home > 通信 > 『アセンション館通信』第272号:「鏡」の比喩(『静寂の瞬間』から)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.271 2009/6/21(第272号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 959名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「鏡」の比喩(『静寂の瞬間』から)

2.写経ニサルガダッタ:
         【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】の1

3.いただいたお手紙から:ドン・ガバチョさん

4.編集後記:わたしというマインドには……なかなか面白かったです
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■ 1.「鏡」の比喩(『静寂の瞬間』から)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

梅雨の晴れ間……というか……これまでのところ……今年の梅雨はあまり降り
ませんね。

今日などは……すっかり夏の天気です。

庭に竹で作った葦簀張りの日覆いが、日の光を返して……なかなかまぶしい。

「世界には何も間違ったところがない」という言葉も、なにやら本当と思われ
てくるような天気ですね、はは。(^^;)

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 世界には何も間違ったところがないということを、あなたは認識するだろう
 ――間違っていたのはあなただけだ。
                          『私は在る』(p408)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

いや、まったく。

勝手に勘違いして、勝手に不幸になったりしてね。

いえ、これで勘違いもなかなか忙しいですよ。

……何やら今日は“躁気分”。(^_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

先日一年ぶりで、脳外科の通院外来で東京に行って来ました。

MRIの検査の予約を取っていただいたわけです……。

お陰さまで、その前に行った内科の血液検査でホルモン関係は問題なし。

すべて正常値の範囲内でした。

これまで東京に行ったときは、たいてい新宿小田急の十階にある三省堂書店
に立ち寄っていました。

でも今度はじめて、新宿三丁目の三越にあるジュンク堂に行ってみました。

ずいぶん大きな本屋さんなんですね。

いまは百貨店の上三分の一が本屋さんになるような時代なんだ……。

で……ジュンク堂に行ったのは……薦められたこともあるけど……前回三省堂
で見あたらなかった本があるかもしれない……とも思ったからでした。

いえ、出版当初には、新宿三省堂で見かけたんですけどね。

そのときは……ちょっとケチリました。(^_-)

ま……『私は在る』があるからいいか……とか思って。

でも、その後……なんとなく気になってはいたんですよね。

ただ……なぜかアマゾンで買う気にもならなかった……。

で、今回まっすぐそこに向かったら、ちゃんと待っていてくれました。(^_^)v

例によって福間巌さんの訳書です。

『静寂の瞬間(とき)―ラマナ・マハルシとともに』(ナチュラルスピリット刊、
パーラティ・ミルチャンダニ編、山尾三省/福間巌訳)という本です。
http://tinyurl.com/m2wjhu

早速それを手にして……ちょっと棚を見渡したら……、となりに小さくて白い
きれいな本が並んでいました。

手に取ってみると『アシュターヴァクラ・ギーター』と書いてあります。
http://tinyurl.com/mjarxc

なんと……これも福間巌さんの翻訳です。(@_@)

「Ashtavakra Gita」と言えば……、十年以上前になるけど……『OSHO TIMES』
の記事として……自分も和尚の講話の第一章を翻訳したことがあったっけ。

チラっと、開いてみると……、

---------------------------------
 努力をしようと休もうと
 
 得るものも失うものもない
---------------------------------
なんて書いてある。(^_-)

これこれ……、こういう本……。

この本も買うことにしました。

この日は虎ノ門病院の診察料がメチャ安かったので(210円 (^^)/)、ちょっと
気も大きくなってましたしね。

二冊とも、とても字が少ない本です。

一冊は……白髪のおじいちゃんの写真ばかり載っている……絵本みたいなもん
です……。

1ページの絵(写真)がまたいいんですよ……ちょっと……ゴーギャンのタヒ
チの絵のような雰囲気があって……。

“われわれはどこから来て、どこへいくのか”……なんて雰囲気ですよ。(^_-)

傾斜地の画面中央に……白いバスタオルを胸から腰にかけて巻き付けたような
裸のおじいちゃんが……右手に杖……左手にヤカンをぶら下げて……ちょっと
煙たいような目つきでこっちを向いて立っています。

背景下の方に……何匹か山羊のような動物や建物やまばらな樹々が見える……。

そして……、

----------------------------------------------------------------------
 この宇宙は何のなかに存在するのだろうか。このすべては何なのだろうか。
 それは何から生じたのだろうか。
 何のために、何によって、それは姿を現したのだろうか。
 それは何で構成されているのだろうか。
 ただ真我だけがその原因である。
                          『静寂の瞬間』(p1)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
----------------------------------------------------------------------
なんて書いてある……。(-_-)

いいですねぇ……この絵本……。

どこを開いても文字が少ないんですよ。

当たり前です……絵本(写真集)なんだから。(^_-)

それで……どのページもいいんですけど……後半に“壺の中”といった雰囲気
の絵があります。

水瓶のなかの水面に……外の光が映りこんでいる写真です。

文字はこんなふうです……。

----------------------------------------------------------------------
 壺の中に映像はない。
 その中の水に映像は
 映しだされる。
 
 ガラスは対象物を
 反映できない。
 ただガラス板が
 不透明な裏地をつけることによってのみ
 対象物を反映することができる。
 
 同じように、純粋意識は対象物を含むことも、
 映し出すこともない。
 ただ心という限られた鏡面においてのみ世界を映し出す。
 
                         『静寂の瞬間』(p64)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

……写真は最初の三行を反映したものですね。

それも面白いですが……その後の部分がとても強いイメージを残しました……。

> ガラスは対象物を反映できない。
> ただガラス板が不透明な裏地をつけることによってのみ
> 対象物を反映することができる。

これこそ「鏡」というものですよね。

ところが……、

> 同じように、純粋意識は対象物を含むことも、映し出すこともない。
> ただ心という限られた鏡面においてのみ世界を映し出す。

というのです!! (@_@)

つまり、ここでは、“ガラス”が「純粋意識」に、そして“不透明な裏地”が
「心(マインド)」に類比されているわけです。

> (ガラスと同じく)純粋意識は対象物を含むことも、映し出すこともない。

「純粋意識」とは……「実在」とか……「気づき」と言われるものでしょう。

あるいは……「わたし」と言われるものかもしれない。

“ガラス”は……“対象物を含むことも、映し出すこともない”。

> ただ心という限られた鏡面においてのみ世界を映し出す。

つまり……「世界」は……「鏡」で言うなら“不透明な裏地”のなかにだけあ
る、というわけです。

どういうわけか……これはとても面白い (@_@)……と思いました。

ひとつには……量的イメージがとても鮮烈でした。

「鏡」のなかで“ガラス”と“不透明な裏地”のヴォリュームの差は明白です。

「鏡」と言うと、われわれは何となく“ガラス”をイメージしますが、じつは
もちろん、片面に吹き付けられた“不透明な裏地”あっての「鏡」です。

----------------------------------------------------------------------
 古くは金属板を磨いた金属鏡が作られたが、現代の一般的な鏡はガラスの片
 面にアルミニウムや銀などの金属を蒸着したものである。
 
                   http://ja.wikipedia.org/wiki/鏡
----------------------------------------------------------------------

高級なぶ厚いガラス板の「鏡」でも、蒸着された金属面はそれこそ0,00…ミリ
という厚さでしょう。

それどころか、この写真の“壺の中の水鏡”のようなものになれば、そもそも
“反射面”の厚さなど……あると言えるのかどうか……。

もしかしたら、「鏡」とは“透明な物質の表面”のこと……と言った方が事実
に近いのかもしれない。

で……ラマナ・マハルシは、顕現世界は、鏡の“不透明な裏地”にも相当する
“心という限られた鏡面”のなかにしか存在しない、と言っているわけです。

「世界」が、「鏡」の“不透明な裏地”のなかにしか存在しない……というの
は面白いですよね。(@_@)

実在しているのは……「ガラス」だけです。

量的イメージでいうなら、高級鏡の「ガラス」と「金属蒸着面」の厚さの比率
は、1000:1 とか 10000:1 くらいかもしれません。

“壺の中の水鏡”の「水」と「表面」の比率となったら……それこそ、

“無限 対 ゼロ”……みたいなものでしょうか。(^_-)

それこそは、物理次元大宇宙を満たす“真空(空間)”と、そのなかで在るか
なきかの物理世界を展開する“素粒子”のヴォリューム比かもしれません。

“私は海だ、そして世界は私の表面だ”というような言葉を……どこかで聞い
たことがあるような気がするのだけれど……。

それはどこだったのか……。

(-_-)

分厚い鏡のなかにいる自分を想像してみてください。

すべては透明です。

でも……片側の向こうのほうに変幻自在の映像が展開している。

つと……そちらに目を向けると……その映像は眼前に視界を覆う「世界」とし
て浮かび上がっているわけです。

圧倒的なリアリティをもって……。

でも、その映像は……じつは、あるかなきかの“薄膜”(“不透明な裏地”)
のなかにしかない。

その“薄膜”上に展開される映像のなかには“物語”もあれば“文脈”もある。

またその文脈に沿うなら……それこそ……“部分”もあれば“立場”もある。

苦しみもあれば……喜びもある……。

有頂天もあれば……失意のどん底もある……。

しかし、その映像を可能にしているもの……実際に存在している「ガラス」は
……じつは一枚です……当然ですが。(^^;)

そこには“部分”もなければ“立場”もない。

ではそのマインドの“薄膜”につかの間の実在性を与えているものは何か……。

実在している「ガラス」です。

“見る者”“見られるもの”“見ること”は“素粒子のふるまい”(“薄膜”)
のなかで起きている。

では……それを可能にしているのは……。

それが「真空」であり……「ガラス」であり……「気づき」でしょう……。

気づきがなければ……意識の諸相はありえないから……。

----------------------------------------------------------------------
 水泡は無数にあり、その一つ一つは異なっている。
 だが、海は一つしか存在しない。
 
 同じように、自我は無数にあるが、
 真我はただ一つしか存在しない。
 
 あらゆる悪い性質は自我を中心に現われる。
 だが、真我のなかには善い性質も悪い性質もない。
 真我はすべての性質から自由だからだ。
 
 自我が消滅するとき、真我の実現はひとりでに起こるのである。
 
                          静寂の瞬間』(p50)
----------------------------------------------------------------------

じゃ、その自我を支えている物質世界が客観的に存在しているのかどうかとな
ると……。

----------------------------------------------------------------------
 もし事物が独立した存在を持っているなら、
 つまり、もしそれがあなたから離れて存在しているのなら、
 あなたがそれから立ち去っていくことも可能だろう。
 
 だが、事物はあなたから分離しているのではない。
 それはあなたゆえに、あなたの想いゆえに存在するのである。
 だとすれば、それから逃れてどこへ行けるというのだろうか。
 
                          静寂の瞬間』(p51)
----------------------------------------------------------------------

自分が事物に関心を持っているかぎり、事物から離れることができないことは
よくわかりました。(-_-)

それから逃れて行けるところはないみたい。

(@_@)

もしかして、事物から逃げようとしたらそれは襲ってくるのかしら……。

----------------------------------------------------------------------
 映画の画像の中の火が
 スクリーンを燃やすだろうか。
 画像の中の滝の流れが
 スクリーンを濡らすだろうか。
 
 火や水は
 真我というスクリーンの上に現れる現象でしかなく、
 それらが真我に影響を与えることはない。
 真我はあるがままに輝き続け、
 動くことも、変化することもない。
                          静寂の瞬間』(p61)
----------------------------------------------------------------------

そりゃそうだ……。(-_-)

自分は鏡の「ガラス」なのだから……鏡に“映った絵”が……「ガラス」をい
じめに来ることもないわけだ。(*-_-*)

形と意識の諸相は“素粒子のふるまい”のなかに現れる……。

“素粒子のふるまい”は媒体として形と意識の諸相を支える……。

しかし“素粒子のふるまい”自体が……自立的に形と意識の諸相を支えられる
わけではない……。

“素粒子のふるまい”は……背景の「真空」なしには機能しえないから……。

そして……もちろん……“素粒子のふるまい”が「真空」を傷つけることはあ
りえない……。

逆に……“素粒子のふるまい”が……実在する「真空」のなかで……つかの間
の現れを与えられているだけだから……。

----------------------------------------------------------------------
 純粋な意識は
 分割できないものであり、
 部分を持たないものである。
 
 それは、姿も形も持たず、
 内も外もない。
 
 ハートである純粋な意識は、
 すべてを含み、
 
 何ものもその外になく、
 それを離れては存在しない。
 
 それが究極の真理である。
                          静寂の瞬間』(p38)
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-)

“「鏡」の比喩”は……単なるイメージにすぎないけれど……。

なにやら……心配するのがバカみたいな……気もしてくるような……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
       【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「私は在る」という感覚に焦点を合わせるとは、とりもなおさず、外の世界の
変化と内面で起こって自動連想すべて、すなわち、マインドすべてから目を離
すサーダナなのだということが明かされます。

> すべての方向はマインドのなかにあるのだ!
> 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。
> ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
> 「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。
> 「私は在る」は方向ではない。

話はシンプルなので……意味はわかったことにはわかったのですが……。

さて……単純ということと簡単ということは同じではないので……。(*-_-*)

では、【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私は具合が良くありません。むしろ弱っている感じがします。どう
     すればいいでしょうか?
 
 マハラジ
 誰の調子が悪いのかね?
 あなたか、それとも身体だろうか?
 
 質問者 もちろん、私の身体です。
 
 マハラジ
 昨日、あなたは具合が良かった。
 何が良いと感じたのだろうか?
 
 質問者 身体です。
 
 マハラジ
 身体の具合が良いとき、あなたは喜び、身体の具合が悪いとき、あなたは悲
 しむ。
 ある日喜び、つぎの日悲しむのは誰だろうか?
 
 質問者 マインドです。
 
 マハラジ
 マインドがそれを知る者だ。
 知る者を知るのは誰だろうか?
 
 質問者 知る者がそれ自身を知っているのではないでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドは断続的なものだ。
 眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。
 そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。
 
 質問者 マインドが覚えています。これが継続性を意味します。
 
 マハラジ
 記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。
 それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティ
 ティの感覚を説明はしない。
 その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。
 
 質問者 どんなに深く見入っても、私にはマインドしか見いだせません。あ
     なたの「マインドの彼方」という言葉は手がかりにならないのです。
 
 マハラジ
 マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。
 彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならな
 いのだ。
 
 質問者 どの方向を見ろといわれるのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべての方向はマインドのなかにあるのだ!
 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。
 ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
 「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。
 「私は在る」は方向ではない。
 それはすべての方向を否定したものだ。
 最後には「私は在る」さえも去らなければならない。
 なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。
 「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてか
 らそむけることなのだ。
 
 質問者 それは私をどこへ導くのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
 になる。
 もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
 ない光と愛にあふれていることを知るだろう。
 しかも、あなたはそれをあなた自身の本性だとすぐに認識するのだ。
 ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
 う。
 気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
 れない。
 だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
 はかならず戻ってくる。
 そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。
 
 質問者 それがどんな違いをもたらすというのでしょうか?
 
 マハラジ
 思考はなくなり、そこには愛の行為だけがあるのだ。
 
 質問者 私がそれに到達したとき、どうやって認識するのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこにはもはや恐れがないのだ。
 
 質問者 神秘と危険に満ちた世界に囲まれて、どうやって恐れなしでいるこ
     とができるでしょう?
 
 マハラジ
 あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。
 それでも、あなたはそれを恐れはしない。
 あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。
 あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
 必要はないということだ。
 あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。
 個人的身体は来ては去っていく。
 宇宙的身体はいつもあなたとともにある。
 創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。
 あなたは個人的身体的に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。
 この盲目がひとりでに終わることはない。
 それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。
 すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
 区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p326-327)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私は具合が良くありません。むしろ弱っている感じがします。どう
>     すればいいでしょうか?

きっとニサルガ師匠の前によく来る人なんでしょうね。

> マハラジ
> 誰の調子が悪いのかね?
> あなたか、それとも身体だろうか?

早速ですね。(^_-)

> 質問者 もちろん、私の身体です。

そりゃそう。

> マハラジ
> 昨日、あなたは具合が良かった。
> 何が良いと感じたのだろうか?

ああ、昨日も来ていたんだ。

> 質問者 身体です。

身体の具合が良かった。

> マハラジ
> 身体の具合が良いとき、あなたは喜び、身体の具合が悪いとき、あなたは悲
> しむ。
> ある日喜び、つぎの日悲しむのは誰だろうか?
> 
> 質問者 マインドです。

たしかに。

> マハラジ
> マインドがそれを知る者だ。

気分を知る者はマインドなんだ。

たしかに、マインドは気分の方を向いている。

“具合がいい”という感じもマインド、それで喜ぶのもマインドなんだ。

> 知る者を知るのは誰だろうか?

へー、こういう言い方もあるのか……。

喜ぶマインド(知る者)を知るのは誰か?

> 質問者 知る者がそれ自身を知っているのではないでしょうか?

うう……。

> マハラジ
> マインドは断続的なものだ。

たしかに。

> 眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。

わかります。

> そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。

「その断続性を継続的に記録する何か」がいるはずだ、と。

> 質問者 マインドが覚えています。これが継続性を意味します。

うーむ。

> マハラジ
> 記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。

なるほど。

> それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティ
> ティの感覚を説明はしない。

“「私は在る」という感覚”、つまり“意識に浸透した強力なアイデンティテ
ィの感覚”……。

> その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。

これは……論理では届かないか……。(-_-)

> 質問者 どんなに深く見入っても、私にはマインドしか見いだせません。あ
>     なたの「マインドの彼方」という言葉は手がかりにならないのです。

うーん。(*-_-*)(←唸ってる。(^_-))

> マハラジ
> マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。

はい。

> 彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならな
> いのだ。

はい。(-_-;)(←眠るのはいけませんか、とか? (^_-))

> 質問者 どの方向を見ろといわれるのでしょうか?

うん、わかる。

> マハラジ
> すべての方向はマインドのなかにあるのだ!

やっぱり。

> 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。

はい。

> ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
> 「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。

うーむ。(;_;)

> 「私は在る」は方向ではない。

はい。

> それはすべての方向を否定したものだ。

はい。(/_;)

> 最後には「私は在る」さえも去らなければならない。
> なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。

わかります。

> 「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてか
> らそむけることなのだ。

おお……。

> 質問者 それは私をどこへ導くのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
> になる。

そうか……。

> もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
> ない光と愛にあふれていることを知るだろう。

ここが頑張りどころか……。(-_-)

> しかも、あなたはそれをあなた自身の本性だとすぐに認識するのだ。
> ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
> う。

はい。

> 気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
> れない。

(=_=)

> だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
> はかならず戻ってくる。

そこまで努力を続ければ……。

> そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。

そうか……。

> 質問者 それがどんな違いをもたらすというのでしょうか?

うう。

> マハラジ
> 思考はなくなり、そこには愛の行為だけがあるのだ。

うーむ。(-_-;)(←どうしたの? 今日は元気ないね。(^_-))

> 質問者 私がそれに到達したとき、どうやって認識するのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> そこにはもはや恐れがないのだ。

そうか……。

> 質問者 神秘と危険に満ちた世界に囲まれて、どうやって恐れなしでいるこ
>     とができるでしょう?

……うん。

> マハラジ
> あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。

あ、なるほど。(@_@)

> それでも、あなたはそれを恐れはしない。

たしかに。

> あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。

わかります。

> あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
> 必要はないということだ。

あーあ、なるほど。(@_@)

> あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。

そうも言えるわけか……。

> 個人的身体は来ては去っていく。
> 宇宙的身体はいつもあなたとともにある。

なるほどぉ。

> 創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。

そういうことですか……。

> あなたは個人的身体的に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。

はい。

> この盲目がひとりでに終わることはない。

やっぱり。

> それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。

そうか……。

> すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
> 区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。

そうなんだ……。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:ドン・ガバチョさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、ドン・ガバチョさんからまた個人メールをいただきました。

掲載許可をお願いしましたので、早速ご紹介いたします。

----------------------------------------------------------------------
 pari様
 
 こんにちは。
 ドン・ガバチョです。
 お返事ありがとうございます。
 
 さて・・・
 
 神との統合で感じる幸せとはどのようなフィーリングでしょうか?
 
 ――覚醒とは、既に私が神と統合しているということを識(し)ること。
   それが私たちの本来の姿であるということを識ること。――
 
 そこからもたらされる、比肩(ひけん)すべき何ものもない絶対の幸福。
 
 そして、その覚醒という絶対的な幸福を求めている私・・・・
 
 では、神との統合という「絶対」の至福は、私にはどのように感得されるの
 でしょう? 
 
 果たして、「絶対」の至福をフィーリングすることなど出来るのでしょうか?
 
 もちろん、「絶対」の至福をフィーリングすることは不可能です。
 それは、ただそこにあるだけです。
 何故なら、それは「絶対」なのですから、何ものとも比べられない・・・・
 何ものとも比べられないということは・・・
 
 それは「無」です。
 如何なる形容も不能、ただ「存在」としか呼べません。
 
 「存在」、「絶対」、「無」、「空(くう)」、「大いなるもの」、
 「ワンネス」、「神」・・・
 その絶対の至福・・・・そのフィーリングを、もし微(かす)かにでも例
 (たと)えることが出来るとするならば(そうした如何なる比喩も能(あた)
 わない「絶対」であることは了解してはいますが)、 
 
 「乳白色の哀しみ」ではないでしょうか?
 
 風が囁(ささや)きます。
 ――森羅万象あらゆるものを可能性として潜在させている空(くう)は、
   自身を思考した。
   空(くう)は自身の投影を創造したのである。
   これは革命であった。ものがたりの始まりである。――(ラムサ)
 
 私とは何か?――空(くう)は自身を識(し)りたいのです。
 
 自身を識(し)るために、「絶対」は「相対」を想像し、創造したのです。
 それは、様々な時間率をフレームとする多様な宇宙です。
 「分離」を識らずに、「統合」を識ることは出来ない・・・・
 「相対」を識らずに、「絶対」を識ることは出来ない・・・・
 
 万物は「相対」という分離の「関係性」の海に顕現します。
 その分離の「関係性」が「絶対」、「ワンネス」の一つの断片なのです。
 「無」の上に森羅万象、時空、万物が乗っかります。
 
 分離の「関係性」を純粋な「体験」として感得するために、私たち「存在」
 は「存在」であることを忘れているフリをします。
 
 ――あなた方を表すのに特に適した言葉が有る。
   「忘れん坊の神々」だ。――(ラムサ)
 
 私たちは、「覚醒」という名の叡智を(この天界に固有の)深い涙の海に沈
 めてから舞い降りたのでした。
 
 ――覚醒するとは「識ること」である。
   疑うことなく、信じることもなく、信仰や希望もなしにだ。――(ラムサ)
 
 ――――――――――――――――――――
 
 さらば恋人(北山修 作詞、昭和46年)
 
 「さよなら」と書いた手紙 テーブルの上に置いたよ
 あなたの眠る顔みて 黙って外へ飛びだした
 
 いつも幸せすぎたのに 気づかない二人だった
 
 冷たい風に吹かれて 夜明けの町を一人行く
 悪いのは僕のほうさ 君じゃない
 
 ゆれてる汽車の窓から 小さく家(うち)が見えたとき
 思わず胸に叫んだ 必ず還って来るよと
 
 いつも幸せすぎたのに 気づかない二人だった
 
 ふるさとへ還る地図は 涙の海に捨てて行こう
 悪いのは僕のほうさ 君じゃない
 
 いつも幸せすぎたのに 気づかない二人だった
 
 ふるさとへ還る地図は 涙の海に捨てて行こう
 悪いのは僕のほうさ君じゃない
 ――――――――――――――――――――
 
 北山修さんは、かつての「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバー。
 精神科医、心理学者、医学博士、九州大学教授、作詞家、ミュージシャン。
 「さらば恋人」、「花嫁」、「風」の様に、「統合から分離へ」または
 「分離から統合へ」向かう「存在」の情緒を詩に託すことの出来る人です。
 (永らくマイ・ブームで御座います。)
 
 尊びを込めまして。
             ドン・ガバチョ
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ドン・ガバチョさん、掲載させていただきました。

絶対の至福は……もし喩えるなら……「乳白色の哀しみ」ですか……。

なるほど……。

ドン・ガバチョさん、ありがとうございました。

m(_ _)m


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【最高級クリーム売り上げ順調】

今回も仲間内からの情報を受け売りさせていただきます。m(_ _)m

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 『不況どこ吹く風「10万円」クリーム好調』
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090610-00000003-jct-bus_all
 
 資生堂、カネボウ、コーセー、大手メーカーの最高級クリームが、
 どれも売り上げを順調に伸ばしているそうです。
 
 「購入者は50〜70歳代が7割を占め、1年分をまとめて買っていく人もいる。
 20〜40歳代で使っている人も3割。シワが気になる部分だけに使っていたり、
 働いている女性だと仕事の「プレゼン」や特別なことがある前夜に使ったり
 するらしい。」と記事にありました。
 
 エイジングケア用のクリームですが、老化防止に「クリームだけは
 高いものを」という20〜30歳代にも売れていているとか。
 
 モンドセレクション最高金賞受賞のル○○○○は、1万500円なのに、
 40ナノでス○○○とEGFも配合ですから、10万円クリームの香りが
 充満している方に、このス○○○情報伝えてあげたら、感謝される
 こと間違いなしです。 


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新型インフルエンザがフェーズ6に引き上げられましたね。

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■ 4.編集後記:わたしというマインドには……なかなか面白かったです
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今回、思わず『静寂の瞬間』を立ち入ってご紹介してしまいました。

関係各位の方々には、無断引用と言うよりは無料宣伝とご理解いただければ
ありがたいです。

「鏡」の比喩は……わたしというマインドには……なかなか面白かったです。

ところで……もう一冊購入した『アシュタヴァクラ・ギーター』も……。

これも素晴らしいです。

また……お節介に……ご紹介するかもしれません。

気分次第なので……わかりませんが。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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