━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.274 2009/7/5(第274号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 961名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.最初の一歩さえも踏めない
2.写経ニサルガダッタ:
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】の3
3.いただいたお手紙から:inuさん
4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
5.編集後記:明日は、朝8時から地域の草刈りがあります。
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■ 1.最初の一歩さえも踏めない
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ちょっと急ぎの仕事が入って出発が遅れました。
まあ、分不相応のことをするには、分相応というところでしょうか。(^^;)
ゴミは無限に発見することができる。
大事なことは、ゴミを発見することよりは、むしろ、ゴミを出さなくなること
であるらしい……。
というゴミを発見しながらも、なおも臆せず、ゴミを出し続ける……今日この
ごろでございます。(^_-)
さあ、今日もまた頑張って、新たなゴミ出しの旅に出立しましょう。
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
ニサルガ師匠のお陰で、マインドを教育するための最短距離の理屈はいやとい
うほど教わりました。
もうこれ以上、理屈をこねることなど必要ないのは、マインドとしてもわかっ
ています。
本当に、気の利いた“お化け”なら、とおの昔に消えているはずです。
それでもなおかつ、こうして出しゃばって、理屈をこねることに何の意味があ
るのか……? (-_-;)
いえ、何の意味もありません。(^^;)
ただ……定められたシナリオにしたがって……演ずべき道化を演じているばか
りでございます。
マインドは放っておけば……勝手に動き出します。
ひとりでに……静かになる……ことはない。
「應無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」
「まさにじゅうするところのうして、しかもそのこころをしょうずべし」
どこから出てくるのかはわかりませんが……まさに……創造力の無限の源泉か
ら溢れ出ているのでしょう。
その無限の供給を……ただ静かに微笑して観ているか……。
それとも、そのなかにフォーカスし、そこで勝手に“自ら”の制限と立場を決
めて、勝手に欲望し、勝手に苦しむのか……。
“自ら”の好みで決めるほかないようでございます。
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あなたはマインドを超えている。
だが、あなたはマインドで知るのだ。
『私は在る』(p330)
http://tinyurl.com/s747u
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まさに……。(;_;)
わたしはマインドにおいて“賢く”なって……そのゴミの“賢さ”を捨てられ
るまでに……ならなければならないのでしょう。
ただ在る……ということ。
たったそれだけのことなのに……。
ただ在ることは……なかなかできない。
でも……朗報と言っていいかどうか……ちょっとした変化のようなものは……
あることはあります。(-_-;)
↑
(そりゃ、これだけ大袈裟に騒いでいれば、少しはあるでしょうよ。(^_-))
それは……何ごとにも……あまり興味がもてなくなるということです。
だからどう……ということもありませんが……。
でも……それなら……徹底して何ごとにも興味をもたなければいいのに……。
それが……すぐまた……日和る……。(*-_-*)
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より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
『私は在る』(p323)
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> すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、……
限界を悟らないかぎり……。(;_;)
> そしてすべてのエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、
すべてのエネルギーを集めないかぎり……。
> 最初の一歩さえも踏めない。
オガアチャ……。(/_;)
このしと……「最初の一歩さえも踏めない」って言うとる。(T_T)
……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いつもながら、じつに誤解しようのない論理的な言葉が語られます。
今回の部分は、章タイトルが含まれる圧巻の部分です。
なかでも……なぜか特に響いてきた懇切丁寧な言葉は……、
> いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
> それをやめ、ただ在りなさい。
でした。(-_-)
われわれ(⇒わたし)は無事に耐えなくてはならないようです。
そして今回は、質問者がじつに見事な表現を発明してくれました。
> 質問者 つまり、もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされ
> ると言うのでしょうか?
まさに「もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされる」……の
だそうです。
では、【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】の3回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 世界は私の意識のなかに現れない出来事でいっぱいです。
マハラジ
あなたの身体でさえあなたの意識内に現れることのない出来事でいっぱいな
のだ。
これが、あなたの身体をあなたのものだと宣言することを妨げはしないだろ
う。
あなたはあなたの感覚を通して自分の身体を知るように、世界を正確に知っ
ているのだ。
あなたの皮膚から外側の世界と内側の世界を分割し対立させたのは、あなた
のマインドだ。
これが恐れと、憎しみと、生きることすべての惨めさを生み出したのだ。
質問者 私に理解できないのは、あなたが言われる意識を超えていくという
ことです。言葉は理解できますが、その体験を視覚化できないので
す。結局、あなた自身が言われたように、すべての体験は意識のな
かにあるのです。
マハラジ
あなたの言うとおりだ。
意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。
それでも、そこにはただ在るという体験がある。
そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。
ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。
それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。
質問者 私は神智学を学んできました。そして、あなたの言われることは何
ひとつ聞き慣れないことばかりだと気づきました。神智学が顕現の
みを扱うことは私も認めます。それは宇宙とそこに住む生きものに
ついて、たいへん詳細に描写します。多くの物質の階層と、それに
相応する体験の層があることを、それは認めています。しかし、ど
うやらそれを超えていくことはないようです。あなたの言われるこ
とはすべての体験を超えていきます。もしそれが体験不可能ならば、
いったいどうしてそれについて話しあうのでしょうか?
マハラジ
意識は隙間だらけの断続的なものだ。
それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、いったい
何によるというのだろう。
質問者 もし私がマインドを超えているならば、どのようにして私を変えて
いくのでしょうか?
マハラジ
何かを変える必要がどこにあるというのだろう?
いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。
あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
マインドを平静にするにはこれで充分だ。
静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。
いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
それをやめ、ただ在りなさい。
もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
力強さを回復するだろう。
絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。
質問者 もし私の真実の存在がつねに私とともに在るなら、どうして私はそ
れを知らないのでしょうか?
マハラジ
なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なもの
だからだ。
あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。
そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。
質問者 わたし自身を知るためにマインドが必要なのでしょうか?
マハラジ
あなたはマインドを超えている。
だが、あなたはマインドで知るのだ。
知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存すると
いうことは明らかだ。
あなたの手段を改善しなさい。
そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。
質問者 完全に知るためには、完全なマインドが必要です。
マハラジ
あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしかるべく起こ
るだろう。
日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなかに変化を与
えるのだ。
平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚め、あなた
の努力なしに奇跡をもたらすのだ。
質問者 つまり、もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされ
ると言うのでしょうか?
マハラジ
まさにそのとおりだ。
あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
い。
あなたの運命に協力しなさい。
それに抗ってはいけない。
それを妨げてはいけない。
それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
べきすべてなのだ。
『I AM THAT 私は在る』(p329-330)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
マハラジ……。
(-||-)
> 質問者 世界は私の意識のなかに現れない出来事でいっぱいです。
そりゃそうですよね。
> マハラジ
> あなたの身体でさえあなたの意識内に現れることのない出来事でいっぱいな
> のだ。
なるほど。(@_@)
それも確かだ……。
> これが、あなたの身体をあなたのものだと宣言することを妨げはしないだろ
> う。
わかります。
> あなたはあなたの感覚を通して自分の身体を知るように、世界を正確に知っ
> ているのだ。
そうか……。
> あなたの皮膚から外側の世界と内側の世界を分割し対立させたのは、あなた
> のマインドだ。
(*_*)
そうなんだ……。
> これが恐れと、憎しみと、生きることすべての惨めさを生み出したのだ。
そうか……。(-_-;)
> 質問者 私に理解できないのは、あなたが言われる意識を超えていくという
> ことです。言葉は理解できますが、その体験を視覚化できないので
> す。結局、あなた自身が言われたように、すべての体験は意識のな
> かにあるのです。
あなたのおっしゃるとおり。
わかります。
> マハラジ
> あなたの言うとおりだ。
あ……。
> 意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。
はい。
> それでも、そこにはただ在るという体験がある。
それは……ある意味で……体験とも言えるわけか……。
> そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。
「無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態」……。
そうか……。
気づきがあるから無意識ではなく、意識のコンテンツ(気づきの対象)がない
から意識状態ではないわけか……。
だから「意識を超えた彼方の状態」……なのか……。
> ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。
はい。
> それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。
はい……。
純粋な覚醒は……主体と客体の関係から自由……なんだ。
> 質問者 私は神智学を学んできました。そして、あなたの言われることは何
> ひとつ聞き慣れないことばかりだと気づきました。神智学が顕現の
> みを扱うことは私も認めます。それは宇宙とそこに住む生きものに
> ついて、たいへん詳細に描写します。多くの物質の階層と、それに
> 相応する体験の層があることを、それは認めています。しかし、ど
> うやらそれを超えていくことはないようです。あなたの言われるこ
> とはすべての体験を超えていきます。もしそれが体験不可能ならば、
> いったいどうしてそれについて話しあうのでしょうか?
このひとは、神智学者だったんだ……。
> マハラジ
> 意識は隙間だらけの断続的なものだ。
わかります。
> それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
あ、はい。(@_@)
わたしは自分を pari だと思っている……。
> もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、いったい
> 何によるというのだろう。
なるほど……。(-_-)
じゃ、この「アイデンティティの感覚」は意識ではないんだ……。
この「アイデンティティの感覚」こそが「わたし」だとすれば……「わたし」
は意識ではないわけだ。
つまり「わたし」は……知覚可能・想像可能なものではない……ということだ。
> 質問者 もし私がマインドを超えているならば、どのようにして私を変えて
> いくのでしょうか?
え、どうしてそんな……?
>
> マハラジ
> 何かを変える必要がどこにあるというのだろう?
ですよね。
(マハラジの言葉が……この程度には(“わたしの”)マインドに浸透してき
ているんだよなぁ……。)
> いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。
はい、わかります。
> あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
“冷静に見る”……。
> マインドを平静にするにはこれで充分だ。
“冷静に見る”だけで……マインドは静かになるんだ……。
> 静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。
そうか……。
> いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
ああ……。(;_;)
今日のツボはこれだなぁ……。
「いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない」……。
いつも……こればっか……だもんなぁ。(T_T)
> それをやめ、ただ在りなさい。
そうかぁ。
> もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
> 力強さを回復するだろう。
そうなんだ……。
そのためには……休息に耐えられるマインドにならなくちゃならないなぁ。
> 絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。
わたしはこの頭の重さ……ではない。
「私は在る」……。
> 質問者 もし私の真実の存在がつねに私とともに在るなら、どうして私はそ
> れを知らないのでしょうか?
ふーん、いい質問だなぁ。
> マハラジ
> なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なもの
> だからだ。
ああ……そうか。(@_@)
なるほどなぁ。(-_-)
わたしの「真実の存在」は「非常に微妙なもの」なのに、わたしの「マインド」
は「粗雑なもの」なんだ。
じゃ、「粗雑なもの」が喋っているかぎり、「非常に微妙なもの」は知りよう
がないわけだ……。
> あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。
この頭の重たさには間違いなくうんざりしているんですが……。(-_-)
ついついまた騒音がほしくなってしまって……。(/_;)
“マインドのなかの懲りない面々”です……。(*-_-*)
> そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。
「いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない」んですよね。
> 質問者 わたし自身を知るためにマインドが必要なのでしょうか?
お、すごい質問!! (@_@)
> マハラジ
> あなたはマインドを超えている。
はい。
> だが、あなたはマインドで知るのだ。
ナント。(*_*)
……そういうことなんだ。(-_-)
わたしは賢くならなければならない、と言ったときのわたしは……マインドだ
もんなぁ……。
> 知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存すると
> いうことは明らかだ。
はい、それはわかります。
> あなたの手段を改善しなさい。
> そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。
わ、わかりました。(*@_@*)
> 質問者 完全に知るためには、完全なマインドが必要です。
おお……そういう言い方ね。
> マハラジ
> あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
でた。
> ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしかるべく起こ
> るだろう。
そうか……。
いずれにしろ……静けさに耐えられるようにならなければならないんだ。
これだけは避けられない。
> 日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなかに変化を与
> えるのだ。
はい。
> 平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚め、あなた
> の努力なしに奇跡をもたらすのだ。
(-||-)
> 質問者 つまり、もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされ
> ると言うのでしょうか?
素晴らしい表現力……。(@_@)
> マハラジ
> まさにそのとおりだ。
(*_*)
「もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされる」……。
> あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
> い。
(T_T)
> あなたの運命に協力しなさい。
はい。
> それに抗ってはいけない。
> それを妨げてはいけない。
そんな……。(;_;)
> それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
そのために……静けさに耐えられるようになる必要があるんですね。
> 愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
> べきすべてなのだ。
そうか……。
「愚かなマインドがつくり出した障害」か……。
その意識活動総体に「注意を払うこと」……。
それがわたしがするべきすべてなのか……。(-_-)
……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.いただいたお手紙から:inuさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
…………○…………○…………○…………
今回、inuさんという方から(情報投稿フォームからなのですが)……とても
ありがたいというか……内容のつまったお手紙(メール)をいただきました。
内容が情報投稿ではなかったので、こちらでご紹介させていただきます。
【件名】:こんにちは
----------------------------------------------------------------------
PARIさん はじめまして。
毎週素敵なメルマガのUP有難うございます。
日曜の10時を楽しみにしております。INUと申します。
マハラジの「I AM THAT」を読み大変感銘を受け、こちらのHPに
たどり着きました。
はじめはメルマガのみ読んでいたのですが、その他の項目も読んでみたとこ
ろ、大変有意義なことが書いてあり、昨年ですが、「21世紀の指導原理OS
HO」を注文購読いたしました。
非常に内容のある書物だと思います。失礼ながら、私はOSHOについては
宗教的山師程度の悪いイメージしか持っておりませんでしたが、PARIさ
んの本ですっかり認識を改められました。
なぜこのような高度な文章を書ける方が、アセンションのような、到底本当
にあるとは思えない話を紹介されるのか不思議に思ったくらいです。
OSHOについてはたくさん書物がでておりますが、その思想につき体系的
に説明されているわかり易い本があればご紹介ください。
さて本日はお願いをするためにメールをさせていただきました。
私にとって、メルマガの写経部分はなくてはならないものになっており、人
生の楽しみかつ、必要な知恵の結晶部分と化しております。
「I AM THAT」は私も所持しており、写経部分はたいてい何度か読
んだ部分でもあります。PARIさんの解説付きの写経は、それでも楽しく
啓発させられます。
ところで、マハラジには邦訳されていない英訳本が何冊かあり、マハラジに
魅せられた私は、何とかして他の本も読みたいと考え、アマゾンで数冊の英
訳本を注文し読解を試みました。
しかしながら英語がまったくできない私は、辞書を手にしても1ページも理解
することなく終わったままになりました。
どうかPARIさん、他のマハラジの本を訳して写経していただけないでし
ょうか?
「I AM THAT」はいくらでも読むことはできますが、その他の本が
どうしても読みたいのです。
単純に英語がわかる方ではなく、マハラジの思想にある程度理解があるPA
RIさんのような方が適任だと思うのです。
PARIさんの力が必要です。
どうかよろしくお願いします。
----------------------------------------------------------------------
……。(-_-)
いやー……、しかし驚きました。
何とお答えしたらいいのか……。
> PARIさん はじめまして。
はじめまして。
> 毎週素敵なメルマガのUP有難うございます。
いつも勝手なことを書かせていただいています。
> 日曜の10時を楽しみにしております。INUと申します。
ありがとうございます。
> マハラジの「I AM THAT」を読み大変感銘を受け、こちらのHPに
> たどり着きました。
そうでしたか……。
> はじめはメルマガのみ読んでいたのですが、その他の項目も読んでみたとこ
> ろ、大変有意義なことが書いてあり、昨年ですが、「21世紀の指導原理OS
> HO」を注文購読いたしました。
なんとまた……。(@_@)
正直……驚くと同時に……嬉しいです。<(_ _)>
> 非常に内容のある書物だと思います。
ふーむ……。
……ありがとうございます。(-||-)
> 失礼ながら、私はOSHOについては宗教的山師程度の悪いイメージしか持
> っておりませんでしたが、PARIさんの本ですっかり認識を改められまし
> た。
そうでしたか……。
D さんも、Osho は“クロボー”だと言っておられましたが……。
> なぜこのような高度な文章を書ける方が、アセンションのような、到底本当
> にあるとは思えない話を紹介されるのか不思議に思ったくらいです。
まったくです。(*^_^*)
なぜアセンションなどという怪しげな話題について書くのか自分でも説明でき
ないのですが、ただそういうふうに正直に直接わたしに言ってくださったのは
inu さんがはじめてです。(^^;)
自分でも思うのですが、わたしの人生はすべて“入れ食い”だったと思います。
何かに操られているのか……自ら望んだシナリオなのか……。
> OSHOについてはたくさん書物がでておりますが、その思想につき体系的
> に説明されているわかり易い本があればご紹介ください。
いえ、知りません。
というか……そういうものがないものですから、自分なりにそういう意図の本
を自分で書こうと思い立ったというのか……。
> さて本日はお願いをするためにメールをさせていただきました。
あ、そうでしたか。(@_@)
> 私にとって、メルマガの写経部分はなくてはならないものになっており、人
> 生の楽しみかつ、必要な知恵の結晶部分と化しております。
まったくです。
『私は在る』は、わたしにとってもまさにそのような本です。
あ……。(*@_@*)
これは……“メルマガの写経部分”をお褒めいただいたのですか!? (@_@)
それは……ちょっと……褒めすぎです……。(*-_-*)
> 「I AM THAT」は私も所持しており、写経部分はたいてい何度か読
> んだ部分でもあります。PARIさんの解説付きの写経は、それでも楽しく
> 啓発させられます。
嬉しいです……。
もしそういうところがあるとしたら……わたしが自分のために書いているから
だろうと思います。
> ところで、マハラジには邦訳されていない英訳本が何冊かあり、マハラジに
> 魅せられた私は、何とかして他の本も読みたいと考え、アマゾンで数冊の英
> 訳本を注文し読解を試みました。
そうでしたか。(@_@)
わたしもあるのは知っていましたが、まだ購入していません。
まだまだ『私は在る』を吸収できていないことを知っているので……。
もし、メルマガで全部写経し終わった……とそんな事態が起こったら……その
とき考えようか……などと思っておりました。
> しかしながら英語がまったくできない私は、辞書を手にしても1ページも理解
> することなく終わったままになりました。
そうでしたか……。
> どうかPARIさん、他のマハラジの本を訳して写経していただけないでし
> ょうか?
なんと! (@_@)
それは……わたしにとっては……ありがたいご依頼ですが……。(-_-;)
ふーむ……。(-_-)
ただ……わたしは……きっといつか福間巌さんが訳してくださるのではないか、
とも思っている(た)んですよねぇ……。
でも、福間さんは他の本を次々訳しておられるので、ご本人のバイオリズムで
は、ニサルガダッタが現在の最優先順位ではないのだな、とも思いますが。
> 「I AM THAT」はいくらでも読むことはできますが、その他の本が
> どうしても読みたいのです。
なるほど……。
お気持ちは……わかります。
ふたつ……申し上げたいような気になりました……。
ひとつは……教え(としての情報)についてですが……。
わたしなりの……今の気持ち(というか理解というか)ですが……、たぶん、
情報としては……、『私は在る』だけで……充分以上(の質量)……なのでは
ないでしょうか……。(*-_-*)
わたしは……そう思います。
たぶん……ニサルガダッタは……彼のグルのシッダラメシュヴァールから……
これほどの情報を伝えられはしなかっただろうと思います。
問題は……じつは……シッダラメシュヴァールに出会った「マルティ」がいな
い……というだけのことなのです。(;_;)
われわれの場合は……「マルティ」を準備するところから始めなくてはなりま
せん。
「マルティ」を準備するのに、『私は在る』にない情報が必要だとは……残念
ながら……思えません。
われわれに足りないのは……それ以上の情報ではなくて……むしろ情報の欠如
に耐える力……の方ではないか……。(-_-;)
(*^_^*)
ま、それはともかくとして……、(^^;)
わたしは「写経」の部分を書きながら、その「写経」に使った部分を「辞書」
https://www.ascensionkan.com/ndic/
にしています。
(「写経」の原文はごく最初のころを除いて、いまでは毎回口述してシャーラ
に書いてもらっています。
そのせいもあるのかどうかわかりませんが……、)
じつは、その“辞書作り”のときの方が……むしろ新たな発見が多いのです。
そこの文章のどの言葉を「見出し」に使おうか……などと考えますから。
こういう教えでは特に……たんに目で文字面を追うだけよりは……手も頭もす
べてを動員する方が……吸収率が高くなるのかもしれません。
というわけで……ひとつ、“教え”に関しては……そう思いました。
そして、もうひとつは、それでもなおかつ inuさんが、
> 「I AM THAT」はいくらでも読むことはできますが、その他の本が
> どうしても読みたいのです。
とおっしゃるならば……、ということですが……。
わたしが Osho の本を翻訳するようになった“きっかけ”は単純でした。
それは……当時日本語で読める Osho の本がなくなってしまったからです。
70年代の末ごろ、バグワンの翻訳書は6冊しかありませんでした。
それを読み終わったら、もう日本語で読める本がなくなったのです。
わたしも“その他の本がどうしても読み”たくなったわけです。
でも、わたしの場合は、“辞書を手に”しませんでした。
わたしは他の手段を知っていたからです。
それはわたしがロシア語でドストエフスキーを読んだ方法でもありました。
わたしは新潮文庫をばらして、1ミリ厚ぐらいの小冊子を作ってロシア語の本
にはさんでドストエフスキーを読みました。
『白痴』も『罪と罰』も『カラマーゾフノ兄弟』もそうやって読みました。
一冊読み終わると、何となく読めるような気がしたものです。
ロシア語の場合は、ドストエフスキーを“原語で読みたい”という、たんなる
若気の“気取り”でした。(*-_-*)
でも、バグワンの本の場合は、もっと差し迫った必要がありました。
なにしろ、もう翻訳書がないわけですから。
わたしが選んだ本はプラブッダ訳の『存在の詩』で、ペーパーバック版の英書
は『Only One Sky』というタイトルの本でした。
肝心なことは、日本語を先に読まないことです。
かならず先に英語の一文を読みます。
そして、自分なりに勝手な意味を想像します。
当然わからない単語があるわけですから、その意味はいい加減です。
でも、一度は日本語で読んだことがあるので、想像で補うわけです。
そして、日本語を読む。
なるほど、そういう意味か……、と。
これを一冊やるわけです。
たまに、何度も出てきて、どうしても気になる単語があれば、辞書を引いても
いいと思います。
バグワンの英語はインド人の英語で、純ネイティブの英語よりはずっとやさし
かったことも救いでした。
だから、『存在の詩』が終わって、今度は当時翻訳書がなかった『TAO』を
読んだときは、われながら意味がわかるのに感動しました。
ニサルガダッタの『I AM THAT』の場合、どれくらい英語が難しいかやさしいか
はわかりません。
翻訳者のモーリス・フリードマンさんは、名前からすると英語の純ネイティブ
の方でしょうから、けっこう難しいかもしれません。
でも、ニサルガダッタの言葉はきわめて論理的です。
たぶん、『I AM THAT』の1行 → 『私は在る』の1行という読書は……それ
ほど難しくはないのではないか。
また……それほど努力して読んだことが……無駄になるとは思えません。
もし、inuさんが
> どうしても読みたいのです。
とおっしゃるなら、たぶん、読めるようになると思います。
そして、もし『I AM THAT』をそのようにして通読できたなら、たぶん、その
他に買った本も読めるようになっているでしょう。
> 単純に英語がわかる方ではなく、マハラジの思想にある程度理解があるPA
> RIさんのような方が適任だと思うのです。
わたしはいま、自分にこれ以上の情報が必要だとは思っていません。
情報は、もう満腹するほどいただいています。
必要なのは、わたしのなかの「マルティ」です。
彼の誠実さと沈黙に耐える力が、わたしに足りないだけですから。
またいま、わたしには“人様のために”何かできるほどの実力もありません。
> PARIさんの力が必要です。
> どうかよろしくお願いします。
いずれにしろ、わたしはただ操られているだけなので、もしかしたら、いつか
そんな気分になるかもしれませんが。
inuさん、お手紙、嬉しかったです。
そのせいで、こんなに長くご返事を書いてしまいました。(^^;)
ありがとうございました。
m(_ _)m
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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
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今回、ドン・ガバチョさんから“「私は在る」関連ご意見投稿フォーム”経由
でご投稿をいただきました。
内容的に、情報投稿のようですので、こちらに掲載させていただきます。
【件名】:
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内なる平和への歩み Steps Toward Inner Peace
ピース・ピルグリム Peace Pilgrim
〜もうひとつの「ミュータント・メッセージ」あるいは「フォレ
スト・ガンプ」
ここに紹介するのは、平和に身を捧げたひとりのアメリカ人女性が、自分の
歩んだ道のりをふり返った短い物語です。
彼女の本名は知られていません。
ただ、平和の巡礼者「ピース・ピルグリム」という名だけが、その足跡をし
るす標識として残っています。
彼女、ピース・ピルグリムは、ここに語られているようなステップを踏ん
で、生涯を平和のために捧げることを決意して以来、文字通り無一文、から
だひとつで世界を歩きつづけました。
そして1981年に亡くなるまで、その巡礼の道々、数かぎりない人びと
に、やさしくわかりやすいことばで平和の道を説いたのです。
この『内なる平和への歩み Steps Toward Inner Peace』は、彼女のメッ
セージをもっとも簡潔に伝えるものとして、晩年彼女自身も上着に持ち歩い
て人びとに手渡し、亡くなったあとは、「ピース・ピルグリムの友 Friends
of Peace Pilgrim」と名づけられたボランティア組織が無償で配布している
ものです。
このなかで彼女は、
「生存への欲求によって、不安定ながらある種の世界平和がもたらされ、そ
れを維持するために大きな内的めざめが必要になる」時代がくることを予言
しています。
まさにそうした時代が訪れたいま、わたしたちが<平和>について考え行動す
るとき、ここから学べることは少なくありません。
彼女の語った内容は、その精神をくんで版権が主張されておらず、だれでも
引用・転載していいことになっています。
人生のはじめの時期に、わたしはふたつのとても重要な発見をしました。
ひとつは、お金をかせぐのは簡単だということ。
もうひとつは、お金をかせぎ、それを愚かなやり方で使うのはまったく無意
味だということです。
自分はそんなことのためにここにいるのではない、と気づきました。
でもそのときは(これはずいぶん昔のことです)、では何のためにここにこ
うして存在するのか、まだはっきりとはわかりませんでした、
意味のある生き方を深く探し求めつづけて、ある夜、一晩中森を歩きまわっ
たすえに、ようやくひとつの境地にたどりつきました。
いまのわたしは、そのとき超えたのが精神的にとても大きな峠だったことを
理解しています。
それは、一点の曇りもなく、全身全霊で、自分のいのちを奉仕の生に捧げた
いという決意でした。
こうなるともう逆戻りはありません。
ここまできたら最後、二度とふたたび以前のようなまったく自分本位の生き
方へ引き返すことはできなくなるのです。
こうして、第二の人生がはじまりました。
得られるかぎりのものを手に入れるのではなく、与えられるかぎり与える生
き方です。
そこからは、新しくすばらしい世界が広がりました。
人生は意味に満ちあふれたものに変わりました。
健康という大きな恵みも授かりました。
それっきり、風邪にも頭痛にも悩まされたことはありません。
(ほとんどの病気は精神的なものが引き金になっているのです。)
そのとき以来、自分のライフワークは平和のためにはたらくことだとはっき
り自覚するようになりました。
ここでいう「平和」にはあらゆるレベルが含まれます。
国家間の平和、集団どうしの平和、個人と個人のあいだの平和、そして何よ
りも大切なのが内なる平和です。
けれども、人生を捧げたいと思うことと、じっさいに捧げることとのあいだ
には大きなひらきがあります。
それを埋めるのに、わたしには以後15年にわたる準備と内的探求が必要で
した。
このかんに、心理学者が「自我」と「良識」と呼ぶもののちがいがよく見え
てきました。
わたしたちのなかには、ふたつの異なった価値観をもったふたつの自分、な
いしふたつの本性が共存しているといってもおかしくありません。
そのふたつのものの見方があまりにもちがうので、しばらくはふたりの自分
の葛藤に悩まされました。
それは山あり谷ありのたいへんな道のりでした。
けれども、そうしてもがいているうちに、あるときすばらしいピーク体験が
訪れます。
生れてはじめて、本当の内なる平和を味わったのです。
私は一体感に包まれました。
すべての人間たちとひとつであり、存在するいっさいのものとひとつである
という感覚――、それ以来、その一体感を完全に失ったことはありません。
その後もこのすばらしいピークには何度でも戻ることができましたし、そこ
にとどまれる時間もだんだん長くなって、すべり落ちることのほうが珍しく
なりました。
そしてある朝、もう二度と谷におりなくていいことがはっきりと確信でき
る、すばらしい瞬間がやってきたのです。
苦闘は終わり、わたしはついに自分のいのちを捧げること、つまり内なる平
和を見出すことに成功しました。
これもやはり、もう引き返せない境地です。
ここまでくると、苦闘のなかへ逆もどりすることはありえません。
苦闘が終わったは、みずから自分にふさわしいことをやる「意思」が生ま
れ、外側からそれを強制される必要がなくなったからです。
しかし、成長が終わったわけではありません。
むしろこの第三の人生でこそ、大きな成長が起こりつづけてきました。
ただそれは、人生というジグソーパズルの主体はすでに出来上がり、はっき
りと動かざるものになっていて、あとの周辺部が少しずつ組み上がってい
く、というような成長です。
はじのほうにはつねに新しい部分が加わっていくけれど、成長そのものは調
和がとれています。
いつも、愛、平和、喜びといった「善きもの」に包まれている感じがあっ
て、それに守られているおかげで、直面すべきどんな状況に遭遇してもまっ
たく恐れがないのです。
外目にはたいそうな問題をいくつも抱えているように見えても、内側にはそ
れらの問題を楽々と乗り越える力がかならず存在します。
困難など感じません。
穏やかで、静かで、ゆったりとしていて、もはや何ごとにつけ闘いや緊張は
ないのです。
生は充実して善きものであり、もう窮屈なごたごたはありません。
これはとても大きな学びでした。
わたしたちの生が、<大いなるいのちのパターン>のなかで自分のはたすべき
役割と調和していれば、そして、わたしたちが宇宙を貫く法則に忠実であれ
ば、人生は充実した善きものでありながらしかも窮屈にはならないのです。
もしそれが窮屈だとしたら、それは自分がやるべき以上のこと、この宇宙で
自分の果たすべき役どころを以上のことをやっている証拠です。
人間には、取るのではなく与えるという生き方ができます。
ところが、与えることに専念していると、与えることなしに受け取ることが
できないのとちょうど同じように、受け取ることなしに与えることもできな
いことがわかってきます。
それも、健康や幸福や内なる平和といった最高の贈り物を授かってしまうの
です。
そのエネルギーはまさに無尽蔵です。
けっして尽きることがなく、空気のようにいくらでも存在する気がします。
まるで、宇宙エネルギーの源につながったようなものです。
こうなると、人生は思いのままです。
ただし、「自我」というのはけっしてものごとを操ることができません。
自我は肉体からくる快適さや便利さへの欲求に操られ、心の要求や感情のほ
とばしりに操られるばかりです。
けれども、心やからだや感情をコントロールするのはもっと高い本性です。
わたしが自分のからだにむかって「あのセメントの床で寝なさい」といえ
ば、からだはそれにしたがいます。
心にむかって「ほかのことはすべて忘れて目の前の仕事に集中しなさい」と
いえば、心はすなおにしたがいます。感情にむかって「状況は最悪だけど静
かにしなさい」といえば、感情は静まります。
これはふつうとはまったく異なった生き方だといえるでしょう。
哲学者ソローはこう語ります。
「世間と歩調を合わせるのをやめれば、いままで聞こえなかった太鼓の音が
聞こえてくるだろう。」と。
そう、この段階でしたがうのはその新しい太鼓の音――そしてその叩き手
は、低次本性ではなく高次本性なのです。
これは1953年のことでしたが、このときはじめて、わたしは世界平和のため
の巡礼に出ようと思いたちました。
足と信念と祈りだけを頼りに、たくさんの人びととふれあうことを目的とす
るこうした巡礼の旅は、昔から行われてきたものです。
わたしの場合は、わかりやすいように胸に「ピース・ピルグリム(平和の巡
礼)」という文字がはいった上着を着て歩きます。
いまでは、それが自分の名前だと思っています。
わたし個人ではなく、わたしの使命を強調してくれますから。
背中には「平和のために徒歩25000マイル」と書いてあります。
この上着を着るのは、接触のきっかけをつくるためにすぎません。
ハイウェイぞいや市街地を歩いていると、この上着を見ていろいろな人が
しょっちゅう声をかけてきます。
そうしたら、その人たちと平和について話すのです。
わたしはすでに、一文なしの巡礼者として25000マイル(40000km)を踏破し
ました。
所持品といえば、この上着と、その小さなポケットに入れて持ち歩いている
ものだけです。
わたしはどんな組織にも属していません。
旅に出るにあたり、雨露をしのげる場所を与えられるまで歩きつづけるこ
と、食べ物は与えられるまで食べないこと、そして人類が平和の道を習得す
るまでさすらいの身でいることを誓いました。
嘘も隠しもありませんが、こうして何ひとつ求めないにもかかわらず、これ
まで旅に必要なすべては与えられてきました。
ということはまた、人びとが本当はいかに善良かもあらわしています。
わたしはつねに、「平和の道は、善によって悪を克服し、真実によって偽り
を克服し、愛によって憎しみを克服すること」という平和のメッセージをた
ずさえて歩きます。
これはとくに目新しいメッセージではありません。
新しいところがあるとすれば、それを実践するかどうかだけでしょう。
しかも、その実践は国際関係だけでなく個人的な関係のなかでも求められま
す。
わたしは、世界の状況はわたしたち自身の未熟さの反映だと信じています。
もしわたしたちが成熟し、調和のとれた人間であったなら、戦争などまった
く問題外のはずです。
そんなものは不可能でしょうから。
平和のためにはたらくことはだれでもできます。
いま自分のいる場所で、まさに自分自身のなかでそれをすればいいのです。
なぜなら、自分自身の内面が平和になればなるほど、わたしたちはそれを外
の状況に反映させることができるからです。
じっさい、わたしはこう確信しています。
生存への欲求によって、不安定ながらある種の世界平和がもたらされ、それ
を維持するために大きな内的めざめが必要になるだろう、と。
核エネルギーを手にしたとき、わたしたち人類は新しい時代にはいったので
す。
そしてこの新しい時代は、新しいルネッサンスをももたらすでしょう。
新しい時代にともなうさまざまな問題に対処できるより高い理解のレベルま
で、わたしたちを引き上げるルネッサンスです。
わたしが、世界平和へのステップとしてわたしたち自身の内なる平和を説く
のはそういうわけなのです。
さて、内なる平和への歩みについて語るとき、わたしはひとつの枠組みに
そって話を進めますが、そこに出てくるステップはけっして絶対的なもので
はありません。
ステップはもっと多い場合もあれば、少ない場合もあるでしょう。
これは単に、話をわかりやすくするためだけのものです。
ですから、これらのステップを踏むのに決まった順序はないということ――
これを忘れないでください。
ある人にとっての最初の一歩が、別の人にとっては最後の一歩になるかもし
れません。
ようは、自分にとって歩みやすいステップを踏めばいいのです。
何歩か進むにつれ、次の何歩かを踏み出すことが容易になるでしょう。
こういうことに関するかぎり、わたしたちのあいだには共有できることがた
くさんあるはずです。
いまこれを読んでいるなかに、巡礼などする気のある人はいないかもしれま
せんし、わたしもとくに巡礼をおすすめするつもりはありません。
けれども、人生において内なる平和を見出すということに関しては、かなら
ず共有できるものがあります。
これから、わたしが踏んだ内なる平和への足どりをご紹介すれば、きっと
「そういうステップなら自分も踏んだ」というものが思いあたるでしょう。
まず最初に、わたしがしなければならなかったいくつかの準備についてふれ
たいと思います。
準備の第一は、「生きることに正しくむかいあう」こと。
これはすなわち、逃避をやめるということです。
ものごとのほんのうわべをかすめるだけの薄っぺらな生き方をやめることで
す。
こういう人びとはごまんといますが、何ひとつ意味あることを見つけられま
せん。
生と真正面からむかいあい、生の深みを掘り下げましょう。
真理や真実はそこではじめて探し当てることができます。
わたしたちがいま、ここでやろうとしているのはそれです。
そのさい、人生の上でまみえるさまざまな問題を、どういう姿勢で受けとめ
るのがいちばん有意義か、ということも大きなポイントです。
これに関しては、もしここに生きて在ることの全容が見えさえすれば、その
「物語」の全体がつかめさえすれば、自分の人生にとってなんら意味をもた
ないような問題、自分の内的成長に役立たないような問題はけっして起こっ
てこないのだということがわかるでしょう。
これが理解できると、問題とは姿を変えたチャンスであることが見えてきま
す。
問題にきちんと直面しないかぎり、ただ漫然と人生をすごすだけで、内的な
成長など訪れません。
自分のなかのもっとも高次の光に照らして問題を解決することにより、わた
したちははじめて内的成長をとげることができるのです。
ただし、集合的な問題は集合的に解決にあたらなければなりません。
つまり、軍縮や世界平和といった集合的な問題の解決について、自分なりに
できることをやらずに逃げているような人は、けっして内なる平和など見出
せないということです。
ですから、こうした問題についてはいつもいっしょに考え、いっしょに語り
合い、力を合わせて解決をめざしましょう。
第二の準備は、「宇宙を貫く法則と自分の生を調和させる」こと。
この宇宙やそこに含まれるあらゆる存在がつくられたとき、同時にそれらを
支配する法則もつくられました。
これらの法則は、物理的な領域と精神的な領域の両方にわたって人間の営み
を支配しています。
これらの法則を理解し、それと自分の生を調和させるかぎりにおいて、わた
したちの人生は調和のとれたものになるでしょう。
いっぽう、これらの法則に背けば、わたしたちは、そのことによってさまざ
まな困難を招くことになります。
自分にとってもっとも手ごわい敵は自分自身です。
無知のために調和がとれない場合も、多少の苦しみはあるでしょう。
しかし、改善の方法を知りながら不調和のなかにいる苦しみはそれとはくら
べものになりません。
わたしの見るかぎり、これらの法則はほとんどだれもが知っていて、なかに
は深く信じている人もいます。
だとすれば、あと必要なのはそれらを「本気で生きる」ことです。
こうして、わたしはとても興味深い計画に着手しました。
「自分がいいと信じていることをすべてを実行する」という計画です。
ただし、何もかもいっぺんにやろうとして自分を混乱させることは避けまし
た。
それよりも、やるべきでないとわかっていることをひとつずつやめることか
ら出発したのです。
ただし、それについてはつねに「即実行」を心がけました。
そのほうが楽ですから。
何かをだんだんにやめるというのは長く辛い道のりです。
と同時に、自分が何かやるべきことをやっていないとわかったら、それに
いっしょうけんめい取り組みました。
信念を実行に移すにはしばらくかかりましたが、それが可能であることはい
うまでもありません。
いまのわたしは、何かを信じたらすぐに実行することができます。
さもなければまったく何の意味もありません。
自分のもつもっとも高い光に則して生きるにつれ、それ以外の光も授かれる
こと、持てる光を生かせば生かすほど、もっと多くの光を受けとれることが
かわってきました。
……
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ドン・ガバチョさん、いただいたご投稿をすべて掲載したら、まぐまぐの制限
をはるかに超えてしまいました。^^;
今回は、ここまでにさせてください。
ご投稿、ありがとうございました。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
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■ 5.編集後記:明日は、朝8時から地域の草刈りがあります。
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今日は、出発も遅かったので、終わりも遅くなってしまいました。
明日は、朝8時から地域の草刈りがあります。
と……以前……同じようなことを書いたような気もしますが。(*^_^*)
では、おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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