ッテエー。(>_<)

何もぶたなくたって。(;_;)

> サーダナ(修練)とは言語から非言語へと超えていく執拗な試みにほかなら
> ない。

はい、そのことがわかってきました。

> その仕事は絶望的に見える。

です。(/_;)

> 突然、すべてが明らかで、シンプルで、素晴らしく、たやすいものとなるま
> で。

そういうときがきっと来ることを信頼します。

> だが、現在の生き方に関心があるかぎり、あなたは未知へと飛び込む最後の
> 機会を前にしておじけづいてしまうだろう。

わかります。

> 質問者 なぜ未知なるものが私に興味を起こさせるというのでしょうか? 
>     未知が何の役に立つというのでしょうか?

ははは、言えてる。(*^_^*)

> マハラジ
> まったく何の役にも立ちはしない。

まったく。

> だが、何があなたを既知の狭い領域のなかに閉じ込めているのかを知ること
> は価値あることだ。

価値あることだ。(^^)  \←……

> あなたを未知へと連れだすのは、完全で正確な既知の知識なのだ。

(*_*)

……そうなのか。(-_-)

> それを有用や有益といった条件で考えることはできない。

わかります。

> 静かで冷静に在り、すべての利己的な領域を超え、すべての自己中心的な考
> えを超えることは、解放のための避けることのできない条件だ。

わかりました。(-_-;)

> あなたはそれを死と呼ぶかもしれない。

ああ……。

> 私にとって、それはもっとも意味深く、強烈な生き方だ。

(-||-)

> なぜなら、私はその完全性と全体性において生命とひとつだからだ。

それが生命そのものなのか……。

> 強烈さ、意味深さ、そして調和。
> これ以上何を求めるというのだろうか?

それ以上何を……?

> 質問者 もちろん、それ以上何ひとつ必要ありません。しかし、あなたは可
>     知なるものについて語っています。

へー、不思議なツッコミ。

> マハラジ
> 不可知なるものについて語ることができるのは、沈黙だけだ。

そうか……。

> マインドは知っていることについてしか語れないのだ。

理解できます。

> もしあなたがたゆまず可知なるものを調べるなら、それは消え去り、不可知
> なるもののみが残る。

(@_@)

そういうことか……そういうことか!

> だが、想像と興味のかすかなゆらめきが、不可知なるものを隠してしまう。

そうか……なるほど。

> そして既知なるものが前面に現れるのだ。

……。

そうか……。

……これはたいへんなことだ。(-_-;)

> 既知なるもの、変化するものは、あなたがともに生きているものだ。

はい。

> 不変なるものは、あなたにとって何の役にも立ちはしない。

わかります。

> あなたが変化するものに飽き果てて、不変なるものを熱望するときだけ、マ
> インドのレベルから見たとき空や暗闇として描写できるものへと方向転換し、
> 踏み込む用意ができたのだ。

……。(-_-)

> なぜならマインドは内容と多様性を求めるからだ。

なるほど……。

> 一方、実在とはマインドにとって内容物のない不変なるものなのだ。

理解できます。(;_;)

> 質問者 私にとってそれは死のように見えます。

うん。

> マハラジ
> そうだ。
> それはまたすべてに浸透し、すべてを征服した、言葉を超える強烈なものだ。

そうなんですか……。

> 普通の脳では、粉砕されずにそれに耐えることはできない。

(@_@)

> それゆえ、サーダナが絶対的に必要なのだ。

わかりました。

> 身体の純粋さ、マインドの明晰性、非暴力、そして非利己的な人生は、知的、
> 霊的な存在としての存続に欠かせないのだ。

そういうことだったのか……。(-_-)

> 質問者 実在のなかに存在はあるのでしょうか?

うーん。

> マハラジ
> アイデンティティは実在だ。

あ、はい。

> 実在がアイデンティティなのだ。

なんと。(*_*)

> 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。

はい。

> それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。

はい。

> それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。

わかりました。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:ドン・ガバチョさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………

今回、ドン・ガバチョさんという方から個人メールをいただきました。

エックハルト・トールの新刊訳書『ニュー・アース―意識が変わる 世界が変わ
る―』からの文章の一部をお送りいただいたのです。

一読して、掲載許可をお願いしました。

ご快諾いただきましたので、早速ご紹介します。

【件名】:アセンション館通信 感謝
----------------------------------------------------------------------
 pari様
 
 『アセンション館通信』、いつもありがとう御座います。
 
 『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の書評をホームページの
 「本棚」に載せられていますね。
 中身は空っぽのようですが・・・・
 
 エックハルト・トールの「ニュー・アース―意識が変わる 世界が変わる―」
 をOCR処理しました。
 ご参考になるかと思いますので、第7章をお送りしますね。
 ……
----------------------------------------------------------------------

> 『アセンション館通信』、いつもありがとう御座います。

こちらこそ、ご購読いただきましてありがとうございます。

> 『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の書評をホームページの
> 「本棚」に載せられていますね。

はい、覚醒されたときの状況がとても特殊で、面白かったので、
そのときは、いつかご紹介しようかとも思ったのですが。

> 中身は空っぽのようですが・・・・

すっかり無精になってしまって……。(^^;)

> エックハルト・トールの「ニュー・アース―意識が変わる 世界が変わる―」
> をOCR処理しました。

ホー、OCR処理って、こんなことができるんですか。(@_@)

>ご参考になるかと思いますので、第7章をお送りしますね。

ありがとうございます。

じつは最初は……、とても長いようなので……いまニサルガダッタ
しか読めないんだけど……(*-_-*)、と思ったんです。

でも、全然目を通さないでご返事を書くのも失礼なんで、読みました、

感謝です。(-||-)

おっしゃるとおり、とても“参考に”なりました。

ニサルガダッタとはまたひと味違った表現の、しかし同じようにエゴに対する
本質的論議だけを展開した、とても“論理的な文章”ですね。

『ニュー・アース―意識が変わる 世界が変わる―』(サンマーク出版刊、
エックハルト・トール著、吉田 利子訳)です。
http://tinyurl.com/r5fdrh

ご興味のある方は、ご覧になってみるといいと思います。

ドン・ガバチョさん、ありがとうございました。

m(_ _)m


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【精神世界 と 清貧世界】

今回も仲間から送られてきた情報を受け売りさせていただきます。m(_ _)m

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 精神世界の鉄人トーマさんのブログに、ビジネスにおける、
 「お金を、儲けすぎるエゴ」と「お金を、儲けすぎないエゴ」
 についての興味深いお話がありました。
 
 『マザー・テレサ』
 http://plaza.rakuten.co.jp/tomaatlas/diary/200905140000/ 
 
 その最後の部分は、私の心にもグサリときました。
 
 精神世界で、仕事をやっている人たちは、一般的に、与えるのは、
 得意ですが、受け取るのが、苦手な人が、多いみたいです。
 
 特に、お金を、受け取るのが、苦手な人が、多いみたいです。
 
 そういう人たちに、私が、昔、ある精神世界の本に、書いてあった、
 メッセージを、プレゼントしますね。
 
 「精神世界の教えを、たくさん学んで、宇宙の無限の豊かさを、
 受けとろうとしている人たちが、お金ごときを、受け取れないで、
 どうするのですか?」

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豚インフルエンザは、日本にも感染者が出てきたようですね。

ハイアーセルフ33さんから【信憑性不明・・・一応お知らせまで】と断って
送られてきた情報に、
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 この銀河連邦新指導部の宇宙連合艦隊は、NYの国連本部前、各国政府機関
 の前に着陸して、ファースト・オープン・コンタクトを実施し、地球の門戸
 開放、銀河連邦新指導部との協力を要請する予定である。
 
 彼らは、イルミナティ、ブッシュ親子とラムズフェルドらが米軍ステルス機
 を使って世界中にばら撒いた豚インフルエンザ・ウィルスを無力化すること
 になる。
                    http://tatsmaki.at.webry.info/
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とありましたが……。

何はともあれ、もう一段の調査と明晰性を保つためにも、この際、体内解毒は
大切かもしれません。

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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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今回、ハイアーセルフ33さんから『22を超えてゆけ 宇宙図書館をめぐる
大冒険』の「ゼロポイント」に関する情報をお知らせいただきました。

早速ご紹介します。

【件名】: 心を空(くう=ゼロポイント)にすることの大切さ
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 今回はこの書籍から、最重要なメッセージである「ゼロポイント」について
 の抜粋です。
 
 ・「22を超えてゆけ」 〜宇宙図書館をめぐる大冒険〜より 辻麻里子著
 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31211570
 
 多くの方はご存知でしょうが、よく「心を空(くう)にしなさい」などと、
 禅やタオをはじめ、スピリチュアルな世界では、しばしば言われていますよ
 ね。この「空なる意識」とは、ここでいう、またラムサもいっている「ゼロ
 ポイント」のことです。この重要性を知っていてもらいたくて今回は投稿し
 ました。
 
 以下「ゼロポイント」または「ゼロ関係」の情報ですが、なにぶん内容は臨
 死体験者である著者の「夢物語での話し」で、著者の【注釈】と登場人物の
 発言の一部だけを抜粋しました。これは私の「メモ」です。なので本書を読
 まれていないみなさんには、唐突なもので分かりにくく、その点あしからず
 です。でももし何か感じるものがあればご一読を。
 
 **********************************
 
 ゼロポイント関係情報 
 ・「22を超えてゆけ」 〜宇宙図書館をめぐる大冒険〜より 辻麻里子著
 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31211570
 
 ●この石は左右、別方向の渦巻きをつくりだすことによって、磁界を打ち消
 しあい、ゼロ磁場を作り出します。ゼロを作ることができれば「境界」をす
 り抜け、距離や時間を超えた向こう側へと、アクセスが可能になるのです。
 (P84)
 
 ●数字の8というのは、∞(無限・インフィニティ)のことですね。それは
 「時間の輪」と呼ばれているものです。片方の輪が未来を、そしてもう片方
 の輪が過去を指し、過去と未来が交差する一点にあなたは立っているので
 す。過去と未来を統合する現在が、ゼロポイントになるのです。
 
 そして「光の輪」と呼ばれるもうひとつの∞(インフィニティ)があります。
 あなたが宇宙と地球を結ぶ架け橋になり、異なる二つの力を統合したとき、
 もうひとつのゼロポイントが生まれます。「時間の輪」と「光の輪」を等し
 くすれば、時空を超えることができるのですよ。(P119)
 
 ●ゼロ領域に留まることなく自分を見失うと、記憶のすべてを龍に食われて
 しまうという言い伝えは知っているだろう。ゼロの結界の中に留まればだれ
 もオマエに手出しはできない。(P134)
 
 ●おお、これはバランス石だな。石の中に現れる色彩と音を追いながら、光
 の波動に同調することができるのだ。肉体と心、内側の世界と外側の世界、
 右脳と左脳をつなぐ橋梁(きょうりょう)を強固なものとし、両者のバラン
 スを保つためにはとても有効な石だ。両者のバランスを保つこと、すなわち
 ゼロ領域に入ることを可能にしてくれる。(P139)
 
 ●【注釈】宇宙的な鼓動(リズム)との同調点に到達すると、心の中に「ゼ
 ロポイント」と呼ばれる状態が訪れる。そのポイントは、一点の曇りもない
 晴れ渡った青空のようでもあり、光のかなたへと無限に広がり始める。それ
 が宇宙との接点であり、臨界点を超えて異次元の扉を開ける。(P141)
 
 ●我々は同じ過ちを繰り返さないためにも、情報にシールドをかけることに
 した。その知識を得るのに値する精神性・・・または動機・・を伴わない者
 には、宇宙の情報を開示しないということだ。だが、時の終わりが近づくに
 つれて、磁界がゼロに近づき、そのシールドも脳の検閲機能も、だんだんと
 制御がきかなくなっているのが現状なのだ。(P144)
 
 ●よいか、異次元ゲートは、息を吐き切って、次の息を吸う一瞬手前に潜ん
 でいる。心を開放させた後、次の動作に移す瞬間、もしくは極度の緊張から
 開放される瞬間、張りつめた糸が、たわむ瞬間にあらわれる。その隙間を垂
 直に進めば、時空を超え、いくつもの別々の領域を瞬時に横断できるのだ。
 
 心のなかに空っぽの「ゼロポイント」を創り出すことができれば、そこに多
 次元の情報が流れ込んでくるのだ。心の真空とは、すなわち臨界点を探すこ
 とだ。(P151)
 
 ●この設計図には、オマエの任務が書き込まれている。よいか、よく見てお
 くのだよ。この記号「Λ」(ラムダ)が、地球の暦で1987年を表し、そし
 てこちらの記号「ω」(オメガ)が、2037年を指している。二つの記号の
 中央部分に、ゼロの発生ポイントがある。いわば、磁界がゼロになったと
 き、3次元領域では何が起き、その前後25年間にオマエは何をなすべき
 か、この設計図には天空のイベントおよび、オマエ自身の計画が書かれてい
 るのだ。(P166)
 
 ●オマエがいうところの、エリア♯1〜♯12を惑星図書館、エリア♯13
 を恒星図書館、そして22を超えたところに銀河図書館があり、その先には
 超銀河図書館がある。この紙に記された数字には、22を超えるためのアク
 セスコードが書かれているのだ。
 
 ともあれ、地球人類は今、一つのサイクルの終わりを生きている。たしか
 に、オマエたちに残された時間は少ない。しかし、この建造物、この宇宙モ
 デルのなかで唯一、時にさらされないエリアがあることを忘れないでほし
 い。「ゼロポイント」で何が起きるのか、地磁気が「ゼロ」になり、脳の検
 閲がすべて排除された後、どういう世界が広がっているのか、集合意識を無
 傷のまま次世代に受け渡すにはどうすればいいのか、その任務を果たすため
 に、オマエたちは今という時を選んで惑星地球にやってきたのだ。
                                                           (P173)
 
 ●【注釈】ゼロの神秘
 ゼロとは、何もない状態を指すのではなく、すべての数字を含むことができ
 る、最大の数字であり、もっともパワフルな数字である。プラスとマイナス
 の数値が等しく、完全にバランスのとれた状態を表現している。
 
 たとえば、真空状態というのは、何もない状態ではなく、プラスとマイナス
 が同量存在していることを意味する。「心をゼロにする」という言葉は、心
 を空っぽにするのではなく、相反する正負のバランスを完全なる一点に束
 ね、そのゼロポイントを探すこと。プラス思考でもなく、マイナス思考でも
 ない、その中央に位置する不動の領域こそが、時にさらされることのない永
 遠の場所なのだ。
 
 ゼロポイントとは、過去でも未来でもない、「今」という瞬間にある。人は
 過去にも未来にも生きることができない。そして「今」という瞬間は、すべ
 ての過去とすべての未来を同時に含んだ、もっともパワフルな瞬間である。
                                   (P179)
 ●情報の翻訳方法は、光の言語を解読するか、脳の検閲機能を解除しなけれ
 ばなりませんが、ゼロ磁場に関する情報の中に、脳の検閲がはずれるという
 項目があったことを思い出してください。ゼロポイントでは、脳の検閲機能
 が解除されるのです。(P201)
 
 
 AUMLOVE ハイアーセルフ33
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はるさん、いつも独特のアンテナ情報のご提供、ありがとうございます。

m(_ _)m


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■ 5.編集後記:当節、タヌキ業も楽じゃないようです。
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今日は、ちょっと寒かったですね。

昨日、藍の畑の開墾に来られている先生をはさんで庭でいっしょに昼食を摂っ
ていたら、なんとタヌキがわれわれの目の前を通り抜けて、我が家の堆肥置き
場(というか、正確には“生ゴミ埋め場”(^^;))に降りていきました。

当節、タヌキ業も楽じゃないようです。

なので、昨日の夕方はタヌキの通り道ふさぎの作業をしました。

でも、なんというか、どんなことにもあまり実感が湧かないというか、そんな
に本気にならない……みたいなところがあって。(^^;)

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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